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花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

「死」と「生」への執着は苦しみ

「死」と「生」への執着は苦しみ

 

 

 

前回までお話ししたことは…


約1万年前
地球に滞在する人間の祖先は
この地球の自然界で生き延びることの厳しさを苦痛に思い
それまでの
地球に滞在する他の存在たちとは違う
自然界の食物連鎖の循環から外れる選択をし
狩りや木の実などの採取だけでなく
自然界に人工的に手を加える農耕や牧畜や家畜を
生活に取り入れ「食」の安定を得て
「生きる」安心を得ました。

 

 

人間は他の地球の存在たちとは違って


「死」への「恐れ」を強く持ち
そのため
「生」への「安心」に強く執着を持ったようです。

 

 

それから「今ここ(現在)」まで
人間は約1万年前よりは
「衣」「食」「住」を人工的に作り出し
厳しい地球の自然界の中で生き延びる中で
「生」への「安心」は増えました。

 

しかし

 

自然界から外れて生きることを選択したことで
自然界に人工的に手を加えたことで
地球の自然界の本来のバランス(中庸)が壊れ
アンバランス(偏り)な状態になったことで

 

人間の心と肉体の健康を害する影響があらわれてきました。

 

そのうちの一つのたとえとして
50年前にはなかったと言われる
花粉症の症状のお話しを前回までの数回にわたりしてきました。

 

人間の健康だけでなく
地球の全ての存在たちの健康や命の危険にもなっている状態です。

 

 

「今ここ(現在)」の地球全体のバランス(中庸)が壊れてしまったのは
地球の「過去」を振り返ってみると
人間が自然界に人工的に手を加えはじめたことからはじまっていることがわかります。

 

だとしたら

 

もちろん原始時代の生活に再び戻る

という選択肢もありますが

それを人間は選択しない…とするならば

 

これ以上、自然界のバランス(中庸)を壊さないようにしながら
少しづつ地球全体のバランス(中庸)を取り戻す

 

ということが
人間をも含めた地球の全ての存在の健康と命をつなぐことができる
ということが単純にわかります。

 

 

しかし、
人間は頭ではわかっていても

 

これ以上、自然界のバランス(中庸)を壊さないようにしながら
少しづつ地球全体のバランス(中庸)を取り戻す

 

をなかなか実行できません。

 

 

その理由はいろいろあると思いますが
その中でも

 

約1万年前と同じ

人間は他の地球の存在たちとは違って

「死」への「恐れ」を強く持ち
そのため
「生」への「安心」に強く執着を持ち

「死」と「生」は自然なものであるということを受け容れる

ということができない状態であるので

 

自然界のバランス(中庸)が壊れることを犠牲にしてまでも
自分は生き延びたい

 

という強い欲(エゴ(自我))を持ち続けています。

 


その欲(エゴ(自我))を持つことは
生き物の本能でもあるので
けっして悪いことではありません。

 

ただ

 

その欲(エゴ(自我))の思いだけに盲目的になっていると

 

自分しか見えず

全体が見えなくなり(視野が狭くなる)

 

結果

 

地球全体の自然界のバランス(中庸)が壊れて

地球の自然界の一部分である人間の自分の健康を害する影響がある

地球全体で苦しむ…

 

という悪循環になっているのが「今ここ(現在)」の現実です。

 

 


苦しみの原因は

約1万年前と同じ

人間は他の地球の存在たちとは違って

「死」への「恐れ」を強く持ち
そのため
「生」への「安心」に強く執着を持ち

「死」と「生」は自然なものであるということを受け容れる

ということができない状態であることです。

 

 


「死」への「恐れ」を克服する…
克服というよりも

 

「死」と「生」の二元性のどちらにも「偏る」ことなく
その真ん中の『中庸』であること
『中庸』とは本来のバランスの状態であり

 

それは

 

「死」と「生」は自然なものであるということを受け容れる

 

ことが
「死」への「恐れ」
「生」への「安心」
の二元性の両極に執着する苦しみから

(アンバランス(偏り)の状態は苦しみ)
自分を救い出すことになります。

 

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1人1人の人間の内側で
「死」と「生」の二元性が超越(統合)され
本来のバランスの『中庸』の一元性に
再び戻ったとき

 

自然界のバランス(中庸)が壊れることを犠牲にしてまでも
自分は生き延びたい

 

という強い欲(エゴ(自我))を『手放し』

 

人間は
偽善でもなく
抑圧することなく
無理なく自発的に心から

 

これ以上、自然界のバランス(中庸)を壊さないようにしながら
少しづつ地球全体のバランス(中庸)を取り戻す

 

ということを生きることが自然とできるようなります。

 

 

 

といっても
「死」を受け容れることは
なかなかできないものです。

 

今日は導師 master osho が講話の中でお話ししてくれた
osho タロットの1枚にもなっている
ゴータマ・ブッダとある女性のお話しをご紹介します。

 

どうやってこの女性は「死」を自然なこととして受け容れたのか…

 

 

 

◯ ◯ ◯

 

 

 

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こんな話がある。

 

ゴータマ・ブッダがある村にいた。
すると女が1人やってきた。
女は嘆き悲しんでいた。
子供が突然死んだのだ。
たった1人の子供だった。

 

ゴータマ・ブッダはその村にいた。
人々は女に言った

 

「泣かなくていい。
あの人のところへ行くんだ。
あの人は無限の慈悲を持っているそうだ。
あの人が望めば、子供も生き返るだろう。
だから泣かなくていい。
あのブッダのところへ行きなさい。」

 

そこで女は、
死んだ子供を抱いてやってきた…
嘆き悲しみながら…。

 

村中の人々が後に続いた。
村中が心を痛めていた。
ゴータマ・ブッダの弟子たちも心を痛めた。

 

それで心に祈り始めた…
ゴータマ・ブッダがこの子に
慈悲をたれ、
祝福を与え、
それで子供が生き返りますように…。

 

ゴータマ・ブッダの弟子の中にも、
もらい泣きする者が大勢いた。
その様子は深く心を打つものだった。
みな、じっと動かなかった。

 

ゴータマ・ブッダは黙したままだった。


死んだ子供を見、
それから
嘆き悲しんでいる母親を見、
そして言った、

 

「泣かなくていい。
私の言うとおりにすれば、
子供は生き返る。

 

村へ戻りなさい。
死んだ子はここに残しておいていい。

 

村へ戻って
家ごとに尋ねなさい、

『今まで、おたくで死んだ人がいますか』と。

 

もし今までに
誰も死んでいない家があったら、
その家で食べ物を乞うのだ。

 

パンでも、ご飯でも、何でもいい。

とにかく、
誰も死んでいない家で物を乞う。

 

そのパンなりご飯なりによって、
子供はすぐに生き返るだろう。

 

さあ行きなさい。
時間を無駄にしてはいけない。」


女は喜んだ…
「奇跡が起こる」と。


それでゴータマ・ブッダの足に触れ、
村へ向かって駆けていった。

 

村はそれほど大きなものではなかった。
家は数えるほどしかなかった。
女は家から家へ尋ねてまわった。

 

でも、どの家もこう言うのだった…

 

「それは無理なことだ。
そんな家などありはしない。
この村ばかりではない、
この世のどこへ行ったって、
誰も死んだことのない家などありはしない…

 

どの家でも、
必ず誰かが死に、
家人はそれを嘆き悲しんでいる。」


だんだん女にもわかってきた。


ゴータマ・ブッダは何か企んでいる。

 

そんなことは無理だ。

 

でも、女はまだ望みを捨てなかった。

そして村の家を一軒残らずまわった。

 

その涙は乾き、
その望みも消え果てた。

 

ところが突然、
新たな平安の訪れが感じられた。

 

 

彼女は『理解』した…

 

 

生まれた者は必ず死ぬ、
長さが違うだけだ、
早く死ぬ者もあれば、
遅く死ぬ者もある。

 

 

死は不可避だ。

 

 

女はゴータマ・ブッダのもとに戻り、
その足に触れて言った、

 

「みんなの言うとおり、
あなたの慈悲は、
計り知れません。」

 

いったいどういうことなのか、
誰にもわからなかった。

 

ゴータマ・ブッダはこの女をサニヤス(弟子)に入門させた。
女は比丘尼に、サニヤシン(弟子)になった。
入門した。

 


アーナンダはゴータマ・ブッダに尋ねた、

 

「どうして生き返らせなかったのですか。
こんなにきれいな子供なのに。
それに女はあれほど悲しんでいたのに。」

 

ゴータマ・ブッダは言った、

 

「たとえ生き返ったところで、
子供はいずれ死ぬ。
死は不可避だ。」

 

アーナンダは言った、

 

「でもそれでは、
人々に対して、
人々の悩みや苦しみに対して、
あまり鋭敏だとはいえません。」

 

ゴータマ・ブッダは言った、

 

「私は鋭敏だ。
あなたは感傷的だ。

 

自分がもらい泣きしたからといって、
それが鋭敏だというのか。

 

それは子供じみている。

 

あなたは生を『理解』していない。

生という現象がわかっていない。」

 

 


(このゴータマ・ブッダのお話しは
導師 master osho のある弟子が質問をしたことに
oshoがお話しをしてくれた一部分です。

 全体のお話しを以下に載せます。)

 

 


質問…

 

瞑想 meditation が深まるにつれて、
人や物に対する鋭敏さ増していきます。
でも鋭敏さが増すにつれ、
対象に対する一種の深い親しみが感じられるようになります。
その親しみから、通常、微妙な執着が生まれます。
どうしたら、
鋭敏でありながら
超然としていられるのでしょうか?

 

 

osho…

 

どうしたら
鋭敏でありながら
超然としていられるか。

 


この2つは対立するモノではない。

 


鋭敏になればはるほど超然となる。
あるいは
超然となればますます鋭敏になる。

 


鋭敏さは執着ではなく、
鋭敏さは覚醒だ。

 


鋭敏になれるのは、覚醒した人間だけだ。

 

覚醒していなければ、鋭敏にはなれない。

 

無意識であるときは、まったく鋭敏ではない。

 

意識が増せば増すほど鋭敏になる。

 


ブッダ(目覚めた人・覚醒した人)はあくまで鋭敏だ。
最大限に鋭敏だ。

 

ブッダ(目覚めた人・覚醒した人)は可能なかぎり感じ、
覚醒(目覚めている)している。

 

 

鋭敏で覚醒していたら、
執着することはない…

 

超然としている。

 

 

なぜなら
覚醒という現象が橋を壊すからだ。

 

自分と物との間の橋、
自分と人々との間の橋、
自分と世界との間の橋が、
壊される。

 

 

無意識、
無覚醒こそが、
執着の原因だ。

 


覚醒していれば、
突然、橋は消え失せる。

 

覚醒しているとき、
自分と世界とを結ぶものはない。

 


世界はそこにあり、
自分もそこにある…

 

しかし、

 

その2つの間の橋は消え失せている。

 

その橋は無意識によって作られる。

 


だから、
「鋭敏になれば執着するようになる」
というのは見当違いだ。

 


鋭敏になればなるほど、
執着はなくなる。

 

執着は非常に粗大な資質だ。
繊細なものではない。

 


執着に覚醒や『気づき』はいらない。

 

 

動物でさえ執着するのは容易だ。
むしろ動物のほうが執着しやすい。
主人に対する犬の執着心は、人間の比ではない。
犬はまったく無意識だ。
それで執着が起こる。

 

だからこそ、

 

人間関係が希薄になった国々、西洋では、
犬などの動物を相手にするようになるのだ。

 

もはや人間関係は存在していない。

 

人間社会が消えつつあり、
人々はみな孤独や疎外を感じている。

 

群衆は存在するが、
自分との結びつきはない。

 

自分群衆の中で独りだ。

 

 

その孤独が怖ろしい。恐ろしい。

 

 

誰かにしがみついていれば、
また誰かが自分にしがみついていれば、

 

「自分はこの世界、この見知らぬ世界の中で
独りではない。
誰かが自分と一緒にいる」

 

と感じられる。

 

この所属の感覚が、
一種の安心感を与える。


人間関係が不可能なると、
人は動物を相手として求める。

 

 


東洋では、
たとえ牛を信仰していようとも、
牛と結びつきを求めることはない。

 

ところが西洋の人々は、
犬などの動物と深く結びついている。

 

東洋の場合、口では
「自分は牛を聖なる動物として信仰する」
と言いながら、
動物虐待は日常だ。

 

東洋の人々は、
動物をひどく虐待しながら、
「自分たちは非暴力的だ」
と考えている。

 

そこが西洋人には理解できない。

 

世界中、特に西洋には、
動物を虐待から守る団体がいくつもある。

 

だから西洋では犬を打つわけにはいかない。
もし打ったりしたら犯罪行為になり、刑罰を受ける。

 

その裏にあるものは何か。

 

人間関係が消失したのだ。

 

 

ところが、
1人では生きていけない。

 

 

結びつき、
所属感、
誰かと一緒だ
という感覚が必要だ。

 

それが動物が良い友人となる。
動物の執着心はたいへんに強い。
人間の比ではない。

 

 

執着は覚醒を必要としない。
むしろ、
覚醒は障害となる。

 


覚醒すればするほど、
執着は少なくなる…
執着の必要が消え去る。

 

 

なぜ人は他人に執着したがるのか。

独りでは満足を感じないからだ。

何かが足りない。

自分の中で何かが欠けている。

自分は満ち足りていない。

充足するためには
誰かが必要だ。

だから執着が生じる。

 

 

もし覚醒していたら、

あなたは満ち足りている。

一個の全体だ。

もう円環は完結している。

何も欠けていない。

だから誰も必要ではない。

自分独りで
完全なる独立性が感じられる。
まったくの充足が感じられる。

 

 

 

だからといって、
人を愛さなくなるわけではない。

 

むしろ、その逆に、
そうして初めて
人を愛せるようになる。

 

 

 

誰かに従属している人間は、
その従属相手を愛することができない。
憎むだけだ。

 

誰かを必要としている人間は、
その必要とする相手を愛することができない。
憎むだけだ。

 

なぜなら
その相手が束縛となるからだ。

 

 

 

相手がいなければ
生きられない。

 

相手がいなければ
幸福になれない。

 

だから
相手は
幸福と不幸の両方の源になる。

 

相手なしではどうにもならない。

それによって束縛の感覚が生まれる。

相手によって自分は束縛されている。

それで腹が立ち、
それに対して戦う。

 

そのようにして人々は
憎み、
愛する。

 

その愛は決して深いものではない。

 

 

 


覚醒した人間は
(光明 enlightenment が起こった人)
ただ愛するのみだ。

 

なぜなら相手を必要としないからだ。

 

そうした愛は、
まったく次元の異なるものだ。

 


それは執着ではない。

 


彼は従属的ではない。
彼は相手に従属していないし、
相手を自分に従属させることもない。

 

 

彼は自由なままだし、
相手の自由も許す。

 


それは
二個の自由な主体の出会いであり、
二個の完全な存在者の出会いだ。

 

その出会いは、
お祝いであり、お祭りだ。

 

従属ではない。

 

その出会いは、
喜びであり、遊びだ。

 

 

 

だからこそインドでは、
クリシュナの生涯のことを
クリシュナ・リーラ
「クリシュナの遊び」
と言うのだ。

 

彼は数多くの人々を愛しているが、
そこに執着はない。

 

でもその相手方、
つまりゴピやゴパル、
「友達」や「女友達」の方は、
そうではない。

 

彼らは執着している。

 

だから、クリシュナが
ブリンダーヴァンからドワラカへ移るとき、
彼らは泣いて悲しむ。
たいそう嘆く。

 

なぜクリシュナが自分たちを忘れてしまったのか
考えあぐねる。

 

べつにクリシュナは忘れていない。
でも
彼に苦痛はない。

 

なぜなら
彼は誰にも依存していなかったからだ。

 

ドワラカに移っても、
ブリンダーヴァンにいたときと同じくらい、
彼は完全で幸福だ。

 

ドワラカにおける彼の愛は、
ブリンダーヴァンにいたときと同じくらい花開いている。

 

 

愛の対象は変わったが、
愛の源泉は同じままだ。

 

 

彼の近くに来る人は、誰でも贈物を受け取る。

 

この贈物は無条件的だ。

 

何の返報も要求されない。
何の謝礼もいらない。


覚醒した意識を通して現れる愛は、
無条件的で、
純粋な贈物だ。

 

それを与える者は、
与えるからこそ幸福だ。

 

与えるという行為が、
至福であり、
エクスタシーだ。

 

 

 


だから覚えておくように。
瞑想 meditation によって
鋭敏さが増してきたら、
おのずと執着は減り、
あなたはますます超然とする。

 

自分自身に根づき、
自分自身に中心が定まっていくから、
他人を自分の中心として使わなくなる。

 

 


執着とは何か。

 

執着とは、
他者を自分の存在の中心として使うことだ。

 

 


マジュヌはライラに執着している。
彼は
「ライラなしには生きられない」と言う。

 

存在の中心が移動している。

 

「これなしでは生きられない」

 

とは、
自分の『魂』が
自分の中にない
ということだ。

 

 

そのような人間は
独立した存在者ではない。

 

中心がどこかに移動している。

 

 

 

この『中心の移動』
つまり
中心が自分から他のものへと「移動」することこそが執着だ。

 

 

 

もし鋭敏だったら、
あなたは相手を感じはしても、
相手を生の中心にはしない。

 

いつも自分に中心を定めている。

 

中心が定まっていたら、
相手はあなたから
さまざまな贈り物を受け取る。

 

 

それは贈り物であって、
取り引きではない。

 

 

自分の手もとに
溢れるほどたくさんあるから、
相手に分かち与える。

 

そして相手が受け取ってくれから、
ありがたく思う。

 

それで充分だ。

 

それ以上はない。

 

 

 

 

だからこそ私はいつも、
心の欺瞞には気をつけなさい
と言うのだ。

 

あなたはこう考える、

 

「自分は瞑想 meditation している、
そして
それによって鋭敏になった」

 

それから疑問が生じる

 

「なぜ、自分は執着するのか」

 

もし執着するとしたら、
事態は明らかだ…

 

その鋭敏さは覚醒によるものではない。

 


実際、
それはまったく『鋭敏さ』などではなく、
たぶん「感傷」だ。

 


それはまったく違うものだ。

 


たとえば、
あなたは感傷的になって、
小さなことに
泣いたり、
悲しんだり、
感動したりする。

 

心には容易に嵐が起こる。

 

でもそれは感傷癖だ。

 

『鋭敏さ』ではない。

 

 

 


こんな話がある。

 

ゴータマ・ブッダがある村にいた。
すると女が1人やってきた。
女は嘆き悲しんでいた。
子供が突然死んだのだ。
たった1人の子供だった。

 

ゴータマ・ブッダはその村にいた。
人々は女に言った

 

「泣かなくていい。
あの人のところへ行くんだ。
あの人は無限の慈悲を持っているそうだ。
あの人が望めば、子供も生き返るだろう。
だから泣かなくていい。
あのブッダのところへ行きなさい。」

 

そこで女は、
死んだ子供を抱いてやってきた…
嘆き悲しみながら…。

 

村中の人々が後に続いた。
村中が心を痛めていた。
ゴータマ・ブッダの弟子たちも心を痛めた。

 

それで心に祈り始めた…
ゴータマ・ブッダがこの子に
慈悲をたれ、
祝福を与え、
それで子供が生き返りますように…。

 

ゴータマ・ブッダの弟子の中にも、
もらい泣きする者が大勢いた。
その様子は深く心を打つものだった。
みな、じっと動かなかった。

 

ゴータマ・ブッダは黙したままだった。


死んだ子供を見、
それから
嘆き悲しんでいる母親を見、
そして言った、

 

「泣かなくていい。
私の言うとおりにすれば、
子供は生き返る。

 

村へ戻りなさい。
死んだ子はここに残しておいていい。

 

村へ戻って
家ごとに尋ねなさい、

『今まで、おたくで死んだ人がいますか』と。

 

もし今までに
誰も死んでいない家があったら、
その家で食べ物を乞うのだ。

パンでも、ご飯でも、何でもいい。

 

とにかく、
誰も死んでいない家で物を乞う。

 

そのパンなりご飯なりによって、
子供はすぐに生き返るだろう。

 

さあ行きなさい。
時間を無駄にしてはいけない。」


女は喜んだ…
「奇跡が起こる」と。


それでゴータマ・ブッダの足に触れ、
村へ向かって駆けていった。

 

村はそれほど大きなものではなかった。
家は数えるほどしかなかった。
女は家から家へ尋ねてまわった。

 

でも、どの家もこう言うのだった…

 

「それは無理なことだ。
そんな家などありはしない。
この村ばかりではない、
この世のどこへ行ったって、
誰も死んだことのない家などありはしない…

 

どの家でも、
必ず誰かが死に、
家人はそれを嘆き悲しんでいる。」


だんだん女にもわかってきた。


ゴータマ・ブッダは何か企んでいる。

 

そんなことは無理だ。

 

でも、女はまだ望みを捨てなかった。

そして村の家を一軒残らずまわった。

 

その涙は乾き、
その望みも消え果てた。

 

ところが突然、
新たな平安の訪れが感じられた。

 

 

彼女は『理解』した…

 

 

生まれた者は必ず死ぬ、
長さが違うだけだ、
早く死ぬ者もあれば、
遅く死ぬ者もある。

 

 

死は不可避だ。

 


女はゴータマ・ブッダのもとに戻り、
その足に触れて言った、

 

「みんなの言うとおり、
あなたの慈悲は、
計り知れません。」

 

いったいどういうことなのか、
誰にもわからなかった。

 

ゴータマ・ブッダはこの女をサニヤス(弟子)に入門させた。
女は比丘尼に、サニヤシン(弟子)になった。
入門した。


アーナンダはゴータマ・ブッダに尋ねた、

 

「どうして生き返らせなかったのですか。
こんなにきれいな子供なのに。
それに女はあれほど悲しんでいたのに。」

 

ゴータマ・ブッダは言った、

 

「たとえ生き返ったところで、
子供はいずれ死ぬ。
死は不可避だ。」

 

アーナンダは言った、

 

「でもそれでは、
人々に対して、
人々の悩みや苦しみに対して、
あまり鋭敏だとはいえません。」

 

ゴータマ・ブッダは言った、

 

「私は鋭敏だ。
あなたは感傷的だ。

 

自分がもらい泣きしたからといって、
それが鋭敏だというのか。

 

それは子供じみている。

 

あなたは生を『理解』していない。

生という現象がわかっていない。」

 

 

 


これがキリスト教仏教違いでもある。

 

伝えによると、
エスは多くの奇跡を行なっている…
人々を生き返らせている。

 

ラザロが死んだとき、
エスは彼に触れて蘇生させている。

 

我々東洋の人間には、
ゴータマ・ブッダが死人の頭に触れ蘇生させるなど、
とても考えられない。

 

普通の人々、
普通の心から見れば、
ゴータマ・ブッダよりイエスほうが
愛と慈悲満ちている。

 

でも、私に言わせれば、
ゴータマ・ブッダのほうが
もっと鋭敏で、慈悲深い。

 

たとえラザロが生き返ったところで、
何も変わりはしない。


いずれ彼は死ぬ…
最後には必ず死ぬ。

 

その奇跡には意味がない。

 

究極的な価値はない。

 

ゴータマ・ブッダがそんなことをするなど、
想像もできない。

 

エスがそれを行なったのは、
ある新しいもの、
新しい教えを、
イスラエルもたらそうとしていたからだ。

 

その教えは、
人々には理解できないほどに深いものだった。

 

だからそれを教えまわるために、
奇跡を創り出す必要があった。

 

奇跡なら人々にも理解できる。

 

深い教え、秘教的教えは理解できない。

 

奇跡なら理解できる。
奇跡を通してなら、
その教えも受け容れやすくなるだろう。

 

エスのしようとしていたことは、
仏教的な教えを、
仏教的でない地へもたらすことだった…

 

東洋的な教えを、
悟りという伝統のない国、
ブッダ(目覚めた人)たちの伝統のない国へ、
もたらすことだった。

 

 

 


ゴータマ・ブッダのほうが、
もらい泣きしていた弟子たちよりも鋭敏だったと言える。

 

弟子たちは感傷的だった。


感傷と鋭敏とを
取り違えてはいけない。

 


感傷は平凡なものであり、
鋭敏さは非凡なものだ。

 


鋭敏さは努力を通じて起こる。
それは達成物だ。
獲得するものだ。

 

感傷は獲得物ではない。
生まれつきだ。
動物的な遺産だ。
すでにそれは、
体や細胞や心の中に存在している。

 


鋭敏さは可能性だ。
もとからあるものではない。
自分で創り出すものであり、
努力の結果として起こるものだ。

 

それが起これば、
あなたはきっと超絶とするようになる。

 

 

 


ゴータマ・ブッダはどこまでも超絶としていた。

 

死んだ子供がそこにいても、
まったく影響されている様子がない。

 

彼は
その女その母親と遊んでいる。

 

女なほうは苦悩していたが、
ゴータマ・ブッダは何かを企んで遊んでいる。

 

一見すれば、それは酷なことだ。

子供を亡くした母親を計略にかけて遊びなんて、あんまりだ。

 

ゴータマ・ブッダは謎を与えた。

 

そして相手が空っぽの手で
戻ってくるのをよく承知していた。

 

でも繰り返して言うが、
彼には真の慈悲があった。

 

この女に
成長と成熟を
もたらそうとしていた。

 

 

 

死というものが『理解』できて
初めて
人は成熟したといえる。

 

 

死を受け容れられるようになって
初めて
自分の存在の中心ができる。

 

 

死を現実として受け容れることは
死の超越だ。

 

 


ゴータマ・ブッダ
その状況を利用した。

 

ゴータマ・ブッダの関心は、

死んだ子供よりも

生きている母親にあった。

 

 


死んだ子供はいずれ生に戻ってくる。

彼はそれを承知していた。

 

だから奇跡の必要はない。

 

もし子供が蘇生したら、
きっと母親は
機会を失うことになるだろう。

 

そしてまた
何生も待つことになるだろう…

ブッダ(目覚めた人)に出会うという機会を。

 

 

 

 

東洋では、
奇跡を行なうのは
三流の行者だけだ。

 

一流どころが
奇跡を行ったためしはない。

 

一流どころは、
より高い水準で働きかける。

 

ゴータマ・ブッダもまた奇跡を行ったが、
その奇跡は、
きわてめ高い水準のものだ。

 

その母親は『変容』を遂げつつあった。

 


でも、
それを『理解』するのは難しい。

 

私たちの心は粗大だ。

 

私たちに『理解』できるのは、

 

感傷であって、
鋭敏さではない。

 

 

 

鋭敏さとは、
周囲に起こる全てを
感じ取る
覚醒を意味する。

 

そして感じ取るためには、
執着があってはいけない。

 

そこが大事だ。

 

執着していたら、
感じるべき自分がいない。

 

もはや自分の外に出ている。

 

 


だから、
ある人間のことを知りたければ…


本当のことを知りたければ、

 

その友人に尋ねてはいけない。

友人には執着がある。


また
その敵にも尋ねてもいけない。

敵にも執着がある。

 


反対の執着が。

 


だから尋ねるなら、
中立の人間、
友でも敵でもない人間に尋ねることだ。

 


そうしてはじめて真実はわかる。

 

 

友は信用できないし、
敵も信用できない。

 

 

ところが私たちは、
友か敵のどちらかを信じてしまう。

 

どちらも正しくない。

 

どちらにも中立的な『観照』がない。

 

どちらにも超然とした見地がない。

 

「離れたところに立って見る」
ことができない。

 

ともに、
ある一定の視点に立ってものを見ている。

 

そしてともにその視点に執着している。

 

執着があれは、
生を全面的に感じることはできない。

 

執着があるとは、
「一定の視点をとっている」
ということだ。

 

だから
『全面的』ではない。

 

「断片」を握りしめているだけだ。

 

「断片」はつねに虚偽だ。

 

『全体』だけが真実だ。

 

 

 

 

要は、
瞑想 meditation すること、
もっと鋭敏になることだ。

 

そして、

 

自分がどのくらい超然としているかを、
基準とすることだ。

 

もし執着が大きくなっていると感じたら、
その瞑想 meditation はどこかで間違っている。
それが基準だ。

 

 

私に言わせれば、
執着は破壊できるものではないし、
超然も実践できるものではない。

 


実践できるのは瞑想 meditation だけだ。

 


そうすれば、
その成り行きとして、
副産物として、
超然が現れる。

 


瞑想 meditation が
内側に真に花咲けば

きっと
あなたに超然とした感覚が現れる。

 


そうしたら
どこへ行っても、

あなたは害されることがないし、
恐れることもない。


自分の肉体を去るときでも、
あなたは無傷のままだ。


意識はまったく純粋で、
何の混じり気もない。


執着しているときには、
不純物が中に入る。

 

これこそが根本的な不純性だ。


つまり、
自己の存在の中心が失われ、
他人や他のモノが
自己の中心となる。

 

 

 

The first question:

 

Question 1

WITH DEEPENING MEDITATION, ONE BECOMES MORE AND MORE SENSITIVE TO OBJECTS, EVENTS AND PERSONS. BUT DUE TO THIS HEIGHTENED SENSITIVITY ONE FEELS A SORT OF DEEP INTIMACY WITH EVERYTHING, AND THIS USUALLY BECOMES A CAUSE OF SUBTLE ATTACHMENTS. HOW TO BE SENSITIVE AND YET DETACHED?


How to be sensitive and yet detached? These two things are not contraries, they are not opposites. If you are more sensitive, you will be detached; or, if you are detached, you will become more and more sensitive. Sensitivity is not attachment, sensitivity is awareness. Only an aware person can be sensitive. If you are not aware you will be insensitive. When you are unconscious you are totally insensitive – the more consciousness, the more sensitivity. A Buddha is totally sensitive, he has optimum sensitivity, because he will feel and he will be aware to his total capacity. But when you are sensitive and aware you will not be attached. You will be detached, because the very phenomenon of awareness breaks the bridge, destroys the bridge, between you and things, between you and persons, between you and the world. Unconsciousness, unawareness, is the cause of attachment.
If you are alert, the bridge suddenly disappears. When you are alert there is nothing to relate you to the world. The world is there, you are there, but between the two the bridge has disappeared. The bridge is made of your unconsciousness. So don’t think and feel that you become attached because you are more sensitive. No. If you are more sensitive you will not be attached. Attachment is a very gross quality, it is not subtle.

For attachment you need not be aware and alert. There is no need. Even animals can be attached very easily, rather, more easily. A dog is more attached to his master than any man can be. The dog is completely unconscious so attachment happens. That is why in the countries where human relationship has become poor, such as in the West, man goes on seeking relationship with animals, with dogs, with other animals, because the human relationship is no longer there. Human society is disappearing and every man feels isolated, alienated, alone. The crowd is there but you are not related to it. You are alone in the crowd and this aloneness scares. One becomes afraid and fearful.
When you are related, attached to someone, and someone is attached to you, you feel you are not alone in this world, in this strange world. Someone is with you. That feeling of belonging gives you a sort of security. When human relationship becomes impossible then men and women try to make relationships with animals. In the West they are very deeply related to dogs and other animals, but here in the East, although you may be worshipping cows you are not related to them. You may go on saying that you worship the cow as a divine animal, but your cruelty has no end.
In the East you are so cruel with your animals that the West cannot even conceive of how you can go on thinking that you are non-violent. All over the world, particularly in the West, there are many societies to protect animals from the cruelty of men. You cannot beat a dog in the West. If you beat it, it will be a criminal act and you will be punished for it. What is happening really, is that human relationship is dissolving – but man cannot live alone. He must have a relationship, a belonging, a feeling that someone is with him. Animals can be very good friends because they get so attached; no one, no man, can get that attached.

For attachment, awareness is not necessary; rather, awareness is the barrier. The more aware you become the less you will be attached, because the need for attachment disappears. Why do you want to be attached to someone? Because alone you feel you are not enough. You lack something. Something is incomplete in you. You are not a whole. You need someone to complete you. Hence, attachment. If you are aware, you are complete, you are a whole; the circle is now complete, nothing is lacking in you – you don’t need anyone. You, alone, feel a total independence, a feeling of wholeness.

That doesn’t mean that you will not love persons; rather, on the contrary, only you can love. A person who is dependent on you cannot love you: he will hate you. A person who needs you cannot love you. He will hate you because you become the bondage. He feels that without you he cannot live, without you he cannot be happy, so you are the cause of both his happiness and unhappiness. He cannot afford to lose you. This will give a feeling of imprisonment: he is imprisoned by you and he will resent it, he will fight against it. Persons hate and love together, but this love cannot be very deep.

Only a person who is aware can love, because he doesn’t need you. But then love has a totally different dimension: it is not attachment, it is not dependence. He is not dependent on you and he will not make you dependent on him; he will remain a freedom and he will allow you to remain a freedom. You will be two free agents, two total, whole beings, meeting. That meeting will be a festivity, a celebration – not a dependence. That meeting will be a fun, a play.

That is why we have called Krishna’s life KRISHNA-LEELA, the play of Krishna. He loves so many persons but there is no attachment. The same is not true on the part of the GOPIS and the GOPALS, the friends and the girl friends of Krishna. The same is not true. They have become attached, so when Krishna moves from Brindavan to Dwaraka, they weep and cry and suffer. Their anguish is great because they think that Krishna has forgotten them. He has not forgotten, but there is no pain because there was no dependence; he is as whole and happy in Dwaraka as he was in Brindavan and his love is flowing as much in Dwaraka as it was in Brindavan. The objects of love have changed but the source of love remains the same. So whosoever comes near him receives the gift. And this gift is unconditional: nothing is required as a return, nothing is asked as a return.
When love comes through an aware consciousness it is just a pure gift with no condition, and the person who is giving it is happy because he is giving it. The very act of giving is his bliss, his ecstasy.


So remember that if you feel that through meditation you have become more sensitive, then automatically you will become less attached, more detached. Because you will be more grounded in yourself, you will be more centered in yourself, you will not use somebody else as your center.
What does attachment mean? Attachment means that you are using someone else as your center of being, Majanu is attached to Laila: he says he cannot live without Laila. That means the center of being has been transferred. If you say that you cannot live without this or that, then your soul is not within you. Then you are not existing as an independent unit, your center has moved somewhere else.
This movement of the center from yourself to something else, to the other, is attachment. If you are sensitive, you will feel the other, but the other will not become the center of your life. You will remain the center and out of this centering the other will receive many gifts from you. But they will be gifts, they will not be bargains. You will simply give because you have too much, you are an overflowing. And you will be thankful that the other has received it. That will be enough and that will be the end.
That is why I go on saying that the mind is a great deceiver. You think that you are meditating and that that is why you have become sensitive. Then the question of why you get attached arises. If you get attached, that is a clear symptom that the sensitivity is not because of awareness. Really, it is not sensitivity at all. It may be sentimentalism: that is a totally different thing. You can be sentimental: you can cry and weep over small things, you can be touched, and a storm can be created very easily within you – but that is sentimentalism, not sensitivity.


Let me tell you a story. Buddha was staying in a village. A woman came to him, weeping and crying and screaming. Her child, her only child, had suddenly died. Because Buddha was in the village, people said, ”Don’t weep. Go to this man. People say he is infinite compassion. If he wills it, the child can revive. So don’t weep. Go to this Buddha.” The woman came with the dead child, crying, weeping, and the whole village followed her – the whole village was affected. Buddha’s disciples were also affected; they started praying in their minds that Buddha would have compassion. He must bless the child so that he will be revived, resurrected.
Many disciples of Buddha started weeping. The scene was so touching, deeply moving. Everybody was still. Buddha remained silent. He looked at the dead child, then he looked at the weeping, crying mother and he said to the mother, ”Don’t weep, just do one thing and your child will be alive again. Leave this dead child here, go back to the town, go to every house and ask every family if someone has ever died in their family, in their house. And if you can find a house where no one has ever died, then from them beg something to be eaten, some bread, some rice, or anything – but from the house where no one has ever died. And that bread or that rice will revive the child immediately. You go. Don’t waste time.”

The woman became happy. She felt that now the miracle was going to happen. She touched Buddha’s feet and ran to the village which was not a very big one, very few cottages, a few families. She moved from one family to another, asking. But every family said, ”This is impossible. There is not a single house – not only in this village but all over the earth – there is not a single house where no one has ever died, where people have not suffered death and the misery and the pain and the anguish that comes out of it.”

By and by the woman realized that Buddha had been playing a trick. This was impossible. But still the hope was there. She went on asking until she had gone around the whole village. Her tears dried, her hope died, but suddenly she felt a new tranquility, a serenity, coming to her. Now she realized that whosoever is born will have to die. It is only a question of years. Someone will die sooner, someone later, but death is inevitable. She came back and touched Buddha’s feet again and said to him, ”As people say, you really do have a deep compassion for people.” No one could understand what had happened. Buddha initiated her into SANNYAS, she became a BHIKKHUNI, a SANNYASIN. She was initiated.

Anand asked Buddha, ”You could have revived the boy. He was such a beautiful child and the mother was in such anguish.” But Buddha said, ”Even if the child was resurrected, he would have had to die. Death is inevitable.” Anand said, ”But you don’t seem to be very sensitive to people, to their misery and anguish.” Buddha replied, ”I am sensitive; you are sentimental. Just because you start weeping, do you think you are sensitive? You are childish. You don’t understand life. You are not aware of the phenomenon.”


This is the difference between Christianity and Buddhism. Christ was reported to have done many miracles of reviving people. When Lazarus was dead, Jesus touched him and he came back to life. We in the East cannot conceive of Buddha touching a dead man and bringing him back to life. To ordinary persons, to the ordinary mind, Jesus would look more loving and compassionate than Buddha. But I say to you that Buddha is more sensitive, more compassionate, because even if Lazarus was revived, it made no difference. He still had to die. Finally Lazarus had to die. So this miracle was of no use, of no ultimate value. One cannot conceive of Buddha doing such a thing.
Jesus had to because he was bringing something new, a new message to Israel. And the message was so deep that people would not understand it so he had to create miracles around it – because people can understand miracles but they cannot understand the deep message, the esoteric message. They can understand miracles, so through miracles they might become open and able to be receptive to the message. Jesus was carrying a Buddhist message to a land which was not Buddhist; an Eastern message to a country which had no tradition of enlightenment, of many Buddhas.

We can conceive that Buddha was more sensitive than his disciples who were weeping and crying. They were sentimental.

Don’t misunderstand your sentimentality for sensitivity. Sentimentality is ordinary; sensitivity is extraordinary. It happens through effort. It is an achievement. You have to earn it. Sentimentality is not to be earned; you are born with it. It is an animal inheritance which you already have in the cells of your body and your mind. Sensitivity is a possibility. You don’t have it already. You can create it, you can work for it – then it will happen to you. And whenever it happens, you will be detached.

Buddha was totally detached. The dead child was there but he didn’t seem to be affected at all. The woman, the mother, was miserable and he was playing a trick on her. This man seems to be cruel and this playing of a trick seems to be too much for a mother whose child has died. He gave her a riddle, and he knew well that she would come back empty-handed. But I say again that he has real compassion because he was helping this woman to grow, to be mature. Unless you can understand death you are not mature; and unless you can accept death, you don’t have a center within your being. When you accept death as a reality, you have transcended it.
Buddha used the situation. He was less concerned with the dead child and more concerned with the alive mother because he knew that the dead child would come back to life again – there was no need for the miracle. But if the child was revived the mother might have lost an opportunity. For lives together she might not again have a meeting with a Buddha.


So in the East only third-rate SADDHUS have been doing miracles; the first-rate have never done any – they work on a higher level. Buddha is also doing a miracle but the miracle is being done on a very high level. The mother is being transformed.
But it is difficult to understand because our minds are gross and we only understand sentimentality, we cannot understand sensitivity. Sensitivity means an alertness which feels everything that happens around. And you can feel only when you are not attached. Remember this: if you are attached you are no longer there to feel, you have moved out of you. So if you want to know the truth about someone don’t ask his friends. They are attached. And don’t ask his enemies. They are also attached, in the reverse order. Ask someone who is neutral, neither a friend nor an enemy. Only he can say the truth.
Friends cannot be believed, enemies cannot be believed; but we believe either the friends or the enemies. Both are bound to be wrong because they don’t have a neutral witnessing, they don’t have a detached view. They cannot stand aloof and look because they have an investment in the person. Friends have an investment and enemies have an investment. They see according to particular viewpoints, and with those viewpoints they are attached. The moment you feel you are attached, you have taken a viewpoint. The totality is lost; only a fragmentary thing is in your hands. And fragments are always lies because only the whole is true.


Meditate, become more sensitive, and take it as a criterion that you will go on becoming more and more detached. If you feel that attachment is growing, then you are erring somewhere in your meditation. These are the criteria.
And to me, attachment cannot be destroyed and detachment cannot be practised. You can only practise meditation – and detachment will follow as a consequence, as a by-product. If meditation really flowers within you, you will have a feeling of detachment. Then you can move anywhere and you will remain untouched, unafraid. Then when you leave your body, you will leave it unscratched. Your consciousness will be absolutely pure, nothing foreign has entered into it. When you are attached, impurities enter into you. This is the basic impurity: that you are losing your center and somebody else or something else is becoming your center of being.

 

 

Vigyan Bhairav Tantra, Vol 2

The Book of the Secrets: A New Commentary, The original series of 80 discourses were simply called ”Vigyan Bhairav Tantra”. For publication as books they were divided up into 5 volumes, called the ”The Book of the Secrets Volume 1 - 5” (16 discourses each). The books were later published as ”Vigyan Bhairav Tantra Volumes 1 and 2”,(40 discourses each). The two volumes also come with a deck of 112 cards to represent the various meditations.

Talks given from 25/03/73 pm to 08/11/73 pm English Discourse series

 

CHAPTER 34
The greater the sensitivity, the greater the detachment

2 November 1973 pm in Bombay, India

 

このお話しの和訳された本はこちらです。

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◯ ◯ ◯

 

 

 

『気づき』は

苦しみの闇の中の一筋の光ですね。

 

ゴータマ・ブッダと出会い

「死」から逃げず

直接向き合い

「死」への理解が起こったことで

 

子供を失ったお母さんは

自分を自分の苦しみから救い出しました。

 

 

「死」と「生」は自然なことであることを受け容れる

 

 

癒しは
無理なく
焦らず
マイペースで

 

 

自分の内側にある『魂(源泉)』が
愛100%のエネルギーで適切に安全に
自分を完全なる癒し光明 enlightenment へと導いてくれます。

 

 

1人1人みなさんの生まれ持つ『自然治癒力』を100%信頼しています。

 

 

本来のバランス(中庸)の状態を正しく『思い出す』

sammasatiサマサティ(right remembrance)
正しく想起する。

 

『The last word of Buddha was, sammasati.
Remember that you are a buddha – sammasati.』

 

瞑想と愛 (^-^) meditation & love

 

 


花仙人

 

 

 

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導師 master や導師 master の指先を見るのではなく

自分の内側にある『魂(源泉)』(満月)を見るのだよ

自分の真の導師 master は自分の内側にある『魂(源泉)』だよ

と外側の光明 enlightenment を得た導師 master たちは伝え続けています。

大切なことは

自分の内側にある『魂(源泉)』を再び「感覚」で『思い出す』こと。

 

 

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内側にある『源泉 source (魂 soul )』と
『全ての存在は1つ』all one であることを『思い出す』

 

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瞑想はたくさんの種類があります。
ご自身にあった瞑想がみつかるといいですね。

 

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『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』シリーズ

 

シヴァによって与えられたという五千年前の112の瞑想技法集
『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』の
導師 master osho が講話です。
和訳された本は全部で10巻です。

 

第一巻 内なる宇宙の発見
第二巻 源泉への道
第三巻 第三の眼
第四巻 沈黙の音
第五巻 愛の円環
第六巻 覚醒の深みへ
第七巻 光と闇の瞑想
第八巻 存在とひとつに
第九巻 生の神秘
第十巻 空の哲学

 

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Vigyan Bhairav Tantra, vol 1,2
この講話の英語のPDFダウンロードはこちはです。
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 

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The Ultimate Alchemy, vol 1,2
この講話の英語のPDFダウンロードはこちはです。
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 

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Showering without Clouds
雲なく雨は降りそそぐ

The last morning star
夜明けの星

サハジョとダヤの女性の覚者の詩

 

oshoアクティブ瞑想に関してはこちら、
http://www.osho.com/ja/meditate/active-meditations/why-active-meditations

 

oshoの瞑想音楽はこちら、

 

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花仙人

真の癒し=全体のバランス(中庸)③

真の癒し=全体のバランス(中庸)③

 

 

 

前々回と前回で、

 

心と肉体を本当に癒そうと思うならば
『私(自分)』1人だけの癒し(治癒)を意識して行っても
なかなか癒し(治癒)は起こらない…

 

『私(自分)』1人だけではなく
その『私(自分)』1人に繋がっている
(宇宙)全体のバランス(中庸)が取れていることを意識しながら
『私(自分)』1人のバランス(中庸)を取り戻すことを意識しなくては
『私(自分)』1人の癒し(治癒)は起こらない…

 

 

というお話しを
花粉症の症状を例にとって
ざっと簡単にですがお話ししました。

 

 

癒しというのは
本来のバランス(中庸)の状態が崩れて
アンバランス(偏り)になった状態から
本来のバランス(中庸)の状態に再び戻す
ということです。

 

左の絵はアンバランス(偏り)の状態・苦しみ

右の絵は本来のバランス(中庸)の状態・至福

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1人の人間を癒す(本来のバランス(中庸)の状態に戻す)ためには
宇宙全体のバランス(中庸)を意識することが大切です。

 

宇宙全体のバランス(中庸)をとるためには
1人の人間のバランス(中庸)をとることを意識することが大切です。

 

 

 

宇宙全ての存在はこの宇宙から生まれました。
宇宙全ての存在は繋がって1つの状態です。

 

宇宙意識も1つの状態です。
宇宙意識はいつもバランス(中庸)の状態です。

 

ですから

 

宇宙全体はいつもバランス(中庸)をとろうとしています。

 

宇宙全ての個々の存在もいつもバランス(中庸)をとろうとしています。
宇宙から生まれた人間もいつもバランス(中庸)をとろうとしています。

 

 

 

 

真の癒し=全体のバランス(中庸)

 

 

 

 

◯「物質」

 

 

この宇宙から生まれた
全ての存在は
この宇宙に存在する同じ小さな粒子の集まりによって作られているので
繋がっていて1つの状態です。


この宇宙が生まれてすぐにできた元素(小さな粒子)は
水素(H)
ヘリウム(He)
リチウム(Li)
だそうです。
その中でも水素は1番はじめにできた元素なのだそうです。

 

宇宙にある全ての「物質」の98%はたった2種類の元素
水素とヘリウム
といわれています。

 

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宇宙全ての存在の3つの「物質」はパッと見た目には
「個体」と「液体」と「気体」では違うモノに見えますが
全てはこの宇宙に存在する小さな粒子の集まりです。

 

個体と個体はそれぞれが分かれて見えていますし
「個体」と「液体」と「気体」は違うモノに見えるので分かれて見えますが
形状が違うだけで
この宇宙に存在する小さな粒子の集まりで作られています。

 

たとえば…
水素は色もにおいもない気体で、
太陽をはじめ恒星の燃料となっています。
1番軽い水素は大気圏を上り宇宙空間へと逃げてしまうので
地球上にはほとんど存在しませんが
「個体」人間の「肉体」には70kgの人で約7kgの水素がふくまれていますし
「液体」酸素(O)と結合した水素(H)すなわち水(H2O)は地球の表面の71%をおおい
「気体」宇宙空間全体の74%は水素であり1番たくさんあります。


水素だけではありませんが
この宇宙が生まれて
さまざまな小さな粒子が生まれ
その小さな粒子が集まり多くの元素が作られ
その元素が集まってさまざまな存在が生まれました。

 

この宇宙も、地球も、人間をふくむ地球全ての存在も、
みんな同じ宇宙の小さな粒子の集まりから生まれている存在であり
「個体」と「液体」と「気体」の3つの「物質」に
見た目は分かれて見えていても
宇宙全体は繋がっていて1つの状態です。


小さな粒子で見ると…

 

人間と空気の間に境界線はありませんし
空気と水の間にも境界線はありませんし
人間と水の間にも境界線はありませんし
人間と人間の間や、人間と他の存在たちとの間にも境界線はありません。

 

地球と宇宙空間の間にも境界線はなく
その地球に滞在している人間と宇宙空間の間にも境界線はありません。

 

宇宙空間全体の全ては小さな粒子であり境界線はなく
全てが小さな粒子で作られ繋がっている1つの状態です。

 

宇宙という大きな1つの生命体…

 

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(水色の丸が粒子のつもりですσ(^_^;))

 

 

 

◯ 「意識」

 

 

宇宙全体は1つの状態ですから
「物質」だけではなく
同じ小さな粒子から作られている
宇宙全体の「意識」も1つの状態です。

 

宇宙全ての存在はこの宇宙から生まれました。
宇宙全ての存在は繋がって1つの状態です。

 

宇宙意識も1つの状態です。
宇宙意識はいつもバランス(中庸)の状態です。

 

ですから

 

宇宙全体はいつもバランス(中庸)をとろうとしています。

 

宇宙全ての個々の存在もいつもバランス(中庸)をとろうとしています。
宇宙から生まれた人間もいつもバランス(中庸)をとろうとしています。

 

 

それはこの宇宙から生まれた
地球も、人間を含む地球全ての存在も、同じです。

 

 

人間だけでなく全ての存在は
「肉体」「心」『魂(源泉)』の3つで1つとして生きています。

 

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人間は
卵子精子が1つになり受精卵なった瞬間に
『魂(源泉)』が受精卵に宿り
その宇宙と繋がっている『魂(源泉)』から溢れ出る
愛100%の枯れることのない命の源のエネルギーにより
第1細胞である受精卵は爆発するような勢いで細胞分裂を起こし
成長し生まれ大きくなって生きていきます。


「肉体」を生かし動かすエネルギーの命の源である
『魂(源泉)』が「肉体」から離れることが
「肉体」の死です。

 

『魂(源泉)』は
「肉体」の小さな粒子を集めて1つにまとめていましたが
「肉体」から離れると
小さな粒子は1つの個体として集まりまとまることがなくなるので
その小さな粒子はそのままバラバラに分かれて宇宙空間の地球の空間へと散らばっていきます。
それを「肉体」の腐敗(死)とよんでいます。

 


『魂(源泉)』は
「肉体」の受精卵であった第1細胞から離れ
「肉体」が死に
「肉体」の内側から外側へ出ますが

 

「肉体」が生きていても死んでいても
それは
「肉体」の内側にいても外側にいても
同じようにいつも宇宙意識と1つのままです。

 


『魂(源泉)』はいつも
宇宙意識と1つですから
宇宙意識の愛100%のエネルギーであり
いつもバランス(中庸)の状態です。

 


人間が生きているときは
お腹のお臍のあたりにある第1細胞に宿る
宇宙意識と繋がって1つである『魂(源泉)』は
いつも愛100%のバランス(中庸)の状態です。

 

宇宙全ての存在の本来の状態は
愛100%のバランス(中庸)の状態で
それは自然で健康の状態で至福です。

 


宇宙空間全体は境界線はなく
全てが小さな粒子で作られ繋がっている1つの状態です。

 

宇宙という大きな1つの生命体…

 

宇宙全体の「意識」は1つの状態です。

 

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(水色の丸が粒子のつもりですσ(^_^;))

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左の絵は人間のマインド(思考)が全てはバラバラに分離していると思っている状態

宇宙意識と1つである状態を一時的に『忘れている』状態

 

右の絵は宇宙全ての存在は1つであり宇宙意識と1つであることを意識して『思い出した』状態

 

 

 

◯ 癒し

 

 

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人間だけでなく全ての存在は
「肉体」「心」『魂(源泉)』の3つで1つとして生きています。

 


宇宙全体と1つの存在である
宇宙意識と1つの状態である
愛100%のバランス(中庸)の状態の
『魂(源泉)』と同じように
「肉体」と「心」もバランス(中庸)の状態であることが
自然であり健康の状態で至福で満たされます。


しかし


『魂(源泉)』以外の
「肉体」と「心」は

 

生まれて生きている間に
いろいろなことがあって
病気になったり怪我などをして大なり小なり
本来のバランス(中庸)が崩れて
アンバランス(偏り)な状態になり
不自然で不健康の状態となり苦しんでしまいます。

 

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「肉体」と「心」は
アンバランス(偏り)の状態では
違和感があり不自然で不健康で苦しいので
『魂(源泉)』と同じである
本来のバランス(中庸)の状態へと戻ろうとします。

 

癒しというのは
本来のバランス(中庸)の状態が崩れて
アンバランス(偏り)になった状態から
本来のバランス(中庸)の状態に再び戻す
ということです。

 

この
アンバランス(偏り)の状態から
本来のバランス(中庸)の状態に再び戻ろう!
とする働きを『自然治癒力』といいます。

 

人間だけでなく
宇宙に存在する全ての生き物には
この『自然治癒力』が本能として備わっています。

 

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前々回と前回では
花粉症の症状に苦しんでいる…という1つのたとえから
人間と地球全体を見てみました。

 

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花粉症の症状だけでなく
「過去」から「今ここ(現在)」の人間を見ると
人間はいつもさまざまな苦しみを抱えています。

 

本来のバランス(中庸)の状態から
アンバランス(偏り)な状態となり
不自然で不健康で苦しんでいる状態です。


その苦しみを本当に終わりにするのは
完全なる癒しである光明 enlightenment が起こることです。

 

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それはこれまでの光明 enlightenment が起こった
多くの導師 master たちが伝え続けて
実践してきている実体験によるものでもあるので
確かなものです。

 

光明 enlightenment が起こるためには
自分の内側にある
◯ エゴ(自我・欲)
を完全に『手放す』ことが必然です。

 

その
◯ エゴ(自我・欲)
こそが
人間を苦しめ続けている
アンバランス(偏り)な状態にするモノだからです。

 

しかし

 

人間はその
◯ エゴ(自我・欲)に
なかなか『気づく』ことができないので
なかなか『手放す』ことができなくて
光明 enlightenment が起こりにくい状態となっています。


◯ エゴ(自我・欲)
がなんであるのか?

 

それは
自分で自分の内側を『観て』
それを探し見つけ出して
はじめて
自分の
◯ エゴ(自我・欲)
がなんであるのか…
がわかるものなので

 

自分以外の外側の誰かに
自分のエゴ(自我・欲)はなにかという
答えを聞いても
誰も答えられませんから
自分の内側を探して『観る(観照)』旅が必要となります。

 

 

 

1人1人のエゴ(自我・欲)の『気づき』の
ヒントや参考になるかどうかはわかりませんが
ここでは
地球に滞在する人間が苦しんでいるという
人間が地球で暮らしはじめてから
「今ここ(現在)」までを観てみます。


簡単にですがざっと宇宙が生まれてから
「今ここ(現在)」までを見てみます。

 

参考にしました本はこちらです٩( ᐛ )و

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◯ 宇宙全体

 

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137億年前
この宇宙は何もないところ「無」からはじまりました。

 

小さな点の真空の「無」が爆発したことから
小さな点から大きく広がっていくことで
宇宙が生まれ成長し
大きく広がる「動き」という「時間」
大きく広がり「膨らむ」という「空間」
大きく広がる内側に「生まれる」「物質」
「時間」「空間」「物質」の3つが生まれました。


小さな点の真空の「無」が爆発してすぐに
宇宙が大きく広がる「時間」と「空間」の
宇宙空間に生まれた最初の「物質」は
(今現在わかっている範囲では)
クオーク、電子、ニュートリノなどの素粒子といわれていて
クオークがくっついて陽子や中性子ができ
陽子と中性子がくっついてヘリウム原子核ができました。

 

宇宙誕生後40万年ごろに
陽子とヘリウム原子核は電子とくっつき
先ほどお話しした水素(H)とヘリウム(He)の
水素原子やヘリウム原子となりました。

 

宇宙誕生後2億年ごろに
「物質」が集まり小さな銀河ができ
銀河が大きくなって
宇宙誕生後約137億年の現在の銀河宇宙がつくられた
といわれています。

 

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◯ 地球

 

今から
約137億年前に宇宙が誕生し
約46億年前に
地球のある太陽系が誕生しました。

 

約38億年前に
地球に生命が誕生し

 

約27億年前に
浅い海ではシアノバクテリアが酸素を作りはじめ
地球の大気は二酸化炭素より酸素が多くなり

 

約10億年前に
光合成生物が生まれ

 

約8億年前から6億年前の間に

氷河時代があり

 

約4億8800万年前に
陸上植物が誕生

 

約4億1600万年前に
シダ類の誕生
その後木の誕生

 

約3億6000年前に
両生類などの先祖が誕生し

 

約6500万年前に
恐竜が絶滅し

 

約600万年前に
人類の祖先があらわれ

 

約100万年前頃に
2本足で歩き、大きな脳を持った人類が世界中に広がり

 

約20万年前に
現在の人類ヒトの仲間が誕生しました。
世界全体の人間は約15万〜500万人で
狩りや採集の暮らしをしていました。

 

約1万年前から
人間は
狩りや採集の暮らしだけではなく
農耕と牧畜の暮らしをはじめました。

 

約9000年前に
牛の家畜化がはじまったとされ

 

1700年頃
産業革命があり

 

1800年頃
石油が使われはじめ

 

1900年頃
世界全体の人間は約16億人となり
大きな戦争がり原子力が使われ

 

1950年からの50年間で
人口爆発

 

現在
世界全体の人間は約65億人以上

 

 


ざっと見た宇宙と地球の「過去」から「今ここ(現在)」です。

 

 


宇宙の中の地球では…

 

約1万年前より以前までは
人間は
人間以外の地球の存在たちと同じように
自然界の自然なままの食物連鎖の循環の中で暮らしていて
動物などの狩りをしたり
植物の木の実などを集めたりして
食糧を得ていました。

 

その暮らしは
環境の影響を大きく受けるので
食糧を得ることが不安定でした。


そして


約1万年前から
人間は農耕や牧畜の暮らしをはじめ
麦を育てたり
動物を飼って
食糧を得ることを安定させました。

 

人間は自然界の自然のままの食物連鎖の循環から外れて
自然界に人工的に手を加えて
食糧を作りはじめました。


そこから


「安定」して食糧を得ることになった人間は
さらに人間が「安心」して「便利」に生きることができるように…
と「思い」「考え」(マインド(思考))
食糧以外にも家や衣類や
他さまざまなモノを人工的に作り出していきました。

 

人間のその技術の進歩は
地球の他の存在たちと比べると
大きく進歩しました。

 

そしてさらに

 

地球の他の存在たちと比べると
人間だけはどんどん
自然界の本来の状態から外れていきました。

 

こんなふうに


人間は
地球の他の存在たちとは違って
生き延びるには厳しい地球の自然界の環境の中で暮らすことを「苦しい」と「思い」
自然界から逃れるように「安心」「安定」「便利」に暮らせるように
あれこれと「考えて」技術を上達させて
さまざまなモノを作り出して
欲した理想を現実化して生きてきました。

 

 

 

地球の他の存在たちにとっても
地球の自然界の中で生き延びていくことは厳しいものです。

 

生まれたままの裸のままで暑くても寒くても「衣類」は持たず
その瞬間瞬間の環境の状況で「食べ物」があったりなかったり
生まれたままの裸のままで嵐が来ても日照りが続いても「家」は持たず

 

いつの瞬間も「生」と「死」があるのが自然な状態の中で生きています。

 

人間以外の地球の存在たちは
「死」を自然なこととしてそのまま受け入れています。

 

だからといって
自殺をしたり
食物連鎖の中で自らすすんで食べられにいくことはしません。


「生」も自然なこととしてそのまま受け入れています。

 

◯ 個として生き延びるために
病気や怪我をしたら身を隠してじっとして癒そうとする『自然治癒力』を持っていますし
生きるために食べたり飲んだりすることはしますし
食べられそうになったら全力で逃げることもします。

 

◯ 種族として生き延びるために
生殖行為をして子孫を残していきます。

 


「生」と「死」を自然なこととしてそのまま受け入れていますが
人間以外の存在たちも
命の危険に関わることの
「死」を「恐い」と感じるのは確かです。

 


全ての存在の細胞たちは
生きることはしますが
自殺をすることはありません。

 

寿命が来るその瞬間まで細胞たちは生きることをします。

 

病気や怪我などをしても
自然治癒力』によって
細胞たちは全力で生きることをして
アンバランス(偏り)な状態を
本来のバランス(中庸)の状態へと戻そうとします。
それが宇宙全ての存在の持つ本能です。

 


細胞が生きようとしている「生」と
真反対の
命の危険に関わることの
「死」を「恐い」と感じるのは自然なことです。

ですから

「死」を「恐い」と思い感じることは悪いことや弱いことではありません。

 

 

 

◯ 人間以外の存在たちは
「死」を「恐い」と感じながらも
「生」と「死」を自然なこととしてそのまま受け入れていますが

 

◯ 人間は
「死」を「恐い」と感じ
「生」と「死」を自然なこととしてそのまま受け入れることができない状態です。

 

「死」にとても「恐怖」を感じてしまうことで
「生」にとても「執着」してしまっています。

 

この人間の内側の
「生」と「死」の二元性の極端に「偏る」マインド(思考)の「動き」が
苦しみの原因(種)となっています。

 

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「死」を「恐い」と感じ
「生」を「嬉しい」と感じる
ことは自然なことです。

 

ただ

 

「死」は「恐く」て嫌だからいらない!
「生」は「嬉しい」から欲しい!

 

と思い欲を持つことは自由なので

持たないように、ということではありません。

 

それがあまりにも強い欲となり
その思いと「同一化」して
それに「執着」して

 

本来の自分を『忘れて』しまうほど
それに振舞わされて行動して生きていると

 

いつも「怯えて」苦しむことになる…ということです。

 

 

「死」に対する自分の思いを持つ苦しみから
逃れようとして必死になり

 

その苦しみから逃れるためだけのために
生きてエネルギーを消耗させる人生になると
さらに疲れて苦しみ

 

いつも「死」に脅かされることがないように…と
「未来」が「安心」「安定」「便利」であるように…と欲して
そのように生きて

 

「今ここ(現在)」を
トータルに楽しく生きることができなくなります。


「今ここ(現在)」を
トータルに楽しく生きることができない…
という不満足感でいつも苦しみます。

 

 

 


人間が過度に
「死」に対する「恐怖」を持つことにより

 

人間は
「今ここ(現在)」を
トータルに楽しく至福に満ち足りて生きることができなくなり

 

いつもどこにいても
「今ここ(現在)」と「未来」を
「不安」と「不満足」の思いを持って生きてしまうことで苦しんできました。

 

 

 


真に苦しみを終わらせようと思うならば…

 

「死」に対する「恐怖」を持つことは自然なことです。
それは持っていてもいいのです。


しかし


「死」の「恐怖」から逃げ
「生」の「喜び」にしがみつく
という極端なアンバランス(偏り)な状態になると
苦しみますから

 

「死」を「恐い」と感じながらも
「生」と「死」を自然なこととしてそのまま受け入れる

 

それは

 

人間の内側の(苦しみの原因(種)である)
「生」と「死」の二元性の極端に「偏る」マインド(思考)の「動き」を止めること

 

「生」と「死」の二元性の両極の真ん中の『中庸』で
マインド(思考)の「動き」を止めること

 

「生」と「死」もどちらもあるのが自然なこととしてそのまま受け入れること。

 

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◯ マインド(思考)

の「動き」が止まると至福の本来のバランス(中庸)の状態に戻る

(光明 enlightenment

 

 

 

生きている限り
死は自然とやってくるものです。

 

どんなに抵抗して逃げても
逃げ切れるものではありません。

 

「今ここ(現在)」の瞬間を
「死」を過度に嫌がり「恐れ」から逃げることばかりにエネルギーを消耗して疲れて苦しむより


同じ寿命の時間だけ生きるならば


自分の内側にある
苦しみの原因(種)である
◯ エゴ(自我・欲)
◯ マインド(思考)
を全て『手放し』

空っぽの0(ゼロ)にして

 

「今ここ(現在)」の瞬間を
楽しく過ごし愛に満ち溢れて至福で内側全てをいっぱいに満たして生きることに全エネルギーを使うことの方が

 

いつもどこにいても
「今ここ(現在)」と「未来」を
満足感100%で生き
不満や苦しみはなくなります。

 

 


苦しみ

至福

どちらの人生を選択するのも個人の自由です。
お好みの方で٩( ᐛ )و

 

 


というわけで…

 

今から
約1万年前から
人間は
他の存在たちと違って

 

「死」に対する「恐れ」をとても持っていることによって
地球の自然界の中で生き延びることを厳しいと思い嫌い苦しみ

 

試行錯誤しながら
あれやこれやをした結果

 

農耕や牧畜の暮らしをはじめ
麦を育てたり
動物を飼ったりして

 

人間は自然界の自然のままの食物連鎖の循環から外れて
自然界に人工的に手を加えて
食糧を作りはじめ
食糧を得ることを安定させ

 

「生」の「喜び」

「死」に対する「安心」

 

を得ました。

 


ですが

 


「衣」「食」「住」の3つを得ても
「死」に対する「恐れ」はなくなりませんでした。

 


約1万年前から「今ここ(現在)」まで
人間は
「死」に対する「恐れ」を持ったまま

 

地球の他の存在たちと違って
「生」と「死」もどちらもあるのが自然なこととして
そのまま受け入れることができていない状態です。

 


「過去」も「今ここ(現在)」も
「死」の「恐れ」は嫌だ
「生」の「喜び」は好き
だから
「生」の「喜び」「幸せ」「健康」「安心」だけが欲しい!
という欲(エゴ(自我))を
とても強く持っていることで…

 

人間の内側の「生」と「死」の二元性は
マインド(思考)が「動い」たままの
アンバランス(偏り)な状態のままです。

 

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約1万年前と比べたら
「今ここ(現在)」の人間の地球での暮らしは

 

生きるために「安心」を与える
「衣」「食」「住」の3つ以外に

 

人生を楽しく過ごすための
「娯楽」まで作り出しました。

 

約1万年前にはなかった
生きるための「安心」と「喜び」がいっぱいの状況です。

 

なんでもかんでもある状態です。


しかし


人間は
「苦しい」「不幸」「満たされない」と言います。

 

「喜び」「幸せ」「満足感」が欲しい!と言います。

 

 

 

 

◯「死」への「恐れ」から逃げず
「生」と「死」もどちらもあるのが自然なこととして
そのまま受け入れたうえで
人生を楽しく生きることをするならば
苦しみはないのです。


しかし


◯「死」への「恐れ」から逃げ続け

 

その「死」への「恐れ」から逃避するための
「生」への「安心」を確保するために
「衣」「食」「住」の3つを得て

 

さらに
「娯楽」に逃げて

 

一時的に「死」への「恐れ」を忘れようしても

 

自分の内側が
「死」への「恐れ」を持ち続け
「生」と「死」もどちらもあるのが自然なこととして
そのまま受け入れることができていない状態である限り

 

真に「喜び」「幸せ」「満足感」で満たされることはありません。

 

 

 

 

約1万年前の「過去」から「今ここ(現在)」まで
人間は
「死」への「恐れ」から逃げる行為ばかりをしてきました。

 

逃げている限り苦しみは終わりません。

 

 

 


「生」と「死」と向き合い

 

「死」を「恐れ」ながらも
「生」を「喜び」ながらも

 

「生」と「死」もどちらもあるのが自然なこととして
そのまま受け入れることで

 

「生」と「死」の二元性の真ん中の『中庸』で
マインド(思考)の「動き」が止まり
宇宙意識と同じ一元性の状態に戻ることで

 

はじめて

 

苦しみは終わり

 

「生」と「死」
「幸せ」と「不幸」
の二元性を超越した一元性の
至福の本来のバランス(中庸)の状態へと再び戻ります。

 


それは
宇宙意識と1つである
愛100%の本来のバランス(中庸)の状態である
『魂(源泉)』のままを生きる
愛と至福に満たされた状態です。

 

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地球の自然界の中で生きることで

 

「死」への「恐れ」を持ち
「生」への「喜び」を欲し

 

その人間の内側にある
苦しみの原因(種)である
◯ エゴ(自我・欲)
◯ マインド(思考)
を持つことによって

 

約1万年前から
人間は
自然界から離れていき

 

自然界に人工的に手を加え
生きるための生き延びるための
「安心」と「安定」と「便利」を確保してきましたが

 

「死」への「恐れ」から逃避し続けたため
「死」への「恐れ」がなくならないため

 

ずーっと内側が満たされない状態を
なんとか満たそうと欲し続けて

 

「衣」「食」「住」から「娯楽」までの
さまざまなモノを人工的に作りだしました。

 

結果

 

地球の自然界のバランス(中庸)を壊しました。

 

 

 


「衣」「食」「住」を作り持つことで
生きるための「安心」「安定」「便利」を得ることや
生きるためにの「娯楽」を作り持ち
「楽しみ」を得ることは
決して悪いことではありません。

 

 

技術の進歩も悪いことではありません。

 

 

人間は生きようとしているのです。

 

 

しかし

人間だけの
必要最低限以上の
欲(エゴ(自我))を満たすことだけに
盲目的になり

 

人間以外の地球の存在たちが生きていることを忘れ

 

必要最低限以上に
欲(エゴ(自我))を満たすことのためだけに行動すると

 

地球全体の自然界のバランス(中庸)を壊してしまう結果になりました。

 

それが約1万年前から「今ここ(現在)」までの現実の状態です。

 


それは

 


地球の人間以外の存在たちの命の危険になるだけでなく
そのまま直接
人間自身の命の危険にもなっています。


花粉症の症状の苦しみだけでなく
さまざまな苦しみが人間にもあらわれています。

 

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約1万年前の人間は
「死」への「恐れ」が
他の存在たちより強くあり
自然界から離れて暮らすことを選択しました。

 

その結果が「今ここ(現在)」の現実の状態です。

 

人間が地球で生きる状況は
以前より「安心」「安定」「便利」になって
「変化」がありましたが

 

苦しみはなくなってはいなくて
「今ここ(現在)」も持っているままであり
苦しみから至福への『変容』はないままです。

 

 


ほんの少しざっと「過去」を見ただけですが
いろいろな『気づき』がありました。

 

 


人間の根本の
苦しみの原因(種)である
◯ エゴ(自我・欲)
◯ マインド(思考)

 

「死」への「恐れ」があり
それを持つことにより
「生」への強い「執着」を持ってしまっていることです。

 

「死」への「恐れ」から逃れようとして

 

試行錯誤して
人工的にさまざまなモノを作り出し
以前より
生きることが
「安心」「安定」「便利」になりました。

 

しかし

 

まだ
「死」への「恐れ」があり
それを持つことにより
「生」への強い「執着」を持ってしまっていることで

 

内側の二元性がアンバランス(偏り)な状態であるため
不自然で不健康な状態ですから苦しみ

 

本来のバランス(中庸)の状態にように
自然で健康な状態で至福に満たされることがないので
苦しみ続けています。

 


人間だけが苦しみ続けているのではなく


約1万年前に
人間の内側がアンバランス(偏り)な状態となったことで
人間が人工的に自然界に手を加えたことにより
人間の外側の地球全体がアンバランス(偏り)な状態になり

 

人間以外の地球の全ての存在も苦しむことになりました。

 

地球全体がアンバランス(偏り)な状態で苦しんでいるのが
「今ここ(現在)」の現実です。

 

 

 


なんとなく
地球全体の
人間全体の
苦しみの原因(種)がわかりました。

 

これはなんとかなりそうな感じです٩( ᐛ )و

 

原因がわかれば
あとは
どうすればいいのか?が
はっきり見えてくるものです。

 

苦しみを終わらせようと思うならば…

 

 


真の癒し=全体のバランス(中庸)

 

 


心と肉体を本当に癒そうと思うならば
『私(自分)』1人だけの癒し(治癒)を意識して行っても
なかなか癒し(治癒)は起こらない…

 

『私(自分)』1人だけではなく
その『私(自分)』1人に繋がっている
(宇宙)全体のバランス(中庸)が取れていることを意識しながら
『私(自分)』1人のバランス(中庸)を取り戻すことを意識しなくては
『私(自分)』1人の癒し(治癒)は起こらない…

 


癒しというのは
本来のバランス(中庸)の状態が崩れて
アンバランス(偏り)になった状態から
本来のバランス(中庸)の状態に再び戻す
ということです。

 

 


1人の人間を癒す(本来のバランス(中庸)の状態に戻す)ためには
宇宙全体のバランス(中庸)を意識することが大切です。

 

宇宙全体のバランス(中庸)をとるためには
1人の人間のバランス(中庸)をとることを意識することが大切です。

 

 


最初に少しお話ししましたが
細胞は生きようとしています。

 

だから

 

「死」への「恐れ」を持っていることは自然なことですから
悪いことや弱いことではありません。

 

ただ

 

約1万年前と同じように
ただただ
「死」への「恐れ」にビクビク怯えて生き
逃避するだけではなく

 

「死」への「恐れ」を持っていながら
「生」への「喜び」を持っていながらでも

 

「生」と「死」は自然であるということを受け入れる

 

ということは

 

アンバランス(偏り)な状態
から
本来のバランス(中庸)の状態

 

へ戻るという『変容』

 

真の癒しには大切なことです。

 

 

 

自分の内側を本来のバランス(中庸)を取り戻す癒しと同時に

 

自分の外側の地球全体のバランス(中庸)を取り戻すということを意識して
実行することも


人間が真に癒されるためには大切なことです。

 

 


それは
人間だけを癒し至福にするだけでなく

 

地球全体をも癒し至福の状態へとなっていきます。

 

 


約1万年前の「過去」に
人間の内側がアンバランス(偏り)な状態となったことからはじまった地球全体の苦しみのですから

 

「今ここ(現在)」から
人間の内側が本来のバランス(中庸)の状態に戻ることで
地球全体が本来のバランス(中庸)の状態に戻るんだ!

 

ということは
「過去」をざっと簡単に見てもわかると思います。

 

 


もちろん
人間の苦しみの原因(種)は
今回お話ししたことだけではありませんが
多くの人間の苦しみの根本の原因は
「死」への「恐れ」からはじまっています。

 

「死」への「恐れ」から逃げることではなく
「生」への「喜び」に執着するでもなく
「死」への「恐れ」を克服することではなく

 

「生」と「死」は自然なことであると受け入れる
ことでいいのです。

 

 


わたしの3度の臨死体験からわかったことは
「肉体」は「死」んでも
「意識」は「死なない、不死」なんだな〜
ということでした。

 

 

宇宙意識と1つである『魂(源泉)』は
「肉体」が「死」んでも
宇宙意識と1つのままなのです。

 

 

その体験からは
いつ死ぬかわからないから
「肉体」の寿命が来るまでは

なんも考えず

「今ここ(現在)」をトータルに生きながら

そして
たくさん楽しみながら
美しい自然がまだある地球に滞在させていただこう٩( ᐛ )و
Let's enjoy ! と思いました。

 

もちろん宇宙全体のバランス(中庸)を意識しながらd(^_^o)

 

 

 


約1万年前から続く
人間の「過去」の選択のそれぞれを
良いとか悪いとかの善悪や優劣の判断をしたり
差別や批判をしたりすることは個人の自由ですが

 

そちらのネガティブな方ではなく


ネガティブな方に使うエネルギー全てを

 

「今ここ(現在)」で
自分が無理なくできることに使うことで

 

より早く
全体が本来のバランス(中庸)の状態へと戻ることに繋がり

 

苦しみを終わりにできる、

 

という楽しいエネルギーの使い方もあります٩( ᐛ )و

 

 


前回も書きましたが

 

急な生活の変化は無理があり
リバウンドが起こりやすく
さらに苦しくなるので
それは
どんな小さなことでもいいので

 

「今ここ(現在)」で無理なく楽しくできることからはじめる

 

ことが楽しく生きるためにも大切なことです。

 

 

 

たとえば…

 

サラダの中のプチトマトだけを無農薬のお野菜にするとか…

 

料理に使うオリーブオイルだけを無農薬のオイルにするとか…

 

食器洗い洗剤だけをオーガニックの洗剤にするとか…

 

お庭やベランダの鉢植えでバジルなど料理に使うお野菜の一種類を
無農薬で自家栽培してみるとか…

 

ハンカチの一枚だけをオーガニックコットンのハンカチにしてみるとか…

 

 

 

ほんの小さなことでも
ちょこっと
地球全体を本来のバランス(中庸)の状態へと戻そう!
意識することからはじめることで

 

自然と

 

自分も地球全体も
アンバランス(偏り)な状態の苦しみから
本来のバランス(中庸)の状態の至福へと

 

じわじわ癒しの『変容』が起こっていきます。

 

 

 

自分と地球全体を苦しみから救い出すのは
誰か1人だけが救世主(メシア)…
ではなく
1人1人の人間全てです٩( ᐛ )و

 

 

 

大きなことでもいいですし

 

小さなことでも
無理なく「今ここ(現在)」楽しくはじめること
全ての苦しみは終わります。

 

 

 

癒しは
無理なく
焦らず
マイペースで

  

自分の内側にある『魂(源泉)』が

愛100%のエネルギーで適切に安全に

自分を完全なる癒し光明 enlightenment へと導いてくれます。

 

1人1人みなさんの生まれ持つ『自然治癒力』を100%信頼しています。

 

全ての存在が自然のままに…

地球を自然のままに…

 

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全ては1つ…all one

真の癒し=全体のバランス(中庸)

 

 

 

本来のバランス(中庸)の状態を正しく『思い出す』

sammasatiサマサティ(right remembrance)
正しく想起する。

 

『The last word of Buddha was, sammasati.
Remember that you are a buddha – sammasati.』

 

瞑想と愛 (^-^) meditation & love

 

 


花仙人

 

 

 

いつもうまくお話しできなくて申し訳ありませんσ(^_^;)

 

このブログ内にあるカテゴリの

二元性シリーズと

意識の成長の旅シリーズに

二元性のお話しを簡単にですがしていますが

わたしは言語がとても苦手ですので

詳しく知りたい方はoshoの講話の本やDVD などをおすすめします。

でも

1番いいのは

自分の内側の旅をして

光明 enlightenment が起こり

真理を全て『思い出す』ことです。

 

そのためには

まずは

自分の内側にある

宇宙意識と1つである『魂(源泉)』を

『思い出す』ことです。

 

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導師 master や導師 master の指先を見るのではなく

自分の内側にある『魂(源泉)』(満月)を見るのだよ

自分の真の導師 master は自分の内側にある『魂(源泉)』だよ

と外側の光明 enlightenment を得た導師 master たちは伝え続けています。

大切なことは

自分の内側にある『魂(源泉)』を再び「感覚」で『思い出す』こと。

 

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内側にある『源泉 source (魂 soul )』と
『全ての存在は1つ』all one であることを『思い出す』

 

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瞑想はたくさんの種類があります。
ご自身にあった瞑想がみつかるといいですね。

 

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『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』シリーズ

 

シヴァによって与えられたという五千年前の112の瞑想技法集
『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』の
導師 master osho が講話です。
和訳された本は全部で10巻です。

 

第一巻 内なる宇宙の発見
第二巻 源泉への道
第三巻 第三の眼
第四巻 沈黙の音
第五巻 愛の円環
第六巻 覚醒の深みへ
第七巻 光と闇の瞑想
第八巻 存在とひとつに
第九巻 生の神秘
第十巻 空の哲学

 

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Vigyan Bhairav Tantra, vol 1,2
この講話の英語のPDFダウンロードはこちはです。
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 

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The Ultimate Alchemy, vol 1,2
この講話の英語のPDFダウンロードはこちはです。
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 

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Showering without Clouds
雲なく雨は降りそそぐ

The last morning star
夜明けの星

サハジョとダヤの女性の覚者の詩

 

oshoアクティブ瞑想に関してはこちら、
http://www.osho.com/ja/meditate/active-meditations/why-active-meditations

 

oshoの瞑想音楽はこちら、



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花仙人

 

真の癒し=全体のバランス(中庸)②

真の癒し=全体のバランス(中庸)②

 

 

 

前回、
心と肉体を本当に癒そうと思うならば
『私(自分)』1人だけの癒し(治癒)を意識して行っても
なかなか癒し(治癒)は起こらない…

『私(自分)』1人だけではなく
その『私(自分)』1人に繋がっている
(宇宙)全体のバランス(中庸)が取れていることを意識しながら
『私(自分)』1人のバランス(中庸)を取り戻すことを意識しなくては
『私(自分)』1人の癒し(治癒)は起こらない…

 

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というお話しを
花粉症の症状を例にとって
ざっと簡単にですがお話ししました。

 

 

癒しというのは
本来のバランス(中庸)の状態が崩れて
アンバランス(偏り)になった状態から
本来のバランス(中庸)の状態に再び戻す
ということです。


この
アンバランス(偏り)の状態から
本来のバランス(中庸)の状態に再び戻ろう!
とする働きを『自然治癒力』といいます。


人間だけでなく
宇宙に存在する全ての生き物には
この『自然治癒力』が本能として備わっています。

 

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アンバランス(偏り)の状態

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本来のバランス(中庸)の状態

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人間は生まれた後に
いろいろなことがあって
心と肉体が
どんどんアンバランス(偏り)な状態になっていき
病気になります。

 

 

病気になり
肉体の中に入って溜まった
細胞の新陳代謝に必要な栄養成分以外の
異物(毒素)があると

 

免疫細胞が働き
異物(毒素)を肉体の外側に出そうとしたり
異物(毒素)と戦ったりして
肉体の中を異物(毒素)のない本来の正常な状態を保とうとします。

 

異物(毒素)が肉体の中に溜まって
アンバランス(偏り)の状態になった肉体から
本来のバランス(中庸)の状態へと戻そうとして
癒し治そうとする働きを
自然治癒力』といいます。

 

 

自然治癒力』は人間だけでなく
宇宙全ての存在が生まれ持っている本能です。

 

 

人間の「頭」や「心」の中では自殺を「考えたり」「思ったり」することはできますが
細胞は生まれた瞬間から「生きる」ことしかしません。

 

その細胞の集まりである肉体は「生きる」ことをしますから
肉体の中に異物(毒素)が入って溜まると
肉体の正常な本来のバランス(中庸)の状態を害する異物(毒素)とみなして
肉体の外側に出そうとしたり戦ったりします。

 

この『自然治癒力』の状態が
異物(毒素)を外側に流し出そうとして
鼻水や涙がたくさん出たり
異物(毒素)と戦うときに細胞がエネルギーをたくさん使うので熱が出たりする
花粉症の症状としてあらわれています。

 

風邪やインフルエンザも花粉症と同じような症状ですが
それは細胞が異物(毒素)を外側に出したり戦ったりする働きと同じだからです。

 

 

 

人間だけでなく
宇宙全ての存在は『自然治癒力』を持っていて
アンバランス(偏り)な状態から
本来のバランス(中庸)の状態へと戻ろうとします。


宇宙全体はいつもバランス(中庸)の状態であろうとしています。
宇宙意識はいつもバランス(中庸)の状態だからです。


人間の内側には
愛100%のエネルギーである『魂(源泉)』がありますが
その『魂(源泉)』は宇宙意識と1つである
宇宙全ての存在と1つである状態です。

 

宇宙全体と繋がって1つである
『魂(源泉)』は宇宙意識ですからいつもバランス(中庸)の状態です。

 

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人間は「肉体」と「心」だけでなく
『魂(源泉)』も含めた3つで1人の人間として生きています。


『魂(源泉)』はいつもバランス(中庸)の状態ですから
「肉体」と「心」もバランス(中庸)の状態が本来の状態です。

 


人間の「肉体」と「心」が
アンバランス(偏り)な状態となったら
『魂(源泉)』と同じ
本来のバランス(中庸)の状態へと戻ろうとする
自然治癒力』が働きます。


自然治癒力』は
「肉体」だけに働くのではなく
「心」にも働きます。

 


人間は「肉体」と「心」と『魂(源泉)』の3つが
本来のバランス(中庸)の状態であることで
自然な健康の状態となり至福で満たされます。


人間は『魂(源泉)』以外の
「肉体」と「心」が
アンバランス(偏り)の状態となることで
不自然な不健康の状態となり苦しみます。

 


苦しくなると
自然治癒力』が働き
苦しみのアンバランス(偏り)な状態から
至福の本来のバランス(中庸)の状態へと戻ろうとします。

 

 

 

真の癒し=全体のバランス(中庸)

 

 

 

1人の人間を
真に癒そう、治そうと思うならば
「肉体」と「心」の両方を
アンバランス(偏り)な状態
から
本来のバランス(中庸)の状態へと戻すことが必然です。

 

1人の人間の
「肉体」と「心」と『魂(源泉)』の
全体が本来のバランス(中庸)の状態であるときに
人間は真に癒され、治り
健康で至福で満たされます。


「肉体」だけ
「心」だけ
という1人の人間の一部分だけを見て
その一部分だけを癒そう、治そうとしても
癒し(治癒)は起こらない…のです。


一部分だけではなく
全体を見て
全体を本来のバランス(中庸)の状態に戻す
これが真の癒しです。

 

 


真の癒しに大切なことは
◯ 1人の人間の一部分だけでなくその人の全体を見る
◯ 1人の人間だけでなく人間全体と地球全体を見る
◯ 人間だけでなく地球全体を見る

(宇宙全体のバランス(中庸)を意識する)

 

 

 

前回は花粉症の症状をたとえにして
「肉体」の中で起こっていること

「肉体」の外側で起こっている地球の環境の状態
のお話しざっと簡単にしました。

 

1人の人間の「肉体」と地球全体のバランスを見てみました。

 


今回は花粉症の症状をたとえにして
「心」の中で起こっていること

「心」の外側で起こっている地球の状況
のお話しをざっと簡単にします。

 

1人の人間の「心」と地球全体のバランスを見てみます。

 

 

 

 


花粉症の症状は
鼻水や涙がたくさん流れ出る状態です。

 

これは「泣く」ということと同じ状態です。

 

自分の内側(心)に
「過去」のなんらかの体験によって生まれた感情があり
そのまだ流し出されていない涙が溜まっている状態…
である場合

 

その「心」がアンバランス(偏り)になっている状態を
なんとか癒そうとする『自然治癒力』が働き
花粉症などの病気の症状として
鼻水や涙が流れ出るという
「泣く」ことと同じ働きが起こります。

 

 

 

このブログ内のカテゴリにある意識の成長の旅のはじめのころにもお話ししましたが
第6チャクラの第3の眼で見ると

 

自分の内側(心)に
「過去」のなんらかの体験によって生まれた感情を持っていて
そのまだ流し出されていない涙が溜まっている状態…
である場合

 

顔の鼻や目のあたりに
黒い影のエネルギー体の塊があるのが見えます。

 

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「泣いて」涙を流すと
その感情が外側へと流し出されて浄化(カタルシス)が起こりますから
たいていの場合
その鼻と目のあたりの黒い影のエネルギーは消えてなくなります。

 


しかし、

 


人間はいつのころからか

 

「泣く」ことはダメ!

 

というような「条件」をつけてしまい
みんなその「条件」に洗脳(マインドコントロール)されてしまい
「泣く」ことを我慢し
外側に流し出したい内側に生まれた感情を「抑圧」してしまい

なかなか「泣く」ことをしません。

 


「泣く」こと
涙を流すことは
人間の本能である『自然治癒力』です。

 

痛みや苦しみを
内側に溜め込むことは毒素(異物)となりますから

 

人間は『自然治癒力』によって
痛みや苦しみを内側から外側へと流し出そうとして
涙を流して「泣く」ことが自然と起こるのです。

 


自分を
アンバランス(偏り)な状態から
本来のバランス(中庸)の状態へ戻ろうとする
自然治癒力』の癒しの本能を

 

「頭」のマインド(思考)で無理やり止めよう

 

とする行為は
苦しみなります。。。

 


痛みや苦しみを外側に流し出せない苦しみ…

 


これはおしっこやうんこを
外側に出さずに我慢するような
または出ない便秘のような
ものすごく生理的に違和感のある不自然な
辛く苦しいモノです。


とにかく
「肉体」や「心」にとって
本来のバランス(中庸)の状態であることを害する
異物(毒素)は
全て辛く苦しいモノなのです。


溜め込むなんてほんと辛く苦しいことなのです。


『手放し』て外側に異物(毒素)を流し出す浄化(カタルシス)は
苦しみがなくなることです。


本来のバランス(中庸)の状態に再び戻れる至福です。


内側が空っぽの0(ゼロ)の状態は
違和感や不自然の苦しみが無い
すっきりさっぱりした
本来の自然な本来のバランス(中庸)の状態です。

 

 

 

「肉体」に入った異物(毒素)は
体内の血液や体液の流れや細胞の働きが正常であれば
「肉体」の中に溜まることなく
スムーズに外側に流し出されていきます。

 

しかし

 

身体の中に
「過去」に生まれたあらゆるネガティブな感情が
まだ外側に流し出されず溜まっていると
その黒い影のエネルギーがある人間の「肉体」の箇所の
血液や体液の流れや細胞の働きが滞ったり悪くなり

 

結果

 

「肉体」に入った異物(毒素)は
「肉体」の中に溜まってしまい
スムーズに外側に流し出されないまま…

 

という苦しい状態になってしまいます。

 

 

 

「心」の中に溜まったあらゆるネガティブな感情は
「肉体」の中に異物(毒素)を溜め込むことになる原因

 

 

 

病気というのは「気」が「病む」と書きます。

 

「心」の中に溜まったあらゆるネガティブな感情の
(「心」がアンバランス(偏り)な状態)
黒い影のエネルギー体は
身体全体に流れる「気」の流れを滞らせる障害物となり


結果


「肉体」の中に異物(毒素)が溜まり
(「肉体」がアンバランス(偏り)な状態)
それが病気となって症状があらわれる…


ということなので
「気」の流れが悪くなることで「病む」から病気というそうです。

 

 


病気のはじまりは


まずは
「心」の中に溜まったあらゆるネガティブな感情によって
「心」がアンバランス(偏り)な状態となる
ことからはじまります。

 

次に
黒い影のエネルギー体が気の流れの障害となり
「気」の流れが悪くなり

 

最後に
「肉体」に影響し病気の症状があらわれます。

 

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黒い影は

自分の内側にある

苦しみの原因(種)である

◯ エゴ(自我・欲)

◯ マインド(思考)

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ということで
花粉症の症状の場合は…

 

「過去」に体験したなんらかの出来事によって
自分の内側に生まれた
「心」に溜まっているあらゆるネガティブな感情の涙が
いろいろなことがあって
まだ全部外側に流し出されていなくて

 

涙を流す「肉体」の箇所である
鼻や目のあたりの
「気」の流れが悪くなり
黒い影のエネルギーが溜まり

(この箇所のあたりのチャクラが正常に開いていない、閉じ気味の状態はプラーナ(気)の流れが悪くなる)

 

鼻や目のあたりの血液や体液の流れや細胞の働きが悪くなり
したがってそのあたりに異物(毒素)がどんどん溜まっていき

 

その異物(毒素)を外側に流し出そうとする
自然治癒力』が働くという
花粉症の症状があらわれ

 

花粉症の症状を利用して
まだ流されていない涙を流して
浄化(カタルシス)しよう

 

として人間は自分を癒し治そうと働いている…
ということになります。

 

 

 

本当に花粉症の症状の苦しみを終わらせよう
と思うのならば…

 

自分の内側に
まだ流し出されていない涙があるかどうか?

 

を確かめてみることも大切かも?しれません。

 

 

 

もしあれば

 

「泣く」ことをして
内側から外側へと流し出す
浄化(カタルシス)をすることで
それらが消えてなくなることもあります。

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または

 

「泣く」ことではなく
その自分の内側にある
それらを『観る(観照)』ということをします。

 

ただじーと『観る(観照)』ことをすると
それらは
空を流れる雲のように自然と
内側から外側へと流れ去ってなくなってしまいます。

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自分の内側(心)に溜まっているそれらが
内側(心)からなくなれば
「気」の流れの障害となっている
黒い影のエネルギーはなくなりますから

(この箇所のチャクラが正常な状態に開きプラーナ(気)の流れが正常になる)


「気」の流れが正常になり


したがって


「肉体」の体液や血液の流れや細胞の働きが正常になり

 

「肉体」にあらわれている
花粉症の症状もなくなります。

 

 

 

真に癒そうとするならば
「肉体」にあらわれた症状だけをなんとかするのではなく
「心」の中もなんとかすることが大切です。

 

 


「肉体」と「心」の両方が
アンバランス(偏り)な状態から
本来のバランス(中庸)の状態へと戻る


「肉体」と「心」が『魂(源泉)』と同じ
本来のバランス(中庸)の状態に再び戻る


真の癒し=全体のバランス(中庸)です。

 

 

 

 

 

生まれた後生きているだけで
人間はいろいろな体験をします。

 

楽しく嬉しい幸せな体験もあれば
辛く苦しい不幸な体験もあります。

 

人間のマインド(思考)は、どちらの体験が良い悪いという善悪や優劣の判断をしてしまいがちですが

 

どちらの体験によって内側に生まれたあらゆる感情を
自然と外側に流し出すことは
真の癒しや健康のためには大切なことです。

 

 

 

どんなに新鮮な水も
長い間溜め込んでおくと
腐ってしまい毒素になります。

 

人間の内側に生まれたあらゆる感情も
長い間内側に溜め込んでおくと
毒素となってしまいます。

 

 


内側に生まれたあらゆる感情が
いつも自然に外側に流れ出て
内側がいつも空っぽの0(ゼロ)の無の状態

 

◯ エゴ(自我・欲)
◯ マインド(思考)
が無い状態

 

それが『魂(源泉)』と同じ
本来のバランス(中庸)の状態の
愛と至福の健康な自然の状態です。

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嬉しいときは「喜ぶ」
楽しいときは「笑う」
悲しいときは「泣く」
怒るときは「怒る」


人間はこの自然に起こることを
いつのころからか

 

「表現してはダメ!」

 

「条件」をつけて
「抑圧」するようにと教え洗脳し(マインドコントロール)するようになりました。


自然に起こることを
頭のマインド(思考)で押さえ込むことは
無理をしていることですから
とても苦しくなります。

 

 


さきほども書きましたが

 

「肉体」の中に物資として溜まる
おしっこやうんこは
外側に出さない限り消えてなくなることはありません。
溜め込むととても苦しいです。

 

それと同じで

 

「心」の中に肉眼では見えないエネルギーとして溜まる
あらゆる感情も
内側から外側に出さない限り消えてなくなることはありません。
溜め込むととても苦しいです。

 

 

 

今の地球の人間社会の中では
あらゆる感情が自分の内側に生まれても
それをすぐに表現して外側に流し出すことが
できない環境や状況だったりします。

 

だからといって

 

外側に流し出さないままだと
内側に溜め込むこととなり
いつまでも苦しくなりますから

 

内側に溜まったあらゆる感情を
表現できる環境や状況の中で
(たとえば自宅の部屋の中など…)
全部外側へと流し出すことは
癒しや健康維持のためには大切なことです。

 

 

嬉しいときは「喜ぶ」
楽しいときは「笑う」
悲しいときは「泣く」
怒るときは「怒る」

 

これが自然に起こるのは
内側に溜め込まず
空っぽの状態にしておくための
自然治癒力』です。

 

 

人間はこの自然に起こることを
いつのころからか

「表現してはダメ!」

「条件」をつけて
「抑圧」するようにと教え洗脳し(マインドコントロール)するようになりましたが

 

人間が多くいる場所で表現できなくても


自分の部屋の中とかでは
自由に表現していいのです。

 

 

「表現してはダメ!」という「条件」
絶対ではありませんから

 

いつでもどこでも守る必要は全くなく

 

その「条件」はポイっと『手放し』ていいモノです。

 


自分をその洗脳(マインドコントロール)から
自由に解き放つことも
苦しみから解放される選択の中の1つです。

 

 

 

 

 

花粉症の症状を癒そう治そうとするならば…

 

 

 

◯ 1人の人間の全体を見る。

 

「肉体」にあらわれている
鼻水や涙がたくさん出る苦しい症状の一部分だけを見て
なんとかしよう…

 

とするだけでは
真に癒しは起こらない
ということです。

 

「心」と「肉体」の両方の内側に溜まった
異物(毒素)を外側に出し
内側を空っぽの状態に戻すことが癒しであり

 

「心」と「肉体」の全体を見て
アンバランス(偏り)な状態から


『魂(源泉)』と同じ
本来のバランス(中庸)の状態に再び戻そう
と意識することが大切です。

 

 

 

◯ 1人の人間と地球の人間全体を見る。

 

病気の原因となる
「心」にあらゆる感情が溜まる原因は
「過去」のさまざまな体験によって生まれた感情ですが

 

自分の内側に生まれるあらゆる感情を
外側に流し出すことは「ダメ!」と
人間の「頭」のマインド(思考)で作り上げた
「条件」
子供の頃から
洗脳(マインドコントロール)されていることが原因で

 

あらゆる感情を溜め込んでしまう習慣を持っている自分
に『気づく』ことも大切です。

 

この「条件」
多くの人間が洗脳(マインドコントロール)されていて
多くの人間が内側にあらゆる感情を溜め込む原因となっています。

 

それによって
多くの人間が病気になっています。

 

そして

 

それらはもちろん溜め込んでおくことはできないエネルギーですから
いつかは爆発するように
内側から外側へと流れ出ていきます。

 

それが暴力です。

 

人間社会はあらゆる感情を自然に表現させずに「抑圧」することは
教え洗脳(マインドコントロール)してきましたが

 

内側に溜まったあらゆる感情を
外側に表現する浄化(カタルシス)の方法を
教えてきてはいません。

 

その結果
今現在
多くの人間は病気になったり暴力を振るったりして
それが人間社会から減っていくことはなく
増えていくばかりという状態です。



人間はあらゆる「条件」
「頭」のマインド(思考)で作り出し
人間を洗脳(マインドコントロール)してきましたが
それらは
真理ではないため
多くの人たちは苦しんでいます。



1人の人間を真に癒そうとするならば


人間社会全体のアンバランス(偏り)な今現在の状態に
『気づき』
自分をそのアンバランス(偏り)な状態から
救い出すことが大切です。



1人の人間の内側がアンバランス(偏り)な状態
その1人1人があつまっている
人間社会全体はアンバランス(偏り)な状態となります。

 

1人の苦しみ=人間社会全体の苦しみ

 

1人1人が真に癒されること=人間社会全体が本来のバランス(中庸)の状態に戻ること

 

 

 

◯ 1人の人間と地球全体を見る。

 

1人1人の人間の内側がアンバランス(偏り)な状態であると
それがそのまま地球全体にも影響し
地球の自然界をアンバランス(偏り)な状態にしています。

 

それは前回花粉症の症状をたとえに
ざっとお話ししましたからここでは省きますが

 

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地球の全ての存在の中で
人間の内側のアンバランス(偏り)な状態が
地球全体をアンバランス(偏り)な状態へとしているのです。

 

そして

 

地球の自然界全体がアンバランス(偏り)な状態となったことで
直接、花粉症など人間の健康にも影響し苦しんでいます。

 


人間以外の地球の存在は
地球全体をアンバランス(偏り)な状態にはしてこなかったし
「今ここ(現在)」もしていません。

 


人間と
人間以外の地球の存在との違いは…

 


人間は
自然界の厳しさの中で生きることが苦しくなり
人間以外の地球の存在たちのように
自然界とともに生きることから逃れようとする

 

◯ エゴ(自我・欲)
◯ マインド(思考)
を持っていて

 

それにしたがって生きてきました。

 


人間以外の地球の存在たちは
地球の自然とともに生きてきました。

 


この2つの違い。

 


地球全体の「今ここ(現在)」の状況を見てみると
人間が健康で暮らせるためには


1人1人の人間

地球全体

アンバランス(偏り)になった状態から
本来のバランス(中庸)の状態に再び戻る


ことが必然なのかもしれません。

 

 

もちろん人間は後退することはできませんから

成長し進化していきます。

 

ですから

できなくはありませんが

原始時代の暮らしに戻ることはないかも?しれません。

 

しかし

 

今の地球のアンバランスに偏った状態を

もう少し

本来のバランス(中庸)の状態へと戻していく

 

つまりは自然をこれ以上壊さないようにしながら

今より自然を増やしていく

 

というようなことはできると思います。

実際そうしながら生きている人たちはいますから。

 

 


そんなふうに
全体で見てみると

「今ここ(現在)」の自分が
何をしたらいいのか?

がよくわかります。

 

 


自分のバランス(中庸)を取り戻す癒し

地球全体のバランス(中庸)を取り戻すこと

 

 


急な変化は
いつもリバウンドが起こり
苦しくなるので
長く続けることができませんから

 

「今ここ(現在)」の自分が無理なくできることからはじめる

 

無理なく楽しくできることからはじめると
リバウンドも起こらず
長く続けていくことができます。

 


前回も書きましたが

 

サラダの中のお野菜のプチトマトだけを
無農薬のお野菜にしてみる…とか

 

下着の中のパンツ一枚をオーガニックコットンのパンツにしてみる…とか

 

食器洗い洗剤だけでもオーガニックの洗剤にしてみる…とか

 

 


小さなことでも
無理なく楽しくできることからはじめる
という
意識の変容がちょこっと起こると

 

最初の小さな一歩を踏み出すと
自然と二歩めが飛び出してくるものでσ(^_^;)

 

すると
いつのまにかあれよあれよという感じで
ものすごく長い距離を歩いていて

 

いつのまにか癒されてました٩( ᐛ )و
みたいに
いつのまにか地球全体が本来のバランス(中庸)の状態に戻ってました
みたいなことは実際起こるわけです。

 

 

 

人間も地球全ても宇宙全体も
生まれ持った『自然治癒力』がありますから(^_^)v

 

人間を癒そうとする免疫細胞は
肉眼ではとらえることができないくらいの
ミクロの小さな生き物ですが
その小さな小さな生き物たちが
みんなで1人の人間全体を癒そう!とすることで
人間は怪我や病気になっても
また元気になれ生きているのですから、

 

地球からみたら
小さな小さな人間ですが
みんなで1つの地球全体をバランス(中庸)を取り戻そう!としたら
地球はまた自然豊かな
人間や人間以外の全ての存在が生き延びることができる環境に
再び戻ることができるのです。

 

 

これ以上見て見ぬふりをするのは
花粉症の症状だけでなく
他いろいろと
もうギリギリやばいかなσ(^_^;)?

 

というところにいるので

 

できたら「今ここ(現在)」からはじめることで
100年後には今より少しはバランス(中庸)の状態の地球に戻れるかも?しれません。


一本の木が種から大きく育つまで
50年くらいかかる木もありますから。


50年後もうわたしは生きてはいませんが
50年後100年後の地球はどうなっているかな?


わたしには子供はいませんが
友達のかわいい子供たちは50年後は生きている年頃です。

 

 


そのときに地球に存在する全ての存在が
苦しまず
至福で満たされて生きる環境があることを
祈っています。

 

 

 

全ての存在が自然のままに…

地球を自然のままに…

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本来のバランス(中庸)の状態を正しく『思い出す』

sammasatiサマサティ(right remembrance)
正しく想起する。

 

『The last word of Buddha was, sammasati.
Remember that you are a buddha – sammasati.』

 

瞑想と愛 (^-^) meditation & love

 

 


花仙人

 

 

 

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導師 master や導師 master の指先を見るのではなく

自分の内側にある『魂(源泉)』(満月)を見るのだよ

自分の真の導師 master は自分の内側にある『魂(源泉)』だよ

と外側の光明 enlightenment を得た導師 master たちは伝え続けています。

大切なことは

自分の内側にある『魂(源泉)』を再び「感覚」で『思い出す』こと。

 

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内側にある『源泉 source (魂 soul )』と
『全ての存在は1つ』all one であることを『思い出す』

 

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瞑想はたくさんの種類があります。
ご自身にあった瞑想がみつかるといいですね。

 

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『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』シリーズ

 

シヴァによって与えられたという五千年前の112の瞑想技法集
『ヴィギャン・バイラヴ・タントラ』の
導師 master osho が講話です。
和訳された本は全部で10巻です。

 

第一巻 内なる宇宙の発見
第二巻 源泉への道
第三巻 第三の眼
第四巻 沈黙の音
第五巻 愛の円環
第六巻 覚醒の深みへ
第七巻 光と闇の瞑想
第八巻 存在とひとつに
第九巻 生の神秘
第十巻 空の哲学

 

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Vigyan Bhairav Tantra, vol 1,2
この講話の英語のPDFダウンロードはこちはです。
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 

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The Ultimate Alchemy, vol 1,2
この講話の英語のPDFダウンロードはこちはです。
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 

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Showering without Clouds
雲なく雨は降りそそぐ

The last morning star
夜明けの星

サハジョとダヤの女性の覚者の詩

 

oshoアクティブ瞑想に関してはこちら、
http://www.osho.com/ja/meditate/active-meditations/why-active-meditations

 

oshoの瞑想音楽はこちら、


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花仙人