花仙人の日記

地球を自然のままに…

no magic, no mind, 自然のままに…

no magic, no mind, 自然のままに…
 
 
 
前回の続きです…
 
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アースシー Earthsea の物語は
1巻から6巻
そしてショートストーリーを合わせて
 
『魔法 magic はいらないよ。』
 
というお話しかなσ(^_^;)
 
 
 
はじめから魔法 magic を使わなければ
あそこまでおかしな不自然な世界にはならなかっただろうに、
苦しまなかっただろうに、
みたいなσ(^_^;)
 
 
 
地球の人間も同じで
自然から離れて
さまざまな魔法 magic のようなものを使ってなかったら
ここまでおかしな不自然な世界にはならなかっただろうに、
苦しまなかっただろうに、
という今の現実ですかねσ(^_^;)
 
 
 
魔法 magic というのは
力 power です。
 
エゴ(欲・自我)ego を持つことで
 
「自分”I”」と「他”You”」を「分離 separate」する
マインド(思考)mind の境界線の壁を持ち
 
優越 superior を欲しがると
どうしても
「他”You”」より「自分”I”」が
勝る
高い
などを欲しがり
相手を負かす必要があるため
力 power を欲しがります。
 
そして力 power を持つと
使いたがり、見せたがります。
 
 
 
魔法使いたちだけでなく
自分の内側 inside を『観る(観照)』をしていき
瞑想 meditation が深まると
あるとき
内なるエネルギーの力 power に
目覚めることがあります。
 
導師 master たちは
弟子 disciple たちが
その力 power に目覚めても
使わないように導きます。
 
しかし
 
光明 enlightenment を得ていない
まだ
エゴ(欲・自我)ego がある人間の場合
 
導師 master の導きがあったとしても
 
どうしても
目覚めた力 power を
使い見せたがるようになります。
 
 
 
アースシー Earthsea の物語の
主人公であるゲド Ged も
導師 master オギオン Ogion に注意されていても
その力 power を使い見せたくて
ある日大きな魔法を使い
大変な間違いをして大失敗をします。
 
 
 
人間の内側 inside には
二元性 duality があり
 
肉体 body が
男 man であっても
女 woman であっても
 
1人の人間の内側 inside には
男性性 masculine と女性性 feminine 
男らしさと女らしさ
という2つの極があります。
 
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ゲド Ged は男 man でしたが
 
男 man であっても
女 woman であっても
 
人間の内側 inside が男性性 masculine に偏ると
 
強さを表現するために
力 power を欲しがり
使い見せたくなります。
 
 
 
瞑想 meditation が深まるほど
内なるエネルギーの力 power に
目覚めることがありますが
 
それを使わずに、囚われ執着せずに
 
さらに瞑想 meditation を深めていくことで
光明 enlightenment は起こります。
 
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とてもとても多くの人たちが
この内なるエネルギーの力 power に
目覚めたことにより
それに執着し囚われ
光明 enlightenment に至らない状態で
人生が終わってしまっています。
 
 
 
わたしもその力 power に目覚めましたが
なんだかめんどくさいな〜くらいに思い
興味がなかったため執着しませんでしたから
瞑想 meditation オンリーだったからか
そのまま光明 enlightenment が起こったようです。
 
 
 
光明 enlightenment が起こってわかったことは
 
完全に宇宙 universe の均衡(バランス(中庸)balance)を壊さないで
魔法 magic なんて使いこなせるわけないじゃん
 
ちょびっとでも使ったら
全体 whole の
バランス(中庸)balance は壊れちゃうんだよ
 
じゃあ
宇宙 universe 全体 whole のバランス(中庸)balance を
壊さない方が苦しまないのなら
はじめっから魔法 magic なんて使わなければいいんだ
 
だから
魔法 magic が使える力 power があったとしても使わない
 
ということでした。
 
 
 
禅 Zen やタオ Tao は
 
no magic
no mind
no ego
自然のままに生きる
 
それは究極の至福であると伝え導きます。
 
禅 Zen やタオ Tao だけでなく
光明 enlightenmen を得た導師 master たちが伝えることは
本当に人間が苦しまないためのお話しばかりです。
 
 
 
今日は
内なるエネルギーの力 power に目覚めた人たちが
力 power の誘惑に堕ち
光明 enlightenment を見逃す
また
力 power に執着しなかった人たちは
光明 enlightenment を得た
というお話しを
導師 master osho の講話からご紹介します。
 
 
 
no magic, no mind, no ego で
自然のままに生きることが
究極の至福であり
光明 enlightenment への近道であると
わたしの体験からもそう思います。
 
 
 
*     *     *
 
 
 
The Greatest Miracle
 
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The Greatest Miracle / 偉大なる奇蹟
 
On the Temptation of Spiritual Powers
 
超能力や精神や霊的なパワーの誘惑
 
 
 
commentary(解説)…
 
超能力や心霊現象、
突然襲ってくる至福、
奇蹟に
巻き込まれないように注意しましょう。
 
それらをどこかに行き着いたしるしとして見てはいけません。
 
行き着くところはどこにもありません。
 
ただ普通でいて、楽しみましょう。
 
 
 
osho…
 
あなたの精神や霊的な成長の中で
パワーが起こりはじめたとき、
 
それらを誰にも見せないという
最も偉大な勇気が必要となる。
 
 
 
禅の導師 master である臨済の弟子 disciple に関して言われていることだ、
 
他の宗教の導師 master の弟子 disciple が
臨済の弟子 disciple の1人に話をしていた、
そして
他の宗教の導師 master の弟子 disciple は言った、
 
「私たちの導師 master は奇蹟の人だ。
彼が望むことならなんでもできる。
私は彼の行った奇蹟をたくさん見てきた、
自分自身の目でそれを目撃したのだ。
 
君の導師 master には
どんなすごいところがある?
どんな奇蹟を行うことができる?」
 
臨済の弟子 disciple は言った、
 
「私の導師 master にできる最も偉大な奇蹟は
奇蹟を行わないことだ。」
 
 
 
それに瞑想しなさい。
 
「私の導師 master にできる最も偉大な奇蹟は
奇蹟を行わないことだ。」
 
 
 
奇蹟的な力が起こり始めると、
弱い者だけがそれを行う。
 
強い者はそんなことはしない
…なぜなら
今度はそれがもう1つの罠だと知るからだ。
 
 
 
再び世界は引き戻そうとする…
 
これは最後の罠だ。
 
 
 
もしあなたがサイキック(超能力的な)エネルギーを
静かに、観照しながら避けることができたら、
 
もしあなたがそれらをパス(参加しない)することができたら、
 
それに閉じ込められることなくいられたら、
 
そのときだけ
あなたは home(源泉)にたどり着く。
 
 
 
それは最も確実なことだ。
 
 
 
*     *     *
 
 
 
Misuse of Power
 
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Misuse of Power / 力の誤用
 
How vivekananda lost his key
 
ヴィヴェカナンダはどのようにして彼の鍵を失ったのか
 
 
 
commentary(解説)…
 
力を使うときは
 
相手の人
そして
存在全体への
深い尊敬と愛を持っていなければなりません。 
 
あなた独自の知的な考えで、
誰か他の人の生を邪魔してはいけません。
 
もしあなたが何か力を持っていたら、
他人を操らないこと、
それを創造的に使いなさい。
 
 
 
osho…
 
ラーマクリシュナの時代にそれは起こった…
 
ラーマクリシュナには1人の弟子 disciple
ヴィヴェカナンダがいた、
彼は最初の'サトリ'を得たときに偉大なパワー(力)を感じた。
 
そしてラーマクリシュナのアシュラムに
カルウという名のとても単純で無垢な男がいた。
 
彼はとても無垢でとても単純で、
とても子供っぽかったので
ヴィヴェカナンダはいつもカルウをからかっていた。
 
 
ヴィヴェカナンダは知的なタイプで、
論理好きだった。
 
そしてこのカルウは単純な村人だった。
 
 
カルウは礼拝をしていた。
彼の部屋は寺院だった
そして彼の部屋には百ほどの神々があった
…インドでは欲しいだけたくさんの神々を買うことができる。
 
どんな石も神になった。
ただ赤い色をそれにつけたら
それは神になる。
 
だから彼は三百ほどの神々を彼の小さな部屋に持っていた。
彼が寝る場所もないほどに。
 
そしてこれらの三百ほどの神々を
彼は毎日礼拝した、
それは6時間から8時間ほどかかった。
 
その夜、彼は礼拝を終えると、
食べるものを取りに行った。
 
ヴィヴェカナンダはいつも言っていた、
 
「これはばかげている、これはバカらしい。
全てのこれらの神たちをガンジス川に放って来なさい。
終わりにしなさい。
これは無意味だ。
神は内側にあるのだ。」
 
しかしカルウはとても単純な男だから
彼は言った、
 
「私はそれらの石たちを愛している。
彼らは美しい。
この石が見えないのかい?
見てごらん、なんて美しい。
そして
私はガンジス川でそれを見つけたんだよ、
ガンジス川が私にそれを与えてくれたんだ。
さあ、どうして私がそれをガンジス川に放り返すことができるだろうか?
いや、私にはそうすることはできない。」
 
その日は
ヴィヴェカナンダが最初の'サトリ'に至った日だった、
彼はカルウの部屋のすぐ向かいの他の部屋に座っていた。
 
最初のパワーが彼のマインド(思考)の中に
あるアイデアを急によこしたとき、
カルウがまだ礼拝をしていたにちがいない。
それは午後だったが彼は礼拝をしていたはずだ。
 
だからただ楽しむために彼はあるアイデアを考えた、
彼は彼の部屋からあるアイデアをカルウのマインド(思考)に投影した。
 
「カルウ、さあ、全てのあなたの神々を持って
ガンジス川の中に放ってきなさい。」
 
彼はパワーがあると感じた。
 
彼はその考えを投影できた
そして
それは受け取られたのだろう。
 
 
ラーマクリシュナは外に座っていた。
彼はこの全てのゲームを見た…
ヴィヴェカナンダが何をしたのかを。
 
 
彼はその考えが投影されたのを見たにちがいない。
 
しかし彼は待った。
 
 
するとカルウが大きな包みと一緒に外に出て来た、
彼は全ての神々を1つの大きな袋に入れて運んでいた。
 
ラーマクリシュナは彼を止めて言った、
 
「待ちなさい、どこに行くのかね?」
 
カルウは言った、
 
「これはバカらしいという
あるアイデアが私のマインド(思考)にやってきました。
私は全てのこれらの神々を放り去りに行きます。
私は終わった。」
 
ラーマクリシュナは言った、
 
「待ちなさい、
ヴィヴェカナンダを呼んできなさい。」
 
ヴィヴェカナンダは呼ばれた
そして
ラーマクリシュナはとても怒って叫んで言った、
 
「それがパワーの使い方か?」
 
そして彼はカルウに話した、
 
「あなたはあなたの部屋に戻りなさい、
あなたの神々を元の場所に戻しなさい。
これはあなたのアイデアではない、
それはヴィヴェカナンダのアイデアだ。」
 
そしてカルウは言った、
 
「私は誰かが石のようなもので叩いてきたように感じました、
外側からやってきたのならば…
しかし私は貧しい単純な男です、
私は何が起こったのかわかりませんでした。
 
そして私はそのアイデアにとても取り憑かれました、
そして
私は怖くて身震いしました…
”自分は何をしているのか?”と、
しかし私はもうすぐ取り憑かれるところでした。」
 
ラーマクリシュナはとても怒って
ヴィヴェカナンダに言った、
 
「さあ、私はあなたの鍵を保持しよう。
あなたはあなたの死のちょうど3日前に
この鍵を受け取ることになる。
 
あなたはけっしてこれ以上再び'サトリ'を得ることはない。」
 
そしてこれはこのようにして起こった。
 
ヴィヴェカナンダは再び他の'サトリ'を得なかった。
 
彼は何年もの間、泣いて嘆いたが、
'サトリ'を得ることはできなかった。
彼はとてもがんばった。
 
 
そしてラーマクリシュナは死んだ。
 
ラーマクリシュナが死の床にあったとき
ヴィヴェカナンダは泣いて言った、
 
「私の鍵を返してください。」
 
ラーマクリシュナは言った、
 
「あなたが死ぬちょうど3日前にそれを得るよ、
なぜから
あなたは危険に見えるからだ。
 
そのようなパワーは
そんなやり方で使うことはできないよ。
 
あなたはまだ十分に純粋ではないからね。
 
待ちなさい。
 
あなたは泣き続けなさい
そして
あなたは瞑想 meditation をし続けなさい。」
 
そして
確かにヴィヴェカナンダが死ぬちょうど3日前に
彼は他の'サトリ'を得た。
 
しかし
彼は彼の死が来ることを知った、
たった3日しか残っていなかったのだった。
 
 
 
 
When powers start happening in your spiritual growth,
the greatest courage is needed not to show them.
 
あなたのスピリチュアルの成長の中で
パワーが起こりはじめたとき、
 
それらを表さないようにする
最も偉大な勇気が必要となる。
 
 
 
 
覚えておきなさい、
あなたはパワー(力)を所有できる
しかし
あなたは神を所有できない
…だからパワーはけっしてスピリチュアル(霊的・精神的)になることはできない。
 
 
神と一緒にいることは
あなたが神に所有される、
あなたが神を所有することはできない。
 
もしあなたが何かを所有したら
するとそこにはエゴ(欲・自我)がある。
 
誰が「私は所有している」と主張するのかね?
 
「私はお金を所有する、
私は政治の地位を所有する、
私はスピリチュアルパワーを所有する
…しかしその”私”は所有し続ける。」
 
その”私”は所有だ。
 
所有をとおしてエゴ(欲・自我)が存在する。
 
だからエゴ(欲・自我)は所有をし続ける。
 
所有が可能なだけ欲しくなる。
全てを所有したくなる。
 
それはけっして満たされない。
 
なんであれあなたが所有したら、
所有した瞬間に、
それは意味がなくなる。
 
 
 
エゴ(欲・自我)に気づいていなさい
なぜなら
エゴ(欲・自我)は
あなたと神の唯一の壁だからだ。
 
 
 
from osho talks
oshoの講話より
 
from osho transformation tarot
osho transformation タロット より
 
Sufis: The People of the Path, Vol 1
 
Talks on Sufism
 
Talks given from 11/08/77 am to 26/08/77 am 
English Discourse series
 
Chapter 9
Chapter title: This Experience of Infinite Mutuality
19 August 1977 am in Buddha Hall
 
 
この全講話の英語のダウンロードpdfはこちら。
 
 
 
chapter 9 の英語の全講話です。
 
 
 
(素晴らしいお話しなので英語で読める方は
是非読んでみてください。)
 
 
 
This Experience of Infinite 
 
 
 
HASAN CAME UPON RABIA ONE DAY WHEN SHE WAS SITTING AMONG A NUMBER OF CONTEMPLATORS, AND SAID, 
’I HAVE THE CAPACITY OF WALKING ON WATER. COME, LET US BOTH GO ON TO THAT WATER YONDER, AND SITTING UPON IT CARRY OUT A SPIRITUAL DISCUSSION.’
 
RABIA SAID, 
’IF YOU WISH TO SEPARATE YOURSELF FROM THIS AUGUST COMPANY, WHY DO YOU NOT COME WITH ME SO THAT WE MAY FLY INTO THE AIR AND SIT THERE TALKING?’
 
HASAN SAID, 
’I CANNOT DO THAT, FOR THE POWER THAT YOU MENTION IS NOT ONE WHICH I POSSESS.’ 
 
RABIA SAID, 
’YOUR POWER OF REMAINING STILL IN THE WATER IS ONE WHICH IS POSSESSED BY FISH. MY CAPACITY OF FLYING IN THE AIR CAN BE DONE BY A FLY. THESE ABILITIES ARE NO PART OF REAL TRUTH – THEY MAY BECOME THE FOUNDATION OF SELF- ESTEEM AND COMPETITIVENESS, NOT SPIRITUALITY.’
 
 
 
THE games of the ego are very subtle. 
 
And if one is trying to drop the ego they become more and more subtle. 
 
And if one has really decided to drop it anyhow, the ultimate strategy that the ego can use to protect itself is to become egolessness; is to pretend humility, humbleness; is to show that ’Now there is no need to fight with me, I am not at all. ’
 
The ego is one of the most fundamental problems man has to face. 
 
The ways of the ego have to be understood rightly otherwise you will never be able to get rid of it. 
 
And until you get rid of the ego there is no possibility of meeting God. 
 
It is the ego that functions as a barrier between you and reality.
 
The ego functions as a barrier because it is one of the most unreal things possible. 
 
The ego is a fiction, 
it is not a fact. 
 
It is maintained by conditioning, hypnosis; 
it is maintained by a thousand and one props It is a fiction – because existence is one. 
 
It can have only one centre, 
it cannot have millions of centres.
 
 
 
What is the ego? 
 
 
 
The ego is the idea that 
’I am the centre of the universe.’ 
 
That is what ego is – reduced to the basic – the idea that 
’I am the centre of the universe.’ 
 
’I’ cannot be the centre of the universe 
but everybody has the idea that 
’I am the centre of the universe.’ 
 
 
And the second part of the ego is: 
it is separative, 
it is a fiction that separates you from the totality. 
 
It gives you the idea that you are independent, 
that you are an island. 
 
And you are not. 
 
Existence is a vast infinite continent. 
 
There are no islands. 
 
You are not separate and 
you are not independent.
 
 
And remember, 
when I say you are not independent 
I don’t mean that you are dependent – 
because the very idea of dependence will again presuppose the ego. 
 
There is nobody to be independent and 
there is nobody to be dependent. 
 
We live in interdependence, in mutual existence, in mutuality. 
 
We are parts of each other, 
members of one another. 
 
The trees are penetrating you and 
the rocks are penetrating you and 
the rivers are penetrating you – 
and 
you are penetrating the rivers and 
the trees and the rocks. 
 
The farthest star is connected with you. 
 
And when you blink your eyes you change the quality of the total existence. 
 
All is infinitely interconnected, interwoven. 
Nobody is separate.
 
 
So nobody can be independent and 
nobody can be dependent. 
 
Independence and dependence are both aspects of the same coin called ego. 
 
A real person is neither. 
 
A real person simply does not exist as a person He has no boundaries. 
 
He exists as God, 
not as a person.
 
Just the other day somebody asked a question: 
 
WHAT DOES ’BHAGWAN’ MEAN? 
 
It means this experience of interdependence. 
It means this experience of infinite mutuality. 
It means this oneness with the whole. 
It means that ’I am no more separate.’ 
 
And if I am no more separate, I am not – 
because I can be only when I am separate. 
There is no way to be without being separate.
 
Hence, 
on one hand the ego creates separation, 
on the other hand it creates anxiety, fear – fear of death. 
 
The fear of death comes out of the ego, 
otherwise there is no death, there has never been death. 
 
Death exists not. 
 
If I am one with the whole then how can death exist? 
 
The whole has never died, 
the whole has always been there and 
the whole is going to remain there always.
 
The ocean never dies. 
Only ripples and waves come and go. 
 
Once the wave things ’I am separate from the ocean,’ then it will have great anxiety. 
 
Then death is coming – sooner or later. 
It is on the way. 
It is coming. 
And the fear, and the anxiety.... 
 
But if the wave knows that ’I am not separate, how can I die? 
 
To die you have to be separate. 
 
If I am one with the ocean, whether I am like a wave or not like a wave does not matter. 
That which exists in me is the ocean. 
It has been there before me, it will be after I am gone. 
 
In fact, 
I never came and I never went, 
it was just a manifestation of the universe ’ – then death disappears and birth disappears. 
 
Otherwise the ego creates the fear that ’I am going to die’ and there is a constant trembling in the heart.
 
 
You can never be at ease with the ego. 
 
 
Your anguish is your ego and nothing else. 
 
 
’Bhagwan’ does not mean the English word ’God’ – which has become very dirty with wrong associations – 
’Bhagwan’ means the experience of oneness, 
the experience that 
’there is no wall between me and the whole,’ that 
’I don’t have a boundary,’ that 
’I am not and the whole is.’
 
If you feel the boundary you are limited, small. 
Then your limitation gives pain, hurts – so limited, so small. 
Then you want to become big.
 
 
Just see the mechanism of the ego. 
 
First the ego makes you feel small; 
it creates a sort of inferiority that 
’I am so tiny against such a big world, 
I have to be big – big in money, big in power. 
I have to be the president or the prime minister or the richest man of the world, or I have to become Alexander the Great, or something.’ 
 
The ego makes you feel limited and nobody likes limitation. 
 
Then the desire to become bigger arises. 
And you go on becoming big but the bigger you become, the more egoistic you become – because you carry the ego.
 
See the absurdity of it. 
 
The bigger you become, the more egoistic you become – you start thinking ’Now I am somebody.’ 
 
And the more egoistic you become, the smaller you feel. 
 
It looks paradoxical: 
the bigger you become, 
the smaller you feel. 
 
And again and again the desire arises to become big. 
With the ego nobody can become big. 
It is impossible.
 
Only by dropping the ego does one suddenly become big – not big, one becomes infinite really, because then you don’t have any boundaries. 
 
Then if there are any boundaries to existence those are your boundaries – and there are none. 
 
Existence is un-bounded. 
 
It has no possibility of ending anywhere, neither in time nor in space. 
 
In both dimensions it is infinite, it is infinitely infinite.
 
But don’t start dropping the ego. 
 
You cannot drop it because it is a fiction not a fact. 
 
If you start dropping it you will create another fiction – that you have become egoless. 
 
If you start dropping it, 
if you start becoming humble, 
if you practise humility, 
you will become egoistic again in a new way. 
 
You will start thinking 
’I am the most humble man in the world, the humblest.’
 
 
 
Three monks were talking. 
 
One was a Trappist monk. 
He said, 
’Nobody can compete with us as far as asceticism is concerned.’ 
Trappist monks are really very ascetic; 
the most neurotic of all the kinds of Christian monks.
 
The second was a Catholic monk. 
He said, 
’That’s right. But nobody can compete with us as far as knowledge of the scripture is concerned. ’
 
And they both looked at the third, a Baptist monk. 
They wanted him to declare what goods he had. The monk said, 
’We are nobodies as far as asceticism goes, 
we are nobodies as far as knowledge goes, 
but as far as humbleness is concerned, 
we are the top. ’
 
Humbleness... and ’We are the top’!
 
This is how the human ego functions. 
 
You cannot drop it. 
Because it is not, how can you drop it? 
 
You can drop something if it is. 
You cannot fight with it. 
How can you fight with something which is not? 
 
You cannot kill it. 
How can you kill it when it is not?
 
Then what can one do? 
 
One can only understand. 
 
One can look into the mechanism of it – how this whole fiction functions. 
Once you have looked into the fiction through and through, 
from one comer to another, from A to Z, 
it is not that you drop the ego – in that very insight the ego disappears. 
 
In fact, to say that it disappears is not right – it was never there. 
 
You come to realise that you were believing in a non-entity. 
It was not there from the very beginning.
 
It is just as if you stay in a room and somebody has told you that there is a ghost in the room. 
 
Now you cannot sleep. 
It is not that the ghost is there, 
it is the idea that there is a ghost and if you fall asleep there may be some danger – the ghost may jump upon you, may sit upon you, may drink your blood or something. 
 
Ghosts are unreliable people. 
One never knows what the ghost will do. 
You cannot sleep, you cannot afford to sleep.
 
And the more sleepless, the more tired you become, the more and more you will believe in the ghost – because the weaker you become, the stronger the ghost becomes. 
 
In the middle of the night, when the whole world has fallen asleep and everything is silent, you will become more afraid – now you are absolutely alone. 
Everybody has fallen asleep. 
Even the traffic has stopped. 
Now there is nobody.  
If the ghost comes you are left alone. 
Even if you scream nobody is going to hear now. 
Now you will be more troubled. 
And a small rat passing by, or just a bird fluttering outside in a tree, or a dry leaf moving on the road in the wind – that is enough! 
You can lose all your consciousness.
 
And there was nothing from the very beginning. 
 
You created the whole thing. 
You got into an idea and the idea became a reality. 
 
Now you cannot fight with this ghost, 
you only have to see whether the ghost is or is not. 
 
You only have to understand. 
 
You have to see the mechanism – how the idea of the ghost is manipulating you. 
It is just an idea – your idea.
 
Exactly the same is the case with the ego. 
 
The ego is a ghost. 
It is unreal
It is utterly unreal
 
But it has been deeply rooted in you for certain reasons. 
 
First, the society needs it. 
Without creating a kind of ego in you, you will be dangerous. 
Through the ego you can be manipulated. 
Just think – if you don’t have any ego nobody can frighten you. 
Impossible. 
Because you don’t have death. 
You can only be frightened through death.
 
That is why Jesus was not frightened, 
why Mansoor was not frightened. 
 
Many Sufis have been killed. 
When Mansoor was being crucified, 
one hundred thousand people had gathered to see. 
And somebody asked – because he was laughing, laughing like crazy – somebody asked, 
’Mansoor, have you gone mad? 
You are being crucified, why are you laughing? 
This is death. 
Are you not aware of the fact?’ 
 
And Mansoor said, 
 
’That’s why I am laughing. 
They are killing somebody who is not. 
That is the whole ridiculousness of it, 
that’s why I am laughing!’ 
 
It is as if somebody is killing a wave. 
Maybe the wave disappears, but how can you kill a wave? 
 
It will be there in the ocean, it will still be there, it will be absolutely as it was before. Only the form is not there, but form does not matter. Mansoor says, 
’They are trying to kill somebody who is not there in the first place, that’s why I am laughing.’
 
 
Many Sufis have been killed and 
they accepted death with such joy. 
 
From where do that joy and that courage come?
 
It is not the courage of a soldier. 
 
No, not at all. 
 
It is the courage of a man who has come to realise that there is no ego, that 
’I am not, so how can you kill me?’ 
 
 
 
The courage of the soldier is different from the courage of a saint. 
 
The courage of the soldier is a well maintained courage; deep down he is afraid, deep down he is trembling like a small child. 
But he has been trained to be brave for years. In the army he has been trained to be brave – bravery is a trained attitude. It is his habit to be brave. 
 
But deep down is the suspicion, deep down is the fear. 
 
Even the greatest soldiers feel fear. 
It is natural.
 
 
The difference between the brave soldier and the cowardly soldier is not one of fear; 
 
the difference is only that 
 
the brave soldier goes 
into the war, 
into the front, 
into death, 
into fire, in spite of the fear. 
 
The coward cannot go. 
He escapes. 
 
But the fear is there in both. 
 
The brave man just has an idea of bravery. 
He has been conditioned. 
His ego has been strengthened in such a way that he has to remain brave. 
It is against his ego to escape; 
it is against his ego to run away – that’s all. 
Otherwise he is shaking like a leaf in a strong wind, trembling.
 
 
 
The courage of a saint is totally different. 
It has nothing to do with the courage of a soldier. 
 
He knows he is not, so how can you kill him? 
 
He knows there is no death because there has never been any birth. 
 
He has dropped the fallacy of birth so the fallacy of death disappears. 
 
He has dropped the fallacy of the ego so all other fallacies disappear. 
 
All other fallacies hang around the basic fallacy of the ego.
 
And how does one drop it? – just by seeing into the ways of it, how it comes. 
You pull it out from one side, 
you push it out from one door – and it comes in from another door, from the back door, in a subtler form so you cannot recognise it.
 
The society needs the ego, 
otherwise people will be uncontrollable; 
the state needs it, 
otherwise people will be so rebellious, 
people will be so authentically themselves, 
that it will be next to impossible to create slavery, to create robopathology, to create these automatons you see walking on the roads, working in the offices, factories, this and that. 
It is a political stratagem.
And it is utilitarian too. 
 
You have to refer to yourself in some way. 
 
It will be confusing if you start using your name to refer to yourself.
 
Swami Ramteerth, a Hindu mystic, used to do that. 
He never used to use the word ’I’, he would use ’Ram’ – that was his name. 
If he was feeling hungry, he would say, ’Ram is very hungry.’ But it creates trouble. Then they would start saying, ’Who is Ram? About whom is he talking?’
 
He was in New York and some people insulted him. He must have looked a little bizarre in orange dress in New York – this happened sixty or seventy years ago when the orange people were not known at all. He was the first sannyasin to reach America. People laughed at him, ridiculed him. 
 
He laughed, came back home.
The host asked, 
 
’What is the matter. 
Why are you laughing so much? 
What has happened?’ 
 
He said, 
 
’Ram was insulted and people were ridiculing Ram and Ram enjoyed it.’ 
 
’Ram?’ 
 
the host asked. 
 
’What do you mean by ”Ram”? 
Isn’t this your name?’ 
 
And he laughed again. He said, 
 
’I don’t have any name. 
I can’t have any name. 
I don’t even use ”I”.
I use ”Ram”, the third person.
I am as far away from Ram as you are. 
I am as much a witness of Ram as you are. ’
 
But this will create many problems. 
It will not be feasible if everybody starts using his name instead of ’I’; it will create confusion. 
 
The ’I’ is significant, linguistically utilitarian. 
 
Nothing is wrong in using it. 
I Will not tell you to stop using it – just know perfectly well that it is just a word, utilitarian, but it has no reality behind it.
 
In fact, if I had met Swami Ram I would have told him, 
 
’You are giving too much importance to the word ”I” in avoiding it. 
You are making it too significant. 
It is not. 
There is no need to be so afraid of it. 
One just has to see the point, 
one just has to look into it and see that it is only a word, a label – perfectly useful but with no reality behind it, with no substance behind it. 
Why do you go on avoiding it? 
The very fact of avoiding it so much seems to mean that you are still afraid, a little bit afraid of it – that if you use the word ”I”, maybe the ego will come back. So you are putting the ego away just by not using the ”I” that won’t help. It can come in the third person, Ram, too. It is so subtle.’
 
 
 
First the society needs to create an ego in you 
because then it can manipulate you, manage you, very easily. 
 
How does it happen? 
 
Once the ego is created, 
it becomes possible to manipulate the child. 
 
Then you can tell him that he has to come first in the class. 
 
If he has no ego you cannot create ambition in him. 
 
He will laugh at the whole idea. 
 
’Why first? 
Why me first, why not others? 
What is wrong if somebody else comes first?’
 
Small children don’t see the point because they still don’t have crystallised ideas of egos. 
A small child can come from the school and happily declare to the house, 
 
’I have failed again.’ 
 
He has not yet been poisoned. But sooner or later... how long can he survive without being poisoned? 
 
The whole system of education is a subtle trick to create the ego, hence so much competition, ambition – be the first, come at the top of the list, become a gold medallist.
 
And that goes on and on. 
 
It doesn’t end with school, it goes on. 
Even old people are hankering for rewards, awards, Nobel prizes, and things like that. 
They are still childish.
 
Once the idea has entered into your bloodstream that ’I am’ then everything is possible. 
 
You can be made afraid that 
if you don’t do this you will lose, 
if you do this you will profit. 
If you do this you will succeed, 
if you do this you will fail. 
 
With the idea of the ego, fear of punishment and greed for profit become possible. 
This whole society exists in greed and fear.
 
Once a child has learned the ways of greed, then for his whole life he will be rushing after money or power or prestige. 
 
He will be losing his whole life in something absolutely non-essential. 
 
Money is not important, 
 
remember, 
money is important 
because you have got the idea of the ego.
 
Many people drop money, 
they renounce money. 
 
In India it happens that people renounce their money and they think they have renounced something really essential. 
 
It is nothing – because money is secondary. 
 
 
One never loves the money for money’s sake, 
one loves the money for the ego’s sake.  
 
 
You have one million dollars, your ego feels puffed up. You can renounce one million dollars and you can go to the Himalayas and you can still feel puffed up with the idea that 
 
’I have renounced a million dollars. Many people have a million dollars but how many renounce them?’ 
 
Now you are getting still higher. 
The very idea that very few people can renounce such a lot of money with such ease will make your ego a little bigger. 
 
So those who renounce have very subtle egos.
If you are a president of a country and you renounce it and you say, 
 
’Now I am going to become a sannyasin and I will go to the Himalayas and meditate’ 
 
– sitting there in a Himalayan cave you will still enjoy the idea that nobody has ever done that before. 
 
You renounced being president of a country – you are the greatest monk in the world. 
 
The ego has come, following you like a shadow. It will be there in your Himalayan cave too. You cannot escape from it so easily.
 
It is a subtle phenomenon. 
 
It needs much awareness to drop it. 
 
Just by running away you cannot drop it. 
 
How can you run away from yourself? 
 
And this mechanism is inside you, it is not outside. 
 
If it were outside, you could drop it – but it is inside you, it has become part of you. 
It is your very style. You have lived with it for so long that you don’t know how to live without it. So whatsoever way you choose to live, the ego will remain there hiding behind it.
 
The society needs it, 
the state needs it, 
the parents need it, 
the leaders, 
the politicians need it, 
the priest needs it 
– everybody needs the ego. 
 
Only you don’t need it. 
Only you become miserable because of it. 
Only because of it do you miss the kingdom of God.
 
So you have to be very, very alert, 
otherwise the whole society and the state and everybody is conspiring. 
They want you to have the ego.
 
You have to decide whether you want to go into this trip or you don’t want to go into this trip. 
You have to see what you have gained up to now by going into this trip. 
 
What is your gain? 
What joy has arrived? 
What bliss has happened? 
 
You can change. 
You can become the other-worldly person – who is not really so other worldly. 
You can say, 
 
’In this world there is nothing, this world is all nonsense. 
Death comes and everything is taken away. 
I will seek some eternal power.’ 
 
But it is still power....  
 
’This world’s money is not very significant. 
I will seek some other kind of treasure which is eternal, which will remain with me.’ 
 
Then again you become an egoist with new names – spiritual power, miraculous power.
 
There are three ways that the so-called spiritual man can fall into the same trap again. 
 
Either he becomes very knowledgeable – then he has the ego that 
’I know and I know much more than anybody else.’ 
 
Or he can become an ascetic. 
He can torture himself, 
he can be masochistic with himself. 
He can fast, 
he can start committing a slow suicide and 
he can tell the world, 
’I am the greatest mahatma. 
Look I have renounced all, even my body.’
 
Or the third way is that he can start using psychic energy as power. 
He can become a miracle monger. 
There are great energies in the psyche
They can all unfold. 
 
And when you start moving into deep meditations they start unfolding. 
 
The real spiritual man will not use them at all 
because he knows that that will be a trap and that trap will bring you back into the mire of the world. 
 
A real spiritual man never uses any power. 
If miracles sometimes happen around a real religious man they happen on their own. 
He is not the doer.
 
 
 
A man came to Jesus, touched his garments, was healed. 
He wanted to thank Jesus. 
He was thankful, he had been ill for years and the doctors had said that there was no remedy for him – and now he was perfect. He could not believe his own eyes. He fell at the feet of Jesus to thank him and Jesus said, 
 
’Man, you need not thank me at all.  
Thank God. 
In fact, thank yourself – it is your own faith that has healed you. I have nothing to do with it.’
 
This is the quality of the real spiritual man – if something happens he is not the doer. 
 
Yes, miracles happen but they are not done. 
 
And when a person starts doing them – like Satya Sai Baba and people – when a person starts doing them he is no longer spiritual, not at all. He has fallen to the status of a magician. Now there is nothing of spirituality left. Just as people want to show their money he wants to show his psychic powers. But the showman is there – so he is as much part of the show business as anybody else.
 
Around a spiritual man miracles happen, real miracles. 
 
These are not real miracles – that you can produce ash or you can produce a Swiss-made watch – these are not miracles, these are simple tricks. 
 
Around a really spiritual person real miracles happen – people transform, people change, people start attaining new spaces of being. 
People start moving into new dimensions of joy and life and eternity. 
People start being more loving and more compassionate. 
People start blooming. Fragrance arises. 
People start dancing. 
Their heart for the first time pulsates with celebration. 
These are real miracles. 
 
People start feeling that God is, 
people start trusting that God is. 
 
People start becoming aware of who they are. 
People start losing their sleepiness. 
Their eyes start opening. 
People become whole, 
no longer fragmentary, integrated. 
These are real miracles. 
 
These happen.
 
But they are not done; 
nobody is doing them. 
 
If somebody is there to do them ego still exists. 
And with the ego, the world; 
with the ego, all the darkness.
 
So you have to be alert. 
 
Nobody will be in favour of you dropping your ego. 
 
Your wife will not be in favour, 
your husband will not be in favour, 
your children will not be in favour 
– because once the husband drops the ego he has no ambition, 
so the wife will not feel good. 
 
The wife wants you to go on and on earning money, purchasing bigger and bigger houses, having more diamonds, more gold, more money in the bank, bigger insurance policies and all that.
 
If you lose the ego your ambition disappears. 
 
Then you are concerned with ambition no longer, 
then you are driving yourself mad no longer. 
 
Of course you will be healthy, 
but who bothers about a healthy husband? 
 
You will not have ulcers, that’s right, but wives are not interested in whether you have ulcers or not. 
They are interested in having a bigger house, two houses – one in the country, one in the city. 
They are more interested in you having a yacht, 
they are more interested in you having power and prestige and pull. 
If you have ulcers that is your business.
 
You will not have ulcers once the ego disappears. 
Ulcers will disappear. 
Ulcers are the footprints of ambition. 
You may not have cancer any more, 
the cancer may not be possible at all because cancer is chronic anxiety. 
 
When anxiety becomes too much for the body to tolerate, the body starts moving towards death. 
The body starts creating situations where it can die easily. 
 
Cancer is an effort to die – 
things have become unbearable, 
now there is no point in living. 
You want to die. 
 
Cancer simply shows your will to death. 
 
You may not be courageous enough to recognise it but your unconscious is helping you to die easily – that’s why there is no cure for cancer. 
 
The man has really lost his joy of life. 
He has lost his joy of life in futile things.
 
But wives are interested in having bigger houses, their own aeroplane – you can have cancer, that is okay, that you can af-ford. 
 
Children are also interested. 
They will drive the father mad.
 
And the husband is also interested that his wife should be beautiful – not that he loves his wife, 
she is a show-piece, he takes her around. 
He can brag around that he has the most beautiful wife in the world. 
He does not care for her a bit. 
He may not have seen her face for many years, 
while making love to her he may be thinking of other women or he may be lost in a thousand and one thoughts, 
but he wants the woman to remain young, 
he wants the woman to remain beautiful, 
he wants the woman to remain attractive 
so he can take her around the society. 
She is something that helps his ego.
 
The ego feels very hurt when you start moving with an ugly woman, naturally.
 
’So this is what you have got?’ 
 
There is no other interest; 
not at all in the person of the woman, 
only in the personality – and that too for worldly ends.
 
This is how things are. 
 
 
 
So if you start dropping your ego nobody is going to support you, nobody at all. 
 
 
 
Everybody will be against it because everybody’s interest is that you remain egoistic. 
 
Even people who teach you to be egoless – 
if you really drop the ego they will not feel very good, 
because then who are they going to teach to be egoless? 
 
Even the priest who goes on teaching you to be egoless will be disturbed if you really become egoless. He will not like the idea at all.
 
 
 
I have heard about a dog who was a kind of preacher. 
He used to preach to other dogs of the town that God has made the dog in his own image. 
 
’Look,’ 
 
he used to say, 
 
’even the word ”dog” is just made of the same letters as God. 
Just see – it is God in reverse. 
Just a question of changing the direction and the dog can become God.’
 
And it appealed to other dogs. 
Only one thing was difficult – he was very much against barking. 
 
Priests are always against some-thing which is impossible to stop. 
 
Now it is impossible for dogs to stop barking – that would be too much against their dog nature. 
They enjoy barking, that is their joy, that is their poetry, their dance, their celebration. 
 
When they feel happy, what else can they do? 
They bark. 
When it is the night of the full moon, they bark. 
Full moon night is a great celebration for dogs. 
They go almost mad. It is so beautiful – what else can they do?
 
He was against barking. 
Priests are very, very cunning in finding things which you cannot drop
 
They have found sex – you cannot drop it. 
 
They are against it. 
 
They have found taste – you cannot drop it. 
 
They are against it. 
 
They have found all those things which are difficult for you to drop
 
They are against them. 
 
You are not going to drop them and they will go on preaching to you, ’Drop them!’
 
He preached day and night. 
Wherever he found a dog barking he would immediately go and start preaching. 
The dogs were tired of it although they knew that he was right – it is useless to bark, they also knew it, there was no need to convince them. And he was very logical.
 
But one day they decided: 
 
’Our leader has grown so old and we have never given him any joy, at least for one night we should not bark.’ 
 
It was the great leader’s birthday so they thought, 
 
’This will be a good present. Let him be happy at least once. Tonight we are not going to bark at all.’ 
 
They decided.
 
It was a full moon night and it was very difficult. 
It was almost impossible. 
They were just lying down in dark holes, 
holding themselves somehow – in yoga postures. 
 
Repressing, repressing – and the more they were repressing, the more the bark came to their throats.
 
And the leader went around, and he looked, and not a single dog was barking. 
 
He became puzzled. 
What has happened? 
 
It was going to be a surprise gift, so nobody had told him. 
What has happened? 
Have dogs really changed? 
 
Then he became worried. 
 
’Then what will I do? 
If they have really stopped then my whole business has gone. 
Then what am I going to do?’ 
 
He went around. 
He trusted dogs’ natures; they would bark. 
 
He knew them very well. 
His whole life he had been teaching and nobody had stopped barking. 
Sometimes he would find a few disciples who would stop for one or two days and then they would escape. They would say, 
 
’This is too much. We don’t want to go to God. Please let us remain dogs.’
 
But what has happened? 
A miracle? 
 
He went around and around and he saw that dogs were not even visible and nobody was barking. And he could not teach. 
And it was getting late, it was the middle of the night, and for the first time he himself felt a great urge to bark. 
 
In fact, it had not been felt before because he had to talk so much – morning, evening, night – that there was no energy left to bark. 
 
For the first time he had not found a single disciple to teach.
 
The energy accumulated – and a great urge to bark arose. 
 
He was surprised because he had not barked for many years. He had almost forgotten how to bark. A great thrill came to him. And he said, 
 
’No dog is here why should I not try? 
What is wrong in it?’ 
 
– and all those kinds of thoughts that come to everybody. 
 
’Once it is okay. It can’t be such a sin. Not all dogs are going to hell.’ 
 
He knew that it was natural, but he had lived such an unnatural life, the life of a priest.
So he went into a dark corner in a street and started barking. 
 
The moment he started barking, suddenly there was a great explosion all over the town. 
All the dogs started barking. 
 
Everybody was boiling within. 
And when they saw that one had broken the vow they thought that it was somebody from amongst themselves – they could not think that the priest would do this. 
That was impossible. 
They had known him for years. 
Somebody had broken the vow so there was no need to repress any more. 
The whole town exploded into barking. 
It had never been like that!
 
And then out came the leader and started teaching them again that this was not good – 
 
’It is only because of barking that we are not kings of the world, otherwise we would be the kings of the world. Just this one thing is destroying our potential. ’
 
Priests who go on telling you to drop your egos won’t be very happy if you drop them – because the moment you drop your egos you will be beyond the control of the priest.
 
So you will have to move into this direction alone, all alone. 
 
Nobody will be helping you and everybody will be against you.
 
But unless you understand that the ego is your hell you cannot be blissful. 
 
 
Now this beautiful story.
 
 
HASAN CAME UPON RABIA ONE DAY WHEN SHE WAS SITTING AMONG A NUMBER OF CONTEMPLATORS AND SAID. 
 
 
Rabia el Adawiya is one of the rarest women in the whole human history
 
There are only a few names that can be compared to Rabia, but still she remains rare, even among these few names – Meera, Theresa, Laila. 
 
These are the few names. 
But Rabia still remains rare. 
She is a KOHINOOR, the most precious woman ever born. 
Her insight is immense.
 
Hasan is also a famous mystic but on a very much lower scale. 
 
And there are many stories about Hasan and Rabia.
 
 
 
One day Rabia is sitting inside her hut. 
It is early morning, and Hasan comes to see her. And the sun is rising and the birds are singing and the trees are dancing. It is a really beautiful morning.
 
And he calls forth from the outside, 
 
’Rabia, what are you doing inside? 
Come out! 
God has given birth to such a beautiful morning. 
What are you doing inside?’
 
And Rabia laughs and she says, 
 
’Hasan, outside is only God’s creation, 
inside is God himself. 
Why don’t you come in? 
Yes, the morning is beautiful, but it is nothing compared with the Creator who creates all the mornings. 
Yes, those birds are singing beautifully, but they are nothing compared with the song of God. That happens only when you are within. 
Why don’t you come in? 
Are you not yet finished with the without, with the outside? 
When will you be able to come in?’
 
Such stories, small, but of tremendous significance....
 
 
 
One evening people saw her searching for something on the street in front of her hut. 
They gathered together – the poor old woman was searching for something. They asked, 
 
’What is the matter? 
What are you searching for?’ 
 
And she said, 
 
’I have lost my needle.’ 
 
So they also started helping.
Then somebody asked,
 
’Rabia, the street is big and night is just descending and soon there will be no light and a needle is such a small thing – unless you tell us exactly where it has fallen it will be difficult to find.’
 
Rabia said, 
 
’Don’t ask that. 
Don’t bring that question up at all. 
If you want to help me, help, otherwise don’t help, but don’t bring up that question.’
 
They all stopped – all those who were searching – and they said. 
 
’What is the matter? 
Why can’t we ask this? 
If you don’t say where it has fallen, how can we be of any help to you?’
 
She said, 
 
’The needle has fallen inside my house.’
 
They said,
 
’Then have you gone mad? 
If the needle has fallen inside the house why are you searching here?’
 
And she said, 
 
’Because the light is here. Inside the house there is no light.’
 
Somebody said, 
 
’Even if the light is here, how can we find the needle if it has not been lost here? 
The right way would be to bring light inside the house so you can find the needle.’
 
And Rabia laughed, 
 
’You are such clever people about small things. 
When are you going to use your intelligence for your inner life? 
 
I have seen you all searching outside and I know perfectly well, I know from my own experience that that which you are searching for is lost within. 
 
The bliss that you are searching for, you have lost within – and you are searching outside. 
 
And your logic is that because your eyes can see easily outside, and your hands can grope easily outside, because the light is outside, that’s why you are searching outside.
 
’If you are really intelligent,’ 
 
Rabia said, 
 
’then use your intelligence. 
why are you searching for bliss in the outside world? 
Have you lost it there?’
 
They stood dumbfounded and Rabia disappeared into her house.
 
 
 
So many stories like that – of immense insight.
 
 
This story is also beautiful.
 
 
HASAN CAME UPON RABIA ONE DAY WHEN SHE WAS sitting AMONG A NUMBER OF CONTEMPLATORS.
 
 
Contemplation in Sufism IS JIKR; 
it means people sitting in deep remembrance of God – 
not repeating any name, 
not saying anything verbally, 
not even using a mantra, 
just sitting silently, absorbing. 
 
And when you are around a mystic saint like Rabia, what else can you do? 
 
The fountain is flowing, you can drink as much as you want. 
 
They must have been drinking the energy that Rabia was, 
they must have been drinking the light, 
they must have been drinking the silence, the presence. 
 
That’s what contemplation is in Sufism.
 
The English word does not connote the right meaning. 
 
Contemplation in English means thinking, contemplating. 
 
In Sufism it does not mean thinking at all. 
 
Those people were not sitting there thinking about something. 
They were not thinking at all, 
they were simply being there – what in India we call satsanga, just being in the presence of the Master. 
 
One is not doing anything in particular, 
one is just in the presence, open, ready to receive, with no idea of what is going to happen, with no expectation either, just open. 
 
If something comes from the Master one is ready to receive it.
 
The BARAKA, the grace, is always flowing from the Master. 
 
If you are ready you will receive it. 
If you are open you will be filled by it. 
If you are closed you will miss it. 
 
The Master’s very existence is a BARAKA, a grace. 
 
Vibrations are constantly spreading around his being. 
 
And it is not only that you have to be in the physical presence of the Master. 
 
If you love, 
then you can be on another planet and it will not make any difference. 
 
You can drink from your Master’s fountain wherever you are.
 
 
 
This is the fountain Jesus talks about. 
One day he comes upon a well. 
He is tired. 
And he asks a woman who is drawing water from the well, 
 
’I am thirsty, give me some water to drink.’ 
 
And the woman looks at him and she says, 
 
’But I come from a very low stratum of the society and I think people don’t like even to touch us. And my pots and my hands have already touched the water.’ 
 
Jesus laughs and he says, 
 
’Don’t be worried. Give me your water. 
If you give me your water I Will also give you some water. 
I will give you some water – water of such quality that your thirst will be quenched forever.’
 
The woman looked at Jesus.
It was so sudden, this statement – she was taken aback. 
 
The statement was so sudden, so absurd, that it must have broken her sleep a little. 
 
And when a Jesus, a man like Jesus, asks a woman at the well to give him a little water, it is not really that he asks for some water for himself – he simply wants to make a contact with this woman.
 
In fact, a man like Jesus needs nothing from you. 
 
Even if sometimes he asks for something from you it is just in order to give to you, it is just in order to give you something, something immensely valuable.
 
And the woman understood it. 
She bowed down and touched the feet of Jesus and she ran into the town and she called to everybody in the town, 
 
’Come, I have been drawing water from the well for my whole life and I have come across a man who has quenched my thirst forever. Just looking into his eyes it has happened. Come and see this man!’
 
The woman became an apostle, 
she became a messenger. 
 
The very presence of Jesus, 
just a look into his eyes, 
transformed the quality of the woman. 
 
She became awakened.
 
In Zen this kind of awakening is called SATORI.
 
 
 
When Rabia is sitting with a few meditators.... 
 
It would be better to call them meditators rather than contemplators. 
 
Even the word ’meditator’ is not very good because, again, in English that means thinking – to meditate upon. 
 
In English you don’t have a term to translate DHYANA into because nothing like that has existed in the West – only thinking, concentration, meditation, contemplation, nothing like DHYANA. 
 
DHYANA means a state of no mind; 
DHYANA means sitting silently doing nothing; 
DHYANA means a gap, a thoughtless gap, an interval where no thought is moving. 
 
When thoughts are not moving, 
the Master can move in you. 
 
When thoughts have stopped, even for a single moment, suddenly the energy of the Master rushes towards you. 
That is called BARAKA.
 
 
HASAN CAME UPON RABIA ONE DAY WHEN SHE WAS SITTING AMONG A NUMBER OF CONTEMPLATORS, AND SAID, 
’I HAVE THE CAPACITY OF WALKING ON WATER. COME, LET US BOTH GO ON TO THAT WATER YONDER, AND SITTING UPON IT, CARRY OUT A SPIRITUAL DISCUSSION.’
 
 
Now this is absolutely stupid of Hasan. 
But he was a man like Satya Sai Baba. 
He was more interested in power trips. 
He must have learned how to walk on water, now he wanted to show it to Rabia. 
 
He wanted to have some certificate from Rabia. 
He wanted Rabia to recognise that he had become a great mystic or something. 
He had not seen the people who were sitting there, 
he had not seen what they were doing there. 
He was more interested in showing some power that he had attained.
 
 
 
 
When powers start happening in your spiritual growth, the greatest courage is needed not to show them.
 
 
 
It is said of a disciple of Rinzai, a Zen Master, that some other religious Master’s disciple was talking to him and the other Master’s disciple.  He said, 
 
’Our Master is a man of miracles. 
He can do anything he wants
I have seen many miracles he has been doing, I have witnessed them myself. 
What is the great thing about your Master? 
What miracles can he do?’
 
And the disciple of Rinzai said, 
 
’The greatest miracle that my Master can do is not to do miracles.’
 
 
 
Meditate on it. 
 
’The greatest miracle my Master can do is not to do miracles.’ 
 
When miraculous powers start happening, 
only the weaklings will do them. 
 
The stronger one will not do them 
– because he knows that now this is another trap. 
 
Again the world is trying to pull him back.
 
This is the last trap.
 
If you can avoid psychic energies, silently, witnessing, 
if you can pass them by without being entangled by them, without being imprisoned by them, 
only then do you arrive home. 
 
It is a great ensurement.
 
 
 
 
This Hasan must have stumbled upon them, now he wants to show them. Naturally he must have come to Rabia, the greatest mystic of those days.
 
 
’I HAVE THE CAPACITY OF WALKING ON WATER. COME, LET US BOTH GO ON TO THAT WATER YONDER...’
 
 
And he may be thinking deep inside that maybe even Rabia does not have this power.
 
 
’... AND SITTING UPON IT, CARRY OUT A SPIRITUAL DISCUSSION. ’
 
 
Now there is no possibility of any spiritual discussion ever. 
 
Spirituality knows nothing of discussion. 
 
Spirituality knows of dialogue but it knows nothing of discussion. 
 
Spirituality knows no argument. 
 
Sufism has no argument in it. 
It has knowledge but it has no argument in it. 
 
A Master can share what he knows, but there is no discussion in it.
 
While I was travelling in India for many years it used to happen almost every day. 
 
People, knowledgeable people, would come – pundits, scholars, learned men – and they would say, 
 
’We want to discuss something with you.’ 
 
And my response was always, 
 
’If you know, you tell me, share with me. I will be happy and glad to receive it. If you don’t know, then I know something. I can share it with you. Then receive it. If we both know then there is no need to talk at all. If we both don’t know, what is the point of talking?
 
Discussion is meaningless. 
 
These are the only possibilities: 
either we both don’t know, 
then we can go on arguing and 
argument will not bring any conclusion. 
 
That’s how man has argued down the ages – great argumentation, to no end. 
Or, we both know, then there is no point in saying anything.’
 
 
 
Kabir and Farid, two mystics, met, and sat silently for forty-eight hours. 
Not a single word was uttered, not a single word! 
There was no need. 
Both looked into each other’s eyes and found the same reality. 
 
Yes, that will happen;
If Jesus comes to meet Buddha, that will happen. 
 
If Zarathustra comes to see Lao Tzu, that will happen. 
 
What is there to say? 
 
You know, the other knows, there is no way to talk, there is nothing to talk about.
 
The third possibility is that one knows and one does not know, then whosoever knows.... 
 
That has been my approach. 
 
I used to say to people, 
 
’If you know, just tell me. I will receive it. 
If you don’t know, then don’t be foolish and argue. 
I am ready to share whatsoever I know, then you receive it. 
But I don’t see that there is any point in discussion.’
 
 
 
This Hasan must be an egoistic fellow. 
 
First he wants to show the miraculous power he has attained, 
next he wants to discuss. 
 
Truth is. 
 
You cannot argue about it. 
Either you know or you don’t know. 
 
There is no other way. 
These are the only two simple alternatives – either you know or you don’t know. 
 
If you know, you know; 
if you don’t know, you don’t know.
 
 
RABIA SAID, 
’IF YOU WISH TO SEPARATE YOURSELF FROM THIS AUGUST COMPANY, WHY DO YOU NOT COME WITH ME, SO THAT WE MAY FLY INTO THE AIR AND SIT THERE TALKING?’
 
 
She must have seen the foolishness of this man. 
She must have seen the ego functioning in this man. 
He had stumbled upon a toy. 
It happens always – when you stumble upon a toy you think you have come upon truth.
 
 
 
It happened in Ramkrishna’s time.... 
 
He had a disciple, Vivekananda, who felt great power the first time he had a satori. 
 
And in the ashram of Ramkrishna there was a very simple innocent man whose name was Kalu. 
 
He was so innocent and so simple, so childlike, that Vivekananda used to tease him always. 
 
Vivekananda was an intellectual type, argumentative. 
 
And this Kalu was a simple villager.
 
 
And he used to worship. 
His room was a temple and in his room there were hundreds of gods – in India you can purchase as many gods as you want. 
Any stone can become a god. 
You just put red colour on it and it becomes a god. 
 
So he had almost three hundred gods in his small room. 
There was no space left even for him to sleep. 
And these three hundred gods he had to worship every day; it used to take six to eight hours. 
 
By the evening he was finished with the worshipping, then he would take his food.
 
Vivekananda was always saying, 
 
’This is stupid, this is foolish. 
You throw all these gods in the Ganges. 
Be finished. 
This is nonsense. 
The god is within.’ 
 
But Kalu was such a simple man that he said, 
 
’I love those stones. 
They are beautiful. 
Don’t you see this stone? 
See how beautiful it is. 
And I have found it by the Ganges; the Ganges has given it to me. 
Now how can I throw it back into the Ganges? 
No, I cannot do that.’
 
The day Vivekananda attained his first satori, 
he was sitting in another room just close by Kalu’s room. 
 
With the first power rush the idea came into his mind that Kalu must be worshipping still. 
It was afternoon but he must be worshipping. 
 
So just to have fun he thought of an idea, 
he projected an idea into Kalu’s mind from his room – 
 
’Kalu, now take all your gods and throw them into the Ganges.’ 
 
He felt that the power was there. 
He could project the thought and it would be received.
 
Ramkrishna was sitting outside. 
He saw this whole game – what Vivekananda had done. 
 
He must have seen the thought being projected. 
But he waited. 
 
Then Kalu came out with a big bundle; 
he was carrying all the gods in one big bag. 
 
Ramkrishna stopped him and he said, 
 
’Wait, where are you going?’ 
 
Kalu said, 
 
’An idea came into my mind that this is foolish. 
I am going to throw all these gods away. 
I am finished.’ 
 
Ramkrishna said, 
 
’You wait. Call Vivekananda.’ 
 
Vivekananda was called and Ramkrishna shouted very angrily and said, 
 
’Is this the way to use power?’ 
 
And he told Kalu, 
 
’You go back to your room, put your gods back in their places. 
This is not your idea, it is Vivekananda’s.’
 
Then Kalu said, 
 
’I felt as if somebody was hitting me like a stone, as if it had come from the outside, but I am a poor simple man, I didn’t know what was happening. 
And the idea took such possession of me and I was trembling with fear – ”What am I doing?” But I was almost possessed.’
 
Ramkrishna was so angry with Vivekananda that he said, 
 
’Now, I will keep your key. 
You will only receive this key just before you are dying, just three days before. 
You will never have any more satoris again.’
 
And this is how it happened. 
 
Vivekananda didn’t have another satori again. 
 
He cried and wept for years but he didn’t, he could not have. 
He tried hard. 
 
And then Ramkrishna died. 
When Ramkrishna was dying he was crying and saying to him, 
 
’Give my key back.’ 
 
And Ramkrishna said, 
 
’You will get it just three days before you die – because you seem to be dangerous. 
Such power cannot be used in such a way. 
You are not pure enough yet. 
You wait. 
You go on crying and you go on meditating.
 
And exactly three days before Vivekananda died he had another satori. 
 
But then he knew his death had come, 
only three days were left.
 
 
 
This Hasan thinks he has attained a great power. 
 
Rabia is joking. 
Rabia says:
 
 
’IF YOU WISH TO SEPARATE YOURSELF FROM THIS AUGUST COMPANY, WHY DO YOU NOT COME WITH ME SO THAT WE MAY FLY INTO THE AIR AND SIT THERE TALKING?’
 
HASAN SAID, 
’I CANNOT DO THAT, FOR THE POWER WHICH YOU MENTION IS NOT ONE WHICH I POSSESS.’
 
 
Remember, 
you can possess power 
but you cannot possess God – so power can never be spiritual. 
 
With God you have to be possessed by him, 
you cannot possess him. 
 
If you possess something then the ego will be there. 
 
Who is this one who claims that ’I possess’? 
 
’I possess money, 
I possess a political post, or 
I possess spiritual power’ – 
but the ’I’ continues to possess. 
 
The ’I’ is possessiveness. 
 
Through possessiveness the ego exists. 
 
That’s why the ego goes on possessing. 
 
It wants to possess as much as possible. 
It wants to possess the all. 
 
It is never satisfied. 
 
Whatsoever you possess, the moment you possess, it becomes meaningless. 
 
Your hankering for more... it is always for more. 
 
You can possess the whole world and still you will be hankering for more.
 
 
 
It is said that an astrologer once saw Alexander’s hand and by seeing his hand he said, 
 
’One thing, sir, I have to tell you. 
You will be victorious and you will become the emperor of the whole world, 
but remember, there is only one world to win.’ 
 
And it is said that Alexander became very sad with the idea that there is only one world to win. 
 
Then what will he do? 
What will happen to that more, that mind that continuously hankers? 
 
He has not yet been victorious – there is just an idea that one day he will be victorious and he will be the emperor of the whole world. The astrologer said, 
 
’But then you will be in difficulty because there is only one world, sir, 
so what will you do then? 
Where will you project your more? 
Where will you put your hope
How will you desire? 
Without desire you will be stuck.’
 
This is how it goes on. 
 
You can possess, and then there is the more.
 
 
 
Immediately Rabia made him aware that he did not possess the power to fly in the air
 
He immediately felt inferior. 
 
Now that bragging was no longer there. Suddenly he was back on the earth. 
He said, 
 
 
’CANNOT DO THAT, FOR THE POWER WHICH YOU MENTION IS NOT ONE WHICH I POSSESS.’ 
 
 
He had become poor again. 
 
Rabia punctured his balloon just by creating ’more’ in it. 
 
The same was done by the astrologer. 
He must have been a very, very wise man. 
He punctured Alexander – there was no other world.
 
 
 
It is said that in the great Emperor Akbar’s time there was a great wise man, Beebal. 
 
One day the great Emperor came into his court, drew a line on the wall and said to his courtiers, 
 
’You have to do something. 
Find a way to make this line that I have drawn on the wall smaller – but you are not allowed to touch it. It has to be made smaller without touching it.’
 
It looked impossible. 
How to make it small if you can’t touch it? 
 
You could make it small by touching, by reducing it. 
 
And then came Beebal and he drew another line just below it, a bigger line, without touching the first line, and it became small – comparatively, relatively.
 
What is small? 
 
Nothing is small in itself and 
nothing is big in itself. 
It is all comparative.
 
 
 
Rahia drew a bigger line. 
She said, 
 
’If you really want to do it then we should go into the air.’ 
 
She drew a big line. 
 
Hasan must have felt very poor. 
 
In that moment the ego could not brag. 
He felt hurt. He said, 
 
’That power I don’t possess.’
 
 
RABIA SAID, 
’YOUR POWER OF REMAINING STILL IN THE WATER IS ONE WHICH IS POSSESSED BY FISH. ’
 
 
It is nothing very valuable – otherwise all fish would be spiritual saints.
 
 
’MY CAPACITY OF FLYING IN THE AIR CAN BE DONE BY A FLY.’
 
 
So that too is not much otherwise all stupid flies would be great Buddhas.
 
 
’THESE ABILITIES ARE NO PART OF REAL TRUTH – THEY MAY BECOME THE FOUNDATION OF SELF-ESTEEM AND COMPETITIVENESS, NOT SPIRITUALITY.’
 
 
This is a great lesson to be remembered. 
 
If anything of competition enters your mind, 
you are falling away from God – because with competition ego is created. 
 
Competitiveness is nothing 
but an effort to create the ego.
 
Yes, you can have great self-esteem, 
but the greater your self-esteem is, 
the farther away you are from the universal self. 
 
The greater you think you are, the farther astray you have gone. 
 
And remember, 
I am not saying that you should start saying, 
 
’I am very small, 
I am just the dust underneath your feet.’ 
 
No, I am not saying that – because again that is a claim.
 
A real spiritual man has no idea of whether he is big or small, he has no idea at all.
 
 
 
When the Emperor Wu asked Bodhidharma, 
 
’Who are you?’ 
 
Bodhidharma said, 
 
’I don’t know.’ 
 
This is a spiritual answer. 
 
’I don’t know.’ 
 
Great silence. 
Indefinable silence. 
Utter silence. 
 
’I don’t know.’ 
 
The man of spirituality does not know who he is. 
 
There is no way to define. 
 
In fact, he is no more. 
He has become part of the whole, 
 
he has disappeared into this great orchestra. 
He is a simple note in this great rich orchestra. 
 
He is just a small colour in this colourful existence. 
 
He is no more separate. 
 
He is not and he possesses nothing – neither power of this world nor power of the other world. 
 
 
 
He possesses nothing. 
 
He is possessed by God.
 
 
 
That’s why Sufism insists on surrender. 
 
Surrender and be possessed by God. 
 
Don’t try to possess God, 
don’t try to grab God. 
 
Many start with that idea – that they have to possess God. 
 
Many seekers move with this tremendous ego: 
that they have to search, their ego is at stake. 
 
But they will never find. 
 
You can find God only when you have disappeared. 
 
When the seeker is no more, suddenly only God is left. 
 
And then you start laughing – because God has always been there. 
 
Just because you were so much of a seeker, 
you were so full of yourself, 
you could not see him. 
 
He has always been there. 
He is the reality. 
 
You cannot possess him. 
You cannot have God in your first. 
 
If you have a fist you will go on missing him. 
 
You can have him only with open hands. 
 
He is there when your heart is like an open hand and not like a fist. 
 
Then you have him. 
 
Then only he is.
 
 
 
This is a great lesson to be remembered. 
 
 
 
You have to understand the ways of the ego. 
 
This Hasan has fallen into a subtle trap of the ego again. 
He has left the world, now he possesses spiritual power..Now he can walk on the water.
 
 
 
Once a man came to Ramkrishna. 
He was a great yogi. 
 
And he declared the same thing to Ramkrishna. He said, 
 
’Can you walk on the water? I can.’ 
 
And Ramkrishna laughed and he said, 
 
’What is the point of it? 
How much effort and 
how much energy and 
how much time did you have to waste to learn this?’ 
 
He said, 
 
’Eighteen years. ’ 
 
Ramkrishna said, 
 
’This is foolish. 
Just by giving two paise to the boatman he takes me to the other side. 
Just for a thing worth two paise – eighteen years! Are you stupid or something?’
 
 
 
This has always been the approach of a real spiritual man like Ramkrishna or Rabia. 
 
What is the point? 
 
Even if you can walk on the water, what is the point of it? 
 
How is it relevant to your life problems I How is it going to help you? 
 
How is it going to make you more happy? 
 
Just by walking on the water, will you become happy? 
 
So why are you not happy while you are walking on the earth? 
 
Just by flying in the air, will you become happy? 
 
Who is preventing you? 
 
Right now why can’t you become happy?
 
 
This is not the spiritual approach, 
this is the egoistic approach. 
 
 
Beware of the ego 
because the ego is the only wall between you and God.
 
 
 
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sammasatiサマサティ
right remembrance
正しく想起する。
 
 
『The last word of Buddha was, sammasati. 
 Remember that you are a buddha – sammasati.』
 
 
瞑想と愛 meditation & love
 
 
 
 
花仙人
 
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まぼろしの森 Immanent Grove

まぼろしの森 Immanent Grove
 
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アメリカのオレゴン Oregon ポートランド Portland のご自宅で
先月の1月22日に88歳で静かに他界された作家の
アーシュラ K. ル・グィン Ursula K. Le Guin さんは
家事をしているときが1番楽しいと言う
1人の妻、母親として生きながら
地球だけでなく
宇宙のあらゆる時代と場所のさまざまな出来事を
時間と空間を自由自在に移り動き旅をしながら
見てきたままを
ファンタジーとサイエンス フィクションの物語として書いて分かち合ってくれました。
 
 
たくさんある作品の中でも
子供のころから大好きだった物語は
アーシュラが見たことをそのまま書いたと言う
アースシー Earthsea の世界を
30年以上にも渡り6冊の本にして分かち合ってくれた物語です。
 
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A Wizard of Earthsea 1968
The Tombs of Atuan  1970
The Farthest Shore  1972
Tehanu  1990
Tales from Earthsea  2001
The Other Wind  2001
 
The Daughter of Orden 2014
 
 
1巻から6巻で完結するまでに33年間
 
さらにショートストーリーの
The Daughter of Orden の物語まで含めたら46年間。
 
 
わたしは言葉によるコミュニケーション communication 伝達が不得意なのですが
不思議とアーシュラの本は
文字を読むと
同時に
アーシュラが見たままのことが
映画の動画のようにカラー映像で音もあって
わたしにも見えて聞こえるのです。
 
ですから
言葉以上のものまでが
とてもリアルに伝わってくる感じです。
 
そんなわけで
本を読みながら
アーシュラの描いてくれた地図を何度も見ながら
自分もアースシー Earthsea の世界を旅しているような
冒険のようなワクワク感が湧き起こります。
 
 
アーシュラが見たままのアースシー Earthsea 全体を
細かく丁寧な地図として描いてくれた世界は
島々が生まれるもっと古くからある海と
その海から島々を持ち上げたセゴイ Segoy が
”太古の言葉”または”天地創造の言葉”で名付けることで
あらゆるものを存在させたことから始まりました。
 
 
アーシュラはそんな始まりからの
アースシー Earthsea の世界の
長い長い歴史をいろいろな視点から見たままを語ってくれています。
そして同時にさまざまなことをも語っていて
それは一言でポンと”こうです”と言えるようなものではない
奥深く広大な物語となっています。
 
 
そしていつのまにか
アースシー Earthsea の世界と
今住んでいる地球の世界との
「同じこと」や「違うこと」にも気づいていきます。
 
 
 
 
 
アーシュラはこの物語をとおして
あらゆることを語っていますが
その中の1つに
”言葉 language” というものについて
深く掘り下げて書いています。
 
 
セゴイ Segoy がアースシー Earthsea の島々を創った create ときの
”太古の言葉 The Old Speech”
または
天地創造の言葉 Language of the Making”
 
 
アースシー Earthsea の世界での
”言葉 language”のことを話すためには
まず竜 dragon と 人間 human being について話さなくてはなりません。
 
 
 
地球にも同じような伝説が各地に残っている
竜 dragon と 人間 human being のこと…
 
 
 
アーシュラが見た
アースシー Earthsea の世界では
はじめは
竜 dragon と 人間 human being は同じだったそうです。
竜人間だったそうです。
 
しかし
 
ある時から
竜 dragon と 人間 human being は
2つに分かれて生きるようになったそうです。
 
生き方の選択が違う2組に”分割 devide ”したことから
1つで同じだったものは
2つの竜 dragon と 人間 human being に分かれたのだそうです。
 
 
それは
 
 
竜 dragon は
物を所有しなくて
翼を選び自由に空を生き
(竜は光や火を食むのだそうで
生き物の肉などは食べないそうです。)
〈 所有しない生き方 〉
 
人間 human being は
物をつくり所有し
土地を欲しがり所有し
翼を失い歩くことを選び
自由を失いました。
〈 所有する生き方 〉
 
そうして
 
竜 dragon は西の方で住み
人間 human being は東の方で住むようになり
一緒には住まなくなりました。
 
 
 
この”分割 devide ”は
セゴイ Segoy がアースシー Earthsea の島々を創った create ときの
天地創造の言葉 Language of the Making”である
”太古の言葉 The Old Speech”では
”verw nadannan ヴェル・ナダンナン”
と言うそうです。
 
”分割 devide ” ”verw nadannan ヴェル・ナダンナン”
 
 
 
そしてアースシー Earthsea の世界では
 
”言葉 language” は生まれながらにして
竜 dragon のものですが
人間 human being のものではないのだそうです。
 
 
竜 dragon の話すその”言葉 language” は
セゴイ Segoy がアースシー Earthsea の島々を創った create ときの
天地創造の言葉 Language of the Making”である
”太古の言葉 The Old Speech”
と呼ばれているものです。
 
真の言葉とも呼ばれたりしています。
 
 
竜 dragon は生まれながらにして
誰からも教わることなく
学ぶこともなく
言葉を知っているのですが
 
人間 human being は生まれたときには
まだ言葉を知りませんから
誰から教わったり
学んで
言葉を知っていくしかありません。
 
 
ですから
人間 human being は自分たちが話す言葉をつくり使うようになりました。
 
 
さきほどの
”分割 devide ” という言葉は人間の言葉であり
 
”分割 devide ” は竜が話す”太古の言葉 The Old Speech”では
”verw nadannan ヴェル・ナダンナン”と言います。
 
 
”石 stone” は人間の言葉であり
 
”石 stone” は竜が話す”太古の言葉 The Old Speech”では
talk トーク”と言います。
 
 
 
しかしときどき
人間 human being の中でも
竜 dragon と1つだったときのことを覚えているかのように
その”太古の言葉 The Old Speech”を生まれながらにして知っている者もいるそうです。
 
そういう稀な人も他の人と同じように
人間の言葉は
生まれた後から
教わり学び知っていきます。
 
 
そういう稀な人たちによって
”太古の言葉 The Old Speech”は
文字として書いて残されることになりました。
 
 
なぜなら
竜 dragon は文字を持たないからです。
 
人間 human being は文字をつくり持ちます。
 
 
ですから
生まれながらにして
”太古の言葉 The Old Speech”を知らない人であっても
知りたいならば
”太古の言葉 The Old Speech”を
”文字”として書きのこした知識を
見て読んで聞いて学んで覚え話すことはできるようになれます。
 
 
”太古の言葉 The Old Speech”で
人間 human being は竜 dragon と会話ができるのです。
 
 
また”太古の言葉 The Old Speech”は
竜 dragon とだけでなく
セゴイ Segoy がアースシー Earthsea の島々を創った create ときの
あらゆる存在 existence と会話ができる
共通の言語 language でもあります。
 
 
 
 
 
アースシー Earthsea の世界では
宗教 religion は存在していませんが
魔法 magic が存在しています。
 
 
人間 human being が
魔法の呪文をとなえるときは
”太古の言葉 The Old Speech”を使います。
 
なぜなら
 
魔法は人間がつくった言葉を使っても
魔法がかからないからです。
 
”太古の言葉 The Old Speech”を使えば
魔法はかかるのだそうです。
 
 
セゴイ Segoy がアースシー Earthsea の島々を創った create ときの
天地創造の言葉 Language of the Making”であり
竜 dragon の話す
”太古の言葉 The Old Speech”は
力 power を持っている…
ということです。
 
その力 power を”太古の力 Old Powers”と言ったりします。
 
 
というわけで…
 
 
アースシー Earthsea の世界では
生まれながらにして
”太古の言葉 The Old Speech”を知っている人間は
その言葉を使い魔法を使うことができます。
 
だからといって
そういう稀な人達全てが魔法使いになりたいわけではなく
その言葉や魔法を使わず
普通に暮らす人達もいるようです。
 
 
また
生まれながらにして
”太古の言葉 The Old Speech”を知らない人間が
魔法使いになるためには
”太古の言葉 The Old Speech”を
たくさん覚えなくてはならない
ということです。
 
 
もちろん
全ての人間が
”太古の言葉 The Old Speech”を覚えたからといって
魔法が使えるようになるか…
といえばそうでもなかったりします。
 
”太古の言葉 The Old Speech”は
生まれながらにして知らなかったとしても
やはりなにかしら
魔法を使える才能を生まれながらにして持っている者たちだけが
”自身の魔法の才能”と”その言葉を学び知った”
両方がうまく交ざり使えて
はじめてちゃんとした魔法が使えるようになれるようです。
 
 
 
 
 
生まれながらにして魔法の才能を持った人達が
ちゃんとした魔法使いになるための魔法学校が
アースシー Earthsea の世界にある
ローク Roke 島にあります。
 
 
このロークの魔法学校では
魔法使いになるために
”太古の言葉 The Old Speech”を
何年もかけて学び覚えます。
 
 
”太古の言葉 The Old Speech”は
力 power を持っていますから
魔法がかかってしまいますから
何も考えないで
好き勝手に使うと
宇宙の自然界の均衡(バランス(中庸)balance)を壊してしまい
世界は大変なことになります。
 
 
ちゃんとした魔法使いになるためには
魔法の呪文に使うための
”太古の言葉 The Old Speech”を覚えるだけではなく
 
自分が使った魔法により
宇宙の自然界の
バランス(中庸)balance を壊して
アンバランス(偏り)unbalance にしないためにも
宇宙全ての自然界についても学ぶことが必要になります。
 
 
たとえば
雨降りの中で働きたくないなと思い
今ここで雨が降るのを止める魔法を使う…
するとその魔法を使ったがために
ここ以外のある場所で雨が降る必要がないのに
雨が降ってしまい水災害が起こり
家や畑が流されてしまう…
などは悪い魔法の使い方です。
 
 
魔法を使う場合は
宇宙全体の均衡(バランス(中庸)balance)が
壊れないようにしなくてはならないのです。
 
 
全体の1部分だけを見て
その1部分だけの問題を解決しようとして
その1部分だけに手を加えた結果
その1部分以外のあちらこちらに被害の影響が起こってしまい
問題は1部分だけではなくなってしまった…
問題は全体に広がってしまった…
 
 
これではただの破壊大魔王のトラブルメーカーです(・_・;…
 
 
その1部分だけの問題を解決するためには
全体 whole をよく見て
全体 whole とのバランス(中庸)balance をとりながら
その1部分の問題を解決するようにすると
問題は広がらず
その1部分の問題もちゃんと解決されます。
 
そんなふうにして
その1部分の問題が解決されたことで
全体 whole のバランス(中庸)balance がとれて
全てが調和した状態になる
ことにもなります。
 
 
これは賢いやり方ですd(^_^o)
 
 
魔法だけでなく
なんでも同じことですよね(-_^)
 
1部分だけではなく
全体 whole のバランス(中庸)balance を
見ることの大切さ。
 
 
人間の病気を治すためには
病気のその1部分の患部だけを診るのではなく
その病気を持つ患者その人全体をよく見て知ることでしか
その1部分の患部の病気を治すことはできません。
 
なぜなら
肉体はバラバラに切り離されているわけではなく
つながった1つの存在です。
 
患部だけに手を加えて治そうとすると
その患部以外の箇所が病気になったりします。
 
アンバランス(偏り)unbalance は
アンバランス(偏り)unbalance のままです。
 
病気とはアンバランス(偏り)unbalance の状態です。
 
1人の人間の全体を見ながら
全体のバランス(中庸)balance を取り戻すようにすると
病気の1部分の患部だけでなく
その人全体 whole が元気に健康に戻ります。
 
 
1部分だけではなく
全体 whole のバランス(中庸)balance を
見ることは
苦しみをさらにつくらないためにも
苦しみを終わらせるためにも
大切なことです。
 
 
ですから
バランス(中庸)balance を壊さないためにも
アースシー Earthsea の世界の魔法使いは
あらゆる全てのことを学ぶため
めちゃめちゃ賢い人たち…
賢人ということです。
 
 
そのローク島にある魔法学校には
9賢人と呼ばれる
9人のマスター masterがいます。
 
10人目のマスター master は
大賢人 archmage と呼ばれます。
 
A tenth Master
Archmage of Roke
 
 
ロークの魔法学校では生徒たちは
この9賢人から学びます。
 
 
ロークの9賢人 The Nine Masters of Roke
 
風の長 - Windkey
手わざの長 - Hand
薬草の長 - Herbal
姿かえの長 - Changer
呼び出しの長 - Summoner
名付けの長 - Namer
様式の長 - Patterner
詩の長 - Chanter
守りの長 - Doorkeeper
 
(ものさがしの長 Finder が廃止されて詩の長 Chanter に変わった。)
 
 
 
 
 
さきほども少し話しましたが
言葉が不得意で
しかも記憶力がまったくないわたしには
このような魔法使いになることは無理ですσ(^_^;)
 
 
歌うことは好きですが
歌詞がまったく覚えられないので
歌は鼻歌オンリーです♪( ´▽`)
 
 
だからといって
言葉が嫌いというわけでもなく
ゆっくりながらも本を読むことは好きですし
また作家さんやロークの魔法使いなど
自分にはない
言葉が得意な人にとても憧れ尊敬するのは
子供のころから同じです(*^_^*)
 
しかも
言葉と絵の両方で表現できる漫画家さんなど
子供のころから超〜憧れですd(^_^o)
 
 
言葉にはとてもかっこよく憧れますが
言葉によるコミュニケーション communication 伝達 は
頭をいっぱい使うから
前回書いたように左脳が働きますから
わたしの場合はすぐに疲れてしまうので
あまり長い時間、言葉だけの状態であると
体力的に負担があるのは確かです。
 
 
そういうことから
文字の言葉ではなく
『感覚 feeling 』の言語である
”沈黙の言語 silent language”
コミュニオン communion 交感の方が
自然ですから体力が長持ちして
わたしの場合は楽なのですσ(^_^;)
 
 
さて、
アーシュラはアースシー Earthsea の世界の
竜 dragon と 人間 human being と
魔法 magic をとおして
”言葉 language” について
深く掘り下げて書いています。
 
 
言葉によるコミュニケーション communication 伝達
とはなんであるのか…
ということを語るために
 
『感覚 feeling 』による
”沈黙の言語 silent language”の
コミュニオン communion 交感
のことも語っています。
 
 
前回ご紹介しましたが導師 master oshoは
『感覚 feeling 』は”忘れられた言語だ”と話していますが
 
どうやら
地球の世界だけでなく
アースシー Earthsea の世界でも
それは同じようで
『感覚 feeling 』は”忘れられた言語”となっています。
 
 
 
 
 
さきほどお話しした
ロークの魔法学校の9賢人の中の1賢人である
様式の長 Patterner とは
さまざまなものの意味 meaning
あるいは意図 intent を読み解く達人
と言われていて
ローク島の魔法学校の近くにある
”まぼろしの森 Immanent Grove” の住人でもあります。
 
 
”まぼろしの森 Immanent Grove” は
不思議な森であり
外側から見るより
内側はとても奥深く広く、
森の道はいつも同じではなく
森は”心のおもむくかぎり”続いているのです。
 
そして
ここにあったかと思うと
別の場所に移ったりしますが
けっしてなくなることはない…のだそうです。
 
 
なんでもローク Roke 島自体が
アースシー Earthsea 全土の
太古の力 Old Powers の中心地であり、
 
ローク Roke 島にある
”ローク山 Roke Knoll ”と
”まぼろしの森 Immanent Grove” の2つは
太古の力 Old Powers のもっとも深くひそむ場所なのだそうです。
 
世界の中心となる場所にある
”まぼろしの森 Immanent Grove” は
セゴイ Segoy が島々をつくったときから
消えることなく続いている森であり
 
森の木々の根には
ありとあらゆる魔法
つまりは太古の力 Old Powers がひそんでいる
と言われていて
 
その根は
かつてあった森や
これから誕生するかもしれない森の
木々の根ともつながっているそうです。
 
 
そして
その森の木々の葉は話し
葉のおとす影には意味があって
その意味を読みとることは可能であり
 
「私はそれらを読むことで学んでいるのです。」
I am learning to read them.
 
…と、ロークの魔法学校の創始者の1人である
モエサシ ember(真の名はエレハル Elehal)という
女性の魔法使いは言うのです。
 
 
アーシュラは
ロークに魔法学校を創る前から
モエサシ ember は1人で
”まぼろしの森 Immanent Grove” の中に住み
”沈黙の言語 silent language” により
その森からさまざまなことを読みとり学んだと語っています。
 
 
モエサシ ember は言います。
 
 
「その森について学ぶことができる唯一のことは
あなたが森の中に入って
森から学ぶしかありません。」
You can learn about the Grove only in it and from it.
 
 
モエサシ ember は
世界の中心地であるローク島の
太古の力 Old Powers がある
”まぼろしの森 Immanent Grove” で
”沈黙の言語 silent language” により
あらゆることを学んでいきました。
 
 
文字や言葉という
コミュニケーション communication 伝達ではなく
 
『感覚 feeling 』の
コミュニオン communion 交感で。
 
 
以前にもご紹介しましたが
導師 master osho が
The Hidden Harmony の講話の中で話してくれた
ラクリトゥス Heraclitus が言ったことも
モエサシ ember が
”沈黙の言語 silent language” により
森全体から学んだことと同じです。
 
 
”自然は言葉を使わない。
では、自然はなにを使うのか?
ラクリトゥス Heraclitus は言う…
サイン signs を使う。
 
Nature doesn't use words. 
Then what does nature use? 
Says Heraclitus, it uses signs. 
 
花がある、
そこにはどんなサイン signs がある?
花はなにも言わない、
しかし
あなたは花は何も言わないと本当に言うことができるだろうか?
それはたくさん言っている、
しかし
どんな言葉も使ってはいない
…無言 wordless のメッセージだ。
 
無言 wordless を聞くためには
あなたは無言 wordless にならなくてはならない、
 
なぜなら
 
同じもの同士だけがお互いを聞くことができるからだ、
 
同じもの同士だけが同じことに関係することができるからだ。
 
花のそばに座るなら、
人になってはならない、
花になりなさい。
 
木のそばに座るなら、
人になってはならない、
木になりなさい。
 
川で沐浴をするなら、
人になってはならない、
川になりなさい。
 
そうすれば
とても多くのサイン signs があなたに与えられる。
 
そして
それは伝達 communication ではない、
それは交感 communion だ。
 
すると、自然は話す、
千と一つの舌で話す、
だが、
言語ではない。”
 
(このお話しを全部を読みたい人は以前書いたこちらをクリックしてください。
 
 
前回もお話ししましたが
コミュニオン communion 交感 は
波動 vibration を
全身の『感覚 feeling 』で感じ取る
普遍的 universal な言語 language であり
 
導師 master osho もアーシュラ ursura も
ラクリトゥス heraclitus も
それを”沈黙の言語 silent language ”
とよんだりします。
 
宇宙 universe 全ての存在 existence の
共通の言語 language です。
 
魂 soul と魂 soul で会話をするような感じです。
 
 
 
 
 
宇宙 universe 全ての存在 existence の
共通の言語 language である
コミュニオン communion 交感。
 
それは人間をも含めた
全ての存在 existence が
誰からも教わる必要がない
『生まれながらにして知っている』
普遍的 universal な言語 language です。
 
 
しかし
地球でもアースシー Earthsea でも
人間 human being は
生まれた後から
人間がつくった言葉を教わり学び知っていき
言葉にばかりに偏り依存 dependence して
コミュニケーション communication 伝達 しようとするので
 
言葉に関する左脳ばかりを使い
左右の脳のバランス(中庸)balance が
アンバランス(偏り)unbalance の状態になってしまい
 
そこから
頭も心も肉体も全てが
アンバランス(偏り)unbalance の状態になり
健康から不健康へと変化していきました。
 
 
内側 inside の世界が
健康から不健康へと変化すると
 
同時に
 
外側 outside の世界も
自然から不自然へと変化していきました。
 
 
人間 human being だけでなく
全体 whole で
バランス(中庸)balance の状態から
アンバランス(偏り)unbalance の状態へと
変化していきました。
 
 
不健康
不自然
アンバランス(偏り)unbalance
これは苦しみです。
 
健康
自然
バランス(中庸)balance
これは至福です。
 
 
地球でもアースシー Earthsea でも
人間 human being が
アンバランス(偏り)unbalance の状態になったことから
あらゆる苦しみが生まれていることが
2つの歴史全体を見渡してもわかります。
 
 
人間がつくりだした言葉が
良いとか悪いとかの判断をしているのではありません。
 
言葉にばかりに偏り
アンバランス(偏り)unbalance の状態であることで
あらゆる苦しみが生まれていますよ
 
という現実を見たまま話しているだけです。
 
 
地球でも
人間 human being の言葉による
コミュニケーション communication 伝達 ばかりに偏り使い
コミュニオン communion 交感は
”忘れられた言語” と言われていますが
 
だからと言って
言葉を捨てなさい
コミュニオン communion 交感 だけになりなさい
ということでもありません。
 
 
1つだけに偏り
アンバランス(偏り)unbalance の状態にならない方が
苦しみはなくなりますよ
というお話しです。
 
 
言葉に関する左脳ばかりを働かせ使い
歌や絵や踊りなどの芸術に関する右脳を使わない
そういう偏ったアンバランス(偏り)unbalanceな生き方が
苦しみの原因となっているならば
 
左脳ばかり使うのではなく
右脳も使い
脳全体をバランス(中庸)balance よくするか、
 
左脳も右脳も使わず
頭の中を空っぽの『無・無音』にして
脳全体を休ませてあげるとか、
 
とにかく
バランス(中庸)balance をとるように生きる生き方へと
 
自分で自分を『変容 transformation』していくことは
 
「今ここ(現在)」の瞬間から
誰でも今すぐにできることです。
 
とくに
 
左脳も右脳も使わず
頭の中を空っぽの『無・無音』にして
脳全体を休ませてあげることは
 
時間も空間も関係なくいつでもどこでもできますし
お金だって1円もかからないのです。
 
それを瞑想 meditation と言ってもいいかもしれません(-_^)
 
 
”無言 wordless を聞くためには
あなたは無言 wordless にならなくてはならない、
 
なぜなら
 
同じもの同士だけがお互いを聞くことができるからだ、”
 
 
頭の中を空っぽの『無・無音』にして
無言 wordless になると
コミュニオン communion 交感 の
『感覚 feeling 』を自然に
再び『思い出し』ます。
 
 
すると…
 
 
モエサシ ember のように
”沈黙の言語 silent language” によって
森全体から学ぶことができます。
 
 
 
 
 
わたしは言葉が不得意だったのもあり
コミュニオン communion 交感 を
忘れなかったようです。
 
子供のころから50歳の今まで
ずーとコミュニオン communion 交感 で
あらゆる全ての存在 existence と会話をしています。
 
導師 master osho はコミュニオン communion 交感 ができる
光明 enlightenment を得た導師 master でしたから
言葉ではない伝達により
わたしを光明 enlightenment まで導いてくださいました。
 
光明 enlightenment 前は
おかしな人だと言われるので
長い年月秘密にしていましたが、
 
光明 enlightenment 後にわかったことは
コミュニオン communion 交感 が
光明 enlightenment の体験やその体験後には絶対必要だから
光明 enlightenment しよう!と本気の人には
コミュニオン communion 交感 の大切さを話そうと思い
光明 enlightenment 後は何を言われても
まったく気にならなくなったのもあり
カミングアウトしていますσ(^_^;)
 
 
というわけで…
今のわたしが分かち合えるものは
 
『無・無音』
コミュニオン communion 交感
光明 enlightenment 前後の体験話し
 
それしかありませんσ(^_^;)
すみません…
 
 
アーシュラや導師 master osho のように
かっこよく言葉で語ることは無理ですσ(^_^;)
 
 
わたしの場合は
左右の脳を使わない
脳を空っぽの『無・無音』にすることで
脳をリラックスして休ませることで
バランス(中庸)balance がとれているから
光明 enlightenment の状態のようです。
 
 
バランス(中庸)balance の状態だと
やっぱり至福です。
 
 
どのようになぜ至福で愛に満ちているのかは
うまく言葉では語れませんからσ(^_^;)
どうかご自身で体験をとおして
知ってみてください
としか言えなくてすみません…。
 
 
 
 
 
モエサシ ember は
”まぼろしの森 Immanent Grove” から全てを学んだそうですが
 
わたしは
光明 enlightenment が起こる前も今も
大好きな植物やその植物に関わる動物や虫など
周りにある自然界の全てから学んでいます。
 
今の自分が行けない特別な場所などを表す
言葉や絵や写真がある図鑑も大好きな本ですが
やはり近所であっても実際の自然に
触れたり見たり聞いたり臭い香りを嗅いだりすることが大好きです。
 
 
すずめたちと一緒に地面に座って
すずめたちの会話をじーと聞いたり…
(すずめたちの情報交換はすごいです)
 
のら猫と一緒に草むらに座って
日向ぼっこしたり…
(猫からは『無・無音』を学べます)
 
木と一緒に雨のシャワーを浴びて
水の遊びを楽しんだり…
(木からは歌を学べます)
 
 
こうやって書くと
学びというより
遊びだな…(・_・;…
 
とにかく
自然界から学びながらも
遊んでばかりですσ(^_^;)
 
子供のころからこんなふうに
自然の中で遊んでばかりですσ(^_^;)
 
それが光明 enlightenment につながった…
と言えなくもないかな、と。
 
 
もちろん人間の友達もいますし
人間とも一緒に遊びますよσ(^_^;)
人間とは
言葉というコミュニケーション communication 伝達 ツールを使います。
 
 
でもコミュニオン communion 交感 で伝わっていないわけではないのも確認済みです(-_^)
 
 
だからやっぱり人間はみんな
コミュニオン communion 交感 は
”生まれながらにして知っている”
”沈黙の言語 silent language”
なのだな〜とわかります。
 
 
 
 
 
モエサシ ember は
仲間たちとローク島に魔法学校を創ったときの
ロークの9賢人 The Nine Masters of Roke の中の1人の
最初の様式の長 Patterner になります。
 
様式の長 Patterner はモエサシ ember のように
代々”まぼろしの森 Immanent Grove” に住むことになり
 
他の8賢人は魔法学校の敷地内にある部屋に住みます。
 
 
アースシー Earthsea の世界の中に住む
ゴント Gont 島生まれのゲド Ged は
ローク Roke 島に魔法学校が創られてから何百年後が経ったころ
ゴント Gont 島のル・アルビ Re Albi に住む
導師 master であるオギオン Ogion の元を去り
ギオン Ogion も学んだロークの魔法学校を訪れ学んだ後
大魔法使いとして世界でさまざまな活躍をし
ロークの魔法学校の
10人目のマスター A tenth Master である
大賢人 archmage に選ばれました。
 
 
そのゲド Ged が生きた時代に
アースシー Earthsea では
とてもとても大きな変化が起こりました。
 
 
それは
アンバランス(偏り)unbalance の状態
から
バランス(中庸)balance の状態
へと
再び戻る
変化 change
変容 transformation
のはじまりでした。
 
 
「不自然」から「自然」へ
「不健康」から「健康」へ
「争い」から「平和」へ
「苦しみ」から「至福」へ
「分割」から「全ては1つ=統合」へ
 
二元性 duality から 一元性 unity へ
 
”分割 devide ”
”verw nadannan ヴェル・ナダンナン”
から
”全体 whole ”
へ。
 
 
この
変化 change
変容 transformation
ローク島にある
”まぼろしの森 Immanent Grove”は
ちゃんと伝えていました。
 
 
そして
このゲド Ged がロークの大賢人になった時代に
”まぼろしの森 Immanent Grove”に住んでいた
アズバー Azver という名前で呼ばれている
様式の長 Patterner は
森の木々の葉が
変化 change
変容 transformation
と伝えていることを
ちゃんと読みとっていました。
 
 
 
 
 
さきほども書きましたが
アースシー Earthsea の世界では
もともとは1つであった
竜 dragon と 人間 human being は
2つに分かれて生きるようになったそうです。
 
生き方の選択が違う2組に”分割 devide ”したことから
1つで同じだったものは
2つの竜 dragon と 人間 human being に分かれたのだそうです。
 
 
それは
 
 
竜 dragon は
物を所有しなくて
翼を選び自由に空を生き
(竜は光や火を食むのだそうで
生き物の肉などは食べないそうです。)
〈 所有しない生き方 〉
 
人間 human being は
物をつくり所有し
土地を欲しがり所有し
翼を失い歩くことを選び
自由を失いました。
〈 所有する生き方 〉
 
そうして
 
竜 dragon は西の方で住み
人間 human being は東の方で住むようになり
一緒には住まなくなりました。
 
 
こうして人間の苦しみははじまりました。
 
 
人間 human being の内側 inside が
二元性 duality の極端に偏ったことにより
アンバランス(偏り)unbalance の状態になり
 
外側 outside の世界も
アンバランス(偏り)unbalance の状態になり
 
それにより
 
人間 human being は苦しんでいます。
 
それは
 
人間だけでなく
たくさんの存在 existence にも影響しています。
 
 
アースシー Earthsea の
ロークの賢人の魔法使いたちは
西の果てに住む竜 dragon が
ある日人間の姿をして
ロークの魔法学校にやってきたあたりから
さまざまなことが起こりはじめ
それらをとおして
人間がたくさんの間違いをしてきたことに
『気づき』ました。
 
 
全ての人間の苦しみは
 
竜 dragon と 人間 human being が
”分割 devide ”
”verw nadannan ヴェル・ナダンナン”して
 
所有を選び
自由を失った
 
はるか昔からはじまっていたことに『気づき』ました。
 
 
人間は
自分たちが過去に選択したものが
何であったのかに『気づく』ことができなかったことが
苦しみを終わりにすることができない理由でした。
 
 
問題の原因に『気づく』ことができなければ
問題を終わらせることすらできません。
 
 
人間 human being とは一緒に住まなくなった
西の果ての別世界に他の風に乗って自由に飛ぶ
竜 dragon がやって来たことにより
苦しみの問題の原因に『気づく』ことが起こりました。
 
 
そして
 
 
苦しみを終わりにするには
 
”分割 devide ”
”verw nadannan ヴェル・ナダンナン”
 
することを終わりにするしかない
ことにも『気づく』ことができました。
 
 
そして
人間 human being がつくった
”分割 devide ”という
境界線の壁の石垣を
苦しみの原因(種)を
壊そうとします。
 
そして数少ないですが
竜 dragon たちもそれを一緒に手伝います。
 
 
”分割 devide ”という
境界線の壁の石垣を全部壊したら
 
よどんだ空気の場所は風通しがよくなり
暗闇に光がたくさん入り
全てが生き生きとしました。
 
 
 
「苦しみ」から「至福」へは
 
”分割 devide ”という
境界線の壁の石垣を
苦しみの原因(種)を
壊すことだったのです。
 
 
 
”分割 devide ”=「苦しみ」が終わり
再び”全体 whole”=「至福」となる。
 
 
 
人間 human being が
頭の中でつくっている
(マインド(思考)mind でつくっている)
 
「自分 ”I”」と「他 ”You”」の間にある
 
境界線の壁(石垣)を
苦しみの原因(種)を
 
壊すことで
 
”分割 devide ”は終わり
 
全ては1つである”全体 whole” になる
 
正しくは
 
『忘れて』いた
全ては1つである”全体 whole” の真の状態を
再び『思い出す』sammasati です。
(この再び『思い出す』体験が光明 enlightenment です。)
 
 
 
人間 human being が
頭の中でつくっている
(マインド(思考)mind でつくっている)
 
「自分 ”I”」と「他 ”You”」の間にある
 
境界線の壁を
 
壊す
 
ということは
 
境界線というマインド(思考)mind を
『手放す』ということであり
 
そのためには
 
「自分 ”I”」と「他 ”You”」というように
 
”分割 devide ”するマインド(思考)mind を持つ原因である
 
「自分 ”I”」というエゴ(欲・自我)ego を
『手放す』ということです。
 
エゴ(欲・自我)ego を『手放す』と
全ては1つである全体 whole である真の状態を再び『思い出す』
光明 enlightenment が起こります。
 
 
 
 
 
壊された石垣を見た
最長老 eldest の竜のカレシン Kalessin は
 
 
”Aissadan verw nadannan”
アイサダン・ヴェル・ナダンナン
 
 
とレバンネン Lebannen 王に言いました。
その”太古の言葉 The Old Speech”を
人間の言葉に訳すと…
 
 
”What was divided is divided.”
分割されたものは分割された。
 
 
それをもう少しわかりやすく言うと…
 
 
”What was built is broken.
What was broken is made whole.”
つくられたものは壊された。
壊されたものは全体をつくった。
 
 
そして…
 
 
”We broke the world to make it whole.”
私達は全体にするために世界を壊したんだ。
 
 
ル・アルビ Re Albi に帰ってきたテナー Tenar に
ゲド Ged はそう言います。
 
 
世界の何を壊して
全体 whole をつくったのか?
それはつまり
全体 whole に再び戻ったのか?
 
 
人間がマインド(思考)mind によりつくった世界を壊すことで
真の全体 whole の世界に再び戻った。
 
 
古いが壊れるのは同時に新しいのはじまり。
 
 
最長老 Eldest の竜カレシン Kalessin の娘であり
人間のゲド Ged とテナー Tenar の娘(養女)でもある
テハヌー Tehanu は人間のハラ Hara に
何をすればいいのかを聞きます。
 
すると修繕屋のハラ Hara は言います…
 
 
”We have to mend the world.”
”We have to break the wall.”
私達は世界を治さなくてはならない。
私達は石垣を壊さなければならない。
 
 
人間 human being であるハラ Hara と
竜 dragon であるテハヌー Tehanu は
2人で力をあわせて
人間がつくった苦しみの原因(種)となっている石垣を壊しはじめました。
 
そして
 
2人以外のたくさんの人々も一緒に
さらに何匹かの竜も一緒に手伝って
みんなで苦しみの石垣を壊しはじめました。
 
 
人間がつくった苦しみの石垣が壊れたら
暗く淀んでいた場所に
光が入り風通しがよくなりました。
 
 
 
”Aissadan verw nadannan”
アイサダン・ヴェル・ナダンナン
 
”What was divided is divided.”
分割されたものは分割された。
 
”What was built is broken.
What was broken is made whole.”
つくられたものは壊された。
壊されたものは全体をつくった。
 
 
 
世界を分割 divide していた人間がつくった石垣を壊し
その石垣が壊されたから
再び全ては全体 whole となった。
 
 
 
”Aissadan verw nadannan”
アイサダン・ヴェル・ナダンナン
が終わると同時に
最長老 Eldest のカレシン Kalessin と
その娘2人の
オーム アイリアン Orm Irian とテハヌー Tehanu は翼を広げて
風に乗って西の果てのさらに向こうに飛んでいきました。
 
 
 
再び竜 dragon と人間 human being は
西と東にわかれて生きています。
 
 
 
今、アースシー Earthsea はどうなっているのかな?
 
 
 
この物語の主人公である
ゲド Ged が生きた時代に
アースシー Earthsea に大きな変化が起こりました。
 
変化のきっかけにゲド Ged が大きく関わっていることはわかりますが
 
全体を見ると
やはりゲド Ged だけではなく
1人1人みんなが変化のきっかけになっています。
 
アースシー Earthsea の世界の
誰1人が欠けても変化は起こらなかった。
 
3巻で登場した悪の魔法使いクモを含めて。
 
良いことも悪いことも
全ての出来事があったからこそ
人間は苦しみの原因(種)に『気づく』ことができました。
 
 
 
 
 
ゲド Ged も変化のきっかけに大きく関わっていますが
アースシー Earthsea の世界の中心地である
ローク島の”まぼろしの森 Immanent Grove”も
アースシー Earthsea の変化に大きく関わっています。
 
 
モエサシ ember が住んだ
”まぼろしの森 Immanent Grove”から
魔法学校がはじまり
 
アズバー Azver が住む
”まぼろしの森 Immanent Grove”に
人間も竜もみんなが集まってきて
 
そこから石垣を壊す
世界の
変化 change
変容 transformation
はじまった。
 
 
 
 
 
今日のブログは
いつにも増してまとまりがない
めちゃくちゃな文になっていますから
すみません。
 
わたしではうまく表現できない
なんだか大きなお話しなんです。
 
うまく書けず何度も書くのをやめましたが
やはり書いておこうと思いました。
 
2018年1月1日は1年の新しいはじまりです。
2018年2月16日は旧暦の1年の新しいはじまりです。
 
しかし
 
2018年1月17日がどうしてもわたしには
大きな変化のはじまりのようでなりません。
 
この大きな変化は数年間続くように感じています。
 
そんな感じがとても強くあるころの
2018年1月22日に
変化 change 
変容 transformation
のメッセージをビシっと書きのこした
アーシュラが新しい風に乗って旅立ちました。
 
 
あ〜新しい風がふきはじめた
変化がはっきりとはじまるんだ。
 
2500年続いた魚座の時代がすっかり終わり
これからの2500年の水瓶座の時代がはっきりとはじまるんだ。
 
二元性 duality の統合 = 超越 beyond
一元性 unity へ
 
分割 divide が終わり統合 = 超越 beyond し
全体 whole へ
 
 
アンバランス(偏り)unbalance から
バランス(中庸)balance の
本来の状態へと
再び戻るんだ。
 
苦しみから至福への
変化 change
変容 transformation
がはっきりとはじまるんだ。
 
 
うまく語れませんが
とにかく
古いが終わり新しいがはじまる
変化 change
変容 transformation
のはじまりを
2018年1月17日に強く感じました。
 
 
”Yes”と言うように
世界の古いの終わりと新しいはじまりを知らせるように
1月22日に
肉体 body の中での学びが終わり
意識 consciousness の魂 soul の新しい旅が始まったアーシュラ。
 
 
安定を安心と思うマインド(思考)mind を持つ人間にとっては
 
たとえ苦しみが終わるための
至福への
変化 change
変容 transformation
であったとしても
 
変化 change
変容 transformation
のとき
人間は不安や恐れを感じます。
 
 
わたしにわかることは
この数年間の
変化 change
変容 transformation
は素晴らしいはじまりの時期だというものです。
 
ですから
 
あまり不安や恐れに偏らないで
 
自分の苦しみを『手放す』ことで
苦しみが終わることを
嬉しく感じることでいいかな
 
と、これを話そうとして
たくさん書いてしまいましたσ(^_^;)
 
 
 
 
 
アンバランス(偏り)unbalance の苦しみ
から
バランス(中庸)balance の至福
への
変化 change
変容 transformation
の期間を
 
 
不安にならなくても大丈夫
恐れなくても大丈夫
 
そして無理でないならば…
 
苦しみを『手放す』だけで
全ては大丈夫
 
 
 
 
 
地球の人間も
アースシー Earthsea の世界の人間のように
人間がつくった石垣を壊し終えたら
最長老 eldest の竜のカレシン Kalessin が
こう言ってくれると思います。
 
 
”Aissadan verw nadannan”
アイサダン・ヴェル・ナダンナン
 
 
もしよかったら
アーシュラが見たままの
アースシー Earthsea の世界を
旅してご自身で見てみてください* ( ´͈ ◡ `͈ ) *
 
 
 
 
sammasati サマサティ
right remembrance
正しく想起する。
 
 
『The last word of Buddha was, sammasati. 
 Remember that you are a buddha – sammasati.』
 
 
瞑想と愛 meditation & love
 
 
 
 
花仙人
 

 

A Wizard of Earthsea (The Earthsea Cycle Series)

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影との戦い ゲド戦記 (岩波少年文庫)

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The Tombs of Atuan (The Earthsea Cycle Series)

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こわれた腕環 ゲド戦記 (岩波少年文庫)

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The Farthest Shore (The Earthsea Cycle Series)

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さいはての島へ ゲド戦記 (岩波少年文庫)

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帰還 ゲド戦記 (岩波少年文庫)

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Tales from Earthsea (The Earthsea Cycle Series)

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The Other Wind (The Earthsea Cycle Series)

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アースシーの風 ゲド戦記 (岩波少年文庫)

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The Daughter of Odren (Kindle Single)

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感覚は忘れられた言語

感覚は忘れられた言語
 
 
 
前回までのコミュニオン communion 交感 の続きです。
 
 
 
”あなたは波動 vibration をつくっている。
あなたが怒るとあなたは波動 vibration をつくる。
あなたが貪欲だとあなたは波動 vibration をつくる。
あなたが愛だとあなたは波動 vibration をつくる。
 
これらの波動 vibration は
普遍的 universal な言語 だ
…それは全ての存在 existence によって理解するものだ。”
 
…osho
from ”Just Like That”
 
 
 
コミュニオン communion 交感 は
波動 vibration を
全身の『感覚 feeling 』で感じ取る
普遍的 universal な言語 language 。
 
導師 master osho はそれを
”沈黙の言語 silent language ”
とよんだりします。
 
宇宙 universe 全ての存在 existence の
共通の言語 language です。
 
魂 soul と魂 soul で会話をするような感じです。
 
 
 
人間は誰もがみんな生まれる前から
誰からも教わらなくても
コミュニオン communion 交感 ができています。
 
しかし
 
生まれた後育っていく過程で
人間が作り出した
言葉 word という
コミュニケーション communication 伝達 ツールを
学び使うことによって
そして
あまりにも言葉 word にばかりに
偏り依存 dependence することにより
 
『感覚 feeling 』の
コミュニオン communion 交感 が
鈍っていきます。
 
 
 
過去5千年ほどを振り返って見てもわかるように
人間は『感覚 feeling 』よりも
言葉 word の方ばかりに偏り依存 dependence して
 
コミュニオン communion 交感
よりも
コミュニケーション communication 伝達 ツールばかりを使う生き方になっています。
 
さらに
 
いつでもどこでも使えるモバイルが作られ
便利にはなりましたが
それによりさらに
コミュニオン communion 交感 から遠ざかってしまいました。
 
 
 
言葉 word は左脳に関連しています。
人間は過去5千年ほどを見てもわかるように
左脳ばかりを働かせ使う生き方をしています。
 
言葉 word はマインド(思考)mind です。
マインド(思考)mind は左脳に関連しているそうです。
 
そして
左脳は男性性 masculine と関連しているそうです。
 
 
 
右脳は女性性 feminine と関連しているそうです。
 
芸術は右脳と関連しているそうです。
 
芸術は感情を表現するものです。
感情も右脳と関連しているそうです。
 
 
 
過去5千年ほど
人間は左脳ばかりを使い働かせ
左脳に偏る生き方をし
あまり右脳を使って働かせてはいません。
 
左脳と右脳のバランス(中庸)balance がとれていないのです。
 
左脳と右脳のバランス(中庸)balance が取れていないと
偏頭痛が起こりやすくなるだけでなく
左脳と右脳の真ん中にある
脳下垂体にも影響があり
すると脳下垂体に関係する
自律神経が正常に働かなくなり
すると自律神経に関連する
男性ホルモンや女性ホルモンの働きが正常に働かなくなります。
 
 
左右の脳のアンバランス(偏り)unbalance の状態は
脳下垂体の自律神経が正常に働かなくなるため
 
心 heart を不安定にしますから
マインド(思考)mind がフラフラと動いてばかりの
アンバランス(偏り)unbalance な状態となり
 
肉体 body の健康をもアンバランス(偏り)unbalance にしてしまい
不健康に病気になってしまいます。
 
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さらに
左右の脳が同じように使われ働き
バランス(中庸)balance が取れていると
学び成長がどんどん進み
才能が無限に成長していきますが、
 
片方だけの脳ばかりを使い働かせても
人間は真に学び成長することができません。
 
片方だけの脳だとある程度の限界がきて
学び成長が止まってしまいます。
 
左右の翼を広げて飛ぶと
自由にうまく飛ぶことができる鳥のように
 
人間も無限に才能が成長するためには
左右の脳がバランス(中庸)balance の状態であることは大切です。
 
 
 
今の義務教育の中は
左脳ばかりを使う勉強のしかたで
右脳を使う機会があまりありません。
 
左脳の言葉や数学や科学だけでなく
右脳の音楽や美術などの時間をもっと持つと
左右の脳のバランス(中庸)balance がとれます。
 
頭の脳ばかりを使うのではなく
肉体 body もちゃんと動かし遊ぶことも
健康や才能をさらに伸ばすためには大切なことです。
 
それは子供だけでなく大人であってもです。
 
 
 
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そして
二元性 duality の中の1つである
男性性 masculine と女性性 feminine 。
左脳と右脳に関連しているもの。
 
左脳の男性性 masculine に偏る生き方…
 
男性性 masculine のポジティブな状態は
自立心が成長したり
冒険などを楽しむようなものですが
 
男性性 masculine のネガティブな状態は
権力、支配、攻撃、戦い…
つまりは戦争です。
 
過去3千年の間に
人間は地球で5千ものの戦争を行ったと
導師 master osho は講話の中で話します。
 
 
 
言葉が良いとか悪いとかの判断をしているのではなく
 
左脳の言葉にばかりに
あまりにも偏り依存 dependence しすぎると
人間の内側 inside の二元性 duality は
男性性 masculine に偏る生き方になることが
過去5千年ほどを見てもわかります。
 
人間の内側 inside が
男性性 masculine のネガティブな状態になると
戦争ばかりになることも
数字に表れているように
人間は体験をとおしてわかりました。
 
そして
 
いくら勉強をしても
左脳に偏った
今の学びのシステムでは
才能がなかなか伸びないこともわかりました。
 
さらに
 
心身ともに不健康になることもわかりました。
 
 
 
左右の脳をバランス(中庸)balance の状態で生きることができていたら
アインシュタインの脳よりもさらに成長した
人間がたくさん育ったはずであり
原子力発電などの危険な問題の解決策がみつかったり
危険のない安全な環境になっていたかもしれません。
 
 
 
人間の左右の脳の片側だけに偏った
アンバランス(偏り)unbalance な生き方
 
人間の内側 inside の二元性 duality の片側だけに偏った
アンバランス(偏り)unbalance な生き方
 
そのアンバランス(偏り)unbalance な生き方が
人間自身を苦しめる原因になっていることが
過去5千年ほどを見てもわかります。
 
 
 
アンバランス(偏り)unbalance
から
バランス(中庸)balance 
への
『変容 transformation』
 
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地球全体を楽園に再び戻そうとするならば
外側 outside だけに働きかけるのではなく
 
まずは
 
自分自身の内側 inside を
 
アンバランス(偏り)unbalance な状態
から
バランス(中庸)balance の状態
へと
『変容 transformation』する必要があります。
 
 
 
1人1人の内側の『変容 transformation』が
外側の世界を楽園に再び戻します。
 
 
 
そして
 
左脳の言葉だけに偏ったことで鈍くなった『感覚 feeling 』。
 
愛は『感覚 feeling 』です。
 
愛は『感覚 feeling 』で感じとるものであり
言葉や絵や物でもなかなか表現できないものです。
 
『感覚 feeling 』が鈍るということは
愛を感じとりにくくなるということです。
 
言葉 word にばかりに偏り依存 dependence し
『感覚 feeling 』が鈍ってしまうと
 
沈黙の言語 silent language の
コミュニオン communion 交感 も鈍くなってしまいます。
 
 
 
わたしは『感覚 feeling 』が鈍ると書きましたが
導師 master osho は
 
”Feeling is the language, 
the forgotten language. 
 
『感覚 feeling 』は言語だ、
忘れられた言語だ。”
 
と話します。
その方が今の現代の人々にはピッタリな表現です。
 
 
 
宇宙 universe 全ての存在 existence の
共通の普遍的 universal な言語 language である
『感覚 feeling 』は
忘れられた言語になってしまった…
 
 
 
全部を和訳できていませんが
コミュニオン communion 交感
沈黙の言語 silent language である
『感覚 feeling 』は大切な言語 language であるということを
導師 master osho が丁寧に詳しくお話しする講話を
今日はご紹介します。
 
 
 
ではお楽しみください。
 
 
 
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愛 love は『感覚 feeling 』の最も中心 center だ、
愛 love は魂 soul の全ての『感覚 feeling 』だ。
全ての『感覚 feeling 』は愛 love だ。
 
 
 
もしあなたが愛さなかったら
少しづつ少しづつ
『感覚 feeling 』は消えていくだろう。
 
もしあなたが愛ならば
全ての『感覚 feeling 』は生き返るだろう。
 
 
 
そして覚えておきなさい、
私は”全て”の『感覚 feeling 』と言った、
ネガティブもポジティブも全てだ。
 
 
 
あなたが愛であるとき、
あなたは嫌うこともはじめるだろう…直ちに。
 
あなたが愛であるとき、
あなたは怒りを感じはじめるだろう…直ちに。
 
あなたが愛であるとき、
あなたは悲しみを感じ、
あなたは幸せを感じる。 
 
あなたが愛であるとき
全ての『感覚 feeling 』が生に再び戻ってくる。
 
 
 
これが問題なのだ。
 
 
 
だから社会は愛を認めないのだ、
なぜなら
もし良い『感覚 feeling 』だけの愛の場合、
社会は良い方の『感覚 feeling 』で決める、
結果的になんの問題もなくなるだろう。
 
しかし愛とともに、
問題は天国だけの開花のはじまりだけでなく、
地獄のはじまりにもなる。
 
それらはいつも一緒だ、
それらは同じコインの2つの局面だ。
 
それらは「分離 separate」することはできない
…「分離 separate」する必要はない、
なぜなら
地獄のない天国は貧しくなるからだ。
 
怒りのない愛は無力となるだろう。
悲しみのない愛は薄っぺらなものとなるだろう。
 
 
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生 life は両極性 polarity だ、
そして
両極性 polarity をとおして
生 life は豊かに豊かになっていく
そしてもっともっと複雑になっていく。
 
生 life は普通のアリストテレス aristotelian の論理のようではない、
生 life はヘーゲル hegelian の弁証法のような、
命題 thesis
反対命題 antithesis 。
 
2つの両極性 polarity は
出会い meet そして対立 fight する、
そして
第3の現象が生じる…統合 synthesis だ。
 
偉大な調和 harmony が
2つの両極性 polarity の外で生じる、
 
すると
偉大な調和 harmony は再び命題 thesis なる、
新しい反対命題 antithesis が生じる、
 
すると
再び統合 synthesis の梯子の高い階段に達する。
 
このようにして生 life は動く。
 
 
生 life はヘーゲル hegelian の弁証法であり、
生 life は普通のアリストテレス aristotelian の論理ではない。
 
 
それはシンプルな二元性 duality ではないのだ。
 
 
それは何度も何度も二元性 duality をとおして全ては1つ oneness に達する
…そしてその全ては1つ oneness は再び1つの極 pole になる。
 
それは他の極 pole を作る、
動きがはじまる。
 
 
これがどのようにして生 life が
存在 being の頂点の高みへ高みへと達しようと試すものだ。
 
 
あなたが愛であるとき
あなたは幸せだ、
そしてあなたは悲しくもある。
 
それらは
命題 thesis
反対命題 antithesis だ。
 
 
愛 love は調和 harmony だ、統合 synthesis だ。
 
 
生 life は反対を通りながら動く、
ちょうど2つの岸を通り動き流れる川のようだ。
 
あなたは1つの岸だけの川を想像することはできない。
 
もしあなたが1つの岸だけの川を想像したら、
すると全ての川は消え去るだろう。
 
もしあなたが1つの岸だけの方が良いと思い試すと、
すると川は存在 exist できない。
 
 
これが人間の意識 consciousness に起こっていることだ。
 
 
もっともはじまりに
人間は嫌うこと hate に反対し判断した、
怒りに反対した、
全てのネガティブな極 pole に反対した
それらは良くない。
 
 
もし1つの極 pole だけというのならば良くない、
それらはとても悪い。
 
もし人間が愛なくして怒りだけならば、
その人は狂っている。
この怒りは病気だ。
 
 
しかし
もし人間が愛のために怒るならば、
父親が彼の子供を愛とともに怒るならば、
その怒りはそれだけで美しい。
 
子供は愛とともにある怒る親に
悪く感じることはない。
 
 
しかし
愛のないただ怒る親に対しては
許すことができない。
 
子供はその親を忘れるだろうが、
親を許すことはできない。
 
ただの怒り、愛のない?
 
それは病気だ。
それは毒だ。
 
しかし
もし親が愛とともに怒るならば、
子供は理解する。
 
子供は親の愛を理解する。
 
 
 
生 life は『感覚 feeling 』だ。
 
木は理由なしで存在 exist できるが、
木は『感覚 feeling 』なしでは存在 exist できない。
 
今では科学者たちは木は途方もなく感じると気づきはじめている。
 
星、岩、川
…それらは『感覚 feeling 』なしでは存在 exist できない。
 
『感覚 feeling 』は存在 existence のまさしく生 life だ。
 
鳥、動物、全てが
…『感覚 feeling 』とともに存在 exist する。
 
 
 
人間以外は。
 
 
 
人間は上下逆さまだ。
頭は突出している、
頭は抑圧された『感覚 feeling 』がある。
 
そんな風に一生起こり続けている。
 
政治の規則、支配、
そうだから
詩がガイドになるべきだ、
政治ではなく。
 
しかし
個 individual の爆発が起こると、
それは社会の中で莫大なスケールで起こる。
 
もし『感覚 feeling 』が個 individual のルールならば、
詩は生 life のルールになるだろう、
詩は国のルールになるだろう。
 
世界は全く違うものになるだろう。
 
 
 
もしあなたが愛ならば
あなたは存在 existence と一緒に深い親しみを持つだろう、
 
木はあなたに話すだろう。
鳥はあなたの近くに来はじめるだろう。
動物はあなたを恐れなくなるだろう…恐れる必要がない。
 
 
 
人間は恐れを作り出した
人間の頭のために。
 
 
 
ハート heart とともにあれば
人間は再び宇宙 universe と1つ one である。
 
 
 
『感覚 feeling 』は言語 languageだ、
忘れられた言語 forgotten language だ。
 
 
 
もしあなたが『感覚 feeling 』を理解すれば、
あなたは全体 whole を理解する。
 
 
 
これまで生まれた中で最も賢い人の1人であり
アラブのユナニ医学の創始者である
ルクマン Lukman についてこのようなことが言われている、
 
彼は植物や草むら木々のそばに行きそこに座ると
それらを感じ、それらに尋ねる、
 
「あなたは何の効能があるのかな?
あなたは何の病気を治すことができるのか?」
 
それが伝えられているのは
ただそれらを『感じる feeling 』だけで
彼は何千もの薬草 herb を見つけたということだ。
 
薬草 herb はこんなことを言った、
 
「もしあなたが私を結核に使うといいです。お助けできます。」
 
これは神話、作り話のように思える、
しかし
科学者たちは困惑してきた、
 
もしこれが作り話なら、
ルクマン Lukman はどうやって知ったのだろうか?
 
…なぜなら
なんであれ彼が知ったことは
あらゆる科学的実験によって正しいことが立証されてきたからだ。
 
そして
今日あるような実験室は当時は存在しなかった、
今のように洗練された機器はまったくなかった!
 
もしこれが作り話だとしたら、
大きな問題が持ち上がってくる、
 
彼はどうやって知ることができたのか?
 
そして1つや2つや数百ではなく、
何千もの薬草 herb だ!
 
もし彼が粗末な器具を使っていたのなら
その全てを発見するのに
少なくとも千年や二千年はかかっただろう。
その方がもっと作り話のようだ。
 
最初の物語の方が現実に近いのではなかろうか
…彼が尋ねたという方が。
 
 
 
インドにも似たような話がある。
アーユルヴェーダ Ayurveda(インド医学)は同じ秘密に基づいている。
 
これらの秘密は植物そのものによって明らかにされた。
 
しかし
言語 language が必要だ、
普遍的 universal に通じる言語 language が、
それは人間に限定されたものだけでない。
 
 
 
『感覚 feeling 』がその言語 language だ。
 
 
 
 
頭のマインド(思考)mind の中から生まれてきた言語は
神性 divine な言語ではない。
 
いいや、神性 divine な言語はハート heart の中から生まれてくる。
 
『感覚 feeling 』がその言語 language だ。
 
もしあなたが本当に感じるようになったら、
そしてあなたのハートが本当に感覚とともに鼓動するようになったら、
あなたは木に尋ねることができるし、
木はいつでもその秘密を明かしてくれる。
 
あなたが小鳥に尋ねたら、
小鳥はその秘密を明かしてくれる。
 
あなたが存在 existence に尋ねたら、
存在 existence はその本当のハートを明かしてくれる。
 
そのハート heart が神 God だ、
神の王国だ、
エクスタシーだ、
最後の解放 liberation だ、
モクシャ 解脱 moksha 、
なんであれあなたがそう呼びたいように
呼ぶがいい。
 
 
 
 
from osho talks
oshoの講話より
 
Just Like That
 
Talks on Sufi Stories
 
Talks given from 01/05/75 am to 10/05/75 am 
English Discourse series
 
Chapter 7
Chapter title: A man who loved seagulls
 
7 May 1975 am in Buddha Hall
 
 
この全講話の英語のダウンロードpdfはこちら。
 
 
chapter 7の英語の全講話です。
 
(素晴らしいお話しなので英語で読める方は
是非読んでみてください。)
 
 
 
A man who loved seagulls
 
 
 
THERE WAS A MAN LIVING BY THE SEASHORE WHO LOVED SEAGULLS. 
EVERY MORNING HE WENT DOWN TO THE SEA TO ROAM WITH THE SEAGULLS. 
MORE BIRDS CAME TO HIM THAN COULD BE COUNTED IN HUNDREDS.
HIS FATHER SAID TO HIM ONE DAY:
I HEAR THE SEAGULLS ALL COME ROAMING WITH YOU – BRING ME SOME TO PLAY WITH.
NEXT DAY, WHEN HE WENT TO THE SEA, THE SEAGULLS DANCED ABOVE HIM AND WOULD NOT COME DOWN.
 
 
 
The greatest secret of life is – and remember it always – that life is a gift. 
 
You have not deserved it in the first place. 
It is not your right. 
It has been given to you, you have not earned it. 
 
Once you understand this, many things will become clear.
 
If life is a gift then all that belongs to life is going to be a gift. 
 
Happiness, love, meditation 
– all that is beautiful is going to be a gift from the holy, from the whole. 
 
You cannot deserve it in any way and you cannot force existence to make you happy, or to make you loving, or to make you meditative. 
 
That very effort is of the ego. 
That very effort creates misery. 
That very effort goes against you. 
That very effort has destroyed you – it is suicidal.
 
In the American constitution they have given a right, a basic right – and they call it the basic fundamental right – to pursue happiness. 
It is impossible to pursue happiness. 
Nobody has ever pursued it. 
One has to wait for it. 
And it is not a right at all. 
 
No law court can force you to be happy or force happiness to be with you. 
No government violence is capable of making you happy. 
No power can make you happy.
 
The founding fathers committed a very deep mistake. It seems Jefferson didn’t know much about happiness. Politicians can’t know – they are the unhappiest people on earth. Jefferson added this right to the American constitution, and you will be surprised that because of this, the very wording of it, America has become one of the unhappiest countries in the world, ever. 
 
... Because the very idea that you can pursue happiness, that you can deserve it, that you can demand it, that you have the RIGHT to be happy, is foolish. 
 
Nobody has the right to be happy. 
 
You can be happy, 
but there is nothing like a right about it. 
 
And if you think that it is your right you will go on missing, because you have started to look in the wrong direction from the very beginning.
 
Why is it so? 
 
If life is a gift, all that belongs to and is intrinsic to life is going to be a gift. 
 
You can wait for it, 
you can be receptive to it, 
you can remain in a surrendered mood, waiting, patient, 
but you cannot demand, and you cannot force.
 
Emile Coue is more alert than Jefferson. 
Emile Coue has discovered a law he calls The Law of Reverse Effect. 
There are certain things which, 
if you try to do, you will undo. 
If you don’t try to do them you may be able to do them. 
The very effort leads you to the reverse effect. 
 
For example, sleep. 
You want to go to sleep – what can you do? 
Everybody has a fundamental right to sleep, but what can you do? 
Can you ask the police to come and help? 
What can you do when you don’t feel like going to sleep? 
Whatsoever you do is going to disturb you because the very effort works against sleep. 
 
Sleep is an effortlessness. 
 
When you simply relax, 
not doing anything, 
by and by you drift into sleep. 
 
You cannot SWIM towards it – you drift. 
You cannot make any conscious effort.
 
And this is the problem with all those people who suffer from sleeplessness, insomnia. 
All insomniacs have their rituals. 
They do certain things to cause sleep to come to them. 
And that is where they miss, 
that is where everything goes wrong. 
 
How can you force sleep? 
 
The more you force the more YOU will be there – aware, alert, conscious. 
Every effort will make you more aware, more alert, and sleep will be put off.
 
What do you do when you want to go to sleep? 
You don’t do anything. 
You simply wait, in a restful mood. 
You simply allow sleep to come to you – you cannot force it. 
You cannot demand, you cannot say, ”Come!” 
With closed eyes, in a dark room, on your pillow, you simply wait... and waiting, you start drifting. 
Like a cloud glides, drifts, you drift by and by from the conscious mind to the unconscious.
You lose all control. 
 
You have to lose control; otherwise you cannot go to sleep, because the part that controls is the conscious mind. It has to allow. 
 
Control has to be left completely. 
Then – you don’t know when and why and how – sleep comes to you. 
Only in the morning you become aware that you have been asleep, and you slept well. 
 
Ninety-nine percent of people who suffer from sleeplessness create their own trouble. 
 
I have not come across more than one percent of insomniacs who are really suffering from something in their body chemistry
Ninety-nine percent are simply suffering because they don’t know Emile Coue’s Law of Reverse Effect. 
They are followers of Jefferson; they think sleep is a right.
 
In life, only on the surface, in the marketplace, rights exist. 
 
As you move deeper, rights disappear. 
As you move deeper, gifts appear. 
 
This is one of the most basic things to remember always: 
you have not deserved life, and life is there! 
 
Absolutely undeserved, you are alive, with tremendous energy – alive!
 
How does it happen? 
 
And if life can happen without deserving it, without any right to it, 
why not happiness? 
why not love? 
why not ecstasy? 
 
They can all happen, 
but you have to understand the law. 
 
The law is: don’t try directly. 
 
Happiness cannot be pursued. 
It can be persuaded. 
 
Persuasion is indirect. 
It is not an attack. 
 
You move, but not directly, 
because when you are direct you are aggressive. 
 
Nothing is as direct as violence.
And nothing is as violent as directness.
 
Life moves in circles, not direct. 
 
The Earth moves around the sun
The sun moves around some greater sun. 
Galaxies move, 
the whole universe moves, in rounds. 
Seasons move in a round. 
Childhood, youth, old age, move in a round. 
The whole of life is circular, it never goes direct. 
It is not like an arrow that goes direct to the target. 
An arrow is man’s invention. 
In life there is nothing like an arrow. 
An arrow is man’s violent mind. 
An arrow chooses the very shortest cut between two points. 
The arrow is in a great hurry, seems to be too time-conscious. 
But God is not in a hurry.
 
 
 
Just the other day I was reading a small booklet from Jesus freaks – ninety-nine percent nonsense, but one percent really beautiful! 
 
And even if something is one percent beautiful it is so much, because if you go to the Christian theologians, they are one hundred percent nonsense. 
The one percent that was meaningful, I loved. That part says, 
”Hurry kills! Haste is waste.” 
And God is not in a hurry. 
He moves with infinite patience. 
God is a loafer, he hangs around. 
In fact, God is not going anywhere – he is already there. 
So there is no goal. 
The arrow is dancing round and round and round.
It is not going to any target – there is no target. 
Just BEING is the target. 
So God hangs around like the fragrance of a flower which hangs in a summer night – just around and around, nowhere to go.
 
And God has infinite patience. 
He works with care, and in very indirect ways. 
He creates a baby, and takes nine months – he doesn’t seem to have any efficiency experts around him. 
This has been going on for millions of years, and he has not learned anything; 
otherwise he could have managed to create better instruments so that a baby could be created within nine minutes. 
 
Why nine months? 
 
And from the very beginning he has been doing the same thing; 
he has not learned anything. 
He should ask the experts, particularly the efficiency experts. 
They will show him how to produce, how to produce on a mass scale, and not waste so much time – nine months per baby!
 
But it is not only with babies – with flowers also he takes infinite care; with birds, even with a blade of grass he takes infinite care and time. 
 
He is not in a hurry. 
In fact it seems he is not aware of time at all. 
He exists timelessly. 
 
If you want to be with him, don’t be in a hurry; 
otherwise you will bypass him. 
He will be always loitering here and now, and you will always be going there and then. 
You will always be like an arrow, and he is not like an arrow.
 
And to be with God is to be happy, 
to be with God is to be alive, 
to be with God is to be in meditation.
 
But the whole training of man is how to do things fast. 
 
Speed in itself seems to be a value. It is not. 
In itself it can create only madness – and it HAS created madness.
Move indirectly. 
 
And what is indirectly?
 
I used to know an old man who was always complaining, always grumpy
Everything was wrong – he was a born critic. 
And of course as critics suffer, he suffered, 
because sometimes it was too hot,
and sometimes it was too cold, 
and sometimes it rained too much,
and sometimes it didn’t rain at all. 
All seasons, all the year round, he was suffering. 
 
A negative mind, a negative attitude
– and he was continuously in search of being happy, continuously making every effort to be contented and satisfied. 
 
But I have not seen a more discontented man than him; 
he was the very personification of suffering, dissatisfaction, discontent. 
In his eyes there was nothing but discontent. On his face many wrinkles of tension and discontent, all the grumblings of his whole life were written there.
 
But suddenly one day he changed. 
He had become sixty and the next day was his birthday; people came to greet him, and they could not believe their eyes – he had changed so suddenly, in the night. 
 
Somebody told me about it also, so I walked down to his house to inquire, because this was a revolution! 
The Russian Revolution was nothing compared to it. 
The Chinese Revolution, nothing compared to it. 
A revolution! 
For sixty years this man had trained himself for discontent. 
How, suddenly...?
What had happened, what miracle? 
I could not believe that even Jesus could have done such a miracle, it was not possible, because you never hear in The Bible.... 
Jesus cured blind men, 
he cured the deaf and dumb, 
he cured even the dead, 
but you don’t hear a single story of Jesus curing anybody of discontent. 
It is not possible.
 
I asked the old man – he was really happy, bubbling with happiness – I said,
”What has happened to you?”
 
He said,
”Enough is enough! 
For sixty years I tried to be happy and could not, so last night I decided: 
Now forget about it; 
don’t bother about happiness, just live. 
And here I am, happy.”
 
He PURSUED happiness for sixty years.
 
If you pursue, you will become more and more unhappy. 
 
You are going direct, like an arrow, and God doesn’t believe in shortcuts. 
You will attain to YOUR target, 
but happiness will not be there.
 
Millions of people attain their targets: 
they wanted to be successful, 
they are successful – but unhappy. 
 
They wanted to be rich, they are rich – but unhappy. 
 
The richer they get, the unhappier they become, because now even the hope is lost. 
They were thinking that when they became rich they would be happy; now they are rich, and happiness – they cannot see any sign of it anywhere. 
Now, with unhappiness hopelessness also settles.
 
A poor man is never hopeless, 
a rich man always is. 
 
And if you find a rich man who is not yet hopeless it is certain he is not yet rich. 
 
Hopelessness is the symbol of being rich. 
A poor man can hope
 
Millions of things are there which he has not got. 
He can dream, he can hope that when these things are there he will have attained the target. Then everything will be okay, he will be happy.
 
This man pursued happiness for sixty years. 
At sixty death is coming nearer, and he must have felt it that night, because whenever a birthday comes a subtle feeling of death arises. 
To suppress that feeling we celebrate birthdays. Whenever a birthday comes, on that day it is impossible to forget death. To help you forget, friends come and greet you and they say, ”This is your birthday.” 
 
Every birthday is a death day, 
because one more year has gone, death is nearing.
In fact a birthday is not a birthday, cannot be – death is approaching, death is coming nearer. 
Time is slipping fast through the fingers. 
The very earth on which you are standing is being pulled away. 
Soon you will be in the abyss. 
 
A birthday is a death day. 
 
To hide it, to suppress it, the society has created tricks. 
 
People will come with flowers and gifts to help you forget that death is coming nearer – and they call it a birthday.
 
He had become sixty. 
Next morning a new birthday was approaching. 
He must have felt, he must have heard the sounds, the footsteps, of death somewhere around... the shadow. 
 
And he decided: Enough is enough. 
 
I pursued long – almost my whole life has been wasted in trying to be contented, and I could not be, so now I will do without. 
The old man said,
”Now here I am. I have never been so contented as I am today, absolutely contented. There is no discontent, no unhappiness.”
 
In the very search you create unhappiness. 
When you don’t search, happiness searches for you. 
When you search, you search alone and you will not find. 
 
Where will you seek? 
How will you search? 
 
Mind can never be happy. 
 
Mind is your accumulated discontent. 
Mind is your accumulated unhappy past, the whole suffering that you have passed through: it is a wound in your being. 
And the mind tries to seek, to pursue, 
and you miss.
 
When you forget about happiness, 
suddenly you are happy. 
When you forget about contentment, 
suddenly it is there. 
 
It has always been there around you, 
but YOU were not there. 
 
You were thinking: 
Somewhere in the future a target has to be achieved, happiness earned, contentment practiced. 
 
You were in the future and happiness was just around you like the fragrance of a flower.
 
Yes, God is a loafer. 
 
He is always loitering somewhere around. 
 
And you have gone too far, seeking. 
 
Come back home! 
 
And just be. 
 
Don’t bother about happiness. 
 
Life is there as a gift; 
happiness is also going to be there as a gift 
– a gift from the whole, a holy gift.
 
When you are seeking too much you are closed; 
the very tension of seeking and searching closes you. 
When you are desiring too much, 
the very desire becomes such a tense state of affairs that happiness cannot penetrate you. 
 
Happiness penetrates you in the same way as sleep; 
contentment comes to you in the same way as sleep: 
when you are in a letgo, 
when you allow, 
when you simply wait, 
they come.
 
In fact, to say they come is not right: 
they are already there. 
 
In a letgo you can see them and feel them, 
because you are relaxed. 
 
In relaxation you become more sensitive 
– and happiness is the subtlest thing possible, the most subtle, the very cream of life, the essence. 
 
When you are relaxed in a total letgo, 
not doing anything, 
not going anywhere, 
not thinking of any goals, 
no target, 
not like an arrow 
but like a bow, relaxing, 
without tension 
– it is there.
 
 
 
I have heard a story about a great mogul emperor, Babur, who conquered India. 
He became one of the greatest emperors in the world, ruled almost the biggest part of the world any man has ever ruled.
 
A man, a very wise man, came to see him, 
but the wise man was very disappointed because Babur was talking to his court people in such a profane way – vulgar, cracking jokes; ordinary, not refined even – and laughing a belly laugh. 
 
The wise man was disappointed. 
He said, 
”I was thinking that you were a cultured man, 
and I have heard many stories that you love wisdom; 
that’s why I am here.
I have heard that in your court you have many wise men, learned men, scholars, musicians, philosophers, religious men, and what do I see here? 
A simple vulgarity. 
It is intolerable.
I cannot be here in your court a single moment more!”
 
Babur said,
”Just one moment, then you can go. 
Look in that corner.” 
 
In that corner was a bow.
 
The wise man said,
”What has that to do with the situation?”
 
Babur said, 
”I cannot be always tense. 
If the bow is always tense, and the arrow is always on it, soon the bow will be broken. It will lose its elasticity. It won’t be flexible then, and a bow has to be flexible; only then is it alive... the more flexible, the more alive. That is my bow, and I am like my bow. Sometimes, yes, I am tense; the arrow is on it, the bow is stretched. But only sometimes. Then I rest and relax also.”
 
I don’t know what happened to that wise man. 
I feel Babur was wiser than that wise man. 
A bow needs relaxation. 
You are also a bow. 
You also need relaxation.
 
For small matters, the world of the market, you can move like an arrow, because that is man-created. 
But for that which is not man-created, you cannot be like an arrow 
– you have to be like a relaxed bow.
 
God is total relaxation. 
 
Hence Patanjali says that perfect SAMADHI is like sleep, with only one difference 
– otherwise the quality is the same, the same flavor, the same taste – 
with just one difference: 
in sleep you are unconscious, 
in samadhi you are conscious. 
 
But the relaxation, the letgo, is the same. 
 
Everything untense, 
not going anywhere, 
not even a thought of going anywhere, 
just being here and now 
– suddenly everything starts happening.
 
You are not to do anything to be happy. 
 
In fact you have done too much to become unhappy. 
 
If you want to be unhappy, do too much. 
If you want to be happy, allow things, allow things to be. Rest, relax, and be in a letgo.
 
Letgo is the secret of life. 
Letgo is the secret of religion. 
Letgo is the greatest secret. 
 
When you are in a letgo many things, millions of things, start happening. 
 
They were already happening but you were never aware. 
You could not be aware; 
you were engaged somewhere else, 
you were occupied.
 
The birds go on singing. 
The trees go on flowering. 
The rivers go on flowing. 
The whole is continuously happening, and 
the whole is very psychedelic, very colorful, with infinite celebrations going on. 
 
But you are so engaged, so occupied, so closed, with not even a single window open, no cross-ventilation in you. 
 
No sunrays can penetrate you, 
no breeze can blow through you, 
you are so solid, so closed, 
what Leibnitz called monads. 
 
You are monads. 
Monad means something without any windows, with no opening, with every possibility of opening closed. 
 
How can you be happy? 
 
So closed, 
how can you participate in the mysteries all around? 
How can you participate in the divine? 
 
You will have to come out. 
You will have to drop this enclosure, this imprisonment.
 
Where are you going? 
 
And you think that somewhere in the future there is some target to be achieved? 
 
Life is already here! 
 
Why wait for the future? 
Why postpone it for the future? 
 
Postponement is suicidal. 
 
Life is slow; 
that’s why you cannot feel it. 
It is very slow, and you are insensitive; 
otherwise postponement is the only poison. 
You kill yourself by and by. 
You go on postponing – and you go on missing the life that is here and now.
 
For those who have attained to the here and now, the whole life starts showering flowers on them. Many things start happening which they never dreamed of.
 
When for the first time you are really relaxed in a meditative state, you cannot believe that life is so beautiful, so euphoric, such infinite bliss, such a SAT-CHIT-ANAND; you cannot believe it! It is unbelievable. 
 
When a Buddha reports, nobody believes. 
When a Jesus talks about his kingdom of God, nobody believes. 
 
Even those who follow, 
they also are not absolutely trusting.
 
There is a story that Thomas was Jesus’ most beloved disciple, 
but even he was not an absolute believer, even he doubted; hence the phrase, Doubting Thomas. 
Thomas was the most beloved disciple, the closest – and yet he too was a doubting Thomas.
 
It happened that Jesus was moving from one shore of Lake Galilee to the other shore. 
He told his disciples to move ahead and he would be coming. 
So they moved off in a boat
Then suddenly, when they were just in the middle of the lake, they couldn’t believe their eyes – Jesus was coming on the water, walking. 
They forgot everything about Jesus; 
they thought this must be a ghost. 
They had seen so many miracles, even the dead had been raised, but now they could not believe. 
They forgot everything in the moment of surprise, it was such an unbelievable phenomenon – Jesus walking on the water.
 
The disciples became so afraid and trembling, they started praying to God: 
”Save us! Who is this man coming? 
It must be a ghost! We are in danger.” 
Even Thomas cried, ”Who are you?” 
when Jesus came near.
 
Jesus said, 
”Can’t you see me? 
Have you forgotten me completely? 
Can’t you believe that I am Jesus, your master?” 
 
But still they were trembling.
 
Thomas said,
”If you are really Jesus and not a ghost, or the Devil in disguise, if you are really Jesus, and if you are really walking on the water, then let me also walk on the water, master.” 
 
This was a trick to test.
 
Jesus said,
”Yes, you can come!” 
 
Then there was trouble. 
Thomas walked two, three steps. 
Yes, he could walk, but then the doubt arose: ”Maybe this is the Devil playing a trick on me; otherwise how can I walk? It is impossible!” 
The thing was happening, he was walking on the water, but he couldn’t believe it himself: 
a doubt arose and immediately he sank into the lake and Jesus had to run and bring him out.
And Jesus said, 
”You man of little faith.” 
 
From that day the phrase Doubting Thomas became prevalent. 
But he was the MOST beloved. 
The others were not even trusting enough to come out of the boat, even to TRY.
 
When Jesus brings the news, the good news of the kingdom of God, nobody believes him. 
 
When Buddha talks about the infinite emptiness within, nobody believes him. 
 
We cannot believe! 
 
How can we believe unless we know? 
 
At least a glimpse is needed.
We live in such a suffering, hell, the news about the kingdom of God seems to be just a dream, a poetry maybe, but nothing more. 
 
Religion seems not more than literature: 
fictitious – great fiction, but nothing more. 
It has to be so, it is natural in a way, because you don’t know where you are standing, what is happening all around you. 
You are so insensitive, closed....
 
 
 
Open the windows, break the doors open! 
 
And run out of this imprisonment, stand under the skies. 
 
Feel again! 
 
 
 
Thinking won’t help. 
Thinking can go on and on inside you without opening a single window. 
 
Only feeling brings you out of yourself 
– and you are so afraid of feeling, 
so much at ease with thinking and so afraid of feeling, 
because feeling will bring you out. 
It will bring you again into the very current of life. 
You will be in the river, moving towards the ocean.
 
Feel more,
think less, 
and 
by and by you will see that the more you can feel, the more relaxed you are. 
 
The more you can feel, 
the more you become aware of the secret of life
– that you need not do anything about it, 
you just have to be available. 
 
Just available, I say, and everything comes to you. 
 
Once the idea arises to catch hold, to cling, everything disappears. 
 
This is the meaning of this Sufi story.
 
 
THERE WAS A MAN LIVING BY THE SEASHORE WHO LOVED SEAGULLS.
 
 
Love is the very center of all feelings, 
love is the soul of all feelings. 
All feelings hang on love. 
 
If you don’t love, 
by and by all feelings will disappear. 
 
If you love, 
all feelings will be revived. 
 
And remember, 
I say ALL feelings: 
negative, positive, all. 
 
When you love, 
you start hating also – immediately. 
 
When you love, 
you start feeling anger also – immediately. 
 
When you love, 
you feel sad, you feel happy. 
 
When you love, 
all feelings are again back to life.
 
This is the trouble. 
 
That’s why no society allows love; 
because 
if it were the case that with love only good feelings, feelings that society decides are good, came up, there would be no trouble. 
 
But with love, the trouble is that not only heaven starts flowering, but hell also. 
 
They are together, 
they are two aspects of the same coin. 
 
They cannot be separated 
– and there is no need to separate them, 
because a heaven without a hell would be poorer. 
 
A love without anger would be impotent. 
A love without sadness would be shallow.
 
Life is a polarity, 
and through polarities life becomes richer and richer and more and more complex. 
 
Life is not like ordinary Aristotelian logic, 
life is more like Hegelian dialectics: 
thesis, antithesis. 
 
Two polarities meet and fight, 
and a third phenomenon arises: synthesis. 
 
A greater harmony arises out of two polarities; 
 
then that greater harmony again becomes thesis, a new antithesis arises, then again a higher rung of the ladder of synthesis is reached.
 
This is how life moves. 
 
Life is Hegelian dialectics, 
it is not Aristotelian logic. 
 
It is not simple duality. 
 
It again and again reaches to oneness through duality 
– and that oneness again becomes a pole. 
 
It creates another pole; 
the movement starts. 
 
This is how life is trying to reach higher and higher pinnacles of being.
 
When you love you become happy, and you become sad also. 
These are the thesis and antithesis. 
 
Love is a harmony, the synthesis. 
 
Life moves through opposites, 
just like a river moves through two banks. 
 
You cannot conceive of a river with one bank. 
 
If you conceive of this, 
then all rivers disappear. 
If you try to ensure that one shore will be better, 
then rivers cannot exist.
 
That’s what has happened to human consciousness. 
 
In the very beginning man decided against hate, against anger, against all negative poles, that they are not good. 
 
They are not good if they are alone, 
they are very bad. 
If a man is simply angry without love, 
he is mad. 
This anger is a disease. 
 
But if a man is angry because of love, 
a father angry with his child, with love, 
then anger has a beauty of its own.
 
No child will ever feel bad towards a parent who was angry with love. 
 
But a parent who was simply angry without love cannot be forgiven. 
The child may forget him, 
but he cannot forgive. 
 
Just anger, with no love? 
 
It is illness. 
It is poisonous. 
 
But if you are angry with love, the child understands. 
 
He understands your love. 
And in that bigger whole of love, the anger fits. 
It is just love in action, nothing else; 
and the child immediately feels it, 
and loves you more for it.
 
A husband angry without love is just ego, 
trying to possess, dominate. 
A husband angry with love is not ego trying to possess, but love, trying to help. 
 
Even if anger is needed, love is ready to be angry.
 
When love arises, all feelings erupt; 
a volcano explodes and man becomes afraid. 
 
So it is better, man decided, not to touch this volcano. 
 
Let it be there, hidden, 
because it brings negatives also. 
 
But those who know, they say don’t be afraid of the negative. 
 
The negative is bound to be there with the positive, 
like a shadow is bound to be with you.
 
If you want no shadow, 
you will have to kill yourself. 
Then only can the shadow disappear. 
 
But nothing is wrong in a shadow. 
 
If you are there, nothing is wrong. 
If love is there, nothing is wrong.
 
Somebody asked Saint Augustine, 
”Tell me in one sentence, in a simple sentence, the whole message of Christ, 
because I am an ignorant man, 
and I cannot understand the subtleties of theology. 
And I don’t know much about morality, 
so don’t give me complex disciplines I may not be able to follow. 
Give me a simple discipline, 
so simple that I can understand and follow.”
 
It is said Saint Augustine closed his eyes and meditated, and then he said, 
”Then there is only one thing – love, 
and everything else will follow.”
 
Love is the greatest morality, 
because it brings the feeling part of you up, 
and the thinking part goes down. 
 
Nothing is wrong with the thinking part, 
but it is playing the role of the master, 
which is wrong. 
 
Reason is good if it helps feeling. 
 
Feeling should be the master 
and 
reason should be the servant. 
 
Feeling should guide 
and 
reason should manage. 
 
But if reason becomes the master and feeling has to follow, you will be dead... 
 
because how can you be alive only with reason? 
 
Life is feeling. 
 
Trees can exist without reason, 
but they cannot exist without feeling.
 
Now even scientists are becoming more and more aware that trees feel, and feel tremendously. 
 
Stars, rocks, rivers 
– they cannot exist without feeling. 
 
Feeling is their very life. 
 
Birds, animals, the whole 
– exist with feeling. 
 
Except man. 
Man is upside down. 
The head has become the prominent thing, and head has been suppressing feeling.
 
And it has happened all over life in that way. 
 
Politicians rule, dominate; 
in fact, poets should be the guides, not politicians. 
 
But as it happens in the atomic individual, 
so it happens on a vaster scale in society. 
 
If feeling rules the individual, 
then poets will rule life, 
then poets will rule nations. 
 
The world will be totally different. 
 
If the head rules, 
if reason rules the individual, 
then politicians will rule the world, 
and the world is going to be constantly in trouble, constantly at war, in constant conflict.
 
It is good to feel, and if feeling surrounds you, then there is nothing wrong in thinking. 
 
If thinking follows feeling – beautiful; 
it helps. 
It is like a radar. 
It opens the way for the feeling to move on. 
It protects the feeling from dangers. 
It helps the feeling to know what is going to happen next, to plan a little. 
It is good! 
 
But good only as a servant.
 
If you love, 
you will have a deep affinity with existence. 
 
Trees will talk to you. 
Birds will start coming nearer to you. 
Animals will not be afraid of you 
– there is no need. 
 
Man creates fear because of his head. 
 
With his heart he is again one with the universe.
 
 
THERE WAS A MAN LIVING BY THE SEASHORE WHO LOVED SEAGULLS. 
EVERY MORNING HE WENT DOWN TO THE SEA TO ROAM WITH THE SEAGULLS. 
MORE BIRDS CAME TO HIM THAN COULD BE COUNTED IN HUNDREDS.
 
 
Thousands of seagulls gathered around him. 
They jumped and hopped, and they flew and they danced, and they moved with him on the shore. 
 
The man was accepted by the seagulls, because feeling is everywhere accepted. 
 
That is the language of existence: 
feeling. 
 
Reason is the language of humanity, 
not of existence
– a local phenomenon, not universal. 
 
Feeling is the language, the forgotten language.
If you understand feeling, 
you understand the whole.
 
lt is said of Lukman, one of the wisest men ever born – he is the founder of Yunani medicine – it is said about Lukman that he would go to plants, to bushes, trees, sit there, feel them, and ask them, 
 
”What use can you be put to? 
What disease can you be helpful in?” 
 
And it is said that he discovered millions of herbs, just by feeling them. 
 
The herb would say, 
”It will be good if you use me in tuberculosis; I can help.”
 
This looks like a myth, a fiction, 
but scientists have been at a loss: 
if this is a fiction, then how did Lukman come to know?
…because whatsoever he knew has been proved by all scientific experiment to be right. 
 
And no laboratories existed then, 
like they exist today; 
not such refined instruments, 
not at all! 
If this is a fiction, then a greater problem arises: 
How did he come to know?
And not one or two or a hundred herbs – millions! 
 
If he had been experimenting with crude implements then it would have taken at least ten to twenty thousand years for him to discover all that. 
That seems to be more fictitious. 
The first fiction seems to be nearer reality – that he asked.
 
And there is the same story in India also. 
Ayurveda, the Indian medicine, is based on the same secret. 
Those secrets were revealed by the plants themselves. 
 
But then a language is needed, a language which is universal and not local to humanity. 
 
Feeling is that language. 
Greek or Arabic or Sanskrit won’t do. 
No language originating in the mind is divine language. 
 
No, the divine language originated in the heart. 
Feeling is the language.
 
If you start really feeling, and your heart starts really throbbing with feeling, you can ask a tree, and a tree is always ready to reveal its secret. 
 
You can ask a bird, and the bird is ready to reveal its secret. 
 
You can ask existence, and existence is ready to reveal its heart. 
 
That heart is God, 
the kingdom of God, 
the ecstasy, 
the final liberation, 
MOKSHA, 
whatsoever you want to call it, 
you can call it.
 
 
MORE BIRDS CAME TO HIM THAN COULD BE COUNTED IN HUNDREDS.
 
 
He knew the language of feeling. 
It is love. 
 
Nobody is afraid of love, not even birds. 
And they can certainly feel more than you 
because they have no thinking apparatus, no disturbance of the mind.
 
 
In the West now they are experimenting with plants. 
They say that if you come near a plant with the idea to pluck the flowers, just with the idea – you have not plucked the flowers yet – if just with the idea you come near the plant then the whole plant starts trembling. 
 
A fear arises: the enemy is coming.
 
Now they have made very refined instruments which can check what emotion the plant is going through.
 
If it is fear, then just like a cardiogram, on the paper the instrument records fear. 
If you come with the idea to water the plant, the whole plant feels happy. 
 
This is recorded, the instrument goes on recording that the plant is very happy. 
 
You water the plant, the plant is satiated, very thankful; in fact, showing all gratefulness towards you.
 
It happened in one of the laboratories in New York, suddenly it happened: 
A scientist was working on insects, 
and a plant was in the room, 
a cactus plant. 
 
He was working with earthworms, experimenting in many ways
– and scientists, in the name of experiment, are torturing many types of insects, animals; 
he threw one earthworm in hot boiling water. 
He was also working with plants, and the cactus plant was accidentally connected with the instrument that records the feelings of the plant. 
Suddenly the plant went through much anger, fear, a very violent state. 
An earthworm had just been thrown into hot water!
 
Life is dying: a plant feels it. 
You cut one plant
– the whole garden feels it, 
because everything is surrounded by an ocean of feeling, all around. 
 
You create vibrations. 
When you are angry you create vibrations. 
When you are lustful you create vibrations. 
When you are loving you create vibrations. 
 
Those vibrations are the universal language 
– they are understood by the whole existence.
 
It is said that when Buddha attained to enlightenment, trees flowered out of season. 
It may not be a fiction, it may be true.
And one day we may be able to prove it scientifically, because if an earthworm, not related to a plant at all, of a totally different species, is thrown into hot water, and the death, the torture, the violence, is felt by the plant and the plant goes through a turmoil, a terrible turmoil, shaken to the very roots, then the other thing also seems possible.
 
Buddha attains to nirvana, he becomes enlightened. 
One life has reached the goal: 
it does not seem too fictitious that the trees around him suddenly flower out of season, in celebration. 
If pain can be felt, celebration can also be felt. 
Just a few steps more and science will be saying,
”Yes, this is not a fiction.” 
Life sometimes is stranger than fiction. 
It is.
 
 
HIS FATHER SAID TO HIM ONE DAY:
I HEAR THE SEAGULLS ALL COME ROAMING WITH YOU 
– BRING ME SOME TO PLAY WITH.
 
 
Now an idea had entered the head. 
The man was no longer the same. 
 
Love was not there. 
 
The heart was not functioning that day. 
 
A desire had entered. 
He had a target now. 
He had come to the seashore now with a business. 
He was no more a friend to the seagulls 
– he was going to catch them – 
he was the enemy.
 
 
NEXT DAY, WHEN HE WENT DOWN TO THE SEA, 
THE SEAGULLS DANCED OVER HIM AND WOULD NOT COME DOWN.
 
 
The seagulls cannot understand what you are thinking in the mind but they can understand the vibes that you are creating around – and you are continuously creating vibes around you. 
You are a continuous broadcast of vibes, CONTINUOUS. 
Whatsoever happens in your heart, it is just as if someone has thrown a stone in a lake: 
ripples arise, and they go on and on and on 
– they will go to the very end, to the very shore, all around. 
 
A feeling arises in you; 
immediately a stone has been thrown in the lake of your being. 
 
An idea arises in you – ripples arise. 
They go all around.
 
Those seagulls don’t know exactly what the father has said to the son, because they don’t understand the local language of man. 
 
They don’t know what has really happened, 
but deep down they still know that this man is not the same. 
Somebody else has come, a stranger, not the old friend. 
Now he has come with an idea. 
The idea is not known, 
but throughout his whole body he is now not in a letgo. 
 
He has some idea to DO, some plan, some desire. 
 
He is not the same relaxed man with whom seagulls could feel at home.
 
And this is the secret of the whole of life: 
not only seagulls but happiness, meditation, ecstasy – they all come to you when you are in a total letgo, in a deeply friendly mood, in a loving attitude towards existence. 
 
When you are at the heart, they come. 
When you are persuading them, and you think that happiness is something like a right, that you have to pursue it, suddenly the seagulls of happiness are not descending. 
 
They will dance above your head 
but they will never come down to play with you, to move with you, to jump and hop! 
 
No, they will never become one with you. 
They will not descend into your being.
 
Yes, happiness is a seagull. 
Meditation also is a seagull. 
Ecstasy is also a seagull. 
Existence understands only letgo. 
 
If you are in a letgo, you will attain. 
 
You will attain to whatsoever this existence can give you 
– and it can give you infinite blessings, infinite benediction. 
It can give you total satiety, contentment. 
You can become a buddha.
 
Existence is ready to give, 
but you are not ready to take it, 
because you are thinking in terms of how to snatch it. 
 
Existence gives to you as gifts; 
you cannot snatch, 
you cannot conquer, 
you cannot achieve. 
 
You surrender, please. 
 
Please, be in a letgo.
 
All that is beautiful is like seagulls. 
 
Remember this: nothing can be done. 
 
The feast is already ready 
– you have been invited. 
 
You can enter from the front door. 
But you are foolish, you are trying to enter from the back door, 
and in existence there is no back door. 
 
You are trying to enter like a thief. 
The front door is open for you, and the host is waiting on the steps to receive you, 
and you are trying to enter from the back door like a thief.
 
Life has no back doors. 
 
You cannot steal life. 
 
You cannot be a thief. 
 
Life gives, 
and 
gives infinitely and gives unconditionally. 
 
You please be just in a letgo. 
 
Let the seagulls descend and play with you, 
and loiter with you on the seashore. 
Everything is ready. 
The feast, the host – everything is ready, just waiting for you to come in from the front door. 
 
Effort is not needed. 
Effort is the back door. 
Effortlessness is needed.
 
Don’t listen to Jefferson. 
 
Happiness is not a right, 
you cannot pursue it. 
You have to persuade it. 
 
It is like a shy woman: 
you have to court it, indirectly. 
You don’t go to a woman and say,
”I would like to go to bed with you.” 
That is too direct, 
too insulting, 
too vulgar. 
Any worthwhile woman would slap your face. 
 
One has to be a little more subtle with a woman. 
One has to be a little more indirect.
 
Patience is needed. 
Poetry is needed. 
 
And even if you have the idea in your mind to go to bed, that will be a disturbance, that will create an unbridgeable gap. 
If the idea is not there then you simply enjoy being with this woman. 
One day you will go to bed with her, 
but that will happen. 
 
The seagulls will descend on you.
 
Let life happen, 
don’t try to force it. 
 
Through doing, 
only worthless things are achieved; 
 
through nondoing 
– all that is beautiful, 
all that is sacred, 
all that is divine.
 
Enough for today.
 
 
 
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sammasati サマサティ
right remembrance
正しく想起する。
 
 
『The last word of Buddha was, sammasati. 
 Remember that you are a buddha – sammasati.』
 
 
瞑想と愛 meditation & love
 
 
 
 
花仙人
 
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