花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

なぜあなたは地球に…

なぜあなたは地球に…

 

 


”あなたが本当に欲しいものは何ですか?”

 

 


”なぜあなたは地球に生まれてきましたか?”

 

 

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わたしの場合ですが

この2つに
『気づき』『手放し』ができた後
宇宙意識と1つに溶け込んだ真の状態を
再び「感覚」で『思い出す』
光明 enlightenment が起こりました。

 

 

何度輪廻転生しても
満たされることがなかった
自分が本当に欲しかったモノに
『気づき』『手放し』が起こり
それへの『執着』がやっと消えてなくなりました。

 

そして

 

それがどうやら
何度も地球に輪廻転生してきた
理由だったのでした。

 

 

この2つに
『気づき』『手放し』が起こり
光明 enlightenment が起こったので

 

何度も地球に輪廻転生してきた
苦しみの輪サンサーラからの永遠の離脱ができ

 

2度と地球に輪廻転生することはなくなりました。

 

 

最後の地球での暮らしを感謝しながら
今はただただ寿命まで恩返しの静かな暮らしです。

 

 

そして
今日は
最近読みはじめた
導師 master osho の講話

 

”The Secret of Secrets”
Talks on the Secret of the Golden Flower

 

の中から少しご紹介します。

 

ご紹介する予定ではなかったのですが
急遽9月20日の今日ご紹介するという
存在の自然界の流れのようなのです。

 

”The Secret of Secrets”は
老子の『黄金の華』について
osho がたいへん詳しく丁寧にお話している講話で

 

死ぬ前に読むことができて本当によかった…

 

と思えるほどすごい講話です。

 

しかしなぜだか
和訳本は出版されているようですが
入手できないので
わたしはなんとか英語の講話を読んでいます。

 

というわけで…
和訳本を持っていませんから
存在の流れのままに…ということで
昨夜急遽自力で和訳してみたりしましたσ(^_^;)

 

アホで無知であるのに
さらに言語は無理があるので
たいへんなミスキャストだとは思いますが

 

和訳、間違いだらけかも?しれませんが
だいたいこんな感じ…
ということですみませんが
それでも流れなのでご紹介しますσ(^_^;)

 

気合いオンリーで頑張りました( ´ ▽ ` )ノ

 

わたしのド素人な和訳だけでは申し訳ないので
このお話のチャプター3だけですが
英文もバッチリ後半に載せてあります(-_^)

 

 

ちょっぴし厳しめのお話かも?しれませんが
光明 enlightenment が起こると

 

真実だな…

 

とはっきりわかるとても大切なお話です。

 

 

なぜ今日この寓話を流すのか…
存在にしかわかりませんが…
9月20日の乙女座新月の日に
深い癒しが起こるかも?

もしかしたら
完全なる癒しである光明 enlightenment が起こるかも?

 

いろいろな意味で
『気づき』のきっかけになれれば…

 

 


なぜあなたは地球に生まれてきましたか?”

 

 

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寓話をひとつ…

 

ある日
ヴィシュヌ神は遠い山の深い洞窟の中に座り
弟子 disciple と一緒に瞑想 meditation をしていた。

 

瞑想 meditation が完成に近づいたことに
とても感動した弟子 disciple は
ヴィシュヌの足もとにひれ伏し
そして
感謝のために何か奉仕をすることはできないかとお願いした。

 

ヴィシュヌは微笑みそして首を振った、

 

「私があなたに無償で与えたものに
行為で報いることは
あなたにとって最も難しいこととなるだろう。」

 

「主よ、お願いです、」
弟子 disciple は言った、
「あなたへの感謝の奉仕をすることを私にお許しください。」

 

「いいだろう、」
ヴィシュヌは優しくなった、
「私は冷たいコップ一杯の水が欲しい。」

 

「主よ、いますぐに、」
弟子 disciple は言った、
そして彼は嬉しそうに歌を歌いながら山を駆け下りた。

 

 

やがて彼は美しい谷の端にある小さな家に来て戸を叩いた。

「どうか私の導師 master のために

コップ一杯の冷たいお水をいただけませんか、」
彼は言った。
「私たちは流浪のサニヤシン sannyasin です
そしてこの地球に家を持たない者です。」

 

すばらしい乙女が彼の呼びかけに答えて、
隠しだてのない敬愛で彼を見た。

 

「あら」
彼女はささやいた、
「あなたは遠い山であの聖者にお仕えしているのですね。
どうぞ、よい方、私の家の中へお入りください
そしてあなたの祝福をそこに授けてください。」

 

「私の無礼をお許しください、」
彼は答えた、
「しかし私は急いでいます。
私は導師 master の水と一緒に
ただちに彼のところへ戻らなければなりません。」

 

「まさか、あなたの祝福だけで彼は怒りはしないでしょう。
彼は偉大な聖者なのですから、
そして彼の弟子 disciple であるあなたは
幸運の少ない私たちのような者たちを
助ける責任があります。
どうかお願いします、」
彼女は繰り返した、
「私の質素な家のためにただあなたの祝福を。
あなたがここにいらして
あなたを通して主にお仕えできることは
とても光栄です。」

 

 

そのようにして物語は続く、
彼は態度をやわらげ、
そして家の中に入った
そしてそこにある全てを祝福した。


やがて夕食の時間になった、
そして彼は滞在するように説得された
そしてさらに彼女の食べ物を食べて祝福した
(いただくことによってそれは神聖なことになる)、
そしてとても遅くなったので
…山へ戻るにはとても遠く、
暗闇の中で足を滑らせて水をこぼすかもしれない…
彼はその夜はそこで寝て
朝早く山へと戻ることを説得された。


しかし朝になると、
誰1人もミルクを搾る者がいなかったので
雌牛が痛みだした、
そしてもし彼がこの1度だけ雌牛を助けることができたら
(雌牛はクリシュナ神の聖なる使いなので
苦しませてはならない。)
それはとても不思議なことになるだろう。

 


そして1日が1週間となり、
彼はまだ滞在したままだった。

 


彼らは結婚した、
そしてたくさんの子供をもうけた。

 

彼はその土地でよく働いた
そしてよい収穫をもたらした。
彼はさらに土地を買った
そして耕作した、
まもなく彼の近隣の人々が
彼の助言や助けを求めて
彼に会いにくるようになった、
彼は無償でそれを与えた。

 

彼の家族は繁栄した。

 

彼の努力をとおして寺院が建てられた、
学校や病院がジャングルを切り開いて建てられた、
そして谷はこの地球の宝石となった。

かつてはただの荒野だった場所に
調和が広く行き渡っていた、
その繁栄と平和の知らせが土地に広がり渡るにつれ、
たくさんの人が群れをなして来た。

 

そこには貧困も病気もなく、
そして全ての人々は働きながら
彼らの神をたたえる歌を歌った。

 

彼は彼の子供たちが成長し
そしてその子供たちが彼ら自身の子供たちを持つのを見守った、
そしてそれは良かった。

 

 

ある日のこと1人の老人は、
低い丘に向いて立ち、
ここに来てから起こった全てのことを思った、
見渡す限りの農場と幸せな繁栄を見た。
彼は満足だった。

 

 

 

突然、大きな高波がやって来て
彼が見ていた全ての谷を浸水した、
そしてあっという間に全てがなくなった。

 

妻、
子供たち、
農場、
学校、
近所の人々
…すべてがなくなった。

 

彼は困惑しながら
目の前に繰り広げられた
大虐殺をじっと見た。

 

 

 

すると彼は
彼の導師 master ヴィシュヌが水の上に乗っているのを見た、
ヴィシュヌは彼を見て悲しげに微笑みながら言った、

 

「私は私の水をまだ待ち続けている!」

 

 

 

これは人間の物語だ。

これはみんなに起こっている。

 

 

 

私たちは完全に忘れてしまってる

 

なぜここにいるのか、
なぜやって来たのか、
なにを学びに、
なにを得るために、
なにを知るために、
自分は誰なのか
どこから来てどこへ行くのか、
なにが自分の源なのか
生に入り
肉体に入り
世界に入る
自分の旅の原因はなにか、
そして
自分が今まで達成したものはなにか…を。

 

 

そしてもし高波が来たら

…それはやって来る、それはいつも来る、
その名前は死だ…

 

 

すべてがなくなるだろう、

 

子供たち、
家族、
名前、
名声、
金、
権力、
地位。

 

一瞬のうちにすべてがなくなり
そしてあなたは独り残される、
完全に独りで。

 

 

全てのあなたのしてきたことは
高波によって取り消されてしまうだろう。

 

 

全てのあなたの働きはなんでもないことが証明されるだろう
それは夢だと、
そして
あなたの手とあなたのハートは
空っぽになるだろう。

 


そして
あなたは神と顔を合わせなくてはならない、
存在 existence と顔を合わせなければならない。

 


存在 existence はあなたを待ち続けている、

 


最初にあなたをここに送った
あなたが何かを持ち帰ってくることを
延々と待ち続けている。

 


しかし
あなたは眠っていて、
千と一つの夢を見ている。

 


全てのあなたが今までやってきたことは
なんでもなく、
すべては夢に過ぎない、
なぜなら
死がやって来れば
すべて押し流されてしまうからだ。

 


実在 reality するものは
死によって押し流されることがない。
実在 reality は死を知らない。
実在 reality は死ぬことがない。
実在 reality は不死だ。
実在 reality は永遠だ。

 


全ての死は死によって単に証明される
それは本物ではないと、
それは幻想、マーヤ maya、夢、
しかし
夢は全て同じだ。

 


あなたは地獄の夢を見ているかもしれないし、
または
あなたは天国の夢を見ているかもしれない。

 

どちらにしても大きな違いはない。

 

 


目覚めた瞬間
あなたは自分自身が完全に空っぽであることに
気づくだろう

 

 


…そして

空 empty は否定的 negative な意味だ(空虚)

ゴータマ・ブッダの知る
肯定的 positive の意味ではない(空)、

 

エゴ(欲・自我)の空 empty ではない、

しかし
あなたのエゴ(欲・自我)が試してきた全ての空 empty、

 

エゴ(欲・自我)でいっぱい、
しかし
達成もなく、
実現もなく、
知識もない。

 


そして
エゴ(欲・自我)が知識を要求していない
というのではない、
エゴ(欲・自我)は要求している。

 

エゴ(欲・自我)はとても博識だ、
それは情報を集めている。

 

エゴ(欲・自我)は偉大な収集家だ、
エゴ(欲・自我)はお金を集め、
エゴ(欲・自我)は情報を集め、
エゴ(欲・自我)はあらゆるものを集める。

エゴ(欲・自我)は蓄積を信じる。

エゴ(欲・自我)は貪欲だ


そしてなんでもないが貪欲そのものだ、
エゴ(欲・自我)とは貪欲の別名だ。

 

エゴ(欲・自我)は所有したい、
しかし
全てのあなたが所有したものは
なくなってしまうだろう。

 


そして
全てのあなたがやってきたことは、
あなたの夢の中でやったことだった。

 


目覚めた瞬間あなたは驚くだろう
どれだけ多くの時間を無駄にしてきたことか、
どれだけ多くの生を夢見ながら生きてきたことか、
どれだけ多くの夢を生きてきたことか。

 

 

探求者 seeker であるというのは
この夢から出てくること、
この夢見る状態の意識から出てくることだ。

 

探求者 seeker であるということは、
目覚めようと努力することだ。

 

目覚めるとは
覚者 buddha になることだ

 

…油断なく醒め、
意識し、
内なる光に満たされること
そうすると、全ての無意識が消え、
そうすると、全ての眠りが消え、
すると、眠りの闇があなたの内側から消え
そして、あなたは完全に目覚めている。

 

 

 

 

こんなことがあった…

偉大な占星術師がゴータマ・ブッダを見た。

 

占星術師は彼の目を信じることができなかった

 

…その身体、
その黄金のオーラが身体の周りにある、
美しい目、
湖のように静かで、
湖のように深く純粋な、
その水晶のような透明さ、
その優美な歩き方。

 


占星術師はゴータマ・ブッダの足に触れ言った、
「私は占星術と手相を学びました。
私の全生涯、私は人のタイプを学んできました、
しかし
私はあなたのような人に
けっして出会うことはありませんでした!

あなたはどのようなタイプに属しているのでしょう?

あなたは地上に降り立った神なのですか?

…なぜなら
あなたはこの地球に属する人のようには見えません。

私はあなたに重さを見ることができません。

あなたはまったく軽くあり、重さがない。

私は不思議に思います、
あなたはどのようにして地球を歩くのですか、
なぜなら
私はあなたに重力の作用があるようには見えません。

あなたは地球で
何が起こっているかを見るために
天国から降りて来られた神なのですか?

神の使いメッセンジャーなのですか?
預言者なのですか?
あなたは誰ですか?」


するとゴータマ・ブッダは言った、
「私は神ではない。」


占星術師は尋ねた、
「するとあなたはインドの神話に出てくるヤクシャなのですか?」
…ヤクシャというのは神より少し低い存在だ。


ゴータマ・ブッダは言った、
「いいや、私はヤクシャでもない。」


占星術師は言った、
「すると、あなたは誰なのですか?
あなたはどの種類の人なのですか、
あなたを何に分類すればいいのですか?」


ゴータマ・ブッダは言った、
「私は男でもなければ女でもない。」


さあ、占星術師はとても困り、言った、
「それはどういう意味ですか?
あなたは動物だとでもいうのですか、
動物の精、
または木の精、
それか山の精、
それとも川の精?」

…なぜならインドの神話は汎神論だから、
それはあらゆる種類の精霊を信じている。

「そうならば、あなたは誰ですか、
薔薇の精なのですか?
あなたはとても美しく、とても無垢に見えます。」


そしてゴータマ・ブッダは言った、
「いいや、私は動物でもなければ、
木や山の精でもない。」


占星術師は言った、
「では、あなたは誰なのですか?」

占星術師はとても困ってしまった。


そしてゴータマ・ブッダは言った、
「私は目覚めた意識に他ならない。
あなたは私を分類することができない、
なぜなら、
全ての分類は夢にしか該当しないからだ。」

 

 


誰かは彼は男であるという夢を見ている、
誰かは彼女は女であるという夢を見ている、

そのようにしてそれは続いていく。

 


分類は夢の世界に属している。

 


人が目覚めるとき
人はたんに覚醒の本質そのものだ。

 


人はただの目撃者(観照者 witness)以外の何者でもない、
純粋な目撃者(観照者 witness)。

 


全ての雲は消え去った、
その雲は
男か女、
動物、
神、

…全ての雲、全ての形は消え去った。

 


人はただの形のない目覚めた意識、
純粋な青空、
終わりのない、
無限、
広大だ。

 


この目覚めた意識は雲がない空っぽであり
ただ青空が広がっている。

 


これが肯定的 positive な虚空 emptiness であり、
これがニルヴァーナ Nirvana だ。

 

 

 


それから否定的 negative な虚空 emptines がある。

 

あなたは雲でいっぱいになっている
…雲がいっぱいになり過ぎて
ほんの少しの青空も見ることができない

 

あなたは知識でいっぱいになっている
…知識がいっぱいになり過ぎて
瞑想のための空間が少しも残されていない。

 

 

 


それは言った、

 

何も知らないのに、
知っているつもりでいる者、
それは愚か者 fool
…パンディットとか学者と呼ばれている…
…彼を避けなさい。

 


何も知らないのに、
知らないということも知らない者、
それは無垢な人 innocent
…子供だ…
…彼を目覚めさせなさい。

 


何も知らないのに、
知らないということを知っている者、
それは覚者(ブッダ buddha)
…彼に従いなさい。

 

 

 


「私は誰でもない。 I am nobody.」

 

というこの自覚に至ることは
覚者(ブッダ buddha)になる
ということだ。

 

 

 


覚者(ブッダ buddha)とは
誰かの名前ではない。

 

覚者(ブッダ buddha)とは
「誰でもない状態」を表す名前だ。

 

覚者(ブッダ buddha)は実存ではない。

 

覚者(ブッダ buddha)とは
まさに空間 space、
開け放たれた空間 open space、
その開放状態、開け放たれた大空を表す名前だ。

 


 


東洋ではそれをブッダ Buddha と呼んだ、
西洋ではそれをキリスト Christ と呼んだ
…それは同じ本質だ。

 


 


これは究極のゴールだ。

 

これは見出さなければならない。

 

これは見出すことができる。

 

これはあなたの
生まれながらにして持っている権利だ。

 


もしあなたが取り逃がすとしたら、
あなただけの責任となる、
他の誰かの責任ではない。

 


すべてを賭けなさい、
しかし逃してはならない!
Risk ALL,
but don't miss it!

 


すべてを犠牲にしなさい、
しかし逃してはならない!
Sacrifice ALL,
but don't miss it!

 

 

 

from osho talks
The Secret of Secrets, Vol 2

Talks on the Secret of the Golden Flower

Talks given from 27/08/78 am to 10/09/78 am
English Discourse series

 

Chapter 3
Chapter title: The golden flower is opening
29 August 1978 am in Buddha Hall

 


この全講話の英語のダウンロードpdfはこちら。
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=12

 

 

以下はchapter 3 の英語の全講話です。

(上の日本語はこの講話の1部です。

The Secret of Secretsの講話は
老子の「黄金の華」を
導師 master osho がたいへん丁寧に話してくれた
ものすごく素晴らしい講話なのですが
和訳された本も出版されていますが
なぜだかもう入手できずσ(^_^;)
和訳された本を持っていませんので
なんとか頑張って英語の講話を読んでいます。

英語はなんとか読めるのですが、
翻訳とかできるような実力はないので…
上にご紹介したのはなんとか頑張ってみた
和訳の結果ですが
間違いだらけかと思います…すみませんσ(^_^;)
気持ちだけ分かち合いって…気合いオンリーです(・_・;
アホで無知なだけでなく
言語は無理であり…助けてください(・_・;

 

そんなわけで…
以下の英語の講話は今回ご紹介した
chapter 3 のお話しの全てです。

 

もちろん
まだ以下の英語の講話を全部訳すことができていません。

でもこの講話は
本当に本当に本当に素晴らしいお話しなので
英語で読める方は是非読んでみてください。

再び、この講話を和訳された本が
販売されるといいな…(*^_^*) )

 

 

The golden flower is opening

 

 

MASTER LU-TSU SAID:
THERE ARE MANY KINDS OF CONFIRMATORY EXPERIENCES.

ONE MUST NOT CONTENT ONESELF WITH SMALL DEMANDS BUT MUST RISE TO THE THOUGHT THAT ALL LIVING CREATURES HAVE TO BE REDEEMED.
ONE MUST NOT BE TRIVIAL AND IRRESPONSIBLE IN HEART, BUT MUST STRIVE TO MAKE DEEDS PROVE ONE’S WORDS.
IF, WHEN THERE IS QUIET, THE SPIRIT HAS CONTINUOUSLY AND UNINTERRUPTEDLY A SENSE OF GREAT JOY AS IF INTOXICATED OR FRESHLY BATHED, IT IS A SIGN THAT THE LIGHT-PRINCIPLE IS HARMONIOUS IN THE WHOLE BODY; THEN THE GOLDEN FLOWER BEGINS TO BUD.
WHEN, FURTHERMORE, ALL OPENINGS ARE QUIET, AND THE SILVER MOON STANDS IN THE MIDDLE OF HEAVEN, AND ONE HAS THE FEELING THAT THIS GREAT EARTH IS A WORLD OF LIGHT AND BRIGHTNESS, THAT IS A SIGN THAT THE BODY OF THE HEART OPENS ITSELF TO CLARITY.
IT IS A SIGN THAT THE GOLDEN FLOWER IS OPENING. FURTHERMORE, THE WHOLE BODY FEELS STRONG AND FIRM SO THAT IT FEARS NEITHER STORM NOR FROST.
THINGS BY WHICH OTHER MEN ARE DISPLEASED, WHEN I MEET THEM, CANNOT BECLOUD THE BRIGHTNESS OF THE SEED OF THE SPIRIT.
YELLOW GOLD FILLS THE HOUSE, THE STEPS ARE OF WHITE JADE.
ROTTEN AND STINKING THINGS ON EARTH THAT COME IN CONTACT WITH ONE BREATH OF THE TRUE ENERGY WILL IMMEDIATELY LIVE AGAIN. RED BLOOD BECOMES MILK.
THE FRAGILE BODY OF THE FLESH IS SHEER GOLD AND DIAMONDS.
THAT IS A SIGN THAT THE GOLDEN FLOWER IS CRYSTALLIZED.
THE BRILLIANCY OF THE LIGHT GRADUALLY CRYSTALLIZES.
HENCE A GREAT TERRACE ARISES AND UPON IT, IN THE COURSE OF TIME, THE BUDDHA APPEARS.
WHEN THE GOLDEN BEING APPEARS WHO SHOULD IT BE BUT THE BUDDHA?
FOR THE BUDDHA IS THE GOLDEN HOLY MAN OF THE GREAT ENLIGHTENMENT.
THIS IS A GREAT CONFIRMATORY EXPERIENCE.

 


 


A parable:
One day the Lord Vishnu was sitting in a deep cave within a far mountain meditating with his disciple.
Upon the completion of the meditation the disciple was so moved that he prostrated himself at Vishnu’s feet and begged to be able to perform some service for his Lord in gratitude.
Vishnu smiled and shook his head,
”It will be most difficult for you to repay me in actions for what I have just given you freely.”

”Please Lord,”
the disciple said,
”allow me the grace of serving you.”

”Very well,”
Vishnu relented,
”I would like a nice cool cup of water.”

”At once Lord,”
the disciple said, and he ran down the mountain singing in joy.


After a while he came to a small house at the edge of a beautiful valley and knocked at the door.
”May I please have a cool cup of water for my Master,”
he called.
”We are wandering sannyasins and have no home on this earth.”

A wondrous maiden answered his call, and looked at him with undisguised adoration.
”Ah,”
she whispered,
”you must serve that holy saint upon the far mountain. Please, Good sir, enter my house and bestow your blessing therein.”

”Forgive my rudeness,”
he answered,
”but I am in haste. I must return to my Master with his water immediately.”

”Surely, just your blessing won’t upset him. After all he is a great holy man, and as his disciple you are obligated to help those of us who are less fortunate. Please,”
she repeated,
”just your blessing for my humble house. It is such an honor to have you here and to be enabled to serve the Lord through you.”


So the story goes, he relented, and entered the house and blessed all therein.
And then it was time for dinner, and he was persuaded to stay and further the blessing by partaking of her food (thereby making it also holy), and since it was so late – and so far back to the mountain, and he might slip in the dark and spill the water – he was persuaded to sleep there that night and get an early start in the morning.

But in the morning, the cows were in pain because there was no one to help her milk them, and if he could just help her this once (after all, cows are sacred to the Lord Krishna, and should not be in pain) it would be so wondrous.

And days became weeks, and still he remained.

They were married, and had numerous children.

He worked the land well and brought forth good harvests.
He purchased more land and put it under cultivation, and soon his neighbors looked to him for advice and help, and he gave it freely.

His family prospered.

Temples were built through his effort, schools and hospitals replaced the jungle, and the valley became a jewel upon the earth.
Harmony prevailed where only wilderness had been, and many flocked to the valley as news of its prosperity and peace spread throughout the land.
There was no poverty or disease there, and all men sang their praises to God as they worked.
He watched his children grow and have their own children, and it was good.


One day as an old man, as he stood upon a low hill facing the valley, he thought of all that had transpired since he had arrived:
farms and happy prosperity as far as the eye could see.
And he was pleased.


Suddenly there was a great tidal wave, and as he watched, it flooded the whole valley, and in an instant all was gone.

Wife, children, farms, schools, neighbors – all gone.

He stared, bewildered, at the holocaust that spread before him.


And then he saw riding upon the face of the waters his Master, Vishnu, who looked at him and smiled sadly, and said,
”I’m still waiting for my water!”

 

This is the story of man.
This is what has happened to everybody.

We have completely forgotten
why we are here,
why we came in the first place,
what to learn,
what to earn,
what to know,
who we are and
from whence and to where,
what is our source and
the cause of our journey into life,
into body,
in the world, and
what we have attained up to now.

And if a tidal wave comes
– and it is going to come, it always comes;
its name is death –
all will be gone:
children,
family,
name,
fame,
money,
power,
prestige.

All will be gone in a single moment and you will be left alone, utterly alone.

All that you had done will be undone by the tidal wave.

All that you had worked for will prove nothing but a dream, and your hands and your heart will be empty.

And you will have to face the Lord,
you will have to face existence.

And the existence has been waiting for you;

long, long it has been waiting for you to bring something for which you had been sent in the first place.


But you have fallen asleep, and
you are dreaming a thousand and one dreams.


All that you have been doing up to now is nothing but a dream, because death comes and all is washed away.

Reality cannot be washed away by death.
Reality knows no death.
Reality is undying.
Reality is deathless.
Reality is eternal.

All that dies simply proves by its death
that it was unreal,
that it was illusory, maya, a dream
– maybe a nice dream, but a dream all the same.

You may be dreaming of hell or
you may be dreaming of heaven;
it does not make much difference.

The moment you will be awakened you will find yourself utterly empty
– and empty in a negative sense,
not in the positive sense as Buddhas know it:
not empty of the ego,
but empty of all that your ego has been trying to do; full of ego,
but empty of any attainment,
empty of any realization,
empty of any knowledge.

And it is not that the ego does not claim knowledge; it claims.

The ego is very knowledgeable,
it collects information.
It is a great collector:
it collects money,
it collects information,
it collects every kind of thing.

It believes in accumulation.
It is greed and nothing but greed;
ego is another name for greed.

It wants to possess,
but all that you possess will be gone.

And all that you have done,
you have done in your dream.

The moment you will be awakened
you will be surprised
at how much time has been wasted,
at how many lives you have been living in a dream,
at how many dreams you have lived.

To be a seeker means
to come out of this dream,
to come out of this dreaming state of consciousness.

To be a seeker means:
making an effort to wake up.

To wake up is to become a Buddha
– to be alert,
to be conscious,
to be full of light within
so that all unconsciousness disappears,
so that all sleep disappears,
so the darkness of sleep is no more inside you and you are fully awake.

 

It happened:
A great astrologer saw Buddha.

He could not believe his eyes
– that body, that golden aura around the body, those beautiful eyes, as silent as any lake can be, and as deep and as pure as any lake can be, that crystal-clarity, that walking grace.

He fell at Buddha’s feet and he said,
”I have studied astrology, palmistry.
My whole life I have been studying types of men, but I have never come across a man like you!
To what type do you belong?
Are you a god who has descended on the earth?
– because you don’t seem to belong to this earth.
I can’t see any heaviness in you.
You are absolutely light, weightless.
I am wondering how you are walking on the earth, because I don’t see any gravitation functioning on you.
Are you a god who has descended from heaven just to have a look at what is happening on the earth?
a messenger from God? a prophet?
Who are you?”

And Buddha said,
”I am not a god.”

The astrologer asked,
”Then are you what in Indian mythology is called a YAKSHA?”
– a little bit lower than the gods.

And Buddha said,
”No, I am not a YAKSHA either.”

”Then who are you?
What kind of man, what category to put you in?”

And Buddha said,
”I am not a man or a woman.”

Now the astrologer was very much puzzled, and he said,
”What do you mean?
Do you mean you are an animal, an animal spirit, or the spirit of a tree, or the spirit of a mountain or the spirit of a river?”
– because Indian mythology is pantheistic, it believes in all kinds of spirits.

”So who are you, the spirit of a rosebush?
You look so beautiful, so innocent.”

And Buddha said,
”No, I am not an animal, nor the spirit of a tree, nor the spirit of a mountain.”

”Then who are you?”
The astrologer was puzzled very much.

And Buddha said,
”I am awareness and nothing else.
You cannot categorize me, because all categories are applicable to dreams.”

Somebody is dreaming he is a man,
somebody else is dreaming she is a woman,
and so on and so forth.

Categories belong to the world of dreams.

When one becomes awakened one is simply that principle of awakenedness, awareness.

One is just a witness and nothing else, a pure witness.

All clouds have disappeared:
the cloud of a man or a woman, animal, god, trees – all clouds, all forms have disappeared.

One is just a formless awareness, the pure sky, endless, infinite, vast.


This awareness is empty of clouds but full of the sky.


This is positive emptiness, this is NIRVANA.


Then there is a negative emptiness.
You are full of clouds
– so much so that not even a bit of sky can be seen You are full of knowledge –
so much so that not even a little space is left for meditation.

 

It is said:
He who knows not and yet knows that he knows, is a fool – usually called a pundit or a scholar; shun him.

He who knows not, and knows not that he knows not, is innocent, a child; wake him.

He who knows not, and knows that he knows not, is a Buddha; follow him.

 

To come to this realization:
”I am nobody”, is the meaning of being a Buddha.

Buddha is not the name of somebody.
Buddha is the name for ’nobody-ness’.
Buddha is not an entity.
Buddha is just space, open space, openness, a name for openness, for open sky.



Watch your mind:
how much dreaming continues.

And it is not only that you dream in the night,
you are continuously in a dream.

Even while you think you are awake, even in the daytime, the continuity is not broken.
At any moment close your eyes and relax and you will immediately see dreams floating.
They are always there, like an undercurrent.
They never leave you, they are constantly present, and constantly affecting your being.
Their existence is subliminal.
You may not be alert about them,
you may not even suspect their existence,
but they are continuously there.

Even when you are listening to me,
there is that movie continuing,
that drama of dreams.

Hence you cannot hear what I am saying.

First it has to pass through your dreams and your dreams distort it;
you hear something else that has not been said.

Your dreams distort,
your dreams manipulate,
your dreams project,
your dreams change things.

I say one thing, you hear quite another.

And those dreams are very powerful inside you, and you don’t know what to do with those dreams.
In fact, you have become so identified with the dreams that you don’t know that you are separate, that you can watch, that you can be distant, that you can be just an onlooker.
You have become too identified with the dreams.


Just the other day I was talking about poor Habib.
Now he has become so identified with being a Jungian analyst that he cannot watch what is happening.
I had mentioned that, just two days before, I had finished my talk at nine forty-five, and he wrote a letter at nine fifty-five, after just ten minutes.

Yesterday he went even further:
while I was talking he was writing the letter!
While I was discussing him, he could not wait even ten minutes. And that’s what I was saying:
”Wait a little, be a little patient, meditate over it. You cannot understand these things immediately; you are not in that state of understanding, of clarity, of perception.”

But while I was talking he started writing the letter. At exactly the same time, while I was talking, he was writing the letter.
Now what could he write?

I had not even talked, I had not even spoken.
He must have heard, he must have taken the clue from his own mind.

He could not understand a single word.

His dream seems to be too strong;
he is burdened by his knowledge.

And I was saying
”Let your Jungian ego drop.”

But do you know what happened?

Habib died
– he renounced sannyas rather than dropping the Jungian ego.
That’s what he heard.

I was saying
Drop the Jungian ego!”;
he heard something else.

He heard,
”Then this sannyas is not for me. I cannot drop my knowledge; that’s all I have.
And how can I drop it?
How can one put the mind aside?
It is impossible!
So it is better to drop sannyas.”
He dropped sannyas.
Now Habib no longer exists;
he died a very early death.
In fact, he died before he was born.

What happened?
Could he not see the point?
Who prevented him from seeing the point?

His mind must have become too crowded.
All that he has been reading, accumulating
– he has become too attached to it.

He had come here to seek and search.

What kind of search is this if you are not ready to leave anything of your ego?
What kind of inquiry is this?

People usually think they are spiritual seekers if they can add something more to their egos.
Your so-called spiritual trips are nothing but subtle trips of the ego.

People want more gratification for the ego,
more strength for the ego,
more vitality for the ego.

They want a holy aura around the ego,
and the holy aura arises only when the ego is gone; they cannot co-exist.

And it is very rare to come across a teaching which can awaken you.
It is very rare to come across a Master who can shake you up into wakefulness, who can pull you out of your long, long deep-rooted dreams.

It is a rare phenomenon to come across a Master;
it is very easy to miss.

It is easy to miss because the basic fundamental of being with a Master is:
to put your head in front of him so that he can crush it with his sledgehammer.
A Master is a sledge-hammer.

People search for a different kind of situation where the Master
– they think he is the Master if he buttresses their egos –
says to them,
”Good! You are a great spiritual seeker.”

That’s what the late Habib wanted:
he wanted me to say that he is a great spiritual seeker, that whatsoever he has done is perfectly beautiful, the right foundation for the temple;
that he is almost ready, just a little bit has to be added to him and all would be perfect.

That’s what he wanted.
That is not possible
– because first I have to destroy you.

Only through your utter destruction is the possibility of your awakening.
And destruction is hard, painful.


A great Hassidic saying says:
God is not nice.
God is not an uncle,
God is an earthquake!

So is it with a Master:
a Master is not an uncle,
a Master is not nice.
A Master is an earthquake.
Only those who are ready to risk all, in toto,
who are ready to die as egos,
can be born.


This is what Jesus means when he says,
”You will have to carry your cross on your own shoulders.
If you want to follow me,
you will have to carry your cross on your own shoulders.”

Kabir has said,
”If you really want to follow me,
burn your house immediately!”

What house was he talking about?

The house of dreams in which you have lived has to be utterly burned so that you can be again under the open sky and the stars and the sun and the moon;
so you can again be in the wind, in the rain;
so you can again be available to nature
– because God is nothing but the hidden-most core of nature.
God is not a kind of knowledge,
God is a kind of innocence.
You know God not by knowledge but by becoming utterly innocent.

But it is very difficult for the ego...
even to hear these words is difficult.

And the ego will immediately
distort them,
manipulate them,
change them,
color them,
paint them and
make them in such a way that they support the ego rather than destroy it.


One story reflecting this observation concerns a man who had an obsession that he was dead.
He went to a psychiatrist for help.
The psychiatrist used all the known techniques at his command, but to no avail.
Finally the psychiatrist tried appealing to the patient’s logic.
”Do dead men bleed?”
asked the doctor.

”No, of course not,”
answered the patient.

”All right,”
said the doctor.

”Now let us try an experiment.”
The doctor took a sharp needle and pricked the man’s skin, and the patient began to bleed profusely.

”There! What do you say now?”
asked the psychiatrist.

”Well, I will be darned!”
answered the patient.

”By gosh! Dead people DO bleed!”


That’s how the ego functions,
the mind functions:
it turns things into proofs, supports, food for itself.

The ego is very subtle and its ways are very cunning, and it can convince you that you are right.

It will try in every possible way to convince you that it is right and anything that goes against it is wrong.

Remember,
the ego is NEVER right!

And anything that goes against it
– don’t miss the opportunity,
use that occasion to destroy your ego.

The moment you can destroy your ego will be the moment of great blessing, because when you are not, God is, and WHEN YOU ARE NOT, YOU ARE.

This is the greatest paradox of life and existence:
when you are not, you are.

That’s why Vishnu was not willing...
Vishnu said to his disciple,
”It will be most difficult for you to repay me in actions for what I have just given you freely.”

Why?
Why would it be most difficult?

Because the Master knows that the disciple is still in dreams, he is still in his ego.

In fact, the very idea
”I want to repay you, I want to do something for you because you have done so much for me,” is an ego-idea.

When the disciple has dropped the ego,
who is there to repay?
Who?
Who is there even to thank?

There is nobody.

There is utter silence.

And in that utter silence the Master is happy:
the disciple has repaid through this utter silence.

 

A man went to Buddha.
He wanted to do something for humanity;
he was a very rich man. And he asked Buddha,
”Just tell me what I can do for humanity? I have much money, no children, the wife has died, I am alone. I can do much.”

Buddha looked at him with very sad eyes and remained silent.

The man said,
”Why are you silent? Why don’t you speak?
You always talk about compassion, and I am here ready to do something.
Whatsoever you say I will do.
Don’t be worried – I have enough money!
Just give me any task and I will do it.”

Buddha said,
”I understand what you are saying,
but I am feeling sad:
you cannot do a thing because you still are not.
Before one can do something, one has to be.
It is not a question of money that you have
– but that YOU are not!”


That quality of compassion is a shadow of being, and the being is missing.

The ego can never be compassionate.

The ego is cruel;
even in its games of compassion it is cruel.

And when the ego is gone,
even if the egoless person looks to you to be very cruel,
he is not; he cannot be.
Even his cruelty must be a deep compassion.


When a Zen Master hits the disciple’s head with his staff it is not cruel;
it is tremendous compassion.

When a Zen Master jumps on his disciple and beats him it is not cruel, because sometimes it has happened that with the hit of the Master, the disciple has become enlightened
– in a single moment, in a single lightning experience.

Buddha said,
”You cannot do anything.
I know about your money, I have heard about you, but when I look into you I feel very sad for you. You want to do something, but the element that can do something is missing. All that you can do is dream.”

That’s why Vishnu says,
”It will be most difficult for you to repay me in actions what I have just given you freely.”

That’s what George Gurdjieff used to say to his disciples.
The first thing that he had said to P.D. Ouspensky was this, exactly this.
Ouspensky was a great seeker, a seeker of knowledge.
When he had gone to see Gurdjieff for the first time, he was already a world famous mathematician, philosopher, thinker.
His greatest book had already been published, TERTIUM ORGANUM.

It is a rare book – also rare because the man was not awakened.
How could he manage to write such a beautiful piece?
Only an awakened man can see a few faults;
otherwise it is very difficult to find any fault in it. It is almost perfect, as if a Buddha has written it.

But when George Gurdjieff looked into the book, he just turned here and there and threw it out of the room. And he said,
”All nonsense! You know nothing!
And how can you know, because you are not! Before one can know one has to be!”

And Ouspensky had travelled all over the East in search of a Master. It is a beautiful story, almost a parable.

He had travelled in India.
He had gone to Ceylon, to Burma.
He had lived in monasteries, in Himalayan caves.
He had met lamas and swamis and many Hindu mystics, but nobody could satisfy him.

Why?
– because all that they said was nothing but a repetition of the scriptures that he had already studied.
Not a single word was their own.
Frustrated, he went back, back to Russia, to Petrograd where he used to live.
In Petrograd, in one coffee house, he met Gurdjieff.

And just the first meeting, and the Master’s look at him... and the revelation:
”This is the man I have been searching for.
This is the town I have lived in my whole life,
and this is the coffee house I have been visiting for years,
and this man is sitting here in the coffee house!
And I have been searching for him in Ceylon, in Nepal, in Kashmir, in faraway places.”

The first thing that Gurdjieff said to Ouspensky was,
”Unless you are, you cannot know a thing. Unless you are, you cannot do a thing.”

And the paradox is that you are only when you have disappeared, when the word ’I’ is no longer relevant.

 

These sutras are the keys to create that state of Buddhahood
– when you are just awareness, and nobody;
full of light, but utter emptiness.

The sutras:


Master Lu-tsu said:
THERE ARE MANY KINDS OF CONFIRMATORY EXPERIENCES.


A confirmatory experience means that you are coming closer to home.
One has to understand,
one has to be aware of confirmatory experiences
because that gives courage, hope.
That gives vitality.
You start feeling that you are not searching in vain, that the morning is very close by.
Maybe it is still night and dark, but the first confirmatory experience has started filtering in.
The stars are disappearing, the East is becoming red;
the sun has not risen, it is early dawn
– it is confirmatory that the sun is not far away.
If the East is becoming red, then soon, any moment, the sun will rise on the horizon.
The birds have started singing; the birds are praising the coming morning.
Trees look alive, sleep is disappearing, people are waking up.
These are confirmatory experiences.

Exactly like that,
on the spiritual path,
there are experiences which are very confirmatory.
It is as if you are moving towards a beautiful garden you cannot see, but the closer you come to the garden, the cooler the breezes are that you can feel.
The farther away you go, the more coolness disappears;
the closer you come, the more the coolness appears again.
The more close you come,
the more the breeze is not only cool,
but there is fragrance too,
the fragrance of many flowers.

The farther away you go,
the more the fragrance disappears.

The closer you come the more you can hear birds singing in the trees.
The trees you cannot see, but the song of the birds... a distant call of a cuckoo... there must be a mango grove:
you are coming closer.
These are confirmatory experiences.

Exactly the same happens when you move towards the inner garden, towards the inner source of life, of joy, of silence, of bliss.

When you start moving towards the center a few things start disappearing and a few new things start appearing.


ONE MUST NOT CONTENT ONESELF WITH SMALL DEMANDS BUT MUST RISE TO THE THOUGHT THAT ALL LIVING CREATURES HAVE TO BE REDEEMED.


And remember,
when confirmatory experiences start appearing, don’t be satisfied too soon.

The cool breeze has come,
and you sit there and you think that you have arrived.

The coolness is beautiful,
the coolness is blissful,
but you have to go far.

Don’t be satisfied with small things.

Feel happy that they have started happening, take them as milestones, but they are not goals.

Enjoy them, thank God, feel gratitude, but go on moving in the same direction from where the confirmatory experiences are coming.

And don’t be contented with small demands.

For example:
peacefulness is a small demand, it can be easily attained.
The state of a non-tense mind can easily be attained; it is not very difficult.
To be happy and cheerful can easily be attained, it is not much.
To be at ease, unanxious, without anxiety is not something very great.

Then what is great?
And what should one keep in mind as the goal?


ONE MUST RISE TO THE THOUGHT THAT ALL LIVING CREATURES HAVE TO BE REDEEMED.


You will be surprised to know that this is the criterion, and this has always been the criterion.

In Buddhism it is called
’the principle of Bodhisattvahood’.

The closer you are coming to your own inner center,
the more you will start feeling the suffering of all beings of the world.

On the one hand you will feel very calm and quiet,
and
on the other hand you will start feeling a deep sympathy for all those who suffer.

And there is suffering and suffering and suffering:
the whole place is full of suffering.

On the one hand you will feel great joy arising in you,
and
on the other hand a great sadness too that millions are suffering
– and ridiculously suffering, suffering for no reason!

This is their birthright, to attain to this blissfulness that is coming to you.
And don’t become satisfied that you have become blissful, so all is finished.

If you become blissful, all is not finished, really.

Now the journey takes a new turn.

When you have attained to Buddhahood,
when you have come home,
now the real work starts.

Up to now it was only a dream.
Now the real work starts:
help others to come out of their dreams.

When the disciple has attained,
he has to become a Master.

This is what in Christianity is called
’the principle of Christ-consciousness’.

Christians have not really been able to understand it;
they have misunderstood it.
They think that Jesus is the only Christ.


The word ’christ’ comes from Krishna.


It is a principle.
The principle is that when you are redeemed,
you have to redeem all.

To be redeemed from misery is blissful,
but nothing compared to when you start redeeming others from their misery.

To redeem oneself from misery is still selfish, self- oriented.
Something of the self still lingers,
you are only concerned with yourself.

And when the self disappears and you are redeemed,
how is it possible to stop the journey?

Now you have to redeem others.

That’s why Jesus is called ’the Redeemer’.
But he is not the only Christ.

There have been many before him,
there have been many after him,
there will be many in the future.

Whoever becomes a Buddha has to become, OF NECESSITY, a redeemer of all.

One’s joy, one’s peace, one’s blessings are small things;
don’t be contented with them.

Remember always that one day you have to share,
one day you have to help others to be awakened.

This seed must be planted deep in your heart,
so that when your Buddhahood blooms you don’t disappear from the world.

 

Buddhists have two words;

one is ARHAT.
ARHAT means:
the person who has become enlightened
but thinks all is finished,
his work is complete.
He disappears.

The other is called BODHISATTVA:
he has become enlightened;
he does not disappear,
he insists on being here.
He prolongs himself, to be here as long as it is possible.

 

The story is that when Buddha reached the doors of NIRVANA the doors were opened, celestial music was played, golden flowers showered, angels with garlands were ready to receive him,
but he refused to enter.
He turned his back to the door.

The angels were surprised, they could not believe it.
They asked him again and again,
”What are you doing?
Your whole life
– not only one but many lives –
you have been searching for THIS door.
Now you have arrived, and you are turning your back to the door?
And we have been waiting for you, and the whole paradise is full of joy
– one more person has become a Buddha.
Come in!
Let us celebrate your Buddhahood together.”

But Buddha said,
”Unless all those who are in suffering are redeemed, I’m not going to enter.
I will have to wait.
I am going to be the last, let others move first.”

And the beautiful story says that he is still waiting at the door.

The door is open because the angels cannot close it;
any moment he may want to enter.
That is his right, to enter, so the door is open.
He’s keeping the door open, and the celestial music continues, and the flowers are still being showered, and the angels are waiting with garlands... and he’s standing outside the door.

And he’s calling people forth;
he’s calling, challenging, he’s provoking.
He’s telling people,
The doors are open, don’t miss this opportunity.
Come in!
And I am going to be the last.
Now the doors shall never be closed.
They will be closed only when everybody is redeemed and enlightened.”


This is just a parable, tremendously significant.

Don’t think of it as history, otherwise you will miss the point.

There is no door, no angels, no garlands, no celestial music.

And Buddha, the moment he became enlightened, has disappeared.

How can he stand and keep his back to the door?
Who is there to stand?
But the principle...


The energy that Buddha released into existence is still functioning.
That energy is still available to those who are REALLY searching.
The energy goes on and on working, and it will go on working for eternity.

Jesus is no more, but his Christ-consciousness has entered into the new sphere.

Mahavir is no more, but his consciousness has entered into this oceanic life.

These people have become part of existence; they vibrate.

That is the meaning of the parable:
they still provoke you, and if you are ready to receive their message they are still ready to take you to the other shore.

The moment a Master dies he becomes part of that infinite energy which Buddha has joined, Mahavir has joined, Zarathustra, Lao Tzu, Jesus, Mohammed.

Whenever a Master dies, more energy is redeemed – and it is becoming a tidal wave.

So many enlightened people have existed;
it is becoming a continuous tidal wave.

You are fortunate.
If you really long,
if you really desire,
this tidal wave can take you to the other shore.

Keep it in your deepest heart:
don’t be satisfied with small things.

Many things happen on the Way,
many MIRACULOUS things happen on the Way,
but don’t be satisfied with anything.

Remember,
you have to become a Christ-consciousness a bodhisattva
– less than that is not going to make you contented.

This is divine discontent.


ONE MUST NOT BE TRIVIAL AND IRRESPONSIBLE IN HEART,
BUT MUST STRIVE TO MAKE DEEDS PROVE ONE’S WORDS.


And the life of a seeker should not be that of trivia, because each small thing that you go on doing wastes time, energy, life.

The seeker cannot waste.
His whole life has to be devoted and dedicated to one single point.

He cannot waste here and there:
he cannot go and sit in the coffee-house and gossip unnecessarily.

He cannot read that which is not going to help.

He’s not going to do a single thing which is not going to help his journey, and he’s not going to collect a single thing that will become a burden later on and will have to be dropped.

He remains simple.

This simplicity has nothing to do with asceticism.

This simplicity is simply scientific:
he does not accumulate garbage because then you have to carry it.

He remains unburdened.

And the greatest garbage is that of knowledge,
because all other garbage is outside you:
knowledge gets inside.

It makes your head very heavy, and the head should be very light.


Have you watched, or have you seen a Japanese doll called daruma?
Daruma is the – Japanese name for Bodhidharma.
The doll is beautiful.
It represents the enlightened man – the daruma doll.

It’s beauty is that you can throw it any way but it always sits back in full lotus posture.
You throw it – you cannot topple it – it again comes back.
Its bottom is heavy,
its head is light,
so you cannot put it upside-down.
It is always rightside-up.

Just the opposite is the case with human beings:
they are upsidedown.

Their heads are very heavy,
they are top-heavy.
They are standing on their heads.

A man who is knowledgeable stands on his head.
He is in a continuous sirshasana, a headstand.

The man who has no knowledge in the head,
whose head is empty, silent, is rightside-up.
He is in a lotus posture, he is a daruma doll.

You cannot topple him, there is no way;
he will always come back.
You cannot disturb him, there is no way;
his undisturbedness remains continuous.


ONE MUST NOT BE TRIVIAL AND IRRESPONSIBLE IN THE HEART...


What is responsibility?
Ordinarily the meaning of the word has become associated with wrong things.

The real responsibility is towards God and towards nobody else;
or,
the real responsibility is towards your own nature, and to nobody else.

You are not responsible to the society or to the church or to the state.

You are not responsible to the family, to the community.

You are responsible only to one thing:
that is your original face,
your original being.

And in that responsibility all other responsibilities are covered automatically.


Become natural.


And the man who is natural is responsible
– because he responds.

The man who is not natural never responds,
he only reacts.

Reactions mean being mechanical,
response is non-mechanical, spontaneous.


You see a beautiful flower and you suddenly say something:
”It is beautiful.”

Watch whether it is a reaction or a response.

Go deep into it,
scrutinize it.

What you have said
– that ”The flower is beautiful” –
is it your spontaneous response this moment, herenow?

Is this your experience,
or
are you simply repeating a cliche because you have heard others saying that flowers are beautiful.

Go into it, watch:

who has spoken through you?

Maybe it is your mother....
You can remember the day, for the first time she had taken you to the garden, the public gardens, and she had told you,
”Look at this rose. How beautiful it is!”

And then the books that you have been reading,
and the films that you have been seeing,
the people you have been talking to
– and they all have been saying ”Roses are beautiful.”

It has become a programmed thing in you.

The moment you see the rose flower your program says ”It is beautiful,” not you.

It is just a gramophone record, it is a tape.

The rose outside triggers the tape and it simply repeats.

It is reaction.

What is response?

Response is unprogrammed experiencing in the moment.

You look at the flower,
you really look at the flower, with no ideas covering your eyes.

You look at THIS flower,
the THISNESS of it!
all knowledge put aside.

Your heart responds,
your mind reacts.

Responsibility is of the heart.

You may not say anything;
in fact, there is no need to say,
”This is beautiful.”

 

I have heard...
Lao Tzu used to go for a morning walk.
A neighbor wanted to be with him.
Lao Tzu said,
”But remember, don’t be talkative.
You can come along, but don’t be talkative.”

Many times the man wanted to say something, but knowing Lao Tzu, looking at him, he controlled himself.
But when the sun started rising and it was so beautiful, the temptation was so much that he forgot all about what Lao Tzu had said. He said,
”Look! What a beautiful morning!”

And Lao Tzu said,
”So, you have become talkative You are too talkative!
You are here, I am here, the sun is here, the sun is rising – so what is the point in saying to me ’The sun is beautiful’?
Can’t I see?
Am I blind?
What is the point of saying it?
I am also here.”

In fact, the mall who said
”The morning is beautiful” was not there.

He was repeating,
it was a reaction.


When you respond words may not be needed at all,
or
sometimes they may be needed.

It will depend on the situation,
but they will not necessarily be there;
they may be, they may not be.

Response is of the heart.
Response is a feeling, not a thought.

You are thrilled:
seeing a rose flower something starts dancing in you,
something is stirred at the deepest core of your being.
Something starts opening inside you.

The outer flower challenges the inner flower,
and the inner flower responds:
this is responsibility of the heart.

And if you are not engaged in trivialities,
you will have enough energy,
abundant energy,
to have this inner dance of the heart.

When energy is dissipated in thoughts,
your feelings are starved.

Thoughts are parasites:
they live on the energy which is really for the feelings, they exploit it.

Thoughts are like leakages in your being:
they take your energy out.
Then you are like a pot with holes
– nothing can be contained in you, you remain poor.

When there are no thoughts your energy is contained inside,
its level starts rising higher and higher.
You have a kind of fullness.
In that fullness the heart responds.
And then life is poetry, then life is music,
and then only can you do the miracle of making deeds prove your words,
not before it.

Then you don’t only say
”I love you”,
your very existence proves the love.

Then your words are not impotent words;
they have a soul to them.

And to live like that is the only life worth living:
when your words and your deeds correspond,
when your words and deeds are not opposites,
when your words are full of your sincerity,
when whatsoever you say you are.

Before that, you live in a kind of split:
you say one thing,
you do another.
You remain schizophrenic.

The whole humanity is schizophrenic unless one comes to this point where words and deeds are no more separate, but two aspects of the same phenomenon.

You say what you feel,
you feel what you say,
you do what you say,
you say what you do.

One can simply watch you and will see the authenticity of your being.


IF, WHEN THERE IS QUIET,
THE SPIRIT HAS CONTINUOUSLY AND UNINTERRUPTEDLY A SENSE OF GREAT JOY AS IF INTOXICATED OR FRESHLY BATHED,
IT IS A SIGN THAT THE LIGHT-PRINCIPLE IS HARMONIOUS IN THE WHOLE BODY;
THEN THE GOLDEN FLOWER BEGINS TO BUD.


”When there is quiet”
– a great confirmatory sign –
then ”the spirit has continuously and uninterruptedly a sense of great joy”.

For no reason at all you suddenly feel yourself joyous.

In ordinary life, if there is some reason you are joyful.
You have met a beautiful woman and you are joyous,
or you have got the money that you always wanted and you are joyous,
or you have purchased the house with a beautiful garden and you are joyous
– but these joys cannot last long.

They are momentary,
they cannot remain continuous and uninterrupted.

 

I have heard...
Mulla Nasruddin was sitting, very sad, in front of his house.
A neighbor asked,
”Mulla, why are you looking so sad?”

And Mulla said,
”Look! Fifteen days ago my uncle died and he left me fifty thousand rupees.”

The neighbor said,
”But this is no reason to be sad! You should be happy.”

Mulla said,
”First you listen to the whole story. And seven days ago my other uncle died and left me seven thousand rupees. And now, nothing.... Nobody is dying, nothing is happening. The week is passing by, and I am really sad.”

 

If your joy is caused by something it will disappear, it will be momentary.
It will soon leave you in deep sadness;
all joys leave you in deep sadness.

But there is a different kind of JOY that is a confirmatory sign:
that you are suddenly JOYOUS for no reason at all.

You cannot pinpoint why.
If somebody asks,
”Why are you JOYOUS?”
YOU cannot answer.

I cannot answer why I am JOYOUS.
There is no reason.
It’s simply so.

Now THIS joy cannot be disturbed.
Now whatsoever happens, it will continue.
It is there day in, day out.

You may be young,
you may be old,
you may be alive,
you may be dying
– it is always there.

When you have found some joy that remains,
circumstances change but it abides,
then you are certainly coming closer to Buddhahood.

This is a confirmatory sign.

If joy comes and goes,
that is not of much value;
that is a worldly phenomenon.

When joy abides, remains uninterrupted and continuous
– as if you are intoxicated,
without any drug you are stoned;
as if you have just taken a bath,
fresh as morning dewdrops,
fresh as new leaves in the spring,
fresh as lotus leaves in the pond;
as if you have just taken a bath
– when you remain continuously in that freshness that remains and remains and nothing disturbs it,
know well you are coming closer to home.


IT IS A SIGN THAT THE LIGHT-PRINCIPLE IS HARMONIOUS IN THE WHOLE BODY.


Now your whole body is functioning as a harmonious unity, your whole body is in accord.

You are no more split,
you are no more fragmentary.

This is individuation:
you are one whole,
all parts functioning
and humming together,
all parts functioning in an orchestra of being.

Nothing is out of tune
– the body,
the mind,
the soul,

the lowest and
the highest,
from sex to SAMADHI

– all IS functioning in a tremendous harmony and an incredible unity.


... THEN THE GOLDEN FLOWER BEGINS TO BUD.
WHEN, FURTHERMORE,
ALL OPENINGS ARE QUIET,
AND THE SILVER MOON STANDS IN THE MIDDLE OF HEAVEN,
AND ONE HAS THE FEELING THAT THIS GREAT EARTH IS A WORLD OF LIGHT AND BRIGHTNESS,
THAT IS A SIGN THAT THE BODY OF THE HEART OPENS ITSELF TO CLARITY.
IT IS A SIGN THAT THE GOLDEN FLOWER IS OPENING.


Then, furthermore, when all openings,
all senses are quiet, not only the mind...

Mind is your inner sense;
that has to be made silent first.
Then there are five senses which are mindfeeders:
your eyes,
your ears,
your nose,
all the senses.

They continuously bring information from the outside and they go on pooling the information inside, in the mind.

When they are also quiet,
not bringing anything,
they are utterly silent, passive
– eyes look but don’t bring anything in,
ears hear but don’t cling to anything heard,
the tongue tastes but hankers not for the taste;
when all your senses are quiet and the silver moon stands in the middle of heaven
– the silver moon represents the feminine principle;
when the silver moon stands in the middle of heaven,
when all senses are passive,
mind is passive and quiet,
that means you have attained to the feminine principle of passivity, awaiting.

You have become a womb.

It is a full moon night.
All is cool and silent and passive.
Nothing stirs.
The joy is infinite!


... AND ONE HAS THE FEELING THAT THIS GREAT EARTH IS A WORLD OF LIGHT AND BRIGHTNESS...


And it is not only that you feel it within.
When it is within, you immediately start feeling it without too
– that this whole earth is a world of light and brightness.


... THAT IS A SIGN THAT THE BODY OF THE HEART OPENS ITSELF TO CLARITY.


You are becoming transparent, clear, clean, perceptive.
The feminine principle brings clarity because it is a passive principle.
It brings rest, utter rest.

You are simply there doing nothing,
all is clear,
all clouds gone.

You can see through and through into reality.
Inwards there is silence and joy,
and outwards there is silence and joy.


IT IS A SIGN THAT THE GOLDEN FLOWER IS OPENING.


First, it was just beginning to bud;
now it is opening.
One more step has been taken.


FURTHERMORE, THE WHOLE BODY FEELS STRONG AND FIRM SO THAT IT FEARS NEITHER STORM NOR FROST.


As your silence and joy deepen, you start feeling that there is no death for you.
In death only the persona dies, the personality;
the essence never dies.

When you know something abiding in you,
something that never changes
– the joy that continues irrespective of conditions –
then you know for the first time that something is deathless in you,
something in you is eternal.

And that moment is the moment of strength, potentiality, fearlessness.

Then one is not afraid.
Then trembling disappears.

For the first time you look into reality without fear.
Otherwise your so-called gods are just out of fear:
you have created them to console yourself,
you have created them as props for your fear, as protection, as armor.

You are afraid;
you need somebody to cling to.
These are false gods,
these are not true gods.

Out of fear how can you find the true God?

And the so-called religious people are known as God-fearing.

The real religious person has no fear,
neither of the world nor of God.
In fearlessness a totally different vision of God arises.


THINGS BY WHICH OTHER MEN ARE DISPLEASED WHEN I MEET THEM,
CANNOT BECLOUD THE BRIGHTNESS OF THE SEED OF THE SPIRIT.


Now nothing clouds,
nothing can overwhelm you and distort your clarity.

Your vision remains intact.

Somebody insults you but it doesn’t become a cloud.
Somebody is angry, you can see through and through:
you really feel compassion for the angry person because he’s unnecessarily burning in a fire.

You shower your bliss, your peace, your love on him.
He is a fool, he needs all compassion.


YELLOW GOLD FILLS THE HOUSE;
THE STEPS ARE OF WHITE JADE.
ROTTEN AND STINKING THINGS ON EARTH THAT COME IN CONTACT WITH ONE BREATH OF THE TRUE ENERGY WILL IMMEDIATELY LIVE AGAIN.


And if you can come in contact with such a man whose inner steps are of white jade,
whose inner sky is full of the moon,
and whose inner house is full of yellow gold;
if you can come in contact with such a man,
even if you are dead,
you will immediately revive.

That is the meaning of the story of Lazarus:
Jesus calling Lazarus forth out of his grave.

All Buddhas have been calling people forth out of their graves.

I am calling you out of your graves,
because the way you have lived is not the true Way.

You have become concerned with trivia
and
you have forgotten the essential.

You are just collecting seashells and colored stones on the sea beach and you have forgotten all about the diamonds which are very close by.
You are collecting rubbish which will be taken away by death.

I am calling you forth to attain to treasures which no death can take away from you.

Lazarus!
Come out of your grave!

 

And the one who listens becomes a disciple.

The one who listens becomes a sannyasin.

The one who listens starts moving into the inner world.

 

His journey is totally different from other people’s journey:
he may live in the world,
but he’s no longer there.
His concern is utterly different.


RED BLOOD BECOMES MILK.


This is the meaning of the famous parable about Mahavir.
It is said that a snake, a very dangerous snake, attacked Mahavir, bit his foot;
but instead of blood, milk started flowing.

Now Jains take it literally, and then they become a laughing stock.

It is not a literal message, it is a parable:
red blood represents violence and milk represents love.


The moment the child is born,
the mother’s breasts become full of milk
– out of love, out of feeling for the newborn babe.
Suddenly her blood starts changing to milk.
Suddenly a miracle starts happening in the chemistry of the mother:
up to now she had been just a woman,
now she is a mother.

When a child is born,
two persons are born
– on the one hand,
the child, on the other hand, the mother.

The mother has a different chemistry from the woman.

The miracle has happened:
out of love, blood starts turning into milk.

It is symbolic:
blood is violence,
milk is love.

When a person reaches to this state,
all violence disappears.
He’s all love, love and nothing else.


THE FRAGILE BODY OF THE FLESH IS SHEER GOLD AND DIAMONDS.


And those who can see,
those who have eyes to see,
will be able to see in the body of the Buddha not fragile flesh,
but sheer gold and diamonds.

That’s why disciples are not believed by others.

Others think the disciples have become hypnotized because they start seeing things which nobody else can see, which are available only to the close disciples.

They start seeing, in the ordinary physical body, something else
– another body, the body of gold and diamonds, the body of eternity.

This body of flesh is the body of time.
Hidden behind it is the body of eternity...
but for that one needs eyes to see...
and only love and surrender can give you the eyes to see.


THAT IS A SIGN THAT THE GOLDEN FLOWER IS CRYSTALLIZED.


But when one is moving in this inner journey and one can see one’s own body as gold and diamonds,
then one can be certain that the Golden Flower is crystallized.

First it was just budding,
then it was opening,
now it is crystallized.


THE BRILLIANCY OF THE LIGHT GRADUALLY CRYSTALLIZES.
HENCE A GREAT TERRACE ARISES,
AND UPON IT, IN THE COURSE OF TIME,
THE BUDDHA APPEARS.


Now you can be certain that the Buddha is not far away, the dawn is close by, the night is over.

On the terrace of this vision of gold and diamonds, of the eternal body...
as this brilliance crystallizes a terrace arises...
in the course of time, the Buddha appears.

One cannot do anything beyond this point.

When the Golden Flower has crystallized,
when the lotus has crystallized,
you cannot do anything beyond that point.

Now one has simply to wait: sitting silently,
doing nothing,
and the spring comes,
and the grass grows by itself.


One moment – IN THE COURSE OF TIME – when the spring comes – BUDDHA APPEARS.
WHEN THE GOLDEN BEING APPEARS WHO SHOULD IT BE BUT THE BUDDHA?



In the East we have called it Buddha,
in the West you have called it Christ
– it is the same principle.



FOR THE BUDDHA IS THE GOLDEN HOLY MAN OF THE GREAT ENLIGHTENMENT.
THIS IS A GREAT CONFIRMATORY EXPERIENCE.


And when you have seen within yourself a terrace of brilliancy, a crystallized light, and on the terrace of it Buddha appearing;
when you have seen the Golden Flower open, bloomed, and on the golden lotus Buddha appearing,
you have come home.



This is the ultimate goal.

This has to be found.

This can be found.

This is your birthright.

 

If you miss,
only you will be responsible,
nobody else.

 

Risk ALL,
but don’t miss it!

 

Sacrifice ALL,
but don’t miss it!

 

 


sammasatiサマサティ
(right remembrance)
正しく想起する。


『The last word of Buddha was, sammasati.
Remember that you are a buddha – sammasati.』


瞑想と愛 meditation & love

 

 

花仙人

 

 

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真理の泉

真理の泉

 

 

 

『枠』を手放す

  『枠』を手放す

(前回からの続きです。)
 
 
 
 
”あなたが本当に欲しいものは何ですか?”
 
 
 
 
ラチェフの本当に欲しいものは
 
”母親から否定されず、愛されること”
 
でした。
 
しかしその欲は満たされることはありませんでした。
 
その欲が根本の原因となり
 
ラチェフは
 
”自分を否定しない
自分を肯定する理想の世界をつくりたい!”
 
という
苦しみの原因(種)である
エゴ(欲・自我)
マインド(思考)
を内側奥深くに持ちました。
 
ラチェフは
自分の理想郷をつくることで
自分にとっての心が安らぐ居場所ができる
と思い込んで実行していました。
 
 
闇の存在の力を借りてまでも…
 
自分の邪魔をする者たちを殺してまでも…
 
 
しかし
闇の存在の力を借りることをしてまで実行し
次々と欲しいもの全てを手に入れていきますが
なかなか
現実は自分の思うようにはなりませんから
苛立ち
欲が満たされない飢え渇く苦しみは終わりません。
 
 
そのような一見悪の行為をしながら
自分の頭の中にある
エゴ(欲・自我)
マインド(思考)
”自分の理想の世界”という
『枠』
世の中をはめ込もうとすることに
夢中になり、執着し、同一化していました。
 
 
 
 
さて
ラチェフのボスである闇の存在と
ラチェフの精神波動と同じ人たちは
ラチェフと共に行こうとします。
 
類は友を呼ぶ…です。
 
同じ波動の波長は
引き寄せ合います。
 
 
 
 
しかし
闇の存在やラチェフと同じ精神波動の者たちばかりではないのが
現実の世界です。
 
ラチェフとは違う
 
”自分の理想の世界をつくろう!”
 
とする人たちもいます。
 
 
 
 
世の中には多くのさまざまな人たちがいて
その1人1人みんなは
それぞれの思いや考えがあり
その1人1人が
”自分の理想の世界をつくろう!”
として
無意識に
夢中になり、執着し、同一化しています。
 
 
 
 
たとえば…
『彼方から』の登場人物の一人である
ザーコという国の偉い大臣のジェイダさんは
 
みんなが愛と至福の平和の世界で暮らせるように…
という思いや考えから
 
王宮の中で
自分の頭の中にある
”自分の理想の世界をつくろう!”
としていました。
 
 
 
ラチェフのように
邪魔者を殺したりする暴力はしていませんから
 
一見善に見えますが
 
”自分の理想の世界をつくろう!”
という
自分の
マインド(思考)
エゴ(欲・自我)
の理想の『枠』の中に
世の中をはめ込もうとすることは
 
それにより
自分の理想どおりに
自分の都合のいいように
他者を動かそうとする行為は
 
暴力であり
愛ではありません。
 
 
 
 
愛とは
自分と他者に自由を与えることであり
 
自分と他者を自分の『枠』『条件』の中に
はめ込めて
支配し
コントロールをすることは
 
愛ではなく
暴力になります。
 
 
 
 
ですから
 
ジェイダさんの頭の中にある
”自分の理想の世界”とは違う
思いや考えを持つ者たちは
 
ジェイダさんの『枠』の中にはめ込まれめることが
窮屈で違和感があるので
 
嫌がり
怒り
反発し
戦おうとします。
 
 
 
もちろんジェイダさんの
頭の中にある理想の『枠』
善であり正論です。
 
しかし
 
それをしたくない人たちも
実際にいるのが現実です。
 
 
 
 
たとえば…
 
ラチェフとジェイダさんの
”自分の理想の世界”は
違う理想であり同じではありません。
 
どちらも
心の平安が持てる居場所が欲しいと思い考えて
 
そのようになるように実行しています。
 
しかし
 
”理想の世界”のあり方が違うため
お互いに
お互いの世界を嫌がり
反発しあい
怒り戦いになっています。
 
 
 
この漫画作品の中では
主に
闇のラチェフ側と光のジェイダさん側の
2つのグループに分かれて
物語が運ばれていますから
闇と光の違いによる戦いになっています。
 
 
 
しかしあるとき
王宮から離れて
世界を旅をしながら暮らしていた
ジェイダさんは
さまざまな体験をとおして
あることに『気づき』ました。
 
 
…みんな1人1人が
それぞれの思いや考えを持って生きているから
 
自分の『枠』の中にはめ込もうとしてはいけない
 
みんな1つであり
 
そんな1つの世界の
 
わたしも世界の1部分なのだから…
 
 
自分の『枠』を『手放し』たのでした。
 
世界を自分の『枠』の中にはめ込もうとする「行為」をやめたのでした。
 
自分の
マインド(思考)
エゴ(欲・自我)
に『気づき』『手放し』たのでした。
 
 
 
それにより
ジェイダさんは
自分を苦しみから救い出し
重荷を降ろして楽になれました。
 
すると
 
不思議なことに
 
内側の戦いをやめたら
外側の戦いが終わりになっていきました。
 
そして
 
同じ思いを持つ仲間たちと出会っていき
みんなで
それぞれが
等身大のありのままの自分で
「今ここ(現在)」でできることをしながら
みんなで1つになって生きていく
 
という
 
宇宙の自然界の〈真理〉のままを
まるで川の流れに心地よく運ばれながら
生きる新しい旅がはじまりました。
 
 
 
自分の内側の
マインド(思考)
エゴ(欲・自我)
である
自分の理想の『枠』
世の中にはめ込もうとしていたときは
まるで川の流れに逆らい泳ぎ
エネルギーを消耗し
疲れ切ってしまうような
苦しみの苦労がありましたが、
 
 
自分の
マインド(思考)
エゴ(欲・自我)
である
自分の理想の『枠』
『気づき』『手放し』た瞬間から
宇宙の自然界の〈真理〉の
川の流れに心地よく運ばれながら生きていく
苦しみのない
楽な生き方へと『変容』が起こりました。
 
 
 
 
ラチェフや闇の存在のボスは
なかなか
自分の内側にある
マインド(思考)
エゴ(欲・自我)
である
自分の理想の『枠』
『気づく』ことができず
だからこそ
それを『手放す』こともできず
 
欲が満たされない
飢え渇きに
何年も何生も
苦しみ続けました。
 
 
 
 
マインド(思考)
エゴ(欲・自我)
宇宙の自然界の〈真理〉の中にはありませんから
 
それを持ち続けている限り
宇宙の自然界の〈真理〉の流れに逆らって
泳いでいるような状態となり
 
苦しみが続きます。
 
何年も何生も…
 
 
 
 
マインド(思考)
エゴ(欲・自我)
『気づき』『手放し』
光明 enlightenment が起こり
 
宇宙の自然界の〈真理〉の流れと共に在ると
 
苦しみは終わり
至福となり
 
愛と至福を
同じ仲間たちと共に生きていきます。
 
 
そして
光明 enlightenment が起こり
肉体が死んだ後は
『魂(源泉)』は新しい肉体(受精卵)に入ることはないので
2度と輪廻転生は起こらず
何生も繰り返してきた
苦しみを生きる学びが終わります。
 
苦しみの輪サンサーラからの永遠の離脱です。
 
 
 
 
前回も書きましたが
ラチェフは光明 enlightenment は起こりませんでしたが
闇の存在と共に生きることをやめて
光明 enlightenment が起こった
イザークと典子が見せた
内側にある愛の光を見て感じ取ったことにより
 
今度は自力で
意識の成長の旅をしながら
光明 enlightenment まで至る選択をしました。
 
どん底に落ちたら
あとは昇るしかありません。
 
わたしもそうでしたσ(^_^;)
どん底の暗闇のドロドロの泥の中から
導師 master たちの愛の光を
見て感じ取る不思議な体験が起こり
とにかくそこまで行こう!
と腹を決めた瞬間から
意識の成長の旅がはじまり
それから
瞑想 meditation を毎日朝晩続けて
14年後に
ある日突然
明け渡し surrender が起こり
宇宙意識と1つである不思議な体験があり
光明 enlightenment が起こりました。
 
 
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暗闇の泥の中の種から芽が出て
暗い水中の中を上へと育っていき
水面の上で花が咲き香りただよう蓮の花
 
導師 master osho が話すそれが
実際に起こりました。
 
本当に苦しみが終わりました。
 
 
それは
漫画や物語の中だけのことではない
ということがわかったので
体験を分かち合うことしかできませんが
ブログにてご紹介しています。
 
 
その光明 enlightenment の瞬間の体験が
典子と似ていたので
わたしの説明は下手ですのでσ(^_^;)
『彼方から』の漫画をご紹介しています。
ひかわきょうこさんには感謝しています。
ありがとうございます。
そしてこの作品の関係者みなさんに感謝しています。
ありがとうございます。
 
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わたしもジェイダさんと同じような
思いや考えを以前は強く持っていて
それに『気づく』ことさえありませんでした。
 
だからこそ
 
自分とは真逆を生きる人たちを
許せなくて
外側では戦ってはいませんでしたが
内側はいつも怒りでいっぱいでした。
苦しかったですσ(^_^;)
 
しかし
 
瞑想 meditation をはじめたら
 
ジェイダさんのように
 
みんな1人1人
それぞれの思いや考えを持って生きていて
それは悪いことや良いことではなく
それが1人1人みんなの学びなんだな〜
と『理解』が起こったら
 
みんな自由でいいんだ。
 
とわかったのでした。
 
それからは
外側の世界を変えようとする努力はやめて
 
自分の内側の『変容』だけに
エネルギーを使いました。
 
意識の成長の
愛の梯子を昇る旅に
全身全霊でトータルにしました。
 
瞑想 meditation だけではなく
外側の世界での体験も大切な学びでした。
 
内側の瞑想 meditation だけではなく
外側も瞑想 meditation の状態で生きることを
意識しました。
 
すると『気づき』と『手放し』が
どんどん起こっていき
どんどん軽くなっていき
いつのまにか光明 enlightenment が起こりました。
 
 
 
ジェイダさんのように
重荷を降ろして楽になれました。
 
そして
 
全体の1部分として
または
全てと1つで在る状態の意識のまま
 
ありのままの等身大の自分を
楽しく生きることができるようになりました。
 
 
 
「世の中は広いな
 
いろいろな人が
さまざまな思いを抱いて生きている
 
わたしの知らないところで…
 
そして
わたしもその1部なのだ。
 
 
 
王宮の中にいては
己の位置に気づかなかった
 
自分1人で
国を動かしているつもりでいた
 
わたしは正しい…
なぜ思うようにいかぬ…
 
いら立ち悲嘆に暮れる時もあったが
 
わたしは
この広い世界を
 
わたしという
小さな枠にはめ込もうと
していたのかもしれない。
 
 
 
この世界を
自分の小さな枠にははめられない
 
思うように動かすことはできない
 
 
 
でも
それで当たり前だとわかったら
気が楽になった
 
肩の力が抜けたのだ
 
 
わたしは
わたしの役目を捜していこう
 
 
焦らず
気負わず
ゆっくりと
地に足をつけながら。」
 
by ジェイダさん
 
 
 
 
自分の内側にある
マインド(思考)
エゴ(欲・自我)
の自分の『枠』や『条件』の中に
自分と他者をはめ込もうとして
生きることをやめたら…
 
自分もみんなも
 
自由に空を飛べる喜びを得る。
 
 
 
 
愛とは
自分と他者に自由を与えること。
 
『枠』や『条件』にはめ込もうとする行為は
 
愛ではなく
暴力
 
だから
 
怒り
戦いが起こる…
 
 
 
 
ジェイダさんや全ての導師 masterたちのように
『枠』を『手放し』て
世界をつくることをやめて
等身大のありのままの『魂(源泉)』で
ただ「今ここ(現在)」をトータルに生きることで
すべてはうまくいくことを実践しながら
実感中です。
 
 
 
 
光明 enlightenment が起こった導師 master たちが
伝え続けているのは…
 
 
 
 
1人1人みんなの内側にある『魂(源泉)』は
愛の光。
 
 
 
宇宙全てと1つにつながった愛の光。
 
 
 
 
"自分が本当に欲しいもの"
"自分の理想"の『枠』になっていることがあります。
 
 
 
”あなたが本当に欲しいものは何ですか?”
 
 
 
そして
”自分の理想の世界つくり”
夢中になり
執着し
同一化していると
 
あらゆる苦しみがはじまり
 
内側にある
愛の光の『魂(源泉)』を
『忘れて』しまう…
 
 
 
もし苦しくなり
あまりにも大変になったときは
 
ほんの少しでもいいので
 
内側にある
愛の光の『魂(源泉)』を
感じ取り『思い出して』みて…
 
そこから
 
新しいはじまりが起こるから。
 
 
 
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sammasati 正しく『思い出す』
 
 
 
『The last word of Buddha was, sammasati. 
Remember that you are a buddha – sammasati.』
 
sammasati(right remembrance)
 
 
 
瞑想と愛 meditation & love
 
 
 
花仙人
 
 
 
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真理の泉

真理の泉

 

 

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あなたが本当に欲しいものは何ですか?

あなたが本当に欲しいものは何ですか?
(前回からの続きです)
 
 
 
 
 
”あなたが本当に欲しいものは何ですか?”
 
 
 
 
 
それは
 
過去世で何度輪廻転生をしても
今だに手に入らない欲しいものかもしれません。
 
現世になって生まれた
今だに手に入らない欲しいものかもしれません。
 
 
 
 
 
”欲しいもの”
 
とは
 
”今だに手に入らず『今』満たされていない”
 
から
 
”欲しい”
 
と思うのですよね。
 
 
 
 
 
手に入れて『今』満たされていれば
もう”欲しい”とは思わなくなりますから。
 
 
 
 
 
”自分が本当に欲しいもの”
 
その欲を持っている限り
 
欲しいそれを手に入れることができず
『今』満たされない限り
 
または
 
その欲を『手放す』ことができない限り
 
欲しいと思う飢えと渇きの苦しみを持ち続けます。
 
 
 
 
 
しかし
 
何か1つでも
欲したモノを手に入れることができ
その欲したモノを手に入れることによって
一瞬でも満たされることができるんだ!
 
…ということを知ると
 
人間はその瞬間に
10ほどの新しい欲を生みだすと言われています。
 
1つの欲を手に入れて満たされた瞬間に
新たな10ほどの欲が生まれる…
 
そして今度は1つではなく
その10ほどの新しい欲を満たそうとして努力し
またその欲を手に入れていないことで
『今』満たされていないことから
飢え渇き苦しみ続けます。
 
 
 
 
 
欲は1つであっても持っているだけで
手に入れていなくて『今』満たされていないと
飢え渇く苦しみを持ち、
 
欲を手に入れ満たされたら
さらに多くの欲を持ち
さらに飢え渇き苦しみを持ちますから、
 
1つでも10でも
欲を持つことで
苦しみがはじまります。
 
そして
欲を手に入れて満たすことで
苦しみの連鎖がはじまります。
 
エンドレスに苦しみは続いていきます。
 
無意識 unconsciousness に生きていると
このエンドレスの苦しみの連鎖が続いていき
やめられません。
 
 
 
 
 
苦しみを終わりにしようと思うならば
 
無意識 unconsciousness に生きることではなく
 
意識 consciousness して生きることが大切です。
 
 
 
 
 
”自分が欲を持っている”
 
ことにまず意識 consciousness して
『気づく』aware 必要があります。
 
それに『気づく』aware ことができない限り
エンドレスの苦しみの連鎖を
止めて終わりにすることができないからです。
 
 
”自分が欲を持っている”
ことに『気づく』aware ことは
苦しみから離脱するためには
とても大切なことです。
 
 
そして
 
 
”自分が欲を持っている”
 
その欲とは
 
”いったい何なのか?”
 
それに『気づく』aware ことが大切です。
 
 
 
 
 
”あなたが本当に欲しいものは何ですか?”
 
 
 
 
 
なんとなくこれかな?
と漠然とした感じでは
欲を持つ苦しみの連鎖から離脱できません。
 
ピンポイントで
 
『これだ!これが欲しいんだー!!!』
 
と『気づく』aware ことが大切です。
 
 
 
 
たとえば…
 
”あなたが本当に欲しいもの”
 
それは
 
”ショートケーキが食べたい”
 
ことだとします。
 
 
しかし
 
 
なかなか
”ショートケーキ”というピンポイントのモノに
『気づく』aware ことができなくて
 
漠然となんとなくお菓子の中でも
クッキーやおせんべいではなく
ケーキが食べたい
ということはわかっていたとします。
 
そして
 
ショートケーキ以外の種類の
 
チョコレートケーキや
フルーツタルトなど…
 
ケーキというグループの中の
ショートケーキ以外のケーキを食べたとします。
 
ショートケーキ以外のケーキも
おいしいと思うのですが
 
本当はショートケーキを食べたいと思っていますから
 
なぜだかいまいちしっくりと満たされないのです。
 
 
で、あるとき
ショートケーキを食べたとします。
 
すると、
 
”あ!これだ!これが食べたかったんだー!”
 
と、
ものすごくピンポイントでおいしい!と感じ
とっても満たされ
自分が本当に食べたかったケーキが
ショートケーキであることに
『気づく』aware ことができたりします。
 
すると
 
ピンポイントで食べたかったケーキを
食べることができると
フルに満たされることを知ります。
 
ピンポイントで食べたかったケーキ以外の種類のケーキを食べても
いまいちしっくりと満たされないことを知ります。
 
 
 
全ての種類のケーキを手に入れて食べたのに、
なぜかいまいち満たされない…
まだケーキを食べたい…
飢え渇きが止まらない…
なぜなのだろうか?
 
それは
本当に欲しい”ショートケーキ”を
食べていないからです。
 
 
 
”あなたが本当に欲しいものは何ですか?”
 
”ショートケーキ!”
 
 
 
ショートケーキを食べたら
 
”あーこれだった!これが食べたかったー!”
 
と一気に一瞬で欲が満たされます(-_^)
 
一瞬、飢え渇きが消えます。
 
 
 
 
みたいなσ(^_^;)
 
 
 
 
または、
 
”自分が本当に欲しいもの”が
”ショートケーキ”であることに『気づき』aware 
ショートケーキが目の前にあったとしても
 
”あ、自分はショートケーキを食べたい
という欲を持っていたんだな、
それがわかったから
もういいや。
食べなくてもいいや。”
 
と、
食べる前に
”自分が本当に欲しいもの”
を『手放す』let go ことで
 
欲が消え去り
飢え渇きが消え去り
苦しみから離脱できることもあります。
 
 
 
 
どちらの場合でも
大切なことは
 
ピンポイントで
”自分が本当に欲しいもの”に
『気づく』aware ことが大切になります。
 
”自分が本当に欲しいもの”に
『気づく』aware ことができなければ
 
それを
 
”手に入れて満たす”ことも
”『手放す』let go”ことも
 
どちらもできないまま
 
ずーっと
欲しい、欲しい、
満たされない、満たされない、
と飢え渇く苦しみが続くため
苦しみは終わりません。
 
 
 
 
 
”あなたが本当に欲しいものは何ですか?”
 
 
 
 
 
漠然と…ではなく、
ピンポイントで(-_^)
 
 
 
 
 
この
”自分が本当に欲しいもの”を
 
すでにピンポイントで『気づき』aware 知っている人もいますし、
 
なかなかピンポイントで『気づく』aware ことができない人もいます。
 
 
 
すでにピンポイントで『気づき』aware 知っている人の場合は

その欲を手に入れ自分を満たそうとしているか
または
その欲を『手放す』let go ことをするか

どちらかだと思います。
 
 

しかし
 

 
なかなかピンポイントで『気づく』aware ことができない人は
 
何かで自分を満たしたいけど
その何かがわかないから
何をどうしたらいいのかわからない…
 
と、不安になりながら
苦しみの暗闇の中を
手探りでさまよい続けます。
 
こちらの人の状態の方が
苦しみは大きいかもしれません。
 
なぜなら
苦しみの解決方法がまったくわからない
暗闇に一筋の光さえもない状態だからです。
 
 
”なにをどうしたらいいのかわからない…”
 
 
…苦しみです。
 
 
そうして
 
本当に欲しいショートケーキではなく
やみくもに
さまざまな種類のケーキを食べていき
 
なんだか違う、
なんだか満たされない、
全てを手に入れて食べたのに
飢え渇きは止まらなくて
なんだか苦しい…
 
 
”なにをどうしたらいいのかわからない…”
 
 
 
 
 
しかし
 
”自分が本当に欲しいもの”が
 わからない…
 
と思い込んでいるだけで
 
人間はみんな
”自分が本当に欲しいもの”を
知って know います。
 
ただ
 
自分の内側の奥深くに隠して
見ないようにしているだけです。
聞かないようにしているだけです。
 
または
 
『忘れた』ことにしているだけです。
 
 
”自分が本当に欲しいもの”は
自分だけにしかわからないものです。
 
なぜなら
 
それは自分の内側の奥深くにあるものであり
自分の外側にはありませんから
 
他者には見えないのでわからないものなのです。
 
自分の内側の
無意識の暗闇の奥深くに
無意識に隠してしまい
一時的に『忘れて』しまうと
 
なかなか『思い出す』ことができなくなります。
なかなか『気づく』aware ことができなくなります。
 
クッキーやおせんべいではなく
漠然とケーキというところまでは
『思い出す』ことができても
ピンポイントで”ショートケーキ”とまでは
『思い出す』こと
『気づく』aware こと
ができなくなってしまいます。
 
 
 
無意識の暗闇の奥深くに
無意識に隠した
 
”自分が本当に欲しいもの”を
 
探し見つけることは
 
苦しみの連鎖から離脱するためには
大切なことです。
 
 
 
そのためには
無意識 unconsciousness に生きることをやめて
意識 consciousness して生きることが大切です。
 
 
 
意識して
内側にある無意識の暗闇の奥深くに入っていき
 
”自分が本当に欲しいもの”に
 
『気づく』aware ことは
 
”自分が本当に欲しいもの”に
 
光があたり
 
それが意識して
はっきり見える、聞こえる、ということです。
 
 
 
それは
 
無意識の暗闇の中の
 
ショートケーキに
 
光があたり
 
それが意識して
はっきり見える、聞こえる、ということです。
 
『気づき』 aware が起こると
 
”あ、ショートケーキがピンポイントで食べたかったものだった!『思い出した』”
 
となります。
 
 
 
 
『気づき』aware は暗闇の中の『光』です。
 
 
 
 
『気づく』aware ことによって
苦しみ(暗闇)の問題は99%解決します。
 
 
あとの1%は
その欲を
自分はどうしたいか?です。
 
手に入れて満たすのか?
『手放す』let go のか?
 
それは個人個人の自由選択です。
 
 
 
 
ですが、
先ほどもお話したように
1つの欲が満たされる瞬間に
10ほどの欲が生まれてしまいます。
 
欲の苦しみのエンドレスの連鎖を終わりにして
離脱しようと思うならば…
 
全ての欲を『手放す』let go ことで
全ての苦しみを終わりにして
苦しみのエンドレスの連鎖から離脱することができます。
 
 
どのような選択も
個人個人の自由な選択です(-_^)
お好みの方で…
 
 
 
 
 
 
さて、
 
今年の夏休み期間は光明 enlightenment 漫画である
ひかわきょうこさんの『彼方から』を
わたしの光明 enlightenment 体験のお話と重ねて
ご紹介する流れになりました。
アホで無知なわたしではなかなかうまく説明できないので
もう、大変助かっています。
感謝しています。
 
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この作品の2人の主人公である
典子とイザーク
自分の内側と外側の両方の現実から逃避せず
内側の奥深くまで入り向き合うことで
意識の成長の愛の梯子を昇ることで
光明 enlightenment が起こりました。
 
その典子とイザーク
闇の存在に追われる身であり
その闇の存在の支配下にある人たちの
ボスであるラチェフは2人の敵です。
 
闇の存在から巨大な闇のパワーを受け取ることで
闇の存在に与えられた仕事をしながら
ラチェフ自身、欲しいものを次々と手に入れていきます。
 
しかしラチェフは典子に言います。
 
 
 
 
『私は満たされたいのだ。』
 
 
 
 
いつも…何かが足りないのだ…と。
 
全てを手に入れても欠落感は消えない…と。
 
 
 
 
全てを手に入れても満たされない…
 
ラチェフはなにやら
”自分が本当に欲しいもの”
をピンポイントで
手に入れていないようなのです。
 
いわゆる
先ほどお話した
ショートケーキが本当に欲しいものなのに
ショートケーキ以外のケーキ全てを手に入れ食べたけど
ショートケーキを食べていないから
いまいちピンとこなくて真に満たされない…
飢え渇きが止まらなくて苦しい…
だから
『私は満たされたいのだ。』
という状態です。
 
 
というのも
ラチェフは無意識 unconsciousness に生きていて
自分の内側の現実から逃避し続けているため
自分の外側に自分の欲しい理想郷を作ることに夢中になっているため
自分の内側の無意識の奥深くに自分が隠した
”自分が本当に欲しいもの”に『気づく』aware ことができない状態です。
 
 
”自分が本当に欲しいもの”に
『気づく』aware ことができないと
ピンポイントで満たされず
または
それを『手放す』let go もできず
飢え渇く苦しみは終わりません。
 
 
ラチェフが真にエンドレスに続く苦しみの連鎖を終わりにしたければ
無意識 unconsciousness に生きることをやめて
意識 consciousness して生きて
内側をよく『観る(観照)』ことをして
”自分が本当に欲しいもの”に
『気づく』aware ことが必要です。
 
 
しかし
 
 
内側を『観る(観照)』
ということを知らないラチェフは
内側ではなく
外側にばかり意識を向けて
外側ばかりに気をとらわれています。
 
 
内側の無意識の奥深くにある
”自分が本当に欲しいもの”に
『気づく』aware ことができないので
 
 
ラチェフはいつまでたっても
『私は満たされたいのだ。』と言い続け
 
全てを手に入れても
 
なぜ自分がいつまでも満たされないのか?
飢え渇き苦しむのか?
 
わからないのです。
 
 
 
 
 
ラチェフ、
”あなたが本当に欲しいものは何ですか?”
 
 
 
 
 
”自分が本当に欲しいもの”は
自分の内側にありますから
自分が1番よく知っているものです。
 
 
しかし
 
 
ラチェフには
 
なんらかの理由があり
 
”自分が本当に欲しいもの”を
 
内側の奥深くの無意識の暗闇の中に
押し込み隠して
閉じ込め蓋をしてしまうため
 
それを見ないように、聞こえないように
自分でしているのです。
 
 
 
 
 
なぜラチェフは
”自分が本当に欲しいもの”を
内側の奥深くの無意識の暗闇の中に
押し込み隠して
閉じ込め蓋をして
それを見ないように、聞こえないように
しているのでしょうか?
 
 
 
 
 
”自分が本当に欲しいもの”が
ピンポイントでわかれば
それを手に入れて満たすことは可能かもしれないし、
その欲を『手放す』ことで
欲を持つ飢え渇きの苦しみを終わりにできる可能性もあるのに。。。
 
 
 
 
 
”自分が本当に欲しいもの”を
内側の奥深くの無意識の暗闇の中に
隠してしまう理由は
ラチェフの子供の頃にありました。
 
 
 
「おまえさえいなかったら、
わたしは幸せになれたのに…」
 
 
 
ラチェフは
母親からそう否定され続け
そのあまりにも辛い現実を受け入れることができなかった子供のラチェフは
母親を自らの手で殺した体験がありました。
 
 
 
”母親から愛されず否定され続けた。”
 
 
 
それは子供には大変辛い現実です。
 
 
 
ラチェフが本当に欲しいものは
 
 
 
”母親から愛され、否定されないこと”です。
 
 
 
しかし
ラチェフの母親は死んでいて
生きていたとしても
ラチェフの母親が心変わりをして
ラチェフを否定せず愛することになるかどうかは誰にもわからないことです。
 
 
 
こればかりはラチェフにも誰にもどうすることができません。
 
 
 
ただラチェフの母親に
意識の『変容』が起こることだけが
もしかしたら
ラチェフを受け入れ愛せることができるようになることです。
 
 
ラチェフにはどうすることもできない。
 
 
子供でもそれは知識として学んでいなくても
感じとりわかること。
 
だから
 
母親との関係の現実を受け入れることができなかった
子供のころのラチェフは
自分を苦しめる…と思い込み
母親を殺してしまいました。
 
 
母親は死んだことで
もしかしたら起こったかもしれない
自身の意識の『変容』の機会はなくなりました。
 
 
母親が死んだことで
”母親から愛され、否定されないこと”
という
ラチェフの本当に欲しいものは
母親の死後2度と手に入ることができない
満たされることのできないものとなりました。
 
 
そのようなラチェフの「過去」があり
”母親から愛されず否定された”という
深い傷と共に
ラチェフは
”自分が本当に欲しいもの”それは
 
”母親から愛され、否定されないこと”を
 
内側の奥深くの無意識の暗闇の中に
押し込み隠して
閉じ込め蓋をして
それを見ないように、聞こえないようにして
 
自分がその辛い記憶を
深い傷の痛みと共に思い出して
 
2度と傷つき苦しまないように
自己防衛しているのでした。
 
 
 
そして
 
 
 
”母親から愛され、否定されないこと”
という
”自分が本当に欲しいもの”は
隠して
『気づかない』ように無意識にしていますが、
 
意識では
 
母親のように自分を否定したこととは真逆の
 
”自分を否定しない”
”誰もが自分を肯定する世界を作る”
 
ということははっきりわかっていて
 
自分の頭の中にあるマインド(思考)で作り出した理想郷を作り
 
自分の思い通りに全てを支配する
 
生き方を実行して生きてきました。
 
 
 
ラチェフの行手に塞がる者たち
ラチェフの思い通りに動かない者たちを
すべて殺したり排除して
欲しいもの全てを手に入れながら
ラチェフの頭の中にある夢の理想郷を作ろうとしました。
 
 
 
ラチェフは言います、
 
闇の存在と共に
この世のすべてを思いのままにして
手に入れれば
私のはこの飢え渇きの苦しみから解放される、
だから
私の作り見つけた世界を壊さないでくれ、
何をしても得られなかった
心の平安を…
やっと手に入れることができたんだ。
 
…と。
 
 
 
飢え渇く苦しみから解放される
心の平安が欲しかった…と。
 
 
 
ラチェフはとても癒されたいと望んでいるのです。
 
 
 
しかし
ラチェフは
自分の内側にある深い傷の癒し方を知らないため
 
ラチェフは傷ついたまま
母親との辛い体験が原因となり
自分の外側の世界を
自分が安心して暮らせる居場所が欲しくて
自分を否定しない、肯定する世界を作ろうと一生懸命になりました。
 
 
痛みや飢えや渇きの苦しみではなく
平和で安心して暮らせる居場所を…
 
 
もしラチェフが
自分の内側にある深い傷を癒す
ということがあることを
もっとはやくに知っていれば…
こんなに長い年月を苦しまないでいられたかもしれません。
 
 
そして
ラチェフは
深い傷を持って苦しいまま
飢え渇きを潤そうとして
自分を肯定する世界を作ろうとして
 
自分を否定する者たち全てを
自分が否定し殺しました。
 
母親がラチェフを否定したように、
ラチェフも他者を否定してきました。
 
 
心の平安が欲しいと言いながら
平安とは真逆の戦いを選択してきました。
 
 
愛である『統合』の平和ではなく
怒りによる『分離』の暴力の戦いをしてきました。
 
 
『統合』は1つに溶け合うこと
『分離』は1つを切り離して分けること
 
 
怒りによる切り離していく『分離』は
傷つき痛みをともない
飢え渇き
けっして満たされることはありません。
 
 
愛の1つに溶け合う『統合』は
全ての傷を癒し治し
飢え渇きも潤い
永遠に満たされます。
 
 
 
 
 
たとえ
ラチェフの
 
”自分が本当に欲しいもの”が
 
”母親から愛され、否定されないこと”であり
 
母親が死に2度と会えず
 
2人が愛で1つに溶け合うことができない状況であっても、
 
ラチェフが
無意識 unconsciousness から意識consciousness へと『変容』し
自分や他者を否定することを止めて
自分と他者をありのままを受け入れて
自分と他者を許し愛するとき
 
ラチェフの
内側の奥深くにある
愛の光のエネルギーである『魂(源泉)』から
愛の光のエネルギーが溢れ出し
内側全てを満たし
それは外側までにも溢れ出し続け
 
ラチェフは
自分の『魂(源泉)』の愛の光で
内側にある深い傷を全て
外側に洗い流し消し去り
 
癒しが終わります。
 
 
 
 
深い傷は深い谷底のような暗闇です。
 
暗闇に
光があると
暗闇は消し去りなくなります。
 
 
 
 
ゴータマ・ブッダは言います。
 『あなたがあなた自身の光であれ。』
”Be a lamp unto yourself.” 
 
 
 
 
ラチェフが
自分の『魂(源泉)』から
愛の光を溢れ出し
内側の暗闇を全て愛の光で満たすことで
深い傷の暗闇は消え去りなくなります。
 
癒しは完了です。
 
完全なる癒し、光明 enlightenment
それは
『魂(源泉)』を感じとり『思い出し』
内側を愛の光で満たすこと
その愛の光が外側まで溢れ出ることです。
 
まるで花の香りが周りに漂うように…。
 
 
 
 
完全なる癒しである光明 enlightenment が起こるためには
 
ラチェフは
 
無意識 unconsciousness に生きることをやめて
意識 consciousness して生きることをはじめ
 
意識して自分の内側を『観る(観照)』ことをし
 
自分の内側の無意識の奥深くに隠した
”自分の本当に欲しいもの”に『気づく』aware ことが大切であり
 
それを
 
欲を満たすことをしてもしなくても
 
最後にはそれを全て『手放す』let go ことが大切です。
 
すると
 
その欲を満たすために必死に
外側ばかりに気をとらわれていて
 
『気づく』aware ことができなかった
 
内側の奥深くにある
 
真の自分である愛の光の『魂(源泉)』を
感じとることができます。
 
 
苦しみの原因(種)である
エゴ(欲・自我)
マインド(思考)
を全て根こそぎ『手放し』たとき
 
真の本来の自分の愛の光の『魂(源泉)』を
感じとることが誰にでもできます。
 
 
『魂(源泉)』を再び「感覚」で感じとり
『思い出す』ことが
光明 enlightenment です。
 
 
 
 
 
『魂(源泉)』はけっして傷つきません。
 
傷ついたのは自身のエゴ(欲・自我)です。
 
ですから
 
エゴ(欲・自我)を全て根こそぎ『手放し』たら
 
全ての傷も『手放し』消え去ります。
 
 
 
 
 
エゴ(欲・自我)と深い傷が一緒に消えてなくなれば
 
愛の光の『魂(源泉)』だけが
内側に残ります。
 
 
 
 
 
愛の光の『魂(源泉)』は
けっして傷つきません。
 
愛は傷つくことができないものなのですから。
 
傷つくのは自身のエゴ(欲・自我)だけです。
 
 
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ラチェフが真に
飢え渇く苦しみから離脱しようと思うならば
 
自分や他者を
自分の頭の中のマインド(思考)で
否定し切り離し
『分離』する戦いではなく
 
全ての苦しみのはじまりとなる『分離』の原因であり
苦しみの原因(種)である
エゴ(欲・自我)
マインド(思考)
を全て『手放し』
 
自分や他者のありのまま全てを受け入れ
意識が溶け合い1つである
『統合』の愛である
 
愛の光の『魂(源泉)』のまんまの状態に
再び戻ることです。
 
完全なる癒しの光明 enlightenment
ラチェフを完全に
飢え渇く苦しみから離脱できます。
 
 
 
 
 
ラチェフの自分を真に癒したいという思いは
ちゃんと届いていました。
 
ラチェフのボスである
闇の存在は
自身の計画の真に邪魔となる
イザークの愛の光の『魂(源泉)』を
イザークが生まれたときから
あれやこれやとしかけて
何重にも闇の力で封じてきましたが
 
前回までに簡単にお話したように
イザークは自力で
内側の奥深くにある愛の光の『魂(源泉)』を
感じとりとらえることができ
光明 enlightenment が起こりました。
 
 
 
完全なる癒しである
光明 enlightenment が起こった
典子とイザーク
ラチェフの内側にある深い傷を感じとり知りました。
 
そして2人は
光明 enlightenment が起こる前のように
ラチェフと戦って倒すこと『分離』ではなく
 
ラチェフが自身の内側奥深くにある
愛の光の『魂(源泉)』を感じとることができるように
ラチェフを抱きしめて
『魂(源泉)』の愛の光を見せて感じとらせ
 
典子とイザークとラチェフの『魂(源泉)』が
愛の光で1つに溶け合う『統合』を選択します。
 
それにより
ラチェフは愛の光を全身全霊で感じとり見て
『思い出す』ことができました。
 
 
 
愛は言葉では伝えることができないものです。
 
それは「感覚」で感じとるものです。
 
典子とイザーク
一言も語らず
ただただラチェフを抱きしめて
愛の光を見せて感じとってもらうことをしました。
 
 
 
愛の光である『魂(源泉)』を完全に『思い出した』
ラチェフの
自身の肉体は
闇の存在と一緒に消え去りましたが
 
肉体を離れたラチェフの意識である『魂(源泉)』は
 
自力で光明 enlightenment までの
意識の成長の愛の梯子を昇る旅へと
一歩を踏み出しました。
 
 
 
これはすごい勇気あることです。
 
 
 
それまでの必死に作り上げた自分をやめて
 
自分から逃避することをやめて
自分と向き合い
 
真の本来の自分に『目覚めよう』とする
旅へと向かう腹を決めたのですから。
 
 
 
ラチェフなら光明 enlightenment まで行けるでしょう!
とかなり応援してワクワクしております(-_^)
 
どんな旅になるのかな。
 
しかもゴーリヤも一緒に旅をはじめましたね。
 
 
 
 
 
ラチェフと戦うことをやめて
 
さらに
ラチェフの欲を満たすことをもやめて
 
慈悲の愛で
ラチェフを抱きしめることができたのは
 
光明 enlightenment が起こったからだけでなく
 
イザークもラチェフと同じように
子供の頃に母親から否定され
しかも殺されそうになった
深く傷ついた体験があったからかもしれません。
 
 
 
「死んでおしまい、イザーク
 
 
 
ナイフを切りつけてくる母親。
 
子供には受け入れることができない現実です。
 
 
 
自分で産んでいながら
なぜ子供を否定し殺すのか…
 
 
 
全ての子供は
そのような切り離しの『分離』をする
親の行為を『理解』することはできません。
 
その現実を受け入れることができません。
 
 
 
ラチェフにも
自分と同じ苦しみがあることに『気づき』aware ました。
 
 
戦う『分離』ではなく
愛の『統合』だと
 
 
だから全身全霊でラチェフを抱きしめたのですよね。
 
 
 
苦しみの理解=愛(慈悲の愛)
 
 
 
ただ傷つき苦しんでいるときは
自分の内側にある深い傷も
同じように
他者の内側にある深い傷も
見ることができません。
 
なぜなら
 
それを見ることで
また深い傷の痛みが疼き痛みを感じるからです。
 
ですから
 
自分の内側にある深い傷を
見て完全に癒し
傷が消え去らなくては
 
自分と他者の内側にある
深い傷を見て『気づく』aware ことができないのです。
 
 
イザークは完全なる癒しである
光明 enlightenment が起こりましたから
 
苦しみを理解していたので
慈悲の愛の学びが起こっていたので
 
自身の傷が消え去った後でしたから
 
同じような傷を持つラチェフの傷に『気づく』aware ことができ
 
癒しへと導くことまでできました。
 
 
 
 
『自分で自分の傷は癒せるのだよ』と。
 
 
 
 
ラチェフの内側にある
『魂(源泉)』の愛の光に
『気づかせる』ことで
 
ラチェフが自分で自力で
完全なる癒しである光明 enlightenment まで
愛の梯子を昇る旅へと
導いたのでした。
 
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イザークは超人的なパワーを持つ
『天上鬼デラキエル』でもあり
ずーと戦ってきましたが
 
光明 enlightenment が起こった後は
 
戦う『分離』ではなく
愛である『統合』となり
 
完全に戦いの生き方が終わりました。
 
 
 
 
超人的なパワーを持つから最も強いから無敵(アジータ)
 
から
 
愛であることにより戦わないので無敵(Ajita)
 
に『変容』しました。
 
 
 
(Ajita アジータはサンスクリット語で無敵)
 
 
 
誰1人とも戦わないこと=敵がいないこと
 
 
 
愛=無敵
 
怒り=敵がいる
 
 
 
愛=『統合』1つに溶け合う
 
怒り=『分離』切り離す
 
 
 
愛=痛みがない
 
怒り=痛みがある
 
 
 
 
 
深く傷ついたラチェフが
闇の存在のパワーではなく
自分を自力で癒そうとする
意識の成長の旅を選んだ勇気に
わたしは号泣でしたσ(^_^;)
 
君が主人公でもいいよ(-_^)
 
 
 
 
 
漫画の中だけでなく
現実に
ラチェフやイザークのように
無意識に生きる親の行為によって
深く深く傷ついた子供や大人たちがたくさんいます。
 
幸せの家庭の中で育った子供たちには
体験したことがないからわからない
辛い家庭の現実は実際にあります。
 
家の中で「今ここ(現在)」行われています。
 
家の中で起こっていることは
外からは見えないので
誰も助けに来てはくれません。
 
たとえ気づいた人がいたとしても
助けてはくれません。
 
1人孤独に耐えながら
死ぬこともできず
生きていかなくてはならない人たちもいるのです。
 
 
 
イザークはそんな親から逃げました。
 
ラチェフはそんな親を殺しました。
 
 
 
どちらであっても
 
”親に否定され、愛されなかった”
 
深い傷は痛みます。
 
 
 
家族ってなんだろう?
親ってなんだろう?
子供ってなんだろう?
家ってなんだろう?
 
 
 
親や身内や他者からの
理不尽な暴力やレイプやいじめに
我慢して耐えることは
あまりにも辛く苦しいことです。
 
今では相談所もあります。
 
あまり無理をすることなく
適切な人たちに助けを求めることも
勇気です。
 
イザークやラチェフのように
我慢して無理をし続ける必要はありません。
 
 
無意識 unconsciousness のままに生きて
他者に暴力や虐待をする人たちが多くいて
深く傷つく人たちが多くいるのが
今の地球の現実です。
 
しかし
 
無理やりに
無意識 unconsciousness
から
意識 consciousness
へと
『変容』を強制することは
やはり暴力となります。
 
無意識 unconsciousness に生きる人が少なくなるまで
傷つく人たちが少なくなることはありません。
 
 
しかし
たとえ深い傷を持ったとしても
それは必ず癒すことができ
苦しみから解放されることを
覚えておいてください。
 
 
苦しみのまま一生を終える必要はないのです。
 
 
自分を癒そう!
と思うことから
必ず癒しへと導かれます。
 
 
そこから人生は好転しはじめます。
 
 
焦らず
無理のないように
癒されることを
いつも祈っています。
 
 
 
 
 
そして
 
親子問題だけでなく
 
全ての人たちが
真に癒されるために
光明 enlightenment が起こるために
大切な『気づき』aware は…
 
 
 
 
 
”あなたが本当に欲しいものは何ですか?”
 
 
 
 
 
この欲が
苦しみの原因(種)である
エゴ(欲・自我)
マインド(思考)
を作っていることもあります。
 
この欲を満たすことでもいいですし
 
この欲を『手放す』let go ことでもいいです。
 
選択は個人の自由です。
 
 
 
 
ただこの欲を持っていると
ラチェフや闇の存在のように
この欲を満たすことにとりつかれ執着することに夢中になっているため
なかなか光明 enlightenment は起こりません。
飢え渇くエンドレスの苦しみから離脱することは起こりません。
 
『気づき』aware が起こるためには…
 
無意識 unconsciousness 
から
意識 consciousness
へ…
 
 
 
 
 
”あなたが本当に欲しいものは何ですか?”
 
 
 
 
 
sammasati 正しく『思い出す』
 
 
 
『The last word of Buddha was, sammasati. 
Remember that you are a buddha – sammasati.』
 
sammasati(right remembrance)
 
 
 
瞑想と愛 meditation & love
 
 
 
花仙人
 
 
 
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真理の泉

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花仙人