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花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

hana

hana


『hana』

ん?誰かが呼んでいるような声がします。

『hana』

また聞こえます。
日向ぼっこをしながらぼんやりしている一人暮らしの部屋で、自分以外の誰かの声が柔らかいけど鮮明にはっきりと聞こえます。

『hana』

また…。もう幻聴とは思えません。3度もはっきりと呼び声が聞こえたのですから。

来客は誰もいないのに、部屋の中で声がする摩訶不思議な現象ですが、恐い感じがなかったので、ぽかぽかとあたたかい日向ぼっこをぼーとしながら様子をうかがっていると、目の前に雲一面が広がりました。


どうやらそこは雲の上らしく、遠くの方で雲の下から龍が飛び出しジャンプしまた雲の中へダイブし潜っていく楽しそうな姿が見えます。

初めて見るけどとても懐かしく感じ胸の奥がじーんとあたたかくなる素晴らしく穏やかな広大な風景にちょっとした感動をしながら、一人ぼっちでちょこんと座って少し心ぼそくなっていると、後ろから『hana』と呼んだ本人が歩いてきました。

その時は『hana』という呼び声はなかったのですが、後ろからやってくるその人が3度の呼び声の本人であることは体全体で感じ取り確信してわかりました。

その歩き方はとても優美で柔らかく静かで穏やかな呼び声と同じ安心感のあるものでした。

そのような美しい人を見たことがありませんでした。

また美しいという言葉があてはまるものではなく、その言葉以上のものであることもわかっていますが、他にあてはまる言葉がみつからないので美しいという言葉にしておきます。


そちらの方へ振り返ると、その人はとても大きく、近づき腕を回して抱きつくとその人の足の親指にちょうど顎が乗っかりました。

その人はゆっくりと少しだけ足の親指を上下に数回動かしたので、ぐーんぐーんと体が揺れて楽しくなりきゃっきゃと声を出して笑いました。

恐くもなく懐かしい感じがするとはいえ、突然見知らぬ場所に一人ぼっちで心ぼそくなっていたのですが、『hana』と呼ぶその声主と会って、その人から溢れ出る優しく柔らかな愛で全体を満たすような安心を感じ、しかも親指で遊んでもらい楽しくなりすっかり安心してまったりと心地よくなりその人の親指の上でうとうとと眠りそうになると、その人は言いました。

『hana、みんな学校にいるよ。』

学校?目をこすりながら何の学校だろうか…と思っていると、優美な声主よりもう少し小さい人がさらさらと流れるようにやってきました。すると優美な声主はゆっくりと去って行き、少し小さな人が学校へ案内してくれました。


学校といっても雲の上の屋外でその場には30人ほどの生徒達が静かに雲の床に座っていました。

お勉強があまりしたくなかったので、その場から離れてまたさっきいた雲一面が見える場所で、楽しそうに龍が飛び跳ねるさまをぼーと眺めていると、また優美な声主がゆっくりやってきて、

『心の準備ができた時にまたいらっしゃい。hana。』

と言ってゆっくりと去って行きました。

(心の準備ってなんなんだろう…)

そう思いながら広大な雲の上の風景を見ていると、いつのまにか板の間の日向ぼっこの部屋に戻っていました。


あたたかいぽかぽかとした日の当たる床の上でぼんやりしながら、学校ってなんだろか?と考えていると、10年ほど前、3度も臨死体験をしちゃった病に倒れた時に見た夢を思い出しました。

夢の中ではるか遠くに光輝く大きなお釈迦様が立っていました。はるか遠くにいるお釈迦様なのに、その光はすさまじく目を開けていられないほどでした。この夢はあまりにも鮮明で忘れることはありませんでした。

夢の中で、


お釈迦様のいる所まで行かなくてはならない、でもそんなの無理だ…>_<…遠すぎる。


とさんざん泣いたのを思い出しました。





10年ほど前に、はるか遠くに見えたお釈迦様が、雲の上で足の親指で遊んでくれた優美な声主その人でしたσ(^_^;)

あの時夢の中で、無理だよ…>_<…ってさんざん泣きましたが、
なんだかいつのまにかお釈迦様の足元にまで辿り着いていたようです。


しかも勝手に『hana』とか呼んでるしσ(^_^;)


しかも勝手に学校とかって言ってるしσ(^_^;)


しかも!
現世はどの宗教グループにも入ってないのに、なんでお釈迦様が夢に登場したのかな?

無宗教なのに、闘病生活の夢の中で、あの光輝くその人がお釈迦様だってわかり、その姿を見ただけで感謝の気持ちで胸がいっぱいになり、暗闇の中から自分は助かるんだ、と確信があったのだから、我に返ると不思議でたまりません。

なぜお釈迦様なのか?




ま、いいっかσ(^_^;)

理由はわからないけど、
お釈迦様とはご縁があったってことで(*^_^*)

じゃあ、
ブログの名前は『hana』花にしよう*\(^o^)/*

そんなわけで、
このブログの名前は『花ちゃん』にしようと思ったのですが、年齢的にちゃんではないな…と思い、仙人に憧れているので、『花仙人』としました。




ちなみに、
『hana』と勝手に呼ばれて、学校に誘われたのは、今から3〜4年前になります。42歳のころかな。

はじめは、学校の意味がわかりませんでしたが、わからないとか待ったなしに、お釈迦様は次々と課題を送信してきました。心の準備ができてからでいいって言ったのに…>_<…

がんとして課題をやらないでいると何かと怪我をしたり、体調不良になってきたのでσ(^_^;)、

10年もかけて病気を改善した闘病生活を思い出し、もう病気にはこりごりだったのもあり、しぶしぶ課題をはじめましたが、そんなある日、またあの雲の上の学校に他の生徒たちと並んで座って何やら先生のお話を聞いていました。しかも日本語ではなかった、わけのわからない言葉だった…でも、それがわかる自分が不思議だったσ(^_^;)

その後、自分が何を学びながら何をしていくのかが明確にわかりましたが、全く新しい世界の課題なのでわからないことばかりですσ(^_^;)今できることを一つ一つこなす毎日です。



42歳から3年目にして、まだピッカピカの一年生らしく、お釈迦様の学校って、一年生は一年経ったからといって二年生になれるものではないようで、課題をこなせたら昇級らしいσ(^_^;)

あーーー!二年生になるのはいつのことやらσ(^_^;)課題をこなす自分次第なんだけどね。。。お釈迦様の学校ってなんだか永遠と終わりなく続くって感じ?もしかして(・_・;…




病に倒れた10年ほど前に、はるか遠くに見えるお釈迦様の場所まで辿り着けたら旅は終わりだと思っていたのに、辿り着いたら、そこから先がはじまりだったなんて知らなかった。。。

それは、

自分の魂を癒し悟ったら終了だと思っていたけど、悟った時点がはじまりだったことがわかった42歳の体験だったのです。



具体的に簡潔に言うとこんな感じです。

○lonelyからaloneな自分となり、
○マインド(思考)やエゴ(欲)を一切合切落とし、
○魂の古傷を癒し、
○自分の中にある源泉に辿り着き、源泉でゆっくり至福を感じながら生きる。

それができたら現世の学びは終わりだと思って、終わった〜!と喜んでいたのだが、甘かったσ(^_^;)


ぽかぽかとした日の当たる場所で日向ぼっこをしてぼんやり至福を感じていたのに、
お釈迦様がhanaって勝手に呼んで学校だよって迎えに来た、あの摩訶不思議な体験をした時点が新たな旅のはじまりだったんだな、って今ならわかります…



お釈迦様が夢の中で現れてから、闘病生活を無事にクリアでき、今の自分があることや、これまでサポートしてくださった全てのみなさんに感謝しています。ありがとうございます。



これだけ至福に導いてくださったにもかかわらず、今だにどの宗教グループにも属しておりませんがσ(^_^;)、
そして、これからも属しませんが、

でも、お釈迦様は大好きで、ゴータマ・ブッダという名前でインドで生きていた頃の本は読みました。お釈迦様とはブッダの死後の呼び名なんだそうです。

また、ブッダ以外のあらゆる宗教の本も読んでみました。

ブッダは生きながらにして苦しみから自分自身を解放する方法を肉体が死ぬ瞬間までみんなに教えていました。

こんなに昔から苦しみから自分自身を解放する方法が書き記され残っていたのならば、なぜ自分はもっと早くからブッダの教えの本を読まなかったのだろうか…そうすれば病に倒れなかったかもしれない…と思うほどでした。


お経はその教えが書いてあるものだそうですが、訳してもらわないと、意味がわからないしσ(^_^;)だから、その訳された本を読みました。


真っ暗闇のようなトンネルの中で、『無明』であることは不安で苦しい状態ですものね(*^_^*)


心を『明』の状態に保つことが安心で至福ですよね。

『無明』と『明』を教えるブッダ。


現世の親からいただいた名前に『明』がつきますから、もしかしたらお釈迦様とは生まれた時からご縁があったのかもしれません。ありがたい名前をいただきました(*^_^*)



お釈迦様の課題をはじめて少し経ってから、さらに不思議な体験をしました。

これは言葉にできそうもない至福の体験ですが、この体験を書くことが課題っぽいので、頑張って次回、書いてみたいと思います(*^_^*)



つづく( ´ ▽ ` )ノ



花仙人




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