花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

全ては一つ

全ては一つ




ぽかぽかとした日の当たる場所で日向ぼっこをしてぼんやり至福を感じていたのに、
お釈迦様がhanaって勝手に呼んで学校だよって迎えに来た、あの摩訶不思議な体験をした時点が新たな旅のはじまりだったんだな、って今ならわかります…

と前回のブログに書きました。

それは今から数年前の42歳の頃にした不思議な体験でした。



その後、しぶしぶと勝手に送信されてくるお釈迦様からの課題に取り組みはじめて少し経ってから、さらに不思議な体験をしました。


44歳の1月のある天気のよい日に、ぽかぽかとした日の当たる場所で日向ぼっこをしてぼんやり至福を感じていました。(また日向ぼっこの時にした不思議体験なんです。)

心地よくぼーとしていると、瞑想の時のように自分の中にあるあたたかい湧き水『源泉』の中に入って何も考えずリラックスした感覚になりました。(源泉のことは後に書きます)


すると突然その不思議な感覚は静かに音もなく大きくやってきました。


自分が自分の身体だけの大きさではなく、
自分は宇宙全てになりました。

身体とか、
部屋の壁とか、
地球の大気圏とか、
境界線が一切なくなったのです。

宇宙全ての広大な意識、みたいな感覚です。

自分がなくなり、
というか、
自分が
宇宙に溶け込んだみたいな。

宇宙と一つ
または
全てと一つ

それか

自分は宇宙の1部
自分は全ての1部

のような感覚です。



初めての感覚だけど、
この感じは以前から知っている!

と思いました。

あたりまえに感じているから
普段は気づかないで忘れているだけなんだ。

とわかりました。

なんて素晴らしく至福な感覚だろう!

と感動しました。



わかりづらくてすみませんσ(^_^;)
この体験による体感は適切に当てはまる言葉が見つからないのでうまく言葉にできそうもないのですが、1番近いかなと思う言葉を使ってみると、宇宙全体ほどの『広大な意識』とか、宇宙の『全ては一つ』みたいな至福を超越する感覚のものでした。

その体験以降、その感覚のままの状態がずーと続いていて、わかることは、


もうこの体験をした以前のような感覚には戻れないんだ。


というものです。


蛹が蝶になったら、蛹には2度となれないような、
おたまじゃくしがカエルになったら、 2度とおたまじゃくしにはなれないような、

そんな感じです。




その体感を得たからといって、
その体感を得る前と同じように暮らしています。

朝起きて、顔を洗い、食べて、掃除をして、仕事をして、身体をストレッチして、寝る、というような普通の毎日です。

何も普段のことは変わりはありません。
いつもの同じです。

しかし、
その体感をすると、心のあり方が以前とは違うのです。


それは
自分の意識で動くのではなく、
宇宙全体の意識で動く、
というような感じです。

自分の思考や感情がなくなり、
空っぽな感じですが
至福感でとても満たされています。

その感覚だと、
思考や感情による全ての二元性の判断がなくなり、自分や他人などを差別しなくなるので、競争や争いがなくなり、

自然と周りみんなと、
今自分ができることをすることでお互いを補完しあい、尊重しあい、調和しながら共生していますから、平和な心になっています。


自分を作ることは、
他者を作ることになります。

自分がなくなると、
他者もなくなります。

自分とか他者とかの概念がなくなり、
自分も他者もみんな一つだと感じると、

自分を守るために他者を傷つける、

というような
お互いに傷つけ合う思考や感情がなくなるため、自然と思いやりの気持ちが湧き上がってきて、心は穏やかになり至福を感じます。




この44歳の1月に突然やってきた不思議な感覚は、そんな自分と他者や、自分と周り全てとの境界線が一切なくなり、

宇宙全ては一つなんだ。

肉体は個別にあっても、みんな一つの宇宙全体なんだ。

みたいなσ(^_^;)
不思議な感覚の体験をしました。

そしてその体験をした以前の状態に、もう戻れなくなりました。

どうやったら、以前の状態に戻れるのか?がわからないですσ(^_^;)

自転車をはじめて二輪で乗れた感覚は、一度コツを掴んだら忘れず、久しぶりに自転車に乗っても体は覚えていますよね。二輪自転車にうまく乗れなかった状態にはもうどうやっても戻れないです。そんな感じっていったらいいのかなσ(^_^;)


このような素晴らしい心が穏やかで至福で満たされる感覚は、みんな忘れているだけで、あたりまえのように全ての人が持っている感覚だから、それを思い出せばいいだけなんだ!

ということもわかったので、何とか言葉にして書いてみようと思いました。

うまくは書けてはいませんがσ(^_^;)




体感した後に、なんであるのかを知りたくて、またそれを表す適切な言葉を知りたくて、いろいろと調べてみました。

人は眠っている時に、このような『全ては一つ』の体感をしているそうです。

でも、目が覚めると、その感覚が「思考や感情」により隠れてしまうため、なかなか気づくことができないのだそうです。

リラックスして「思考や感情」が全くない状態でぼーとしていると、眠っている時のような状態になるので、起きていても眠っている時のように『全ては一つ』を体感しやすくなるのかもしれません。


実際に、
ぽかぽかとした日の当たる場所で日向ぼっこをしてぼんやり至福を感じていた時に、突然この『全ては一つ』体験がやってきましたから、「思考や感情」が全くない空っぽな状態でぼーとしていた時でした。




それと、
瞑想をしていて辿り着いた自分の中にあるあたたかい湧き水『源泉』のような空間をはじめて体験したのは、お釈迦様にhanaと呼ばれるさらに数年前のことでした。

もしかしたら、この瞑想による『源泉』体験が、日向ぼっこの中にいても「思考や感情」がなくなり空っぽになる心地よくぼーとする感覚にしやすくしているのかもしれません。


瞑想によって辿り着いた自分の中にあるあたたかい湧き水『源泉』の話も心身の健康と至福には大切だと思うので次回お話しますね。



つづく( ´ ▽ ` )ノ



花仙人



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