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花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

源泉

源泉



ぽかぽかとした日の当たる場所で日向ぼっこをしてぼんやり至福を感じていました。
心地よくぼーとしていると、瞑想の時のように自分の中にあるあたたかい湧き水『源泉』の中に入って何も考えずリラックスした感覚になりました。(源泉のことは後に書きます)


すると突然その不思議な感覚は静かに音もなく大きくやってきました。


『全ては一つ』


を体感した不思議な体験でした。

それ以来ずーとその至福を超越するような心穏やかな感覚はなくなることなく続いていています。


と、前回のブログに体験談を書きました。(詳しくは前回の『全ては一つ』をお読みになってください。)


今回は、

『全ては一つ』を体感するカギとなる、

「自分の中にあるあたたかい湧き水『源泉』」

について書いてみたいと思います。





瞑想をしていて辿り着いた「自分の中にあるあたたかい湧き水『源泉』」のような空間をはじめて体験したのは、お釈迦様にhanaと呼ばれるさらに数年前の37歳のころでした。


その頃は、心理カウンセリングにより自分の心の無意識の中にいた「自分の影」との統合を終えて1年ほど経ったころで、カウンセラーからカウンセリングでの治療が終わったことを知らされました。(影との統合はアーシュラのゲド戦記の「影との戦い」の本にわかりやすくえがかれています。)

しかし、まだ癒しの旅は終わっていないという感じがなくならなかったので、どうしたものかと悩んでいる時に瞑想と出会いました。

直感で、これしかない、と感じそれから朝晩1時間瞑想をしました。


瞑想をはじめて1年ほど経ったある日、いつものように自分の内側深くもぐっていくと、いつもよりさらに深くもぐっていく自分がいました。深くもぐることは先に何があるのかわからない恐怖心が伴うものですが、この時はなぜか安心感が漂っていました。


深く、深くもっと深く…


すると暗闇の世界からいきなりポンっと明るい場所に出ました。


なんとも柔らかく明かるい空間なんでしょう!


ふんわりとした穏やかで優しく適度にあたたかく心地よい空間で、気持ちよく眠りについてしまいそうな感じがありました。

その空間の中に、適度にあたたかい湧き水が枯れることなく豊かに湧き出ているのをみつけちゃぽんと入ってみました。


あ〜〜〜。なんて説明したらよいのかわからないくらいの究極の心地よさ。


リラックスの極みにより、あらゆる痛みや苦しみが溶けて癒されなくなっていくようです。


私は最近までこの空間を、

「自分の中にあるあたたかい湧き水」

とよんでいましたが、どうやらそれは

『源泉』(source)

とよばれるものなんだそうです。




『源泉』への道をみつけた37歳の頃から44歳の1月の『全ては一つ』の体感まで7年。

この7年間は瞑想をしていてもしていなくても、いつでもどこでも『源泉』の空間にいる状態でいました。なんか心地よいからσ(^_^;)

そして、
周りのみなさんが、私に近づいたり話をしたりすると、

「ぬるい温泉につかっているような感じで、時間がなくなるようだ。心地いい。」

と、よく言われるようになりましたσ(^_^;)

それはもしかしたら、私が『源泉』の空間に心地よくいるまま普通に暮らしているからかもしれません。



『源泉』にいると心地よく至福に満たされているし、「思考や感情」がなくなるのでなんか楽なんですね。

ぼーとしてゆっくりのんびりな感じですが、頭はさえていて、無駄な動きがなくなるため、仕事などは効率がよくなるんです。

イデアも枯れることなく溢れ出てくるし、問題と出会っても問題解決の答えが自然と湧いてくるように出てきます。



「思考と感情」によって出された答えに従うと、さらに問題が広がったり間違った道へと進むことばかりでしたが、

『源泉』の空間で得た答えに従うと、問題は問題ではなくなり、謎解きの答えをワクワクしながら探し出す感じになるし、しかもその答えの道に進むとうまくいくことばかりなんですね。それは自分のためになるだけでなく、他者のためにもなるような答えを得られることばかりです。

自分を守るために他者を傷つけることがなくなり、人間関係が健全な状態になります。



このような体験による一例をあげてみましたが、瞑想をしていて『源泉』を自分の中にみつけ、その空間の中で暮らしはじめてからは、「思考や感情」に振り回されることがなくなったため、あらゆる苦しみから解放されました。

ですから、
リラックスをして至福を感じる感覚が持続しているのかも?しれません。



もしかしたら、この瞑想による『源泉』体験が、日向ぼっこの中にいても「思考や感情」がなくなり空っぽになる心地よくぼーとする感覚にしやすくしているのかもしれません。なぜなら、リラックスをして至福を感じる感覚と同じですから。



『源泉』体験が『全ては一つ』体験へのカギとなっているように思えるのです。


この

「自分の中にあるあたたかい湧き水『源泉』」

についても

『全ては一つ』

の体験した後にいろいろ調べてみてわかったことがあります。


前回も書きましたが、

人は眠っている時に、このような『全ては一つ』の体感をしているそうです。

でも、目が覚めると、その感覚が「思考や感情」により隠れてしまうため、なかなか気づくことができないのだそうです。

リラックスして「思考や感情」が全くない状態でぼーとしていると、眠っている時のような状態になるので、起きていても眠っている時のように『全ては一つ』を体感しやすくなるのかもしれません。


実際に、
ぽかぽかとした日の当たる場所で日向ぼっこをしてぼんやりリラックスして至福を感じていた時に、突然この『全ては一つ』体験がやってきましたから、「思考や感情」が全くない空っぽな状態でぼーとしていた時でした。


リラックスをして至福を感じやすくなったのは、瞑想によって辿り着いた

「自分の中にあるあたたかい湧き水『源泉』」

を体感した後、その『源泉』の中に入って暮らしはじめてからでした。


『源泉』(source)への道(path)は一度みつけると、2度と忘れることはありません。

しかも、瞑想をしなくても、探さなくても、あっという間に『源泉』の中に入っていけます。



そして、
『源泉』はおへその下辺りにあると言われています。

日本では『ハラ(腹)』とよばれているものです。

ハラは命を維持するためにとても大切な場所と日本では昔から教えられています。

日本では自害する時に「ハラ切り」をしましたが、首切りや胸切りではなく、ハラを切りました。

なぜなら、ハラには命の源があり、ハラを切ると、切った所から命の源が流れ出て確実に死ぬからなんだそうです。

昔の日本人はそれを知っていたので、首や胸ではなく、ハラを切って確実に自害できるようにしたのだそうです。


命の源。

だから『源泉』とよばれるのか。


『源泉』は命の源でもあり、エネルギーの充電場所でもあり、人が生きるためには大切な場所のようです。


その『源泉』命の源は、宇宙全てと一つに繋がっているのだそうです。


そうなんだ!と、これで納得したんです。


ぽかぽか日向ぼっこをしている時に、瞑想はしていないけど、リラックスして至福を感じる

「自分の中にあるあたたかい湧き水『源泉』」

に入っているような感覚になると、

『全ては一つ』

それは宇宙全てと一つになった不思議な体感をしたことを、納得できたんです。


『源泉』が宇宙全てと一つに繋がっているならば、宇宙『全ては一つ』を自然と体感しても不思議ではないんだな、と。


そして、
はじめて『源泉』への道をみつけたら、もう2度と忘れないというように、『全ては一つ』を体感したら、もう2度とその感覚を忘れることはないのだそうです。

前回も書きましたが、二輪自転車をはじめて乗りこなせた時のように、人はコツを体感すると、それを忘れることは2度とありません。そんな感じです。



人は眠っている時にはいつもこのハラの『源泉』に入っていて、エネルギーを充電しているそうなんですね、だから、眠っている時には『源泉』の感覚を味わっているから、

起きている時に、

『源泉』の中に入ったとしても、起きていてそこに入るのは初めての体験かもしれませんが、眠っている時には入っているので、

「あたりまえのように知っている感覚」

と懐かしく感じるのですね。



そして、眠っている時には『源泉』にいるのですから、『全ては一つ』という宇宙全てと繋がっている体感もしているので、こちらも起きている時に初めて体感すると不思議な体験みたくなりますが、やはり

何か懐かしくあたりまえのように知っている

ように感じるのは、眠っている時に体感しているからなんですね。



ぽかぽか日向ぼっこの不思議な『全ては一つ』体験は、眠っている時にいつもしている体験だった、ということです( ´ ▽ ` )ノ



ということは、

誰もが毎日眠るのですから、

誰もが毎日この『源泉』に入り『全ては一つ』体験をしているわけです。


ということは、

誰でもみな平等にこの体験をすることができる。

ですよね。


ただ、
眠っている時ではなく、
起きている時に『源泉』に入る感覚になるにはどうしたらいいのか?

ということがわからないだけですよね。




眠っている時にだけではなく、
起きている時にも『源泉』に入って暮らす。

どうして人は起きている時に『源泉』に入っている感覚を忘れて、『全ては一つ』を忘れて、リラックスや至福を感じにくくなったのでしょうか?

この質問の答えを今から2千年ほど前にゴータマ・ブッダ(死後の呼び名はお釈迦様)がみんなにお話ししていました。

知らなかったよσ(^_^;)

『全ては一つ』体験後の最近知ったよσ(^_^;)

2千年も前から答えがあったのかよσ(^_^;)

無宗教な私をhanaと呼んで雲の上の学校に入れ、課題をじゃんじゃん送信してくるちょっぴりスパルタなあのお釈迦様ですσ(^_^;)(詳しくはこの前書いた「hana」に書いてあります)

次回はそのことについてわかったことを書いてみたいと思います。



今回は

『全ては一つ』を体感するカギとなる、

「自分の中にあるあたたかい湧き水『源泉』」

を自身の体験からわかったことを書いてみました。




つづく( ´ ▽ ` )ノ




花仙人
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