花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

『源泉』を「思い出す」

『源泉』を「思い出す」



ぽかぽかと日向ぼっこをしていて、その時は瞑想をしていたわけではないのですが、自分の中の『源泉』に入ったように、ぼんやりリラックスして至福を感じていた時、突然自分と周り全ての境界線がなくなった感覚の『全ては一つ』になった体験がやってきたことをこの数日書いてきました。


瞑想をしていて自分の中の『源泉』に辿り着いた時も、瞑想をしていなくて『全ては一つ』を体感した時も、瞑想をしているしていないとか関係なく、頭の中が空っぽでぼーとし、頭も心も身体も心地よくリラックスをし至福感でいっぱいな時に『源泉』と『全ては一つ』の不思議な体感が突然やってきました。



『源泉』へ辿り着く、
『全ては一つ』を体感するには、

○頭と心に「思考や感情」が全くない空っぽな状態で、
○身体が緊張していないリラックス状態で、
ぼーと心地よくしていた時であるようです。




『全ては一つ』の体験後にいろいろ調べてみてわかったことがあります。

前回も書きましたが、

人は眠っている時に、このような『源泉』や『全ては一つ』の体感をしているそうです。

もちろん起きている時にも『源泉』や『全ては一つ』の体感をしているのです。


しかし、目が覚めて起きると、
「思考や感情」が頭と心にいっぱいになってしまい、『源泉』や『全ては一つ』の感覚が「思考や感情」によって隠れてしまうので、『源泉』や『全ては一つ』を体感していることになかなか「気づくことができない」のだそうです。(気づくことができないとか、忘れているとかの感じです。)


起きていながら、リラックスをして「思考や感情」が全くない状態でぼーとしていると、眠っている時のようなリラックス状態になるので、起きていても眠っている時のような『源泉』や『全ては一つ』を体感していることに「気づき」やすくなるのです。(それは忘れていた感覚を思い出すとも言えるかもしれません。)


眠っている時に体感している『源泉』や『全ては一つ』という忘れていた感覚を、起きている時に「思い出す」。


「思い出す」は英語で「remember」です。


起きながらにして『源泉』へ辿り着くためには「思い出す」ことをするだけなんです。


「思い出す」ためには睡眠時のようなリラックス状態になる必要があり、


「思い出す」ために必要なリラックス状態を妨げている障害は「思考や感情」です。


ではどうやったら、
起きているときに頭と心の中にいっぱいになる「思考や感情」を空っぽになくして、睡眠の時のようなリラックス状態になれるのでしょうか?


結論から言うと、何にも考えたり感じなければよい、わけなんですが…

人は受精卵になる前の精子卵子の時から懸命に生き延びようとし、

その頃から生まれて寿命がくるまでの期間、死に対する恐怖心があるため、

病気や怪我など死に繋がることを避けようとし、生き延びるためにはどうしたらいいのかとあれやこれや考えてしまいます。

便利な世の中になって、最低限の生きるために必要なものを欲しがるだけではなく、娯楽のために必要なより多くのものを欲しがるようになりました。

この人の「欲しがる」思いを、

エゴとか煩悩とか欲とか

などの言葉で呼びます。


人はこの自分のエゴを満たすためにあれこれ考えて(思考)、
エゴが満たされない時には辛くなり苦しんだり(感情)します。


人は生きたい、楽しみたい、と思うため、それを満たそうとして常に頭をフル回転させて考えるので、思考や感情でいっぱいになるのですね。


エゴがあるのが悪いわけではありません。

エゴがなければ、生き延びることも子孫を残すこともできないからです。

しかし、たくさんのエゴは、たくさんの思考や感情を作り出します。

愛や物が欲しいと、
必要以上に欲張りすぎたり、心配しすぎたりするのは常に思考や感情でいっぱいになり、

自分のエゴを満たすために(自分のエゴを守るために)、他者との関係が悪くなることもあり、苦労が増えまた思考や感情でいっぱいになり…

頭や心が休まらず緊張感が常にあり、
身体も緊張しリラックスできません。


エゴを一つ一つなくしていけば、
思考や感情は少なくなっていき、
自然とリラックス状態になっていきます。


起きていながら、
思考や感情がなくなり空っぽな状態になると
頭も心も身体もリラックス状態になるので、
眠っている時のような状態となり、
『源泉』を体感していることに気づけます。

思考や感情によって隠され忘れていた
『源泉』の感覚を「思い出す」のですね。

『源泉』は命の源であり、
宇宙全てと繋がっていますから、
自然と『源泉』を体感すると
『全ては一つ』の感覚をも「思い出」します。




私は心地よいぽかぽか日向ぼっこにより、思考や感情がなくなり空っぽな状態となってぼーとし睡眠時のようにリラックスしたため『源泉』に入った感覚になり、そこから『全ては一つ』を体感しました。

起きていながらにして、それを初めて体感した時はあまりにも至福感が大きく感動しました。

その体験後、不思議と『源泉』や『全ては一つ』の感覚はなくならず、逆に起きていても「思考や感情」やエゴが生まれにくくなったのです。ですから、至福感やリラックスな状態で生きている感じです。

体験以前と以後では、毎日の生活は変わらず同じなのですが、心のあり方(意識)が全く変わってしまいました。


自分というよりか、
全ては一つというあり方になるというか。


全ては一つというあり方になると、
全ては自分のような感覚になり、

自分と他者や周り全てとの境界線がなくなるため、
自分を大切に愛するように、
他者や周り全てを大切に愛することが自然な状態となってしまいます。

自分だけでなく、全体と共生できる道を自然と考えていることに気づきます。

したがって、競争とか争いとかの概念が一切なくなってしまいます。

お互いが安心で心地よく生きるためにはどうしたらよいか、その思いだけになってしまいます。

ですから、自然と人間関係が健全になっていきます。



もしかすると起きながらにして『源泉』や『全ては一つ』を体感、いわゆる「思い出す(remember)」と、自他ともを思いやり大切にするので調和的になり、人間関係が健全になるので健康的で平和な暮らしになるのではないかな?とも思うこのごろです。




初めての体験でしたが、何かあたりまえに知っている感覚であることが不思議でたまらず、『全ては一つ』の体験後たくさん調べてみました。

私の体験と同じ体験をした人達のたくさんの本との出会いがあり、やっと不思議体験をなんとか言葉に表すことができました。


しかも、同じ体験をしていた人達の中に、ゴータマ・ブッダ(死後お釈迦様と呼ばれる)がいましたσ(^_^;)

今から2千年ほど前にインドの菩提樹の木の下でこの『源泉』『全ては一つ』を体感していました。ゴータマ・ブッダはこの体験を『悟り』の体験と言っています。

しかも、ゴータマ・ブッダは長年の苦行の時には『悟り』には至らず、苦行をやめてスジャータからミルク粥をいただきリラックスした満月の夜木の下で『悟り』に至ったのだそうです。



やはり、思考や感情がなにも無い空っぽな睡眠時くらいの「リラックス状態」が『源泉』『全ては一つ』という『悟り』体験に至るカギのようです。



ゴータマ・ブッダもこの起きたままで『源泉』体感を「思い出す」ことにより、『全ては一つ』という至福感に感動し、『全ては一つ』であるという思いが人類を平和に導き、あらゆる苦しみから解放できるとわかり、『悟り』をみんなにも体感してもらおうとして死ぬ間際まであちこちで教えてまわったそうです。


この至福感を起きている時に「思い出」したままの感覚で生きることは、人間関係の摩擦も少なくなり、リラックスな状態であることなので、頭も心も身体も健全な状態となり、健康維持にはよいかな、と思い、『源泉』や『全ては一つ』の私の体験をブログに残しておこう、と思いました。



ゴータマ・ブッダが最後に残した言葉は

サマサティ  Sammasati



次回はこの『源泉』シリーズのブログ内のカテゴリのタイトルにしたサマサティについてお話しします。



つづく( ´ ▽ ` )ノ



花仙人