花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

ノーマインド no-mind

ノーマインド no-mind



昨日はマインドmindに関する古くからある逸話の一つをoshoの講話の中からosho transformation tarotのマインドのカードの絵と一緒にご紹介しました。

今日はノーマインドno-mindのカードとカードに用いられたoshoの講話の1部をご紹介します。


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ノーマインド no-mind

究極なるものと言い表せないもの

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ノーマインド no-mindの状態とは、神性という状態だ。

神は思考(マインドmind)ではなく、思考(マインドmind)がないことの体験だ。

それはマインドmind(思考)の内容ではない。

マインドmindに内容がないときの爆発だ。

それは見ることのできる対象ではない。

見るという能力そのものだ。

見られるものではなく、見る者。

空に集まる雲ではなく、雲ひとつないときの空。その空っぽの空だ。



意識がどんな対象にも向かって出ていないとき、見るものが何もなく、考えるものが何もなく、ただ空(くう)が周り中にあるとき、そのとき人は自分自身に降りてくる。どこにも行くところがない --人は自分の源にくつろぎ、その源が神だ。


あなたの内なる存在は、内なる空以外のなにものでもない。その空は空っぽだ。

だが、すべてを、全存在を、太陽、月、星、地球、惑星を支えているのは、空っぽの空だ。

在るものすべてにスペースを与える空っぽの空。

存在するすべての背景である空っぽの空だ。

物ごとは来ては去っていくが、その空は同じままだ。


まったく同じように、
あなたには内なる空がある。

それもまた空っぽだ。

雲は来ては去り、惑星は生まれては消え、星は現れては死んでいくが、内なる空は同じままだ。

触れられず、汚されず、傷も残らずに。

私たちはその内なる空を「サクシン」目撃者と呼ぶ -- それが瞑想の目標のすべてだ。


中に入り、内なる空を楽しむがいい。


いいかね、
あなたに見ることのできるものはすべて、
あなたではないのだ。

あなたは自分の思考(マインドmind)を見ることができる。

だとしたら、あなたは自分の思考(マインドmind)ではない。


あなたは自分の感情を見ることができる。

だとしたら、あなたは自分の感情ではない。


あなたは自分の夢、欲望、記憶、想像、心の投影を見ることができる。

だとしたら、あなたはそれらではない。


自分が見ることのできるものをすべて消去し続けるがいい。

そうすると、ある日、途方もない瞬間が訪れる。

拒絶されるべきものが何ひとつ残っていない、生におけるもっとも意味のある瞬間だ。


そして、
見られるものは消えて、
見る者だけがそこにある。


その見る者が、空っぽの空だ。


それを知ることが、恐怖がなくなることであり、
それを知ることが、愛に満ちることだ。
それを知ることが、神になること、不死になることだ。


from osho talks
oshoの講話より

from osho transformation tarot
osho transformation タロットより


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「見られるものではなく、見る者。」

ゴータマ・ブッダやoshoなどの導師(master)達の講話の中で語られている「見る者」とは「観る者=観照者」です。



「空に集まる雲ではなく、雲ひとつないときの空。その空っぽの空だ。」

「空っぽの空」とは自分の内側。
その空に「集まる雲」とはマインドmind(思考)や感情や夢、欲望(エゴego)、記憶、想像、心の投影のことです。



「人は自分の源にくつろぎ、その源が神だ。」

自分の内側が「雲」ひとつなく空っぽな「空」のような状態の時に、人間は内側にある源=「源泉」にいることを『思い出す』。


「雲」は自分ではなく、
「空っぽの空=源泉にいる自分」が「本来の自分」。


その「源泉」はくつろげる場所。なぜならば、苦しみの元となるマインドやエゴや感情などが全くない苦しみとは真逆の「愛100%のエネルギー場」だからです。

人間はその源泉や源泉と繋がっている「全ての存在」、「源泉と存在」を「神」とよんだりしています。

「源泉と存在」は愛100%のエネルギーですから、マインドや感情やエゴなどの苦しみの元は全くないので、「人は自分の源(神)にくつろぐ。」ことができるのです。


マインドや感情やエゴなどの雲は「音」です。

愛100%=源泉や存在は空っぽだから「無音」です。


「雲」ひとつなく自分の内側の空が「空っぽ」で「無音」な状態で、
内側にある「源泉」=愛100%(無音)の場所にいて、
その源泉と繋がる「全ての存在と一つ」であるという光明Enlightenmentな状態のことを『体感』して『思い出す』ことを悟った人のことを、
『覚者=ブッダ』などとよんでいます。




瞑想とは、
自分が「観照者」となり、自分の内側の「空」に浮かんでくるあるあらゆるマインドmind(思考)や感情やエゴ(欲)という「雲」を、ただただ「観照」して、それらの「雲」にギューとしがみついて流され振り回される(同一化する)ことをやめて、それらにいつまでもしがみつくことをやめて(執着せず)、自分の内側の「空」からそれらの「雲」が自然と外側へと流れ去るのをただ「観る」だけをすることです。


自然界の宇宙である青空に浮かぶ雲が永遠に同じ場所にとどまってはいなく流れ去るように、

自然界の人間である自分の内側の空に浮かび上がる雲のようなマインドmindや感情やエゴも捕まえて保持しなければ自然と外側へ流れ去ります。


苦しいというのはあなたが自分の内側に生み出した「雲」にしがみついて掴んでいる状態です。

その自分の雲や雲を掴んでいることに『気づく』ことが雲という苦しみから手を放せるきっかけとなります。

苦しみから自分を自由に解放するためにはこの『気づき』は大切です。

瞑想をして自分の内側の空にある雲に『気づいた』ら、雲にしがみついている手をパッと放す『手放す』と、雲という苦しみは流れ去りなくなります。

瞑想を毎日続けると、自分の内側にある苦しみの元の雲がどんどんなくなっていくので、いつかは自分の内側の空は雲ひとつない空っぽの空になります。

「そうすると、ある日、途方もない瞬間が訪れる。

拒絶されるべきものが何ひとつ残っていない、生におけるもっとも意味のある瞬間だ。

そして、
見られるものは消えて、
見る者だけがそこにある。

その見る者が、空っぽの空だ。

それを知ることが、恐怖がなくなることであり、
それを知ることが、愛に満ちることだ。
それを知ることが、神になること、不死になることだ。」


「雲」ひとつない「空っぽの空」の状態になると、空にある太陽の光は遮られることなく周り全体が明るくなるので暗闇はなくなり「光明Enlightenmentな状態」となり、それである「本来の自分」を『体感』して『思い出す』こととなります。


昨日のマインドmind(思考)のお話では、マインドがあることによりいろいろな物や出来事を自分で引き寄せていることがわかりました。


「今」の自分の内側にはどんなマインド(思考)があるのかな?


それを意識して生きると、苦しみを引き寄せることが少なくなります。


エゴ(欲)やマインド(思考)は苦しみを引き寄せる原因…。


何も考えずノーマインドで生きるとは、

食べる時は食べるだけをし頭は空っぽにする
洗濯する時は洗濯するだけをし頭は空っぽにする
歩く時は歩くだけをし頭は空っぽにする

歩く時に他のことをあれこれと考え事や心配事で頭の中がいっぱいだと、無意識な状態となり、周り全体に意識がいき届かなくなるので、目の前にある石につまずいて転んだり、溝に落ちたり、人や物にぶつかったり、後ろから来ている車の音や気配に気づけなかったり…まるで目を閉じて歩いているように避けることができる出来事を避けられず自らぶつかっていってしまいます。


マインドで頭の中が音でいっぱいになり、そちらに気をとられて生きている無意識な状態だと、目を閉じた暗闇の中を手探りで歩いているような状態なため、あらゆる避けることができることを避けられず遭遇してしまいます。

ノーマインドで頭の中が無音な状態であることは、自分の意識が他に行ってはいないため、頭はすっきり冴え渡り、はっきり目を開けた明るい状態の中で、「今」の自分の周り全てを感じ取れ、見ることができるため、あらゆる障害とぶつからないように生きていけます。


マインドは無意識的な状態。
ノーマインドは意識的な状態。


マインドがあると脳のほんの1部しか使っていない状態で他の部分は眠っている状態。それは脳全体の約5%ほどしか使われていない状態。意識5%で無意識95%。

ノーマインドは脳全体を使っている状態で眠ってはいない覚醒した状態。それは脳全体の100%を使っている状態。意識100%で無意識0%。


ノーマインドは頭が空っぽだからといっていわゆるおバカさんということではないのです。

マインドがないからこそ、脳全体100%で意識的に覚醒した状態になれるのです。

偏った知識(マインド)に縛られて脳を全体の5%だけで生きていると、95%は眠ったままですから、マインド(思考や知識)を捨てればノーマインドになれれば偏ることなく、脳全体を100%を使えるのです。


ノーマインドno-mindは空っぽな状態。


雲ひとつない空っぽの空。


知識というマインド(雲)を手放し、苦しみ迷う無意識の暗闇から抜け出せると、

明るい中を歩いていけるため、自分から苦しみにぶつかっていくこともなくなる。

知識は不完全なため暗闇の中をさまよい歩くことになるので苦しみにぶつかるばかりで至福になるためには役にはたたないけど、

知識人でありたいというエゴ(欲)を手放し、知識を捨て去りノーマインドの覚醒した賢者になることは光のある明るい中を歩くので苦しみとぶつかることなく至福なまま生きることになります。


ノーマインドな状態はおバカさんではなく、
覚醒した賢者です。


人間は生まれる前から覚醒した賢者なんです。


生まれた後に作られたマインドやエゴに執着して知識人を目指しそちらにばかりに気が向いているので、自分がEnlightenmentな状態である賢者であることを忘れているだけです。

Enlightenmentな自分が本来の自分。

本来の自分を『思い出す』だけで、賢者の自分が自分の苦しみから自分を救いだせ、真の至福を生きることができるのですね。



ノーマインドやノーエゴ=Enlightenmentな状態が本来の自分



sammasatiサマサティ



花仙人



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