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花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

空っぽではない人

空っぽではない人



一昨日はマインドmind(思考)、
昨日はノーマインドno-mindについてosho transformation tarotのカードの絵とそれに関するoshoの講話の1部をご紹介しました。

マインドmindとノーマインドno-mindの違いはなんとなく感じとれたでしょうか?


今日はマインドmindでいっぱいになっている人のお話をoshoの講話を用いて作られたタロットの一枚の絵とその講話の1部をご紹介します。


マインドmindでいっぱいになっている状態ってどんな感じなんでしょうね?


*  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  


積極的に答えを探し求めるのをやめるときです。自分自身を空からにして、全存在を受け入れるようになりましょう。ただリラックスして待ち、楽しむことです。
(これはカードの解説です。)

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以下はoshoの講話の1部です。


哲学の教授が、禅のマスター(導師)、南院のところに行って、神、瞑想、そして非常に多くのことをたずねた。 

マスターは沈黙したまま聴いていた。そして言った。

「あなたは疲れているようだ。あなたはこの高い山を登ってきた。あなたは遠いところから来た。まずあなたにお茶を出させてほしい。」

哲学の教授は待った。彼は質問で沸き立っていた。だが、湯沸かしが歌い、茶の香りが広がり始めて、マスターは彼に言った。

「待つがいい!そんなに急いではいけない。誰にわかる? 茶を飲むことによってすら、あなたの質問に答えが出るかもしれないのだ。」

教授は自分の旅全体が無駄だったのではないかと思い始めた。

「この男は狂っているようだ。なぜお茶を飲むことで、神についての私の質問に答えがでることなどどうしてありえよう?」

だが、彼は疲れてもいたので、山を下りる前に一杯のお茶を飲むのも悪くはなかった。 

マスターは急須をもってきて、茶碗に茶を注いだ。

茶は受け皿にあふれだしたが、彼は注ぎつづけた。そして受け皿もいっぱいになった。 あと一滴で茶は床にこぼれる!教授は言った。

「おやめください!なにをやっているのです?茶碗がいっぱいなのが、受け皿がいっ ぱいなのがわからないのですか?」

すると南院は言った。

「これこそあなたが入り込んでいる状況だ。あなたのマインドはあまりにも質問でいっぱいになっているために、たとえ私が答えたとしても、あなたには、それが内に入ってゆくためのスペースがまったくない。
それに、私はあなたに言うが、あなたがこの家に入ってから、あなたの質問がそこらじゅうにあふれている。
この小さな小屋はあなたの質問でいっぱいだ!
戻るがいい、自分の茶碗を空にして、それから来るがいい。
まずあなたのなかに小さなスペースを創ることだ。」




あなたは南院よりももっと危険な人物のところに来た。私(osho)とだと、空の茶碗ではだめだからだ。茶碗は完全に壊されなければならない。

空であっても、もしあなたがそこにいたら、あなたはいっぱいだ。

あなたのなかに茶を注ぎ入れることはできない。

あなたがいないときにのみ、実際には、あなたのなかに茶を注ぎ入れる必要などない。

あなたがいないとき、全存在があらゆる次元から、あらゆる方向から注ぎ始める。


from osho talks
oshoの講話より
ROOTS AND WINGS, P.3

from osho transformation tarot
osho transformation tarotより


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「あなたは南院よりももっと危険な人物のところに来た。私(osho)とだと、空の茶碗ではだめだからだ。茶碗は完全に壊されなければならない。」

あなたという茶碗を空っぽにするだけではなく、あなたという茶碗を完全に壊さなくてはならない。

これは導師(master)oshoが講話を聞いている弟子達に話したことです。

どういうことでしょうかね?

そこで、あなたという茶碗すら壊すというお話に似たものをoshoの別の講話からご紹介します。

先日、岐阜県の瑞龍寺の梅の木のお話をブログでご紹介しましたが、
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この瑞龍寺は臨済宗の禅寺なんですね。oshoはたくさんの禅のお話をしていますが、禅師の臨済の空っぽに関するお話もしていますので少しだけご紹介します。


禅師、臨済が彼の師のところで学んでいた時に、その師からいつも「おまえは虚空に、無に、シュンニャに達しなければいかん。」と言われていました。

臨済は長い道程の末、ある日虚空に達しました。

臨済は師のところにやって来て、笑い、踊り、エクスタシーの中で喜びを感じていましたが、師は臨済をとても冷たく見やり、言いました。

「さあ、行って、その虚空もまた捨ててきなさい。それをここに持ってこないように。その虚空もまた捨てなさい。その無を捨てなさい。もしお前が無を手にいれたら、それはまた何かになる。」

臨済は泣きました。

何故、それに「気づかなかった」のだろうか?

でoshoはこう話します。

虚空とは一つの達成だ。それは何かだ。

「私は虚空に達成した」というなら、エゴはまだそこにある。

虚空に対して何もしてはならない。
そのままの状態にしておきなさい。

くつろぎ、虚空をあるがままにさせなさい。

その虚空は消えるだろう。



なるほど〜。

(この臨済のお話は詳しくは以前ご紹介したoshoの本「究極の錬金術 II」にあります。)


禅僧たちが目指す悟りの状態(光明Enlightenmentな状態)とは、「私」が完全にないことをいいます。


「私」という茶碗すらないことをいいます。


「私」とは「マインド(思考)やエゴ(欲)」がある状態の自分です。


「私」が完全にないということは「マインドやエゴ」が全くないことです。それは茶碗すら完全に壊れてしまってない状態のことです。


oshoは、あなた(oshoの弟子達)はあなたの茶碗(私=マインドやエゴ)を完全に壊す導師(osho)のところに来たのだよ、と話しているのです。


臨済の導師も臨済に同じことを言っています。臨済が空っぽになったことを喜んでいるのならば、それこそそこにまだエゴ(欲)がある、ということなので、臨済の導師はそのエゴをも捨てなさいと弟子の臨済に伝えたのですね。「私」という茶碗まで完全に壊しなさいと。

臨済は自分のそのエゴに気づけなかった…

でも導師はそれに『気づく』言葉を臨済に与えましたよね。


導師(master)は弟子(disciple)が光明Enlightenmentな状態を『思い出す』まで、マインド(思考)やエゴ(欲)を叩いて落とすよう『気づき』を与え続けます。

自分のマインド(思考)やエゴ(欲)を指摘されるのは誰にとっても不愉快で嫌な感じのするものです。
しかし、それらを全くなくさなくては、真に至福にはなれないのですから、導師(master)からの『気づき』は本当に有難いものなんですね。

それを厳しいと思われる人もいるかもしれませんが、慈悲深い愛により弟子を見守り続けますから、導師(master)とは真に愛の人です。ですから禅の師弟関係の場合は深い信頼関係にあります。


さてさて、奇跡の梅の木がある瑞龍寺はそんな風にして臨済が導師となった臨済の教えを伝える臨済宗の禅寺です。


臨済はすでに禅僧として導師のもとで内側を空っぽにすることにはげんでいましたが、禅の導師である南院のところへ訪ねてきた哲学の教授はそのような内側を空っぽにすることなどは知らない人です。

哲学の教授なのですから空っぽにすることとは真逆の知識をたくさん詰め込むことをしている知識人です。

禅の導師(master)である南院に自分の内側にあるあらゆることを質問して答えを得ようとしていますが…。

自分の内側からあらゆるものが溢れ出すくらいいっぱいになっているのに、誰が何を話したところで、哲学の教授の内側には入る隙間は全くない状態です。

禅の導師である南院は、哲学の教授にお茶と茶碗を使って教授のその状態を表しました。(それが今日ご紹介したタロットカードの絵です。)

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言葉で伝えるよりも、
このように具体的に物や体を使って表し伝える方が、
理解しやすくわかりやすい場合がありますよね。


禅の導師の南院が質問に答えたとしても、
哲学の教授のように内側がいっぱいで何も入る隙間がない状態であれば、どんな一言も入ってはいかないのです。

答えを受け取りたければ、
まずは、
自分の内側を空っぽにして答えが入るスペースを開けることからはじめなくてはなりません。


これは導師と弟子だけの関係のお話ではなく、全ての人達との関係においても同じです。


質問の答えだけでなく、
たとえば、
愛を受け取りたければ、
まずは、
自分の内側に愛が入るスペースを作らなくては愛は入ってはこれません。

何でも何かを受け取る場合は、
まずは、
自分の内側を空っぽな状態にする必要があります。



ゴータマ・ブッダのところにもたくさんの知識人がやってきてたくさんの質問をしたそうです。

しかし、ゴータマ・ブッダは一年間、何も言わず沈黙にブッダと共に瞑想をしながら暮らし続けたならば、一年後には何でも質問に答えるから、それでもよければそばにいなさい、と話したそうです。

あらゆる質問を抱えてやってきた知識人達は、黙って一年間瞑想をして全く質問をせずブッダと共に過ごしたそうです。

そして一年後、ブッダは約束通り質問に答えるから質問をしなさいと話しかけたそうですが、知識人達はもう質問はなくなりました、と答えたそうです。

空っぽな状態になったのですね。

空っぽな状態はそれを実際に「体感」しなくてはわからないものです。

言葉で説明しても、言葉というマインド(知識や思考)が頭に残りますから空っぽにはなりませんから。


哲学者などの知識人は知識をたくさん頭に詰め込むことが大好きですから、なかなか空っぽの状態になることが難しいかもしれません。


さて、この哲学の教授は内側を空っぽにできたのかな?


お茶を飲んでホッとする瞬間はとても大切ですよね。

禅僧はお茶を飲むことを大切にします。そのお話はまた今度…。


明日は知識人が知識を捨てるお話のタロットカードをご紹介します。

なぜ知識を捨てよう…と思えたのでしょうか?



花仙人



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