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花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

知識を落としたナロパ

知識を落としたナロパ



自分の内側をマインドがない空っぽな状態、つまりはノーマインドにするってどういうこと?


この質問はかなりたくさんあがります。
詳しくはそれに関する本や、わたしが読んでみた中ではoshoの講話が1番わかりやすかったので、oshoの講話を聞くとか講話が本になっているものを読んでいただき、ご自身で体験をしながら体感してわかっていき体得されていくのが1番の近道だと思いますが、そこまではちょっと…でも興味はある…という人たちへ、このブログの説明だけでは全く足りないモノですが、簡単ですがここ数日少しご紹介しています。


さて、ノーマインドno-mindにするにはマインドmindを内側からなくし空っぽにしなくてはならない…。

今日はマインドmind(思考)の一つである知識(knowledge)を落としたナロパさんのお話をしたoshoの講話の中からその1部とそのお話から作られたタロットカードの絵と共にご紹介しますね。


*  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  


あなたは偽りを落として、借りものの知識を落として、自分の知恵の中に、自分の理解の中に入ってゆく用意ができています。
(これはカードの解説です。)

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以下はoshoの講話の1部です。


ナロパは偉大な学者、偉大な神学者だった--この物語は彼が光明を得る前に起こった。

彼は一流の大学の副学長で、彼自身の弟子が一万人いたと言われている。

ある日、彼は自分の弟子たちに囲まれて坐っていた。彼のまわりじゅうに、非常に古い、めったに見られない何千もの教典がばらまかれていた。 突然彼は眠りに落ち、ヴィジョンを見た。それはあまりにも意味が深かったので、夢と呼ぶにはふさわしくなかった--それはヴィジョンだった。

彼は非常に年取った、醜い、見るからに恐ろしい女性、鬼婆を見た。彼女の醜さがあまりにもすさまじかったので、彼は自分の夢の中で震え始めた…。

彼女はたずねた。

「ナロパ、お前はなにをやっている?」

彼は言った。

「私は学んでいるのだ。」

「なにを学んでいる?」

その年老いた女性はたずねた。

彼は言った。

「哲学、宗教、認識論、言語学、論理学…」

老婆はたずねた。

「それがわかるのか?」

ナロパは言った。

「…そうだ、私はわかる。」

その女性はもう一度たずねた。

「お前は言葉がわかるのか、
それとも意味がわかるのか?」

しかも彼女の眼は非常に深く見入る力をもっていたので、嘘をつくのは不可能だった…。

彼女の目を前にして、ナロパは自分が完全に 裸なのを、見透かされているのを感じた。

彼は言った。

「私は言葉を理解します。」

その女性は踊り始め、笑い始めた…と、彼女の醜さは変容された。微妙な美しさが彼女の存在から出て来はじめた。 ナロパは考えた。

「私は彼女をあれほど嬉しがらせたのだ。もう少し幸せにしてあげてもよいのではないか?」

そこで彼は言い添えた。

「はい、私は意味も理解します。」

その女性は笑うのをやめた。踊るのをやめた。彼女はすすり泣き、泣き叫び始めた。すると彼女の醜さがすべて戻っていた--何千 倍にもなって。

ナロパはたずねた。

「なぜなのです?」

その女性は言った。

「お前のような偉大な学者が嘘をつかなかったので私は幸せだった。だが今、お前が私に嘘をついたので、私は泣いている。お前が意味を理解していないのを私は知っているし、お前も知っている。」

ヴィジョンは消えた--そしてナロパは変容された。

彼は大学を去った。
生涯二度と再び彼は教典に触れなかった。
彼は理解した…。



知恵の人、理解の人には新鮮さがある。

神学者、知識の人とはまったく違った香りを放つ生がある。

意味を理解する人は美しくなる。 

言葉だけを理解する人は醜くなる。

そしてその女性は、知識を通して醜くなったナロパの内なる部分、彼自身の存在が映し出されたものにすぎなかった。

ナロパは探究に入った。
もう教典は役に立たない。

いまや生きたマスター(導師)が必要だ。



from osho talks
oshoの講話より
YOGA : THE ALPHA AND THE OMEGA, Vol.5, pp.51-53 

from osho transformation tarot
osho transformation tarotより


*  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  


ナロパさんはこのような出来事を体験し、

言葉を理解する人(知識の人)
から
意味を理解する人(知恵の人)

へと変容しようと理解できたので、
知識を落とすことをしたのですね。


外側にある知識を頭の中に詰め込む作業をやめて、
内側にある知恵を理解する旅をはじめた。


外側から内側へと180度違う方へと向かう意識の変容が起こったのでした。


ナロパさんはその知識と知恵の二つの「違い」をヴィジョンの中の女性との会話を通して『気づく』ことができました。


このカードのはじめにあるメッセージは、
「あなたは偽りを落として、借りものの知識を落として、自分の知恵の中に、自分の理解の中に入ってゆく用意ができています。」

ナロパさんはこの時自分の内側の旅へと入っていく用意ができたのですね。


ちょこっとの知識でも捨てるには勇気が必要ですが、ナロパさんほどの知識を得るためには長い時間と努力がたくさんあったわけですから、それらを全部手放すことはかなりの勇気が必要だと思います。


ナロパさんほどではありませんが、電磁波や電気がたくさんある場所では心臓の鼓動が正常ではなくなり不整脈となり何度も意識を失った経験があって、コンピュータなどの電気製品に囲まれた仕事場では何度も倒れてご迷惑をおかけしたため、それまで長い年数をかけて得た知識と手につけた職を医師からの説明もあり手放し諦める…ということが17年ほど前にありました。

その現実を受け入れることがなかなかできない苦しみや、やっとのことで手にした職を失ったことや、女という立場では当時は仕事は多くはなく途方にくれたことがありました。

難病を抱え、仕事をなくし、女として生まれたのに妊娠も出産もできない体で、なんの役にもたたない自分がまったくの無価値に思え、生きている意味がないと思い込むほどまで当時は落ちこみました。

しかし、今思えば、それが私の外側の知識を全部落とし、自分の内側の旅がはじまった頃でした。

ナロパさんの場合は自分の理解のもとで自らの意志により外側に知識を求める旅から、内側にある知恵に入ってそれを理解する旅への意識の変容があって新しい旅をはじめることになりましたが、わたしの場合はそのような知識や理解すらもなく病という出来事によって青天の霹靂のようなことがあり、外側から内側の旅への人生の進路変更が訪れました。

しかし、身体からのメッセージに偽りはありませんでした。身体からのメッセージはいつも本物です。

それまでのあらゆることが全く通用しないような新しい生き方に戸惑い迷うことばかりで新たな学びをゼロからスタートしなくてはならなかったのですが、病という身体からのメッセージに逆らわず肉体を癒す旅と同時に内側の旅をはじめて15年ほどになりますが、今はこれで本当によかった…と思って感謝をしています。

不幸に見えた過去の出来事は実はわたしを真の至福へと導くための慈悲深い出来事でした。


当時を振り返ると、わたしのようなちょこっとの知識でさえも身を切るというか断腸の思いで全てを手放したものでしたから、ナロパさんほどの膨大な知識を自分の意志により手放した勇気というか決意はすごいものだなーと言葉にならないほどです。


「この物語は彼が光明を得る前に起こった。」

とoshoは話していますから、ナロパさんは内側の旅で光明Enlightenmentを得たのですね。


それは、
借りものの知識を落として、
自分の知恵(源泉や存在)の中に、
自分の理解の中に入ったということ。


知識の人から知恵の人への変容があった。


知恵の人=本来の自分=源泉や存在を『思い出した状態』=光明Enlightenment


昨日のブログのように、
茶碗(私=マインドやエゴ)が空っぽなだけではなく、
茶碗(私=マインドやエゴ)が完全に壊れた状態=存在と一つになって「私(エゴやマインド)」が全くない状態=光明Enlightenment


内側の旅がはじまるとマインドやエゴを全て捨てていきますから、知識もマインドですからそれも手放すことになります。

知識を全て捨てるには勇気が必要ですが、
昨日もお話しましたが、
おバカさんになるということではなく、
自分の内側にある源泉やそれに繋がる存在の全ての「知恵」を『思い出す』ので、
本来の「知恵の人」として生きていくということです。


ナロパさんがそうしたように。


人間はとても多くの間違った知識を信じ込むことにより苦しまなくてもいいことで苦しみ続けていたりもします。

でも、内側にある知恵(源泉)を思い出せないために、何が間違った知識なのかもわからない状態となっています。

自分の内側にある源泉を『思い出す』ことは、その源泉や存在の全ての知恵をも『思い出す』ことになりますから、外側の知識にすがる必要が全くなくなります。

したがって、間違った知識に無駄に振り回される苦しみがなくなります。

知恵の人になるということは、自分と周り全体に無駄な苦しみを与えない生き方ができる人になるということです。


また、仮の知識をどれだけたくさん持っているかということを自分と他者を比較して優劣をつけ楽しんだり苦しんだりするゲームが好きで幸せならばそれは問題ないのです。

でも、そのゲームが苦しくてやめたいならば、知識を捨て去り自分が本来は知恵の人であることを『思い出す』ことで、苦しみから解放されます。

人間は生まれる前から知恵の人です。

生まれた後のエゴやマインドによって知識をたくさん保持したがり知識の人へと自分を作っていき知識人という仮面をかぶっていきます。

ナロパさんは知識人という仮面やラベルを捨て去り、本来の自分である知恵の人になる内側の旅をはじめて実際に知恵の人(光明)になりました。

マインドとエゴを捨てるだけで、本来の自分の知恵の人のまんまで無駄に苦しむことなく生きていけます。

みんな本来は知恵の人。
それは
みんな本来は光明Enlightenmentな人。

ただ、エゴにとらわれているからそれを忘れているだけ。



地球に臨在した多くの導師(master)たちはそれを『思い出す』ために1人1人に『気づき』を与える人たち。


「ナロパは探究に入った。
もう教典は役に立たない。

いまや生きたマスター(導師)が必要だ。」


そしてこれは『思い出す』ためのキーワード

sammasatiサマサティ




花仙人