読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

比較 comparison

比較 comparison



昨日はマインド(思考)の一つでもある「知識」を落としノーマインドになる内側の旅をはじめ光明Enlightenmentを得て「知恵の人」となったナロパさんのお話を通して「知恵」と「知識」の違いを少しだけ書きました。

知恵は生まれる前から持っているものでなくならない本物です。

知識は生まれた後に外側から得るもので借り物です。


知識をたくさん得て保持することは悪いこととか良いこととかではなく、それが楽しく幸せであれば苦しくもないため問題はありません。

しかし、昨日少しだけお話したように、知識を保持している量を他者と「比較」をして、「優劣」を「判断」するというゲームを楽しめない人たちにとってはそのゲームは苦しみとなります。

ゲームに苦しむ人の場合、知識を溜め込み保持することは楽しく苦しくはないとしても、「比較」や「優劣」などの「判断」をすることやその結果の自分を受け入れることができないことが苦しみの原因となるので、まずは自分が「比較」や「優劣」などの「判断」をするのをやめ、ゲームをやめることでしか苦しみからは楽になれません。


また、
知識に執着することをやめ、
生まれる前から自分の内側にある永遠になくなることのない湧き水のような「知恵(源泉)」を『思い出し』その「本来の自分(源泉)」=「知恵の人」で生きる生き方も実際にあります。

昨日ご紹介した知識を落とし知恵の人に変容したナロパさんのような。

持っている外側から得た知識の量が多くても少なくても、人は誰でもみな内側に知恵(源泉)を持って生まれた「知恵の人」です。

ただ、多くの人たちはそんな「本来の自分」=「知恵の人」を忘れているだけです。

なぜならば、知識の人になりたいというエゴ(欲)があり、そちらにばかり気が向いているので「本来の自分=知恵の人」であることを忘れているだけなのです。

みんな「知恵の人」ですから、
自然と自分の内側(源泉)から湧き上がってくる知恵をそのままいかせば、外側の知識を得ることに執着したり、それを他者と比較して少ないからと劣等感を持ち落ち込み苦しむ必要は全くないのですが…。


今日は本来の自分と本来の他者の『比較』をしてしまい『劣等感』を持つと苦しくなるというお話のタロットカードの絵とそれに関するoshoの講話の1部をご紹介します。


*  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  


自分が必要とされていることを覚えておきましょう。ある人の方が高く、ある人の方が低いということはありません。ある人は優れていて、ある人は劣っているということはありません。 あらゆることが互いに調和し合っています。
(これはカードの解説です。)

f:id:hanasennin9:20160322080038j:plain

以下はoshoの講話の1部です。


ひとりのサムライ、非常に誇り高い戦士が、ある日、禅マスター(導師)に会いに来た。

そのサムライは非常に有名だった。だが、彼はマスター(導師)を見て、マスター(導師)の美しさとその瞬間の優美さを見て、突然劣等感を感じた。 彼はマスターに言った。

「なぜ私は劣等感を感じるのでしょう?一瞬前までは、すべてがうまくいっていたのです。これまでこのように感じたことは一度もありません。私は何度も死に直面しましたが、一度といえ、どのような恐怖も感じたことはありません--なぜ私は今おびえているのでしょう?」

マスター(導師)は言った。

「待ちなさい。誰もいなくなったら答えよう。」

人びとは一日中マスター(導師)に会いに来て、絶えることがなかった。サムライはますます待つのに疲れてきた。夕方になって、 部屋が空になると、サムライは言った。

「さあ、答えていただけますか。」

マスター(導師)は言った。

「外に出よう。」

満月の夜だった。月が地平線から昇ろうとしていた。そこで彼は言った。

「これらの樹を見てごらん--この樹は空高くそびえ、そばにはこの小さな樹がある。両方とも何年ものあいだ私の窓の脇に存在してきた。それでも、一度といえなんの問題もなかった。

小さい方の樹が、大きい樹に向かって、『なぜ私はあなたの前で劣等感を感じるのでしょう?』とはけっして言ったことがない。

この樹は小さく、あの樹は大きい—— そのささやきを、なぜ私は一度も聞いたことがないのだろう?」 

サムライは言った。

「彼らは比べることはできないからです。」

マスターは答えた。

「そうであれば、あなたは私にたずねる必要はない。あなたは答えを知っている。」



あなたが比較しないとき、
あらゆる劣等感、あらゆる優越感が消える。

そのときあなたは在る--あなたはただそこに在る。 

小さな灌木、あるいは大きくて高い樹--それは問題ではない。

あなたはあなた自身だ。

一枚の草の葉は、最も大きな星と同じだけ必要とされている。

このかっこうのこの声は、どんな覚者とも同じだけ必要とされている--もしこのかっこうがいなくなったら、世界はそれだけ豊かさを失うことになる。


ちょっとまわりを見てごらん。

すべてが必要とされている。
そしてあらゆることが互いに調和し合っている。
それは有機的合一だ。

ある人の方が高く、ある人の方が低いということはない。
ある人は優れていて、ある人は劣っているということ はない。

あらゆるものが比較できないほどユニークだ。

あなたは必要とされている。

もしあなたが、このことを私の臨在のなかで感じることができなかったら、どこであなたはそれを感じようというのか?

私が毎日あなたに頭を下げる。
それは、あなたは完全だということを、
なにひとつ欠けてはいないということを、
あなた はすでにそこに在るということを、
ただあなたに思い出させるためだ--。

一歩といえども踏み出されるべきではない。あらゆることが在るべきように在る。
これが宗教的意識だ。

 


from osho talks
oshoの講話より
THE SUN RISES IN THE EVENING, pp.130-131


from osho transformation tarot
osho transformation tarotより


*  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  


比較という
ゲームを楽しめる人たちもいますが、
ゲームに苦しむ人たちもいます。

もしゲームに苦しんでいるのならば、
比較や優劣の判断をして劣等感に苦しまない生き方もあります。

優越感がある人は、自分が他者よりいつかは劣るのではないかという劣等感を持つ恐怖心を常に持ち緊張感でリラックスできない苦しみを持ち続けます。

自分と他者の比較のゲームをしなければ、劣等感や優越感のどちらの二元性の両極に偏ることなく、恐怖心はなくなり苦しみもなくなり楽に生きる生き方ができます。


植物の世界では、多くの種類があり、
一つ一つの植物は違いますし、
一つの種から育った植物が咲かせる花々の一つ一つはみな同じではなく違います。
全く完全に同じ花は科学的にも存在しないことがわかっています。

一つ一つの花そのものに個性があります。

その個性の違う一つ一つの花はみな素晴らしく開花し芳香を周りに届けています。


人間も植物も自然界から生まれました。
人間も植物の花と同じで、
1人1人の本来の個性はみな違います。

そしてそれはやはり花と同じように、1人1人の個性はみな素晴らしく比較することなどできないものです。


とーちゃん仙人から春の花々のお写真が届きました。その中の二枚を今日はご紹介します。

f:id:hanasennin9:20160322080202j:plain
f:id:hanasennin9:20160322080231j:plain

あ〜〜〜すてきやわ〜( ´ ▽ ` )ノありがとう。

どちらも木の花。
どちらも白い花だけど形や香りは違う。
でも、どちらもあまりにも胸がいっぱいになるほど感動を与えるから、優劣の比較のゲームのことすら忘れてしまう…。

みんなも同じ。
誰かと比較なんかできないくらい1人1人は素晴らしく周りに感動を与えてる。

1人1人の個性は全く違うのに、
何を基準に比較をしたらいい?

どうやったら比較ができるのか?

比較とは全く同じ状況や環境の中にある全く同じ瞬間に同時に生まれた二つでしか比較はできない。一卵性の双子の兄弟姉妹ですら生まれ出た時間も違えば育ち方も違い、個性も全く違うのだから比較することはやはりできないのです。

自然界から生まれたものは全て同じものは一つもなく、やっぱりどう考えてみても比較はできないものなのです。


比較のゲームに苦しんでいる人は、
きっと自分が開花していて芳香を周りに届けていて、周りに感動を与えていることに、もしかしたら気づいていないのかもしれません。


なぜそんなふうに本来の開花している芳香の自分に気づけないのか?


明日はそんなお話のカードをoshoの講話の1部とともにご紹介します。



花仙人


広告を非表示にする