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花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

盤珪とゲド

盤珪とゲド


光明Enlightenmentな状態を『思い出す』ためにはマインドやエゴを空っぽにしなくてはならない。しかし、マインド(思考)とノーマインドの違いってなんだろう?エゴ(欲)ってなに?

辞書を使えばもちろん説明が書かれてあるのですが、でも、それを自分にあてはめてみるとなんだかよくわからなかったりします。

マインド(思考)とエゴ(欲)がなんであるのかを、あーこれか〜!という具合に感覚で理解できると、スーッと体でわかったりします。

その場合、辞書による断片的な言葉よりも、逸話や物語など全体の流れを読む方が理解しやすかったりします。


最近ご紹介した岐阜県の奇跡の梅の木の花が咲く瑞龍寺は臨済宗の禅寺です。導師である臨済の教えがあるお寺です。

なぜか臨済宗の禅師ばかりをご紹介していますが、今日ご紹介する盤珪(ばんけい)も臨済宗の導師です。

兵庫県の出身で姫路の龍門寺や東京の麻布にも光林寺という禅寺を開山されました。

20年ほど前にもなりますが光林寺から歩いて5分ほどの所に何年間か住んでいましたが、いつもとてもきれいにされていて禅寺らしいシンプルな建物で、春今頃には桜の花がきれいに咲きほこっているのを今でも懐かしく思い出すお寺です。

導師盤珪は弟子たちにだけではなく一般の人々にもわかりやすく教えを説いたそうです。


さて、競争などをして比較をするマインドが働き、そのゲームが楽しければ問題はないのですが、そして苦しければそのゲームをやめるしかないというお話をこの数日ご紹介していますが、なぜか人間は自分と他者を「比較」して「優劣」をつけたがります。

なぜそのようなマインドやエゴを持ってしまうのか?

今日はそんなお話に関する盤珪のお話をカードの絵とoshoが講話で話してくれたお話の1部をご紹介します。


*  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  


ただ普通であることが奇蹟です。
誰かになろうと渇望しないことが奇蹟です。
自然が自らのコースを取るに任せましょう。
それを許すことです。
(これはカードの解説です。)

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以下はoshoの講話の1部です。


禅の導師(master)盤珪(ばんけい)は、たまたま自分の庭で庭仕事をしていた。そこへひとりの求道者がやってきて盤珪にたずねた。

庭師、導師(master)はどこにいる?」

盤珪は笑って言った。

「あの扉--あそこから中に入ると導師(master)がいる。」

そこで男は入っていって、中で肘かけ椅子に坐っている盤珪、外で庭師だったその男に出会った。 求道者は言った。

「からかっているのか?その椅子から下りろ!神聖を汚すことだぞ!お前は導師に敬意を払っていないではないか!」

盤珪は椅子から下り、床に坐って言った。

「もう椅子に導師はいないだろう--私が導師だからだ。」

偉大な導師が、それほどにも普通でありうるということが、その男にはむずかしすぎて分からなかった。

彼は立ち去った…そして逃がした。

ある日、盤珪が自分の弟子たちに静かに教えを説いていると、別の宗派から来た僧に話を遮られた。 

その宗派は奇蹟の力を信じていた。

その僧は、自分の宗教の創始者は筆を手に河岸に立ち、対岸にいる助手が手にしている紙きれに聖者の名前を書くことができると自慢 した。そして彼はたずねた。

「あなたはどのような奇蹟を行うことができるのか?」

盤珪は答えた。

「ひとつだけだ。
腹が減ったら食べ、喉が渇いたら飲む」



唯一の奇蹟、不可能な奇蹟は、
ただ普通であることだ。

マインドの望みは並外れたものになることだ。

エゴは認められることを渇望する。 

あなたが自分の誰でもなさを受け容れたとき、
あなたがほかの誰とも同じように普通でいられるとき、
あなたがどんな証明も求めていないとき、
あなたがあたかも自分は存在していないかのように存在しうるとき--それが奇蹟だ。


力はけっしてスピリチュアルではない。


奇蹟を行う人びとはどのような意味においてもスピリチュアルではない。

宗教の名のもとに魔術を広めているだけだ。

それは非常に危険だ。



あなたのマインドは言う。

「このどこが奇蹟なのか?
腹が減ったら食べて、眠くなったら眠るとは。」

だが盤珪は本当のことを言った。

あなたが空腹を感じると、マインドは言う。

「いや、私は断食をしているのだ。」

空腹を感じていないとき、腹が満たされているとき、 マインドは言う。

「食べ続けるのだ。この食べ物はとてもおいしい。」

あなたのマインドが邪魔をする。


盤珪は言っている。

「私は自然とともに流れる。

私の存在がなにを感じようとも、私はそれをする。

それを操っている断片的なマインドはない。」


私もひとつだけ奇蹟を知っている。

自然が自らのコースをとるに任せること、
それを許すことだ。


from osho talks
oshoの講話より
ROOTS AND WINGS, P.212-221 


from osho transformation tarot
osho transformation tarotより


*  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  


ふむふむ。


なるほど…。


わたしはこのお話を読むといつもアーシュラ・K ルグインさんのゲド戦記シリーズの最後の2巻の「帰還」と「アースシーの風」を思い出します。

ゲドは幼い頃から強い魔法の力を持っていましたが、自分と他者(ライバル)の競争をし、そのマインドやエゴにより自分がかけた魔法を失敗してしまい自分の内側にいる自分の影を外側に出してしまいました。その手痛い失敗から多くを学んで大魔法使いにまでなりましたが、世界を救うためにすべての力を出し尽くした後、故郷へ「帰還」します。

すべての魔法の力を失ったゲドは、自分がなんの役にも立たなくなったようでとても落ち込みます。

生まれた時から世界を救い故郷に「帰還」するまで、ゲドは「本来の自分」でゆっくりくつろいで暮らしたことはなかったのです。

でも、力を一切なくしたからこそ、本来の自分に戻れ、自然界の中で自然と調和した暮らしをしながら、知識に縛られ執着した生き方とは離れた知恵をそのまま生きる生き方へとゆっくりと変容していきました。外側に向かう旅から内側へと向かう旅への変容。内側の旅はゲドにとっては心身両方を深く癒すものとなりました。

そこには並外れた力と知識を持った大魔法使いゲドではなく、それらを失った普通のゲドがいました。

しかし、少年の頃に故郷を去ったまだ大魔法使いになる前の普通のゲドと、あらゆる体験をなしとげて故郷へ「帰還」したすべてを手放した普通のゲドではまったく違いました。

力や知識だけが特別なすごいことではないことを--それに執着しそれに頼ったことがあり、それが自分だったと思い込んでいたそれら全てを手放したからこそ--理解できるのかもしれません。

作り上げた仮面(人格)をはずし、ラベル(肩書き)をはずし、「本来の自分(個性)」Home(源泉)へと帰る内側への旅。

盤珪のように、
自然界と調和して自然体で普通に生きることの真の理解がゲドにもあったのかも?しれません。


ゲドのファンの中では、ゲドが力を失い大魔法使いではなくなり普通の人になったことが、いわゆる並外れたゲドではないゲドの姿を見たくない…という人たちが多いのも確かです。ですから、人気があるのは3巻までと言われています。

しかし、わたしはゲドが大魔法使いでも、故郷で普通の人となっても、どちらのゲドもゲドなんだから大好きだし、それよりも大魔法使いとか普通とか関係なく、ゲドがとにかく深い深い心に負った傷を癒せる時間をHomeである故郷で持てていることが何より嬉しくてしかたがありません。

だって、ゲドが好きだから。大切な人にはやっぱりゆっくりしながら癒されるといいなーと願うもの。

死にそうなほどまでなりましたが、生きて帰還したのだから、ゆっくり癒す時間があってもいい。

ゲドの魔法の力は並じゃないくらいすごいけど、ゲドの幼いころからの孤独と苦労も並じゃないくらいすごかったから。


故郷に「帰還」したゲドを待っていたのは、ゲドが唯一愛したテナーでした。長年離れ離れでしたが、お互いにやるべきことを終えて、やっと一緒に住めるタイミングが来ました。テナーとの暮らしは男性性ばかりに偏った生き方を生きてきたゲドにとって、自分の中の女性性を成長させ、内側の男性性と女性性のバランスを取り戻す学びや癒しにもなり、心が安定していくものとなりました。

テナーの愛に見守られながら、亡くなった導師オギオンの暖かく懐かしいかつてゲドも住んだことがある家Homeの中で、ゲドはゆっくり深く癒されて、本来の自分を取り戻していきます。


ゲド戦記シリーズの最後の2巻は、今でも号泣するほど感動します。
わたしは病に倒れ全てを失った10数年前の当時、自力で排泄も歩くこともできなくなり途方にくれ、そんな時にアーシュラのこのゲド戦記シリーズの「帰還」と最終巻の2冊と出会い、癒すことの大切さを知り、癒すことに向き合う勇気と強さをゲドから学びながら何度も読んで乗り切ることができたので感謝しています。

そうでなければ、癒すという現実から逃避して、苦しみ中から解放されていないままだったと思います。

わたしにはテナーはいませんでしたが、不思議と自分がゲドとして癒しと向き合い、もう1人の自分がテナーとして自分を見守るという感じで一人二役をしているようでもありました。


アーシュラは長い年月をかけてゲド戦記シリーズの外伝を含む6冊を完結しました。

そこにはアーシュラからの深く温かいメッセージがふんだんに詰め込まれています。


もちろんゲドのお話ばかりではなく、新しく登場したテハヌーを中心に、1人1人みんなで苦しみのたくさんある世界を終わらせ、新しい世界を作るまでのメッセージが入っています。

このメッセージは今の人たちを苦しみから救い出すアドバイスメッセージでもあると思うほどです。

新しい風が世界にふくように…。


別世界に存在する2人ですが、盤珪とゲドは違う道を通りましたが、同じ頂上(Home)へと辿り着き(思い出し)ました。


普通に生きる生き方のすばらしさを理解し、自然界と調和しながら生きています。


ゲドは少年のころ偉大な大魔法使いでもあるのに魔法の力を使わずに自然界の中で普通に生きる導師オギオンの教えや生き方を理解できずオギオンや故郷から去りましたが、長い年月をかけて、ゲドの導師オギオンの教えを理解でき故郷のHomeに帰還しオギオンと同じような普通の生き方をおくりました。
ゲド本当におかえりなさい(^-^)


アーシュラは言います。

外に出かけるだけならそれは「冒険」という。
外から帰還するならばそれを「旅」という。

oshoも言います。

Homeへ帰ってくるまで旅を終えてはいけないよ。帰還しなさい。


sammasatiサマサティ


Homeに帰還し辿り着いたその時から「本来の自分」のままで新しい旅がはじまる(^-^)


花仙人



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