花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

臨済とゲド

臨済とゲド



昨日は昔住んでいた近所にあった麻布にある光林寺を開山された臨済宗の禅の導師盤珪のお話のカードをご紹介しましたが、その盤珪の『普通であることを生きる』というお話といつも重ねて見えてしまうゲド戦記の主人公のゲドがHome故郷へ帰還した後のお話で盛り上がってしまいましたσ(^_^;)

別世界に存在する2人のゲドと盤珪が外側の旅から内側の旅へと180度方向を変えた後に辿り着いた場所(Home)は同じであり、2人ともそのHome(源泉)に帰還した後「本来の自分」のままで『普通であることを生きる』旅がはじまりました。


ゲドはゲドの導師であるオギオンのように『普通であることを生きる』ことを悟り、その2人のようにそれを悟った禅の導師盤珪のお話をしたoshoの講話の中で、oshoはこう話します。

「唯一の奇蹟、不可能な奇蹟は、ただ普通であることだ。

マインドの望みは並外れたものになることだ。

エゴは認められることを渇望する。 」

またまたマインド(思考)とエゴ(欲)がどんなものかが一つわかりましたね。


ゲド戦記シリーズの1巻「影との戦い」の少年の頃のゲドはまさにこの
「並外れたものになることを望むマインド(思考)と、
認められることを渇望するエゴ(欲)。 」
がありました。

このマインドとエゴで内側がいっぱいの少年の頃のゲドが引き寄せたのは取り返しがつかないほどの大失敗の出来事でした。この出来事によりゲドはやっと自分のマインドとエゴに『気づき』ました。

そんな体験をした後、ゲドは長年いろいろな体験を乗り越え、故郷へ帰還し『普通であることを生きる』生き方をはじめます。


oshoは講話の中でこう話します。

「あなたが自分の誰でもなさを受け容れたとき、
あなたがほかの誰とも同じように普通でいられるとき、
あなたがどんな証明も求めていないとき、
あなたがあたかも自分は存在していないかのように存在しうるとき--それが奇蹟だ。

力はけっしてスピリチュアルではない。

奇蹟を行う人びとはどのような意味においてもスピリチュアルではない。

宗教の名のもとに魔術を広めているだけだ。

それは非常に危険だ。」


そういう力のことに興味を持つ時もあるのでしょうね。

驚いたのは、昨日の盤珪のお話の中で、一般の人達だけでなく、僧が並外れた不思議な力に興味を持っていることでした。

坐禅や瞑想をして内側のマインドやエゴを空っぽにするだけで光明Enlightenmentを得ることはできるので、魔術は関係ないと思っていましたが…

そういうことをする僧たちも実際に存在しているのですね。ふむふむ勉強になりました。

さて、光明を得た禅の臨済宗の導師である盤珪は、不思議な力ではなく、普通であることを生きました。

その流れで、昨日に引き続き、今日もそんなお話に関する禅の臨済宗の開祖である導師の臨済のお話をカードの絵とoshoが講話でお話してくれた1部をご紹介します。


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心霊現象、突然襲ってくる至福、奇蹟に巻き込まれないように注意しましょう。それらをどこかに行き着いたしるしとして見てはいけません。行き着くところはどこにもありません。ただ普通でいて、楽しみましょう。
(これはカードの解説です。)

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以下はoshoの講話の1部です。


臨済に関して言われていることだ。

導師臨済の弟子のひとりが別の導師(master)の弟子と話をしていた。相手は言った。

「私たちの導師(master)は奇蹟の人だ。望むことをなんでもやってのけることができる。私は彼のやった奇蹟をたくさん見てきた。自分自身の目でそれを目撃したのだ。君の導師(master)にはどんなすごいところがある?どんな奇蹟をやってのけることができる?」

臨済の弟子は言った。

「私の導師(master)にできる最も偉大な奇蹟は、奇蹟を行わないことだ。」



それに瞑想しなさい。

「私の導師にできる最も偉大な奇蹟は、奇蹟をやらないことだ。」

奇蹟的な力が起こり始めると、

弱い者だけがそれを行う。

強い者はそんなことはしない。

今度はそれがもうひとつの罠だと知るからだ。世界が再び彼を引き戻そうとしている。


これは最後の罠だ。

静かに、見守りながら、

心霊エネルギーを避けることができたら、

それに巻き込まれることなく、

閉じ込められることなく、

それらを過ぎ去らせることができたら、

そのとき初めてあなたは家(Home)に着く。

それは大変な誘惑だ。


from osho talks
oshoの講話より
SUFIS : THE PEOPLE OF THE PATH, Vol.1, pp.287-288 


from osho transformation tarot
osho transformation tarotより


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昨日の盤珪のお話からは
『ただ普通であることだ。』

今日の臨済のお話からも
『ただ普通でいて、楽しみましょう。』

『唯一の奇蹟、不可能な奇蹟は、ただ普通であることだ。』

『普通であることを生きる』というメッセージ。


「奇蹟的な力が起こり始めると、

弱い者だけがそれを行う。

強い者はそんなことはしない。

今度はそれがもうひとつの罠だと知るからだ。」


このoshoのお話を読んでまたまた思い出したゲドのお話です。

少年の頃マインドとエゴを持つことにより取り返しのつかないほどの大失敗をしたゲドは、その後あらゆる学びと体験をしながら大魔法使いまでになりました。ゲドは世界を悪から守るために力の全てを使い切り生と死の間をさまよいながらやっと故郷へ帰還しました。その4巻の「帰還」の本の中でゲドは--魔法の力をすべて失った自分は自分を守ることすらできない、弱い者となった…--とすごく落ち込むのです。

そして--自分がいかに魔法の力に依存していたか、強いと思っていたのは魔法の力があったからで、魔法の力がない自分だけでは何もできない状態になっていることに、魔法の力を失ってやっと気づいた。

大魔法使いと言われていたことすら恥ずかしい--というようなことを言うのです。

ゲドは魔法の力のない本来の自分だけの、精神的な強さを取り戻し自信が持てるまで1人山奥で暮らします。

大魔法使いにまでになり、強くなったと思っていたゲドは、魔法の力を失った時に実は自分は本当に強くなったわけではなかったことに『気づき』ます。

「奇蹟的な力が起こり始めると、

弱い者だけがそれを行う。

強い者はそんなことはしない。」

oshoのこのお話と重なります。


これは不思議な魔法の力のことだけでなく、社会に認めてもらい仕事を得るための知識や学歴や資格などのラベル(肩書き)や作った人格という仮面も同じではないか、と自分の体験から思います。

病に倒れたことがきっかけで、それまでの知識や資格をすべて手放し新しい生き方をはじめなくてはならなくなった当時、わたしにとっては知識や学歴や資格というラベル(肩書き)は職を得るための力のような意味がありました。ゲドの魔法の力のような。それに頼り、それに依存してたことに気づきました。

しかし、病によりそれらに関する仕事に就くことができなくなると、それらの力は一切なくなったのです。自分には何もなくなり、何の役にも立たない弱い者と思い込み途方にくれ、またあらたな仮面とラベルを自分につけて職を得る力を持とうとしました。

でも、それでは、またそれを失った時に途方にくれて困ることになる…

そして、本来の自分がわからないままだし、本来の自分を生きられない苦しみをまた繰り返すだけだ…

そう思っていた時に出会った「帰還」の本の中のゲドの頑張る姿を何度も見ながら、ゲドのように本格的に自分を癒し、何の力にも頼らず依存せず、素のままの本来の自分で強く生きれるようになろう、と決心したのでした。


不思議な力とは違いますが、ゲドにとって魔法の力が外側の鎧のような自身を守るものであったように、わたしにとっての外側の鎧は作った自分の仮面(人格)やラベル(肩書き)だったので、その力に依存し執着するマインドやエゴが内側にあることにより「本来の自分」である光明な自分に戻れない(思い出せない)「罠」だというoshoのお話はとても理解できます。

自分を守ってきた鎧を捨て去り、飾らない自分の真っ裸のままで生きることはかなり勇気が必要でしたが、やってみたらあまりにも楽になれたので、もっと早くにやればよかった…と思ったほどでした。


ですから、

「これは最後の罠だ。

静かに、見守りながら、

心霊エネルギーを避けることができたら、

それに巻き込まれることなく、

閉じ込められることなく、

それらを過ぎ去らせることができたら、

そのとき初めてあなたは家(Home)に着く。」

というoshoのお話はなんだかストンと納得したのです。


ゲドは力を使い果たすほどの出来事があった後魔法の力を使えなくなりましたが、このoshoのお話を読むたびに、ゲドが魔法の力を失ったのは偶然ではなく、偽りの自分で生きる苦しみから解放され、本来の自分を取り戻しその自分のままで自由に生きていくための必然だったのでは、とアーシュラに聞いてみたいと思うのです。

ゲドは罠から解放されて、故郷にあるHome(内側にある源泉)に帰還でき自然とともに普通であることを生きたのだから。

Homeでは、ほっとくつろげる心安まる安心感しかなくて。

ゲド、本当によかった。
魔法の力がなくても、ゲドが深く癒されて今至福に生きているならもうそれがなにより嬉しいよ。

また今日もゲドのお話になってしまったσ(^_^;)

昨日と今日のカードのお話とゲドのお話はなぜかいつも重ねて見えてしまうσ(^_^;)魔術や魔法繋がりだからかな…


臨済の弟子は言った。

「私の導師(master)にできる最も偉大な奇蹟は、奇蹟を行わないことだ。」』


『唯一の奇蹟、不可能な奇蹟は、ただ普通であることだ。
マインドの望みは並外れたものになることだ。
エゴは認められることを渇望する。 』


マインドとエゴがなんであるのか、ゲドの物語も含めてよーくわかった感じがする。


ゲドや臨済盤珪を含めた臨済の弟子たちのように、
マインドやエゴの罠にかからず、
Home(源泉)へと帰還する(思い出す)と、
本来の自分である=光明Enlightenmentな状態(真理)を『思い出す』。


sammasatiサマサティ


Homeに帰還し辿り着いたその瞬間から「本来の自分」のままで生きていく(^-^)



花仙人



追記…

 Earthsea - 全5巻+別巻

影との戦い A Wizard of Earthsea (1968)

こわれた腕輪 The Tombs of Atuan (1971)

さいはての島へ The Farthest Shore (1972)

帰還 - 最後の書 Tehanu: The Last Book of Earthsea (1990)

アースシーの風 The Other Wind (2001)

ゲド戦記外伝 Tales from Earthsea (2001) - 短編集


Ursula K. Le Guin の公式サイト(web site)



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