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花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

奇蹟の餃子と奇蹟のおむすび

奇蹟の餃子と奇蹟のおむすび


普通であることを生きる。
それは本来の自分(真理)のままで生きる。
本来の自分のままの時、人は愛100%です。

今日は比較や競争とは真逆にある、純粋に与えること、それは物を分け与えるというものではなく、ハートからの愛や祈りを与えること…そんなお話に関する導師キリストのお話をカードの絵とoshoが講話でお話してくれた1部をご紹介します。


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いまこそ開いて、けちであることをやめて、自分がなしうるかぎりのことを、自分がもちうるかぎりのものを与えることです。あなたのありあまる愛を、あなたのありあまるハートを与えることです。
(これはカードの解説です。)

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以下はoshoの講話の1部です。


マリー・マグダレーナを覚えているだろうか?

私には、彼女だけがほんとうにイエスについて行った人のように思える。

彼女の真正さは途方もなかった。

ある日彼女はやってきて、非常に、非常に高価な香水(精油)をイエスの足にかけた。

ユダはその場にいて、その機会を逃さなかった。彼は言った。

「いいですか、あなたは彼女を止めるべきだったのですよ!これは無駄です!あのオイルは非常に高いのですよ…売ることだってできたのに。人びとは飢えています。それに、この香水(精油)は非常に高いのに、なぜそれを無駄にするのですか?」

論理的に見える。

だがイエスはなんと言うだろう?

イエスが言うことは非常に非論理的だ。彼は言う。 

「貧しい人たちは常にいる。私が去ったら、お前が彼らの面倒を見ればいい。

お前にはこの女性のハートがわからない。

彼女に香水(精油)をかけさせるがいい--
高価か、高価でないか、それは関係ない。

私は彼女のハートのなかにすばらしいフィーリングが立ち昇っているのを見ることができる。

これが祈りだ…
私には彼女の祈りを邪魔することはできない。」

マリー・マグダレーナがハートの美しさをもっていることをイエスは理解した。

イエスが見ているのは香水(精油)ではない--彼はその女性のハートを見ている。



from osho talks
oshoの講話より
ZEN: THE PATH OF PARADOX, Vol.3, p.312 THE WISDOM OF THE SANDS, Vol.1, pp.265-266 


from osho transformation tarot
osho transformation tarotより


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このお話は、導師キリストが貼り付けにされる前に、弟子のマリー・マグダレーナがこれから起こることで、少しでもキリストの苦しみを少なくできるためになにか自分にできることはないだろうか…という思いからキリストの足に精油をかけて祈ったお話です。

キリストの弟子たちはみなキリストが貼り付けにされると逃げ出しましたが、弟子のマリー・マグダレーナとキリストの母マリアの2人は貼り付けにされたキリストのそばに居続けました。

女性性の愛と母性愛に見守られた貼り付けられたキリスト。


さて、この数日いろいろなカードをご紹介しています。その話の流れで、競争により特別な存在になることが奇蹟を生むのではなく、普通であることを生きることが奇蹟そのものだ、というお話を昨日と一昨日しました。


自分を誰かと比較して優劣をつける競争が当たり前のように教え(洗脳)られている今の家庭や学校や社会の世の中。

それは他者を尊重し愛を与え合い調和的に生きる社会とは真逆の生き方。

競争というゲームを楽しむことができる人ならば問題はないのですが、そのゲームによって劣等感に苦しみ自分らしくあることをさらに隠して、自分以外の誰かみたいになろうと努力をしてみるのですが、なかなかそうならない自分が嫌になり疲れてしまい…結果として「本来の自分」を見失い、どうしたらいいのかわからなくなる苦しみの中でもがきながら生きている人達がたくさんいます。

このようなゲームに苦しんでいる人は、まず自分からそのゲームをやめることで苦しみから自分を解放できます。

そして内側にある「本来の自分」を『思い出す』ことで苦しみからさらに楽に解放されます。

ですから、苦しみを解決する答えは外側にはなく、自分の内側にあります。


「価値」の老子の木のお話のカードをご紹介したoshoの講話の中でoshoはこう話します。

「競ってはいけない、
自分の価値を証明しようとしてはいけない--
その必要はない。」

oshoも老子も導師たちも「競争」をすることは伝えません。

「競争」をする時は、
自分の中に、

「並外れたものになることを望むマインド(思考)と、
認められることを渇望するエゴ(欲)。 」

があり、
他者と自分を比較して優劣をつけ、優越感が欲しい時です。

多くの導師たちは、
1人1人の内側からマインドとエゴを手放すことで自身を苦しみから解放できることを伝えていますから、マインドやエゴに関わる「競争」をしなさいとは伝えません。

「競ってはいけない、
自分の価値を証明しようとしてはいけない--
その必要はない。」

競争心によって特別な存在になることではなく、

『唯一の奇蹟、不可能な奇蹟は、ただ普通であることだ。』

と伝えます。


『普通であることを生きる』

これは『本来の自分(真理)』のまま生きること。


自分の価値を証明しようとして、
並外れたものになることを望むマインド(思考)と、
認められることを渇望するエゴ(欲)
というマインドとエゴの罠に引っかかってしまうと、そちらにばかり意識が向いてしまい、

『本来の自分』を忘れてしまい、

特別な存在になろうとしたり、憧れる他者になろうとして、作った偽りの自分で生きることをはじめます。

しかし、自分以外の誰かのように演じながら生きることは自然体にはなれないため、いつも緊張感があり疲れやすくなり辛くなるものです。

そしてやはり他者にはなれないことを悟り、本来の自分を受け入れることができないままの人は、さらに苦しみます。

『本来の自分』のまま生きることに何か劣等感を感じるような出来事が過去にあり心が傷ついていて、まだその傷が治っていないため『本来の自分』のままで生きることを恐く感じているのかもしれません。


過去にどんな出来事があったとしても、
それで心がズキズキまだ痛かったとしても、

『本来の自分』はやはり、
作り上げた偽りの自分よりはるかに自然体でいられて、だからこそ本来の自分の才能を100%発揮できたりして、周りに感動を与えることになる素晴らしいものなんです。


特別な存在や憧れの誰かみたいになろうとして背伸びをせず、
等身大の自分100%で、
『本来の自分』らしく生きることで、
あなたの知らないところで、
あなたが周りに感動を与えていることは
たくさんあります。

たぶん、
あなたが本来の自分を隠したい気持ちが、
あなたが周りに感動を与えたことも
あなた自身に隠してしまうため、
それを見る機会を逃しているだけです。


今日は実際にあった、競争ではなく、
『本来の自分』=等身大100%の自分のままで生きること、そしてマリー・マグダレーナやキリストの母マリアのように純粋にハートからの愛を与えることで、周りに不思議な奇蹟を起こしたお話を二つご紹介します。



奇蹟の餃子

かーちゃん仙人の知り合いのお子さんがどうしても動物性の食べ物を食べられなくて、育ち盛りなのに十分なたんぱく質がとれないことをその子のご両親が心配なさっていました。

かーちゃん仙人は自分の息子がまだ幼い頃野菜が嫌いだったのでなんとか野菜を食べさせようとして、野菜を細かく刻みハンバーグの中に混ぜ込んだりして無理なく食べさせることに成功していました。

今度はその逆です。野菜は食べれるけれどお肉やお魚は食べられない。

で、かーちゃん仙人はふといつも作るツナの揚げ餃子を思い出し、その知り合いのご自宅へおよばれして遊びに行った時にそのツナの揚げ餃子を作って持っていきました。

すると、そのお子さんはバリバリむしゃむしゃとツナの揚げ餃子をおいしいと食べたのです。

ご両親はビックリ。一つ食べることができるものが増えてとても喜ばれたそうです。

実はこのお子さんのお父さんのお仕事は日本料理の料理人。プロです。とてもおいしい料理を作られます。

かーちゃん仙人はプロではありませんが、いつも作りなれているものを料理して、その子が食べることができたらいいなーという純粋な思いだけで作ったツナの揚げ餃子でした。

背伸びをしてプロの料理人みたいな特別な料理を作ることではなく、等身大の自分で、今できることを心をこめてしたまでです。

野菜嫌いの息子にあれこれ工夫して料理をした経験がそのまま生きた知恵となって、役に立ったのでした。

かーちゃん仙人はこのお子さんだけでなく、たくさんの知り合いのお子さんたちの好き嫌いをなくす不思議な料理の才能があるようで、なにげなく作った家庭料理なのですが、お子さんたちがいつもは嫌う食材をむしゃむしゃパクパクおいしいって食べるそうです。お子さんたちのご両親は食べ物の好き嫌いがなくなったことを大変喜ばれるそうです。

特別なことはなにもしてなくて、
いつものように手慣れた家庭料理を作るだけなんです。

『普通であることを生きる』
特別な存在になろうと背伸びをするのではなく、
『本来の自分』のまま生きることは、
いつもなぜか周りに不思議な奇蹟を起こしたり感動を与えたりします。



奇蹟のおむすび

わたしの知り合いにマリーさんがいます。
マリーさんは以前は小学校の先生でした。

小学校では給食があり、なかなか給食を食べることができない生徒さんがいらしたそうです。

それだけでなく、ごはんが残ってしまうことがあり、なんとかしてみようとマリー先生がふと思いついたことは、ふりかけでした。

ふりかけを持っていって、残ったごはんにふりかけておむすびを作ったのです。

子供たちにとって、ふりかけおむすびは別腹(-_^)

ふりかけおむすびマジックで、ごはんが残ることはなくなったのだそうです。

そして、あまり給食を食べることができなかった生徒さんも、マリー先生のふりかけおむすびは特別においしかったようで、ちゃんと食べることができたのです。

その後、その生徒さんのお母さんが、子供がマリー先生のふりかけおむすびがおいしかったと話していましたとマリー先生に嬉しそうに伝えられたそうです。

マリー先生のふりかけおむすびは子供たちには別腹なほどおいしかったのですね。

たぶん、ただごはんにふりかけをかけるだけでは奇蹟は起こらなかったのかもしれません。おむすびにしたからこそ、奇蹟が起こったのだと思います。

ん〜食べてみたいよ( ´ ▽ ` )ノ
奇蹟のふりかけおむすび!



奇蹟の餃子も奇蹟のおむすびも、
特別に背伸びをして作った料理ではなく、
等身大の自分で今できることを
ただ普通に心を込めて
子供たちが食べることができますように…
という純粋な思いが、
食べることが辛い子供たちに伝わり届いたのですよね。

食べることができた(^-^)

しかも、おいしかった!という感想つき。

これは奇蹟と言っても過言ではないと思うのです(-_^)



昨日や一昨日ご紹介したカードのような不思議な魔術の力で起こす奇蹟ではなく、

特別な何かをするでもなく、
今の等身大の自分で心からの愛を与えることで、
奇蹟を起こした実際にあったお話です。


誰かのようになる必要はなく、
誰かのようになろうとする時の方がなぜかうまくいかず、才能も発揮できず、

ありのままの等身大の本来の自分のままで
『普通であることを生きる』ことの方が、周りに感動や奇蹟を与えるものなんですね。



マリーさんは今はお母ちゃんになったから、教師はされてはいませんが、兵庫県のオーガニックのお店でシェフをされています。奇蹟のふりかけおむすびはこのシェフになるための序章だったのかな(-_^)

テレビやラジオや雑誌にも登場したりしている素敵な(おもろい)お母ちゃんシェフです。

子供たちに少しでも安全で安心して食べることができるものを…と祈りながら料理をし、農家さんたちと一緒に安全な無農薬無肥料栽培の野菜作りを、日本…いや地球桃源郷作りをがんばっています(-_^)

そして、成人された生徒さんたちがマリー先生のお料理を食べにお店に訪れるそうです。かわいいね〜(^-^)嬉しくてたまらないよね。

奇蹟のふりかけおむすびからオーガニックシェフへ…
人生なにが起こるかわからないものですよねd(^_^o)


子供たちのお口の味覚は嘘はつかないから、
むしゃむしゃパクパクおいしい!
って感想なら、それが真実なんだよね(-_^)

料理はテクニックではなく、
愛だな…

と思わずにはいられない実際にあった出来事のご紹介でした(^-^)



大切なことは、
特別な存在になろうとしたり、
背伸びをしたり、
他者になろうとせず、

等身大の自分=本来の自分100%のままで

今の自分にできることをするだけでよく、

普通であることを生きること。


本来の自分である時は愛が100%なんですから(^-^)

愛は永遠に枯れることのない内側の源泉から溢れ出ているから、なくなる心配は無用です。

純粋にそのハートからの愛を与えること。

本当の奇蹟は本来の自分で愛100%の時にしか起こらない。



花仙人