花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

白隠の地獄と天国の門

白隠の地獄と天国の門


これまでご紹介したカードの逸話や物語の中には、
マインドmindのお話や、
エゴegoのお話や、
怒りangerのお話や、
その真逆にある愛loveをハートから与える(分かち合う)お話もありました。


エゴ(欲)とマインド(思考)を自分の内側から空っぽにすると光明Enlightenmentな「本来の自分(真理)」の状態を「体感」して『思い出す』のですが…

エゴやマインドってなんなんですかね?

それらがなんであるのかがわからなければ、自分の内側にあるエゴやマインドや感情などになかなか『気づく』ことはできませんから、なかなかそれらを手放し内側を空っぽな状態にはできませんよね(-_^)

もちろん意味は辞書にも書いてありますが、禅の導師は自分を尋ねて来た1人1人に対してその者がわかりやすく理解できるやり方で導きます。

例えば、同じ質問をされても、辞書や教科書のようにマニュアル通りにみんなに対して同じやり方で教えるのではなく、お侍さんに対してと、音楽家に対してと、科学者に対してと、農家さんに対してと、漁師に対してと、などなど…それぞれ1人1人に対してわかりやすく理解しやすい方法で導きます。

それって導師が1人1人をちゃんと見て理解できていないとできないことですよね。

なぜそれができるかというと、導師は自分のマインドとエゴを通さず(いわゆる色眼鏡を通さず)純粋にありのままを見ることができるので、純粋に1人1人のありのままを見て理解することができます。

そして、
自分が理解していることをただ単に知識を言葉だけで伝えるのではなく、その相手が真に理解できるやり方で導きます。

導師とはそのような慈悲深い愛により、1人1人を導く人です。


○教師は相手にマニュアル通りに知識を言葉で伝え渡す人。

○導師は相手に知恵を体験により体感させて『気づき』を与えて真に理解できるように導く人。

教師と生徒の関係=教える(知識を渡すのみ、理解できるかどうかは生徒次第)
導師と弟子の関係=導く(理解をさせる)

はこのような違いがあります。


以前ご紹介した知識を全部捨てたナロパさんのカードのお話のように、

知識の言葉を理解し(知識の人)それを伝え渡すだけではなく、
意味を理解している(知恵の人)のでなければなかなかそのように他者を真の理解に導くことはできません。


自分が真に理解できていないことは、
他者にも理解させることはできないのですね。


マインドはマインドにしか働きかけることができません。

マインドは記憶はできても理解はできません。

理解は体感からしか理解できません。

教師はマインドに働きかけます。
導師は体感させて理解に導きます。

光明(覚醒=本来の自分を思い出す)は体感による理解でしかわかりません。

光明はマインドでは理解できないものです。

ですから、導師は体感によって導きます。

マインドとエゴをすべて捨て去らなくては光明(本来の自分)は思い出せないものなので、導師は弟子のマインドとエゴに『気づく』ことができるよう導きます。


今日は怒りやエゴやマインドに関する日本の禅の導師白隠がお侍さんに『気づき』を与えたお話をカードの絵とoshoが講話でお話してくれた1部をご紹介します。


*  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  


『地獄』にいるか、あるいは『天国』にいるかという選択権は、自分が持っていることを瞬間ごとに覚えておきなさい。

もしあなたが「無意識」だったら、あなたは『地獄』にいます。それはあなた次第です。 

あなたが「意識」しているとき、あなたは『天国』にいます。醒めていなさい。油断せずにいなさい。意識していなさい!これもまた、あなた次第です。
(これはカードの解説です。)

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以下はoshoの講話の1部です。


禅の導師(master)白隠は、まれな開花のひとつだ。

一人の戦士、サムライが、偉大な兵士が導師白隠のところに来てたずねた。

「地獄はありますか?天国はありますか?もし地獄と天国があるとしたら、その扉はどこにあるのですか?私はどこから入ればよいのですか?」

彼は素朴な戦士だった。戦士は常に素朴だ。
彼らのマインドのなかにずるさはない。
計算はない。
彼らは二つのことしか知らない、生と死だ。

彼はなにか教義(ドグマ)を学ぼうとして来たのではなかった。

彼は地獄を避けて、天国に入れるように、その門がどこにあるのかを知りたかった。 

そして白隠は、戦士にしかわからないやり方で応えた。

白隠は言った。

「お前は誰なのか?」

戦士は応えた。

「私はサムライだ。」

サムライであることは、日本では非常に誇り高いことだ。それは完璧な戦士、自分の命 を差し出すのを一瞬の間といえどもためらわない人間であることを意味する。彼は言った。

「私はサムライだ。私はサムライの隊長だ。天皇でさえ私には敬意を払う。」

白隠は笑って言った。

「お前がサムライだって?お前は乞食みたいだぞ!」

彼の誇りは傷ついた。
サムライは自分がなんのために来たのかを忘れた。

彼は刀を抜いて、まさに白隠を殺そうとした。
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 白隠は笑って言った。

「これが地獄の門だ。
この刀、この怒り、このエゴとともに、
ここにその門が開く。」

これこそ戦士に理解できることだ。

すぐにサムライは理解した。

彼は刀を鞘に収めた…
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そこで、白隠は言った。

「ここに天国の門が開く。」



地獄と天国はあなたの内にある。

両方の門があなたの内にある。

あなたが「無意識」に振るまっているとき、そこには『地獄の門』 がある。

あなたが油断せずに、「意識」するようになるとき、そこには『天国の門』がある。


マインドは天国だ。
マインドは地獄だ。
そしてマインドには、そのどちらにもなれる許容力がある。

だが人びとは、どんなものも、どこか外側にあると思い続けている…。

地獄と天国は、生の終わりにあるのではない。

それらは「今ここ」にある。 

瞬間ごとにその扉が開く…

一瞬のうちに、

あなたは地獄から天国へ、
天国から地獄へと動くことができる。



from osho talks
oshoの講話より
ROOTS AND WINGS, pp.82-98 


from osho transformation tarot
osho transformation tarotより


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このお侍さんは、
「サムライ」というラベル(肩書き)が欲しくてそれを手に入れ、そのサムライというラベルを貼り、サムライという作り上げた人格の仮面を被って生きています。

そのラベルと仮面を身につけるエゴ(欲)で自分を満たしているお侍さんに対して、

白隠は笑いながら、

「お前がサムライだって?お前は乞食みたいだぞ!」

とお侍さんに言いました。

もちろん、お侍さんの誇りは傷つき、
自分がなんのために来たのかを忘れ(無意識になり)、
彼は刀を抜いて、まさに白隠を殺そうとしました。

 白隠は笑いながら、

「これが地獄の門だ。
この刀、この怒り、このエゴとともに、
ここにその門が開く。」

お侍さんは、はっとしてそれを理解できました。

体感によって、
何が地獄の門であり、
どんな感情やエゴによって地獄の門が開くのかがわかったのです。


地獄の門を理解できたお侍さんは、
刀を鞘に収めました。

そこで、白隠は言いました。

「ここに天国の門が開く。」

このお侍さんにとってはこの白隠とのやりとりだけで自分が質問をした

「地獄はありますか?天国はありますか?もし地獄と天国があるとしたら、その扉はどこにあるのですか?私はどこから入ればよいのですか?」

の答えを自分の体感によって、自分の内側から答えを導き出せ、それを真に理解できたのですね。

なぜなら、「サムライ」や刀や生と死に関することは自分が1番身近でわかっているモノだから、とてもわかりやすかったのでしょうね。


白隠はこのお侍さんに、お侍さんの質問の答えを、言葉(マインド)による知識で説明するのではなく、お侍さんが自らその答えを内側から見つけ出せるよう導きました。


体感して自分で得た答えは、一生忘れないものです。




天国と地獄は『今』の自分のマインド(思考)によって決まるものなんですね。

「無意識」である状態は『地獄』、
「意識」である状態は『天国』。

しかも、どちらの両極に偏るかは、
一瞬の気持ちによって変化します。

人の気持ちの変化は一瞬。

今だにハイテクなコンピュータでも一瞬で両極の反対側に変化できるものはありません。

人間の意識(心)の変化ってすごいと思います。



導師たちは話します。

『地獄と天国はあなたの内にある。

両方の門があなたの内にある。

あなたが「無意識」に振るまっているとき、そこには『地獄の門』 がある。

あなたが油断せずに、「意識」するようになるとき、そこには『天国の門』がある。


マインドは天国だ。
マインドは地獄だ。
そしてマインドには、そのどちらにもなれる許容力がある。

だが人びとは、どんなものも、どこか外側にあると思い続けている…。

地獄と天国は、生の終わりにあるのではない。

それらは「今ここ」にある。 

瞬間ごとにその扉が開く…

一瞬のうちに、

あなたは地獄から天国へ、
天国から地獄へと動くことができる。』




このお話を読んでおもしろいなーと思われたならそれでいいです。

でも、もし、
苦しみを内側から解放したかったり、
または、
光明な本来の自分を『思い出す』ことを思うならば、このお話を読んで、

『今』の自分の内側にあるマインドやエゴや感情に『気づく』ことができたら、

立ったままでも、
座ったままでも、
寝転んだままでもかまいませんから、

それらが内側から流れ去るまでただ内側を『観照』します。

それらを観照をしていると、そのマインドやエゴや感情は、青空を流れ去る『雲』のように一定にとどまらず流れ去っていきます。

それらが内側から流れ去ったら、内側は空っぽな状態となります。


マインドやエゴや感情が内側にあることが苦しいと感じる原因ですから、それらが内側からなくなり空っぽになると苦しみが消え去り、リラックスな状態へと自然になります。

空っぽになったリラックス状態のままゆっくりしましょう。

そして、そのリラックス状態のまま1日をすごしましょう。

リラックスはしているのに、不思議と頭は冴えて、無意識的ではなく意識的になっていることに気づくでしょう。

身体や脳がリラックスしたままの方が、脳は冴えて意識的になり、ミスが減り、仕事が不思議と捗ることを体験するでしょう。


地獄の門は閉じ、
天国の門が開いているのがわかると思います(-_^)



マインドを捨てたい人は、今読んだことは全部わすれてくださいね(-_^)



花仙人