花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

never born never died

生まれることもなく死ぬことのないもの


never born never died 


さて今日も昨日に引き続き、導師(master)ゴータマ・ブッダ(お釈迦さま)の導きにより自分の『苦しみを理解する』『気づき』を得た1人の女性の体験のお話のカードの絵とoshoが講話でお話してくれた1部をご紹介します。


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あなたの注意を、あなたの内側にある、「けっして生まれることもなく死ぬことのないもの」を見る方に向けなさい。 

あなたには今、死んでいるもの、あるいは去ったものに手放す用意ができています。

それを呼び戻そうとすることを忘れなさい。

そして、それが過ぎ去っていったことを個人的にとらえてはいけません。
(これはカードの解説です。)

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以下はoshoの講話の1部です。


ある若い女性が町に来ていたゴータマ・ブッダのところへ行った。

自分の夫が死に次に幼い子供が死んだので、まだ若いその女性は悲嘆にくれていた。しかも彼女は未亡人なので、もう子供をもつことはけっしてない。授かったそのたった1人の子供が死んだのだ。それは彼女の愛のすべて、 彼女の心づかいのすべてだった…。

彼女は死んだ子供の身体をゴータマ・ブッダの足元に置いて言った。

「この子を生き返らせてください。あなたは生の全ての神秘を知っている、存在の究極の頂きに到達した。かわいそうな1人の女に小さな奇跡を起こしてはくれませんか?」

だが、ゴータマ・ブッダはどうしただろう?ゴータマ・ブッダは彼女に言った。

「やってみよう。しかしそれには一つの条件がある。町に行って、誰ひとり一度も死んだことのない家から、芥子種を少し貰ってきなさい。」

そこで、その女性は町に駆け込み、一軒ごとに家を訪ねた。するとみんなこう言った。

「欲しいだけ芥子種をあげることはできるけれど、その条件を満たすことはできない--私たちの家ではほんとうにたくさんの人が死んだからだよ。」

どの家を訪ねても何度も何度もそう言われた。

だが、彼女は望みを捨てなかった。

「もしかしたら…わかるわけないわ。死を知ったことのない家がどこかにあるかもしれない。」

そうして彼女は一日中あらゆるところを訪ね歩いた。

夕方になると、彼女のなかに深い理解が湧き起こってきた。

「死は生の一部だ。それは起こる。
それは個人的ななにかではない。
私に起こった個人的な災難ではない。」

その理解をもって、 彼女は手ぶらでゴータマ・ブッダのところに行った。

彼はたずねた。

「芥子種はどこにある?」

彼女は笑った。彼の足もとにひれ伏して言った。

「わたしを騙したのですね!
みんな生まれたら死ぬのです。
世界の中で誰ひとり一度も死んだことのない家族なんて存在しない。
だから私は子供を生き返らせてとは望みません。たとえ生き返った子が私に与えられたとしても、また死ぬでしょうから。

私を瞑想へと導いてください。

自分の内側にある、
けっして生まれることもなく死ぬことのないものを知ることができるように。」



わたしはこれを真正の奇蹟と呼ぶ、
問題を根本から断ち切ることを。



from osho talks
oshoの講話より
THE WISDOM OF THE SANDS, Vol.1, pp.103-104 


from osho transformation tarot
osho transformation tarotより


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この女性は苦しかったのだけれど、

「いったい自分は何に苦しんでいるのだろう?」

という状態がさらに辛かったのですよね。

苦しみの原因がはっきりわからないから、
苦しみから解放される解決方法がわからない。

だから、ただ泣いて苦しみの中をさまよう状態…

その苦しみに『気づき』、
その苦しみを『理解』した時に、
人間はふっと自然にその苦しみから『手を放し』ます。

すると、その苦しみが内側から流れ去ってなくなっていきます。


『理解』は知識による言葉の説明だけではなかなか至ることができないものです。


○「知識(マインド)」だけでは苦しみを手放すことはできない。

○苦しみを「理解」することでしか苦しみを手放すことはできない。


この女性は死を頭ではわかってはいても、苦しみを手放す方法がわからず辛く泣きさまよっていました。
しかし、ゴータマ・ブッダの導きにより、自分の足で町中あちらこちらを歩き回った結果、自身の苦しみにやっと『気づく』ことができ、それを『理解』でき、誰かからの説得によるものではなく、

自分の内側から『答えを得る』ことができたからこそ、

もうその苦しみにしがみつき執着することをやめよう…と腑に落ちて納得でき、その瞬間、苦しみから手を放し自分を苦しみから解放することができました。


これがゴータマ・ブッダが教え続けている『自分で自分を救う』というものです。


「自帰依自灯明」


迷って暗闇(苦しみ)の中を歩き回っても出口は見つかりません。暗闇に少しの光(気づき)でもあれば周りが見えるので出口を見つけやすくなります。


自分の『苦しみ=暗闇』です。

自分の苦しみに『気づく=光』です。

自分の『苦しみを理解する=愛』です。


暗闇(苦しみ)は光(気づき)がないだけで、
暗闇(苦しみ)は光(気づき)があればなくなります。

暗闇(苦しみ)は愛(理解する)があれば自然と手放せなくなります。


昨日のアングリーマーラのお話や今日のお話からもわかるように、ゴータマ・ブッダはその人を『気づき(光)』と『苦しみの理解(愛)』に導いただけであり、その人を救ったのはその人自身です。


「自帰依自灯明、法帰依法灯明」

法帰依法灯明…導師ゴータマ・ブッダはいつもみんなを見守り続けているよ(導いている)

ちゃんと見守っているから、自分の暗闇(苦しみ)に自分で明かりを灯して(気づき)ごらん、暗闇(苦しみ)はなくなり「本来の自分(真理)」へと帰る(思い出す)ことができるよ…自帰依自灯明



1人1人の苦しみはそれぞれ違います。
なぜならば、
1人1人みな違う人生を歩いているからです。
全く自分と同じ人生を歩いている他人は存在しません。

導師(master)とは1人1人の苦しみをマインド(思考)とエゴ(欲)を通さずありのままを見て真に理解し、その人に自分自身の苦しみに『気づかせ』『理解』できるようにわかりやすく導きます。慈悲深い愛によって。

その結果、人は自分で苦しみから真に解放され自由になるのです。

『自分で自分を救う』

「自帰依自灯明、法帰依法灯明」


oshoはこのようにこの女性やアングリーマーラに起こった変容を

『問題を根本から断ち切ることを、真正の奇蹟と呼ぶ。』

と話しています。

本当の奇蹟とは魔術によるものではなく、
真の理解によって起こるもの。



生と死に関する出来事は人間にとって1番辛い問題(苦しみ)でもあります。

しかし、この女性はその苦しみ(問題)から『逃げる』ことをせず、辛くても苦しみと向き合うことを体験した結果、自分の内側から答えを体感して得て、さらに自分の内側にある

「けっして生まれることもなく死ぬことのないもの」

を探す瞑想の旅がはじまりました。

夫と子供との死別を体験し究極の独りという孤独感を体感しなければ、気づくことがなかったかもしれない自分の内側にある「それ」を探す瞑想の旅…。


内側への旅はいつも一人旅です。
なぜならば、内側へと入っていけるのは自分だけだからです。

もし、外側の環境や状況の中で自分が独りという状態になったのならば、それは自分の内側にある「本来の自分(真理)」を「思い出す」旅をはじめるタイミングを、自分自身が自分に与え導いているチャンスかもしれません。


夫と子供を失い独りになった女性はその旅に出るチャンスが来たことを理解でき自分でチャンスを掴みました。自分の内側にある苦しみから解放する答えに導いてくれた導師(master)ゴータマ・ブッダのもとで。

「自帰依自灯明、法帰依法灯明」ですね。

内側への旅は独り旅になりますが、ゴータマ・ブッダの周りには内側の旅へと旅立っている弟子たちがたくさんいますから、内側の旅をしている友はたくさんいるのですね。昨日ご紹介したアングリーマーラもその1人です。

独り旅なのに内側へ深く入るほど、周りとの分離感はなくなり、孤独感は消え、全てと繋がって一つであることを体感して理解します。

わたしもその内側の旅をしている1人です。内側の旅をはじめて17年目になります。この内側の旅をするために生まれてきたのだな〜と今ならわかります。

見守ってくださっている導師たちや全てのみなさんに感謝をしながら過去でも未来でもなく『今』を生かされながら生きています。ありがとう…


さあ、

「けっして生まれることもなく死ぬことのないもの」

とは…。


頭であるマインド(思考)を働かせたら見つからない答えです(-_^)

頭から離れて、空っぽにし、自分の内側に深く入っていくとその答えがわかります(-_^)

このブログの中ではもうその答えを何度も話していますが、言葉による知識(マインド)では『理解』できないものなので、この女性のように自分の内側に入ってそれを探し『体感』するしか『理解』できません。


自分の内側に入っていくと、あらゆるマインドやエゴや感情とぶつかってなかなか深く内側に入ってはいけないと感じるでしょう。

しかし、マインドやエゴや感情は自分自身ではない幻想なので、それにしがみつかず手を放し(非同一化し)、ただマインドやエゴや感情が流れ去るのを観照しましょう。

すると、マインドやエゴや感情が青空に浮かぶ雲のように流れ去り空っぽになるので、さらに内側深くへと潜っていくことが簡単になります。

深く深く内側に入っていくとそこには…

「けっして生まれることもなく死ぬことのないもの」が…

never born never died 



sammasatiサマサティ…
(ゴータマ・ブッダが最後にのこした言葉)



花仙人



追加…

このお話のoshoの講話の1部の動画がありました。

something which neve dies



花仙人