花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

ブッダの夜逃げ

ブッダの夜逃げ



昨日はほんの少しですがゴータマ・ブッダ(お釈迦さま)が誕生した時のお話やそれから二千年以上経った今でもお釈迦さまのお誕生日を祝う花まつりのお話をしました。


ゴータマ・ブッダが地球の人間に貢献したことは、

『人は自分で自分を苦しみから解放できる、それは本来の自分や存在全てと一つであるという真理を思い出すこと(光明を得る)である』と伝え続け、

1人1人それぞれにわかりやすいように苦しみの『気づき』と『理解』へと導き、多くの人々が自分で自分を苦しみから解放できたことです。


ゴータマ・ブッダは自分の体験により内側から得た真理をみんなも得られるようにと分かち合い導く慈悲深い導師(master)でした。


ゴータマ・ブッダはみんなの導師となりましたが、光明を得るまでの間彼は自身を導いてくれる導師とのご縁や出会いはありませんでした。もちろん、その当時にも導師といわれる人達はいましたが運命なのか彼の導師となる人との縁はなかったのでした。

自分だけで自身を導く運命だったのでしょうか。彼は手探りで光明を得るために自身の内側を1人で探究するしかありませんでした。

ありとあらゆることを試したゴータマ・ブッダは42歳の12月8日の朝、菩提樹の木の下で光明を得ることができたのですが、その古い自分が死んで新しい自分に生まれ変わった光明を得た時の美しいお話はまたいつかするとして…今日は彼と彼の家族とのお話のカードをご紹介します。


ゴータマ・ブッダがなし得たことは素晴らしいことだったのですが、真理を探究し光明を得る探究者(サニヤシン)になるには難しい立場にありました。なぜならば、彼は一国の偉大なる王の息子である王子だったのです。

家族のいる宮殿を去り王の唯一の後継者である自分が王子であることをやめて、1人の探究者として生きることを父親である王が許すはずもなく、王族の家族から大反対にあうことは目に見えてわかっていました。

それでも、彼は自分の内側から湧き上がってくる思いに抗うことはできず、自分の直感を信頼して、自分にとって正しいと感じる道を選択しました。

で、

夜逃げ決行です…

今ならば、王子が夜逃げ!?とワイドショーで騒がれること間違いなしσ(^_^;)

きっと、当時も騒がれたことでしょうσ(^_^;)


ゴータマ・ブッダが王子ではなく内側にある真理を得るための探究者になる運命は、彼が生まれた時、占い師によって父親の王には伝えられていました。

ですから、父親である王はゴータマ・ブッダが探究者にならず王を引き継ぐようにするために、ゴータマ・ブッダが幼い頃から全てを与えてなに不自由なく生きれるようにと、季節ごとに快適に住める宮殿を数箇所に作って住まわせたり、探究者に興味を持たせないために探究者(サニヤシン)を見せないようにしたり、また探究心を持たせないために死について学ばないようにさせるために、老人や病人や枯葉などを見せないように宮殿には美しい若い男女しか住まわせず、枯葉は常に取り去られて見せないようにしたりとありとあらゆることを必死で工夫したのですが…

ある日王子が宮殿の外に出ることがあり、みんな気をつけてはいたのですが、その日に限って、彼は老人を見たり病人や死人や死体を焼く火葬場を見てしまいました。そして探究者(サニヤシン)をも見てしまったのです。

彼は病人や老人をはじめて見て、そのもの達も自分と同じ人間であることに驚き、はじめて全ての人間が自分をも含めて病気になったり老いて死ぬことを知った瞬間でした。

今までの宮殿内での豊かで穏やかでなんの苦しみのない楽園のような暮らしとは全く違う世界を知りました。

世の中にはこんなにたくさん苦しんでいる人達がいるのかと…

ゴータマ・ブッダは人々を苦しみから救いたいと強く思いました。

それはもう誰にも止められないほどの揺るぎない思いとなりました。

そして、人々を苦しみから救うための答えを見つけるために探究者になることを自然と選んだのです。


父親である王が恐れていた占い師の予言が現実となったのです。

長年父親王は占いの予言どおりにならないようにすっごく頑張ったのですが、定められた運命には逆らえなかったのか、探究者になるために息子王子は夜逃げ…


さてさて、今日も昨日と一昨日に引き続き、導師(master)ゴータマ・ブッダ(お釈迦さま)のお話のカードの絵とoshoが講話でお話してくれた1部をご紹介します。


*  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  


あなた自身の感じていることが完全に正しいとされていて--しかもあなたが、自分はまったく正しい!と感じる--そのような状況においてすら、それでもなお、これまでにあなたが知ってきたあらゆることを超えている、なにかの可能性に対して開いていなさい。

過去の体験から飛び出して、まったく新しい次元に飛び込みなさい。
(これはカードの解説です。)

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以下はoshoの講話の1部です。


ゴータマ・ブッダが真理を探究するための探究者(サニヤシン)になるために宮殿から去った頃は彼の妻ヤショダーラが赤ちゃんを産んだばかりだった。

彼は宮殿から去る前、最後に一目自分と妻の愛の証である赤ちゃんを見ようとして妻の部屋へと向かった。妻も赤ちゃんもぐっすりと眠っていた。

赤ちゃんはブランケットに覆われていて顔が見えなかった。もしかしたら2度と帰ってはこれないかもしれないからブランケットをずらして赤ちゃんの顔を一目見たかったのだが、妻のヤショダーラが起きてしまいどこへ行くのか?と聞かれ、夜中にぐっすりと眠っている宮殿のみんなを起こし、そこに父親がよばれ宮殿を去ることができなくなることをおそれてできなかった。

彼はただ去った…

それから長い年月が経った。

ゴータマ・ブッダが42歳で光明(enlightenment)を得て、最初にしたことは、自分の家族のもと宮殿に帰ることだった。そうすることで、 彼になにが起こったかを彼らが知ることができるように…。そして、以前自分が愛していたそれらすべての人びとを彼が思い出したというのは自然なことだ。


彼はまず最初に父親に会った。父親である王はとても怒っていた。

父親は光明を得ることが素晴らしいことだとは知ってはいたが、父親にとっては息子である王子が自分のあとをついで王になることだけを望みただただ怒った。

その後に妻と息子に会った。

だが彼の妻、ヤショダーラは、非常に怒っていた。それもまた自然で、人間的だ。

ある夜、この夫は、行くということを告げることすらせずに、突然逃げ出した…。その傷は深かった。

そして、あなたは驚くだろうが、その傷は、ゴータマ・シッダルタ(ゴータマ・ブッダが光明を得る前の名前)が彼女を置き去りにしたからではなかった--それは問題ではなかった。

彼女はこの人を途方もなく愛していたので、もし彼が自分の内的な探究のために森に行くことを望んでいたのなら、彼女はそれを許していただろう。

傷は、彼が彼女になにも言わなかったことだった。

彼が彼女を信頼していなかったことだった--それが傷だった。

その違いを見てごらん!

これが彼女を痛めていたことだったのだ--

「なぜ彼は私を信じることができなかったのだろう…?」

そして彼が着いたとき、突然、彼女は怒っていた。彼女の怒りは爆発した。彼女は言った。

「なぜあなたは私に言わなかったの?私はあなたを妨げはしなかったでしょう。それに、あなたは私を知っているではありませんか--ほんとうによく知っているのに。

私たちは何年も一緒に暮らしたのよ。私が一度でも、なにかのことであなたの邪魔をしたことがあったでしょうか?

私はあなたをとても深く、とても広く愛していました…私があなたの探究の妨げになることはなかったでしょう。

なぜあなたは私に言ってくださらなかったのですか?」

彼女は何度も何度も彼にたずねた。

それから怒って、息子を呼んだ。

ゴータマ・ブッダが去ったとき、その子は生後一ヶ月にすぎなかった。 今では彼は十二歳で、絶えずたずねていた。

「私の父はどこにいるのですか?私の父は誰なのですか?」

彼女はその少年を呼んで言った。

ラーフラ、この人があなたの父親です。彼は臆病者のように逃げたのです。この人があなたに生を与えたのです。さあ、財産を譲ってもらいなさい!」

彼女はあざけって挑発していた。ゴータマ・ブッダはいまや乞食だったからだ--どんな財産を?彼はいったいなにを得たのだろう?

そしてゴータマ・ブッダはどうしたか、あなたはわかるかね?

彼はその子を弟子にイニシエートした。彼は、その子に自分の乞食用の鉢を与えて言った。

「私はほんとうはこのために来たのだよ。私は見い出した。そして私の息子にも見い出してほしい。

そしてヤショダーラ、この怒りはもう終わりにしなさい。

今ではもう意味がない。

お前が怒っているその男はもういないからだ。 

私は死んで、再び生まれている。

私はお前の激しい怒りを理解することはできるが、あの夜にお前を置き去りにしたその男はもういない。もう一度私をみてごらん!」

目は涙でいっぱいになっていたが、彼女は見た…そして認めた。

彼女の怒りはすべて消えた。

彼女はゴータマ・ブッダの足もとにひれ伏した。イニシエーションを求め、彼の弟子になった。



from osho talks
oshoの講話より
THE PERFECT MASTER, Vol.2, pp.208-210 THE BOOK OF THE SECRETS, Vol.5, pp197-200 


from osho transformation tarot
osho transformation tarotより


*  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  


ゴータマ・ブッダは純粋に多くの人々を苦しみから救いたいと思い、その答えを得るためだけのために、その揺るぎない自分の思いだけを信頼して愛する家族や豊かな暮らしのある宮殿から去り探究者となるために森へ行きました。

(ここからはoshoが講話で語ったお話をご紹介します。)


ゴータマ・ブッダは自分の宮殿を後にした。
彼は臆病者でもなければ逃避者でもなかった。

ではなぜ、彼は宮殿を去ったのだろう?ラビンドラナートは、それについて美しい詩を書いている。

彼は宮殿を去った。12年間、彼は森林を歩き回り、修行して瞑想した。そして究極の悦びの日が訪れた。彼は光明を得た。当然、彼が思い出した最初の事は、彼が愛した女性、後に残してきた子供、今なお彼が戻ることを望んでいる老いた父親に、良い知らせを伝えるために宮殿に戻ることだった。

それはとても人間的だ。それはハートに触れる。12年後に彼は帰って来た。

どの父親もそうであるように、彼の父親は怒っていた。父親は彼が誰なのか、彼がどうなったのかわからなかった。

とても大きくて、とても清み切った彼の個性が、見えなかった。

全世界がそれに気づくようになっていたが、彼の父親はそれに盲目だった。

父親はいまだに彼を、すでにもう存在していない人格、彼が宮殿を去った日に放棄した人格として考えていた。

(人格=生まれた後に作り上げた性格、偽りの自分、仮面。
個性=生まれる前から持っている性格、本来の自分。)


事実、ゴータマ・ブッダはただ自分の人格を放棄するためだけ、宮殿を去らねばならなかった。

彼は他人が彼について考えているものではなく、あるがままの自分(個性=本来の自分)を知りたかった。

しかし今、父親は12年前の目で、彼の顔を覗き込んでいた。彼は再びゴータマ・ブッダに言った。

「わしはお前の父親だ。わしはお前を愛している--たとえお前がわしを深く傷つけ、深く痛めつけようとも…。わしは老いた、そしてこの12年間は拷問だった。お前はわしのただ1人の息子だ。お前が戻って来られるように、わしはどうにか生きていこうとした。

今お前は帰って来た。帝国の統治権を受け継いで王になるのだ!さあわしを休ませてくれ。もうわしは休息すべき時だ。

お前はわしに反抗する罪を犯した。そしてお前は、わしにほとんどむごい仕打ちをした。しかしわしはお前を許そう、王になる機会はまだ開かれているぞ。」

ゴータマ・ブッダは笑い、そして言った。

「国王陛下、あなたが話している人物に、もう少しよく気づいてください。宮殿を後にした男はもういません。彼はだいぶ前に死にました。私は別人です--私をよく見てください!」

すると父親はさらにひどく怒った。

「お前はわしを欺くつもりなのか?わしがお前を知らないだと?わしはお前のことを、お前が自分自身を知っているよりもよく知っているのだ!わしはお前の父親だ。わしがお前を誕生させたのだ。お前の血の中にはわしが流れている--それなのに、わしがお前を知らないだと?」

ゴータマ・ブッダは言った。

「それでも私はお願いします、殿下…。

あなたは確かに私を誕生させてくださいました。私はあなたを通してやって来ました。それは本当です。

しかしあなたは、ただの乗り物だったのです。ちょうど、ある人が馬に乗っているという理由だけで、馬が乗り手のことを知っていることにはなりません。

私はあなたの身体の扉を通過しました。しかしそのことで、あなたが私を知っていることにはなりません。

実際のところ、12年前、私は自分が誰であるかすら、知らなかったのです。

今、私は知っています!

私の目の中を見てください。

どうか過去を忘れてください--

今と、ここにいることです!」

しかし、父親にはできなかった。
彼の老いた目、怒りと喜びの涙で一杯になった目では、彼はゴータマ・ブッダに何が起こったのか見ることはできなかった。

「あいつは何と馬鹿げたことを話しているのだ、あいつは死に、再び生まれただと?あいつは全く違った個人であるだと?あいつはもう人格(パーソナリティ)ではなく個(インディヴィジュアリティ)であるだと?」


辞書では、人格「パーソナリティpersonality」と個「インディヴィジュアリティindividuality」は同義語だ。それらは生においては同義語ではない。

人格は偽物、見せかけ、外観だ。
個であることがあなたの真実だ。

なぜ私たちは、自分に注意を払ってもらうために、とても多くの人々を欲しがるのだろうか?なぜ私たちは、これを強く望むのだろうか?

それは人格を作るためだ。

そして自分自身の周りに人格を作れば作るほど、あなたの個が知られる可能性は少なくなる。

(人格=生まれた後に作り上げた性格、偽りの自分、仮面。
個性=生まれる前から持っている性格、本来の自分。)


そしてゴータマ・ブッダが彼の妻に会いに言った時、彼女はもっと怒っていた。彼女はたった一つの質問をした。非常に意義深い質問をした。彼女は言った。

「聞きたいことが一つだけあります。長い年月、私は待っていました。そこでたった一つ質問があります。その質問は単純です、しかし正直でいてください。」

彼女はまだ、ゴータマ・ブッダがごまかすだろうと思っていた。

「正直でいてください。真実であってください。そして私に、一つの事だけを言ってください。あなたが森の中で達成したものが何であれ、それは宮殿のここで達成することは不可能だったのでしょうか?神は森の中にだけいて、この市場にはいないのでしょうか?」

彼女の質問は、途方もなく意義深い。

ゴータマ・ブッダは言った。

「そう、真理は森の中にあるのと同じくらいここにもある。しかし、それをここで知ることは、私にとっては非常に難しかっただろう。

なぜなら私は人格の中で自分を見失っていたからだ。

王子という人格、
夫という人格、
父親という人格、
息子という人格の中で…。

自分が誰であるかを私に思い出させる者が誰もいないように、

そして私が「自分は誰か?」という問題に自分で答えられるように、

自分の人格を後へ残して去って行っただけだ。

私は自分自身と対面したかった。

私は他人の応答には興味がなかった。」



しかし、他の誰もが他人に応答に興味がある。誰かが「あなたはとても美しい」と言う時を、あなたはどれだほど愛することだろう。

人格(パーソナリティ)は展示品だ。それは他人を欺けるが、あなたを欺くことはできない、少なくとも長い期間においては…。

自分の個(インディヴィジュアリティ)を楽しむことができると、あなたは自由だ--他人への依存から自由になる。

もし彼らの注目を求めるなら、代わりに代価を支払わねばならない。それは束縛だ。人々に自分への注目を求めれば求めるほど、あなたは商品(販売して購入できる物)になってしまう。

(oshoの講話、the book of wisdom/アティーシャの知恵の書より抜粋)


人々を苦しみから解放する答えを知るためには、真理を悟る(=光明を得る)必要があり、真理を悟るためには、自分の内側にあるエゴ(欲)やマインド(思考)をなくして空っぽにしなくてはそれを思い出すことはできません。

人格は生まれた後にエゴやマインドによって作り上げた性格ですから、やはり人格も捨て去らなくては真理を悟ることはできません。

なぜならば、真理とは偽りの自分=人格ではないからです。


ゴータマ・ブッダは生まれた後に周りの環境や状況によって条件付けをされ、あらゆる人格を身につけて生きてきました。

それを全部落としなくすためには、宮殿を去ることをしなくては「本来の自分」を取り戻せないほど周りの人間たちからの圧力が強かったのでしょうね。


ゴータマ・ブッダだけでなく、これは全ての人間に起こっていることですよね。

人間は人格と個性のギャップ(違い)が大きいほど、本来の自分(個性)を見失い、それは大変苦しむ原因となっています。

今も二千年前の昔も人間の持つ苦しみの原因は変わらないものなのですね。

なぜいまだに二千年前に人間を苦しみから解放する答えを得たゴータマ・ブッダの導きが大切に伝え続けられているのかがわかる気もします。


息子には王になって欲しい!というエゴとマインドで雁字搦めになっていた父親王には本来のゴータマ・ブッダが見えなかったのです。

でも、人はみなそれぞれの生き方がありますから、父親王は父親王の人生を生きたのでしょうね。

ゴータマ・ブッダは彼の人生を生きたのです。

親子といえども、人生の道は違って当たり前で、それが自然です。

親王以外の多くの人達は本来の自分に生まれ変わったゴータマ・ブッダの導きにより、気づきがあり自分自身を苦しみから解放でき喜んでいました。一昨日ご紹介したアングリーマーラや昨日ご紹介した女性のように…。

ゴータマ・ブッダは弟子となった妻ヤショダーラや息子ラーフラや他たくさんの弟子たちとともに80歳になるまで村から村へと歩いて周り、1人1人を苦しみから導くことや弟子になったも者たちを光明へと導きました。

ゴータマ・ブッダが最後に残した言葉は、

sammasatiサマサティ



花仙人

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