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花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

中心が定まる

タロット サマサティ osho
中心が定まる


中心(center)が定まるとはどういうことでしょうか?

外側の状況がなんであれ、それに振り回されず、ぶれない自分で在ること…というのはなんとなくわかるのですが…。


さて、今日は美しい娼婦が中心が定まる自分になりたいと思い導師(master)ゴータマ・ブッダ(お釈迦さま)の弟子になったお話のカードの絵とoshoが講話でお話してくれた1部をご紹介します。


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中心が定まったままでいることです。

他人の意見や、あなたをあちらこちらへと押しやる他人の企てに操られるのを自分に許してはいけません。他人のレベルに落ちてはいけません。
(これはカードの解説です。)

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以下はoshoの講話の1部です。


かつてゴータマ・ブッダの時代に、もっとも有名な美しい娼婦であるアムラパリが、仏教の僧に恋をしたことがあった…。彼女はそれまで1度も恋に落ちたことはなかった。

彼女は、彼に、仏教の僧たちが旅をやめる雨期の四ヶ月間、自分の家に泊まって欲しいと頼んだ。その僧は言った。

「私は導師(master)に聞いてみる。もし許してもくれたら、来ることにしよう。」

若い僧はゴータマ・ブッダにすべてを話した。

ゴータマ・ブッダは若い僧の目の中を見て言った。

「アムラパリの家に泊まってもよろしい。」

他の多くの僧たちはそれを聞いてショックを受けた。非常に静かだったが、非常に怒りや嫉妬がそこにはあった。

さあ、これはあんまりだった!
これは前にはけっして一度もなされたことがなかった。

弟子たちはみな怒った。

そして何カ月もの間、 アムラパリの家でなにが起こっているかという噂が大袈裟に行き渡った--あの僧はもう僧ではない、彼は堕落した、と。 

ゴータマ・ブッダは言った。

「静かにしなさい。私はあの弟子を信じている。

私は彼の目の中を見た、そこには欲望はなかった。

もし私がノーと言っても彼は何も感じなかっただろう。私はイエスと言った…彼はただ行っただけだ。

そして私は彼の覚醒を信じている、彼の瞑想の中に。

なぜお前たちはそんなに心をかき乱して心配をするのだ?」


四ヶ月たって、アムラパリとともにその僧が帰って来ると、ゴータマ・ブッダは彼らを見て言った。

「女よ、私になにか言うことがあるのか?」

彼女は言った。

「私はあなたに入信の儀式を行っていただくために来ました。

私はあなたの弟子を悩まそうとしました--失敗でした。 

これは私の初めての負けです。

私は男とならいつも成功してきました。でも、彼を悩ますことはできなかったのです、ほんの少しといえども。

私の中にも、どうしたらこの中心に定まっていることを達成できるのかという大きな欲望が湧いてきました。」

「彼は私といっしょに暮らしました。私は彼の前で踊りました。彼の前で歌いました。あらゆる方法で彼を誘おうとしました。

でも、彼はいつも彼自身のままでした。

私は彼を転向させようとしました--でも彼が私を転向させたのです、一言も話さずに。

彼が私をここに連れて来たのではありません。私は自分で来ました。

私は初めて尊厳とはなにかを知ったのです。私はそのアートを学びたいのです。」

彼女はゴータマ・ブッダの弟子となり、光明を得た女性の弟子の1人となった。

瞑想が深く、覚醒しているのならば、何一つとしてあなたを動揺(混乱)させることはできない。



彼は常に自分の足で歩く…

彼をあちらこちらと押しやる道はどこにもない。

彼は完全に彼自身のままだ。

非常に中心が定まって、自分の存在の中にしっかりと根を下ろしている。

人がトゥリヤ、四番目の境地を知ったら、その時には心の散漫はない。その時には人はどこでも生きることができる。

自分の生の外側の環境を変えようとしてはいけない。

自分の態度を変えようと試みなさい。
自分の内側の状態を変えるために外側の状況を使いなさい。 

外側の状況を変えるのはたいした変化ではない--本来の自分ではなく、偽りの自分でいることは自分自身と世界をだましていることになる。

本当の宗教は意識の状態を変えることで成り立っている。

より高いものを探し求めなさい。

ひとたびあなたが、そのより高いものが自分のエネルギーに届いたことを知ったら、より低いものはおのずと枯れ始める。

それが本当の宗教だ。



from osho talks
oshoの講話より
THE SUN RISES IN THE EVENING, pp.213-216 


from osho transformation tarot
osho transformation tarotより


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そしてoshoは中心に定まることでしか人間は真に満足はできないとも話しています。


『生への満足感 LIFE SATISFACTION』


自らの中心を見つけることなしに満足感を得ることは、不可能だ。

あなたは探求し続けることができるし、生の中で多くのことを見つけるだろう。

だが、なにひとつ満足させてはくれない。

欲望が成就される時、一瞬の幻想があるだけだ。一瞬あなたは気分がいい、だがほんの一瞬だけだ。

1つの欲望が消える時、
その場所には10個の欲望が生まれる。

再び騒動のすべてが始まり、再び刺激的な体験のすべてが始まる。そして、それは終わりのないプロセスだ。


自らの中心を見つけて初めて、そのプロセスは止まり、その車輪はもはや動かなくなる。

自らの中心に帰ってくることで、すべての欲求は消える--あなたは完全に満足する、永遠に。

それは一時的な満足ではない。
それは心の充足感、絶対的な心の充足感だ。

あなた自身の内側に帰ってくることが満足感を与える、間違いなく満足感を与えてくれる。


生におけるその他のすべては約束だ。
だが、ただ偽りの約束だ。

商品は決して配達されない。お金が、もしそれを持てばあなたは救われるだろうと、約束する。しかし、人びとがさらに金持ちになり続けても、幸福は決してやって来ない。

それは地平線のようにいつもそこにある--とても捕まえにくい。

関係性が、今すべてがうまくいっているようだし、永遠に幸せでいられるだろう、というアイデアをあなたに与える。しかしそれは決して起こらない。


自らの中心を見つけて初めて、満足感は起こる。


(Oshoの講話よりThe 99 Names of Nothingness, Talk #2)




アムラパリは娼婦の中でも高級娼婦でしたから、お金持ちがお客でした。

でも、はじめて一目見ただけで恋に落ちた男性は財産もお金もない僧でした。

アムラパリは娼婦という仮面をかぶって偽りの自分として生きていかなくてはなりませんでした。


偽りの自分(人格)という仮面をかぶって生きることは、
生まれ持った本来の自分(個性)を隠したり抑圧したりしなくてはならなくなります。

ですから、本来の自分で生きることができないことは人間にとっては苦しみとなります。


偽りの自分という仮面を捨て去り、
本来の自分で生きるということは、
中心が定まる生き方です。


前回ご紹介したゴータマ・ブッダも「本来の自分(個性)」を取り戻し「偽りの自分(人格)」を捨てるために宮殿を去り森の中へ入っていき、真理である「本来の自分」を「思い出し」たので、自分の中心が定まりました。

アムラパリは「本来の自分」に覚醒して中心が定まって生きているそのゴータマ・ブッダの弟子である若い僧を一目見ただけで恋に落ちました。多くの男性たちの中から彼を選びました。

人間は自分が奥深くで憧れている理想像を生きている人に対して強く惹かれることがあります。

アムラパリは偽りの自分という仮面を捨て去り、若い僧のような本来の自分に戻り中心が定まった生き方をしたかったのかもしれません。

アムラパリは四ヶ月間若い僧と一緒に暮らした中で自分が本当に求めているものは、中心が定まった自分になる、ということだと『気づき』ました。

若い僧はアムラパリに変化を求めて説得したわけではなく、ただありのままの「本来の自分」として生きただけです。


沈黙は言葉よりも多くを歪みなくそのままを伝えます。


アムラパリはゴータマ・ブッダに弟子入りをして、深く瞑想をし、エゴ(欲)やマインド(思考)や偽りの自分(人格)に「気づき」それらを「手放し」ていき、光明である「本来の自分」を「思い出し」真理を体感して理解しました。


偽りの自分でいることは、けっして自分に満足感を与えることはありません。

本来の自分であることだけが、中心が定まり、バランスがとれ安定し心地よく感じて満足感を与えます。


どんなにお金や物質や他人を持っていても、自分の心が満たされていなければ、欲(エゴ)はなくなることはありません。

欲しい、欲しいと思うエゴ(欲)の気持ちは自分自身を1番飢えさせ苦しめます。


人間は本来はみな至福で満たされていますが、エゴ(欲)があるとその至福感を忘れてしまいます。

自分は苦しいな、不幸だな、と少しでも思うならば、自分の内側にエゴがないか、内側を観照してみましょう。どんなエゴがあるのかな…?

それに「気づいた」時に、そのエゴを手放せます。

自分を飢えさせている苦しみがなくなります。


『自らの中心に帰ってくることで、すべての欲求は消える--あなたは完全に満足する、永遠に。

それは一時的な満足ではない。
それは心の充足感、絶対的な心の充足感だ。』


あなたは本当は至福で満たされています。

それを忘れているだけ…

自分の内側をよく観照したら、

「それ」は思い出せるから…

ゴータマ・ブッダが最後に残した言葉は、

sammasatiサマサティ(正しく想起する  right remembrance)



花仙人
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