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花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

欲望 desire

サマサティ タロット osho
欲望 desire


昨日も少しお話しましたが、

「本来の自分(個性)」である時、人間は至福で満たされています。

しかし、

「偽りの自分(人格)」の仮面かぶっている時、人間は不快に感じて満足感がないため、それを満たそうとしてエゴ(欲)が生まれます。

どんなにお金や物質や他人を持っていても、自分の心が満たされていなければ、欲(エゴ)はなくなることはありません。

欲しい、欲しいと思うエゴ(欲)の気持ちは自分自身を1番飢えさせ苦しめます。

oshoは話します。

『欲望が成就される時、一瞬の幻想があるだけだ。一瞬あなたは気分がいい、だがほんの一瞬だけだ。

1つの欲望が消える時、
その場所には10個の欲望が生まれる。

再び騒動のすべてが始まり、再び刺激的な体験のすべてが始まる。そして、それは終わりのないプロセスだ。』

エゴ(欲)を持ち続ける限り、自分を飢えという苦しみから救うことはできません。


さて、今日はスーフィーのある有名なお話のカードの絵とoshoが講話でお話してくれた1部をご紹介します。


*  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  


あなたを幸せにしてくれるものを、あなたの外側に探し求めるのをやめるときです。

自分の内側を見なさい。
(これはカードの解説です。)

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以下はoshoの講話の1部です。


とても有名なスーフィーの物語がある。

ある皇帝が、宮廷から朝の散歩に出たところで、乞食に出会った。彼はその乞食にたずねた。

「お前はなにが欲しいのかね?」

乞食は笑って言った。

「お前はまるで私の欲望を満たすことができるかのようにたずねるのだな!」

王は気を悪くした。彼は言った。

「もちろん私はお前の欲望を満たすことができる。なにが望みなのか?私に言ってみるがいい。」

ところが乞食は言った。

「なにかを約束する前に、もう一度考えるがいい。」

その乞食は普通の乞食ではなかった。
彼は皇帝の過去生(前世)での導師(master)だった。そして彼はその生で約束をしていた。

「私は、 お前の次の生に現れて、お前を目覚め(覚醒または光明)させてみよう。この生をお前は見逃した。だが私はもう一度来ることにしよう。」

だが皇帝は完全に忘れていた--

誰が過去生を覚えているだろう?

そこで彼は強く言った。

「お前が求めるものならなんでも私はかなえてやろう。私は非常に力のある皇帝だ。お前に求めることのできるもので、私が与えられないものなどがありえようか?」

乞食は言った。

「とてもシンプルな欲望だ。ここに乞食椀があるだろう?それをなにかで満たすことができるかね?」

皇帝は言った。

「もちろんだ!」

彼は大臣の1人を呼んで、彼に告げた。

「この男の乞食椀を金でいっぱいにするがいい。」

大臣はいくらか金をもってきて、それを椀に注ぎ入れた…すると、それは消えてしまった。

彼はさらにさらに注いだが、 注ぎ入れるやいなや、消えてしまう。そして乞食椀は常に空のままだった。

宮廷中が集まってきた。やがて噂が都中に広まって、大群衆が集まった。皇帝の名声は危うくなった。彼は大臣に言った。

「王国全体が失われることになっても、私にはそれを失う用意がある。だがこの乞食に負けるわけにはゆかないのだ。」

ダイヤモンドや真珠やエメラルド…彼の財宝は空になろうとしていた。

その乞食椀は底なしのように思われた。その中に入れられたものはなんでも--なんでもだ!--すぐに消えてしまった。存在からかき消えた。

ついに日が暮れて、それでも人々はまったく沈黙してそこに立ちつくしていた。

王は乞食の足下に崩れ落ち、自分の負けを認めた。彼は言った。

「あなたの警告を聞かなかった私をお許しくださる前に、1つだけ教えてください。--この乞食椀の秘密はなんですか?」

乞食は笑って言った。

「秘密はなにもない。その乞食椀は人間の頭蓋骨を磨いて乞食椀のようにしただけだ。何でもそれに入れたらまたすぐに消え去るだけだ。

それは人間のマインドから出来ている。秘密はなにもない…人間の欲望で出来ているだけだ。」


この物語はとても意義深い。

この理解が生を変容させる。

1つの欲望に入っていくがいい--そのメカニズムはなんだろう?

最初は大変な興奮がある。大変なスリル、冒険が。あなたはすさまじい刺激を感じる。なにかが起ころうとしている。あなたはその瀬戸際にいる。 

そしてあなたは車を手に入れる、
ヨットを手に入れる、
家を手に入れる、
女性(男性)を手に入れる、


そして突然、すべてが再び無意味だ。 

なにが起こったのだろう?

あなたのマインドがそれを物質ではなくしたのだ。

車は車道に止めてある。だがもはや興奮はない。興奮はそれを手に入れることにしかなかった…

あなたはあまりにも欲望に酔ってしまったために、自分の内なる無を忘れた。

今…その欲望は満たされた。

車道に止めてある車、
あなたのベッドにいる女性(男性)、
あなたの銀行口座にある金--

またしても興奮が消える。

再び無がそこにある。

あなたを食べつくそうと待ち構えている。再びあなたは、この大きく口を開けている奈落から逃げるための、別の欲望を創らなければならない。

そうやって人は、ある欲望から別の欲望へと動きつづける。

そうやって人は乞食のままでいる。

あなたの生全体が繰り返し繰り返しそれを証明する--あらゆる欲望は挫折する。

そしてゴールが達成されると、あなたは別の欲望を必要とする。

欲望というもの自体失敗に終わるものだとあなたが理解する日、あなたの生における変わり目が来る。

もう1つの旅は内的だ。
内側に向かうがいい、
家(home=中心)に帰るがいい。



from osho talks
oshoの講話より
ZEN : THE PATH OF PARADOX, Vol.2, pp.208-220 


from osho transformation tarot
osho transformation tarotより


*  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  


『自らの中心(home=源泉=本来の自分)を見つけることなしに満足感を得ることは、不可能だ。

あなたは探求し続けることができるし、生の中で多くのことを見つけるだろう。

だが、なにひとつ満足させてはくれない。

欲望が成就される時、一瞬の幻想があるだけだ。一瞬あなたは気分がいい、だがほんの一瞬だけだ。

1つの欲望が消える時、
その場所には10個の欲望が生まれる。

再び騒動のすべてが始まり、再び刺激的な体験のすべてが始まる。そして、それは終わりのないプロセスだ。


自らの中心を見つけて初めて、そのプロセスは止まり、その車輪はもはや動かなくなる。

自らの中心に帰ってくることで、すべての欲求は消える--あなたは完全に満足する、永遠に。

それは一時的な満足ではない。
それは心の充足感、絶対的な心の充足感だ。

あなた自身の内側に帰ってくることが満足感を与える、間違いなく満足感を与えてくれる。』

(Oshoの講話よりThe 99 Names of Nothingness, Talk #2)


どんなにお金や物質や他人を手に入れても、心が満たされず、欲しい欲しいと思い続けることが乞食であり、

お金がたくさんなく経済的に貧しくあっても、心が満たされていれば豊かなんですね。

このお話の中の
皇帝の心は乞食であり、
乞食の心は皇帝(豊か)です。


欲しい、欲しいと思うエゴ(欲)の気持ちは自分自身を1番飢えさせ苦しめます。

エゴ(欲)を持ち続ける限り、自分を飢えという苦しみから救うことはできません。


そしてoshoは話します。


『マインドは欲望(エゴ)の中だけに存在する。

欲望(エゴ)があなたの中からなくなったら、マインドは直ちに死んでなくなってしまう。

それが瞑想の全ての秘密だ。』


『外側の旅はあなたのエゴを満たすことはできない。

もう1つの旅は内的だ。
内側に向かうがいい、
家(home=中心)に帰るがいい。

自らの中心(home=源泉=本来の自分)に帰ってくることで、すべての欲(エゴ)は消える--あなたは完全に満足する、永遠に。

それは一時的な満足ではない。
それは心の充足感、絶対的な心の充足感だ。』


なるほど。またまたエゴ(欲)とマインド(思考)について理解できました。


エゴやマインドがあるからといってそれを持っている自分に罪悪感を感じる必要はありません。それよりも大切なことは、自分のエゴやマインドに『気づく』ことです(-_^)


瞑想は自分の内側を観照し自分のマインドやエゴに『気づく』ための一つのツールです。

自分が何に飢えていて、欲しいものが手に入らない苦しみがあるのか?というエゴ(欲)に『気づき』、

エゴ(欲)に『気づいたら』、なぜそのエゴ(欲)に自分が執着しているのかに『気づき』『理解』できた時、

自然とそのエゴ(欲)から手を放せ未練なく『手放す』ことができます。

エゴ(欲)はマインド(思考)が作った幻想ですから、幻想(空想)は考えなければはじめから存在しないのでふっと一瞬で消えてなくなります。


欲しい欲しいのエゴ(欲)はそれに『気づき』『理解』することにより『手放せ』るもので、欲しいものが手に入らない苦しみから自分を解放することは可能なんですね。


自分の内側にあるマインドやエゴがなくなっていき、空っぽになった時に、ふと、「本来の自分=中心=源泉(お臍のあたりにある)=真理」を体感して『思い出し』ます。


このように自分の内側を観照することは難しいことではなく、誰にでもすぐにできるシンプルなものです。


瞑想だからといって、特別に足を組んで坐る必要はなく、いつでもどこでも自分の内側を観照することはできます。



oshoの講話を聞いたり読んだりすると、自分の内側にあるマインドやエゴに『気づく』ことが多くなります。

知識(マインド)をあらたに頭の中に詰め込む聞き方や読み方ではまたマインドやエゴでいっぱいになってしまいますから、

自分の内側にあるマインドやエゴに気づき手放すための瞑想のように聞いたり読まれたりすると内側が空っぽになっていきます。


oshoの講話はただ聞いているだけで、何も考えられなくなり、講話が終わるころには内側が空っぽになります。聞く瞑想のようです。


『自らの中心(home=源泉=本来の自分)に帰ってくることで、すべての欲(エゴ)は消える--あなたは完全に満足する、永遠に。

それは一時的な満足ではない。
それは心の充足感、絶対的な心の充足感だ。』


苦しみの原因であるマインドやエゴがなくなり、
内側が空っぽになると、
「本来の自分」を思い出す。


sammasatiサマサティ(正しく想起する  right remembrance)


花仙人
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