花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

強欲を超える beyond greed

強欲を超える

greed and beyond greed


欲しい、欲しいと思うエゴ(欲)の気持ちは自分自身を1番飢えさせ苦しめます。

oshoは話します。

『欲望が成就される時、一瞬の幻想があるだけだ。一瞬あなたは気分がいい、だがほんの一瞬だけだ。

1つの欲望が消える時、
その場所には10個の欲望が生まれる。

再び騒動のすべてが始まり、再び刺激的な体験のすべてが始まる。そして、それは終わりのないプロセスだ。』

エゴ(欲)を持ち続ける限り、自分を飢えという苦しみから救うことはできません。


さて、今日はヒンドゥーのある有名なお話の2枚のカードの絵とoshoが講話でお話してくれた1部をご紹介します。


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greed-強欲
あなたのマインドとその強欲さ、そして信頼の不足に気をつけなさい。強欲が変容される機会は覚醒を通して訪れます。 

beyond greed-強欲を超える
なにが与えられていようとも、それは絶対に正しいのだという信頼に向けて、自分の覚醒の向きをポジティヴな方向に変えましょう。そしてこの信頼の中から、自分自身が感謝に満ちて踊るのを許すことです。


人間が強欲になる時、彼らはとても急いでいる。そしてスピードを出せる道を探している。彼らはずーと走りつづける、なぜならば、彼らは人生とは走り通すことだと思っているからだ。

このような人々は言う、「時は金なり。」

時は金なり?

お金は限界がある、
時間は無限だ。

時間はお金ではない、時間は永遠だ--それはいつも在ったしこれからもいつも在る。

そして、あなたはいつもここにいたしこれからもここにいる。

だから、強欲を落としなさい。そして結果を気にしないことだ。

あなたの気短さによって強欲は時々起こる、それによりあなたはたくさんのことを見逃す。
(これはカードの解説です。)

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以下はoshoの講話の1部です。


あなたがたに古くからあるヒンドゥーの寓話をお話しよう。

インドの偉大な聖人、ナラダは、神に会いに楽園へ行こうとしていた。彼はいつも楽園と地球の間の旅をしていた。彼は郵便屋さんのようにあちらの世界とこちらの世界の間の橋のような役割をしていた。ヴィーナを奏でながら森を過ぎてゆくと、彼は古くからあるセージの樹の下に坐ってマントラを唱えている老人に出会った。老人は長い年月、何生にも渡ってマントラを唱えてきた。

ナダラは老人にたずねた。

「神に何か伝えるメッセージはあるかい?」

老人は目を開けて言った。

「私からの質問を1つ、神に尋ねてみてください。

あとどのくらい私は待たなくてはならないのでしょうか?

神にこれは長すぎると伝えてください。

私は三生にわたってこのマントラを唱えています。

そこで、あとどのくらいの努力が必要なのか、私の解放(光明)はいつ起こるのでしょうか?と。」


ナラダは笑って言った。

「オーケー。」

さらに歩いてゆくと、彼は、別の古くからあるセージの樹の下でエクターラをもって踊り、歌っている若者を見つけた。ナラダは彼に冗談のつもりでたずねた。

「君も光明enlightenmentを得るまでにあとどのくらいかかるのか尋ねて欲しいかい?」

しかし、若者は何も聞かなかったかのように答ることなく、踊りつづけた。

ナラダはもう一度たずねた。

「神に会いにいくのだが、何かメッセージはあるかい?」

しかし、若者はただ笑って踊りつづけた。

二、三日してナラダは帰ってきて彼は老人に伝えた。

「神に聞いてきた。彼はさらに三生は最低待たなくてはならないと言っていたよ。」 

老人は怒り狂った。自分の数珠を、自分の聖典に投げつけた。彼は言った。

「これはばかげている!私は何生にも渡って待って待って待ちつづけて、あらゆる禁欲生活の努力をしてきた…マントラを唱えたり、断食をしたり、全ての宗教儀式を…

さらに三生とは…不公平だ!」

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ナラダは若者のところに行った。彼はまたしても樹の下でとても楽しそうに踊っていた。ナラダは言った。

「君は尋ねなかったけれど、私の好奇心により君のことも神に尋ねてきた。でも今となっては君に伝えたものかどうか…。あの老人の怒りを見て、私は言い出しかねている。」

若者はなにも言わなかった。彼はエクターラを弾きながら踊りつづけていた。ナラダは彼に伝えた。

「私が尋ねたら、神はこう言った。

『その若者…彼は光明を得ることを待たなくてはならない、その下で踊っている樹についている葉の数と同じだけ生まれてこなければならない。と』」

すると、若者はさらにもまして速く踊り始めた。若者は言った。

「この樹の葉の数だけでいいの?ならばそれはそんなに遠くはないな、それから私はすでに到着している!考えてみてもごらん、地球中にはたくさんの樹々があるんだよ。それと比較してごらん、もうすぐだ。神に尋ねてくれてありがとう。」

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若者は再び踊りはじめた。

そしてその若者は、まさにその瞬間に光明enlightenmentを得たと言われている。



もし信頼がそれほどまでにトータルだったら時間は必要ない。

もし信頼がなかったら三生ですら充分ではない。

そしてこれは私の感触だが、その老人は今でもどこかそのあたりにいるにちがいない。

そのようなマインドは解放されえない。

そのようなマインドこそ地獄だ。



from osho talks
oshoの講話より
THE PERFECT MASTER, Vol.2


from osho transformation tarot
osho transformation tarotより


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『そのようなマインドこそ地獄だ。』

欲しい、欲しいと思うエゴ(欲)の気持ちは自分自身を1番飢えさせ苦しめます。

oshoは話します。

『欲望が成就される時、一瞬の幻想があるだけだ。一瞬あなたは気分がいい、だがほんの一瞬だけだ。

1つの欲望が消える時、
その場所には10個の欲望が生まれる。

再び騒動のすべてが始まり、再び刺激的な体験のすべてが始まる。そして、それは終わりのないプロセスだ。』

『そのようなマインドは解放されえない。』

エゴ(欲)を満たそうとするマインド(思考)は終わりのないプロセスであり、

エゴ(欲)を持ち続ける限り、自分を飢えという苦しみから救うことはできないという仕組みです。

『マインドは欲望(エゴ)の中だけに存在する。

欲望(エゴ)があなたの中からなくなったら、マインドは直ちに死んでなくなってしまう。

それが瞑想の全ての秘密だ。

内側に向かうがいい、
家(home=中心)に帰るがいい。

自らの中心(home=源泉=本来の自分)に帰ってくることで、すべての欲(エゴ)は消える--あなたは完全に満足する、永遠に。

それは一時的な満足ではない。
それは心の充足感、絶対的な心の充足感だ。』


このお話の中の樹の下に座っている老人は何生にも渡り、光明enlightenmentを得るためにはこれをしなさい、と言われた宗教儀式をやり続けました。

しかし、老人は光明を得ることはできなくて、さらにあと三生も生きなくては得ることはできないと神さまに言われ怒りました。

この老人にとっては、あらゆる宗教儀式が苦痛だったのですね。

苦痛と感じるのは、この老人にはこの宗教儀式での光明を得るやり方が合わない、ということになります。

同じやり方でも、その宗教儀式を信頼してワクワク楽しみながらトータルにできれば、それはその人に合った光明を得るやり方であり、oshoがお話するように、時間は必要なく光明を得ることができます。

それに、この老人には、光明を早く得たい、という焦りとエゴ(欲)がありました。

光明の状態は焦りやエゴ(欲)やマインド(思考)が全くない空っぽな状態ですから、この老人が自分の内側にあるその焦りやエゴやマインドに『気づく』ことができ、それを『手放す』ことができなければ、光明の状態を『思い出す』ことはいつまでたってもできません。


ただマントラを繰り返し唱えても、
断食を繰り返しても、
禁欲生活を送っていても、


マントラを繰り返したくない、
お腹が空いた断食をやめて食べたい、
本当はセックスをしたい、


などなどの本当の気持ちを無理やり抑圧して隠しながら続ける宗教儀式は、エゴ(欲)をさらに強めることになるばかりで、光明からは遠ざかるばかりになってしまいます。


この老人は、
聖人のようになりたい、というエゴ(欲)があり、
聖人のようである、という偽りの仮面(人格)をかぶり、
本来の自分(個性)を忘れて見失っている状態です。


エゴやマインドがあると、本来の自分を忘れてしまい、人格と個性の違いが老人を苦しめています。


もし、この老人が自身の行っている宗教儀式をどうしても心地悪く感じ楽しめなくて、自分に合わず苦痛ならば、自分に合ったやり方を見つける方が光明な状態を『思い出し』やすいかも?しれません。


たとえば、
別の樹の下で楽しく踊っていた若者のように。

光明な状態の「本来の自分」は、偽りの自分を演じる必要はないため、ありのままの自然体の自分でいられます。

それは無理がなく、緊張感もなく、ネガティブな感情やエゴやマインドのない、リラックスした心地よい状態です。

ですから、若者のように、自分が1番楽しいな〜と感じることを、部分的にではなく、トータルにする時、

たとえば、若者のように、ダンスをトータルにする、それは「ダンスをする人」ではなく自分をも忘れ「ダンスそのものになる」時、それが光明の状態であるとoshoやゴータマ・ブッダや他多くの導師たちは言います。

歌を歌う人、ではなく、歌そのものになる
絵を描く人、ではなく、絵そのものになる
走る人、ではなく、走るそのものになる

トータルになる時、


そこに苦痛はありません。
ただ、心地よく楽しくあります。


老人の場合は苦痛ばかりがありました。
若者の場合は楽しくありました。


どちらが光明な状態に近いか?といったら、若者の状態の方が光明(本来の自分)に近いのはわかりますよね(-_^)


宗教儀式をしてはいけない、というお話をしているのではなく、その宗教儀式を心地よく感じて信頼してトータルに楽しめるなら光明を得るかもしれません。それがただ苦痛であっては、光明を得ることにはならず、苦痛が強まるばかりというお話です。


ゴータマ・ブッダはあらゆる苦行をした後、

○苦行ではないことを悟り、
また、
○ただ怠ける楽なことでもないことを悟り、

そのどちらの両極に偏ることなく、

○その両極の真ん中(中心、中庸)であることがバランスがとれて心も体も安定した心地よい状態であることを悟り、

再びリラックスをして菩提樹の下に座っていた時に光明を得ました。


そこに苦痛はありません。
ただ、心地よくあります。


光明を得る得ないは横においといて…


欲しい、欲しいと思う強いエゴ(欲)の気持ちは自分自身を1番飢えさせ苦しめます。

エゴ(欲)を満たそうとするマインド(思考)は終わりのないプロセスであり、

エゴ(欲)を持ち続ける限り、自分を飢えという苦しみから救うことはできないという仕組みです。


若者は光明を得るということに対するエゴさえありません。

ただただ楽しく踊っていることが、彼にとっては「本来の自分」らしくいられて心地よい状態なのですね。

彼は神さまからのメッセージを受け取り感謝の気持ちでいっぱいになりました!

その瞬間に若者は光明を得ました。


光明「本来の自分(中心)」を『思い出す』には、時間は必要はなく、

それを『思い出す』時は、愛と感謝で内側が100%いっぱいな時に、一瞬で起こります。



なぜならば、光明(本来の自分)の状態とは愛(と感謝)だけの100%のエネルギーだからです。



ですから、エゴやマインドが全くない愛100%の時に光明の状態の自分を思い出しやすいのですね(-_^)


瞑想が苦痛で苦手な人は、それは自分にあった光明(本来の自分)を『思い出す』やり方ではないのかも?しれません。

全てを許し、愛と感謝100%内側がいっぱいになることが得意な人は、もしかしたらそちらのやり方の方が光明(本来の自分)を『思い出す』やり方なのかも?しれません。

本来の自分は愛100%なのだから、その状態になるのはみんなの得意なことなのですから、難しくはありません(-_^)

本当は誰にでも一瞬でできてしまうこと(-_^)


愛100%や感謝100%になれない原因はエゴやマインドが内側にあるから…。


このお話の中の老人が苦行をやめて、若者のようにダンスをしたら、自分を忘れるほどダンスそのものになって楽しんだら、もしかしたらもしかすると、三生もまたずに一瞬で光明を思い出すかも?しれませんね。


なんにしても、欲(エゴ)やマインド(思考)が自分自身を苦しめている原因であることはよくわかりました(-_^)


oshoは苦しみの原因であるエゴやマインドにみんなが『気づき』やすいように、と思って本にしたら650冊になるほど、講話を話し続けました。

その1部をこのブログでカードの絵と一緒にご紹介しています。

知識(マインド)を詰め込むように読むのではなく、自分の内側にあるマインドやエゴに『気づく』ための読む瞑想です(-_^)


そして、マインドやエゴを持っていることに罪悪感や劣等感を持つ必要はありません。大切なことはマインドとエゴに『気づく』ことです。


oshoは瞑想を勧めていますが、瞑想を苦行のように思わないように、とも話しています。

oshoは楽しいことが大好きです。
ダンスや歌ったり、笑うことが大好きです。

oshoはみんなが楽しく笑うことが大好きです。

oshoは瞑想と愛の両方を大切に思ってお話しています。


苦しいな…と思ったら内側を観照する瞑想は苦しみを解放する助けにはなりますが、楽しいこともたくさん自分にしてあげてくださいね( ´ ▽ ` )ノ

自分なりの楽しみ方でいいのです。
他人にあわせる必要はありません(-_^)


苦しみだけでなく、
楽しいことも。


いつもいつもどちらかだけに偏り続ける生き方ではなく、バランスよく生きてもいいのだから(-_^)


無理のない生き方を工夫することは自分を愛することです。


瞑想と愛 (^-^)  meditation & love


sammasatiサマサティ(正しく想起する  right remembrance)



花仙人