花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

献身(ミーラの愛のお話)

献身(ミーラの愛のお話)


前回のカードの禅の尼僧の千代能のように、瞑想によってマインド(思考)とエゴ(欲)に気づきそれらを手放して空っぽになり光明を得る人達もいます。ゴータマ・ブッダのような瞑想の道のタイプです。

oshoはもう一つのタイプがあると話しています。愛により完全に自分の全てを存在(神)に明け渡すタイプです。愛の道のタイプです。

これは依存とは違います。依存とは、神から愛を与えて欲しい人のことです。エゴ(欲)があります。

明け渡すというのは、自分の全てを相手に与える愛のことです。見返りを一切求めない与える愛のことです。エゴ(欲)がありません。


と言ってもわかりにくいですよねσ(^_^;)

瞑想の道…愛の道…

ですから、
今日はそんな明け渡すタイプであるクリシュナ(神)を愛したインドで有名な女王ミーラのお話のカードの絵とoshoが講話でお話してくれた1部をご紹介します。


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可能な愛のもっとも深い強烈さのなかに全面的に入っていきなさい。それを、あなた自身の中にある、神性へ向かう開き口にしなさい。男性も女性も、自分の女性的なエネルギーが流れるのを許しなさい。
(これはカードの解説です。)

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以下はoshoの講話の1部です。


あなたはイエスが「神は愛だ。」と言ったのを知っている。

もしそれが女性によって書かれたら彼女はこう書くだろう「愛は神です。」神は2番目にくる、それは心理的な仮説だ。しかし、愛はすべてのハートの中で高鳴る真実だ。

ミーラのような人々と出会ったことがあるだろう…。

だが、とても勇気ある女性だけが抑圧的な社会のシステムから出てくることを成し遂げることができる。

ミーラは成し遂げることができた、なぜなら彼女は女王だったからだ。

ミーラ、インドの女性神秘家は、ほんとうに狂った帰依者、" バクタ " だった。クリシュナ(神)との途方もない愛とエクスタシーの中にいた。

彼女は女王だったが、通りで踊り出した。家族は彼女を勘当して、毒殺しようとした。王家の家族にとって、彼女は恥さらしだったからだ。

とりわけインドの中で、そこは国のもっとも因習的な地域の1つ、ラジャスタンだった。そこでは何世紀もの間、 女性はとても抑圧され、誰も女性の顔を見たことがなかった。女性の顔は覆われていたのだ。常に覆われていた。

当時、 それほどにもばかげた環境の中で、女王が通りで踊り出した。群衆が集まった。ところが、 彼女は神性であまりにも酔っていたために、彼女の " サリー " はずり落ち、彼女の顔はあらわになり、彼女の手は剥き出しになったものだ。家族は明らかに、非常にあわてた。

だが彼女はすばらしい唄を、世界中でかつて歌われたことがないようなすばらしい唄を歌った。それらは彼女のハートそのものから来ていたからだ。それらは自然に起こる発露だった。 彼女は夫に言った。

「いつまでも自分が夫だとは、信じ続けないでください--私の夫はクリシュナ(神)です。あなたは哀れな代用品にすぎません。」

王は非常に怒った。彼は王国から彼女を追放した。

彼女はマトゥラに、クリシュナの場所に行った。そこにはクリシュナのもっとも偉大な寺院の1つがある。

その寺院の首席僧侶は、生涯どのような女性も見ないという誓いを立てていた。 三十年間、彼はどのような女性も見ていなかった。女性は誰もその寺院に入るの許されていなかったし、彼は一度も寺院を空けたことがなかった。 

ミーラはそこに着いて、寺院の門のところで踊った。門番たちはあまりにも魅せられ、引きつけられたために、彼女を遮るのを忘れた。彼女は寺院に入った。彼女はこの三十年間でそこに入った最初の女性だった。


首席僧侶はクリシュナを礼拝していた。彼はミーラを見て、自分の目が信じられなかった。彼は狂っていた。彼は彼女に向かって叫んだ。

「ここから出て行け!女、ここから出て行くんだ!ここでは女は許されていないのを知らないのか?」

 ミーラは笑って行った。

「私が知るかぎりでは、神を除くすべての人が女です--あなたもよ!クリシュナを三十年礼拝していて、それでもまだあなたは自分が男だとでも思うの?」

それは首席僧侶の目を開かせた。
彼はミーラの足もとに崩れ落ち、こう言った。

「そのようなことを言った人はこれまで1人りもありません。でも私にはわかります、私は感じることができます--それは真実です。」

もっとも高い頂きでは、
愛の道に従おうと、
あるいは瞑想の道に従おうと、
あなたは女性的になる。


from osho talks
oshoの講話より
THE BOOK OF THE BOOKS, Vol.5, Discourse 10



ミーラの愛は、完璧な人間の愛だ。

彼女に必要なものはなにもない。

彼女はクリシュナ(神)からはなにも望んでいない。

彼女はただ与えつづける。

彼女には歌う唄がある--彼女は歌う。
彼女には踊るダンスがある--彼女は踊る。

彼女には得るものはなにもない、彼女は与えるだけだ。

それなのに彼女は千倍も受け取る--それは別のことがらだ。 


もしミーラになりたかったら、まずあなたは人間的な愛の必要を満たさなければならない。さもなければ、あなたのクリシュナはあなたの想像、抑圧された欲望の投影にすぎなくなる。

人間の限界を覚えておくがいい。

そして、あなたの限界を覚えておくことだ。

そして、愛がどのような種類であれ可能であれば、その中に入って行くがいい。

不可能なことを欲しがってはいけない。さもなければ、あなたは可能なものでさえ 見逃す。

可能なものの中を通って行きなさい。
可能なものを終わらせなさい。

あなたの存在が満たされてそこから出てくるようにしなさい、そうすれば不可能なことも起こりうる。あなたに能力がそなわったのだ。

まず、
人間の愛と喜びと、
人間の愛の惨めさを通り抜けることだ。

それを通して自分を成熟させるがいい。


from osho talks
oshoの講話より
SUFIS : THE PEOPLE OF THE PATH, Vol.2, pp.87-88 


from osho transformation tarot
osho transformation tarotより


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『もっとも高い頂きでは、
愛の道に従おうと、
あるいは瞑想の道に従おうと、
あなたは女性的になる。』

女性的ってなんでしょうか?
oshoはこう話しています。


『女性的な質』

もっと女性的に、もっと柔らかく、繊細になるがいい。

あなたのエゴは面倒を作り出そうとしている。あなたのエゴは

「強くあれ、男性的であれ、あれこれであれ……」

とあなたに言っている。

そんな男性至上主義的振る舞いを続けるのはやめなさい――それを忘れるがいい。

くつろぎなさい。

自然に起こることは何であれ美しい。

この女性的な質は、取り込まれなければならない。それは弱さではない。繊細さだ。

あなたが弱さだと考えているものは、柔らかさだ。

「弱さ」という言葉を用いることは、それを判断することだ。あなたのエゴがそれを判断し、非難している--何かが間違っている、あなたは弱くなっている、と。

エゴはいつも、柔らかさを弱さだと考える。

それ故に昔から、女性はより弱い性別だと考えられてきた。それは真実ではない、単なる偽りだ。

「弱さ」という言葉を落とすがいい--それをただ、柔らかさ、女性的な質と呼び、許しなさい。それは美しい!


FEMININITY

Become more feminine, more soft and delicate. Your ego is trying to create trouble. Your ego is saying to you, "Be strong, be masculine, be this and that." Don´t go on that male chauvinistic trip - forget about it. Relax. Whatsoever is coming naturally is beautiful. This femininity has to be absorbed. It is not weakness; it is delicateness. It is softness that you are thinking to be weakness. To use the word "weakness" is to evaluate it. Your ego is evaluating it, condemning it - that this is something wrong, you are becoming weak. Ego always thinks of softness as weakness. That´s why women down the ages have been thought to be the weaker sex. It is not true; it is just false. Drop that word "weakness" - simply call it softness, femininity, and allow it. It is beautiful!


from osho talks
oshoの講話より
The 99 Names of Nothingness, Talk #2 
This title is not available at Osho's request


そして、こう話しています。


『神(存在)があなたに到達できるのは、あなたが「受け身=女性的」の状態の時だけだ。

あなたが陰に、受け身になった時に、扉が開かれている。そして、あなたは待つ。

聴くことは、受け身になるためのアートだ。

聴くことは、神(存在)の寺院に入るためのもっとも基本的な秘密の1つだ。

聴くことは、受け身であることを意味する。

聴くことは、自分の内側を空っぽにして聴くということだ。マインドやエゴなどがあり自意識が過剰だったら、あなたは聴いている振りをするだけだ--聴いてはいない。

聴いている時は、あなたはまさに通路、受け身、受容性、子宮になる。女性的になるのだ。そして、行き着くためには、人は女性的にならなければならない。

男性的な、攻撃的な侵略者、征服者として神(存在)に到達することはできない。

あなたが神(存在)に到達できるのは(光明を得る=本来の自分を思い出す)、ただ……あるいは、こう言った方がいいだろう--

神(存在)があなたに到達できるのは、あなたが受け身、女性的な受け身の状態の時だけだ。

あなたが陰に、受け身になった時に、扉が開かれている。そして、あなたは待つ。』

(osho zen tarot 受容性より抜粋)



人間は男性も女性もともに、1人の内側に男性的な質と女性的な質を持っています。

心理学ではこれを男性性と女性性とよんでいます。

男性だからといって男性的な質が女性的な質よりも多いか、と言ったらそうでもないのです。それは個人の性格にもよります。

女性も同じです。女性だからといって女性的な質が男性的な質よりも多いか、という絶対的なものはありません。

男性も女性も自分の内側にある、男性的な質と女性的な質の陰陽の質の両方を持っています。

この男性的な質と女性的な質が1人の内側でバランスよく50%と50%だと、安定した心の状態であるといわれています。

どちらかに偏っていることは、バランスが崩れた状態であるということです。


しかし、世の中は、男性には男性的な質を高めるように教え、女性には女性的な質を高めるように教えてきました。それは、どちらかに偏ってしまうバランスが崩れた不安定な状態になるものです。

その結果、
男性は外へと向かうエネルギーが働き攻撃的になり支配的になり、
女性は抑圧され支配される側になり肉体も心も自由を失いました。

そして、女性を支配することで男性も自由を失いました。

この問題に苦しんでいる人々はとても多くいます。


この問題を解決するには、
男性的な質と女性的な質が1人の内側でバランスよく50%と50%となり、心が依存せず自立し、安定した心の状態になればよいだけです。シンプルです。


真理とはいつもシンプルです。
複雑ではありません。


複雑にさせているのはマインドやエゴです。


『もっとも高い頂きでは、
愛の道に従おうと、
あるいは瞑想の道に従おうと、
あなたは女性的になる。』


ミーラは神(存在)以外はみな男性であれ女性であれ女性的で受け身である、と話しました。


「宇宙の全ての存在と一つである」ことを体感するには、攻撃的で愛はいらないと反発していては存在からの無限に流れてくる愛のエネルギーを受け取ることはできません。

自分の内側がマインド(思考)やエゴ(欲)でいっぱいで溢れている時は、どんなに周り全てから愛が流れてきていても、それを受け取れるスペースがなくては自分の内側には入ってはきません。

愛を受け取るためには、
まず、自分の内側を空っぽな状態にする必要があり、
攻撃的に反発するのをやめて、
受け身になり待つ姿勢が必要となります。

自分の内側がマインドやエゴもなく空っぽな状態とは、自分の内側が愛でいっぱいな状態です。

ですから、
ミーラのように内側が空っぽで、愛が欲しいというマインドやエゴが全くない、愛だけである時にしか、存在(神)からの愛を受け取ることができないのですね。


存在(神)は愛だけのエネルギーです。
自分の内側が空っぽで愛である時、自分が存在と同じ愛だけのエネルギー100%ですから、自分と存在全ては一つとなる体感が起こります。

その体感を1度思い出したら、一生忘れません。

その愛の状態のままずーと生きていきます。


ミーラは瞑想ではなく、愛100%になることにより、存在全てと一つの「本来の自分=光明」を「思い出し」ました。


前回の千代能は瞑想により「本来の自分=光明」を「思い出し」ました。


どちらのタイプが正しいとか間違っているとかではありません。個人の個性にあったやり方がある、というお話です。


外側へと向かうエネルギーは男性的な質です。
内側へと向かうエネルギーは女性的な質です。

内側にある「本来の自分=源泉」を「思い出す」ためには、外側ではなく、内側に入る必要がありますから、受け身の女性的な質を弱さと判断して拒否していると、なかなか内側に入っていくことができず、なかなか「本来の自分」であるお臍のあたりにある源泉を「思い出す」ことができない、というシンプルなお話です。


光明を得るためには、瞑想であれ愛の道であれ、女性的な質を受け入れる必要があるのですね。


とてもわかりやすいお話でした(^-^)


瞑想と愛 (^-^)  meditation & love


sammasatiサマサティ(正しく想起する  right remembrance)



花仙人