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花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

偉大なオーガズム:マハムドラー

偉大なオーガズム:マハムドラー


人間社会は「死」と「セックス」のテーマに関しては長年避けてきました。

oshoは講話でこう話します。

『死とセックスの回避ゆえに、
死とセックスの非常な無知が存在し、

その無知ゆえに、
二つのタイプの人間が現れた。

①狂ったように耽溺する者
②非常に嫌悪して逃避する者

死とセックスは、溺れるのでも、避けるのでもなく、理解されなくてはならない。』

(The tantra vision vol.2より抜粋)


「生」も「死」も「セックス」も分かれてあるものではなく、1つの「生」の中にあります。しかし、人間は「死」と「セックス」のテーマを避けるようになり、それが引きがねとなってあらゆる問題を生み出し苦しんでいます。

1つであるものを無理やり分離や分割しようとする時、そこには必ず痛みや苦しみなどが起こります。

苦しみをなくすためには非難したりするのではなく、理解することが大切だとoshoは話します。

『死とセックスは、溺れるのでも、避けるのでもなく、理解されなくてはならない。』

oshoはタントラの祖師であるサラハの歌をとおして、それを理解するためのあらゆることをお話しています。


タントラのもっとも基本的なことは、

世界は低いものと高いものとに分けられていないということ、一つのものだということ。
高次のものは低次のものを内にいだき、
低次のものは高次のものを内にたずさえている。
低いものは非難されるべきものではなく、
変容されるべきもの。


oshoは講話のなかでこう話します。

『タントラは、外側のものと愛を交わすのが罪だとは言わない。

ただそれはあまり深くは進まないと言う。

タントラは、それを咎めない。
タントラは、その自然さを受け容れる。

だが、タントラは言う。

その愛の波動は、内側奥深く進むために使えると。

その瞬間のスリルに、事は地上に存在しない。あなたは飛べる。

あなたの矢は的を目がけて弓を引ける、
あなたはサラハになれる。』


「サラハ」とは「矢を射し者」という意味で、スクナータが的の真ん中を射ぬくように真理を悟ったラーフラ(サラハの最初の名前)に新たに与えた名前です。


とても賢く美しいサラハはサニヤシン(探求者)となりましたが、タントラへと導いてくれた光明を得た矢作の女性スクナータと出会い、すべての知識を落とし、彼女と一緒に火葬場に住みタントラを体験し真理を悟りすべてを理解しました。

魂の恋愛をした2人は火葬場に住んでいても、
「死」と「セックス」を理解し、
陰陽の二元性の両極に偏ることなく、
両極の真ん中にいて、
今この瞬間の「生」を歌って踊ることを瞑想として意識を高めたので至福に暮らしました。

前回はそのサラハの歌の一つをご紹介しました。


今日は低次のセックスの「オーガズム、ムドラー」から高次の超意識の「偉大なオーガズム、マハムドラー」への変容は可能であるというお話のカードの絵とoshoが講話でお話してくれた1部をご紹介します。


*  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  


セックスを、
最後の段階ではなく、
最初の段階にしましょう。
(これはカードの解説です。)

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以下はoshoの講話の1部です。


2人の恋人が深い性的なオーガズム(orgasm)に入っているとき、彼らは互いに溶け合う。

そうなると、
女性はもはや女性ではない、
男性はもはや男性ではない。

2人はまさに「イン(陰)」と「ヤン(陽)」のサークルのようになる。

互いに届き合い、
互いに出合い、
溶け合い、
自分たちの存在証明を忘れている…。

だからこそ愛は非常に美しい。

この2人が1つに溶け合うオーガズムの境地は『ムドラー』mudraと 呼ばれている。


そして、存在全体と1つに溶け合うオーガズムの最後の境地は、『マハムドラー(偉大なオーガズム)』mahamudraと呼ばれている。


オーガズムorgasmとは、そこではあなたの身体がもはや物質とは感じられない境地だ。

それはエネルギー、電気のように振動する。

それが、基盤そのものから、あまりにも深く振動するために、あなたはそれが物質的なものだということを完全に忘れる。

それは電気的な現象になる。
そしてそれは、確かに電気的な現象だ。


やがて、
彼らが互いに愛し合い、
互いに明け渡していたら、
彼らは脈動の、エネルギーであるこの瞬間に明け渡す。
しかも彼らは恐れていない…。

身体が境界を失うとき、
身体が実際に蒸発して、
エネルギーが非常に微妙なリズムしか残っていないとき、
それは、まるで自分がいないかのようだとあなたには思われる…。

人は、深い愛の中でしかそのなかに入れない。

愛は死のようだ。 

あなたは、自分は身体だ思っているかぎりにおいて死ぬ。

あなたは、自分の物質的なイメージに関するかぎり死ぬ。

あなたは身体としては死ぬ。

そしてエネルギー、活力に満ちたエネルギーとして進化する。


そして、パートナーたちが1つのリズムで振動し始めると、彼らの心臓の鼓動と身体は1つになる。それはハーモニー になる。

そうなると彼らはもはや2人ではない。

いまでは彼らは1つのサークルだ。

それが陰陽のシンボルだ。

陰は陽の中に入っていき、
陽は陰の中に入っていく。

男は女の中に入っていき、
女は男の中に入っていく。

そして彼らは一緒になって振動する、
一緒になって脈動する。

彼らの心臓はもはや離れてはいない。
彼らの鼓動はもはや離れてはいない。

彼らはメロディーに、ハーモニーになった。

それはありうるかぎりもっとも偉大な音楽だ。

それ に比べると、他の音楽はすべて弱々しいものだ。
それに比べると影のようなものだ。 


同じことが、
自分と相手の2人ではなく、
自分と「存在全体」と起こるとき、
そのときにはそれは『マハムドラー』mahamudra。
そのときにはそれは「偉大なオーガズム」だ。


from osho talks
oshoの講話より
TANTRA : THE SUPREME UNDERSTANDING,


from osho transformation tarot
osho transformation tarotより


*  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  


タントラの祖師であるサラハとスクナータ、
2人は、肉体の性欲に溺れる、恋に「落ちる」恋愛ではなく、

2人は、愛を交わすときも瞑想し、恋に「昇る」、低次のセックスから高次の超意識へと昇る魂の恋愛をしました。


ムドラーからマハムドラーへ。
オーガズムから偉大なオーガズムへ。
それは
低次の意識から高次の意識へ。
『私』が消え去り、『全ては一つ』へ。


存在との『全ては一つ』であることを『思い出す』ことは、本来の自然な状態である光明enlightenmentな状態を『思い出した』ということです。

『全ては一つ』である状態は偉大なオーガズム(マハムドラー)のような至福感だとoshoは話しています。


『全ては一つ』の至福感は、
陰陽の二元性の両極の極端にあるハイhighとロウlowのハイな状態の至福感ではなく、

陰陽の両極へと振り子のように動く動きの止まった、振り子が真ん中の中庸にあるノーマインドの静止した静かな無音の沈黙の至福感です。

oshoが話すように、『全ては一つ』の本来の自然な状態の至福感を『思い出した』瞬間から、その至福感はずーとありそのまま消えません。それが本来の自然な状態なのですから、消えてなくなることはありません。そしてそれは偽りの自分を演じるような疲れはなく、本来の自然な状態ですから疲れることもありません。

陰陽のハイの極端な状態に偏ったままの至福感は、バランスがくずれた片方に偏った状態なので、その状態のままだと疲れると思います。バランスをとろうとしてまた反対の極のロウの方へと動いていきます。

『全ては一つ』の至福感とは、極端に偏ったハイではない、中庸の沈黙の至福感です。


oshoはこう話します。

『マインド(思考)は「活動」だ。
性欲はマインドだ。
肉体的であろうがマインド的であろうが「活動」はすべて「時間」の内にある。

マインド(思考)は過去から生まれる。

意識は「永遠」だ。
意識は過去から来るものではない、未来に行くものでもない。意識は時間を超えている。

意識はこの瞬間から生まれる。』

(oshoの講話  「あなたが死ぬまでは」より抜粋)


マインドは過去から生まれるので時間の内にあります。

マインド(思考)が、
過去を思い出すでもなく、
未来を想像するでもなく、
『今』この瞬間に在る時、
意識が上下と動きだすのだそうです。
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(この図では時間が水平軸で、意識が垂直軸です。)

また、

意識というのは、
マインドが振り子のように陰陽の二元性の両極を行ったり来たりする動きがなくなり、両極の真ん中である中庸で静かに止まる時に、はじめて上下と動きだすのだそうです。
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(この図ではマインドが水平軸で、意識が垂直軸です。)


マインドが過去でも未来でもなく今に在り、
マインドの両極にあらず、真ん中の中庸に在るノーマインドの時、
沈黙の至福感で満たされ、
愛である意識ははじめて上下に動きだすのだそうです。


意識は愛。


恋に落ちるというのは、
意識が低次へと落ちるというもので、
oshoは、
恋に昇りなさい、
といつもお話します。


性欲に溺れるような恋に落ちる恋愛もあれば、
サラハとスクナータなように、性欲に溺れるのではなく、意識をセックスの低次から高次の超意識である高みへと昇る魂の恋愛もあるということです。


もちろん、どちらを選択するのかは個人の自由です。

1人1人の人生の学びは違いますから、自由でいいのです(^-^)


人間社会は「死」と「セックス」を非難することで、あらゆる苦しみや問題を持ってしまいました。


タントラはセックスを非難したりはしません。なぜならば、そこから高次の超意識へと昇り変容をとげることが可能だからです。


タントラのもっとも基本的なことは、

世界は低いものと高いものとに分けられていないということ、一つのものだということ。
高次のものは低次のものを内にいだき、
低次のものは高次のものを内にたずさえている。
低いものは非難されるべきものではなく、
変容されるべきもの。


恋に落ちるというのは誰もが自然とできるものですが、
恋に昇るというのは、2人のパートナーがお互いを信頼しハートとハートを開いて深い愛の中にいないとできないものかもしれません。

サラハとスクナータのような…。


意識を高次へと昇るには、
恋愛をしても、していなくても、
ノーマインドになることは必然なのかもしれません(^-^)


それから、
セックスを非難しないという事とは、
無理やりな嫌だと思うセックスをしなさい、
ということではありません。

嫌なことはなんであれ、上手に断りましょう。

セックスはお互いが無理のない心の状態の時に(-_^)

無理はしないこと。

自分の心と身体を大切にして、
ご自愛くださいね(^-^)




正しく想起する、

sammasatiサマサティ(right remembrance)


瞑想と愛 (^-^)  meditation & love


『The last word of Buddha was, sammasati. 

Remember that you are a buddha – sammasati.』



花仙人



サラハの歌の講話は翻訳された本があります。oshoは講話のなかでとてもわかりやすくお話しています。弟子たちからの恋人や夫婦の問題などにも丁寧に答えています。

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英語のダウンロードPDFはこちらです。

The Tantra Vision, Vol 1&2



花仙人