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花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

至福を延期する人たち

至福を延期する人たち


前回は、神の家homeの場所を探し当てたにもかかわらず、

「神を探求し探し続ける興奮とスリルを味わい続けたい…」

というエゴ(欲)を手放すことをしたくないため、何千回生まれ変わっても、もうすでに知っている神の家homeだけは避け続け、その場所以外に神の家homeがないことはわかっていながら神を世界中に探し回ることをし続けたラビンドラナートのカードのお話をご紹介しました。

ラビンドラナートだけでなく、

神の家homeに入りさえすれば、
永遠の至福になれるのに…

それがわかっていても、
神の家homeに入らず、

「自分のエゴ(欲)を満たしたい!」

という思いが強いため、
なかなか神の家homeに入ろうとしない人達は多くいます。


神の家homeは自分の内側にすでにあり、
その場所はみんな生まれる前からすでに知っているのです。

しかし、

なぜか人はみな、
自分の内側ではなく、
自分の外側に神の家homeの至福があるという偽りのマインド(思考)を信じ込み、
外側へと旅をし続けています。

外側には至福になれる神の家homeは存在しないのに…


チルチルとミチルのように、
幸せの青い鳥を探しに外側へと旅をし続けます。
青い鳥ははじめから自分の家homeにいたのに…


神の家homeを探すことの興奮とスリルを味わいたいというエゴ(欲)を手放せなくて、自分の内側にある神の家home(源泉)に入らないラビンドラナートのような人達もいますが、

その他のエゴ(欲)を満たしたいという理由があり、なかなか神の家home(源泉)へと入ろうとしない人達もいます。

今日はそんな1人であるアレキサンダー大王のお話のカードの絵とoshoが講話でお話してくれた1部をご紹介します。


*  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  


未来での成就を追いかける無益さを見て、
これ以上はなにも必要ないことを認めましょう。
延期してはいけません。
(これはカードの解説です。)

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以下はoshoの講話の1部です。


ディオゲネス、ギリシアの神秘家は、人間の意識のまれにみる開花のひとつだ。

アレキサンダー大王はインドに向かっていて、その途中でディオゲネスに会った。

それは冬の朝で、冷たい風が吹いていた。ディオゲネスは裸で、河の堤の砂の上で日光浴 をしながら横になっていた…。彼は美しい人間だった--美しい魂がいると、この世のも のではない美が立ち昇る…。

アレキサンダーはこの人間の優美さを信じることができなかった。彼は畏怖の念にかられて言った。

「サー(Sir)…。」

彼はそれまでの生涯で、誰にもけっして「サー(Sir)」と言ったことはなかった。彼は言った。

「サー(Sir)、私はあなたの存在に途方もない感銘をうけました、私はあなたのためになにかして差し上げたいのです。なにか私にできることがあるでしょうか?」

ディオゲネスは言った。

「少し片方に寄って立ってくれないか。あなたは太陽を妨げている--それだけだ。他にはなにもいらない。」

アレキサンダーは言った。

「もし私に地上に来るもうひとつ別のチャンスがあったら、私は神に求めよう。私を再びアレキサンダーにするかわりに、ディオゲネスにしてほしい、と。」

ディオゲネスは笑った。そして言った。

「たった今、誰があなたを妨げている?

あなたはどこに行こうとしているのか?

何カ月もの間、私は軍隊が動いているのを見てきた…。

あなたはどこに行こうとしているのか?

そしてなんのために?」

するとアレキサンダーは言った。

「私は全世界を征服するためにインドに行くところだ。」

ディオゲネスはたずねた。

「その後で、あなたはどうするつもりなのか?」

 アレキサンダーは言った。

「それから私は休む。」

ディオゲネスは再び笑って言った。

「あなたは狂っている!

私はいま休んでいる。

私は世界を征服しなかった。

私にはその必要があるとは思えない。

最後には休んで、くつろぎたいのであれば、なぜいまそうしない?

それに私はあなたに言おう、もしいま休まなかったら、あなたはけっして休まないだろう。

あなたはけっして世界を征服できないだろう…

あなたは旅の途中で死ぬだろう。
誰もが旅の途中で死ぬ。」

アレキサンダーはそれを心にとめておこうと言って、感謝の意を告げたが、いまはやめることはできないと言った。

そして、 彼は旅の途中で死んだ。彼は二度と再び家homeに着かなかった。彼は途上で死んだのだ。


それから、ディオゲネスもその同じ日に死んだという不思議な物語がずっと語り継がれている。

そして彼らは、神に向かう途上で、ちょうど川を渡るところで出会った。

アレキサンダーは、後ろに誰かがいるのを耳にしたとき、二、三フィート 先を行っていた…彼が振り返ると、それはディオゲネス、あの同じ美しい人間だった。彼は驚いて、恥ずかしくなった。 恥ずかしさを隠そうとして、彼は言った。

「また会いましたね、皇帝と乞食が。」

ところがディオゲネスは言った。

「たしかにそのとおりだ。

だがあなたは誤解している。

あなたは誰が乞食で、誰が皇帝だかわかっていない。

私は自分の生を完全に生きた。それを楽しんだ。だから神に顔を合わすことができる。

あなたは神に顔を合わすことができないだろう。私にはわかるからだ。

あなたは私にすら顔を合わすことができない。

あなたは私の目を見入ることができない。

あなたの全生涯は無駄だった。」



from osho talks
oshoの講話より
TAKE IT EASY, Vol.1


from osho transformation tarot
osho transformation tarotより


*  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  


神の家homeを探すことの興奮とスリルを味わいたいというエゴ(欲)を手放せないラビンドラナート、

神が生みだした多くの人間達を殺して世界を征服し我がものとしたいエゴ(欲)を手放せないアレキサンダー、

前者は善のポジティブなマインド(思考)で、
後者は悪のネガティブなマインド(思考)で、

お互いは善ポジティブと悪ネガティブという二元性のマインド(思考)の両極にありますが、

2人のこのマインド(思考)があるのは、
それぞれのエゴ(欲)によるものです。

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エゴ(欲)がある時には、
それを満たしたいというゲームを終わらせたくはないため、
まだ神の家homeに入ろうとはしません。

神の家homeに入ってしまったら、
そのエゴを満たすゲームは終わってしまうからです。


光明enlightenmentを得ること、
それは自分の内側にあるhome=源泉に帰還すること、
が、「できない…」のは、

自分が光明よりもエゴ(欲)を選択し続けているからです。


どの導師たちもこう話し続けています。


『エゴ(欲)を落としなさい。』と…。


エゴ(欲)を落とした時に、
自然とhome=源泉の中に帰還します。
光明enlightenmentをします。


光明enlightenmentをするかしないかは、
自分がエゴ(欲)を落とすか落とさないか、
それ次第なのですね(-_^)


とてもシンプルなんです。


光明enlightenmentを得たい!というのも

『〜したい』

というエゴ(欲)になるので、

光明enlightenmentを得たい!というエゴを落とさない限り、光明を得ることはできません。

自分の内側にあるあらゆる、

『〜したい』

というエゴ(欲)に『気づき』

それを落とすことで、光明を得る状態に近づきます。


光明を得ることは、
自分の内側にあるhome=源泉に帰還することですが、
その源泉はお臍の少し下ありにありますが、
その源泉は「本来の自然な状態の自分」であり、
源泉の中に入ると、
というか、
本当は生まれる前から24時間365日間ずーっと源泉の中に入っている状態であるのですがそのことを『思い出す』と、
その源泉の中がとても心地よい至福感でいっぱいに満たされている感覚であることを体感します。

1度『思い出す』と2度と忘れません。
それが本来の自然な状態だからです。

なぜ『忘れる』のか?というと、普段は頭の中が、エゴ(欲)を満たそうとしてマインド(思考)でいっぱいになっているからです。

エゴとマインドで頭の中がいっぱいだと、脳は緊張しストレスになり、なかなかリラックスできません。

頭の中がエゴとマインドがなくなり空っぽなノーマインドになると、脳は休まりリラックスします。

そのノーマインドのリラックスの時に、源泉の中に入っている感覚を『思い出し』ます。

それが光明を得る体験です。

誰もが生まれる前から光明な状態なので、
それを『思い出し』さえすれば、
『今』一瞬で光明を得ることはできます。


ただ、
エゴ(欲)を全て自分の内側から落とすだけです。


しかし、
ラビンドラナートやアレキサンダーなどのように、神の家home=源泉に帰還する光明を得た状態が至福であることがすでにわかってはいても、

ディオゲネスを見て真っ裸で何も所有していなくても、光明を得た状態の人がどんなに輝いて至福に満ち溢れ憧れの存在であることを実際に見て知っても、

アレキサンダーは衣類だけでなく、鎧まで着込んで、弓や矢や剣まで着込んで、世界中を征服し続けて自分のものにしてもまだ満たされなく至福ではなくても、

ラビンドラナートのように世界中を神を探し回る旅をし続けてもまだ満たされなく至福ではなくても、

どうしても

「自分のエゴ(欲)を満たしたい!」

という思いを選択しそれを生きる人達も実際にたくさんいます。


わたしは、

人生は1度きりなのだから、

個人個人の好みの価値観の違いなので、

エゴ(欲)を満たす外側で生きるも、
home(源泉)の内側で生きるも、

その人の選択の自由でいいと思います(^-^)


自由でいいのです。


昔のわたしは外側のエゴ(欲)の生き方に、
苦しく惨めな人生を楽しめず馴染めず、
臨死体験を3度もするほど身体を壊し、
ほとほと『うんざり』したので、
180度方向転換をし(外側から内側へ)、
内側のhome(源泉)に帰還しました。

home=源泉に帰還して10年になりますが、
わたしにはこちらの選択の方が、
ディオゲネスのように真っ裸ではなく一応衣類は着ていますがσ(^_^;)
生きるために必要最低限のものだけでも、知識も肩書きも全て落とし手の中は空であっても、心は至福でいつも満たされています(-_^)

わたしにはこちらの選択が自分の自由と至福でした。

至福をこれ以上延期しなくて本当によかった…と思います。


エゴを生きたいのならばそれでいいのです。


しかし、
昔のわたしのように、
苦しむ生き方にほとほとうんざりしているのならば、
エゴ(欲)を落とし、
自分の内側にあるhome=源泉に帰還するという選択もあります。


昨日も書きましたが、
home(源泉)は心地よく至福で満たされ続けます。

それは静かな沈黙の至福感です。

アレキサンダーのように、
死ぬまで至福を延期する必要はないのです(^-^)



サラハやoshoは、

『死』を理解することにより
『生』を理解できる

とお話します。

すると、

『今』を楽しく生きる大切さがわかる

と伝えています。

至福になることを、明日に延期する必要はないのです(-_^)

それは『今』この瞬間にできます。



真理を悟る、それは
home(源泉)へ帰還する
光明enlightenmentを得ることとは、
本来の自然な状態を『思い出す』ことです。

『思い出す』ことを邪魔をしているのは、

自分のエゴ(欲)とマインド(思考)だけです。

自分のエゴとマインドはなんだろうか?

それに自分で『気づく』こと、

それを『理解』することで、

エゴとマインドに執着していた手を放せます。

それは問題を根元から根こそぎ取り去りなくすことです。

問題の根がなくなれば、問題は2度と成長することはありません。

エゴとマインドがなくなり、
ノーマインドになれれば、
かならず誰でも光明な本来の状態を
今すぐにでも『思い出せ』ます。

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至福になるのを明日に延期する必要はないのです(^-^)


あなたにとって、そのエゴとマインドは、本当に大切なものですか?

死ぬその瞬間まで、そのエゴとマインドにしがみついて苦しみ続けたいですか?


内側にすでにあるhomeを『思い出す』(^-^)
それは至福へのジャンプです!


正しく想起する、

sammasatiサマサティ(right remembrance)


瞑想と愛 (^-^)  meditation & love


『The last word of Buddha was, sammasati. 

Remember that you are a buddha – sammasati.』



花仙人



タントラの祖師であるサラハの歌をoshoは講話のなかでとてもわかりやすくお話しています。弟子たちからの恋人や夫婦の問題などにも丁寧に答えています。日本語に翻訳された本もあります。

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英語のダウンロードPDFはこちらです。

The Tantra Vision, Vol 1&2



花仙人