花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

中心に定まる

中心に定まる


どちらかに偏る

ということは、

バランスが崩れた状態である

つまりは、

中心に定まっていない

ということです。



二元性の極端のネガティブやポジティブのどちらの両極でもない、

左右にふれる振り子が止まったときのような、
両極の真ん中の中庸の状態であるとき、

極端にあるのではなく、
真ん中の中庸の中心に定まるとき、
1番自然体で心地よいと人間は感じます。

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天秤を見るとわかりますが、

両極のどちらかに偏った状態はバランスが崩れているときで、

中庸の中心に定まった状態はバランスがとれているときです。



ここ最近ずーと、
ゴータマ・ブッダが伝え続けている、
マインド(思考)が二元性の両極のどちらかに偏っていることが苦しみの原因となっている、
ということをこのブログでお話しています。

それは左右に動く振り子のように、
左側に動いているならば、
次には必ず右側に動いていきます。
そしてまた、反対側の左側に動いていきます。


「幸せ」と「不幸」は同じ質の二元性の両極の極端です。

「幸せ」だと思うマインド(思考)があるとき、振り子は「幸せ」のほうに動いていますが、次には必ず「不幸」の方へと動いていくのです。

「不幸」だと思うマインド(思考)の極端に動いた振り子は、次には必ず「幸せ」の方へと動いていくのです。

振り子が動いている限り、「幸せ」と「不幸」の行ったり来たりを繰り返してしまいます。

マインド(思考)とはいつも動いているものです。


「不幸」をなくしたいならば、
「幸せ」も一緒に手放さなくさなくてはならないのです。

なぜならばら

「幸せ」と「不幸」は同じ質の二元性の両極だからです。

一枚のコインの裏と表です。

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コインの裏側の「不幸」だけをなくそうとすれば、必然的にコインの表の「幸せ」も一緒にくっついているものなので「幸せ」も「不幸」と一緒になくなってしまいます。

ですから、

「不幸」だけをなくす、ということはできないのです。

「不幸」をなくしたければ、
「幸せ」も一緒になくさなければなりません。

「幸せ」が欲しければ、
「不幸」は必ず一緒に手に入るものだということを『理解』することが学びです(-_^)

あなたのマインド(思考)が「幸せ」にばかり執着しているということは、同じくらい「不幸」がくっついてくる、ということを『理解』する必要があります。

ということは、

「幸せ」にばかり執着をするマインド(思考)をなくせば、
「不幸」も同じくらいなくなることがわかります。


「幸せ」も「不幸」もどちらもあるのが自然なことなのだ、

と『理解』できると、
「幸せ」とか「不幸」とかに執着するどちらかの両極に偏るマインド(思考)がなくなるため、振り子の動きはだんだんと小さくなって行き、最後には真ん中でピタッと止まってしまいます。

マインド(思考)が両極の真ん中の中庸でピタッと止まる、それは、ノーマインドになるということです。何も考えたり思ったりしていない空っぽな状態です。

そのノーマインドの状態のとき、
「幸せ」でも「不幸」でもどちらでもなくなります。

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この両極のある二元性のどちらでもないノーマインドの状態になったことを、『二元性を超える』といいます。

陰と陽
左と右
悪と善
負と正
劣と優
低と高
貧と富
女と男
不幸と幸
etc…

このような、
あらゆる二元性の両極のどちらでもなくなった『二元性を超えた』両極の真ん中の中庸の状態にあるとき、人間は中心に定まります。

バランスがとれているため、
1番自然体で心地よいと人間は感じます。


バランスが崩れているとき、
人間は不安定な状態となり心地悪く感じて苦しくなります。

そして、なんとかバランスのとれた状態に戻ろうとして働きかけます。


バランスの崩れた状態を
再びバランスのとれた状態に戻そうとすることを
『癒す』といいます。


両極に偏った状態を
再び中心に定まろうとバランスをとろうとすることを
『癒す』といいます。


バランスがとれて安定し安心すると苦しみはなくなります。


振り子が左右に動く動きを止めない限り、
振り子は中心にピタッと止まりません。

それは、

『中心が定まっていない』ことが
『苦しみ』の原因となっている、

ということです。


『苦しみ』をなくしたいならば、
ただバランスを取り戻し中心に定まるだけでいいのです(^-^)

振り子を止めて中心にピタッと止まれば『苦しみ』はなくなるのです(^-^)

『二元性を超える』ノーマインドになるだけ。

『癒し』とは実にシンプルなのです(-_^)





バランスがとれた状態を少しだけ身体で体感してみるとわかりやすいかもしれません。

もしよろしかったら、いつもお友達にご紹介している簡単なことなのですが、次にお話しすることをお試しになってみてください(^-^)


ちょっと立ってみて、両手を横に広げてみてください。

立ったまま膝をまげず、身体を右側に真横に曲げて右手が右足にそうようにしてみてください。

左手は横に伸ばしたそのままにして。

身体がかたい人は、無理はしないで、両手を横に広げたまま身体を右側に少し傾かせるだけでいいです。まるで天秤のように。


その右側に傾いた状態をそのまま長ーい時間キープしておくことは楽ちんですか?それとも苦しいですか?


たぶん、苦しいと思いますσ(^_^;)

その右側に傾いた姿勢が苦しいと感じる時、

身体をどうしたくなりますか?


たぶん、身体を起こしてまっすぐ立って、両手を同じ高さにしてバランスよく立つことをしたくなると思います(^-^)


そして両手を下ろしたくなるでしょう(-_^)


ごくろうさまでした(^-^)
うお座りになってゆっくりしてくださいね。


ほんの少しの数分間?数十秒、
身体を右側に傾けただけで、
不安定を感じて、
その姿勢を長い時間そのままキープすることは苦しいことだと体感されたことと思います。

ただ普通にまっすぐ立っている状態が、
ずーと長ーい時間キープできる姿勢であることに『気づく』ことができたと思います。


あ〜普通にしていられるって楽ちんなんだ〜(^-^)


と片方に傾いた苦しい姿勢をしたことによって、
『気づき』『理解』が起こり、
普通に立っていることの楽ちんさが
中心に定まり
バランスがとれていることの楽ちんさが
身にしみてよーくわかります。


右でも左でもなく、
その真ん中で
まっすぐ普通に立つことが楽ちんなんですね。


また、
前に倒れるように傾いたり、
後ろに倒れるように傾いたり
することも、
前後でもなく、
真ん中でまっすぐに中心が定まり
バランスよく立っていることの楽ちんさが
よーくわかる体験にもなります。


後ろに倒れるような姿勢が長い時間キープできるのは、マトリックスのネオだけかも?しれませんσ(^_^;)  あれはネオのマインド(思考)の中の仮想空間でできたことだからね、夢をみるように想像というマインドの中では何でもできちゃうよね(-_^)


左右前後どこにも傾かず、
真ん中でまっすぐ立つことは、
中心が定まり
バランスがよいため
楽ちんで苦しくないことが、
このようなほんのちょっとの体験からも
体感してわかったと思います。


大切なことは『体感』してわかるということです。


身体で理解して覚えた感覚は2度と忘れません(-_^)


このほんの少しの体験で体感した『中心に定まる』という感覚がわかっただけでも、瞑想をしていても、瞑想をしていない時でも、中庸のノーマインドの感覚がわかりやすくなったりもします。




なんだか苦しく辛いな…

と思う毎日が続いている時は、
自分の状態が両極のどちらかに偏ってバランスが崩れているのかも?しれません。

いったいどんな二元性の両極の極端に傾いているのかな?

それに『気づく』ことができれば、

なぜ自分がそちらに傾いているのかを『理解』できれば、

傾くことはやめよう!と思え、

傾くことをやめて、

『二元性を超えて』

再び真ん中の中心に定まったバランスのとれた状態に戻ることが簡単にできます。


心も身体も
中心に定まり
バランスがとれていることが
1番自然で心地よいと感じる至福です(^-^)




『二元性を超えて』
『中心に定まる』




余談ですが、
子供たちに先ほどご紹介した左右のどちらかに傾くことをお話し、マトリックスの後ろに傾く姿勢を話しはじめると、もう、子供たちはネオになりきって、あのネオのような後ろに傾く姿勢を真似して真似して止まらなくなりますσ(^_^;)

普通にまっすぐに立つことは当たり前すぎて退屈なんですよねσ(^_^;)

いつものことなのですが、ひとしきりネオごっこをしていただき、疲れ切って飽きたら、まっすぐに立つことが楽ちんだって理解していただけます(-_^)

子供たちはいつも中心に定まっていますから、このようなお話は必要はないのです。


子供の頃、楽しく遊んでいたときのことを思い出してみると、中心に定まった状態が当たり前で自然だった感覚を思い出しやすいかも?しれません。


無心(ノーマインド)になって遊んでいた子供の頃のあの感覚が至福の状態です。


大人になるにしたがって、あらゆる二元性に執着するようになってしまい、無心(ノーマインド)を忘れてしまいました。

それが苦しみの原因です。


再びあの無心(ノーマインド)の至福な状態を思い出したい…

だから、子供の頃を懐かしく思う人もいるのですよね。

その場所や時代がただ単に懐かしいのではないのです。

あの無心(ノーマインド)の感覚を再び得たいと思っているのです。


辛い子供時代を送られた人でも、ほんの少しでも無心(ノーマインド)になれた状態のときが大人になったときよりもあったはずです。


自分が子供のころに、
無心(ノーマインド)になって夢中で遊んだことはなんですか?


恥も外聞もまったく気にしないで、
大人になった今、
子供のころ、
無心(ノーマインド)になって夢中に遊んだことを再びしてみるのも、
あの感覚を再び取り戻せるきっかけになります。


なんでもいいので、今楽しく感じることを『今』してみるのです。


それが、
中心に定まった
バランスのとれた
1番自然で心地よい至福な感覚を
再び取り戻すことに
導きます。


瞑想だけでなく、
自分が楽しいなーと感じられるものは
なんでもやってみることです(-_^)


そこから、
本来の自然な状態のノーマインド(無心)の至福感を『思い出せる』こともあります。


昨日も書きましたが、
生きていれば、いろんなことがあり、
失敗をして苦しい思いをしたくなくて、
エゴ(欲)やマインド(思考)が働いてしまい、
二元性の両極を行ったり来たりしはじめ、
どんどん
中心からはなれてしまい、
ノーマインド(無心)の本来の自然な状態を『忘れて』いきます。

残ったのは、
罪悪感や劣等感ばかりだったりして、
なかなか『自分を好きになれず』、
だからこそ、いつもどこにいても、
『今』を楽しく生きることができないと感じ苦しむのかもしれません。


完璧な人になろう!
良い人になろう!
というマインド(思考)が極端に傾いた状態に執着することで、

その反対にある不完全な悪い状態を強く拒否するという執着が生まれ、

完璧で良い自分になれてはいない自分を、強く拒否し否定し受け入れことができなく、

自分を嫌い

になり、

自分を嫌いなことが苦しみとなります。


だからいつもどこにいても楽しくない…


罪悪感や劣等感は必要ありません(-_^)

ポイっと捨てましょう(^-^)


『過去』を変えることは不可能ですし、
『過去』はもうなくてそれはマインド(思考)の中の幻想です。

『未来』もマインド(思考)の中の幻想です。

過去と未来は『今』ここにはないものです。

実際にあるのは『今』あるものだけです。


『過去』によって生まれた
罪悪感や劣等感に悩み、
自分を嫌うことにエネルギーを使うことよりも、

『未来』にまた失敗するのではないかとビクビクすることにエネルギーを使うことよりも、

失敗を2度と繰り返さないためにも、
失敗から得た教訓をもとに、

罪悪感や劣等感や自分を嫌う心地悪い苦しみを捨て去り、

『今』を楽しく心地よく生きる

ことにエネルギーを100%使いましょう(^-^)




『二元性を超えて』
ノーマインド(無心)になり
過去でも未来でもなく
『今』を楽しく生きるために
人間は生まれて来ました。

至福な自分を生きる権利は1人1人すべての人が持っているのです。


中心(源泉)に定まった
本来の自然な状態が至福です。

その感覚を再び『思い出す』だけでいいのです(^-^)


お金がたくさんあっても、
物がたくさんあっても、
あらゆる手段を使って
自分のエゴ(欲)を全部手に入れたとしても、
満たされなく惨めな思いをしているのは、

中心(源泉)に定まった
本来の自然な状態を『思い出す』ことができないため至福で満たされないからです。


真に自由の愛の至福を『思い出す』

正しく想起する、

sammasatiサマサティ(right remembrance)


瞑想と愛 (^-^)  meditation & love


『The last word of Buddha was, sammasati. 

Remember that you are a buddha – sammasati.』



花仙人



中心である源泉に定まるには…

というoshoの講話の本もあります。

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『あなたの内側には、
〈存在〉とつながっている一点(源泉)、
〈存在〉と一つになっている一点がある。

いったんこの中心を知れば、
自分が我が家にいるということがわかる。

〈存在〉はあなたの母となる。』



英語のPDFダウンロードはこちはです。


Vigyan Bhairav Tantra, Vol 1&2

The Book of the Secrets: A New Commentary, The original series of 80 discourses were simply called ”Vigyan Bhairav Tantra”. For publication as books they were divided up into 5 volumes, called the ”The Book of the Secrets Volume 1 - 5” (16 discourses each).The books were later published as ”Vigyan Bhairav Tantra Volumes 1 and 2”,(40 discourses each). The two volumes also came with a deck of 112 cards to represent the various meditations.

vol.1
Talks given from 01/10/72 pm to 01/03/73 pm English Discourse series
vol.2
Talks given from 25/03/73 pm to 08/11/73 pm English Discourse series
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