花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

憎しみがなくなるとき

憎しみがなくなるとき


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osho


なぜ憎しみが存在するのか。

もし憎しみを感じたら、
その原因をみてごらん。

そうして初めて愛も花開く。


どんなときに憎しみを感じるのか。


自分の存在が、生命が、脅かされていると感じるとき…
自分の存在が抹殺されると感じるときに、
突然、
憎しみが湧き上がる。

自分が破壊されそうだと感じると、
相手を破壊しようとする。


つまり、自己防衛だ。

あなたの中で生存競争をしている部分がある。

自分の存在が脅かされているときには、
いつも憎しみでいっぱいになる。



『憎しみがなくなるとき』

それは

『愛で満たされるとき』だ。



『愛で満たされるとき』とは、

「自分の存在はけっして脅かされていない、
自分がおしまいになることはない。」

と感じるようになったときだ。


自分の存在が、生命が、脅かされてはいない、
自分の存在が抹殺されることはない、
と感じるようになったときだ。



恐怖心がないときにしか『愛』は存在しない。

『愛』と『恐怖』は共存できない。

『愛』の中には一切のネガティブなモノが存在しないからだ。

『愛』とは100%トータルに愛だけだ。



脅かされるという『恐怖』があるとき、
憎しみが湧き上がる。

あなたの中に憎しみがあるとき、
あなたの中に愛はない。



『憎しみがなくなるとき』

それは

『愛で満たされるとき』だ。



脅かされるという『恐怖』があり
憎しみが湧き上がるとき、

『恐怖』をなくすために、人は、

「自分は愛している。」

と信じ込もうとする。

「自分は愛している。」

という「信仰」を創り上げる。

それは自己防衛でしかない。

『恐怖』を軽くするための自己防衛だ。


ということは、人は、


『憎しみがなくなるとき』

それは

『愛で満たされるとき』


ということを本能的に知っているのだ。


だから、


自分は脅かされているという
『恐怖』を軽くするための自己防衛として、
「自分は愛している。」
と信じ込もうとする「信仰」を創り上げる。


そして、


「自分は〈存在〉に受け容れられている。
自分は否定されていない、
自分は拒絶されていない。」


と思い込み、しばらくの間『恐怖』を忘れてしまう。

しかし、それは幻想だ。


信じ込みによる幻想の愛は偽りの愛だ。

偽りの愛では人は満たされることはない。

自分のマインド(思考)で創り上げた幻想の偽りの愛では満たされることはけっしてない。



だが、人は自分のまわりに幻想を創り上げる。

○誰かに愛されていると信じるとき…、

「自分は〈存在〉によって必要とされている、

少なくとも誰かに必要とされている、

自分は誰かに必要とされている、

だから、

自分はまったく無用なわけではない、

たんなる余計者ではない、

どこかで必要とされている、

自分がいなかったら〈存在〉はなにかを失ってしまう。」


それで人は安心する。

しばらくの間は…。

そして目的や、使命や、意味や、生き甲斐を感じる。



○誰かに愛されていないと信じるとき…、

あなたは拒絶されたと感じ、

否定されたと感じ、

自分が無意味だと感じる。

目的も使命もないと感じる。

「もし誰にも愛されずに死んだら、

自分が消え去ってもなにも変わらない。

自分がいなくなっても誰も感じてくれない。

自分がかつて存在し、

いつかいなくなることを、

誰も感じてくれない。」


と思い込む。



『愛』は「自分は必要とされている」
という感覚をもたらす。

だからこそ、

『愛』があれば『恐怖』は減り、
あるいは減ったように感じられるのだ。

『愛』がなければいつも『恐怖』は増す。

そして、

『恐怖』があると、
その「防御」として相手を『憎む』ようになる。

『憎しみ』は防御だ。

破壊されるのが恐いから、
破壊的になるわけだ。



『愛』があると信じ込む偽りの愛は、
根本的に『恐怖』に根ざしている。



「少なくとも1人の人間は泣いてくれる、

惜しんでくれる、

悲しんでくれる、

きっと涙を流してくれる…

自分は必要とされている。

少なくとも1人の人間は、

もし自分がいなくなったら、

その淋しさをいつも感じてくれるだろう。

少なくとも1人の人間にとっては、

自分は意味あるかけがえのない存在だ…。」



だからこそ、
『愛』がこれほどまでに求められるのだ。

だからこそ、
人々は、これほどまでに、

愛すること、
愛されること、

を求めるのだ。



自分の存在が抹殺され脅かされる『恐怖』が根ざしているために、

それによる『憎しみ』を減らすために、

『愛』を信じ込もうとするマインド(思考)が働き、幻想の偽りの愛を創り上げた中で生きようとするのだ。

お互いが創り出す幻想、共同幻想の中で、
偽りの愛の中で生きようとするのだ。

しかし、

人はわかっている。

その偽りの愛ではけっして満たされないことを。



なぜなら、

すべての人は、

生まれる前から、

本来の愛を感じて知っているからだ。

だから、

偽りの愛では満たされないことを知っている。



自分自身が本来の愛であることを知っている。

他者から必要とされるという考えなしに、
他者に脅かされるという考えなしに、
(そのようなマインド(思考)なしに)


「自分の存在はけっして脅かされない、

自分がおしまいになることはない。」


ということを知っている。

だが、

そのことを『忘れて』しまっているだけだ。



「自分の存在はけっして脅かされない、

自分がおしまいになることはない。」

という「真実」を「本来の状態」を感じることを
『思い出さない限り』

『愛に満たされる』ことはない。



それが「真実」の「本来の状態」であると
感じることを『思い出した』とき、

『愛に満たされ』

『憎しみ』はすべて一瞬で消え去る。



マインド(思考)が創り上げた幻想の偽りの愛の中で、満たされないまま、憎しみ合いながら、苦しみ悲しんで淋しく生きる生き方が終わる。



『憎しみがなくなるとき』



それは、

他者によって愛されることではなくならない。

つまりは、

自分の内側から溢れ出す愛で満たされることでしか、人は満たされないからだ。

それは、

自分の「本来の自然な状態」=愛100%を

『思い出した』とき、

『愛で満たされたとき』、

『憎しみはすべて一瞬で消え去る』。



その、
本来の自分
偽りではない自分
とは、

「本来の自然な状態」=愛100%は、

存在(being)『全てと一つ』である状態だ。


『全ては一つ』である状態を『思い出す』と、
このような理解が、覚りが現れる。


「一見まったく無関心であるかのような〈存在〉も、

じつは自分と違うものではない。

自分は〈存在〉の一部だ、

〈存在〉と有機的に一つだ。

花を咲かせている木も、

自分と別のものではない。

自分はその木に花咲き、

そしてその木は自分の中で意識を持つ。

海、砂、そして星々、

それらはみな自分と一つだ。

自分は離れ小島ではない。

自分はこの宇宙と有機的に一つだ。

宇宙のすべては自分の中にあり、

自分のすべては宇宙の中にある。」


すべての人はこれを
知り、
感じ、
覚っている。


だから、
マインド(思考)によって
創り上げた幻想の偽りの愛では、
満たされないことを知っている。


しかし、


「本来の自然な状態」=愛100%の
本来の自分を『忘れて』しまった。

なぜならば、

「自分は脅かされている、抹殺される、
自分は必要とされていない…」

という創り上げたマインド(思考)によって生まれた
『恐怖』によって、
他者を『憎しみ』、

『恐怖』や『憎しみ』を減らすために、

『愛されたい』

という思いが生まれ、

『必要とされたい』
『認められたい』
『特別でありたい』

などの思いが生まれて、

そのエゴ(欲)を満たすために、

マインド(思考)がたくさん働いているからだ。



たとえ一秒でも、
無幻想で、
幻想なしで、
ノーマインドで、
生きられるようになったら、

「本来の自然な状態」=愛100%の本来の自分を『思い出し』、

理解し覚ったら、

もはや、

「自分は誰かに愛されている。」

という私的なマインドによる幻想を創り出す必要がない。

もう「意味」はそこにあるので、

たとえ誰かに愛されなかったとしても、

その「意味」は失われない。

もはや『恐れる』ようなことはなにもなくなる。

死でさえもあなたを滅ぼすことがない。

たとえ形態が滅びようと、

身体が滅びようと、

あなたが滅び去ることはけっしてない。



なぜなら、あなたは〈存在〉だからだ。



生まれる前から変わらず、

あなたは〈存在 being(愛)〉の一部であり、
あなたは〈存在 being(愛)〉と一つだからだ。



だからこそ、すべての人は、

「本来の自分」が憎しみでも偽りの愛でもないことを十分に知っている。

憎しみや怒りがあるときは「本来の自分」ではないから、違和感があり不快で苦しいのだ。


『憎しみがなくなるとき』

それは

『愛で満たされるとき』




from osho


*  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  〜   *  


宇宙の大洪水が突然やってきて、
私という一雫が宇宙の海に溶け込み一つになるとき、

「一見まったく無関心であるかのような〈存在〉も、

じつは自分と違うものではない。

自分は〈存在〉の一部だ、

〈存在〉と有機的に一つだ。

花を咲かせている木も、

自分と別のものではない。

自分はその木に花咲き、

そしてその木は自分の中で意識を持つ。

海、砂、そして星々、

それらはみな自分と一つだ。

自分は離れ小島ではない。

自分はこの宇宙と有機的に一つだ。

宇宙のすべては自分の中にあり、

自分のすべては宇宙の中にある。」

を『言葉』ではなく、

『無言のメッセージ』のような『体感』により、「理解」しました。

oshoのお話のとおりのことを体験しました。



二元性の両極を振り子が動く動きが止まり、
両極の真ん中である中庸の中心に定まるとき、
二元性の愛の「愛と憎しみ」の極端を行ったり来たりする動きが止まります。
中心に定まります。

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ノーマインドとなり、
ノーエゴとなり、
その中心に定まるとき、
二元性の愛を超えたとき、

中庸の中心に定まったとき、
真の愛である、
「本来の自然な状態」=愛100%の
本来の自分を『思い出し』ます。

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『気づいて』いなかっただけで、
『忘れて』いただけで、

『愛』は自分の内側にある『源泉』から、
枯れることなく永遠に溢れ出ていることに
『気づき』
『思い出し』ます。

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自分の愛により、
『満たされ続けていた』
ことを
『思い出し』ます。


『満たされない』…
そのマインド(思考)は偽りの幻想だったんだ…
と『気づき』『理解』します。


すると、
『愛されたい』…
というエゴ(欲)は一瞬で消え去ります。


すると、
飢えが一瞬で消え去るため、

いつも、
満腹感でいっぱいになります(-_^)

それは、
必要以上に食べたい…
という食欲もなくなってしまいます。

必要以上に買いたい…
という物欲もなくなってしまいます。

必要以上にセックスをしたい…
という性欲もなくなってしまいます。


今を生きるために必要なだけのモノだけで、
十分満たされるようになります。


欲しい、欲しい、が満たされないと不満になり苦しみます。

欲しいものを与えてくれない相手を憎しみ怒り苦しみます。


「本来の自然な状態」=愛100%の本来の自分を『思い出す』と、
自分の内側にある『源泉』から溢れ出る愛で満たされます。


外側に愛を求めなくなり、
愛してもらえない(マインド)という思い込みによる悲しみや怒りや憎しみや復讐心などの苦しみから解放されます。


誰をも憎むことはなくなります。

問題を根元から根こそぎ取り出します。


ただ愛だけになります。




真に自由の愛の至福を『思い出す』

sammasatiサマサティ(right remembrance)
正しく想起する、

『The last word of Buddha was, sammasati. 

Remember that you are a buddha – sammasati.』


瞑想と愛 (^-^)  meditation & love




花仙人




第6チャクラの学びである、二元性を超える愛は『全ては一つ』という本来の自然な状態の自分を『思い出す』ことでもあるのですが、以前ご紹介したように、愛の梯子の学びは第1チャクラからはじまります。

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oshoは愛の梯子を順番に昇る方が確かな成長があると話しています。

わたしの体験からも1段1段の学びをクリアしていくことでしか、高みへと昇ってはいけないことを実感しています。

多くの人たちの第1チャクラと第2チャクラが今の人間社会の中で生きる学びにより、ひどく傷ついていることも以前ご紹介したように、愛の梯子を昇るためにも、第1チャクラと第2チャクラの癒しはかなり大切だと思います。

そのoshoの詳しいお話はこの講話からわかります。

死と生の神秘をタントラの生理学7つのチャクラを通してoshoはお話しています。
弟子たちからの恋人や夫婦の問題などにも丁寧に答えています。

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英語のダウンロードPDFはこちらです。

The Tantra Vision, Vol 1&2





そして、今日ご紹介したoshoのお話は、
Vigyan Bhairav Tantra
ヴィギャン バイラヴ タントラ
『第三の眼』(日本語の翻訳の本)
の講話からの1部です。

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英語のPDFダウンロードはこちはです。


Vigyan Bhairav Tantra, Vol 1&2

The Book of the Secrets: A New Commentary, The original series of 80 discourses were simply called ”Vigyan Bhairav Tantra”. For publication as books they were divided up into 5 volumes, called the ”The Book of the Secrets Volume 1 - 5” (16 discourses each).The books were later published as ”Vigyan Bhairav Tantra Volumes 1 and 2”,(40 discourses each). The two volumes also came with a deck of 112 cards to represent the various meditations.

vol.1
Talks given from 01/10/72 pm to 01/03/73 pm English Discourse series
vol.2
Talks given from 25/03/73 pm to 08/11/73 pm English Discourse series



花仙人