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花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

至福と満足を得る=源泉を思い出す

osho 本 book サマサティ
至福と満足を得る=源泉を思い出す


わたしは自由を愛しますから、
エゴ(欲)に生きたい人はそれでいいのです。
それで幸せならそれでいいのです。
そういう生き方の人生もあるのだと思います。
人生は一度きりです。
自由に楽しく生きてそれでいいと思っています。

こちらのブログでは、

エゴ(欲)を楽しめない…
エゴ(欲)があることにより苦しい…
という人で、
真の至福で生きることをしてみよう!
自身の生まれ持った個性と才能を無限に発揮して伸ばし成長し進化していこう!
みんなで分かち合って生きていこう!

という人に、
自分の内側にある『源泉』を『思い出す』ことからすべての至福がはじまる、
ということを自身の体験をもとにお話しています。

そしてわたしの説明では非力ですので、oshoの講話からのお話もご紹介しています。



自分の内側にあるお臍の少し下にある『源泉』を『思い出す』ことができたときから、
真の至福と満足がいつもあることがわかります。

それを『思い出す』と、
その至福と満足は、
生まれる前から一度もなくなったことはなかったことも『思い出し』ます。


人間は常に至福と満足で満たされ続けていますが、日常の忙しさから、その至福と満足の当たり前にある自然な状態を『忘れて』いるだけです。


その本来の至福と満足の当たり前にある自然な状態を『思い出す』ことが『光明』を得るとも言われています。


『光明を得る』というと、
なんだか『光明』に「なる」という感じがして、
それはまるで自分ではない何かに「なる」というようで、
わたしにはあまりピンとこないので、

自身の体験からすると、


「『忘れていた』本来の自分である『光明』の状態を『思い出す』」


と言った方がピッタリですし、

oshoもゴータマ・ブッダも『思い出す』と言っていますから、わたしは『思い出す』と表現しています。



『源泉』を『思い出す』そして、
『源泉』から『全ては一つ』を『思い出す』ことができます。

まずは、自分の内側にある『源泉』を『思い出す』ことからすべてがはじまります。

『源泉』を『思い出す』ためには、

知識や情報などは全く必要ありません。


『源泉』を『思い出す』ために、
あらたに何かを勉強する必要はありません。


oshoやゴータマ・ブッダなどの導師たちもみな同じことを伝え続けています。


○知識や情報(マインド)は
『源泉』を『思い出す』ことの障害物となります。

○『源泉を思い出したい!』というエゴ(欲)も
『源泉』を『思い出す』ことの障害物となります。


あらゆるマインド(思考)とエゴ(欲)をすべて捨て去り、

ただ、自分の内側を空っぽにして、

ノーマインドになることにより、

静かに心地よくリラックスするだけで

『源泉』を『思い出す』ことはできます。


知識を捨て去り、
ノーマインド空っぽになることは、
おバカになることではありません。

おバカになるどころか、
自身の生まれ持ったあらゆる無限の才能や知恵を『源泉』から溢れ出し、その枯れることのない才能や知恵を分かち合い発揮しながら、『源泉』を『思い出す』以前より賢くなってしまいます。

だから、空っぽになることは、おバカにはならないので、心配する必要はまったくないのです。

本物の知恵者である本来の自分を『思い出す』のです。

その本来の知恵者の自分で生きていくのです。

まずは、自分の内側にある『源泉』を『思い出す』ことから、知恵者である自分を『思い出す』ことになります。


瞑想は、
自分の内側にあるマインドやエゴを
『観る』
『気づく』
『理解』する

すると、マインドやエゴを自然と
『手放す』
ことができ

ノーマインド(空っぽ)

にすることをサポートする一つのツールです。


瞑想は知識によって学ぶものではなく、
ただただ『実践』のみです。


やってみるしか、
わかることができないものです。


泳ぐことは、
実際に水の中に入って泳いでみることでしか、
『実践』することでしか泳ぐということをわかることはできません。


知識や情報(マインド)をただ頭の中で空想(マインド)するだけで、水の中に入って実際泳いでみなくては、泳ぐということはわかりません。


瞑想は、
難しいことではなく、
自分の肉体があり生きてさえいれば、
いつでもどこでもできるものです。

ですから、瞑想はお金はまったくかからず、
ゼロ円で真の至福を『思い出す』ことができるのです。


oshoは瞑想を難しくとらえなくていいと話します。


緊張をなくし、
リラックスして、
ただただ心地よく静かに座ることから、
自分の内側を『観る(観照)』だけでいいのです。


わたしは、なんの知識もなく、瞑想をはじめました。

貧乏だったのでゼロ円でできる瞑想はすばらしいツールでした(-_^)

最初は存在すべてに明け渡す決心が起こりました。それは臨死体験の直後に起こりました。

すると、導かれるように瞑想と出会い、
ただひたすらマインドとエゴを見つけては手放し…を繰り返しました。

そして、同時に愛と感謝をしました。

明け渡し、瞑想と愛と感謝。

いつのまにか、ノーマインドにノーエゴになってしまったようで、それ、は『突然』起こりました。


無知で無宗教でも、貧乏でも、
瞑想と愛が楽しくてしかたがなかったから、
毎日続けたのかもしれません。

それだけでした。

今も無知で無宗教で貧乏で、
手の中は空っぽですがσ(^_^;)

至福と満足だけは常にあり続けています。


マインドとエゴは青空に浮かぶ雲です。

ノーマインドの状態とは雲一つない青空です。

瞑想をし続けていくと、
自分の内側が
いつかこんな雲一つない青空になります。

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空っぽ、ノーマインドになったとき、
『源泉』を『思い出し』ます。

『源泉』は愛100%のエネルギーです。
二元性を超越した愛100%の本来の自然な状態の自分です。

『源泉』はoshoやゴータマ・ブッダが話す自分の中心です。


すべての導師たちは、
1人1人が真に至福を望むなら、
それを慈悲の愛で導き続けています。

真の至福は外側ではなく、
自分の内側の中心である『源泉』にあるよ…と。


osho talks…


自らの中心を見つけることなしに満足感を得ることは、不可能だ。

あなたは探求し続けることができるし、
生の中で多くのことを見つけるだろう。
だが、なにひとつ満足させてはくれない。

欲望が成就される時、
一瞬の幻想があるだけだ。

一瞬あなたは気分がいい、
だがほんの一瞬だけだ。

ひとつの欲望が消える時、
その場所には10個の欲望が生まれる。

再び騒動のすべてが始まり、
再び刺激的な体験のすべてが始まる。

そして、それは終わりのないプロセスだ。



自らの中心を見つけて初めて、
そのプロセスは止まり、
その車輪はもはや動かなくなる。

自らの中心に帰ってくることで、
すべての欲求は消える--あなたは完全に満足する、永遠に。


それは一時的な満足ではない。


それは心の充足感、絶対的な心の充足感だ。
あなた自身の内側に帰ってくることが満足感を与える、
間違いなく満足感を与えてくれる。



生におけるその他のすべては約束だ。

だが、ただ偽りの約束だ。

商品は決して配達されない。

お金が、もしそれを持てばあなたは救われるだろうと、約束する。

しかし、人びとがさらに金持ちになり続けても、幸福は決してやって来ない。

それは地平線のようにいつもそこにある--とても捕まえにくい。

関係性が、今すべてがうまくいっているようだし、永遠に幸せでいられるだろう、というアイデアをあなたに与える。

しかしそれは決して起こらない。



自らの中心を見つけて初めて、満足感は起こる。




LIFE SATISFACTION


Without finding your center, 
there is no satisfaction possible. 

You can go on searching and you will find many things in life, but nothing is going to satisfy. 

Just a moment´s illusion when a desire is fulfilled. 

For a moment you feel good, but only for a moment. 

As one desire disappears, ten desires arise in its place. 

Again the whole turmoil starts, again the whole trip. 

And it is a non-ending process.



Only with finding your center does that process stop, that wheel moves no more. 

Coming home to your center, all desiring disappears - you are utterly satisfied, and forever. 

It is not a momentary satisfaction. 

It is contentment, absolute contentment. 

Coming home inside yourself satisfies, really satisfies.



Everything else in life is promises, but only false promises. 

The goods are never delivered. 

Money promises that if you have it you will be helped. 

But people go on becoming richer and richer and happiness never arrives. 

It is always there like the horizon - very elusive. 

Relationships give you the idea that everything will be good now and you will live in happiness forever, but it never happens.


Only with finding your center, satisfaction happens.




from osho talks
oshoの講話より

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The 99 Names of Nothingness

Talks given in Chuang Tzu Auditorium from 1may 1978 to 31may 1978 Darshan Diaries

この講話の英語のダウンロードPDFはこちらです。





中心である『源泉』とはなにか、
中心である『源泉』を『思い出す』ためには、
中心である『源泉』に定まるには…

というoshoの講話の本もあります。

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『あなたの内側には、
〈存在〉とつながっている一点(源泉)、
〈存在〉と一つになっている一点がある。

いったんこの中心を知れば、
自分が我が家にいるということがわかる。

〈存在〉はあなたの母となる。』


英語のPDFダウンロードはこちはです。


Vigyan Bhairav Tantra, Vol 1&2

The Book of the Secrets: A New Commentary, The original series of 80 discourses were simply called ”Vigyan Bhairav Tantra”. For publication as books they were divided up into 5 volumes, called the ”The Book of the Secrets Volume 1 - 5” (16 discourses each).The books were later published as ”Vigyan Bhairav Tantra Volumes 1 and 2”,(40 discourses each). The two volumes also came with a deck of 112 cards to represent the various meditations.

vol.1
Talks given from 01/10/72 pm to 01/03/73 pm English Discourse series
vol.2
Talks given from 25/03/73 pm to 08/11/73 pm English Discourse series




sammasatiサマサティ(right remembrance)
正しく想起する。


『The last word of Buddha was, sammasati. 

Remember that you are a buddha – sammasati.』




瞑想と愛 (^-^)  meditation & love




花仙人