読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

あなんだ ananda さん

サマサティ 本 book タロット osho 瞑想 おしゃかさま&はな 癒し
あなんだ ananda さん


先日のおしゃかさま&はなのブログの最後のおまけのところで3人の衣装と竹馬を夜なべで作ったと名前だけご紹介した、おしゃかさまの従兄弟でもありお世話係でもあった、あなんだ Ananda さん。

f:id:hanasennin9:20160724073819j:plain
はじめまして、あなんだです。

え〜、いろいろありまして、
私もやっと頭頂に花を咲かせる(光明を得る)ことができました。

本物の導師(マスターmaster)というのは、
導師の肉体が生きていても、死んでいても、
どちらであっても関係なく、
弟子を光明 enlightenment へと導く者なのだな〜と、
自分の体験からしみじみと思いました。

光明を得ることができなかったのは、
私がなかなかエゴ(欲)を捨て切れなかったからでした。

それに『気づいた』のは、
私の従兄弟でもあり導師でもあった
ゴータマ・ブッダの死の次の日でした。

その『気づき』により、
私はやっとエゴ(欲)を手放せ
光明 enlightenment を得ることができ、
頭頂に花を咲かせることができました。

そして、
なぜゴータマ・ブッダが生前に、
私がenlightenmentするのは、
ゴータマ・ブッダが死んだ後だと
私に話したことも、
自分がenlightenmentをした時にわかりました。


私はゴータマ・ブッダが死ぬまで、
自身のエゴ(欲)に気づけませんでした。

エゴ(欲)に気づけなければ、
それを手放すこともできません。


『気づくこと』は
自分を苦しみから救えることも『理解』しました。


そのためには、
自分を十分に『理解』する、それは、
自分をよーくマスター(master)しなくてはならないこともわかりました。

導師(マスター)とは、
自分で自分を十分に理解している者というマスターと、
自分が自分の主人(マスター)であるという意味でもあります。


自分が自分のマスターである、ということは、
自分は他の誰かに所有されているモノではない、
ということでもあります。


自分が自分のマスターになるということは、
真に自由であるということです。

他の誰からもそして自分からも、
束縛や支配やコントロールされることなく自由であり、
自身も他者を束縛や支配やコントロールをして他者の自由を奪うことなく、

お互いを尊重して、お互いに自由を与え合う愛を生きる者です。


自分で自分を十分に理解してマスターしていなければ、自分を光明enlightenmentへと導けませんし、
弟子たちを光明enlightenmentへと導けません。


自分をマスターする、十分『理解』する、

すべての自分のエゴ(欲)に気づけなければ、
すべての自分のエゴ(欲)を手放せなければ、
すべてを明け渡すことが起こらなくては、
光明 enlightenment は起こらないことを、
今は身を持って『理解』しています。


今日は私、アナンダのお話をosho zen tarotのカードと一緒にoshoの講話からご紹介します。


アナンダは、ゴータマ・ブッダが光明 enlightenmentを得た後からの約40年間、ゴータマ・ブッダのあらゆる身の回りのお世話をしながらそばにいました。

ゴータマ・ブッダは自身の死が起こることがわかった前日、アナンダにそれを告げました。

この時のアナンダの質問によりゴータマ・ブッダが残した有名な言葉があります。


”Be a lamp unto yourself.” 
『自分自身の燈となれ。』


oshoは講話の中でこう話してくれます。


*     *     *     *     *     *     *     *     *


ゴータマ・ブッダの最期の言葉はこうだった、

『自分自身の燈となれ。』

ゴータマ・ブッダがまさに死のうとしていたとき、アナンダが尋ねた--彼が死ぬ前日のことだ、

「あなたがいなくなったら、私たちはどうしたらいいでしょう。」

彼は言った、

『私がいなくなることはいいことだ。
そうすればあなたは自分自身の主人(マスター)になれる。

さあ自分自身の燈となりなさい。

私のことは忘れなさい。

それはいいことだ。

私がいなくなれば、
あなたはきっと私の支配から解放されるだろう。』


他人を支配しようとする人間は、なんとかしてあなたを奴隷にしようとする、それは邪悪だ、悪魔的だ。

一方、

自分自身の主人である人間は、あなたがあなた自身の主人になるよう導いてくれる。

そしてなんとかして自分の影響力を減らそうとする。



Gautam Buddha's last dying words were, 

”Be a lamp unto yourself.” 

He was dying, and Ananda asked him, just a day before his actual death, 

”When you will be no more, what shall we do?” 

He said, 

”It is good that I shall be no more. Then you can be your own master. Be a lamp unto yourself; forget me. It is good, because when I am no more you will be freed from my domination.”


Those who try to dominate others will try in every way to make a slave of you. That is evil, satanic. 

Those who become their own masters will help you to become masters, and they will try in every way to cut their influence. 


CHAPTER22. THE THIRD EYE AND PSYCHIC EYE POWER


*     *     *     *     *     *     *     *     *


ゴータマ・ブッダはアナンダの主人になるつもりも支配するつもりはありませんでしたが、アナンダ自身がゴータマ・ブッダにあまりにも影響されてしまい、ゴータマ・ブッダが自身の主人となってしまったがため、自分が自分自身の主人であることを『忘れて』しまいました。

ですから、ゴータマ・ブッダが自分の燈だと思い込んでしまい、自分で内側に燈を灯すことを『忘れて』しまいました。

それにより、

ゴータマ・ブッダの他の弟子たちが次々と『自分自身の燈となり』自分が自分の主人(マスター)となり、光明 enlightenment をしていく中、自分だけはまだ光明 enlightenment を得ていないことを嘆いていました。


*     *     *     *     *     *     *     *     *


アナンダは何度も尋ねました、

『私はいつ到達するのでしょうか?』

ゴータマ・ブッダは言いました、

『私が死ぬまでは、あなたは到達しないだろう。』

そしてアナンダはゴータマ・ブッダが死んだときに到達できたのです。

Ananda asked many, many times, 

”When am I going to attain?” 

Gautam Buddha said, 

”Unless I die, you will not attain.” 

And Ananda could attain only when Buddha died.


CHAPTER2. THE PATH OF YOGA AND THE PATH OF TANTRA


*     *     *     *     *     *     *     *     *


アナンダがなぜゴータマ・ブッダが死ぬまで光明 enlightenment を得ることができなかったのかを、oshoは講話の中でこう話します。


*     *     *     *     *     *     *     *     *


アナンダ(阿難)はゴータマ・ブッダの弟子の中でも偉大な1人であり、またもっともそば近くにいた人間だった。

しかし、ゴータマ・ブッダの在世中には、解脱を達成できなかった。

ゴータマ・ブッダはアナンダとともに40年過ごしたが、アナンダは達成できなかった。ところがアナンダより後に来た人々がたくさん達成した。それが問題となった。アナンダはもっともそば近くにいた1人だった。40年間、ゴータマ・ブッダとともに眠り、ゴータマ・ブッダとともに行動した。ゴータマ・ブッダに寄りそう影のようなものだった。おそらくゴータマ・ブッダ自身よりも、ゴータマ・ブッダについてはよく知っていただろう。

ところが彼は達成できなかった。前と同じままだった。その唯一の障害はごくありふれたものだった。

彼はゴータマ・ブッダの年長の従兄弟だった。年長の従兄弟だった。それがエゴを生み出した。

ゴータマ・ブッダが死んだ。

そこで、ゴータマ・ブッダの語ったことを書き留めるため、大きな集会が催された。

書き留めるなら早いほうがいい。ゴータマ・ブッダとともに生きた人々もそのうちいなくなる。だからなんでも記録しておいたほうがいい。

だが会衆はアナンダに委せなかった。

アナンダこそ誰よりも多く体験している人だった--ゴータマ・ブッダの言行、その生涯、その歴史…すべてアナンダは知っていた。彼ほど知っている人はいなかった。

しかし会衆の決定により、アナンダには任せられなかった。

なぜなら、まだ開悟(enlightenment)していなかったからだ。

彼はゴータマ・ブッダの言葉を記録できなかった。

無明(光明を得ていない)の人間は信用できないからだ。

欺いたりはしないだろうが、
無明の人間は信頼できない。

たとえば彼は、何々が起こったと考え、それを自分の知るかぎり正しく記すかもしれない。しかし彼はまだ目覚めてはない人間だ。

その眠りの中でなにを見ようとも、
信用されることはない。

だから、記録するのは目覚めた者だけと決定された。


アナンダは扉のすぐ外で泣いていた。
扉は閉ざされ、彼は扉のすぐそばで24時間、泣き叫んでいた。

だがアナンダは招かれなかった。

24時間というもの彼は泣き続けた。

そして突然、なにが障害だったのか気づいた--

なぜ自分がゴータマ・ブッダの在世中に到達することができなかったのか、なにが障害だったのか…。


彼は記憶をたどった。

ゴータマ・ブッダとの40年間にわたる生活を。

彼が思い出したのは、入門(イニシエーション)を求めてゴータマ・ブッダを訪れた最初の日のことだった。

入門のとき、彼は1つの条件を設けた。

そのせいで入門をすっかり逃してしまった。

彼は真の意味では、まったく入門していなかった。

条件を1つ設けたせいで、入門できなかった。


彼はゴータマ・ブッダのところへやって来て言った、

「私は弟子になるためにやって来た。

いったん弟子になったら、師であるあなたの言うことにはなんでも従うことになる--服従が必要だ。

でも現在のところ、私は兄だ。

だから命じることができるし、
あなたはそれに従わないといけない。

あなたは師ではなく、
私も弟子ではない。

いったん入門すれば、
あなたは師となり、
私は弟子だ。

そうしたらなにも言えなくなる。

だから弟子になる前に、3つの条件がある。

この3つの条件を承諾してから、入門させてほしい。」

その条件はべつにたいしたものではなかった。

だが条件は条件であり、
そのかぎりにおいて『明け渡し』は全面的ではない。

その条件は、ごく小さなもの、まったく愛すべきものだった。

彼は言った、

「1つ、私はいつもあなたとともにいる。あなたは私に『余所へ行け』と言ってはいけない。私が生きているかぎり、私はあなたの影となる。私に去れと命じてはいけない。それを約束してほしい。これから先、私はただの弟子になるから、もしも去るように命じられたら、従わざるをえない。でも私はあなたとともにいる。それは兄に対する約束だ。余所へ行けと言ってはいけない。私はあなたの影となる。私はあなたと同じ部屋で寝る。」

「第2に、私が『この人間と会ってほしい』と言ったら、いつでもその人間に会ってもらう。どんなに会いたくないと思っても、承諾してほしい。もし私が誰かに、あなたのダルシャンを、接見を与えたいと思ったら、それを許してほしい。」

「そして第3に、もし私が誰かの入門を許すように言ったら、あなたは拒否できない。

この3つの条件を受け入れてほしい。

そのことを約束してから、入門させてもらいたい。

これから先はもうなにも求めない、

なぜなら私は弟子になるのだから。」

このことを思い出したとき…

結集の扉の前で泣き悲しみながら自分の記憶をたどったとき、突然彼は気づいた--

そもそも入門などしていなかった。

なぜなら受容的でなかったからだ。

ゴータマ・ブッダは同意した。
ゴータマ・ブッダは「よろしい」と言い、
一生の間それに従った。

だがアナンダは逃した。

もっとも近い者が逃した。

このことを認識したとき、
アナンダは光明 enlightenment を得た。

ゴータマ・ブッダの在世中には起こらなかったことが、
ゴータマ・ブッダのいなくなったとき起こった。

アナンダは明け渡した。



明け渡していれば、
不在の師でさえ役に立つ。

明け渡していなかったら、
生きて目の前にいる師でさえ役に立たない。

だから入門(イニシエーション)には、
あらゆるイニシエーションには、
明け渡しが必要だ。



弟子となるため、入門(イニシエーション)のためには、
自分自身を全面的に明け渡す必要がある。

部分的な明け渡しというものは存在しない。

明け渡しとは全面性を意味する。

「私は部分的に明け渡す」と言うことはできない。それは無意味だ…まだエゴがある。

必要なのはエゴを明け渡すことだ。

エゴを明け渡せば、受容的になり、オープンになる…谷のようになる。

そうすれば頂上は流れ下ってくる。

私は象徴的に語っているのではない。

実際にそうなのだ。



Ananda, one of the great disciples of Gautam Buddha and the nearest, couldn’t attain liberation while Buddha was alive. 

Gautam Buddha was with Ananda for forty years, and Ananda couldn’t attain. 

But many who came after Ananda attained, and then it became a problem. 

And Ananda was one of the nearest – the closest. He was sleeping in the same room with Buddha, he was moving with Buddha for forty years continuously. He was like a shadow to Buddha; as much as he knew about Buddha even Buddha might not have known.

But he couldn’t attain; he remained the same. And a very ordinary thing was the only barrier: he was an elder cousin-brother of Buddha. This created the ego.

Buddha died... a great council met to write down whatsoever Buddha had said. It had to be written then. Soon those who lived with Buddha would be no more, so everything had to be recorded. 

But the council would not allow Ananda, and only he knew the greater experiences, the statements of Buddha, his life, his biography. This was all known to Ananda; no one knew so much.

But the council decided that Ananda could not be allowed because he was still unenlightened. 

He could not record Buddha’s sayings because an ignorant man cannot be believed. He would not deceive, but with an ignorant man nothing is reliable. He may think that something happened, and he may relate it authentically as far as he knows, but he is a man who is not yet awakened. Whatsoever he has seen and heard in sleep could not be believed, so only those would record who had become awakened – they decided.

Ananda was weeping just outside the door. The door was closed, and he remained just by the door for twenty-four hours, weeping, crying and screaming. But they would not allow him. For these twenty-four hours he was weeping, weeping, and then suddenly he became aware what had been the barrier – why he hadn’t been able to attain while Buddha was alive, what had been the barrier.

Then he went back into his memories. 

A forty-year-long life with Buddha! 

He remembered the first day when he came to him for initiation. But he had one condition, and that was why he missed the whole initiation. He could not be initiated because be made a condition.

He came to Buddha and he said, 

”I have come to be a disciple of yours. Once I become your disciple, you will be the master and I will have to follow whatsoever you say, I will have to obey. But right now I am your elder brother, and I can order you and you will have to obey. You are not the master, I am not the disciple. Once I am initiated, you will be the master and I will be the disciple. Then I will not be able to say anything, so before I become a disciple these are my three conditions. Say yes to these three conditions; then initiate me.”

The conditions were not very big, but a condition is a condition and then your surrender is not total. They were very small conditions, very loving conditions. He said, 

”One, I will always be with you. You cannot tell me to move anywhere else. While I am alive I will be your shadow; you cannot order me away. Give me the promise – because later on I will be just a disciple, and if you order me away I will have to follow. This will be a promise given to an elder brother – that I will be with you. You cannot tell me to move anywhere else. I will just be your shadow; I will sleep in the room where you sleep.

”Secondly, whenever I will say, ‘Meet this man,’ you will have to meet him. Whatsoever your reason for not meeting, you will have to agree. If I want that someone should be given your DARSHAN – spiritual presence – you will have to give it.

”And thirdly, if I say that someone has to be initiated, you cannot refuse. Grant me these three conditions. Promise me and then initiate me. I will not ask anything again because then I shall be just a disciple.”

When he remembered this, while he was weeping, crying before the door of the council, after he went back into his memories, he suddenly became aware that the initiation was not there because he had not been receptive. 

Buddha had agreed. He said, ”Okay!” and he followed the three conditions his whole life. 

But Ananda missed, the nearest one missed.

And the moment he realized this he became enlightened. 

That which couldn’t happen with Buddha happened when he was no more: he surrendered.



If there is surrender, even an absent master can help you. 

If there is no surrender, even an alive master who is present cannot help you. 

So in initiation, in any initiation, surrender is needed.



To be a disciple, to be initiated, one has to surrender himself totally. And there is no partial surrender. 

Surrender means total. 

You cannot say, ”I partially surrender” – it makes no sense. Then you are still there with your ego. Ego has to be surrendered, and when you surrender the ego you become receptive, open. 

You become like a valley, and then the peak can flow downwards to you. 

And I am not talking symbolically, 
it is so actually.


CHAPTER28. MEDITATION:A NUN BURDENING OF PEPRESSIONS


*     *     *     *     *     *     *     *     *


アナンダは他の光明 enlightenment を得た弟子たちのように、『明け渡し surrender』ができていませんでした。

光明 enlightenment の状態を『思い出す』ためには、

マインド(思考)とエゴ(欲)を空っぽにし、
『源泉』を『思い出す』ことは大切なことですが、

私自身の体験からも、

『明け渡し surrender』は必ず必要なものです。

私は最初に存在への『明け渡し』が起こり、

その後から、お釈迦さまやoshoなどの導師(マスター)との出会いが起こり、マインド(思考)とエゴ(欲)を空っぽにする瞑想と出会いました。

人によっては、師への『明け渡し』が最初に起こり、存在への『明け渡し』が後に起こることもあります。こちらの方が多いと思います。


明け渡しは信頼と愛のみです。


そうでなければ全てを完全には明け渡し surrender はできませんから。


アナンダは、ゴータマ・ブッダのそばで、
あらゆることをしましたが、
他のenlightenmentをした弟子たちのように、
明け渡し surrender ができていませんでした。

でも、ゴータマ・ブッダの死んだ日に、
明け渡しができていなかった自分に『気づく』ことができました…。

だから、光明 enlightenment が起こった…。

よかったですね(-_^)

やはり自分の苦しみや痛みから逃げずに、
自分の内側を見て感じて、
苦しみの原因に『気づく』ことは
その苦しみが消えるためにも大切なのですね。

では、このカードのoshoのお話です。


*     *     *     *     *     *     *     *     *


f:id:hanasennin9:20160724075740j:plain

嘆き Sorrow

この痛みは、あなたを悲しませるためにあるのではない。

それを覚えておくがいい。

人々が見逃し続けているのはそこだ…。

この痛みは、ただあなたをもっと油断なくさせるためにある--

というのも、人々は矢が自分の胸に深く刺さって、傷つかないかぎり、油断しないようにはならない。

生きることが簡単で、
心地よく、
都合がよければ、
誰が気にするかね?

油断しないようになろうなどと誰が悩むかね?

友人が死ぬと、その可能性はある。

あなたの恋人があなたをおいて行ってしまうと--闇の深いその夜、あなたは淋しく感じる。

あなたはその女性をとても愛していたし、
すべてを賭けていた。

ところが、ある日突然、彼女は去ってしまう。

淋しさに泣きながら、もしあなたがそれらを使えば、
そういう時きそ、『気づく』ようになることのできる機会だ。

矢は痛む…。

それを使うことはできるのだ。

この痛みは、あなたを惨めにさせるためにあるのではない。

痛みは、あなたをもっと『気づかせる』ためにある!

そして、
あなたが『気づく』と、
惨めさは消える。



Sorrow

This pain is not to make you sad, 
remember.

That's where people go on missing… .

This pain is just to make you more alert -- because people become alert only when the arrow goes deep into their heart and wounds them.  

Otherwise they don't become alert.  When life is easy, comfortable, convenient, who cares?  Who bothers to become alert?  

When a friend dies, there is possibility.  

When your woman leaves you alone -- those dark nights, you are lonely.  You have loved that woman so much and you have staked all, and then suddenly one day she is gone.  

Crying in your loneliness, those are the occasions when, if you use them, you can become aware.  

The arrow is hurting: it can be used.  
The pain is not to make you miserable, 
the pain is to make you more aware!  

And when you are aware, misery disappears.



from osho talks
oshoの講話より

osho zen tarot 『嘆き(sorrow)』より


*     *     *     *     *     *     *     *     *


アナンダの嘆きはそのような理由でした。

1人1人、それぞれの人生を生きていて、
1人1人、それぞれの苦しみの理由は違います。
100人いれば、その苦しみの理由は100通りあります。

oshoはその苦しみの痛みは使えると話します。

『気づき』のために使えると。

わたしはこのoshoの言葉に何度も救われました。

痛みから「逃げず」、
ひたすらその痛みを「感じ」、
全身全霊で
その痛みの「声」に耳を傾けました。

すると、

痛みの「声」がはっきりと聞こえて見えるのです。

不思議と、

その痛みの「声」を聞いたり見るだけで、
痛みを理解できると、
痛みはふっと消え去ってなくなってしまいます。

なぜ自分がそれによって苦しんでいたのか?の理由が腑に落ちてわかると、

苦しみはふっと消えてなくなるのです。


どんな知識も、
どんな技術も、
どんな魔術も、
どんなお金も、
まったく必要なく、

苦しみに『気づき』『理解』することで、
自然とそれは消え去るので癒しが起こります。


それが瞑想の素晴らしさです。


自分で自分を苦しみから救う。


瞑想は人間の本能である自己治癒力を
最大限に利用した癒しだと『理解』しました。


救世主は自分自身だった。

自分を苦しみから救いに導くマスターは
自分自身だった。


もう、救世主(メシア)を待ち続けて、
癒されないまま苦しみ続ける生き方は終わりです。



1人1人が自分自身の救世主です。

1人1人が自分自身の究極のヒーラーです。

1人1人が自分自身の導師(マスター)です。



”Be a lamp unto yourself.” 
『自分自身の燈となれ。』



それだけが真実だと深く理解できました。



アナンダさんも自分の痛みから逃げずに
自分の痛みと苦しみと向き合ったから、
ゴータマ・ブッダの死後やっと、
自分のエゴ(欲)に『気づき』『理解』が起こり、
はっと腑に落ちて、
光明 enlightenment が起こりました。


よかったですね、アナンダさん(*^_^*)

f:id:hanasennin9:20160724075703j:plain

sammasatiサマサティ(right remembrance)
正しく想起する。


『The last word of Buddha was, sammasati. 

Remember that you are a buddha – sammasati.』


瞑想と愛 (^-^)  meditation & love




花仙人




f:id:hanasennin9:20160724080014j:plain
今日ご紹介したoshoの講話は、

Vigyan Bhairav Tantra, Vol 1

The Book of the Secrets: A New Commentary, The original series of 80 discourses were simply called ”Vigyan Bhairav Tantra”. For publication as books they were divided up into 5 volumes, called the ”The Book of the Secrets Volume 1 - 5” (16 discourses each).The books were later published as ”Vigyan Bhairav Tantra Volumes 1 and 2”,(40 discourses each). The two volumes also came with a deck of 112 cards to represent the various meditations.

Talks given from 01/10/72 pm to 01/03/73 pm English Discourse series


英語のPDFダウンロードはこちはです。



今日ご紹介したoshoの講話の日本語に翻訳された本はこちらです。

『第三の眼』
f:id:hanasennin9:20160724075843j:plain

『沈黙の音』
f:id:hanasennin9:20160724075905j:plain



花仙人
広告を非表示にする