花仙人の日記

『全ては1つ』を「思い出す」sammasati

愛 Love ②

愛 Love ②


質問…

Osho、愛とはなんでしょう?

 

osho…

 

それは状況による。
人間の数と同じだけの愛がある。

 

愛はヒエラルキー(階層)だ、
最低の段から最高の段まで、
セックスから超意識までの。

 

いくつもいくつもの階層が、
数多くのレベルが愛にはある。

 

すべてはあなたしだいだ。

 

最低の段にいたら、
あなたは愛に対して最高の段にいる人とは
まったく違った考えを持つだろう。

 

アドルフ・ヒットラーは愛についてある考えを抱くし、
ゴータマ・ブッダは別の考えを抱く。

 

それらは正反対だろう、
なぜなら、
彼らは両極端だから。

 


1番下では、
愛はある種の『力関係』、『権力的な政治』だ。

 

愛が『支配』という考え(マインド)に汚染されているとき、それはかならず政治的なものになる。

あなたがそれを政治と呼ぶかどうかは問題ではない、それは政治的なものなのだ。

 

そして何百万の人たちは、この政治以外、
愛についてなにも知らない…

 

それは
夫と妻、
ボーイフレンドとガールフレンドの
間に成立する政治だ。

 

それは政治であって、すべてのことが政治的だ。
あなたは相手を『支配』しようとし、
あなたは『支配』を楽しむ。

 


そして愛は砂糖をまぶした政治にほかならない…

 

糖衣にくるまれた苦い錠剤だ。

 

あなたは愛について語るが、
深いところには相手を『搾取』しようとする『欲望』がある。

 

私はあなたがそれを意図的か意識的にやっていると言っているのではない…

 

あなたはまだそんなに『意識的』ではない。

 

あなたはそれを意図的にできない。

 

それは『無意識』のメカニズムなのだ。

 

 

だから多くの『所有欲』と多くの『嫉妬』が、
あなたの愛の一部、本質的な一部になってしまう。

 

愛が『歓び』よりも多くの『惨めさ』をつくりだすのはそのためだ。

 

その99パーセントは苦い。

 

あなたは表面にたった1パーセントの砂糖をかけているにすぎない。そして遅かれ早かれ砂糖は溶けてしまう。

 

 

恋愛関係の初期、ハネムーンの時期にいると、あなたはなんらかの甘さを味わう。

 

じきに砂糖は溶けてなくなり、現実があらわな姿を見せはじめ、すべてのものが醜悪になってしまう。

 

 

何百万の人たちがもはや人間を愛すまいと心に決めている。
犬、猫、オウムを愛するほうがまだましだ。車を愛するほうがまだましだ…

 

なぜなら、

 

あなたはそれらを確実に『支配』できるし、
相手があなたを『支配』しようとすることはないからだ。

 

それは単純なことだ。
人間が相手のときのように複雑なことにはならない。

 

 

カクテルパーティーで、女主人はひとりの上品な紳士の会話に耳を奪われた。

 

「あの子はすばらしいですよ。非の打ち所がありません」と紳士は絶賛した。

 

「あの子が私のものだったら、私も同じように思ったでしょう」と友人はうなずいた。
 
「しなしなと歩くその姿。大きな茶色の瞳、誇らしげにかかげられた頭……」
 
「あなたはほんとうに幸運ですよ」と友人は相槌を打った。
 
「いちばんぞくぞくするのはなんだと思いますか? あの子が私の耳を甘がみするときですよ」
 
「失礼ですが」と女主人が口をはさんだ。

「深い愛情のこもった言葉を聞き過ごせなかったものですから。こんなに離婚が多い昨今、それほど情熱的に奥様を愛される男性は賞賛に値しますわ」
 
「奥さんですって?」と紳士はびっくりして言った。

「違いますよ、レースで一等賞になった愛馬の話をしていたんです!」

人びとは馬、犬、動物、機械、物と恋に落ちる。

 

どうしてだろう? 

 

人間と恋愛をすると『地獄』そのものに、
絶え間のない『争い』になってしまうからだ…

 

がみがみと小言を言い、
いつも相手の弱みをつかもうと狙っている。

 

これはもっとも低いかたちの愛だ。


それはけっして悪いものではない
それを踏み石として使うことができるなら、
それを『瞑想』として使うことができるなら。

 

それを『見守る』ことができれば、
それを『理解』しようとすれば、

 

そのまさに『理解』によって、
あなたは次の段へと到達するだろう、
あなたは『上昇』しはじめるだろう。

 

最高の頂点に達し、
愛がもはや『関係性』ではなくなり、
愛があなたの『存在の状態』になったときに

 

初めて、

 

蓮の『花』は完全に開いて、
大いなる『芳香』が解き放たれる…

 

最高の頂に到って初めて。

 

1番下では、愛は政治的な『関係』にすぎない。

1番上では、愛は宗教的な意識の『境地』になる。

 

私もあなたたちを愛する。
ゴータマ・ブッダは愛するし、
エスは愛するが、
彼らの愛は『見返り』を要求しない。

 

彼らの愛は『与える』ことの歓びゆえに与えられる。

 

それは『取り引き』ではない。

 

だからこそそれは美しい輝きを放ち、
だからこそそれは超越的な美しさをたたえる。

 

それはあなたが知っているすべての歓びを上回っている。

 

私が愛について語るとき、

 

私は1つの『状態』である愛について語っている。

 

それはどこかに『向けられた』ものではない。

 

あなたはこの人やあの人を『愛する』のではない、

『ただただ愛する』


あなたは愛だ


あなたが誰かを『愛する』と言うよりも、
『あなたは愛だ』と言ったほうがいい。


だから
誰であれそれを味わう用意がある者は、それを味わうことができる。

 

誰であれあなたの存在の無限の『源泉』から飲むことができる者に、あなたは開かれている…
あなたは無条件に開かれている。

 

これは愛がもっともっと瞑想的になって初めて可能となる。

 

(medicine)と瞑想(meditation)は同じ語源から来ている。


あなたが知っている愛は病気のようなものだ。

それは『瞑想』という『薬』を必要とする。

 

瞑想を経過すれば、それは浄化される。

そして浄化されればされるほど、
それは歓喜に満ちたものになる。

 

 


Love ②


question…

Osho, What is love?


osho…

It depends. There are as many loves as there are people. Love is a hierarchy, from the lowest rung to the highest, from sex to super-consciousness. There are many, many layers, many planes of love. It all depends on you. If you are existing on the lowest rung, you will have a totally different idea of love than the person who is existing on the highest rung. Adolf Hitler will have one idea of love, Gautam Buddha another; and they will be diametrically opposite, because they are at two extremes.

At the lowest, love is a kind of politics, power politics. Wherever love is contaminated by the idea of domination, it is politics. Whether you call it politics or not is not the question, it is political. And millions of people never know anything about love except this politics – the politics that exists between husbands and wives, boyfriends and girlfriends. It is politics, the whole thing is political: you want to dominate the other, you enjoy domination.

And love is nothing but politics sugar-coated, a bitter pill sugar-coated. You talk about love but the deep desire is to exploit the other. And I am not saying that you are doing it deliberately or consciously – you are not that conscious yet. You cannot do it deliberately; it is an unconscious mechanism.

Hence so much possessiveness and so much jealousy become a part, an intrinsic part, of your love. That’s why love creates more misery than joy. Ninety-nine percent of it is bitter; there is only that one percent of sugar that you have coated on top of it. And sooner or later that sugar disappears.

When you are in the beginning of a love affair, those honeymoon days, you taste something sweet. Soon that sugar wears off, and the realities start appearing in stark nakedness and the whole thing becomes ugly.

Millions of people have decided not to love human beings any more. It is better to love a dog, a cat, a parrot; it is better to love a car – because you can dominate them well, and the other never tires to dominate you. It is simple; it is not as complex as it is going to be with human beings.

At a cocktail party the hostess couldn’t help overhearing the conversation of a suave gentleman.
“Oh, I adore her. I worship her,” declared the gentleman.
“I would too if she were mine,” agreed his friend.
“The way she walks and swishes. Her beautiful big brown eyes, her head so proud and erect…”
“You’re very fortunate,” commented his friend.
“And do you know what really thrills me? The way she nibbles my ear.”
“Sir,” the hostess interjected. “I couldn’t help listening to those affectionate words. In this day of numerous divorces I admire a man who so passionately loves his wife.”
“My wife?” said the gentleman, surprised. “No – my champion race horse!”

People are falling in love with horses, dogs, animals, machines, things. Why? Because to be in love with human beings has become an utter hell, a continuous conflict – nagging, always at each other’s throats.

This is the lowest form of love. Nothing is wrong with it if you can use it as a stepping-stone, if you can use it as a meditation. If you can watch it, if you try to understand it, in that very understanding you will reach another rung, you will start moving upwards.

Only at the highest peak, when love is not a relationship any more, when love becomes a state of your being,

the lotus opens totally and great perfume is released – but only at the highest peak.

At the lowest, love is just a political relationship.
At the highest, love is a religious state of consciousness.

I love you too. Buddha loves, Jesus loves, but their love demands nothing in return. Their love is given for the sheer joy of giving it; it is not a bargain. Hence the radiant beauty of it, hence the transcendental beauty of it. It surpasses all the joys that you have known.

When I talk about love, I am talking about love as a state. It is unaddressed:

you don’t love this person or that person,

you simply love.

You are love.

Rather than saying that you love somebody, it will be better to say

you are love.

So whosoever is capable of partaking, can partake. For whosoever is capable of drinking out of your infinite sources of being, you are available – you are available unconditionally.

That is possible only if love becomes more and more meditative.

Medicine and meditation come from the same root.

Love as you know it is a kind of disease: it needs the medicine of meditation.

If it passes through meditation, it is purified.

And the more purified it is, the more ecstatic.

 

from osho talks
oshoの講話より

 

Unio Mystica, Vol 2

Discourses on the Sufi Mystic, Hakim Sanai

Talks given from 11/12/78 am to 20/12/78 am English Discourse series

CHAPTER4. A Buddhafield in Spring

14 December 1978 am in Buddha Hall

英語の講話のダウンロードpdfはこちら
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 

 

わたしの長年の瞑想体験からわかったことは、
瞑想は傷ついた心を完全に癒すことができる1つのツールです。

 

全てを癒し、
ノーマインド、ノーエゴになると、
自分の内側にある『源泉』から愛が溢れ出続け、
その愛でいつも満たされ続けて至福であることを
完全に『思い出し』ます。


瞑想は、
自分自身を完全に癒すだけでなく、
本来の自分の才能や個性を『思い出す』だけでなく、
本来の自分が『愛である』ことを
はっきりと『体感』して『思い出す』ことができる1つのツールです。


わたしが瞑想は愛であると話し続けるのは、
自分の体験からそれらがはっきりとわかったからです。


oshoが話すように、
瞑想は確かにお薬だと思います。


あなたが本来の自分を『思い出した』とき、

それは、

あなたが『愛である』ことを『思い出した』瞬間から、

悪魔をも嫌うことができなくなります。

だって、愛だけなのですから。

どうやって嫌いになれる???


嫌いな人やモノが全くいない=愛である

それは

嫌いな人やモノが全くいない=敵がいない


敵がいない=無敵


インドの言葉では『無敵』をアジータといいます。


Ajita
अिजत (Sanskrit サンスクリット
意味は
Invincible (無敵の)、
Unsurpassed(比類ない、非常にすぐれた)


愛である=無敵 アジータ


喧嘩して誰よりもパワーで強いことが無敵ではなく、

喧嘩も競争もなにもしないで、

ただただ愛であることは完全なる無敵なのです。

嫌いな人やモノが全くいないのですから(-_^)

 

1人1人の本来の状態は愛です。

1人1人みんな本来は無敵なのですね。

 

敵がいない暮らし、
愛だけの暮らし…

 

緊張はなくなり、
リラックスの暮らし…

 

不健康から離れていき、
健康を保つ暮らし…


人間関係や恋愛関係が悪くなることがなくなる…
それは、
苦しみがなくなること。


1人1人が本来の愛である状態を『思い出す』だけで、

自然な本来のあなたのままで、

なんの努力もなく、

健康や平和や至福になれるのですね。


ただ、本来の自分の状態を『思い出す』だけで…


本来は愛であることを

『思い出す』=サマサティ


ブッダとoshoが、
1人1人の至福を祈り最後にみんなに残した言葉はサマサティsammasati…

 

 


sammasatiサマサティ
right remembrance

正しく想起する


『The last word of Buddha was, sammasati.

Remember that you are a buddha – sammasati.』


瞑想と愛 meditation & love

 

 


花仙人

 

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それを『瞑想』として使うことができるなら。

 

それを『見守る』ことができれば、
それを『理解』しようとすれば、

 

そのまさに『理解』によって、
あなたは次の段へと到達するだろう、
あなたは『上昇』しはじめるだろう。

 

最高の頂点に達し、
愛がもはや『関係性』ではなくなり、
愛があなたの『存在の状態』になったときに

 

初めて、

 

蓮の『花』は完全に開いて、
大いなる『芳香』が解き放たれる…

 

最高の頂に到って初めて。

 

1番下では、愛は政治的な『関係』にすぎない。

1番上では、愛は宗教的な意識の『境地』になる。

 

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花仙人