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花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

愛するでも憎むでもない

愛するでも憎むでもない

 

 

前回と同じく

 

二元性の陰陽の両極の極端にあると『苦しみ』、

 

二元性の陰陽の真ん中の中庸にあると『至福=愛』、

 

というお話しです。

 

 

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これは『憎む(陰)』の方に

自分のマインド(思考)が傾いたり、偏ったりしている状態。

憎むとき『苦しみ』ます。

 

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これは『愛する(陽) 』の方に

自分のマインド(思考)が傾いたり、偏ったりしている状態。

一見『幸せ』そうですが、

いつ『憎む』の『不幸』の方へと傾いたり、偏ったりするのか…を

心配し『不安』や『恐怖心』がある

『愛する』とき『苦しみ』ます。

 

また、

先日ご紹介した『好き』も

『愛する』も『行為』であり、

『愛』というのは『行為』ではありません。

 

『愛』は『愛』で『ある』という『状態』です。

 

『ある』という『状態』であり、

『する』という『行為』であはありません。

 

『行為』は24時間連続して行うと疲れますから、

『愛する』『行為』をしてしまうと、

『行為』に疲れたときに、

『愛する』相手から離れて『1人』でゆっくりと休みたくなります。

 

疲れたときに休みたくなるのは自然なことなのですが、

 

この『1人』でゆっくりと休みたくなることを

『愛する』相手が嫌がり許さない場合、

2人の意見が違う場合、

2人の間で喧嘩になったり、ぎこちない雰囲気になったりして、

 

『もう、愛していないのか…?』

 

などの疑問が浮かび上がったりします。

 

『愛する』ことは『行為』であり

『愛』で『ある』『状態』ではないので、

 

もしかしたら、

本当には自分は『愛』で『ある』『状態』ではなかった…

のかも?しれません。

 

ネムーン旅行や付き合いはじめは

この『愛する』『行為』をたくさん行うわけです。

 

しかし、『行為』は長続きできないものです。

行い続けたら疲れるのは自然なことで、

休みたくなるのは自然なことです。

 

でもその『行為』のエネルギー切れを

『愛』がなくなった、とマインド(思考)が思い、

 

『もう愛していない!』

 

『お別れしましょう!』

 

となると、

ネムーン旅行の後の離婚となったり、

恋人同士の別れになったり、

不倫や浮気に繋がったり、

人間関係の

いろいろなことになるわけです。

 

『愛する』という『行為』だけでなく、

なんでも『行為』を長く続けることは

疲れるので不可能です。

 

『愛する』『行為』を『愛』だ!

と思うマインド(思考)を持って

それを信じて思い込んでしまうと、

 

自分や他者が『愛する』『行為』をしていないときに、

 

『自分はもう愛せないのか?』

『自分はもうあの人から愛されていないのか?』

 

などの疑問(マインド)を持ってしまい、

 

『愛せない』

『愛されない』

 

などの『愛がない』というマインド(思考)を持ち、

愛に飢えた『苦しみ』を持ってしまう人もいます。

 

 

『愛』は『行為』ではありません。

『愛』は『(愛で)ある』という状態です。

 

 

『憎む』と『愛する』はコインの裏と表です。

二元性の両極です。

 

『行為』をしているときは、

『憎む』と『愛する』の二元性の両極を

振り子のように行ったり来たりしています。

 

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『憎む』から『愛する』へ、

 

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『愛する』から『憎む』へ、

 

振り子の動きがある限り、

『憎む』と『愛する』を『繰り返し続け』ます。

 

これをゲームとして楽しめるなら問題はないはずです。

 

もし、ゲームとして楽しめなくて『苦しみ』であり、

この『苦しみ』を終わらせたいならば、

振り子の動きをストップすればいいのです。

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『憎む』と『愛する』の二元性の両極の極端に

傾いたり、偏ったりする振り子の動きを止めて、

両極の真ん中の中庸でストップする。

 

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動きが止まると、

もう『苦しみ』を『繰り返す』ことにはなりません。

 

『苦しみ』はなくなります。

 

不思議と、

『苦しみ』がなくなると、

心は静かで穏やかで心地よい感じがします。

『至福感』だけが残ります。

 

『憎む』=『不幸』と『愛する』=『幸せ』の

二元性を超越したとき、

それは、二元性の両極に動く振り子が止まったとき、

 

『不幸』でも『幸せ』でもなくなったとき、

 

『至福』になります。

 

この『至福感』が『愛』の『状態』です。

 

『愛』とは『動く』『行為』ではなく、

振り子の動きが止まった『静止』した『状態』です。

 

 

『愛』=『至福』=『沈黙』です。

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陰陽の二元性を超越した『中庸』の状態=『愛』=『至福』=『沈黙』

 

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それは

感情を抑圧したり、隠したりする、

『諦め』や『妥協』ではありません。

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『諦め』や『妥協』は生きた屍であり『苦しみ』です。

 

『苦しみ』に『堕ちた』状態です。

 

『愛』で『ある』状態とは

『愛』に『昇る』状態です。

 

 

『愛』に『昇る』には、

二元性の両極へと動く振り子の動きを止めて、

二元性の両極の真ん中の中庸にあるときに

『愛』に『昇る』状態に自然となります。

 

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チャクラで見るとこんな感じです。

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『愛』は3つの段階があるといわれています。

 

1番下から、

第1チャクラの肉体レベルの愛(セックスの愛)

第1チャクラから愛の梯子を昇っていくと次に

第4チャクラのハートのレベルの愛(ハートとハートで繋がる愛)

第4チャクラからさらに愛の梯子を昇っていくと

第7チャクラの博愛のレベルの愛

 

第8チャクラは慈悲の愛ともいわれています。

 

人間は肉体を持っていますから、

どうしてもセックスの肉体レベルの愛にとどまりがちです。

 

恋人同士や夫婦間でのセックスの『愛する』『行為』に

疲れたり、飽きてしまうと、

 

『愛』がなくなった…

 

と思い込んでしまう人もいますが、

 

そして、

 

『自分はもう愛されていない…』

 

と思い込んでしまい、相手を『憎む』人もいますが、

 

『愛』にはさらに上の2つのレベルがありますから、

肉体レベルの愛の学びが終わったからといって、

『愛』が終わった…というものでもなかったりします。

 

 

1番下の愛のレベルで満足し、

上に昇りたくなければそのままでいいのです。

 

選択はいつも個人の自由ですから。

 

もし、なんだか『苦しい』…

『苦しみ』から自分を解放したい…

 

と思うならば、

 

愛の梯子を昇ると、

新しい愛を体験でき、

『苦しみ』からどんどん解放されていく選択もありますよ、

 

というお話しです。

 

 

選択はいつも個人の自由です。

 

 

瞑想は二元性の両極へと動く振り子の動きを止めて、

愛の梯子を昇る旅へと導くことをサポートする

ひとつのツールです。

 

 

戦争や争いは自分の外側にありますが、

人間関係の争いからはじまります。

 

自分の中で

『憎む』から『愛する』へ、

『愛する』から『憎む』へと、

二元性の両極を行ったり来たりして

自分と他者の

人間関係の争いの

『苦しみ』が終わらない状態…

 

がそのまんま現れたのが戦争や争いです。

 

戦争や争いをなくすためには、

 

まず、

自分の内側の振り子の動きを止めて

『愛』で『ある』『状態』に

自分がなることで、

 

自分の外側にある

戦争や争いは自然となくなります。

 

 

『憎む』でも『愛する』でもないとき、

あなたは真の『愛』で『ある』。

 

 

1人1人が自分の内側の振り子の動きを止めると

外側の戦争や争いは自然と消え去ります。

 

 

人間を生み出した母なる地球は、

人間の戦争に反対も賛成もしてはいないので

ただ静かに見守ってくれているので、

人間であるわたしには

戦争に反対も賛成もする権利はないのですが、

 

おじいちゃんの戦争体験の話や

おばあちゃんの戦争体験の話を聞いて育ったので、

戦争や争いは胸(ハート)がとても痛みます。

 

長年の瞑想をとおして理解が起こったことは、

他者や社会を変えようとして

自分の外側に働きかけることは、

 

戦争をしたい人達

戦争をしたくない人達

 

の二元性の両極の両方と争うことになるんだなー、

 

争いを止めるために争いになるのは何か違うな…

 

と思ったら、

 

自分の内側にある二元性の両極へと動く振り子の動きが

ピタっと止まったのでした。

 

戦争をする、戦争をしない、

争いをする、争いをしない、

 

のどちらの極端にも『執着』をせず、偏らず、

 

真ん中の中庸でいいんだ。

 

という理解が起こりました。

 

それは、

『愛する』と『憎む』はあってはいけない!

ではなく、

『愛する』ときも『憎む』ときもあっていい、

それは、

『善い』とか『悪い』とかではないことを『理解』でき、

どちらにも『執着』しない、中庸である、

振り子が動かないということです。

 

 

それからは、

人間関係で苦しむことがなくなりなした。

 

選択は個人の自由でいい。

 

 

苦しみがなくなり、

人間関係の争いがなくなったのは、

他者に働きかけたのではなく、

 

自分の内側の振り子が止まったからでした。

 

 

瞑想はわたしを苦しみから救ってくれました。

 

瞑想はわたしを愛の梯子に昇る旅へと導きました。

 

昇れば昇るほど、至福で満ち溢れます。

 

 

瞑想でまずは自分の内側にある『源泉』を『思い出し』ます。

それからの愛に昇る旅へと出発しました。

そして、

二元性を超越したら、

『全ては1つ』の宇宙からの大洪水の体験が起こりました。

 

『私(自分)』エゴがあるうちは『苦しみ』ます。

『私(自分)』エゴがなくなると、

『全てと1つ』を『思い出す』と『至福』です。

 

 

体験から感覚で理解が起こったことは、

瞑想は真の至福へと導いてくれるということでした。

 

 

それは、oshoやゴータマ・ブッダや全ての導師たちもそう言っていますから、

嘘ではないと思います。

 

 

みなさんの真の至福を祈っています。

 

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sammasatiサマサティ(right remembrance)
正しく想起する。


『The last word of Buddha was, sammasati.

Remember that you are a buddha – sammasati.』


瞑想と愛 meditation & love


花仙人

 

 

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oshoがつくった瞑想もあります。

oshoのアクティブ瞑想について…

http://www.osho.com/ja/meditate/active-meditations/why-active-meditations

 

oshoの瞑想の音楽もあります。

 

花仙人

 

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花仙人