花仙人の日記

『全ては1つ』を「思い出す」sammasati

本当の沈黙と二元性の超越

本当の沈黙と二元性の超越


二元性を超えるお話を
好きと嫌い
愛すると憎む
の二つのたとえを使って少しだけ前回ご紹介しました。

今日はoshoの講話から、
二元性を超えた沈黙のお話などを
ご紹介します。


osho…

本当の沈黙は
ひとりでに現れてくる沈黙でなければならない。

私の提案は、
あなたの肉体に無理をさせない
ということだ。

それよりも、
踊ったり、
歌ったり、
身体を動かしたり、
走ったり、
ジョギングしたり、
泳いだり
するがいい。

肉体をありとあらゆる仕方で動かしなさい、

そうすれば
あなたのマインドもまた
ありとあらゆる仕方で動き、
そして
あらゆる内側の動きをとおして
マインドは浄化(カタルシス)をはじめ、
毒を解放していく。


大声で叫び、
怒り、
枕を叩きなさい、

するとあなたは驚くだろう…

枕を叩いた後は、気分がよくなる。

心の中にあったものが解放された。


あなたが
妻や夫を叩く(殴る)のも
枕を叩く(殴る)のも大差はない。

枕は、
妻や夫を殴るのと同じくらい
完璧に役に立つ、

なぜなら、
肉体は
あなたが殴る相手が誰なのかを知らない。


殴るポーズを取るだけで
心は怒りを解放しはじめる。
心と肉体はともに働いている。


カタルシス(浄化)からはじめなさい、


そうすれば
子ども時代から
内側にため込んできたがらくたを
一掃し空っぽにすることができる。

あなたは怒っていた
しかし
怒りを外に表すことができなかった
なぜならば
もしあなたが怒れば
母親(父親)が取り乱してしまうからだ。

だからあなたはそれを抑え込んでしまった。

あなたは怒り腹が立ち、
叫びたかったが、
そうすることができず、
それより逆に
微笑みを浮かべた。


あなたの内側にため込んできたすべてのもの…

それは投げ捨てなければならない。


そうして待っていると…

沈黙があなたのなかに降りてくる。

その沈黙には他にはない美しさがある。

それはまったく別のものだ。
そこには異なる質がある。
そこには異なる深みがある。


”沈黙が訪れると、
一片の思考すら湧き起こらない…”

思考が起こってこないように
抑え込んだわけではない。

見張っていたわけではないし、
こちこちに身を固め、
一片の思考がよぎるのも
許さなかったわけではない。

あなたは闘っているのではなく、
あなたは手放しの状態になっている、
しかし
何ひとつ湧いてこない。

一片の思考も湧いてこず、
思考がひとりでに消えてゆくとき…
それは美しい。

そうなったら
あなたは完璧に静かであり、
その沈黙はよいものだ。


強いられた沈黙はよいものではない。


”内側を見ている者は、
突然、
見ていることを忘れてしまう。”

その体験の中で、このようなことが起こる…

”内側を見ている者は、
突然、
見ていることを忘れてしまう。”

これが本当に内側を見るということだ…

内側を見ていることさえ
忘れてしまうということが。


もし内側を見ていることを覚えていたら、
それはまたしても
1つの思考にすぎない。


最初は外界を見ていたし、
今度は内界を見ているが、
そこには自我(エゴ)がある。

最初は外向的で、
今度は内向的だが、
そこには自我(エゴ)がある。

最初は樹々を見ていたが、
今度は思考を見ている。

最初は客観的なものを見ていた、
今は主観的なものを見ているが、
すべてのことは同じままだ。

あなたはいまだに二つに…

見る者と見られるものに、
観察者と観察されるものに、
主観と客観に
分割されている。

二元性がしつこく残っている。

これは本当の沈黙ではない、

なぜならば、

二つのものがあれば
葛藤が起こるからだ。

二つのものは
沈黙にできない。

一つになると、
あなたら沈黙になる、

なぜならば、

どのような葛藤も可能ではないからだ。


沈黙を無理に強いるのではなく、

それが自然に降りてくるのを許しなさい。


無理に強いられた沈黙は
人為的であり、横暴だ。


これこそ私がここで
あなたがたとともに、
私の人々とともに、
起こそうとしている
大いなる変革のひとつだ。


すべての古い技法は
基本的に何かを強いている。


私自身の理解では、
『けっして何も強いてはいけない。』


それよりも、
あなたが持ち運んでいるがらくたを
すべて放り出すがいい。


もっともっと空っぽになり、
もっと広々とした空間をもちなさい。

内側にもう少し空間をつくりだせば、
その空間に沈黙が訪れてくる。


自然は空っぽを嫌う、

もしあなたががらくたを全て捨てることができ
空っぽになったら、

彼方から
あなたの内側になにかが降りはじめてくるのがわかるだろう。

あなたの中に舞い踊るエネルギーが
あなたのすべての細胞のなかに入ってくる。


あなたは
言葉もなく、
音もない歌、
神性な音楽で満たされる。


この音楽の中には
見ている者がいない。

この音楽の中には
見られている者がいない。


観察する者が
観察されるものになっている。

踊り手は
踊りそのものになり、

あらゆる二元性が消え失せている。


この非二元性こそ
真の沈黙に他ならない。


”このとき、
身体とハートは
完全に解き放たれてしまうであろう。”


このような瞬間には、
あなたは手放し状態のままで
いなければならない。


姿勢のことなど
いっさい忘れてしまいなさい。

やろうとすることは
すべて忘れて、
何もしようとしてはいけない。


無為の状態にありなさい。


ただリラックスしなさい、
完全にリラックスしなさい、
何もしないで、

なぜなら、
もっとリラックスするほど
あなたの実存の中に
沈黙が入ってくることができるからだ、

ただ開いて、
受け入れ、
リラックスする。


”すべての困難な状況が
あとかたもなく消え去る。”


するとあなたは驚くだろう--

あなたが落とそうとした、
また、落とすことができなかった
すべてのそれらの欲が
それら自身で消え去るからだ。


すべての困難な状況、
すべてのマインドの占領、
すべてのそれらの思い、
すべてのマインドの往来はもうそこにはない。




The real silence has to be a silence that comes on its own. 

My suggestion is: don’t force your body. 

Rather, dance, sing, move, run, jog, swim. 

Let the body have all kinds of movements so your mind also has all kinds of movements, and through all those kinds of inner movements, the mind starts catharting, releasing its poisons.

Shout, be angry, beat a pillow and you will be surprised – after beating a pillow you feel very good. Something in the mind has been released. 

It does not matter whether you were beating your wife, your husband, or the pillow. 

The pillow will do perfectly as well as beating the wife or the husband, because the body does not know whom you are beating. 

Just the very posture of beating and the mind starts releasing its anger. 
Mind and body collaborate.

Start with catharsis, 

so that you become empty of all the rubbish that has been accumulating in you from your very childhood. 

You were angry but you could not be angry because the mother becomes mad if you become angry – so you repressed it. 

You were angry, you wanted to shout, but you could not shout; rather, on the contrary, you smiled. 

ALL that is accumulated in you – it has to be thrown out. 

And then wait... 
and a silence starts descending in you. 

That silence has a beauty of its own. 

It is totally different; 
its quality is different, 
its depth is different.


”When the silence comes, not a single thought arises”

not that you force your thinking not to arise, 
not that you keep watch, 
not that you become very tight and you won’t allow a single thought to pass. 

You are not struggling, 
you are in a let-go, 
but nothing arises. 

That is beautiful – when no thought arises, 

when thoughts disappear of their own accord. 

Then you are utterly silent, 
and this silence is positive. 

The forced silence is negative.


HE WHO IS LOOKING INWARD SUDDENLY FORGETS THAT KE IS LOOKING.

And in this experience this will happen: 

HE WHO IS LOOKING INWARD SUDDENLY FORGETS THAT HE IS LOOKING.

This is REAL inward looking – when you forget that you are looking inwards. 


If you remember that you are looking inward, that again is a thought and nothing else. 


First you were looking outward, 
now you are looking inward, 
but the ego is there. 

First it was extrovert, 
now it is introvert, 
but the ego is there. 

First you were looking at the trees, 
now you are looking at the thoughts. 

First you were looking at the objects, 
now you are looking at the subject, 
but the whole thing remains the same. 

You are still divided in two – 

the looker and the looked upon, 
the observer and the observed, 
the subject and the object. 

The duality persists.

This is not real silence, 

because when there are two there is bound to be conflict. 

Two cannot be silent. 

When you are one then you are silent 

because there is no possibility of any conflict.

Allow silence to descend on you rather than forcing it. 

The forced silence is artificial, arbitrary.


That is one of the great changes that I am trying to make here with you, with my people. 


All the old methods are basically of enforcing something. 

My own understanding is: never enforce anything. 

Rather, throw out all junk that you have been carrying. 

Become more and more empty, become more roomy. 

Create a little more space in you, and in that space the silence comes.

Nature abhors emptiness, 
and if you can throw all the junk out and you are empty, you will see something from the beyond start descending in you. 

A dancing energy enters in you, 
in your every cell. 

You are full of song – wordless, soundless – a divine music. 

In this music there is nobody who is looking. 

In this music there is nobody who is looked at. 

The observer is the observed. 

The dancer has become the dance, 

and all duality has disappeared.


This non-duality is the only real silence.


AT THIS TIME, BODY AND HEART MUST BE LEFT COMPLETELY RELEASED...


And in such moments you should remain in a let-go. 

Forget all your postures. 

Forget everything that you try to do; don’t try to do anything. 

Be in a state of non-doing. 

Just relax, 
relax utterly, 
doing nothing, 
because the more relaxed you are the more silence can penetrate into your being – just open, vulnerable, relaxed.


ALL ENTANGLEMENTS HAVE DISAPPEARED WITHOUT TRACE.

And then you will be surprised – all those desires that you have been trying to drop and were unable to drop have disappeared on their own. 

All entanglements, 
all occupations of the mind, 
all those thoughts, 
all that traffic of the mind is no more there. 




from osho talks
oshoの講話より

The Secret of Secrets, Vol 2

Talks on the Secret of the Golden Flower

Talks given from 27/08/78 am to 10/09/78 am English Discourse series

CHAPTER9: With emptiness, the matter is settled

4 September 1978 am in Buddha Hall

この英語の講話のダウンロードpdfはこちら



oshoの作った瞑想には、
ヴィパッサナ瞑想のように
坐禅のように坐って行うものの他に
アクティブ瞑想といって、
音楽とダンスの瞑想があります。

身体を動かすことは
身体の健康だけでなく、
心の健康のバランスをとるためにも大切なことです。

読書の秋
芸術の秋
スポーツの秋
瞑想の秋
etc…の秋

いろんな秋を楽しんでみてくださいね(*^_^*)



sammasatiサマサティ(right remembrance)
正しく想起する。

『The last word of Buddha was, sammasati.
Remember that you are a buddha – sammasati.』

瞑想と愛 meditation & love


花仙人


瞑想はたくさんの種類があります。
ご自分にあった瞑想がみつかるといいですね(*^_^*)

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oshoアクティブ瞑想に関してはこちら、


oshoの瞑想音楽はこちら、


花仙人