花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

孤独の恐れと痛み

孤独の恐れと痛み
 
 
前回のブログで
lonelyとaloneの違いをoshoの講話から少しご紹介しました。
 
lonelyは独りで在ることを寂しいと感じる。
aloneは独りで在っても寂しくなく至福を感じる。
 
この違いがあります。
 
そして二つ前のブログでは、
 
oshoは
lonelyで在ると他者を愛せず
aloneで在ると他者を愛せる
と話しています。
 
たしかに、
lonelyの寂しいは、
他者の不在であることを寂しいと感じるので、
他者を愛するよりも、
他者からの愛が欲しいという
他者によって自分のエゴ(欲)を満たしたい思いがありますから
エゴ(欲)であり、愛ではないようです。
 
そして
aloneは
他者が不在であっても寂しくはなく
独りであっても至福感で満たされるため
それは
自己の顕在であるので、
他者からの愛がなくても
自身の内側から溢れ出る愛で満たされているので、
他者から愛が欲しいという
他者によって自分のエゴ(欲)を満たしたいという思いがないので、
ただただ内側から愛が溢れ出続けている状態ですから、
エゴ(欲)はなく、
aloneは愛で在る、といえます。
 
 
しかし、
人間はなかなか独り在ることが
寂しくないaloneな状態になれないようです。
 
lonelyからaloneへの変容がなかなかできない…
 
lonelyの寂しい愛に飢える苦しみから離脱できない…
 
さて、どうしたらよいでしょうか?
 
今日はoshoがその質問に答えている講話から少しご紹介します。
 
 
*     *     *
 
 
question…
 
osho、
アローンネス aloneness(独り在ること)の中で
自分自身に直面することは
とても恐くて、
とても痛いです。
どうしたらいいでしょう?
 
 
osho…
 
アローンネス Aloneness(独存)の中で
自分自身に直面することは
『恐れ』と『痛み』に満ちているが、
人はそれを苦しまなければならない。
 
それを避けるために何もすべきではない。
気をそらせるために何もすべきではないし、
それから逃れるために何もすべきではない。
 
それを苦しみ、
それを通り抜ける必要がある。
 
この苦しみとこの痛みは、
あなたが新しい誕生の近くにいるという良い徴しだ、
なぜならあらゆる誕生には痛みが先立つからだ。
 
それを避けることはできないし、
それがあなたの成長の一部である以上、 
それを避けるべきではない。
 
この痛みと苦しみは伝統的なタパスチャリア、厳格な禁欲生活として知られている。
 
タパスとは
努力を要する厳格な
という意味だ。
 
 
だがなぜこの痛みがあるのだろうか?
 
 
これを『理解』する必要がある、
なぜなら『理解』はあなたがそれを通り抜けることを助けてくれるし、
それを知りながら通り抜ければ、
より容易に、
より早く
そこから抜け出せるからだ。
 
 
独りのときにはなぜ痛みがあるのだろう? 
 
 
第一のことは、
あなたのエゴが病気になるということだ。
 
あなたのエゴは他人とともにしか存在できない。
 
それは『関係性』の中で成長してきており、
独りでは存在できない。
 
だから状況がエゴが存在できないものになれば、エゴは窒息する。まさに死に瀕するのを感じる。
 
 
これこそが最も深い苦しみだ。
 
 
あなたはまるで自分が死にかけているように感じる、
 
だが死にかけているのはあなたではない、
 
あなたが自分と取り違えてきた、
あなたが自分だと思ってきたエゴにすぎない。
 
それが存在できなくなるのは、
それが他人から与えられたものだからだ。
 
それは寄贈品だ。
 
他人から離れて行くときに、
携えて持って行くことはできない。
 
 
それをこのように考えてごらん、
 
あなたが社会の中にいるとき、
人々はあなたをとてもいい人だと思う。
この善良性はあなたが寂しいさまlonelyや孤独なさまaloneの時には存在できない、
なぜならば、
これは人々があなたをどう思っているかだからだ。
 
さあ、それらの人々はもういない。
 
あなたのイメージはもう助けることはできない。
それは基礎にはなれない。
徐々にそれは消え去り、
そして
あなたはとても悪い感じがしてくるだろう、
なぜならば、
あなたはなんともいい人だったのに
今ではそうではないからだ。
 
そして、それはいい人たちだけの苦しみではない、
 
もし、あなたが悪い人ならば、
あなたが悪い人というのも
誰かからあなたに与えられたものだ。
 
それらも注目を引き始める。
 
たくさんの人々があなたを悪い人だと思いはじめるとき、彼らはあなたに注目を与える。
彼らはあなたに無関心ではいられない、
彼らはあなたに気づきはじめる。
 
あなたは誰かだ、
悪い人、危険だ。
 
 
あなたが独りの中に入るとき、
あなたは何者でもなくなる。
 
 
悪いイメージは消え去り、
そして
あなたはそれに餌をやる、
あなたのエゴはそれに餌をやる。
 
だから、
『悪い人』と『いい人』は基本的に違いはない--両方ともエゴを増していく。
 
彼らの手段は違うが、
しかし、
彼らのゴールは同じだ。
 
『悪い』も『いい』も他者次第だ。
 
彼らは社会の中に存在している。
 
聖人と罪人、
彼らは社会の中に存在している。
 
孤独とは聖人でも罪人でもない。
 
 
だから
アローンネス Aloneness(独り在ること)の中では、
 
あなたが自分について知っていたものはすべて落ちることになる、
 
徐々にそれは消えてしまう。
 
 
ある程度なら自分のエゴを引き延ばすことはできる
 
--それには想像力を駆使しなければならないのだが--
 
しかし、それも長く引き延ばすことはできない。
 
社会がなくてはあなたは根こそぎにされる。食料を得る土が存在しないからだ。
 
これが根本的な苦痛だ。
 
 
もはや自分が誰か確信が持てなくなる、
あなたはまさに消えつつある『人格』、
解体しつつある『人格』だ。
 
だがこれはいいことだ、
 
なぜならこの『偽りのあなた(人格)』が消えないことには、
『本物』が姿を現すことはできないからだ。
 
あなたが完全に洗い流され、
きれいにならないかぎり、
『真実』は姿を現すことができない。
 
 
この『偽物のあなた』が王座を占めている。
これを退位させる必要がある。
 
 
孤独で生きることによって、
偽りをすべて立ち去らせることができる。
 
 
そして社会から与えられたものはすべて『偽もの』だ、
 
実際、『与えられたもの』はすべて『偽もの』だ、
 
『あなたとともに生まれてきたものが本物』だ。
 
本来のあなたはすべて、
他人から付与されたのでないものはすべて、
『本物』であり、『真実』だ。
 
だが『偽もの』はすべて立ち去らせなければならない。
 
そしてその『偽もの』こそが大いなる投資なのだ、
 
あなたはそれに大変な投資をしてきた、
それをたいそう追い求めてきた。
あなたの希望はすべてそれにかかっている。
 
だからそれが解体し始めると、
あなたは『恐怖』を感じる。恐れおののく。
 
 
「いったい自分をどうしようというんだ? お前は自分の全人生を、全構造を壊そうとしている」
 
 
『恐怖』が起こる。
 
 
だがあなたはこの『恐怖』を通り抜けなくてはならない、
 
そうして初めて『恐怖なし』になれる。
 
私はあなたが『勇敢』になるとは言わない、
そうではない。
 
私が言うのは、あなたは『恐怖なし』になるということだ。
 
 
『勇気』とは恐怖の一部にすぎない。
 
あなたがどれほど勇敢であったとしても、
その背後には恐怖が隠れている。
 
私は「恐怖なし」という。
 
あなたは勇敢にはならない、
恐怖がないときに、勇敢になる必要はない。
 
勇気も恐怖も両方とも的外れだ。
それは同じコインの両面だ。
 
だから勇敢な人とは、逆立ちしたあなたにすぎない、
 
あなたは勇気が隠れていて、恐怖が表面に出ている、
彼らは恐怖が隠れていて、勇気が表面に出ている。
 
だから独りでいるとき、
あなたは非常に勇敢だ、
 
何かについて考えているときあなたは非常に勇敢だが、
本当の状況がやってきたら、 
あなたは恐ろしくなる。
 
 
兵士について言われたことだ、
前進する前、彼らはみな同じように恐れる。
 
内側は震えている、
しかし彼らは行く。
 
彼らは無意識にこの震えを横に押しやる、
そしてもっと内側は震えてだす、
もっと体裁をつくるほど
彼らのまわりは勇敢だ。
彼らは鎧をつくりだす。
 
その鎧を見てごらん、
とても勇敢だ、
しかし
奥深いところでは恐怖で満ちている。
 
 
すべての中で
『最も深い恐怖を通り抜けた』とき、
初めて人は『恐怖を持たなくなる』--
 
それこそがエゴの解体、
イメージの解体、
人格の解体だ。
(人格とは、本来の自分ではない作り上げた偽りの仮面をかぶりそれを演じている自分のこと)
 
 
これらの解体が『死』だ、
 
そこから『新しい生命が出現』しようとしていることをあなたは知らないから、
 
そのプロセスの中では、
あなたには『死』しか分からない。
 
今あるあなた『偽りの人格であるあなた』が
『死』んで初めて、
そのとき初めて、
『死』がまさに『不死』への扉だったことがわかかる。
 
だがそれは最後に来ることだ。
プロセスの途中では、あなたはただ死んでいくだけだ。
 
(肉体の死のときもあれば、
肉体は生きたまま『私(自分)』が「消える=死」もある。
『私(自分)』が消えると『存在と1つ』であることを『思い出す』
それは
『私(自分)』の死=『存在と1つ』の不死を『思い出す』こと)
 
 
あなたが非常に大切にしてきたものはすべてあなたから取り去られていく--
あなたの人格、
あなたの考え、
あなたがすばらしいと考えてきたものすべてだ。
 
すべてがあなたを離れていく。
 
あなたは裸になっていく。
 
すべての役柄、
身につけてきたものが取り去られていく。
 
その過程には恐怖がある、
 
だがこの恐怖は
基本であり、
必要であり、
避けることはできない--
 
人はそれを通り抜けなければならない。
 
あなたはそれを『理解』すべきだが、
避けようとしてはいけないし、
それから逃げようとしてもいけない、
 
なぜならどれほど逃げようも、
必ず元に引き戻されるからだ。
あなたはその『人格』に引き戻されることになる。
 
 
深い『沈黙』と『孤独』に入る人たちはいつも、
 
「恐怖がやってきたら、どうしたらいいでしょうか?」
 
と私に尋ねる。
 
私はその人たちに何もしないように、
ただその恐怖を生きるようにと告げる。
 
震えがきたら、震えなさい。
 
どうして邪魔をする? 
 
内に恐怖があるのなら、
そしてあなたが恐怖で震えているのなら、
それとともに震えなさい。
何もしてはいけない。
それが起こるのを許しなさい。
 
それはひとりでに立ち去る。
 
もしあなたがそれを避けたら…
たしかに、それを避けることはできるのだが。
 
あなたは「ラム、ラム、ラム」とマントラを唱え始めることができる。
マントラにすがって、気を逸らすことができる。
あなたはなだめられ、恐怖がなくなる、
 
あなたはそれを『無意識』に押しやったのだ。
 
それは出てこようとしていた
 
--それはいいことだった。
あなたはそれから解放されようとしていた--
 
それはあなたから立ち去ろうとしていた、
それがあなたから離れるとき、
あなたは震える。
 
 
それは自然なことだ、
なぜなら肉体とマインドのあらゆる細胞から、
常にそこに押し込まれてきたあるエネルギーが立ち去ろうとしているからだ。
 
震えやおののきが起こるだろう。
それはちょうど地震のようなものだ。
魂全体がそれによってかき乱される。
 
だがそのままにしておきなさい。
何もしてはいけない。
それが私の忠告だ。
 
マントラを唱えてもいけない、
それに対して何をしようとしてもいけない、
なぜならば、
あなたが何をしようとも、
それは再び『抑圧』になってしまうからだ。
 
ただそれがそうであることを許すことによって、
そのまま任せることによって、
それはあなたを立ち去る--
 
そしてそれが立ち去ったとき、
あなたはまったく別の人間になる。
 
 
 
question…
 
Osho,
Confrontation of oneself in aloneness is very fearful, very painful. What to do?
 
 
osho…
 
It is fearful and it is painful, 
and one has to suffer it. 
 
Nothing should be done to avoid it, 
nothing should be done to divert the mind, 
nothing should be done to escape form it. 
 
One has to suffer it and go through it. 
 
This suffering, this pain, is just a good sign that you are near a new birth, 
because every birth is preceded by pain. 
 
It cannot be avoided, and it should not be avoided because it is part of your growth. 
 
This pain and this suffering is known traditionally as tapascharya, austerity. 
 
This is the meaning of tapas - arduous austerity, effort.
 
 
But why is this pain there? 
 
 
This should be understood 
because understanding will help you to go through it, and if you go through it knowingly, you will come out of it more easily, and sooner.
 
 
Why is there pain when you are alone? 
 
 
The first thing is that your ego gets ill. 
 
Your ego can exist only with others. 
 
It has grown in relationship, 
it cannot exist alone. 
 
So if the situation is one in which it can exist no more, it feels suffocated, it feels just on the verge of death. 
 
 
This is the deepest suffering. 
 
 
You feel just as if you are dying, 
but it is not you who is dying 
but only the ego which you have taken to be yourself, 
with which you have become identified. 
 
It cannot exist because it has been given to you by others. 
 
It is a contribution.
 
When you leave others you cannot carry it with you. 
 
Think of it in this way: 
when you are in society, people think you are a very good person. This goodness cannot exist when you are lonely and alone because this is what people thought about you. 
 
Now those people are there no more. Your image cannot be helped. It has become foundationless. 
By and by it will disappear and you will feel very bad because you were such a good person and now you are no more. 
 
And not only good people will suffer, if you are a bad person that too was given by others to you. That too is a way of getting attention. When many people consider you bad they give you attention. They cannot be indifferent to you, they have to be aware of you. You are somebody, a bad man, dangerous. 
 
When you move into loneliness, 
you become nobody. 
 
That bad image will disappear and you were feeding on it, your ego was feeding on it. 
 
So bad men and good men are not basically different - both are gaining their egos. 
 
Their mediums differ, but their goals are the same.
 
The bad depends on others, the good also. 
 
They exist in society. 
 
The saint and the sinner, 
they exist in society. 
 
Alone you are neither a saint nor a sinner. 
 
So in aloneness all that you know about yourself will fall; by and by it will disappear. 
 
You can prolong your ego for a certain period - and that too you will have to do through imagination - but you cannot prolong it for long. 
 
Without society you are uprooted; the soil is not there from where to get food. 
 
This is the basic pain. 
 
 
You are no longer sure who you are: 
you are just a dispersing personality, 
a dissolving personality. 
 
But this is good, 
 
because unless this false you disappears, 
the real cannot emerge. 
 
Unless you are completely washed and become again clean, the real cannot emerge.
 
 
This false you is occupying the throne. 
It must be dethroned. 
 
 
By living in solitariness all that is false can go. 
 
 
And all that is given by society is false - 
really, all that is given is false, 
all that is born with you is real. 
 
All that is you by yourself, 
not contributed by someone else, is real, authentic. 
 
But the false must go. 
 
And the false is a great investment: 
 
you have invested so much in it, 
you have been looking after it so much. 
All your hopes hang on it. 
 
So when it starts dissolving you will feel fearful, afraid, trembling. 
 
 
What are you doing to yourself? 
You are destroying your whole life, 
the whole structure.
 
 
There will be fear. 
 
 
But you have to go through this fear, 
only then will you become fearless. 
 
I don’t say you will become brave, no. 
 
I say you will become fearless. 
 
Bravery is just part of fear. 
 
Howsoever brave you are, the fear is hidden behind. 
 
I say fearless. 
 
You will not be brave, 
there is no need to be brave when there is no fear. 
 
Bravery and fear both become irrelevant. They are both aspects of the same coin. 
 
So your brave men are nothing but you standing on your head - just in shirshasan. 
 
Your bravery is hidden within you and your fear is on the surface; their fear is hidden within and their bravery is on the surface
 
So when you are alone you are very brave, 
 
when you think about something you are very brave, 
but when a real situation comes you are fearful. 
 
 
It is said about soldiers, the greatest of them, that before going to the front they are as afraid as anyone.
 
The inside is trembling, but they will go. 
They will push this trembling aside into the unconscious; and the more the inner trembling is there, the more they will create a facade that they are brave around them. They will create an armor. 
 
You look at that armor - it looks brave, 
but deep down they are filled with fear. 
 
One becomes fearless only when one has gone through the deepest fear of all - 
that is the dissolving of the ego, 
the dissolving of the image, 
the dissolving of the personality.
 
This is death 
because you don’t know if a new life is going to emerge out of it - during the process you will know only death. 
 
Only when you are dead as you are, as the false entity, only then will you know that the death was just a door to immortality. 
 
But that will be the end. 
During the process you are simply dying. 
 
Everything that you cherished so much is being taken away from you - 
your personality, 
your ideas, 
all that you thought was beautiful.
 
All is leaving you. 
 
You are being denuded. 
 
All the roles and robes are being taken away. 
 
In the process fear will be there, 
 
but this fear is basic, necessary, inevitable - 
 
one has to pass through it. 
 
You should understand it, 
but don’t try to avoid it, 
don’t try to escape from it 
because every escape will bring you back again, 
you will move back into the personality.
 
 
Those who go into deep silence and solitude, they always ask me, 
 
“There will be fear, so what to do?”
 
 I tell them not to do anything, just to live the fear. If trembling comes, tremble, 
 
why prevent it? 
 
If an inner fear is there, and you are shaking with it, so shake with it. 
Don’t do anything. 
Allow it to happen. 
 
It will go by itself. 
 
If you avoid it - and you can avoid it. 
 
You can start chanting Ram, Ram, Ram; you can cling to a mantra so that your mind is diverted. You will be pacified and the fear will not be there - you have pushed it into the unconscious. 
 
It was coming out - which was good, you were going to be free from it - it was leaving you and when it leaves you, you will tremble. 
 
That is natural because from every cell of the body, of the mind, some energy which has always been there pushed down, is leaving. 
 
There will be a shaking, a trembling; it will be just like an earthquake. 
 
The whole soul will be disturbed by it but let it be. Don’t do anything. That is my advice. 
 
Don’t even chant the name of Ram. 
Don’t try to do anything with it because all that you can do will again be suppression. 
 
Just by allowing it to be, by letting it be, it will leave you - and when it has left, you will be altogether a different man.
 
 
 
from osho talks
oshoの講話より
 
The Book of Secrets
 
CHAPTER 70: SUFFER THE PAIN OF ALONENESS
 
 
*     *     *
 
 
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oshoはいろいろな講話の中で
このaloneness 独り在ることについて話しています。
 
 
わたし自身もlonelyからaloneへの変容はなかなかできませんでした。
 
でも、ある日、
 
lonelyの寂しいというのは
自分が作り出しているマインド(思考)じゃん!?
 
ということに『気づいた』のです。
 
で、
寂しいlonelyが
自分が作り出しているマインド(思考)なだけだ!
という『気づき』が起こったら、
自然とそのマインド(思考)が消えてなくなってしまいましたσ(^_^;)
 
何10年間も手放せなく苦しんだlonelyの寂しい孤独感だったのに、
『気づき』が起こったら
一瞬で消え去るって…
 
いったい、今までの寂しい孤独感の苦しみはなんだったのか…(・_・;
 
と自分で自分に
 
今までご苦労さまでした…
 
と言って笑いましたσ(^_^;)
 
 
結局、
そばにいて欲しい人が
そばにいないことが寂しかった、
 
それは、
 
その人にそばにいて欲しい
という
自分のエゴ(欲)があり、
そのエゴ(欲)が満たされない惨めさが
辛く苦しくあっただけであり、
 
実際には、
狭い日本の中、
この住宅事情の中、
同じアパートの各部屋には人間が住んでいて
アパートの周りの住宅にもたくさん人間は存在して、
ぜんぜんひとりぼっちではないじゃん!?
人間でいっぱいじゃん!
 
しかも、
人間だけでなく、
ペットの犬や猫や、
のら猫やのらネズミや鳥や昆虫やミミズや植物や微生物やウイルスや…
あらゆる生き物たちでいっぱいじゃん!
 
なんてことにあらためて気づいてしまったら、
もう、
なぜ、1人暮らしが寂しかったのか…
自分でもわからなくなりましたσ(^_^;)
 
 
すると、
自然とlonelyからaloneへの変容が起こり、
自然と寂しい孤独感から至福感になっていました。
 
 
寂しい孤独感は
自分のマインド(思考)が作り出していただけなんだ、
 
自分がそばにいて欲しい人がいないということが寂しく惨めだな…と思うマインド(思考)があっただけで、
 
現実は、
本当はひとりぼっちではなく、
周りにはたくさんの生き物たちが存在している。
 
ということに『気づいた』
 
それだけのことですが、
あんなに手放せなかった寂しい孤独感のlonelyを一瞬で自然に手放せたのでした。
 
『気づき』ってすごいな〜とd(^_^o)
 
 
自分でも気づかず無意識にしがみついて執着しているエゴ(欲)…
 
エゴ(欲)は苦しみのもとですよね〜σ(^_^;)
 
でも、
エゴ(欲)を手放した後に
それが苦しみの原因だったことに
気づくのです…
 
 
苦しみから解放され
真に至福になるには
自分のエゴ(欲)探しは大切かもしれませんね(-_^)
 
 
そんなわけで、
独り在ることを自然に自由に生きる
のら猫のようだからと、
今では、
のら猫hanaちゃんと呼ばれていますσ(^_^;)
 
肉球iPhoneのキーをたたいてタイプしてブログをアップしているにゃ〜(-_^)🐾
 
 
oshoや多くの導師たちが話す死とは
 
肉体の死のときもあれば、
 
肉体は生きたまま『私(自分)』が「消える=死」もあります。
 
『私(自分)』が消えると『存在と1つ』であることを『思い出す』
それは
『私(自分)』の死=『存在と1つ』の不死を『思い出す』ことでもあります。
 
 
『私(自分)』の死とは、
 
ノーマインドとノーエゴ
二元性の振り子が真ん中の中庸で止まった
本来の自分の沈黙の至福の状態
それは
『源泉』を『思い出した』状態
『存在全てと1つ』を『思い出した』状態
 
 
oshoや多くの導師たちが伝え続けている
みんなを真の至福へと導くメッセージは
 
 
サマサティsammasati
 
 
1人1人みんなが『源泉』を『思い出す』体験が起こり至福に導かれることをいつも祈っています。
 
 
sammasatiサマサティ(right remembrance)
正しく想起する
 
『The last word of Buddha was, sammasati.
Remember that you are a buddha – sammasati.』
 
瞑想と愛 meditation & love
 
 
花仙人
 

『私(自分)』が死ぬ…
それは
エゴ(欲)がなくなる…
マインド(思考)がなくなる…
というoshoの講話の本もあります。
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瞑想は『源泉』を『思い出す』ことをサポートする1つのツールです。
 
瞑想はたくさんの種類があります。
ご自分にあった瞑想がみつかるといいですね(*^_^*)
 
 
oshoアクティブ瞑想に関してはこちら、
 
 
oshoの瞑想音楽はこちら、
 
 
花仙人
 
 
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花仙人
 
 
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