花仙人の日記

『全ては1つ』を「思い出す」sammasati

人間は『宇宙の縮図』であり『小宇宙』だ

人間は『宇宙の縮図』であり『小宇宙』だ


前回からの続きです。。。

 

わたしの体験からわかったことは、

瞑想は

『本来の状態』である
内側にある『源泉』魂や
『全ての存在と1つ』であることを、

 

『頭の知識』により…ではなく

『感覚』によって『思い出しやすく』する

1つのツールだ、ということでした。


瞑想は100以上もの種類がありますし、
oshoが作った瞑想もあります。

わたしはいろいろな瞑想を試してみましたが、
ヴィパッサナ瞑想が1番あっていたようで、
おしゃかさまが蓮華座で座り瞑想をしたような状態で
ヴィパッサナ瞑想を朝と晩毎日しましたし、
今も毎日しています。


わたしはその体験が起こるまでは、
光明 enlightenmentという言葉すら知らなかった全くの無知でしたし…
ですから宗教にも全く興味もなく…
今だにどの宗教グループにも入っていない
のら猫のように自由に生きていますが、

 

瞑想をはじめたきっかけは、
甲状腺の難病による合併症などの身体の苦痛や
心のストレスなど、

 

身体と心の
アンバランスな不健康な状態から
バランスがとれた健康な状態へと
改善するために
はじめました。


瞑想がなんであるか、などの知識も全くなく…
ただ、瞑想をすると心地よかったので続けました。

 

不思議と生理痛やPMSなどがどんどんなくなっていき、
いろいろな体調改善が起こり
痛みが少なくなったので
毎日が生きやすくなったのと、

 

内側にあるあらゆる
マインド(思考)やエゴ(欲)を
『観照』し『手放す』ことで、
心がどんどん軽く明るくなっていく感じが
とても嬉しくて、

 

ただ好きだから…
という理由だけで瞑想を毎日何年も続けました。


あと
貧しいのでお金もないわたしには
自分の身一つあればできる
お金が一銭もかからない瞑想で
身体と心が改善されていくことが

 

『神さまからの癒しのお薬の贈りもの』

 

に思えて、
お金がなくても
癒しに導かれることへの
ただただ感謝しかなく
ありがとうと思いながらの瞑想でした。


なにがなんだかよくわからないままではじめた瞑想でしたが、
一年間くらいしたらなんとなく感じがつかめてきて、
さらに毎年、毎年、瞑想が深まるにつれ、
瞑想ってこんな感じなのかな?
という
言葉では表現できない『感覚』で感じるあらゆることが起こったりもしました。
(瞑想による体験は個人差があるそうです)


そんなある日、
『感覚』により
内側にある『源泉』魂を『思い出し』
その7年後に
宇宙『全ての存在と1つ』であるを『思い出し』ました。


生まれた後から作り上げてきた
『偽りの〈私(自分)〉』が
全部消え去り、

『本来の魂だけの状態』になると、

 

なんにもない、しかわかりません。


たとえば、

魂には「名前」がないことや、
魂は肉体ではないから男とか女とかの「性別」がないことや、
魂には「年齢」がないことや、

 

魂は宇宙『全ての存在と1つ』だから
魂は『全ての存在』と『分離』していないため
魂は個という『私(自分)』というマインド(思考)をもっていないことや、
だから、
魂は『私(自分)』と『他』というマインド(思考)をもっていないことや、
だから、
魂は『小さく分かれたグループ』が存在していないことがわかり、
魂には「家族」や「国籍」や「各宗教グループ」や「階級」などなどのグループがないこともわかりました。

魂には人間のマインド(思考)とエゴ(欲)により作られた「規則」や「条件」などもなんにもないのです。

 

自由onlyです♪( ´▽`)


とにかく1つの存在だから
分裂や分離が全くない感じしか
わからないのです。

 

分離がないから孤独感もなく
分離がないから区別や差別や比較をし優劣をつけることもなく
それによる嫉妬や争いなども全くないのです。

 

なんにもない。
愛しかない。

 

そんな感じなんですね。


たしかに、
肉体だと男と女みたいに2つに分かれています。
二元性があるのです。

 

でも、宇宙『全ての存在と1つ』の魂は
二元性の両極はない…
いや、
どちらの両極もある…

中性か?(・_・;

みたいな感じしかわかりません。


ですから、
光明 enlightenmentの体験が起こった後は
中性みたいな感じです。

 

肉体は生物学的な性別があっても、
心は中性なんです。

 

でも、月経は毎月順調に訪れますから、
あ、女だった…
と毎月思うわけですσ(^_^;)

 

そんなわけで…
肉体の性別というマインド(思考)はなくなりますが、
肉体を無視して大切にしないことはなく、

細胞一つ一つは生きていて愛らしいので
細胞たちのためにも
細胞が苦しまない
細胞に必要な食べ物や飲み物は
ちゃんと食べて飲んであげます(^-^)/

 

肉体の細胞は愛おしいお友達です。

それと同じように

宇宙全ての存在は愛おしいお友達です。


あらゆる二元性の両極は
どちらもあり

どちらもない
みたいな不思議な感覚になり
中性や中庸みたいな
という感覚がピッタリきますが、

 

宗教に関する知識が全くないため、
言葉を知らなさすぎて
体験していることを
うまく表現できなくて
本当にすみません…


でも、oshoがものすごく
詳しくそういうことを
oshoの体験をとおして
お話しされていますから
ほんの少しですがご紹介します。


瞑想をしていくと
わたしには
今日ご紹介するoshoの講話のような体験が起こりました。


* * *


人間は『宇宙の縮図』であり『小宇宙』だ。


大きなスケールで外側に存在する全ては、
人間の中に
小さなスケールで全て存在している。


もしあなたが
人間を理解することができれば
あなたは
全宇宙を理解することになる。


「上のごとく、下もまたある」
”As above, so below.”


人間はこの宇宙全体を構成する
原子の要素だ。

 

もし
1つの原子を理解すれば、
あなたは
全ての物質を理解したことになる。

 

もし
1人の人間を理解すれば、
もし
自分自身の神秘を読み解くことができれば、
あなたは


全て…
過去、現在、未来の全ての神秘を読み解くことになる。


だから
この二つのことを
覚えておかねばならない…

 

○肉体は『空間』であり、
○マインドは『時間』だということを。

body is space,
mind is time.


瞑想すると
あなたは肉体bodyから消えてゆく、

 

あなたは自分が誰なのかわからなくなる…

 

男か、女か、
美しいか、醜いか、
黒人か、白人か、

 

わからなくなる、

あなたはまったく自分が誰なのかわからなくなる。

 

内側に入ってゆくと、
肉体ははるか後方に残される。

 

肉体の位置を確かめることすらできない瞬間がやってくる、
そして
肉体の存在を感じることすらできない。

 

あなたはもはや
形にとらわれてはいない。
あなたは
形なきものになっている。


そして同じことが
マインドmindにも起こる、

 

あなたは
自分のマインドが
どこにあるのかわからなくなる、


そのマインドが
どこへ行ってしまったのかわからない。

 

内側で途絶えることのない往来する雑音、
そのすべての騒音は、
遠くへ、遠くへ、遠くへと離れてゆき、
消えてゆく。


突然、
大いなる静寂が
あなたの内側ではじける。


この『時間』も『空間』もない状態のなかで、
あなたはみずからの『本質』を知るに至る。


そして自己の『本質』を知ることで、
タオのはじめての一瞥がある。


原初の精神は
両極の違いを超えている。
THE PRIMAL SPIRIT IS BEYOND THE POLAR DIFFERENCES.


すべての両極の違いが消え失せる。

男/女
夏/冬
暑さ/寒さ
愛/憎しみ
肯定/否定
時間/空間
生/死

いっさいの両極が消える。


原初の精神は
両極の違いを超えている。
THE PRIMAL SPIRIT IS BEYOND THE POLAR DIFFERENCES.


そうだから、
どちらの極にも
『愛着』をもってはいけないと
私は何度も何度も強調している。


あなたがたはいずれかの極に
『愛着』をもつようにと教えられてきた。


あなたがたの呼ぶいわゆる宗教は、
世間で暮らすか、
それとも
世を捨てて僧院に入りなさいと
教えてきた。


私は
『世間にとどまりながら、
そして
その一部にならないように』
と言う、


そうでないと、
あなたは1つの極に『愛着』をもつようになる。


もしあなたが
僧院に行けば、
あなたはマーケットプレイス(市場、街)を
恐れるようになる。


これははたして成就と言えるだろうか?


『恐怖』があるなら『達成はない』。

 

私はヒマラヤに住んでいた人々を知っている。

彼らは『恐れる』ようになる。

そして彼らは世間に来たくはない、
なぜなら
マーケットプレイス(市場、街)に来ると
ヒマラヤで体験してきたものが
全て消えてしまうからだ。

 

もしマーケットプレイス(市場、街)でそれが消えるならば、
それは成就ではない。


それはただヒマラヤの静寂であり、
あなたはそれをあなたの静寂だと誤解したのだろう。

 

それは『借り物』だった。

 

確かに、ヒマラヤは静かだ、

だから
もしその静寂の中で暮らせば
少しづつ少しづつ
静寂があなたに浸透しはじめる。


だが、
それはあなたの音楽ではない、
それは借りてきたものだ。

 

ヒマラヤから遠ざかれば、
それは消えてしまう。

 

これは錯誤をつくっている。

 

これは輝く光の反映を楽しんでいるだけだ。
これはあなた自身の光ではない。

 

マーケットプレイス(市場、街)の中で暮らしながら
ハートの中に
ヒマラヤをつくりなさい。

 

雑音の中で静かでありなさい。

 

世帯主でありながら、
求道者(サニヤシン)でありなさい。


だから、
私は
私のサニヤシン(弟子)たちに
世間から離れ放棄しないでほしいと
こんなに強調しているのだ。


何ひとつ
放棄しなければならないものはない。

 

放棄の道は逃避家の道だ、

そして

放棄の道を選ぶことは、

一方の極の現象に『愛着』を抱くようになるあなたにするだろう。


それはあなたに『自由』を与えない。


『自由』は『超越』の中にある、


そして『超越』は

あなたが
『二つの極の中』で
『同時に生きるとき』に

はじめて訪れる。


だから
世間にありながら、
世間をあなたの内側に
入れてはならない。

So be in the world,
but don’t let the world be in you.

 

 

Man is a miniature cosmos,
a miniature universe.

All that exists outside on a greater scale exists on a small scale in man.

If you can understand man
you will have understood the whole universe.

As above, so below.

Man is the atomic constituent of this whole universe.

If one atom is understood
you have understood all matter.

If one man is understood,
if you can decipher your own mystery,
you have deciphered all the mysteries possible, past, present, future – all.


And these two things have to be remembered:

body is space,
mind is time.


When you meditate you disappear from the body,
you don’t know who you are:
man, woman,
ugly, beautiful,
black, white;
you simply don’t know who you are.

When you go in, the body is left far behind.

A moment comes when you cannot even locate your body, and you cannot even feel its presence.

You are no more attached to the form; you have become formless.


And the same happens with the mind:
you don’t know where your mind is,
where that mind has gone.

All that noise,
that traffic noise that was constantly inside,
becomes distant, distant, distant, and disappears.


Suddenly a great silence explodes in you.


In this state of no space and no time,
you come to know your essence.


And to know one’s essence is to have the first glimpse of Tao.


THE PRIMAL SPIRIT IS BEYOND THE POLAR DIFFERENCES.


All the polar differences disappear:
man/woman,
summer/winter,
hot/cold,
love/hate,
positive/negative,
time/space,
life/death;
all polar opposites disappear.


THE PRIMAL SPIRIT IS BEYOND THE POLAR DIFFERENCES.


And that’s why I insist again and again that you don’t get attached to any polarity.


You have been taught to become attached to some polarity.


Your so-called religions have been teaching you: either be worldly or renounce and go to the monasteries.


I say remain in the world and don’t be of it, otherwise you will become attached to a polarity.


If you go to the monastery you will be afraid of the market-place.

What kind of attainment is this?

If there is fear there is no attainment.


And I know people who have lived in the Himalayas.
Then they become afraid.

Then they don’t want to come to the world because whatsoever they have been experiencing in the Himalayas disappears when they come to the market-place.

If it disappears in the market-place it is no attainment.

It may have been just the silence of the Himalayas that you mistook for your silence.

It was borrowed.

Certainly, the Himalayas are silent,
and if you live in that silence,
slowly slowly that silence starts permeating you.

But it is not your music; it is borrowed.

Go away from the Himalayas and it will disappear.

This is creating a fallacy.

This is enjoying a reflected glory.
This is not your own glory.

Live in the market-place and create a Himalaya in the heart.

Become silent in the noise.

Remain a householder and yet be a sannyasin.


That’s why I emphasize so much that I don’t want my sannyasins to renounce.


Nothing has to be renounced.


The way of renunciation is the way of the escapist, and the way of renunciation will make you attached to a polar phenomenon.

That will not give you freedom.

Freedom is in transcendence,

and transcendence comes only when you live in the polar opposites simultaneously, together.


So be in the world,
but don’t let the world be in you.

 

from osho talks
oshoの講話より

 

The Secret of Secrets, Vol 1

Talks on the Secret of the Golden Flower

Talks given from 11/08/78 am to 26/08/78 am English Discourse series

CHAPTER3. THE ATOMIC MOMENT

13 August 1978 am in Buddha Hall

 

The Secret of Secrets, Vol 2

Talks on the Secret of the Golden Flower

Talks given from 27/08/78 am to 10/09/78 am English Discourse series


この講話の英語のダウンロードpdfはこちら…
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=12

 

* * *

 

光明enlightenmentが起こるのに
場所は関係ないと体験からわかりました。

 

わたしは
東京の車の通りのすごく多い道路わきに住んでいます。
聖地とかでも全くなく
それは起こりました。

 

oshoが話すように
マーケットプレイス(市場、街)の中で暮らしながら…です。


『宇宙全ての存在は1つ』の体験が起こったときは、
周りの車の騒音やあらゆる雑音とか関係なく、
瞑想もしていませんでしたが
ボーとリラックスをしていました。

 

緊張ではなくリラックス。

 

瞑想は緊張をほどき
リラックスをするツールでもあります。


わたしは毎日の瞑想により
いつのまにか
いつでもどこでも誰といても
リラックスの状態を感覚で起こせるようになっていました。

 

それは自然な状態です。

 

満員電車の中でも会議中でも…

 

たぶんそれは
身体と心の健康にとてもよい影響を与えているとおもいます。


貧乏で病弱なわたしには
瞑想と光明の体験は
素晴らしくありがたい

 

『神さまからの癒しのお薬の贈りもの』

 

でした。

ありがとうございます…>_<…


oshoは
瞑想 meditation

薬 medicine
の語源からの言葉だと、

瞑想はお薬だと講話で話しています。

わたしには本当にそうでした。


もしよろしかったら
瞑想
お試しになられてみてください。

 

タダですから(-_^)

 

聖地とかも関係ないと思いますし。


病気や怪我で動けない状態であっても
ご自宅や病院のベッドに横になっていて
蓮華座で座れなくても
瞑想はできますから、

 

わたしは昔実際に動けないことがありましたが
病院や自宅のベッドに横になったまま朝と晩に瞑想をしました。

 

それでも、
瞑想をする前と後では心地よさの違いがわかりました。

 

どんな状態であっても
好きな瞑想を続けてよかったと思っています。


瞑想はこうでなくてはならない…
というのはないと思います。


ご自由でいいと思います。


ご無理のないように…。


みなさんの健康と至福をいつも祈っています。


sammasatiサマサティ(right remembrance)
正しく想起する

『The last word of Buddha was, sammasati.
Remember that you are a buddha – sammasati.』

 

瞑想と愛 meditation & love

 

花仙人

 

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瞑想は『源泉』を『思い出す』ことをサポートする1つのツールです。

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瞑想はたくさんの種類があります。
ご自分にあった瞑想がみつかるといいですね(*^_^*)

 

oshoアクティブ瞑想に関してはこちら、

http://www.osho.com/ja/meditate/active-meditations/why-active-meditations

 

oshoの瞑想音楽はこちら、

 

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二元性の超越とは

二元性の両極に動く振り子の動きが

真ん中の中庸で止まり静かになること。

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花仙人