花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

社会は「見守る(観る)」ことをけっして教えない…

社会は「見守る(観る)」ことをけっして教えない…

 

 

 

意識の成長の旅をサポートするツールの1つに
瞑想 meditation があります。

 

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自分の内側を『観る(観照)』

というのが瞑想 meditation です。


それはただじーとおしゃかさまのような蓮華座で坐って
自分の内側を『観る(観照)』だけでなく

 

日常生活の中で

 

なにかのきっかけにより
急に怒りがわいてきたり
急に悲しくなったり
などした時に

 

ただ

 

その自分の内側に生まれた
さまざまな
◯ マインド(思考)
◯ エゴ(欲・自我)
◯ あらゆる感情
を『観る』ことで

 

それらと

 

「同一化」することなく
また「執着」することなく

 

自然と
自分の内側から外側に流し出せたりします。


そんなふうに
なにをしていても
どこにいても
いつであっても
坐っていなくても
立っていても
自分の内側を『観る』という
瞑想 meditation を
普段の日常生活の中でいかせると
苦しみを溜め込まず
ストレスがない状態であることができるようになります。

 

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自分の内側が
二元性の両極(両面)のどちらかの極(面)に
「偏る」アンバランスな状態になることがあったら
すぐにいつでも
「中庸」のバランスの状態に戻すことを
サポートするツールが瞑想 meditation です。

 

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それは
さまざまな感情を「抑圧」し溜め込むのではなく
内側から外側へと流しだし
自分の内側はいつも空っぽの「中庸」の状態を保つということです。


「中庸」の状態は
人間の本来の自然な沈黙の愛100%の状態です。

 

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人間の本来の自然な沈黙の愛100%の状態であることは
人間には誰にでも自然にできるものです。

 

それが生まれる前からの
当たり前の自然な状態だからです。

 

その状態は誰からも教わらずに
不思議とできてしまうものです。


誰も誰かから愛することを習わずできるように

「中庸」の沈黙の愛100%の状態も習わずにできるものです。


それが人間の本来の自然な状態だからです。


緊張している状態から
一呼吸深く大きく息を吐き出して
静かに落ち着いてリラックスする…


それがどういう「感覚」か
これを読んでいてなんとなくわかるはずです。


湖面に波紋や波が全くない静かな沈黙のような状態です。


「中庸」の沈黙の愛は

 

恋愛の高まるハイの愛の「感覚」ではなく
失恋などの低いロウの愛の「感覚」ではなく

 

その真ん中のハイでもロウでもない
静かな沈黙の無音の「感覚」です。

 

まるで熟睡をしているときのような…


人間は毎日熟睡をしていますから
この沈黙の「中庸」の愛の「感覚」を
誰もが体験からわかっています。


「中庸」の状態は
自律神経を正常に保てるので
身体の調子が改善されたり健康を保てたりします。

 

心と肉体が健康である状態は至福ですよね(-_^)


自分の内側を『観る』ことで
さまざまな感情や
ごちゃごちゃしたマインド(思考)を
無理なく自然に
自分の内側から外側に流し出すことができます。

 

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oshoや多くの導師たちは
苦しみを自分で解放するために
瞑想 meditation を伝え続けてきました。


苦しみから愛への「変容」
意識の成長の旅での
学びの1つです。


oshoは
なぜ人々が
苦しみ続けるのか…
をお話ししてくれます。

 

今日はそんなお話しの一つを
少しだけご紹介します。

 

 

* * *

 

 

社会は「見守る(観る)」ことをけっして教えない…

 

 

人はなぜ、
ひどく抑圧して不健康になるのだろう? 


なぜなら、
社会があなたに「変容」することではなく、
「コントロールすることを教えるからだ。


そして、
「変容」の方法はまるで違う。


ひとつには、
それは「コントロールの方法ではまったくない、
まさに正反対だ。

 


まず第一に、
「コントロールすることで、
あなたは「抑圧」する。

 

「変容」では、

あなたは「表現」する。

 


だが、
他の誰かに「表現」する必要はない。

 

なぜなら、
その「他の誰か」はまったく関係ないからだ。

 


今度、怒りを感じたら、
家の周りを7回走り回り、
それから樹の下に坐って、
怒りがどこに行ったのかを「見守って(観る)」ごらん。


あなたはそれを「抑圧」しなかった、
あなたはそれを「コントロールしなかった、
「あなたはそれを他の誰かにぶつけなかった…もしあなたがそれを他の誰かにぶつけたら、
連鎖が生じるからだ、
相手もあなたと同じように愚かで、
あなたと同じように「無意識」だからだ。


もしあなたがそれを別の人にぶつけても、
その相手が光明を得た人であれば、問題ないだろう。
彼は、
あなたがそれを放りだし、
解きはなち、
カタルシス(浄化)を経るのを助けるだろう。


だが、
相手もあなたと同じように無知だ…
もしあなたが彼に怒りをぶつけたら、
彼は反応する。

 

彼はあなたにさらに多くの怒りをぶつけるだろう、
彼もあなたと同じくらい抑圧されているのだ。

 

そこで、連鎖が生じる。

 

あなたは彼にぶつけ、
彼はあなたにぶつけ、
そして、
あなたがたは敵同士になる。


それを誰にもぶつけていけない。


それは、
あなたが吐きたいときと同じだ。

 

あなたは誰かに吐いたりしない。

 

怒りには吐くことが必要だ。

 

あなたは洗面所に行って、吐く! 

 

それで、
からだ全体がきれいになる…
吐くのを我慢したら、危ない。

 

そして、
吐いたら、
すっきりする、
ほっとする、
重荷がなくなり、
気持よく、
健康な感じがする。

 

食べたもののなにかが悪くて、
からだがそれを拒絶したのだ。

 

それを内側に押しこみ続けてはいけない。


怒りはまさに精神的な嘔吐だ。


あなたが取りこんだなにかが悪くて、
あなたのサイキックな存在全体がそれを吐きだしたい。

 

だが、それを誰かに吐きかける必要はない。


人びとがそれを他の人たちに吐きかけないように、
社会は彼らにそれを「コントロールするように教える。


誰にも怒りをぶつける必要はない。

 

あなたは洗面所に行けばいい、


長い散歩に出かければいい…


それは、
なにかが内側にあって、
それが解放されるために、
すばやい行動が必要とされているということだ。

 

ちょっとジョギングするだけで、
あなたはそれが解放されたのを感じる。

 

あるいは、

 

枕を取りあげて、
枕を叩き、
枕と闘い、
枕に噛みつくと、
あなたの手と歯が楽になる。

 

5分以内のカタルシス(浄化)で、
あなたは重荷が下りた感じがするだろう。

 

そして、
一度これを知ったら、
あなたはけっして、
それを誰にもぶつけないだろう。

 

なぜなら、
それはまったくバカげているからだ。


ということだから、
「変容」におけるまず第一のことは、
怒りを「表現」することだ。

 

だが、
誰かに対して、ではない。

 

なぜなら、
もしそれを誰かに向けて表現するとしたら、
あなたはそれを完全には表現しきれないからだ。

 

あなたは殺したいかもしれない、
だが、それはできない。

 

噛みつきたいかもしれないが、
それは不可能だ。

 

だが、それは枕に対してならできる。

 

枕とは、「すでに光明を得ている」という意味だ。
枕は光明を得ている、ブッダ(覚者)だ。
枕は反応しないだろう、
そして枕は裁判に訴えないだろう、
そして枕は、あなたに敵意を抱かないだろう、
そして枕はなにもしないだろう。
枕は喜ぶだろう、
そして、枕はあなたを笑うだろう。

 

 


覚えておく二番目のことは、
覚めていることだ。(be aware)

 

「コントロールするのに、
覚醒は必要ない。

 

あなたはそれを機械的に、ロボットのようにやるだけだ。

 

怒りが来ると、
そこにはメカニズムがある…

 

突然、
あなたの全存在が狭まり、閉じる。

 

もしあなたが「見守って」いれば、
「コントロールはそれほど簡単ではないだろう。

 


社会は「見守る(観る)」ことをけっして教えない。

 


なぜなら、
誰かが「見守って」いるとき、
その人は広く開いているからだ。

 

それは覚醒の一部だ…

 

人は開いている、
もしあなたがなにかを「抑圧」したくて、
しかも開いていたら、
それは矛盾しているから、
それは外に出てくるだろう。

 

社会はあなたに、
自分を閉じこめるやり方、
自分をほら穴に閉じこめるやり方を教える…

 

なにかが出ていくための小さな窓すら許さない。

 

だが、覚えておくがいい。

 

なにも出ていかないときは、
なにかが入ってくることもない。


怒りが出ていけないときは、
あなたは閉じている。

 

あなたが美しい岩に触れても、
なにも入っていかない。

 

あなたが花を見ても、
なにも入っていかない。

 

あなたの目は死んでいて、閉ざされている。

 

あなたはある人にキスをする…
なにも入っていかない。

 

なぜなら、あなたは閉じているからだ。

 

あなたは感受性のない生を生きる。

 


感受性は覚醒とともに育つ。

 


「コントロールを通じてあなたは鈍感になり、死んでしまう…
それは「コントロールのメカニズムの一部だ。

 

もしあなたが鈍感で死んでいたら、
なにもあなたの心に影響を及ぼさない、

 

まるでからだが砦、要塞にでもなったかのように。
なにもあなたの心に影響を及ぼさない、
侮辱も愛もない。


だが、
この「コントロールには
大きな犠牲、
必要のない犠牲が伴う。

 

そうなると、

 

どうやって自分を「コントロールするかが人生の全努力になる…

 

そうして、死んでしまう! 

 

「コントロールの努力全体があなたのすべてのエネルギーを必要とする。

 

そして、あなたはただ死んでしまう。
そして、生は退屈で生気のないものになる。

 

あなたはそれをなんとか維持する。


社会はあなたに、
「コントロール「非難」を教える。

 

なぜなら、
子どもはなにかが「非難」されていると感じるときにのみ、
「コントロールするからだ。


怒りはよくない、
セックスはよくない。


「コントロールされなければならないものはすべて、
子どもには「罪」のように、
「悪」のように思わせなければならない。

 


ムラ・ナスルディンの息子が大きくなってきた。
彼は10歳だったので、ムラは考えた。
今がその時期だ。
もう年頃だし、生命の神秘を明らかにしてあげないといけない。
そこで彼を書斎に呼び、
鳥と蜂がどうやって子孫を増やすのか、
セックスの真相について教えた。
そして最後に、彼にこう言った、
「弟がじゅうぶん大きくなったと思ったら、おまえは彼に同じことをすべて教えなさい」

 

そのわずか数分後、
彼が子ども部屋のそばを通っていると、
上の子が、10歳の子が、
すでに務めを果たしているのが聞こえてきた。
彼は下の子に言っていた、
「あのさ、みんながやるあれのことだけど、
ほら、子どもが欲しいとき、
赤ちゃんが欲しいときにみんながやるあれのことだけど、
わかるだろう? 
なんというか、
お父さんが言うには、
鳥と蜂もあれと同じことをやるんだってさ」

 

活気のあるすべてのものに、
深い非難が入りこむ。

 


そして、セックスはもっとも生き生きとしたものだ…
それもそのはずだ! 

 

それは「源」なのだ。

 

怒りもまた、もっとも生き生きとしたものだ。

なぜなら、
それは防御する力だからだ。


もし子どもがまったく怒ることができなかったら、
彼は生きのびることができないだろう。

 

場合によっては怒らなければならない。

 

子どもは自分自身の存在を示さなければならない、
子どもは、ときには自分自身の立場を主張しなければならない。

 

さもなければ、
彼には気骨というものが育たない。


怒りは美しい、
セックスは美しい。


だが、美しいものは醜くもなり得る。


それはあなた次第だ。

 

もしあなたがそれらを「非難」したら、
それらは「醜く」なる。

 

もしあなたがそれらを「変容」したら、
それらは「神聖」になる。

 

「変容」された「怒り」は、「慈悲」になる…

 

なぜなら、
エネルギーは同じだからだ。
怒り慈悲の愛のエネルギーは同じ質のコインの裏表の二元性の両極(両面))

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ブッダ(覚者)は慈悲に満ちている。
彼の慈悲はどこから来るのだろう? 

 

これは、

 

怒りとして動いていたのと同じエネルギーだ。
もはやそれは怒りとしては動いていない。
同じエネルギーが慈悲へと「変容」されている。

 

はどこから来るのだろう? 

 

ゴータマ・ブッダのような人は愛にあふれている、
イエスのような人は愛そのものだ。

 

セックスへと動く同じエネルギーが、愛になる。

セックスの愛「愛の梯子」の1番下で、

慈悲の愛は同じ「愛の梯子」の1番上、

セックスの愛慈悲の愛は同じ垂直の「愛の梯子」にある)

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だから、覚えておくがいい。


もしあなたが自然な現象を「非難」したら、
それは毒をもつようになる、
それはあなたを壊す、
それは破壊的で自殺的になる。

 

もしあなたがそれを「変容」したら、
それは神聖になる、
それは神の力になる、
それはエリクサ、
魔法の秘薬になる。


それを通じてあなたは永遠性を、
不死の存在を達成する。


だが、「変容」が必要だ。

 

 

SOCIETY NEVER TEACHES YOU TO BE WATCHFUL...

 

Why does man suppress so much and become unhealthy?

 

Because the society teaches you to control, not to transform, and the way of transformation is totally different.


For one thing, it is not the way of control at all, it is just the opposite.

First thing: in controlling you repress, in transformation you express.

But there is no need to express on somebody else because the ‘somebody else’ is just irrelevant.

 

Next time you feel angry go and run around the house seven times, and after it sit under a tree and watch where the anger has gone.

 

You have not repressed it,
you have not controlled it,
you have not thrown it on somebody else –
because if you throw it on somebody else a chain is created,
because the other is as foolish as you,
as unconscious as you.

 

If you throw it on another, and if the other is an enlightened person, there will be no trouble; he will help you to throw and release it and go through a catharsis.

 

But the other is as ignorant as you – if you throw anger on him he will react.
He will throw more anger on you,
he is repressed as much as you are.
Then there comes a chain: you throw on him, he throws on you, and you both become enemies.

 

Don't throw it on anybody.

 

It is the same as when you feel like vomiting: you don’t go and vomit on somebody.
Anger needs a vomit.
You go to the bathroom and vomit!

It cleanses the whole body – if you suppress the vomit it will be dangerous, and when you have vomited you will feel fresh, you will feel unburdened, unloaded, good, healthy.

 

Something was wrong in the food that you took and the body rejects it. Don’t go on forcing it inside.

 

Anger is just a mental vomit.
Something is wrong that you have taken in and your whole psychic being wants to throw it out, but there is no need to throw it out on somebody.

 

Because people throw it on others,
society tells them to control it.

 

There is no need to throw anger on anybody.

 

You can go to your bathroom,
you can go on a long walk – it means that something is inside that needs fast activity so that it is released.

 

Just do a little jogging and you will feel it is released,
or take a pillow and beat the pillow, fight with the pillow, and bite the pillow until your hands and teeth are relaxed.

 

Within a five-minute catharsis you will feel unburdened, and once you know this you will never throw it on anybody, because that is absolutely foolish.

 

The first thing in transformation then is to express anger, but not on anybody, because if you express it on somebody you cannot express it totally.
You may like to kill, but it is not possible;
you may like to bite, but it is not possible.

 

But that can be done to a pillow.
A pillow means ‘already enlightened’; the pillow is enlightened, a buddha.
The pillow will not react, and the pillow will not go to any court, and the pillow will not bring any enmity against you, and the pillow will not do anything. The pillow will be happy, and the pillow will laugh at you.

 

 

The second thing to remember: be aware.

 

In controlling,
no awareness is needed; you simply do it mechanically, like a robot.

 

The anger comes and there is a mechanism – suddenly your whole being becomes narrow and closed.

 

If you are watchful control may not be so easy.

 

Society never teaches you to be watchful,

 

because when somebody is watchful, he is wide open.

 

That is part of awareness – one is open, and if you want to suppress something and you are open, it is contradictory, it may come out.

 

The society teaches you how to close yourself in, how to cave yourself in – don’t allow even a small window for anything to go out.

 

But remember:
when nothing goes out, nothing comes in either.
When the anger cannot go out, you are closed.
If you touch a beautiful rock, nothing goes in; you look at a flower, nothing goes in: your eyes are dead and closed.
You kiss a person – nothing goes in, because you are closed. You live an insensitive life.

 

Sensitivity grows with awareness.

 

Through control you become dull and dead – that is part of the mechanism of control: if you are dull and dead then nothing will affect you, as if the body has become a citadel, a defense. Nothing will affect you, neither insult nor love.

 

But this control is at a very great cost, an unnecessary cost; then it becomes the whole effort in life: how to control yourself – and then die!
The whole effort of control takes all your energy, and then you simply die.
And the life becomes a dull and dead thing; you somehow carry it on.

 

The society teaches you control and condemnation,
because a child will control only when he feels something is condemned.

 

Anger is bad; sex is bad; everything that has to be controlled has to be made to look like a sin to the child, to look like evil.

 


Mulla Nasruddin’s son was growing up. He was ten years of age and so Mulla thought: Now, this is the time. He is old enough and the secrets of life must be revealed to him. So he called him into his study and gave him the lowdown on sex among birds and bees. And then in the end he told him, “When you feel your younger brother is old enough, you tell the whole thing to him also.”

 

Just a few minutes after, when he was passing by the rooms of the kids, he heard the older one, the ten-year-old one, already at work. He was telling the younger: “Look, you know what people do, that stuff people do when they want to get a child, a baby? Well, Dad says birds and bees do the same darn thing.”

 

A deep condemnation enters about all that is alive.

 

And sex is the most alive thing – has to be!
It is the source.

 

Anger is also a most alive thing,
because it is a protective force.

 

If a child cannot be angry at all, he will not be able to survive.
You have to be angry in certain moments.
The child has to show his own being, the child has to stand in certain moments upon his own ground; otherwise he will have no backbone.

 

Anger is beautiful; sex is beautiful.

 

But beautiful things can go ugly.

 

That depends on you.

 

If you condemn them, they become ugly;
if you transform them, they become divine.

 

Anger transformed becomes compassion –

because the energy is the same.

 

A buddha is compassionate: from where does his compassion come?

 

This is the same energy that was moving in anger; now it is not moving in anger, the same energy is transformed into compassion.

 

From where does love come?

 

A Buddha is loving; a Jesus is love.

 

The same energy that moves into sex becomes love.

 

So remember,

 

if you condemn a natural phenomenon it becomes poisonous, it destroys you, it becomes destructive and suicidal.

 

If you transform it, it becomes divine, it becomes a God-force, it becomes an elixir; you attain through it to immortality, to a deathless being.

 


But transformation is needed.

 


from osho talks
oshoの講話より

 

And The Flowers Showered

Talks on Zen

Talks given from 31/10/74 am to 10/11/74 am English Discourse series

11 Chapters

Chapter #3
Chapter title: The temper

2 November 1974 am in Buddha Hall

 


* * *

 


おしゃかさまもoshoも多くの導師たちも
沈黙の大切さを伝え続けています。

 


* * *

 


沈黙を学びなさい。

 

そして少なくとも、
友だちや恋人や家族、
そしてここにいる旅の仲間達とともに、
時には沈黙の内に座りなさい。

 

ゴシップを続けたり、
話し続けるのをやめてごらん。

 

話すことを止める…

 

それは外側のお喋りだけでなく、
内側のお喋りも、だ。

 

 

言葉のとぎれた、その狭間にいなさい。

 

 

ただ坐り、
何もせず、
互いのために
ただそこにいること。

 

そうすればすぐに、
通じあうための新しい方法が見つかるだろう。

 

そして、
それこそが正しい方法だ。

 


Learn silence.

 

And at least with your friends,
with your lovers,
with your family....
And this is your family,
the orange family.

 

Here, sit in silence sometimes.

 

Don’t go on gossiping,
don’t go on talking.

 

Stop talking,
and not only on the outside –
stop the inner talk.

 

Be in an interval.

 

Just sit there,
doing nothing,
just being presences to each other.

 

And soon you will start finding a new way to communicate.

 

And that is the right way.

 

 

from osho talk
oshoの講話より

 

This Very Body the Buddha

Talks on Hakuin’s Song of Meditation

Talks given from 11/12/77 am to 20/12/77 am English Discourse series

CHAPTER 5:The Flight Towards the Sun

15 December 1977 am in Buddha Hall

 


* * *

 


沈黙により
苦しみから自分を救い出す
光明 enlightenment は起こりますが

 

それは

 

内側にある
さまざまな思いや感情を
「抑圧」して
溜め込み続け
苦しみ我慢して生きなさい

 

ということではなく

 

内側から外側に
健康的なやり方で
それらを
流し出しなさい

 

ということです。


その健康的なやり方を伝え続けています。


そのやり方は
「怒り」「慈悲の愛」へと「変容」できるからです。


それは
苦しみからの離脱です。

 

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意識の成長の旅とはそのようなことです。

 

無意識の状態から意識の状態への「変容」

 


そのやり方の1つが
今回ご紹介したようなお話しです。

 

 

他者を「変えよう」とする

支配やコントロールすることは

とは真逆の暴力です。

 

そして

 

他者を「変えよう」として試しても

一度も成功した人はいません。

 

誰1人も

他者の欲を支えるために生まれてきたのではないからです。

 

1人1人みな

本来の自分のまんまを生きる至福のために生まれているからです。

 

他者を自分の都合のいいように「変えよう」とすることは

残念ながらできないのです。

 

 

しかし

 

 

人間は自分を「変容」させることには成功してきました。

意識の成長の旅をとおして…

 

苦しみを自分の内側に「抑圧」し溜め込まない
無理を自分にさせない
それは
自分を大切にすることです。


苦しみを自分の内側から外側に流し出す
1つ1つの実践
自分を「慈悲の愛」へと「変容」していき
苦しみの輪サンサーラからの永遠の離脱である
光明 enlightenment へとつながります。


ですから
瞑想 meditation による
自分の「変容」
真の愛を「感覚」で『思い出す』のです。


再び100%の本来の自然な状態を
再び「感覚」で『思い出し』
そのまんまを生きていくことになるのです。

 

 

本来の愛のまんまで生きる=苦しみはない

 

 

苦しみがないとき

愛と至福で満たされているとき

人間は

他者を自分の都合のいいように「変えよう」とは思いません。

自分の欲を満たすために他者を利用しようとは思いません。

 

人間関係の苦しみはなくなります。

 

まずは自分が苦しみから愛へと「変容」することで

愛と平和がはじまります。

 

他者を変えようとするのではなく、

まず自分からはじめる…

 

 

自分の内側の中核にある
『魂(源泉)』のの波動を
再び「感覚」で『思い出す』

 

真理(愛)
再び「感覚」で『思い出す』

 


sammasati サマサティ(right remembrance)
正しく想起する


『The last word is Buddha was, sammasati.
Remember that you are a buddha - sammasati.』

 

 

瞑想と愛 meditation & love

 

 

花仙人

 

 

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男性性と女性性の統合(超越)

 

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内側にある『源泉 source (魂 soul )』と
『全ての存在は1つ』all one であることを『思い出す』

 

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The Ultimate Alchemy, vol 1,2
この講話の英語のPDFダウンロードはこちはです。
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 

瞑想はたくさんの種類があります。
ご自身にあった瞑想がみつかるといいですね。

 

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Vigyan Bhairav Tantra, vol 1,2
この講話の英語のPDFダウンロードはこちはです。
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 

oshoアクティブ瞑想に関してはこちら、
http://www.osho.com/ja/meditate/active-meditations/why-active-meditations

 

oshoの瞑想音楽はこちら、

 

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導師はすてきだけど

導師を見るのではなく

暗闇(自分の内側)に浮かぶ月(魂(源泉))を見ようね!

 

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花仙人