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花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

意識の成長の旅⑨ Rising in Love

意識の成長の旅⑨ 愛の中を昇る Rising in Love

 

 

 

◯ ◯ ◯

 

 

 

『アエス・ダンモ・サナンタノ』
   Aes dhammo sanantano

 

すなわち

 

『これは永遠の法だ…

あなたは自分が与えたものを受け取る』

 


恨みで恨みを除こうとするなら、
取り除くことはできない。

 

愛をもって応えるなら、
それはすでに取り除かれている。


これは永遠の法だ。
これは永遠の宗教だ。
いにしえからの永遠の法だ。

 

何ひとつ、
違う形では起こらない。

 

 

 

◯ ◯ ◯

 

 

 

(カテゴリにある二元性シリーズと意識の成長の旅シリーズを読まれていることを前提に書いていますので、読まれていない人には意味不明な説明になっていると思います…)

 

最近、

 

(この)ブログを読んで
愛について間違った解釈をしていた自分に『気づき』ました。

 

というお話しがたくさん届くようになりました。


みなさん
愛の梯子の1番低い段の関係性の中で
ぐるぐるしてしまい
傷ついて疲れてしまい
温かい思いやりの関わりがある世界で生きていくことを
諦めてしまい
暗闇の中でポツンとしていたそうですが

 

愛の梯子を昇る

 

というお話しが
暗闇の中の一点の光に見えたそうで

 

低い段でぐるぐるしているから苦しんだ!
高みへ昇ろう!

 

と思えて元気が湧いてきたそうです。

 

 

生まれた後いろいろなことがあり
愛することや人間が恐くなり
心を閉ざしてしまい
もう傷つきたくないから
自他との間に境界線の見えない強固な壁を作り
自分を守ることばかりにエネルギーを消耗し

 

でも、そういう生き方は
1人孤独で寂しくなり…

 

でも、まだ恐いから恋人も友達もなかなか作れず…

 

他者を愛するどころか
自分をも愛する余裕すらない…

 

愛である状態ではないことが苦しい…

このまま一生苦しみながら生きるのだろうか…

 


そんなところに
愛の梯子のお話しを読んで


癒しながら
愛の梯子を一歩一歩昇ることで
本来の自然な愛100%の状態に戻れるんだ!

 

再び
「恐れがない状態である」
「本来の愛である状態」に戻れるんだ!

 

愛せない苦しみから解放されるかもしれない!

 

他者に「私を利用しないで」と変化してもらうことは
難しいのも経験からよくわかったから

 

まず自分を癒しなら梯子を高みへと昇ってみよう!
まず自分を「変容」しよう!


苦しみの中でさまよっている状態から
苦しみから離脱できる出口を見つけたら
まだ完全に離脱できていなくても
今、気持ちが軽くなれました
生きようと思えた…

 


とホッとした表情でお話ししていました。

 

 

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苦しみから自分を解放できる方法は
何千年も前からあるのですが
それが
あまり正しく伝わっていないので
みんな梯子の1番低い段でぐるぐるしてしまい
苦しみ続けてしまっています。


愛はセックスだけの関係でないことは
みんなわかっていますが、
慈悲の愛が漠然としかわからず
お釈迦様や観音様みたいな
特別な人だけもの…というマインド(思考)を持ってしまい
自分自身がそうなることは無理だ…というマインド(思考)もあって
なかなか
1番低い段から抜け出せないままで苦しんでいます。

 

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生まれる前から
人間のお腹のお臍のあたりにある
『魂(源泉)』は愛100%の波動のエネルギーの球体です。

愛の梯子の高みの慈悲の愛の波動のエネルギーの球体です。

人間はみんな生まれる前からずーと慈悲の愛なので

特別な人だけ…というマインド(思考)は『手放し』ちゃっていいのですσ(^_^;)

 


ただ
生まれた後にいろいろなことがあって
人間と関わることが恐くなり
苦しくなり
苦しみにばかり気を取られて
本来の自然な愛100%の状態を
一時的に『忘れて』いるだけです。

 


いろいろなことがあって
持ってしまった
苦しみの原因(種)である
◯ マインド(思考)
◯ エゴ(自我・欲)
をポイっと全て『手放し』てしまえば
恐れは消え去り(癒され)
再び「感覚」で本来の自然な愛100%の状態を『思い出し』ますから
大丈夫ですd(^_^o)

 

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癒しをサポートするツールである
瞑想 meditation
のお話しはいつもしていますから

 

今日はもう少し
愛の梯子のお話しを
oshoの講話からご紹介します。

 


意識の成長の旅は
苦しみの輪サンサーラからの永遠の離脱ができ
光明 enlightenment が起こることがあります。

 

自分の内側にある
『魂(源泉)』=真理(愛)を再び「感覚」で『思い出す』ことは
愛の梯子の高みの段の慈悲の愛へ至る一歩一歩昇る旅です。

 


このお話しは
セックスを無理やりしなさい
ということではなく

 

セックスを悪いものと決めつけて避けたりするマインド(思考)を『手放す』ことで、
性欲に対して不自然な「抑圧」やその真逆の「耽溺」に
「偏る」アンバランスな状態で苦しむことがなくなり、
セックスを自然なものとして受け容れることで
特別扱いするマインド(思考)が消え去り、
また、
セックスにだけに執着して
愛の梯子の1番低い段でぐるぐるする苦しみから
愛の梯子の高みへと昇る苦しみから離脱できる旅もあるよ
という
簡単にいうとそんな感じのお話しで
セックスだけのお話しではありません。


男性も女性も恋愛関係だけでなく
いろいろな人間関係で苦しんでいます。


『アエス・ダンモ・サナンタノ』の法則を正しく知る…


愛の梯子の1番低い段でぐるぐるしていると
苦しみは終わらない…

 

昇るっていう生き方もありますよ…というものです。


では、
導師 master osho の
サハジョの講話からご紹介します。

 

 

 

◯ ◯ ◯

 

 

 

セックスが中心の関係は梯子を下ること
愛が中心のセックスは梯子を昇ること。

 

梯子は同じだが、上下の方向が違う。

 

ある欲が身を貫き
ある欲を満たしたくて
人を愛するとき
その愛は
ただの口実や欺瞞にすぎない。

 

その愛は本物ではない。

 

あなたの焦点は欲に当たっている。

 

………


セックスに愛が伴うなら
セックスも超意識に至る方便になり得る。

 

愛にセックスが伴うなら
常にあなたを上に連れていく愛も
あなたを下へ連れていく方便になり得る。


生に錬金術と法則を正しく理解することだ。


それは壊れやすい。

 

正しく理解してこそ
それはあなたの生を「変容」することができる。

 

性欲に注目の焦点を当ててはいけない。


その梯子に注意を向けなさい。
まさにその梯子があなたを引き上げてくれる。


無知から叡智へ一歩一歩昇る…
セックスからサマーディへと一歩一歩昇る…

 

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◯ ◯ ◯

 

 

 

質問…

 

愛と慈悲の違いはなんでしょう?

 

 

osho…

 

セックス  sex
愛  love
慈悲  compassion 

 

この3つの言葉を理解しなさい。

 

セックスは愛という梯子のはじまりであり、
梯子の一段目だ。

 

慈悲は愛の最後の一段だ。

 

は梯子全体の呼び名だ。

 

 

セックスは
もっとも地に落ちて、
もっとも低い愛の境地だ。

 

セックスとは、
私は人から何かを得たい、
私は人がいないと不完全だ、
私は人がいないと空っぽだ、
私は人で自分を満たさずにはいられない、
という意味だ。

 

セックスは
搾取だ。

 

セックスとは
私は人を手段として利用したい
ということだ。

 

夫は妻を利用し、
妻は夫を利用している。
彼らはお互いを手段として利用している。

 

だから、
それほどまでの怒りがあるのだ。

 

誰も手段などになりたくないのだから。


1人1人の魂は、それ自体が目的だ。

 


偉大なドイツ人哲学者エマニュエル・カントは、
同じように道徳を定義している。

「手段として人を利用することは、道徳に反する。
目的として人を使うことは、道徳にかなっている。」

 


これは非常に基本的な点だ。
自分のために他人を利用することは欲望だ。


あなたは愛について語るだけだ…

 

あなたは「愛しているよ」というが、
内側では相手も自分のことを愛すべきだと望んでいる。

 

だから人々が私のもとに来ると
何千人もやって来たが、彼らは
「私は、愛しい人から愛を貰えなかったのです」と言う。

 

「私は、愛しい人に心から愛されています」
と言う人には、
1人も出会ったことがない。

 

これは興味深い現象だ。

 

来る人はみな
「私は、愛しい人を心から愛しています」
と言う。
決してそれを疑わない。

 

そして、
「相手から愛を貰っていないのです」
と言う。

 

そして、
他の人が私のもとにやって来ても
同じことを言う。

 

「私の愛しい人…私は愛を捧げましたが、
愛を貰っていません。
私は騙されてきました。
ごまかされ、
裏切られた気がします」。

 

そして、
しばしば両者がやって来る…


夫婦が、
父親と息子が、
友人たちが
やって来る。

 

そして両者とも、

「私は愛してきました」

と同じことを言う。

 

真相は、
彼らの中で
愛したことのある者は1人もいない
ということだ。

 

 


いいかね、


心から愛したら、
必ず
同じものが返ってくる…

 

それは
こだまを返し、戻ってくる。

 

与えたものはすべて、
必ず戻ってくる。

 

 

 

世に古い諺がある

『遅れはあっても不公平はない。』

 

私は、
遅れもないし
不公平もないと言おう。

 

そもそも、なぜ遅れが必要なのか?

 

遅れがあるなら、
それは
不公平にもなるだろう。

 

この遅れは長くもなり得る。

 

もし今日愛して、
その返事を無数の生の後で受け取るとしたら、
それもまた不公平だ。

 

だから私は、
遅れもないし
不公平もないと言う。

 

愛すれば、
あなたは即座に受け取る。

 

あなたは、
愛する行為そのものの中で受け取るだろう。

 

受け取ることは他人に依存しない。

 

それは
あなたの愛のこだまだ。
あなたの愛の共鳴だ。

 

与えたものと同じものが、戻ってくるだろう。


そして人は、
「愛したのに、
これっぽっちも愛を受け取らなかった」
と言う。

 

実のところ、
あなたは愛さなかったのだ。

 

あなたの愛は、
見せかけや
欺瞞にすぎなかった。

 

実のところ、
あなたは愛を期待していた。

 

愛することなく、
ただ愛について語ることで、
あなたは愛を受け取りたいと
望んでいた。

 

あなたは
愛を語り、
見返りとして
相手のハートや、
明け渡しや、
相手の全存在を欲するだけだった。

 

しかし、
それは得られなかった。

 

相手も同じことをしていた。

 

愛は続くと語り、
愛の詩を書き…

 

だが、
何ひとつ分かち合うことなく…

 

相手の存在を所有しようとして。

 

両者とも、
無料でそれを得たかった。

 

両者とも、
与えずして
受け取りたかった。

 


だから衝突する。

 


だから、
恋人と称する人たちは絶えず争う。

 

この衝突の理由は同じだ…
双方ともお互いを手段にしたい。

 


だが、
人の魂は手段ではなく、
それ自体が目的として生まれる。

 


すべての人が、
その人自身の目的だ。

 


だから
誰かに利用され、
まるで梯子の段のように
足をかけられると、
苦しみ、
奴隷にさせられた気分になるのだ。

 


セックスは
愛のもっとも低い形だ…

 

すべてを求めながら、
何も渡さない。

 


慈悲は
愛のもっとも高い形だ…

 

すべてを与えながら、
何も見返りとして求めない。

 

それは愛の究極の高みだ。

そこですべてを捧げ、何も求めない。

 


そのときあなたは
人を目的とし、
自分自身を手段にする。

 


あなたは言う、

 

「明け渡すことができて幸せです。
あなたのために
生きようと
死のうと
私は幸せです。

 

どんな状況でも幸せです。

 

なんの期待もありません。

 

私の明け渡しを
受け入れてくれて感謝します。

 

私は捧げましたが、
あなたは拒絶しませんでした。

 

それだけで充分、感謝します」

 


そして、
これは興味深いことだ…

 

セックスの中では
求めても手に入らず、

 

慈悲の中では
求めなくとも受け取る。


これが
生の神秘だ。

 

これが
生の逆説(パラドックス)だ。

 


期待する者は
満たされないまま死に、

 

慈悲を抱く人は
常に満たされる…
あらゆる瞬間に満たされる。

 


なぜなら、
生はこだまを返すからだ…

 

あなたは、
なんであれ
自分が与えたものを受け取る。

 

この世では、
あなたの受け取るものは
他人に依存しない。

 

あなたは
自分が与えたものだけを受け取る。

 

 

 

 

昨日、私は
ゴータマ・ブッダの言葉を読んでいた。

 

いくつかの言葉ごとに、
彼は頻繁に繰り返す…

 

『アエス・ダンモ・サナンタノ』
   Aes dhammo sanantano

 

すなわち

 

『これは永遠の法だ…

あなたは自分が与えたものを受け取る』

 

恨みで恨みを除こうとするなら、
取り除くことはできない。

 

愛をもって応えるなら、
それはすでに取り除かれている。


これは永遠の法だ。
これは永遠の宗教だ。
いにしえからの永遠の法だ。

 

何ひとつ、
違う形では起こらない。

 

 

 

 

セックスは
愛を期待することであり、

 

慈悲は
愛を与えることだ。

 

愛は狭間にある。
そこでは、
与えることと受け取ることが同等だ。

 

 

 

 

これまで
セックスで満たされた者はいないが、

 

人は常に
慈悲によって満たされる。

 

愛は
セックスと慈悲の狭間、
その中間にぶら下がっている。

 

そこには
いくらかの満足があり、
いくらかの不満も残っている。

 

なぜなら、

半分が慈悲で、
半分が欲望だからだ。

 

愛は半分半分だ…
だから
歓びの瞬間も多く
苦しみの瞬間も多い。

 

 

 


残念なことに、
99%の人は
愛を体験したことがない。

 

慈悲など問題外だ…

 

それは彼方の夢であり、幻影だ。

 

100人のうち99人が
欲望のうちに死ぬ。

 

では、
彼らの幻想とは何だろう?

 

その幻想とは、
自分たちが
愛していた
と思い込むことだ。

 

 

 

 

だから、
もっと考えなさい…

 

あなたが
愛を受け取ったか否かを
問う前に、

 

愛を与えたか否かを
よく見なさい。

 


いいかね、

 

愛を与えたことがあったら、
愛は必ずあなたにやって来るのだから。

 

これは永遠の法だ。

 

受け取ったことがないなら、
あなたには与えられるべきではないのだ。

 

自分自身を見つめてごらん、
ひたすら自分自身を。

 

 

ファリッドは言う、
「ファリッドよ、
そなたが賢明であれば、
おのれのハートのうちを見るがいい」。

 

ファリッドは、
「あなたが賢明であれば、
自分のハートのうちを探すがいい…
そこで、それを見つけるだろう」と言う。

 


あなたは、
何であれ
自分が与えたものを受け取る。

 

与えたことのないものは受け取らない。

 

受け取っていないのなら、
与えたことがなかったのだと
理解しなさい。

 

受け取ったら、
自分は与えたのだと
理解しなさい。

 

 

 

 

セックスは
もっとも低い段だ。

 

ほとんどの人々が、
そこにひっかかったままでいる。

 

だが覚えておきなさい、

 

私は
セックスを
非難してはいない。

 

なぜなら、
それは
愛の梯子にあるからだ。

 

それは一段目かもしれないが、
それでも愛だ。

 

そして
一段目から登らない人が、
どうやって最後に辿り着けるだろう?

 

だから
私は
梯子から降りなさい
とは言っていない、

 

梯子の途中で止まってはいけない
と言っているのだ。

 

進みなさい、

 

まだ段はたくさんある。

 

あなたは
一段目に立ち、
そこに
家と寺院の両方をつくってしまった。

 

 

進みなさい!

 

 

次に二段目が来るのなら、
一段目はいいものだ。

 

次に二段目が来ないとしたら、
それはよくない。

 


だから私は、
セックスを非難することなど
思いもよらない。

 

だから私は、
セックスと超意識は
関連していると
言い続けてきた。

 

セックスは
あなたを超意識へと連れてゆく…

 

だが
セックスにひっかかったままなら、
サマーディや超意識は
決して訪れない。

 

 

 


そして別の側面も覚えておきなさい。

 

というのも、
多くの人がこの間違いを犯してきたからだ。

 

インドでは、この間違いはとても古い。
それはこんな間違いだ。

 

私が
セックスの段で止まってはいけない
と言う場合、
2つの進み方がある…

 

◯ セックスから成長して愛へと向かうか

 

あるいは

 

◯ 梯子を捨ててしまうか。それがいわゆる禁欲だ。

 

私は、それを禁欲とは呼ばない。

 

 

 

 

あなたが禁欲と呼ぶ人たちは、
あなたよりもずっと劣っている。
それは、
彼らが梯子を捨ててしまったからだ。

 

彼らの生には決して慈悲が訪れない。

 

というのも、
セックスなしでどうして慈悲があり得るだろう?
諺にもありように
「竹を壊せば笛はない」。

 

私は、竹の切れ端を手放さないようにと言っているのではない…
それで笛をつくりなさい。
この竹を用いて、笛を作ることができる。

 

慈悲はセックスの開花だ。

 

使いものにならないと思っていた、
まさに何の変哲もない竹…
せいぜい、人の頭をかち割るくらいしかできないような竹は、
笛となって誰かの魂に入っていくことができる。
そこから甘美な調べがうまれる。
この世のものとは思えない、神々しい調べが。
それは別世界の便りを運んでくれる。
この竹の音色を通して、
この地上で別世界の花々が花開き始める。

 

誰がそれを信じるだろう?
もし知りもせず、これまで見たことなかったら、
突然笛を見て、それは竹から作られたと言われても、
信じられないだろう。

 

私が、ゴータマ・ブッダやマハヴィーラの慈悲は
セックスから生まれたと言っても、
あなたは信じないだろう。

 

あなたは竹の切れ端を見たことがあり、
笛を見たことがある。
でも、
その間の過程を何も知らないから戸惑ってしまう。
あなたは、それらを結びつけられない。
あなたは言うだろう、

 

「ゴータマ・ブッダの慈悲と、
ここにいる私たちの欲望と、
どんな比較ができるだろう?
とんでもない!
私たちはここで地獄に住んでいて、
彼らは向こうで天を昇っている。
いや、
繋がりなんてないさ」

 

でも、ちょっと考えてごらん…

 

まったく繋がりがないとしたら、
あなたは決して覚者(ブッダ)になれない。

 

どうして、その旅が可能だろう?
どこから始めるというのかね?

 

あなたとゴータマ・ブッダの間には、
何らかの掛け橋が必要だ。

 

セックスと神性の間には梯子がいる。

 

その梯子とは愛だ。

 

 

 

 

サハジョは、他でもないこの梯子のことを語っている。
あなたのセックス・エネルギーを純化しなさい。

 

カビールは言っている、
「ダイヤモンドは、落ちて泥の中に失われた」。

 

だから、泥から逃げてはいけない。
さもなければ、ダイヤモンドも
その泥の中に置き去りにされるだろう。
泥の中を探しなさい。

 

そこには隠された蓮がある。

 

ダイヤモンドを洗いなさい…
泥が取り除かれたら、それは純粋になるだろう。

 

実のところ、
ダイヤモンドは決して汚れていなかった。

 

泥の中に落ちても、
ダイヤモンドはダイヤモンドのままだ。
決して泥になることはない。

 

そして泥の中に隠れた蓮は、
どんなふうに隠れていようと
(あなたが見たことがなくても)
それでも蓮は蓮であり、
泥ではない。

 

ひとたび成長する機会を得たら、
蓮は花開く。

 

 

 

 

セックスから逃げてはいけない。
さもなければ、
あなたの禁欲はせいぜい性的不能でしかなく、
それ以上のものではないだろう。
もしくは、
抑圧や強制になるだろう。
それでは、あなたの生の花は開花できない。
逆に、
成長しつつある小さな蕾も、
泥の中に戻ってしまうだろう。


私は、あなたがたの僧侶や聖者と称する者たちの中に、
慈悲という蓮の花が開いているのを見たことがない。
それどころか、
この慈悲という蓮が花開く可能性は見られなかった。

 

彼らは梯子から落ち、離れてしまった。

 

あなたにとって、彼らは正しく見える。
なぜなら、
あなたはセックスの段に立っていて、
彼らはセックスの段に立っていないからだ。

 

セックスの段に立っていない人は、
おそらく必然的に慈悲という段に行き着くだろう、
とあなたは考えている。

 

必ずしも、そうとは限らない。

 

落ちることはたやすく、
昇ることは難しい。

 

落ちるのにどんな努力が必要かね?

 

家を捨て、
森へ逃げ、
小さな腰巻を着けただけで立っていると、
人々はあなたを崇める。

 

祝福されしお方、
偉業を遂げたお方と言いながら、
あなたの足許に頭を垂れ始める…

 

でも、あなたの内側は
依然として性欲でいっぱいかもしれない。

 


僧侶たちが私に会いにやって来る…
70歳の年老いた僧侶たちだ。
でも、
彼らのマインド(思考)は性欲でいっぱいだ。

 

彼らはこっそり尋ねる、
「どうしたら性欲を取り除けるでしょうか?
もはや精力は落ち、活力も失われましたが、
私はまだセックスから解放されていないのです。

 

それはいつ落ちるのでしょう?

 

死が近づいており、
私は死のうとしているのに、
性欲はまだついて来るのです」

 

 

たとえ意図せずとも、
梯子を放棄してはいけない。

 

神は逃避する者の味方ではない。

 


昇りなさい。

 


生を「逃避」ではなく、「旅」にしなさい。


一歩一歩、昇りなさい。


「セックス」から「愛」へと移行しなさい。

 


すると、
天国のそよ風が少し吹き始める。
そこには地獄もあるだろう。
だが、
地獄の中に天国の小さな島々が現れ始める。

 

そしてそれらを見ると、
もっと何かが起こり得るという希望を抱くだろう。
今日は小さな島だったものが、
明日には大きな島になるかもしれない。

 

水の上にもう少し顔を出しなさい。
先に進み続けなさい…。

 

求めることから少しずつ手を引き、

 

与えることにもっと注意を払いなさい。

 

分かち合うことだ、
求めてはいけない。

 

乞食ではなく(求め欲しがる者)
皇帝になりなさい(与え分かち合う者)。


セックスは乞食(求め欲しがる者)であり、
慈悲は皇帝(与え分かち合う者)だ。

 


何のためらいもなく与えられるようになった日、
取引きせずに
無条件で与え、
感謝を求めることすらやめた日、
あなたはただ与え、進み続ける…。

 

 

あなたは与え、
しかも感謝する…

 

 

相手が受け取ってくれたことに、
相手が受け容れてくれたことに。

 

それは拒否されることもあり得た。
あなたがそんな境地にいるとき、
その日あなたは慈悲を知るだろう。

 

 

 

 

セックス  sex
愛  love
慈悲  compassion 

 

これらは愛の梯子だ。

 


生にはさまざまなレベルの愛がある。

 


だから私は、
愛は神性よりも偉大だと言う。

 

愛の中で昇っていくと、
神性に行き着くからだ。

 

あなたは与える者として在るのではなく、
ただ与えるになる…

 

あなたの慈悲がそのようなものである日、
与える者が背後に残されていないとき、
行為者であるという意識がないとき、

 

その日、その日はじめて、
あなたは神性となる。

 

あなたのエゴ(自我・欲)が落ちる日、

その日あなたは神性になる。


すると境界は残っていない。
そのときあなたは永遠なるものの中に入り、
永遠なるものがあなたの中にはいる。


だが、
神性について考えすぎることはない。

 

これは生における梯子だ、

 

セックスから愛
愛から慈悲への。

 


慈悲の後は、
自然とジャンプが起こる。

 

その後には、
もう段はないからだ。

 

 

 


覚えておきなさい。

 

梯子は2つの方法で捨てられる…

 

◯ 1段目から降りるか

 

あるいは

 

◯ 最後の1段の先へ飛ぶか。

 


もし

1段目から降りたら、
決して神性には辿り着かないし、俗世を失う。

 

最後の1段の先へ飛んだら、全てを見出す。
あなたは神性に辿り着き、俗世も失わない。

 

なぜなら、
俗世も神性そのものの一部だからだ。

 

全体を見るとき、
あなたは
その中に俗世をも見る。

 

すると、
それはただの俗世ではなく、

 

神性の創造物だ。

 

 

 

from osho talks
osho の講話より

 

Showering without Clouds
雲なく雨は降りそそぐ


(今日のoshoの講話はヒンディー語を翻訳されたものですが
それを英訳したものは最後に載せています。)

 

 

 

◯ ◯ ◯

 

 

 

わたしは無知で
光明 enlightenment という言葉すら知りませんでした。

 

ただただ瞑想 meditation を朝晩毎日大好きで続けたら
無理なく自然と癒されたらしく
ある日突然光明 enlightenment が起こり
苦しみの輪サンサーラからの永遠の離脱がありました。

 

苦行とか修行とか特別なんにもしていません。
普通の生活です。
貧乏だからσ(^_^;)
東京の中でも車の往来が24時間多い土地の騒音の中で
まるで聖なる場所ではない環境ですし
お金がかからないから
0(ゼロ)円で自宅でできる瞑想 meditation が唯一の癒しのツールでしたが
瞑想 meditation 中ではなく
明け渡し surrender が自然と起こったら
突然光明 enlightenment が起こりました。

 

 

光明 enlightenment は0円で起こるんだな〜と感動しました(*゚▽゚*)
瞑想 meditation は貧乏の味方(*゚▽゚*)

 

 

光明 enlightenment 後に知ったのですが
わたしは
毎日の自分の暮らしの中の体験や
瞑想 meditation の体験をとおして
いつのまにか
意識の成長の旅(自分の内側の旅)をして
愛の梯子を昇っていたようなのです。

 

oshoがお話しすることや
ゴータマ・ブッダ
多くの導師 master たちがお話し伝えていることが
自分の実体験と同じだったので
このブログでご紹介しようと思いました。

 

光明 enlightenment が起こったのは
これまで出会った全ての人たちを含めた全ての存在のおかげだな〜
とはっきりわかったので
ありがとうの感謝と恩返しのつもりで
導師 master たちの
慈悲の愛からのお話しをご紹介しています。

 

 

全ての光明 enlightenment が起こった導師 master たちは

導師 master を見るのではなく

 

暗闇(自分の内側の暗闇)に浮かぶ満月(魂(源泉))を見なさい

 

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それは

 

唯一苦しみの輪サンサーラからの永遠の離脱
光明 enlightenment が起こることだよ…と。

 

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自分の内側にある『魂(源泉)』の中核を
再び「感覚」で『思い出し』たところから
光明 enlightenment が起こった実体験からも
導師 master たちが伝えることはそうだな…
と思います。

 

 

sammasati サマサティ(right remembrance)
正しく想起する


『The last word is Buddha was, sammasati.
Remember that you are a buddha - sammasati.』

 

 

瞑想と愛 meditation & love

 

 

花仙人

 

 

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男性性と女性性の統合(超越)

 

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内側にある『源泉 source (魂 soul )』と
『全ての存在は1つ』all one であることを『思い出す』

 

 

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Showering without Clouds
雲なく雨は降りそそぐ

The last morning star
夜明けの星

サハジョとダヤの女性の覚者の詩

 

 

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The Ultimate Alchemy, vol 1,2
この講話の英語のPDFダウンロードはこちはです。
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 

瞑想はたくさんの種類があります。
ご自身にあった瞑想がみつかるといいですね。

 

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Vigyan Bhairav Tantra, vol 1,2
この講話の英語のPDFダウンロードはこちはです。
http://www.oshoworld.com/e-books/eng_discourses.asp?page_id=15

 

oshoアクティブ瞑想に関してはこちら、
http://www.osho.com/ja/meditate/active-meditations/why-active-meditations

 

oshoの瞑想音楽はこちら、



今日のoshoの講話はヒンディー語ですが
それを英訳したものはこちらです。


question…

 

Osho,
What is the difference between love and compassion?

 


osho…

 

Understand three words: sex, love, compassion. Sex is the beginning of the ladder of love, it is the first rung of the ladder. Compassion is the last rung of the ladder. Love is the name for the whole ladder.

 

Sex is the most fallen state of love, the lowest. The meaning of sex is: I want to get something from the other, I am incomplete without the other, I am empty without the other, I have to fill myself with the other. Sex is exploitation. The meaning of sex is: I want to use the other as a means. The husband is using the wife, the wife is using the husband. They are using each other as a means. This is why there is so much anger, because nobody wants to be a means. Each person’s soul is an end in itself.

 

A great German philosopher, Immanuel Kant, has defined morality in the same way: “Using the other person whereby he becomes a means, is immorality; using the other person whereby he becomes the goal, is morality.”

 

This is a very fundamental point. To make use of another for yourself is lust. You only talk about love; you say “I love you,” but inside you want that the other should love you. So when people come to me - thousands have come - they say, “I did not receive love from the one I loved.” I have not come across a single person who has said, “I have not really loved the one I love.” It is an interesting phenomenon. Whosoever comes says, “I certainly love the one I love”; he never doubts it. And he says, “I don’t get love from the other.” And when the other comes to me, he says the same thing: “The one I love - I have given love but have not received it. I have been deceived. I feel cheated, betrayed.” And often both of them come - the husband and the wife come, the father and son come, the friends come - and both of them say the same thing, “I have loved.” The truth is that none of them have loved, because I say to you that when one really loves then the same response is inevitable - it echoes, it returns. Whatever you give always returns.

 

In this world there is an old saying: There may be delay but there is no injustice. I say to you that neither is there any delay nor is there any injustice. Because why should there be even a delay? If there is a delay then it will also become an injustice. This delay can be long. If you love today and you get the response after millions and millions of lives, then it would also be an injustice.

So I say that neither is there any delay nor is there any injustice. If you love, then you will immediately receive; you receive in the loving itself. Receiving is not dependent on the other, it is the echo of your love. It is the resonance of your love. The same will return to you which you give.

 

So people say, “We loved but we did not receive any love.” The reality is that you have not loved; your love was only a pretension, a deception. The reality was that you were expecting love. Without loving, just by talking about love, you wanted to get love. You had only been talking about love and in return you wanted the other’s heart, the other’s surrender, the other’s whole being and you could not get it. The other was also doing the same thing so that the talking about love should continue, the writing poems of love - but no sharing of any kind - so that there would be possession of the other’s being. Both wanted to get it for free, both wanted to get it without giving, hence the conflict.

 

That’s why so-called lovers continually fight. In this conflict the reason is the same - both want to make each other a means. And one’s soul is born as an end in itself, not as a means. Every person is an end unto himself, so he suffers and feels enslaved if somebody uses him and steps on him as if he were just the rung of a ladder.

 

Sex is the lowest form of love - when you ask for everything and don’t give anything. Compassion is the highest form of love - when you give everything and don’t ask for anything in return. It is the ultimate height of love in which you give everything away and don’t ask for anything. Then you make the other the goal and you yourself become a means. You say, “I am fortunate that I can surrender. Whether I live for you or I die for you, I am fortunate. I will be happy in every situation, there are no expectations. I will be grateful that you have accepted my surrender. I have given and you have not rejected it, that is enough to be grateful for.”

 

And it is an interesting thing: in sex you ask and you don’t receive, in compassion you don’t ask and yet you receive. This is the mystery of life. This is the paradox of life. An expecting person dies unfulfilled and a compassionate person is always contented, in each moment contented. Because life resonates - you get whatever you give. In this world what you receive is not dependent on someone else, you receive only what you give.

 


Yesterday I was reading Buddha’s statements. After several statements he often repeats,

Aes dhammo sanantano,

“This is the eternal law: you receive what you give.”

If you try to eliminate enmity with enmity, it cannot be eliminated.

If you respond with love it is already eliminated.

This is the eternal law,

this is the eternal religion,

this is the ancient, eternal law.

Nothing ever happens in any other way.

 


Sex is the expectation of love, compassion is giving love. Love is in between, where the giving and receiving are equal. Nobody ever feels contented with sex, and with compassion one is always contented. Love is hanging there in between sex and compassion, in the middle. There is a little contentment and a little discontent also lingers, because in love half is compassion and half is desire. Love is fifty-fifty - this is why there are many moments of joy and many moments of suffering.

 

It is unfortunate that ninety-nine percent of people never experience love. Compassion is out of the question - it is a faraway dream, it is a mirage. Ninety-nine out of a hundred die in lust. And what is their illusion? Their illusion is that they assume that they have loved.

 

So give it more thought: before you ask whether you have received love or not, look carefully to see whether you have given it or not. Because I say that if you have given love, then love certainly comes to you. This is the eternal law. If you have not received then you must not have given. Look at yourself, only at yourself. As Farid says, “Look inside your own heart, Farid, if you are wise.” Farid says, “If you are wise, then search inside your own heart - you will find it there.”

 

You will receive whatever you have given, you will not receive what you have not given. If you have not received then know that you have not given; if you have received then know that you have given.

 

Sex is the lowest rung. Most people remain stuck there. But remember, I am not condemning sex, because it is on the ladder of love. It may be the first rung, but it is still love. And one who will not climb onto the first rung, how will he reach to the last? So I am not telling you to get down from the ladder. I am telling you don’t stop on the ladder: move on, there are many more steps. You are standing on the first rung and you have created both your home and temple there. Move on! The first step is good because the second comes through it. It is bad only if the second step does not come through it.

 

So in my mind there is no condemnation of sex. This is why I have continuously said that sex and superconsciousness are related. Sex takes you to superconsciousness - but if you remain stuck in sex, then samadhi, superconsciousness, will never come.

 

And remember the other aspect also, because many people have committed this mistake too. In India this mistake has become very ancient. And the mistake is, when I say don’t stop on the rung of sex, there are two ways to move: either you grow from sex towards love or you leave the ladder - that is what you call celibacy. I don’t call this celibacy.

 

The people you call celibates are worse off than you because they have abandoned the ladder. Compassion can never come into their lives because when there is no sex, how will there be compassion? As the saying goes, “The bamboo destroyed, there is no flute.” I don’t tell you to go on holding on to the piece of bamboo - make a flute out of it, a flute can be created out of this bamboo.

 

Compassion is a flowering of sex. The same ordinary bamboo which you could not think of as being of any use - at the most you could break somebody’s head with it - can become a flute and can enter somebody’s soul. Sweet tunes arise from it - unearthly, celestial; they bring the news of some other world. The flowers of some other world start blossoming on this earth through the sound of this bamboo.

 

Who would believe it? If you had not ever known, if you had not ever seen it before, if you had suddenly seen a flute and someone said to you that it is made out of bamboo you would not have believed it. If I tell you that Buddha’s and Mahavira’s compassion arose out of sex, you will not believe it. You are in difficulty because you have seen a piece of bamboo and you have also seen a flute, but you have no idea of the steps in between. You cannot relate them. You are saying, “What comparison can there be between Buddha’s compassion and us here with our lust? No, no! Here we are living in hell and there they are rising in the sky. No, there is no connection.”

 

But think a little - if there is no connection then you will never be able to become a buddha. How would the journey be possible? From where would you begin? There has to be some bridge between you and Buddha. There must be a ladder between sex and the divine. That ladder is love.

 

Sahajo is talking about this same ladder. Purify your sex energy. Kabir says, “The diamond has fallen and is lost in the mud.” So don’t run away from the mud, otherwise the diamond will also be left there in the mud. Search in the mud, there are lotuses hidden there. Clean the diamond - as the mud is removed it will become pure. In fact, the diamond was never impure. It falls in the mud, but the diamond remains a diamond, it never becomes mud. And the lotuses hidden in the mud, howsoever hidden they may be - you may never see them - but still a lotus is a lotus, it is not mud. Once it gets a chance to grow, then the lotus blossoms.

 

Don’t run away from sex, otherwise your celibacy will be at the most an impotency, not more than that. Or it will be suppression, an enforcement. In that way the flower of your life cannot blossom; on the contrary, the small bud which was growing will also fall back into the mud.

 

I have not seen the lotus of compassion blossoming in your so-called monks and saints. On the contrary, I have seen the impossibility for this lotus of compassion to blossom. They have fallen down, off the ladder. They appear right to you because you are standing on the rung of sex and they are not standing on the rung of sex. You think that perhaps one who is not standing on the rung of sex will inevitably arrive at the rung of compassion. It is not necessarily so. It is easy to fall down, it is difficult to climb up. What effort do you need to fall down? Leave the house, run away into the forest, stand only in your tiny loincloth and people will start praising you. They will start to bow down at your feet saying that you are blessed, that you have attained to greatness - but inside you may still be full of sexual desires.

 

Monks come to meet me - old monks, seventy years old - yet their minds are full of sexual desires. They ask, in private, “How do I get rid of sexual desires? Now my vigor is gone, my life is gone, and still I am not free from sex. When will it drop? Death is coming closer, I am about to die, and still sexual desire is following me.”

 

Never renounce the ladder, even unintentionally. God is not for escapists. Climb - let life be a journey, not an escape. Climb the steps one by one. Move from sex into love and a little breeze of heaven will start blowing. Hell will also be there, but in your hell small islands of heaven will start appearing. And seeing them you will become hopeful that something more can happen. That which is a small island today can become a great island tomorrow. Rise a little more above the waters. Keep moving ahead.. Slowly, slowly withdraw from asking and pay more attention to giving. Share, do not ask. Become an emperor, not a beggar.

 

Sex is a beggar, compassion is an emperor. The day you are able to give without holding anything back, giving unconditionally without making any bargain, even without stopping to ask for thanks - you just give and move on.. You give and are also thankful that the other has received it, that they accepted it. It could have been rejected. When such is your state of being, that day you will have known compassion.

 

These are the stages of love: sex, love, compassion. And they are all the different levels of love in life. Hence I say that love is greater than the divine, because by rising in love you will reach the divine. The day your compassion is such that you are not there as a giver, you are only a giving - when there is nobody left behind who is the giver, when there is no sense of being a doer - on that day, only on that day, you become the divine. The day your ego drops, on that day you become divine. Then there is no boundary left. Then you enter into the infinite, the infinite enters into you.

 

But don’t start thinking too much about the divine. This is the ladder of life: from sex to love, from love to compassion. After compassion the jump happens automatically because after that there is no other step.

 

Remember, the ladder can be abandoned in two ways: either you get down from the first step or you jump beyond the last step. If you get down from the first step, then you will certainly not reach the divine and you also will lose the world. If you jump beyond the last rung you will find all. You will reach the divine and you also will not lose the world because the world is part of the divine itself. When you see the whole you also see the world is also in it. Then it is not just the world, it is the creation of the divine.

 

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from osho talks 

 

 

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花仙人