花仙人の日記

〈 seed of earth 〉地球を自然のままに…

意識が全体に溶け込み拡がり1つになる

意識が全体に溶け込み拡がり1つになる

 
 
 
 
夏休み期間を楽しんでいますか?
 
夏野菜の1つである茄子が素敵すぎで
 
あまりにもかわいくて
おいしくて感動しています。
 
子供のころ茄子の絵をノートのかたすみに描くのが好きでした。
 
ま、わたしの描く絵や文は
お遊び程度のものですが、
 
日本には漫画というアートart があり
絵と言葉の両方で表現し伝えるという
コミュニケーションツールがあり
そのどちらもうまく描けないわたしは
すごいな〜すごいな〜と
子供のころ漫画家さんに憧れたりもしました。
 
 
子供のころはお金がなかったのですが
なぜか友達が漫画を次々に貸してくれまして
漫画を読む機会もありました。
しかも…
なぜかBL(ボーイズラブ / 男の同性愛)漫画ばかりを次々と貸してくれて、
漫画はBLが普通なんだな〜と
なんの違和感もなく読んでいましたσ(^_^;)
 
今思うと友達のインプリンティングだったかもσ(^_^;)
 
竹宮惠子さんの『風と木の詩』からはじまり
吉田秋生さんの『バナナフィッシュ』
この後まだまだBL作品ばかりが続く…
 
いったいみんなわたしをどう教育したかったのか…(・_・;…
 
 
 
とにかくそんなインプリンティングもあり
わたし個人としては
同性愛になんの違和感もなく
恋愛は自由でいい
同性愛でも異性愛でも
本人同士が幸せならそれでいい
と思っていますし
同性愛者の友達はかなりたくさんいます。
 
だからといってわたしは同性愛者ではないようです。
 
がしかし、
昔からなぜか女子からはモテます。
男子からはモテませんσ(^_^;)
 
男子からは女らしくないからつまらない、
とよく言われますσ(^_^;)
 
昔からどうやら性格が中性であり
そこが女子ウケするようですσ(^_^;)
 
わたしはノンケさんですが
男子でも女子でも同性愛者さんの友達が多いのは
性格が中性ぽいからかも?しれません。
 
子供のころから中性ぽいのは
男性性と女性性のバランスが「中庸」に近いのかな?
 
 
 
恋愛には昔からあまり興味がなく
どちらかというと
『魂(源泉)』と『魂(源泉)』のつながりの絆みたいなものを大切に感じているタイプです。
 
 
 
導師 master osho は男性ですが
男というふうに性別では見ていなくて
導師 master osho の『魂(源泉)』を感じ取り
その『魂(源泉)』同士のつながりの絆みたいなものが
ものすごく大切に感じたりします。
 
そういう言語のコミュニケーションを超越した
『魂(源泉)』同士の交感(コミュニオン)を
『理解』できる人が
導師 master osho だったのですね。
 
男性とか女性とかの性別を超越した
『魂(源泉)』同士のつながりの絆の愛。
 
わたしには子供のころから
そういうのしかわからないから、
 
恋愛漫画とか小説とか映画とかには
ついていけなくてσ(^_^;)
よくわからないんだ。
そういう媒体の中にあるような
恋愛体験もない…と思います。
 
 
吉田秋生さんの『バナナフィッシュ』の主人公の
アッシュと英二の2人は
男同士の恋愛というよりか
『魂(源泉)』同士のつながりの絆みたいな
超越した愛だから
その愛はわかるのです。
 
しかも
 
わたし自身もアメリカで
アッシュのような人と『魂(源泉)』同士のつながりの絆みたいな
まだ手もつないだこともありませんでしたが
2人とも肉体や言葉のつながりを超越した
アッシュと英二のような『魂(源泉)』の愛の体験をし、
いわゆる交感(コミュニオン)の愛が起こり、
またアッシュが急に他界したように
その人も急に脳の血管が切れて他界してしまい…
わたしは英二と同じように
この世に1人残されてしまいました。
 
その傷は光明 enlightenment が起こるまで
生と死を超越するまで
肉体は死にますが
『魂(源泉)』である意識は死なないんだ
という『理解』が起こるまで
癒されることはありませんでした。
長い長い20年間の苦しみでした。
 
そんなこともあり前回も書きましたが
3度も臨死体験をしても死ぬことができなかったときは残念に思いましたが、
光明 enlightenment が起こり
全てがわかってからは
彼の死も
わたしの生も
全てをありのままに受け容れることができたため
苦しみはなくなりました。
 
 
彼の肉体が死んでいても
彼を愛することをやめる必要はない。
愛し続けていいのだと
やっとわかったのでした。
 
彼に執着する苦しみがなくなり
ただ愛だけになれたので
苦しみがなくなったのでした。
 
 
『魂(源泉)』 である意識は不死であるから
肉体があろうがなかろうが
『魂(源泉)』と『魂(源泉)』は
愛でつながって1つなのだと。
 
 
光明 enlightenment が起こって
やっとそれを体験からわかりました。
 
だから
彼との死別の辛い体験にも
やっと感謝ができました。
 
 
 
導師 master osho は講話の中で
 
2人の人間の肉体が隣どうしにあっても
『魂(源泉)』と『魂(源泉)』が出会い1つでなければ
2人は出会っていることにはならない、と。
 
それは
自分と他者という『分離』境界線のマインド(思考)を
持っているうちは
意識して『魂(源泉)』と『魂(源泉)』がつながり
1つであることを「感覚」でとらえることができないから。
 
たとえ2人の人間の肉体が
地球の反対側に離れ離れであっても
違う惑星や次元に離れてあっても
2人の『魂(源泉)』同士が出会い1つであるならば
2人は隣どうしで出会っているんだよ、と。
 
光明 enlightenment が起こって
やっとその意味がわかりました。
 
 
 
◯『魂(源泉)』と『魂(源泉)』の出会い。
 
 
 
なぜか今年の夏は
わたしの光明 enlightenment 体験とかなり同じである
ひかわきょうこさんの『彼方から』の
光明 enlightenment 漫画作品をご紹介していますが
 
主人公の典子とイザーク
確かに男女の異性愛の恋愛でもあるのですが
この2人からは
どうも『魂(源泉)』同士のつながりの絆
のようなものを感じています。
 
2人の『魂(源泉)』は
必然があって
たとえ異世界であろうが
引き寄せあって出会い
2人の『魂(源泉)』が1つに溶け合うことで
1つの課題をこなしていく…みたいな。
 
 
長年生きていて
周りをよーく見ていると
不思議と漫画の世界だけでなく
必然で『魂(源泉)』同士のつながりがあって
2人は引き寄せあってるんだな〜
という現実をよく見たりします。
 
 
いるんですよね〜ほんとに。
 
 
でも、それは
その2人ともが
『魂(源泉)』のまんまを生きよう!
としなければ
出会いが起こらないこともわかりました。
 
 
『魂(源泉)』のまんまではなく、
エゴ(欲・自我)のまんまを生きるときは
出会うべく2人は出会いが起こらないのです。
 
 
『魂(源泉)』の道から起動が外れて
エゴ(欲・自我)の道を歩み進む場合
2人の道は別々の違う道なので
2人は出会うことがないままなのですね。
 
 
2人が『魂(源泉)』のまんまを生きていたら
どんなに地球の反対側に生まれ住んだとしても
2人は必ず引き寄せあって出会い
典子とイザークのように
2人で1つの課題をこなしていく人生がはじまります。
 
 
不思議ですけどね(-_^)
あるんですよね〜。
 
 
それは恋愛だけではありません。
同じ課題をこなしていく仲間同士の『魂(源泉)』も
引き寄せあって出会い一緒に歩んでいきます。
 
典子やイザーク
2人旅をする中で
どんどん同じ道を歩んでいく仲間たちと出会ったように。
 
 
それは漫画の中だけでなく
わたしや知人などの現実を見ていても
本当にそういうことが起こるのです。
 
 
ですから、
わたしには『彼方から』の作品は
嘘とかただの作り話には思えないものがあるのです。
 
 
導師 master osho の講話を聞いたり読み進めていくと
その辺りのことも詳しくわかっていきます。
 
 
 
◯ 意識が全体に溶け込み拡がり1つになる
 
 
 
漫画は
絵と言葉で表現されているので
なんだかわかりやすいこともありますよね。
 
わたしの場合
光明 enlightenment が起こった瞬間は
意識 consciousness が宇宙全体に溶け込んで
『私・エゴ(欲・自我)』は消えて無くなり
自分が宇宙全てになったと感じました。
 
それはその後もそのまんまの「感覚」のまま
何年経っても
なぜか消えることはありません。
 
エゴ(欲・自我)はなくなり
宇宙意識のままです。
 
 
 
典子の場合もわたしの体験と似ていますから
ご紹介しています。
 
典子は
くつろぎのリラックスの中で
全てに感謝を感じながら
周り全体に意識をすると
全ての存在はつながって1つであることを
それまでの全ての体験をとおして『理解』が起こりました。
 
 
その『理解』が起こったとき
典子の意識 consciousness は
周り全体に『溶け込み拡がって』いきました。
 
 
すると、突然、
自分の内側にある
『魂(源泉)』である意識 consciousness が
全ての存在と1つであることを
「感覚」で再び『思い出した』のです。
 
 
第1チャクラから第7チャクラまでの
全てのチャクラが正常な「中庸」の状態になり、
 
 
第7チャクラが
千の花びらの蓮の花が咲き開くように
開き
 
 
高みから『魂(源泉)』の意識と同じ
愛の光が降りてきました。
 
 
内側の『魂(源泉)』の愛と光の波動と
高みからの愛と光の波動が
同調し共鳴し
1つになりました。
 
 
光明 enlightenment が起こりました。
 
 
典子は本来の「中庸」のバランスの状態に
再び「感覚」で『思い出し』戻ったのです。
 
 
本来の自分を全て「感覚」で『思い出した』
典子は
 
もう
自分以外の他者のようになりたい
というエゴ(欲・自我)は消え去っていました。
 
あるがままの本来の自分のままを
受け容れ
その本来の自分を生きます。
 
 
『魂(源泉)』である意識 consciousness は
愛と光のエネルギー波動であり
全ての存在とつながって1つです。
 
 
全ての存在に溶け込み1つである
本来の状態を再び「感覚」で『思い出した』
典子は
 
自分は全てと『分離』していないことを悟ります。
 
自分もみんな全てが
全体の1部分であると悟ります。
 
『分離』の切り離された寂しい孤独感ではなく
『1つ』である愛で統合されている満たされた状態が
 
本来の全体の状態であることを悟ります。
 
 
自分の内側にある『魂(源泉)』意識 consciousness は
愛と光であり
宇宙全ての存在と1つであることを悟ります。
 
 
「今ここ(現在)」に存在する
なにかが1つでも欠けていては
全体は生きることができない
この宇宙の自然のしくみを悟ります。
 
 
ただ意識をすれば
一瞬で全てにつながることを悟ります。
 
 
全ての存在は『分離』されてはいなくて
1つに溶け込んだ『統合』している愛と光のエネルギー。
 
 
典子は光明 enlightenment が起こったとき
イザークと遠く離れ離れでしたが
 
「肉体」が離れ離れであっても
『魂(源泉)』の意識 consciousness は
いつもつながって1つであることの
『理解』が起こった典子は
 
遠く離れているイザーク
『魂(源泉)』の意識 consciousness で
つながり1つであることをも悟ります。
 
 
典子は自分の内側にある
『魂(源泉)』である意識 consciousness の
愛と光のエネルギーをとおして
遠く離れている
イザークの『魂(源泉)』である意識 consciousness につながります。
 
 
自分の内側の『魂(源泉)』である
意識 consciousness の愛の光に
『気づいて』いましたが
まだ典子のように光明 enlightenment は起こっていませんでした。
 
 
しかし
典子がイザークと『魂(源泉)』である
意識 consciousness とつながり1つになったことにより
イザークは真に本来の自分『魂(源泉)』を
再び「感覚」で『思い出し』
光明 enlightenment が起こりました。
 
 
その瞬間
イザークはそれまでの全ての傷が
内側にある『魂(源泉)』の愛の光のエネルギーが溢れ出たことにより
押し流され消えてなくなり
 
周りから洗脳(マインド(思考)コントロール)されていた
 
”闇の力により
化け物である天上鬼デラキエルとして
目覚め世界を破壊して生きる”
 
という偽りの仮面の自分が消え去り
 
その偽りの闇の自分の奥深くにある
 
本来の自分である『魂(源泉)』である
愛の光の意識 consciousness を
 
完全に再び「感覚」で『思い出す』
光明 enlightenment が起こりました。
 
 
 
 
異次元の世界に
『目覚めアジール』として突然飛ばされた典子は、
 
『天上鬼デラキエル』であるイザーク
闇の化け物の破壊の存在としてではなく、
 
光の存在
それはイザークの本来の『魂(源泉)』のままを
『目覚め』させるきっかけとなりました。
 
 
 
 
暗闇にマッチ一本の光があると
暗闇が無くなるように、
 
闇の存在に
典子という『目覚め』の愛の光があることで
闇は暗闇ではなくなり
闇の存在の力が弱まりました。
 
 
それがゴータマ・ブッダの最後に残した言葉
 
『あなたがあなた自身の光であれ。』
 
そうすれば闇は暗闇ではなくなり
不安や恐れはなくなり
明かりの中で迷わず歩いていけるから。
 
 
内側の苦しみという暗闇は
自身の明かりによって消え去る
 
 
あなたがあなたの明かりでありなさい。
 
 
あなたの『魂(源泉)』愛の光を
正しく『思い出し』なさい。
 
sammasati 正しく想起する。
 
です。
 
 
導師 master osho もこの言葉を最後に
最後の講話を終えています。
 
 
 
 
典子は突然
全く知らない異次元の世界に飛ばされましたが
典子の『魂(源泉)』も
イザークの『魂(源泉)』も
ある時が来たら
2人で1つになり
あることを成し遂げるために
生まれてきたことを
ちゃんとわかっていました。
 
 
たとえどんなに辛くても
自分から逃避せず
自分と向き合い
『魂(源泉)』のまんまを生きようとした2人。
 
だから2人は出会った。
 
だから2人は仲間たちとも出会った。
 
 
全ては必然。
 
 
しかし必然であっても
その自分の運命を
 
勇気をもって受け容れて生きるか
or
嫌がり逃避して生きるか
 
それは
典子とイザークの選択の自由です。
 
この物語の中では
2人は自分自身から逃避せず
他の誰かのようになろうとすることを止めて
ありのままの自分を受け容れて生きる選択をしました。
 
 
その結果
 
 
2人は
外側の現実の旅をしながら
内側の現実の意識の成長の旅をして
愛の梯子を昇りながら
光明 enlightenment が起こりました。
 
f:id:hanasennin9:20170818210645j:image
 
 
さらに
 
 
闇の存在に同調して
いつまでも満たされず渇望し
暗闇の中をさまよい苦しみ続けている
敵であったラチェフの
 
欲を満たすことに協力することではなく
 
慈悲の愛により
ただただイザークと典子はラチェフを抱きしめ
 
一言も語ることなく
 
愛の光を見せました。
 
 
 
するとラチェフは
ラチェフの内側にもある
『魂(源泉)』である意識 consciousness の
愛の光を『思い出し』ました。
 
 
 
この物語の中では
内側の愛の光を『思い出した』ところで
ラチェフは消えていなくなりますが、
ラチェフの『魂(源泉)』である意識 consciousness は
光がすでに見えている
その光までの
意識の成長の旅への一歩を踏み出しはじめました。
 
 
ラチェフは
光明 enlightenment が起こった
典子とイザークの愛の光をまともに受けて
やっと目を覚まそうと腹を決めたようです。
 
 
 
 
真の癒しには
『魂(源泉)』の愛の光だけが
お薬であり治療です。
 
それ以外にはありません。
 
 
 
 
他者を癒すために
何かをしてあげることは不可能ですが
 
他者が自分自身を
癒そう!
と思えるきっかけを与えることは可能なのです。
 
 
 
 
それは
他者が自身の愛の光である
『魂(源泉)』を
再び「感覚」で『思い出す』きっかけを
与えることです。
 
そのためには
 
まずあなた自身が癒され
光明 enlightenment が起こり
愛の光のまんまを生きて
その
愛の光を他者に見て感じてもらうことだけでいいのです。
 
 
 
あなたが
あなたの『魂(源泉)』のまんまであることでいいのです。
 
 
 
完全なる癒しである光明 enlightenment をしなさい、
などと
無理やりなことや
支配やコントロールして
他者を無理やり「変えよう」とすることは
 
愛ではなく
暴力です。
 
 
 
 
愛とは他者に自由を与えること。
 
他者に選択の自由を与えること。
 
 
 
 
たとえその選択が
またさらに地獄へと落ちる苦しみの選択であったとしても
それを選択するのはその本人です。
 
その選択をした本人の責任です。
 
自由には責任が伴います。
 
自分が選択したことは
自分の責任となります。
 
他の誰の責任でもありません。
 
 
 
 
人間は自由を
「責任から逃れて無責任であること」
と誤解し勘違いしている人たちがいます。
 
そのような人たちは
 
「過去」にした自分の選択によって
「今ここ(現在)」で苦しんでいることを
 
自分の責任ではなく
周りの責任にして
周りに自分の怒りや悲しみをぶつけ
自分のした選択の責任から現実逃避します。
 
厳しいようですが
たとえ経済的に自活できていたとしても
 
その精神は、まだ成熟していない証拠です。
 
それはまだ意識の成長の愛の梯子の
低い段階にいる証拠です。
 
内側が二元性のネガティブな極に傾いて
アンバランスな状態の証拠です。
 
 
 
 
どんな選択であっても
他者が自由に選択することを
邪魔しないことが
愛であり、
 
他者の選択を
自分の欲や都合によって押し付けることは
正論であっても
愛ではなく
暴力です。
 
支配でありコントロールは暴力です。
 
 
 
 
他者を真に愛するならば
他者に自由を与えることです。
 
たとえその選択により
その他者がさらに地獄へと落ちる苦しみが待っているとしても。
 
その他者が行きたい方向を邪魔することは
暴力なのです。
 
他者が自分自身で
苦しみの地獄ではない方を
自由に選択するまで
見守り待つしかないのです。
 
厳しいようですが
それが慈悲の愛の学びです。
 
ゴータマ・ブッダは慈悲の愛の人です。
 
ゴータマ・ブッダはみんなに自由を与え
ただ見守ります。
 
 
 
 
どんなに何を話しても見せても
欲を満たすために
現実逃避して夢の中で生きている人たちには
愛の光は届いていても
目を閉じて夢を見て眠っている無意識の状態なので
それに『気づく』ことができません。
 
苦しみから離脱するチャンスを見逃し続けます。
 
その愛の光に『気づく』ことができたとき
ラチェフのように
自力で意識の成長の旅をはじめようとします。
 
その本人が
真に愛の光を求めたときにしか
愛の光に『気づく』ことができなくて
夢から目覚めようと
腹を決めることができないのです。
 
眠っている人を
無理やり起こすことは
暴力です。
 
無理やり起こされる人は
気分を悪くし嫌がり怒ります。
 
 
 
大切なことは
無理やりではなく
本人が目覚めよう!と腹を決めるまで
見守り待つことの慈悲の愛です。
10年でも、100年でも、1000年でも、1万年でも。
 
待つことが真の愛です。
 
だからこそ
光明 enlightenment を得た導師 master たちは
語り続けながら、無理強いはせず、
『魂(源泉)』の弟子 disciple たちが目覚めるまで
何生も何生も導き待ち続けるのです。
 
 
何度生まれ変わっても
あなたの『魂(源泉)』の導師 master は
あなたが光明 enlightenment が起こるまで
慈悲の愛で導き待ち続けます。
いつもいつも見守り続けています。
 
導師 master たちは肉体を離れても見守り続けています。
 
f:id:hanasennin9:20170818210828j:image
 
導師 master と弟子 disciple とは
『魂(源泉)』と『魂(源泉)』のつながりの絆の愛の関わりです。
 
 
『空間』と『時間』を超越した
永遠の愛の中の関わりです。
 
 
なぜなら光明 enlightenment を得た導師 master たちは愛だけだから
「今ここ(現在)」しかない
『空間』body と『時間』mind をすでに超越した存在だからです。
(肉体 body とマインド(思考)mind を超越した存在)
 
 
何度生まれ変わろうが
「今ここ(現在)」であなたの光明 enlightenment が起こることへと
導師 master たちは導きます。
 
 
光明 enlightenment
「過去」でも「未来」でもなく
永遠の愛である
「今ここ(現在)」でのみ起こります。
 
 
導師 master の愛に溺れることを恐れていては
真の愛の体験は起こりません。
 
 
執着と愛の違いがわかれば
導師 master たちの愛に溺れることは
弟子 desciple にとっては
光明 enlightenment への1つのきっかけとなります。
 
わたしはその導師 master との『魂(源泉)』の愛と信頼の体験から
光明 enlightenment への旅がはじまりました。
 
 
 
 
ラチェフは
闇の力を手に入れて
欲しいものをほとんど全て手に入れてましたが
いつまでも真に満たされ平和な気持ちにはなれなかった苦しみにより
真に癒される愛の光を求めたのかもしれません。
 
そうでなければ
典子とイザークの愛の光は
ラチェフに届かなかったかもしれません。
 
 
 
 
真に暗闇の中で苦しんだ人ほど
真に癒され愛の光を求めます。
 
悪夢から目覚めたい!と思えます。
 
しかし
 
ちょっとの欲が満たされ喜び
楽しい夢を見ている人は
現実逃避をすることを選択し続けます。
 
なかなか
 
夢の眠りから目覚めたくはないため
 
意識の成長の旅ははじまりません。
 
なかなか
 
本来の自分を生きる至福で満たされません。
 
それがラチェフに起こっていた苦しみでした。
 
 
 
 
わたしも
地獄を生きることは
本当に苦しかったですσ(^_^;)
 
光明 enlightenment
本当に苦しみからの永遠の離脱であり
愛と至福です(*^_^*)
 
 
 
 
わたしは
一応苦しみからの永遠の離脱である
光明 enlightenment について話しますが
無理やりな押し付けはしません。
 
気持ちよくスヤスヤ眠っている人を
無理やり起こすことは
とてもできませんσ(^_^;)
 
ですから
 
ひそかに
ブログで光明 enlightenment
実体験のお話や
それに関することを分かち合うことだけです。
 
導師 master osho の講話は
わたしの光明 enlightenment 体験と同じでしたからご紹介していますし、
 
ひかわきょうこさんの『彼方から』も
ほとんど同じでしたから
なぜか今年の夏休み期間にご紹介しています。
 
 
 
今年の夏休み期間は
真の本来の自分に目覚めよう!
と思う人が増える?感じがなぜかするのです。
 
7月と8月の新月が連チャンで
同じ獅子座で新月になることが
もしかして関係してるのかな?
 
占星学を学んでいる人たちなら
何かそのあたりに詳しそうですよね(-_^)
 
 
実際に
わたしの周りの人たちでも
 
これまで作り上げた
偽りの仮面(人格ペルソナ)を被った自分を
もうどうにも生きることが辛いんです!
 
真の自分のまま生きたいのですが、
どうしたらいいのかわからなくて
苦しいのです…>_<…
 
という相談がたくさんありましてσ(^_^;)
 
どうした、2017の夏は!みたいな。
 
茄子がおいしすぎる感動で楽しいが、
 
なんか大きな意識の『変容』があるんかねσ(^_^;)?
 
宇宙の流れはそんなときなんかねσ(^_^;)?
 
 
 
 
わたしは前回も書いたように
臨死体験をしたり
知人が急に死んだりしたことも何度もあり
一秒後に死んでも
心のこりや後悔をしない
「今ここ(現在)」をトータルに生きる
瞑想 meditation 的な生き方をしています。
 
 
 
寿命まで
自分をどう生きるか…
その選択は個人個人の自由です(-_^)
 
 
 
光明 enlightenment して
真の本来の自分をenjoyして生きよう!
と思うならば
わたしの場合はこんな光明 enlightenment の体験でした
みたいなことをブログでご紹介しています。
 
 
光明 enlightenment の起こり方は
個人個人違いがありますから
このブログで書いてあることは
あくまでもわたしの体験ばなしです。
 
 
光明 enlightenment は夢物語でも
漫画の中だけでなく
現実に起こりますよ、
というメッセンジャーをしているだけです。
 
 
今日ご紹介しているのは
典子のように
『全体と意識が溶け合い1つになる瞬間』
光明 enlightenment が起こります
というお話です。
 
わたしの場合もそうでした。
 
言語が不得意なので
わたしではうまく説明できませんから
ひかわきょうこさんの『彼方から』の漫画は
絵と言葉でとてもわかりやすく表現されていますからご紹介しました。
 
f:id:hanasennin9:20170818211222j:image
 
『全体と意識が溶け合い1つである』
これが本来の状態です。
 
自分と他者が『分離』している…
というマインド(思考)は
偽りである
 
ということが
光明 enlightenment が起こると
はっきりとわかります。
 
 
 
 
『魂(源泉)』の統合の状態ではなく
 
『分離』のマインド(思考)を持つことから
全ての苦しみがはじまります…
 
 
 
 
愛は『統合』溶け合い1つの状態
怒りは『分離』切り離しのマインド(思考)
 
 
愛は平和
怒りは戦争
 
 
 
寿命まで
どう生きるかは
個人の自由選択です(-_^)
 
 
 
 
説明が下手でごめんよ〜。
だけど
わたしはただのメッセンジャー
存在のエネルギーをまんま流す門 gate なだけです(-_^)
 
ですから
 
『戦う』ことも
『戦わない』ことも
どちらもしません。
 
みんな自由でいいんだよ(-_^)
 
わしは中性みたいな中庸みたいなσ(^_^;)
 
アホで無知で貧乏で
もうなんにも持っていないので
『無』を分かち合うことしかできなくて
ごめんよ〜σ(^_^;)
 
 
 
 
では、茄子の牛がむかえに来たから
それに乗って月まで帰るかな(-_^)
 
お盆も終わったしね(-_^)
 
 
 
 
sammasatiサマサティ
(right remembrance)
正しく想起する。
 
 
『The last word of Buddha was, sammasati. 
Remember that you are a buddha – sammasati.』
 
 
瞑想と愛 meditation & love
 
 
 
 
花仙人
 
 
 
 
f:id:hanasennin9:20170819080345j:image
f:id:hanasennin9:20170818205921j:image
f:id:hanasennin9:20170818211409j:image
f:id:hanasennin9:20170818211439j:image
f:id:hanasennin9:20170818211519j:image

 

真理の泉

真理の泉

 

 f:id:hanasennin9:20170819070109j:image

f:id:hanasennin9:20170819070132j:image

f:id:hanasennin9:20170819070150j:image

f:id:hanasennin9:20170819070207j:image

f:id:hanasennin9:20170819070224j:image

f:id:hanasennin9:20170819070247j:image

f:id:hanasennin9:20170819070304j:image

f:id:hanasennin9:20170819070321j:image

f:id:hanasennin9:20170819070342j:image

f:id:hanasennin9:20170819070401j:image

f:id:hanasennin9:20170819070426j:image

f:id:hanasennin9:20170819070515j:image

f:id:hanasennin9:20170819070500j:image

f:id:hanasennin9:20170819070531j:image

f:id:hanasennin9:20170819070547j:image