花仙人の日記

地球を自然のままに…

普通は奇跡であり究極の至福

普通は奇跡であり究極の至福
 
 
 
前回の続きです。
 
 
 
魔法 magic は
 
力 power であり
 
「自分”I”」というエゴ(欲・自我)ego を強く持つ罠 trap となり
 
その力 power に囚われ執着し使い続けると
 
なかなか光明 enlightenment は起こらない…
 
なぜなら
光明 enlightenment の状態とは
エゴ(欲・自我)ego が全く無い状態だからです。
 
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魔法 magic だけでなく
権力 power も
力 power です。
 
 
 
人間の外側 outside である肉体 body が
男 man であっても
女 woman であっても
(肉体 body は男女の二元性 duality)
 
全ての人間の内側 inside 奥深くにある
魂 soul は一元性 unity ですから
全ては1つ uni であるという
本来のバランス(中庸)balance の状態であり
まだ赤ちゃんのころは
意識 consciousness は
魂 soul の一元性 unity の状態のままです。
 
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育っていく過程で
 
自分以外の他者から
 
名前 name という”知識 knowledge”を与えられたり、
男 man であるとか女 woman であるとかの性別の”知識 knowledge”を与えられたり、
日本人とか外国人であるとかの国籍の違いの”知識 knowledge”を与えられたり、
などなど…
 
たくさんの「自分”I”」と「他”You”」の違いの
”知識 knowledge”を与えられていき
(知識 knowledge = マインド(思考)mind )
 
すると頭の中で
 
「自分”I”」と「他”You”」を「分離 separate」する
マインド(思考)mind を持ち
 
「自分”I”」というエゴ(欲・自我)ego を持ち
 
そこから
 
「自分”I”」と「他”You”」を
 
”比較 comparison” しはじめ
 
さらに
 
競争という”知識 knowledge”を与えられると
 
優劣など陰陽の
あらゆる二元性 duality の”判断 judge”をしはじめ
 
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「自分”I”」は「他”You”」よりも
 
優れている
劣っている
 
と”判断 judge”をしはじめ
 
劣っていると思うと苦しくなり
「他”You”」に対して嫉妬や妬みなどの
ネガティブな感情を持ったり、
 
優れていると思うと
嬉しいのと同時に
いつ「自分”I”」が「他”You”」より劣る瞬間が来るのだろうか…という不安も持つため
やはり苦しくなります。
 
 
そうやって
 
 
いつも「他”You”」より優れていたい!
という欲を持ち
そう思い考えるマインド(思考)mind を持つことで
「自分”I”」というエゴ(欲・自我)ego がさらに強まります。
 
 
そうして
「自分”I”」が「他”You”」より
優れていたい
強くありたい
と思う
マインド(思考)mind
エゴ(欲・自我)ego
があると
魔法 magic の力 power や
権力 power の力 power が
欲しくなります。
 
 
この力 power が手に入ると
人間は
使い見せたがり
また
「他”You”」を支配しコントロールしたくなります。
 
 
 
愛 love とは
「他”You”」に自由を与えることです。
もちろん「自分”I”」にも。
 
しかし
 
魔法 magic や権力 power の力 power により
「他”You”」を支配しコントロールして
「他”You”」の自由を奪うことは
愛 love ではなく
暴力 violence です。
 
 
 
小競り合いから戦争がはじまります。
 
 
 
競争や、
比較 comparison や、
優劣や、
判断 judge などをすることが
良いとか悪いとかの”判断 judge”をしているのではなく、
 
それらに囚われ執着することにより
 
「自分”I”」と「他”You”」が争う
「分離 separate」が起こり
 
その「分離 separate」から
あらゆる苦しみがはじまる…
 
ということです。
 
人間の過去1万年間を振り返って見たら
それははっきりとわかります。
 
 
 
人間がなぜ1万年間も苦しみ続けているのか?
 
 
 
力 power を欲し囚われ執着するとき
さらなる
「自分”I”」と「他”You”」を切り離す
「分離 separate」が起こり
 
愛 love がそこにはありません。
 
 
 
「統合 integration」の愛 love の中に苦しみは一切ありません。
 
「分離 separate」は切り離す痛い苦しみがあります。
 
 
 
「分離 separate」の苦しみではなく
「統合 integration」が愛 love の至福です。
 
 
 
苦しみの原因(種)である
エゴ(欲・自我)ego
マインド(思考)mind
を全て『手放し』
 
二元性 duality から一元性 unity へ。
 
アンバランス(偏り)unbalance の苦しみから
バランス(中庸)balance の至福へ。
 
「分離 separate」の苦しみから
「統合 integration」の至福へ。
 
苦しみから至福への
変化 change
変容 transformation
 
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no magic
no mind
no ego
自然のままに生きる…
 
普通が1番…
 
そして
 
魔法 magic は力 power です。
 
 
 
導師 master osho は講話の中で話します。
 
”power is never spiritual. 
 
This is the difference between magic and religion; 
 
magic is after power, 
religion is after nothingness.
 
力 power はけっしてスピリチュアルではない。
 
これが、魔法 magic と宗教 religion の違いだ、
 
魔法 magic は力 power に続く。
 
宗教 religion は無(なにもないこと nothingness)に続く。”
 
 
 
宗教 religion の
re - ligion は
”再び1つであること”
 
それは
一元性 unity のことです。
「統合 integration」の愛 love の至福です。
 
 
 
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アーシュラが見てきたままを書いたという
アースシー Earthsea の世界の中の
主人公であるゲド Ged は
アースシー Earthsea で1番の
大魔法使いであり、大賢人でもありますが
魔法 magic は偽りだ、と話します。
 
魔法 magic で見せるご馳走を食べても
本当にはそこにはないものだから
空気を食べているようなものだから
やはり腹は減るから
本物の食べ物を食べなくては腹は満たされないんだよ、
魔法 magic は偽りのただの見せかけなんだ、と…
 
そして
 
自分はその力 power が欲しくてしかたがなかった…
と、
だから大きな間違いの失敗もした…
と、
年を重ねたあるとき話します。
 
 
 
今日は導師 master osho の講話から
魔法 magic と力 power のお話しを
少しご紹介します。
 
このお話しの中に出てくる
光明 enlightenment を得た導師 master である
盤珪 bankei さんは
姫路にある龍門寺という臨済宗のお寺を開山され
たくさんのお弟子 disciple さんと共にすごしましたが
 
東京の広尾駅から歩いて10分ほどのところの南麻布にある
光林寺も開山された導師 master でもあります。
 
以前この光林寺のすぐ近くに住んでいましたが
本当にシンプルで洗練 sophisticate された美しい禅寺で
春になると満開の桜の花がみごとにシンプルなお寺と美しくコラボレートします。
 
都会の中のオアシスのような
心があたたまるホッと一息つけるお寺です。
 
盤珪さんは講話では
誰にでもわかりやすく丁寧に話されたそうです。
 
本当に優しく親しみを感じる大好きな導師 master の1人です。
 
そんな素晴らしい導師 master 盤珪さんのお話しを
どうぞお楽しみください* ( ´͈ ◡ `͈ ) *
 
 
 
no magic
no mind
no ego
自然のままに生きる…
 
普通が1番の奇跡であり究極の至福…
 
 
 
*    *    *
 
 
 
Recognition / Ordinariness
 
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Recognition / 見分けること、認識
Ordinariness / 普通であること
 
The Master the Gardener And the Guest
 
庭師の導師 master とお客
 
 
 
commentary(解説)…
 
唯一の奇蹟 miracle、不可能な奇蹟 miracle は、
ただ普通 ordinary であることです。
 
誰かになろうと渇望しないことが奇蹟です。
 
(マインド(思考)の望みは並外れたものになること。
エゴ(欲・自我)は認められることを渇望する。 )
 
自然が自らのコースを取るに任せましょう。
それを許すことです。
 
 
The only miracle, the impossible miracle, is to be just ordinary.
 
It is a miracle not to long to become somebody.
(The longing of the mind is to be extraordinary. 
The ego thirsts and hungers for the recognition that you are somebody. )
 
Let nature have its course, to allow it. 
 
 
 
osho…
 
ある日
禅の導師 master 盤珪(ばんけい)が
彼の弟子 disciple たちに静かに教えを説いていると
別の宗派から来た僧に話を遮られた。 
 
その宗派は奇蹟 miracle の力を信じていた、
そして
聖なる言葉(マントラ mantra)を繰り返すことで
救いがあると思っていた。
 
盤珪は話をやめて、
その僧に何を言いたいのか尋ねた。
 
その僧は
自分の宗教の創始者は筆を手に河岸に立ち
対岸にいる助手が手にしている紙きれに
聖者の名前を書くことができると自慢した。
そして彼は尋ねた、
 
「あなたはどのような奇蹟 miracle を行うことができるのか?」
 
盤珪は答えた、
 
「1つだけだ。
腹が減ったら食べ、
喉が渇いたら飲む。」
 
 
 
唯一の奇蹟 miracle、不可能な奇蹟 miracleは、
ただ普通 ordinary であることだ。
 
マインド(思考)mind の望みは並外れたものになることだ。
 
エゴ(欲・自我)ego は何者かであることを
認められることを渇望する。 
 
 
 
ある人は富をとおして夢に到達した、
ある人は力や政治をとおして夢に到達した、
ある人は奇蹟や詐欺をとおして夢に到達できた、
 
しかし
その夢は同じままだ…
 
人は、誰でもない人 nobody であることを我慢できない。
 
 
 
そして、これが奇蹟 miracle だ
 
…あなたがあなたの誰でもなさ nobodiness を受け容れたとき、
あなたが他の誰とも同じように普通 ordinary いられるとき、
あなたがどんな認識 recognition も求めていないとき、
あなたがまるで自分は存在していないかのように存在できるとき。
 
 
 
不在 absent であることが奇蹟 miracle だ。
 
 
 
この物語は美しい、
禅の逸話の最も美しい1つだ、
 
盤珪はすばらしい導師 master の1人だ。
 
しかし、盤珪は普通 ordinary の人だった。
 
 
 
あるときそれは起こった
盤珪は彼の庭で庭仕事をしていた。
 
1人の求道者がやってきた、
その者は導師 master を探していたので、
盤珪にたずねた。
 
「庭師、導師 master はどこにいる?」
 
盤珪は笑って言った、
 
「待ちなされ。
あの扉から中に入ると、
導師 master を見つけることができる。」
 
そこで男は中に入っていった。
彼は盤珪が中で肘かけ椅子に坐っているのを見た、
外で庭師だったその同じ男だ。 
 
求道者は言った、
 
「からかっているのか?
その椅子から下りろ!
これは冒涜だ、神聖を汚すことだぞ!
お前は導師 master に敬意を払っていないのか!」
 
盤珪は椅子から下り、床に座って言った、
 
「さて、これは難しい。
今やあなたはここに導師 master を探せないだろう
なぜなら
私が導師 master だからだ。」
 
 
 
偉大な導師 master が
庭で働くことや、
ただ普通 ordinary であるということが、
その男には難しすぎてわからなかった。
 
 
彼は立ち去った。
 
 
彼は盤珪が導師 master であることを信じることができなかった、
 
…彼は逃がした。 
 
 
 
私たちはみな並外れたことを探す。
 
しかし
 
なぜあなたは並外れたことを探すのだろうか?
 
なぜなら
 
あなたも並外れた者であることを望むからだ。
 
 
 
普通 ordinary の導師 master と一緒にいて、
どのようにしてあなたは並外れた、格別になれるだろうか?
 
 
 
盤珪は話して講話をしていた、
そこへ
ある男が来て奇跡 miracle について尋ねた。
 
彼はどこか別の宗派に属していた、
その宗派ではマントラ mantra という聖なる名前をとおして働いていた。
 
 
 
覚えておきなさい
マントラ mantra は
さらに力 power に達するための
秘密のテクニックだ。
 
 
マントラ mantra は
スピリチュアル spiritual ではない、
 
しかし
 
それは内側 inside のスペースの政治 politic だ、
外側 outside のことではない。
 
 
もしあなたのマインド(思考)mind が狭まれば
あなたの力 power は強くなることができる、
狭めることが方法だ。
 
マインド(思考)mind が狭まれば狭まるほど
力 power は増す。
 
 
 
それはまるで地面に降りてくる太陽の光線のようだ。
 
もしあなたが太陽光線をレンズをとおして集めたら、
火を作り出すことができる。
 
それらの太陽光線は散らばって降りてくる
しかし
レンズをとおせば太陽光線は狭まる。
 
太陽光線は一点に集まる、集中する、
今や火は可能となる。
 
 
 
マインド(思考)mind はエネルギーだ、
つまり
それは太陽を通してくるエネルギーと同じだ、
同じ微細なエネルギー光線だ。
 
 
 
物理学者に尋ねてごらん。
彼らはマインド(思考)mind は電気の電圧を持っていると言う、
それは電気に関する。
 
 
もしあなたがレンズをとおしてマインド(思考)mind を集めることができれば、
マントラ mantra はレンズだ、
 
そしてあなたがラム、ラム、ラム ram、
またはオーム、オーム、オーム om、
またはなんであれ、ただの1言を
繰り返し言い続けたり
…もしあなたがそれを繰り返し、繰り返し、繰り返し行い続けたら、
 
マインド(思考)mind の全てのエネルギーは
その1言を中心にする
 
…そのマントラ mantra はレンズだ。
 
今や全ての光線はレンズをとおして通り過ぎる。
 
狭められた一点は力 power を強める、
あなたは奇跡 miracle ができる。
 
ただ考えるだけで
あなたは奇跡 miracle ができる。
 
 
 
しかし、覚えておきなさい、
 
そのようなマントラ mantra などの
力 power による奇蹟は
スピリチュアル spiritual ではない。
 
力 power はけっして
スピリチュアル spiritual はない。 
 
 
 
無力や、なんでもないこと nothing は
スピリチュアル spiritual だ、
 
力 power はけっして
スピリチュアル spiritual ではない。
 
 
 
これが、魔法 magic と宗教 religion の違いだ、
 
魔法 magic は力 power に続く。
 
宗教 religion は無(なにもないこと nothingness)に続く。
 
 
 
マントラ mantra は魔法 magic の1部だ
まったく宗教 religion ではない、
 
 
 
しかし
全てが混じり合って大きく散乱している。
 
奇蹟 miracle を行う人々は
魔法 magic を使うマジシャンであり、
 
どのような意味においてもスピリチュアル spiritual ではない。
 
彼らは反スピリチュアル anti-spiritual だ
なぜなら
宗教 religion の名のもとに魔術 magic を広めているだけだ、
 
それは非常に危険だ。
 
 
 
マントラ mantra をとおすと
マインド(思考)mind は狭まる、
それはさらに狭まる、
さらに力 power を増す、
そしてなんでもできてしまう。
 
 
 
そこにはただ1つだけあなたが逃すものがある
…あなたはあなた自身を逃すことになる。
(あなたはあなた自身を見失う。)
 
 
 
全ての奇蹟 miracle は可能になるだろう、
しかし
究極の奇蹟 miracle をあなたは逃すだろう。
 
 
 
あなたはあなた自身を逃し見失う
なぜなら
マインド(思考)mind が狭まることをとおして
あなたは1つの目的を達成できるからだ。
 
マインド(思考)mind がさらに狭まることは、
さらに1つの目的に固定することになる、
それが目的となる。
 
あなたは後ろに隠される
そして
目的が外側にあらわれる。
 
 
 
だからもしあなたが木に
「死ね」というマントラ mantra を言うと
その木は死ぬだろう、
 
あなたがある人に
「健康になれ」というと
病気は消え去り
 
または
 
「不健康になれ」というと
病気が入り込むだろう
 
…いろいろなことができる。
 
あなたは誰かになることができる、
そして
人々はあなたを力 power のある人であると
認識 recognize するだろう
 
しかし、神の人ではけっしてない。
 
 
 
神の人が生まれるのは
マインド(思考)mind がまったく狭まれていないときだ、
 
マインド(思考)mind が1つの方向へと流れていないときだ、
 
しかし
 
神の人は全ての方向へと流れ溢れているときだ。
 
 
 
レンズがない、
マントラ mantra がない、
ただエネルギーがあらゆる次元へと流れている状態だ。
 
その流れるエネルギー、
そのあらゆるところへと溢れ流れるエネルギー、
それはあなた自身について
注意深く油断なくあることを作るだろう
なぜなら
そこには目的 object がないからだ。
 
ただあなただけが、
主観 subjectivity な存在だ、
 
そして
あなたをとおして、
あなたは神の気づき aware となるだろう、
どんな力 power をもとおすことなく。
 
 
 
この男は盤珪に尋ねた、
「あなたはどのような奇蹟 miracle を行うことができるのか?
私の導師 masterは
マントラ mantra をとおして、
聖なる名前をとおして、
奇蹟 miracle をすることができる。
 
彼は河岸に立ち、
ハーフマイルの距離にある対岸にいる
弟子 disciple が手にしているまっさらな紙きれに、
言葉を書くことができる。
これか私たちの導師 master ができることだ。
 
あなたはどのような奇蹟 miracle を行うことができるのか?」
 
 
 
盤珪は言った、
 
「私たちはここに1つだけ奇蹟 miracle を知っている、
腹が減ったら食べ、
喉が渇いたら飲む、
眠くなったら眠る。
これだけだ。」
 
 
奇蹟 miracle ですらない。
 
あなたのマインド(思考)mind は言うだろう、
 
「このどこが奇蹟 miracle なのか?
 
腹が減ったら食べて、
眠くなったら眠るとは、
 
誇るべきものが何もない。」
 
 
しかし
盤珪は本当のことを言った。
 
それはゴータマ・ブッダができることだ、
それはマハヴィーラがすることだ、
それはイエスがすることだ。
 
キリストだけが、
そうでなければできない。
 
 
盤珪が言っていることはとてもシンプルなことだ、
 
「腹が減ったら食べる。」
 
 
それが奇蹟 miracle と彼が呼ぶほどの難しいことなのか?
 
 
 
私はそれはあなたがたにとっては難しいことだと言おう、
 
マインド(思考)mind にとっては1番難しいことだと
 
…妨害ではないことが。
 
 
 
あなたが空腹を感じると
マインド(思考)mind は言う、
 
「いや、これは宗教の日だから私は断食をしているのだ。」
 
 
空腹を感じていないとき
マインド(思考)mind は言う、
 
「食べなさい、
なぜなら
毎日いつもこの時間に食べているから。」
 
 
腹が満たされているとき
マインド(思考)mind は言う、
 
「食べ続けなさい、
この食べ物はとてもおいしい。」
 
 
 
あなたのマインド(思考)mind は妨害をする。 
 
 
 
盤珪はなんと言ったかな?
 
彼は言っている、
 
「私のマインド(思考)mind の妨害は止まった。
 
腹が減ったら食べ、
腹が減っていなかったら食べない。
 
食べることは自然に起こることとなった、
 
マインド(思考)mind は妨害を続けなくなった。
 
眠くなったら眠る。」
 
 
 
いいや、あなたはこれをしていない。
 
 
 
あなたは儀式的に眠る、
あなたが眠くなったときに眠るのではなく。
 
あなたは儀式的に起きる
なぜなら
バラモン教だから、そしてヒンドゥー教では
太陽が昇る前に起きなくてはならない。
 
なぜなら
あなたはヒンドゥー教だから、
あなたは起きる。
 
誰がヒンドゥー教だろう?
 
それはマインド(思考)mind だ。
 
あなたはヒンドゥー教であることはできない、
あなたはイスラム教であることはできない、
 
宗派はあなたではない
しかし
それはマインド(思考)mind だ。
 
マインド(思考)mind は言う、
ヒンドゥー教だから
あなたは起きなくてはならない。」
だからあなたは起きる。
 
 
マインド(思考)mind が
「さて眠る時間だから寝るか。」
と言うとあなたは眠る、
 
自然ではない。
 
 
 
盤珪は言う、
 
「私は自然とともに流れる、
 
なんであれ
私の全ての存在 being が感じることを、
私はそれをする。
 
それを操っている断片的なマインド(思考)mind はない、
 
操ることは問題だ。
 
あなたは操作し続けている、
妨害し続けている、
 
このマインド(思考)mind からの操作が問題だ。
 
夢の中でさえあなたは操作している
…心理学者に尋ねてみなさい、
 
彼らは
あなたは起きているときでさえ操作し続けていると言う。
 
 
マインド(思考)mind はそこにあるなにかを
あなたが見ることを許さない、
それは投影だ、
 
マインド(思考)mind は
存在 being があなたになにを言ったのかを聞くことを許さない、
それは妨害だ。
 
夢の中でさえもあなたは間違える
なぜなら
マインド(思考)mind はあなたを罠にかけて遊ぶからだ。
 
 
 
 
訪れた求道者は
盤珪の言っていることを理解できなかった。
 
 
盤珪は言っている、
 
「私たちは一つだけの奇蹟 miracle を知っている
…自然が自らのコースをとるに任せること、
妨害せず、それを許すことだ。」
 
 
 
もしあなたが妨害をしなかったら、
あなた(エゴ(欲・自我)ego)は消え去る。
 
 
 
戦うということはあなた(エゴ(欲・自我)ego)がここにいるということだ。
 
(「私」というエゴ(欲・自我)ego がまだあるということだ。)
 
 
 
 
私も1つだけ奇蹟 miracle を知っている、
自然が自らのコースをとるに任せること、
それを許すことだ。
 
なんであれ起ころうとも、
それを妨害しないことだ、
すると突然あなた(エゴ(欲・自我)ego)は消え去る。
 
 
抵抗、
戦い、
攻撃、
暴力
なしではあなたはそこにいることができない、
エゴ(欲・自我)ego は抵抗を通して存在する。
 
 
 
これはとても深く理解しなくてはならない
 
…戦えば戦うほど、
あなた(エゴ(欲・自我)ego)はもっとそこにいる。 
 
 
 
 
盤珪は言っている、
 
「私は戦わない、全く戦わない。
腹が減ったら食べ、
眠くなったら眠り、
生きていれば生き、
死ぬときは死ぬ。」
 
「これが私の知るただ一つの奇蹟 miracle だ。」
 
 
 
しかし、なぜこれを奇蹟 miracle と呼ぶのか?
 
 
 
動物や木や鳥など全ての存在 existence は
すでにしていることなのに。
 
 
なぜ奇蹟 miracle と呼ぶのか?
 
 
人間はそれをすることができないからだ。
 
 
全ての存在 existence は奇蹟 miracle だ、
人間以外は。
 
 
 
 
あなたは自然であり、
あなたはタオだ、
あなたはものごとが起こり続けている
神秘の一部分だ。
 
 
盤珪は正しい、
それは人間には難しいことだ
 
なぜなら
 
人間はマインド(思考)mind に
とっても中毒になっていて、操られているからだ。
 
 
 
そして
もし私があなたに自然になりなさいということでさえ、
あなたは自然であろうとして頑張ろうとする、
するとあなたは逃す。
 
 
 
どうして人間が自然であることを試すことができるだろうか?
 
 
 
もし私がなにもしないようにと言うならば
あなたはなにも試すことはしない、
 
もし私が不活動でありなさいと言うならば
あなたは不活動であるように努力をする。
 
 
 
だからこれは理解しなくてはならない、
努力は必要ない。
 
 
 
どんな努力もあなたの1部であり
あなたは奇蹟 miracle を逃してしまうだろう。
 
 
 
では、どうすればいいのか?
 
 
 
なにもしないことだ、
 
 
 
ただシンプルに感じることだ
 
 
 
…自然とともにあることを許す。
 
 
 
はじめは難しいかもしれない
なぜなら
あなたはいつも急ぎ、いつも妨害しているからだ。
 
はじめは難しいかもしれない
しかし
ただ3週間ほど自然とともにあることだ。
 
 
腹が減ったら食べ、
眠くなったら眠る。
 
腹が減らなければ食べない。
 
しかし、それは断食ではない、
 
覚えておきなさい
 
なぜなら
断食はマインド(思考)mind から起こるものだからだ。
 
 
 
 
妨害をしないで
ただことが起きるのを待ってごらん、
自然とともにあることを。
 
3週間以内に
あなたは再び自然の中におちていくだろう、
 
そして突然
あなたはアダムがけっして追放されない
天国の楽園に存在しているだろう。
 
それが知識の果実の意味だ。
 
 
 
 
私は1つだけ奇蹟 miracle を知っている、
「今ここ(現在)」にあること、
腹が減ったら食べ、
眠くなったら眠る。
 
ただ普通 ordinary であること
ただ宇宙の自然の秩序の一部分であること。
 
 
 
 
だから
あなたのマインド(思考)mind を明確に選択しなさい、
 
あなたが探している奇蹟 miracle のタイプは
なんなのかを理解しなさい。
 
 
 
私は
あなたを最も普通 ordinary にできる、
あなたをシンプルな人間にできる、
あなたを木や鳥のようにできる。
 
この周りには魔法 magic はないよ、
宗教 religion だけだよ、
 
しかし
もしあなたが見ることができるならば、
これこそがすばらしい奇蹟 miracle だ。
 
 
 
 
from osho talks
oshoの講話より
 
from osho transformation tarot
osho transformation タロット より
 
A Bird on the Wing
 
Talks on Zen.
 
Talks given from 10/06/74 am to 20/06/74 am
English Discourse series
9 Chapters
 
Chapter 6
Chapter title: The Miracle of Ordinariness 
15 June 1974 am in Buddha Hall
 
 
この全講話の英語のダウンロードpdfはこちら。
 
 
 
chapter 6 の英語の全講話です。
 
(素晴らしいお話しなので英語で読める方は
是非読んでみてください。)
 
 
 
The Miracle of Ordinariness 
 
 
 
BELOVED OSHO,
 
BANKEI WAS PREACHING QUIETLY TO HIS FOLLOWERS 
ONE DAY WHEN HIS TALKING WAS INTERRUPTED BY A PRIEST FROM ANOTHER SECT. 
 
THIS SECT BELIEVED IN THE POWER OF MIRACLES, 
AND THOUGHT THAT SALVATION CAME FROM REPEATING HOLY WORDS.
 
BANKEI STOPPED TALKING, 
AND ASKED THE PRIEST WHAT HE WANTED TO SAY.
 
THE PRIEST BOASTED THAT THE FOUNDER OF HIS RELIGION COULD STAND ON ONE BANK OF THE RIVER WITH A BRUSH IN HIS HAND AND WRITE A HOLY NAME ON A PIECE OF PAPER HELD BY AN ASSISTANT ON THE OPPOSITE BANK OF THE RIVER. 
THE PRIEST ASKED, 
 
"WHAT MIRACLES CAN YOU DO?"
 
BANKEI REPLIED,
 
"ONLY ONE. 
WHEN I AM HUNGRY I EAT, 
AND WHEN I AM THIRSTY I DRINK."
 
 
 
The only miracle, 
the impossible miracle, is to be just ordinary.
 
The longing of the mind is to be extraordinary. 
 
The ego thirsts and hungers for the recognition that you are somebody. 
 
Somebody achieves that dream through wealth, 
somebody else achieves that dream through power, politics, 
somebody else can achieve that dream through miracles, jugglery, 
but the dream remains the same:
I cannot tolerate being nobody.
 
And this is a miracle
-- when you accept your nobodiness, 
when you are just as ordinary as anybody else, 
when you don't ask for any recognition, 
when you can exist as if you are not existing. 
 
 
 
To be absent is the miracle.
 
 
 
This story is beautiful, 
one of the most beautiful Zen anecdotes, 
and Bankei is one of the superb masters. 
 
But Bankei was an ordinary man.
 
 
 
Once it happened that Bankei was working in his garden. 
 
Somebody came, a seeker, a man in search of a master, and he asked Bankei, 
"Gardener, where is the master?"
 
Bankei laughed and said, 
"Wait. 
Come from that door, inside you will find the master." 
 
So the man went round and came inside. 
He saw Bankei sitting on a throne, 
the same man who was the gardener outside. 
The seeker said, 
"Are you kidding? 
Get down from this throne. 
This is sacrilegious, 
you don't pay any respect to the master."
 
Bankei got down, sat on the ground, and said, 
"Now then, it is difficult. 
Now you will not find the master here 
because I am the master."
 
It was difficult for that man to see that a great master could work in the garden, could be just ordinary. 
 
He left. 
He couldn't believe that this man was the master; 
he missed.
 
 
 
We are all in search of the extraordinary. 
 
But why are you in search of the extraordinary?
 
It is because you also long to be extraordinary. 
 
With an ordinary master, 
how can you become extraordinary, exceptional?
 
 
 
Bankei was talking, lecturing, and one man stood and asked about miracles. 
He belonged to some other sect, 
a sect which worked through mantras, 
holy names. 
 
Remember that a mantra is a secret technique to achieve more power. 
 
A mantra is not spiritual, it is political, 
but the politics are of the inner space, not of the outer.
 
The mind can become powerful if you narrow it down; 
narrowing is the method. 
 
The more narrow the mind,
the more powerful it becomes. 
 
It is just like the sun's rays falling to the ground. 
If you focus those waves, those rays, through a lens, fire can be created. 
Those rays were falling all spread out 
but now they have been narrowed down through the lens. 
 
They have become one-pointed, concentrated; 
now fire is possible.
 
The mind is energy, 
in fact, the same energy that comes through the sun, 
the same subtle rays. 
 
Ask the physicists. 
They say the mind has a voltage of electricity, that it is electrical.
 
If you can focus the mind through a lens, 
the mantra is a lens, 
and you go on repeating Ram, Ram, Ram, 
or Om, Om, Om, 
or anything, 
just one word 
-- if you go repeating and repeating and repeating it, 
and the mind's whole energy is centered in that one word -- 
it becomes a lens. 
 
Now all the rays are passing through that lens. 
 
Narrowed to one point it becomes powerful, 
you can do miracles. 
 
Just by thinking you can do miracles.
 
 
 
But remember, 
those miracles are not spiritual.
 
Power is never spiritual. 
 
Powerlessness, 
helplessness, 
to be nothing, 
is spiritual;
 
power is never spiritual. 
 
 
 
This is the difference between magic and religion; 
 
magic is after power, 
religion is after nothingness.
 
 
 
A mantra is a part of magic not of religion at all, 
but everything is a big mess, mixed up. 
 
People who are doing miracles are magicians, 
not spiritual in any way. 
 
They are even anti-spiritual 
because they are spreading magic in the name of religion, 
which is very dangerous.
 
 
Through a mantra the mind is narrowed; 
it is more narrowed, more powerful, and then anything can be done. 
 
There is only one thing you will miss
-- you will miss yourself. 
 
All miracles will be possible, 
the ultimate miracle you will miss. 
 
You will miss yourself 
because through narrowing down you can achieve an object. 
 
The more the mind is narrowed, 
the more it becomes fixed to an object; 
it becomes objective. 
 
You are hidden behind and the object is outside.
 
 
 
So if you are a man of mantras you can say to this tree,
"Die," 
and the tree will die; 
 
you can say to a man, 
"Be healthy," 
and the disease will disappear,
or,
"Be unhealthy," 
and the disease will enter
 
-- many things you can do. 
 
You can become somebody, 
and people will recognize you as a man of power 
but never a man of God.
 
 
 
A man of God is born 
when the mind is not narrowed at all, 
when the mind is not flowing in one direction 
but is overflowing in all directions. 
 
There is no lens, no mantra, 
just the energy flowing in all dimensions everywhere. 
 
That flowing energy, 
that energy overflowing everywhere, 
will make you alert about yourself 
because then there is no object. 
 
Only you, only subjectivity exists, and through you, 
you will become aware of God, 
not through any power.
 
 
 
This man asked Bankei,
"What type of miracles can you do? 
My master, through mantra, through the holy name, can do miracles. 
He will stand on one bank of the river, 
and disciples will stand on the other bank with a paper in their hands, 
a half-mile distant, 
and he will write from here and the words will come on the paper on the other bank. 
This our master can do. 
What can you do?"
 
And Bankei said, 
"We know only one miracle here, 
and that is when I feel hungry I eat, 
and when I feel sleepy I sleep. 
Only this much." 
 
Not much of a miracle. 
 
Your mind will say,
"What type of a miracle is this? 
It is nothing to be proud of." 
 
But I say to you Bankei has said the real thing. 
 
That's what a Buddha can do, 
that's what a Mahavira is doing,
that's what a Jesus is to do. 
Only then is he a Christ, otherwise not. 
 
What he is saying is such a simple thing. 
He says, 
"When I am hungry I eat." 
 
Is it so difficult that he calls it a miracle? 
 
I say it is difficult for you; 
for the mind it is the most difficult thing 
-- not to interfere. 
 
When you feel hungry the mind says,
"No, this is a religious day and I am on a fast." 
 
When you don't feel hungry the mind says, 
"Eat, because this is the time every day that you eat." 
 
And when the stomach is overfilled the mind says, 
"Go on eating, the food is delicious." 
 
Your mind interferes.
 
 
 
What is Bankei saying? 
 
He is saying, 
"My mind has stopped interfering. 
When I feel hungry I eat, 
when I don't feel hungry I don't eat. 
 
Eating has become a spontaneous thing; 
the mind is not a continuous interference.
 
When I feel sleepy I go to sleep." 
 
 
No, you are not doing this. 
You go to sleep as a ritual, 
not when you feel sleepy. 
 
You get up as a ritual 
because it is brahmamuhurta, 
and you are a Hindu 
and you must get up before sunrise. 
 
Because you are a Hindu, you get up. 
Who is this Hindu? 
It is the mind. 
 
You cannot be a Hindu, 
you cannot be a Mohammedan; 
there is no sect for you but the mind. 
 
The mind says, 
"You are a Hindu, you must get up," 
so you get up.
 
When the mind says, 
"Now it is time to go to sleep," 
you go to sleep. 
 
You follow the mind, 
not nature.
 
 
 
Bankei is saying, 
"I flow with nature; 
whatsoever my whole being feels, I do it. 
There is no fragmentary mind manipulating it, 
manipulation is the problem. 
You go on manipulating and 
this disturbance, 
interference, 
this manipulation from the mind is the problem.
 
Even in dreams you go on manipulating
-- ask the psychologists; 
they say while awake, you continue manipulating. 
The mind doesn't allow you to see what is there, it projects; 
the mind doesn't allow you to hear what is being said to you, it interprets.
Even in dreams you are false 
because the mind goes on playing tricks on you. 
 
 
 
 
Freud discovered that our dreams are also false. 
 
You want to kill your father so in the dream you don't kill your father. 
 
You want to poison your wife but you don't poison your wife even in a dream, 
 
you poison some woman who somehow resembles your wife. 
 
The mind is interfering continuously.
 
 
 
I have heard that one man was saying to another, to his friend, 
"Did I dream last night! 
What a dream!
I went to Coney Island
-- What delicious ice cream, 
such a tasteful dinner.
I have never eaten such a thing in my whole life."
 
The other man said,
"You are kidding.
You call that a wonderful dream? 
Last night I dreamt that on one side was Elizabeth Taylor
on the other side was Marilyn Monroe, 
both in the nude."
 
The other became excited and said, 
"Then why didn't you call me?" 
 
The man said: 
"I called you, but your wife said you had already left for Coney Island."
 
 
Even in dreams the mind goes on creating the world 
-- Coney Islands, Elizabeth Taylors --
and you become jealous even about another's dream:
Why didn't you call me?
 
 
 
Bankei is saying: 
"We know only one miracle. 
We allow nature to have its own course, 
we don't interfere." 
 
Through interference comes the ego: 
the more you interfere, 
the more you manipulate, 
the more you feel you are somebody.
 
Look at the ascetics
-- their egos are so refined and subtle, so shiny. 
 
Why? 
 
It is because they have interfered the most
you have not interfered so much. 
 
They have killed their sex, 
they have destroyed their love, 
they have suppressed their anger, 
they have completely destroyed their hunger 
and the feeling of the body. 
 
They have reason to be egoists: 
they are somebodies. 
 
Look in their eyes, 
there is nothing except ego.
 
Their bodies may be almost dead 
but their egos are at the supreme-most peak. 
 
They have become Everests.
 
 
 
 
These monks and saints will not be able to understand what Bankei means.
He says, 
"We know only one miracle
-- to allow nature to have its own course.
We don't interfere." 
 
If you don't interfere, you will disappear. 
 
Fighting is the way to be there.
 
 
 
 
People come to me and ask how to drop the ego.
 
I tell them, Who will drop it? 
 
If you try to drop it you will be the ego, 
and someday you will claim that you have dropped the ego. 
 
And who is this claimer, who is claiming it? 
 
This is the ego, 
and the most subtle ego always tries to pretend egolessness.
 
 
 
 
I also know only one miracle, 
to let nature have its course, to allow it. 
 
 
Whatsoever is happening, 
don't interfere, 
don't come in the way, 
and suddenly you will disappear. 
 
You cannot be there without resistance, fight, aggression, violence; 
the ego exists through resistance. 
 
This has to be understood very deeply 
-- the more you fight, the more you will be there.
 
 
 
 
Why do soldiers feel so happy fighting? 
 
Fighting is not such a beautiful thing, war is just ugly, 
but why do soldiers feel so happy fighting? 
 
If you have once been to a war you will never be happy again in peace 
because the ego comes to such a peak fighting. 
 
Why, in competition, do you feel so happy? 
 
It is because something, your ego, arises; 
fighting, you become stronger.
 
But fighting with another is never so ego-fulfilling because you may be defeated 
-- the possibility is there -- 
but fighting with yourself you cannot be defeated. 
You are always going to be the winner, 
"There is nobody else except you. 
Fighting with another there is fear, the fear of being a failure; 
fighting with yourself there is no fear, you are alone. 
You are going to win today or tomorrow, 
but finally you will win 
because there is nobody else.
 
The ascetic is fighting with himself; 
the soldier is fighting with others; 
the businessman, fighting with others; 
the monk, fighting with himself. 
 
 
The monk and the ascetic are more cunning, 
they have chosen a path where victory is inevitable. 
 
You are not so calculating, 
your path is hazardous. 
 
You may be a success, 
you may be a failure, and 
your success can turn into a failure any moment 
because there are so many fighters around you, and 
you are such a small, tiny existence 
-- you can be destroyed.
 
But fighting with yourself you are alone, 
there is no competition. 
 
So those who are very cunning escape from the world and 
start fighting with themselves. 
 
Those who are not so cunning, 
are more simple, 
are in the world and go on fighting with others. 
 
But the basic essential thing remains the same -- fighting.
 
 
 
 
Bankei is saying, 
"I am not a fighter; I don't fight at all. 
When I feel hungry I eat, 
when I feel sleepy I go to sleep; 
when I am alive I am alive, 
and when I die I will die. 
I don't come in the way."
 
And he says,
"This is the only miracle we know."
 
But why call it a miracle? 
 
Animals are doing it already, 
trees are doing it already, 
birds are doing it already; 
the whole existence is doing it already. 
 
Why call it a miracle? 
 
Man cannot do it.
 
The whole existence is a miracle except man. 
 
 
 
 
The Christian story seems to be very meaningful: 
that man has been turned out of the Garden of Eden seems to be very relevant, most significant. 
The whole existence is a continuous miracle, 
it is a continuum; 
miracles are happening every moment. 
 
Existence is miraculous 
but man has been turned out.
 
Why has man been turned out? 
 
The story says 
because he ate the fruit of the tree of knowledge 
and God had forbidden it. 
 
God said, 
"don't eat the fruit of this tree, 
the tree of knowledge. 
All the trees are open to you except this one."
 
But the Devil persuaded. 
Of course he persuaded Eve first; 
the Devil always enters through the woman. 
 
Why? 
 
It is because woman is the weakest point of man, 
the weakest link from where the Devil can enter. 
 
To enter man directly is difficult 
because he will give a good fight, 
it will be difficult, 
but through woman the Devil can persuade man.
 
So the Devil said to woman, to Eve,
"This is the only fruit worth eating, 
and that's why God has prohibited it. 
If you eat this fruit you will be like gods. 
You will be a god yourself."
 
Eve couldn't resist, the temptation was too much. 
She persuaded Adam. 
Adam tried to say it was not good 
because God had prohibited it, 
but when it is a problem of choosing between your wife and God, 
you will choose your wife.
 
Really, there is no real alternative 
because she will create such trouble, 
in twenty-four hours, such trouble... 
God cannot create so much trouble
 
So finally Adam had to eat, 
and the moment he ate the fruit he became conscious of the ego; 
 
he became aware that "I am."
 
Immediately he was thrown out of the Garden of Eden. 
 
 
 
It is a beautiful story; 
the story is really a key to all the secrets.
 
This knowledge has turned you out of the miraculous world that you are in. 
 
Before this Adam was like a child 
-- naked but not aware that he was naked; 
naked but not aware that there was some guilt in it. 
 
He loved Eve 
but the love was natural; 
he was never aware that something wrong was going on or that there was some sin.
 
There was no sin; 
before knowledge there is no sin. 
 
A child cannot commit sin; 
only an old man can be a sinner, 
so all sinners are old. 
A child cannot be a sinner. 
 
How can it be a sinner? 
 
A child is innocent 
because a child is not aware of himself, that he is.
 
Adam was like a child, 
Eve was like a child; 
they enjoyed 
but there was no one who was enjoying. 
 
They were part of this mystery, of the miracle. 
 
When they felt hungry they ate, 
when they felt sleepy they slept, 
when they felt like loving they loved. 
 
But everything was a natural phenomenon, 
the mind was not there as the manipulator. 
 
They were part of this universe 
-- flowing like rivers, 
flowering like trees, 
singing like birds -- 
they were not separate. 
 
Separation came with the knowledge that "I am."
 
 
 
The first thing Adam and Eve did was to try to hide their nakedness; 
the childhood was lost. 
 
Whenever a child begins to feel that he is naked, 
that is the point where Adam and Eve were turned out of the Garden of Eden.
 
It has always been my feeling that the answer to the Christian story exists in Mahavira
-- not in Jesus, but in Mahavira -- 
because if by eating the fruit of knowledge Adam became aware and felt guilty that he was naked, 
then the answer exists in Mahavira. 
 
The moment Mahavira became silent the first thing he did was to become naked.
 
And I say Mahavira entered the Garden of Eden again, 
he became a child again. 
 
The Christian story is half,
the Jain story is the other half; 
they make the whole. 
 
The whole existence is a miracle; 
you have fallen out of it.
 
 
 
Bankei said, 
"We know only one miracle; 
we have entered in this great miracle again. 
 
We are no more separate as egos, 
we are not individuals. 
 
Hunger is there 
but there is no one who is hungry. 
 
Sleep comes 
but there is no one who is sleepy. 
 
The ego is not there to resist or to decide; 
we flow, we drift." 
 
Nothing is wrong and nothing is good. 
 
This is the beyondness, 
the transcendental attitude where no evil exists and no good. 
You have become innocent.
 
Your saints cannot be innocents 
because their goodness is forced too much; 
their goodness is already ugly. 
Their goodness is managed, controlled, cultivated, it is not innocent.
 
 
 
I have heard about one old woman. 
She served a buddhist monk for thirty years, 
did everything for that monk; 
she was just like a mother and a disciple both. 
And the buddhist monk meditated and meditated and meditated. 
 
The day the old woman was going to die she called a prostitute from the town and said, 
"Go to that monk's hut. 
Enter the hut, go near him, caress the monk, 
and just come and tell me how he reacts. 
This night I am going to die, 
and I want to be certain whether I was serving a man who is innocent. 
I am not certain."
 
The prostitute became afraid. She said, 
"He is such a good man, so saintly, we have never seen such a saintly man."
 
Even the prostitute felt guilty to go there and touch this man, 
but the old woman bribed her. 
She went, she opened the door. 
The monk was meditating. 
It was midnight; 
in that isolated part nobody was near. 
The monk opened his eyes, looked at the prostitute, jumped to his feet and said, 
"why are you coming in? Get out!"
 
His whole body trembled. 
The prostitute went nearer. 
The monk jumped out of the hut and cried, 
"This woman is trying to seduce me!"
 
The prostitute returned, 
she told the whole thing 
and the old woman sent her servants to burn the hut of the monk. 
She said, 
"This man is of no use; 
he has not become innocent yet. 
He may be a saint but his saintliness is ugly, 
it is manipulated. 
 
Why should he see a prostitute so suddenly? 
A woman was entering not a prostitute; 
why should he think that she had come to seduce him? 
He should have been at least gentlemanly. 
He should have said,
'Come, sit, why have you come?' 
He should have at least shown a little compassion. 
And even if she had embraced him, 
why should he be afraid? 
He has been telling me for thirty years,
'I am not the body.'
If he is not the body then why should he be so much afraid of the body?
 
No, his saintliness is cultivated, it is a pose. 
It is not from the inner, it is from the outer. 
 
He has managed it all right, 
but inside he is not innocent, 
he is not childlike."
 
And unless saintliness becomes childlike, 
it is not saintliness at all, 
it is just a sinner hiding, hiding through a facade.
 
 
 
Bankei has said, 
"We know only one miracle." 
 
What is that miracle? 
 
It is to be childlike. 
 
Whenever a child feels hungry he starts crying 
-- he is hungry. 
 
Whenever he feels sleepy, he goes to sleep.
 
We try to manage even a child; 
we destroy him.
 
In the West now there are books, guides for mothers. 
 
And what type of world is there going to be when a guide is needed even for a mother 
-- guidelines that say: 
After three hours give milk, never before, 
but each three hours, give. 
 
The child is crying, 
but that's not the point 
because the guidebook says after three hours. 
 
The mother is waiting, 
and when the three hours are completed she will feed the child.
 
Even motherhood is not enough, 
a guide is needed; 
and a child's authentic cry is not to be trusted, 
as if the child may be trying to deceive. 
 
Why should the child deceive? 
 
If he is hungry, he is crying.
 
But we are trying to destroy childhood. 
 
Sooner or later he will follow us, 
he will also look at the clock, 
and when the three hours are complete he will give a cry that he is hungry. 
 
This hunger will be false, and when hunger goes false everything goes false.
 
We go on forcing children to go to sleep when we think it is time. 
 
 
 
But sleep is not to be manipulated by time, 
sleep is something inner. 
 
 
 
When the child feels sleepy he will go to sleep, 
but mother and father go on forcing the child to go to sleep, as if sleep can be ordered.
 
Children must think that you are foolish, 
they think that something has gone wrong in your mind. 
 
How can a child force sleep? 
 
He can pretend, 
so when you are there he can close the eyes 
and when you have gone he can open the eyes, 
because sleep cannot be forced. 
 
Nobody, not even you, can force sleep. 
 
If you don't feel sleepy how can you go to sleep?
 
But this is how society destroys. 
 
That's how the Devil persuades, 
that's how we bring every child out of the Garden of Eden. 
 
Remember, not only were Adam and Eve born in the Garden, 
every child is born there 
because that is the birthplace, 
and then society brings the child out. 
 
So society is the Devil. 
 
Society persuades: 
 
Do this, 
do that, and 
bring the child out. 
 
Make him an ego, 
make him a manipulator.
 
And the only miracle that is possible is to enter this Garden of Eden again, 
to become childlike, 
to allow nature its flow. 
 
Don't block it, 
don't stand in the way, 
don't push it; 
just flow with it. 
 
 
 
 
You are nature, 
you are Tao; 
you are part of the continuous mystery that is happening. 
 
Bankei was right, it is difficult for us 
because we have become so much addicted to the mind and its manipulation. 
 
And even if I say to you, be natural, 
you will try to be natural and then you will miss. 
 
How can one try to be natural?
 
If I say don't do anything
you try not to do anything; 
 
if I say be inactive 
then you make every effort to be inactive, 
 
but the effort is the activity. 
 
So this has to be understood: 
no effort is needed. 
 
Any effort on your part and you will miss the miracle.
 
Then what is to be done? 
 
Nothing is to be done, just a simple feeling 
-- allow nature. 
 
In the beginning it will be difficult 
because you have always been jumping in the way, always interfering. 
 
In the beginning it will be difficult 
but for just three weeks allow nature. 
 
When you feel hungry, eat, 
when you feel sleepy, go to sleep.
 
When you don't feel hungry, don't eat. 
It is not a fast, 
 
remember, 
because a fast is from the mind, 
and you are feeling hungry 
but you are on a fast. 
 
 
 
 
There is no harm if you don't feel sleepy; 
there is no harm because the body doesn't need it, 
so don't force it. 
 
Stay awake, enjoy, go for a walk, have a little dance in the room or sing or meditate, 
but don't force sleep. 
 
When you feel sleepy, when the eyes say: 
Now go to sleep....
 
And don't force yourself in the morning to come out of bed; 
allow your inner being, give it a chance. 
 
It will give you the indication, 
the eyes will open by themselves.
 
For a few days there will be difficulty 
but within three weeks... 
and I say within three weeks 
if you don't interfere; 
 
if you interfere, 
then three lives are not enough. 
 
 
 
 
Don't interfere and just wait for things to happen, and allow them. 
 
Within three weeks you will fall into nature again, 
and suddenly you will see that you have been existing in the Garden of Eden and Adam has never been expelled 
-- he only thinks he has. 
 
 
 
That's what the knowledge of the fruit means.
 
 
 
 
You simply think that you have been expelled. 
 
Where can you be expelled to? 
 
The whole nature is the Garden of Eden 
-- where can you be expelled to? 
 
The whole house is God so where can you be expelled to? 
 
 
 
Bankei said, 
"I have entered the Garden again."
 
 
Bankei was going to die. 
The disciples were very worried and they asked, 
"What should we do? 
What should we do with your body? 
Should we preserve it? 
Should be burn it, 
as Hindus do, as Buddhists do? 
Should we bury it in the ground, 
as Mohammedans and Christians do? 
We don't know who you are, a Hindu, a Buddhist, a Mohammedan? 
You have confused us too much we don't know who you are, so what should we do?"
 
Bankei said, 
"Wait, let me die first. 
Why are you in such a hurry? 
The mind always jumps ahead. 
Why are you in such a hurry? 
And you call yourselves my disciples? 
 
Let me die and do whatsoever you like, 
because Bankei will not be there. 
Whether you bury, 
whether you burn, 
or whether you preserve, 
it makes no difference to Bankei; 
Bankei will not be there. 
 
But let me die first then do whatsoever you like. 
 
It makes no difference 
but don't jump ahead. 
 
The mind has a tendency to jump ahead, 
always to jump ahead."
 
 
 
One minister invited his congregation for a garden party. 
He forgot a little old lady. 
Just at the eleventh hour he remembered, 
so he phoned because that lady was dangerous, very religious, and very religious people are always dangerous. 
 
He was afraid that she might create trouble or mischief. 
She was one of the oldest members of his congregation and contributed to the church and everything. 
She could create trouble. 
So he phoned and told the old lady, 
"Come. Just by mistake I forgot, 
but forgive me and you must come."
 
The old lady said, 
"It is too late now, I have already prayed for rain."
 
There was going to be a garden party 
and she had not been invited, 
and she had already prayed for rain 
so it was too late. 
 
See, it was no use; 
now, nothing could be done.
 
 
 
The mind goes on jumping ahead, 
that is the way of the mind. 
Make jumps less and less, 
or if it is very difficult for you, 
then allow the mind to jog but don't jump ahead. 
 
Jogging is meditation, it is a jogging; 
you are jumping on the same ground and the mind is accustomed to jump ahead.
 
It may be difficult to stop it completely, 
so do half-half 
-- don't jump ahead, 
jump on the ground, jog. 
 
Half is cut. 
 
Then, by and by, slow down; 
then stand, then sit down. 
 
When you are here and now, sitting totally, not jumping ahead, the miracle has happened.
 
 
 
To be in the moment is the miracle.
 
 
 
But I know Bankei will not appeal to you. 
 
Sai Baba can appeal to you 
because with Sai Baba your mind has a logic, a tuning. 
 
With Bankei your mind cannot be tuned, 
it has to be dropped 
-- only then can that tuning happen. 
With Sai Baba you can understand things -- 
with logic it is the same
-- what your mind says is that a miracle is happening.
 
This is not religion at all, 
this is simply magic. 
 
And there is no difference between a Houdini and a Sai Baba. 
 
The only difference, if there is any, is that Houdini was more honest than Sai Baba 
because he simply said that he was a magician, that these were tricks. 
 
And all that Sai Baba can do, any magician can do, 
but you will not pay much respect to a magician 
because he is so sincere and honest that he says, 
"These are tricks." 
 
So you say, 
"Okay, so these are tricks; no miracle."
 
When somebody says, 
"These are not tricks, this is a miracle, divine power manifesting through me," 
 
then your mind starts jumping. 
Then you think, 
"If I can become a close disciple of this man 
then I also can become somebody, I can also do something."
 
 
 
If you have come in search of such a miracle from me you have come to the wrong person.
 
I am Bankei reborn.
 
 
 
 
I know only one miracle
-- to be here and now: 
when feeling hungry, to eat; 
when feeling sleepy, to sleep; 
just to be ordinary and just to be part of the cosmos.
 
 
 
 
If you are in search of such a miracle much can happen near me, 
but if you are not in such a search nothing will happen near me. 
 
And remember, 
you will be responsible for it 
because your whole search is wrong, 
and then there can be no tuning with me. 
 
 
 
 
So decide clearly in your mind, 
come to an understanding of what type of miracle you are searching for.
 
 
 
I can make you most ordinary,
I can make you simple human beings, 
I can make you like trees and birds. 
 
There is no magic around here, 
only religion, 
but if you can see, 
this is the greatest miracle.
 
 
 
Anything more?
 
 
 
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sammasatiサマサティ
right remembrance
正しく想起する。
 
 
『The last word of Buddha was, sammasati. 
 Remember that you are a buddha – sammasati.』
 
 
瞑想と愛 meditation & love
 
 
 
 
花仙人
 
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